ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第五十八話 桐ヶ谷直葉

2024年10月7日

 

 埼玉県の一角にある総合病院の一室。そこには、約一年前に、世界初のVRMMORPGを舞台に発生した史上最悪の事件の被害者の一人が収容されていた。ベッドの上、無骨なヘッドギアを装着した状態で寝かされている少年の名前は、桐ヶ谷和人。彼の生存を知らせてくれるのは、ゲーム機であり拘束具でもあるナーヴギアの稼動状態を示すLEDインジケータのみ。それが正常な点滅を示している間は、和人が現実世界と仮想世界の両方において生存していることを意味している。仮想世界にいる和人は、今も自分を含めたプレイヤーの解放のため、モンスター相手に死闘を続けているのだろう。

 そんな彼のベッドの傍に、一人の少女が立っていた。目の前で眠る少年を見つめるその目には悲しみを秘めながらも、表情は懸命に笑おうとしていた。何故なら、今日は彼、桐ヶ谷和人の誕生日なのだから。

 

「お誕生日おめでとう、お兄ちゃん」

 

 少女――桐ヶ谷直葉の言葉に、しかしベッドに横たわる和人は当然のことながら何も言葉を返さない。いつもと変わらぬ、当たり前のことである筈なのに、寂しさを抱かずにはいられなかった。

 

「もう二年も経つんだね……あたし、もう高校生になるんだよ。早く帰って来ないと、どんどん追い越しちゃうよ」

 

 皮肉のつもりで口にした言葉だったが、それは直葉が何より恐れていることだった。仮想世界に閉じ込められた和人の存在が、どんどん自分から離れていく。終いには、本当に自分の目の前からいなくなってしまうのではないかという不安に駆られる。

 しかし、だからといって自分には和人を救う術など無く、現状を打破する術など何一つ存在しない。警察をはじめ関係各局が事件解決のために二年も前から動いているが、何一つ進展していない。

 

「あら、来てたの、直葉」

 

無力感に心を支配される感覚に陥る直葉の背中にかけられる声。その主は、直葉と和人の母親である、桐ヶ谷翠。コンピュータ系情報誌の編集者である彼女は、本来この時期は校了前で職場に残っていなければならない筈なのだが、どうやら押しつけてきたらしい。

 

「和人も……もう十六歳なんだね」

 

 翠もまた、直葉と同様に安らかに眠る和人の表情を感慨深げに眺めて口を開いた。

 

「今でも思い出すわ。ある日いきなり、『本当の両親のことを教えてくれ』って言いだして……思わず、白を切り損ねたわ」

 

「うん……お兄ちゃんなら、全然驚かないけどね」

 

「その通りね。虚を突かれたのは確かだけど、薄々感づいてはいたのよね。私達を家族として見ているようで、どこか余所余所しいところがあったし……まあ、あの年齢に不相応な雰囲気だけは生まれつきだったのは確かだけど」

 

 互いに苦笑しながら顔を見合わせる母と娘。息子であり兄である和人の寝顔を見ながら、彼が秘密を暴いたその日を思い出しながら、翠は続ける。

 

「私達が本当の両親ではないことは、引き取られた頃から気付いていたって言ってたわ。確信を得たのは、住基ネットの抹消記録を自分で調べてからだって言ってたけど」

 

「……お兄ちゃん、ずっとあたしに秘密にしていたんだよね」

 

「正確には、私が秘密にして欲しいって頼んだのよ」

 

 桐ヶ谷和人と桐ヶ谷直葉は、実の兄妹ではない。直葉は翠の実子だが、和人は翠の姉の息子なのだ。和人の実の両親が事故で亡くなったため、親戚である翠のもとへ引き取られてきたのだ。当時幼かった和人と直葉に対し、和人が実の子供ではないという事実を話すことは憚られたため、二人が高校生となるまでは話さずにおこうと、直葉の両親である峰嵩は決めたのだった。しかし実のところ、その目論見は翠が和人と病院で対面した時点で崩壊していたのだが。

 

「あの子も、直葉にはまだ伝えるべきじゃないって考えていたみたいで、私達に話す機会を窺っていたのよ。あなたが間違っても聞いてしまわないタイミングでね」

 

「そっか……お兄ちゃん、ずっと私のことを想ってくれてたんだよね……」

 

「そうよ。和人は素気ないように見えて、本当は優しい子なんだから。……でも、あなたに本当のことを黙っていることには、かなり負い目を感じていたみたいだけどね」

 

「うん」

 

 翠の言葉には、直葉にも思い当たる節があった。自分に接する和人の態度には、不自然な余所余所しさに加え、罪悪感に似たものを感じていたのだ。だがそれも、自分と和人が本当の兄妹ではないという事実を聞かされたことで納得した。

 

(お兄ちゃん……あたしに嘘吐いたことが辛かったんだね)

 

 無愛想で、家族相手ですら距離感が曖昧な関係だったが、和人という少年が家族を大事にする人物であることは、直葉も翠も、この場に居ない峰嵩も知っていた。譬え翠と峰嵩から頼まれたことであり、自身も納得していたこととはいえ、直葉に嘘を吐くことには抵抗があったのだろう。何故あそこまで、家族に嘘を吐くことを忌避するのか、優しいというだけではどうにも解せない部分があったが、これは和人以外の桐ヶ谷家全員の共通認識であったのだから、間違いないだろう。

 

「もし……和人のことをもっとフォローできていたなら、こんな事にはならなかったんじゃないかって……」

 

「それはお互い様だよ。あたしだって、お兄ちゃんが何を思っていたかなんて、全然考えようとしなかったんだから」

 

 和人がこの史上最悪ゲーム、ソードアート・オンラインに関わったのは、コンピュータ系情報誌の編集者である翠がスタッフ職を斡旋したことがきっかけなのだ。成績優秀で、何をやらせてもほぼ完璧にこなす和人には、親としても妹としても不満は無かった。だが、あまり感情を表に出さず、喜怒哀楽すら読めない和人には不安を覚えており、どうにかしたいとも思っていた。そこで提案したのが、SAOだった。

直葉の後押しもあって、制作スタッフとなった和人は、仮想世界への並外れた適性を発揮し、データ収集に大きく貢献していった。和人は今まで、何事においても然程深い興味・関心を示さなかった。祖父から教えられた剣道にしても、達人級の腕前を身に付けてはいたものの、身体を鍛えることが半ば日常になっていたため続けていたに過ぎず、そこに情熱のようなものは無かった。そんな和人が、初めて執着にも似た感情を見せて取り組んでいたのが、SAOだった。SAOスタッフとしての活動を初めて以降、和人の表情は目に見えて豊かになっていった。この変化には、直葉も翠も素直に喜んだ。ただ、仮想世界にのめり込むその姿には、どこか言いようのない危うさがあった。直葉は仮想世界へと遠退いてしまう和人を幻視しながらも、ただの思い過ごしと自身を誤魔化すことにした。

だが、SAOの正式サービス開始初日……直葉の抱いた不安は、現実の物と化した。ゲーム制作者の茅場晶彦の謀略により、史上初のVRMMOは、プレイヤー全員を閉じ込める牢獄と化した。仮想世界に閉じ込められた和人の精神は、常に死と隣り合わせの世界に囚われてしまったのだ。

 

「お母さんだけの責任じゃないよ。あたしだって、お兄ちゃんが明るくなったって喜んでたんだもの」

 

 SAOに関わった和人の変化は好もしいものであり、故に直葉も翠もその危うさに気付かなかった。あるいは、無意識の内に気付こうとしなかったのかもしれない。ともあれ、和人が生死を彷徨う状態となった責任に関して、直葉は同罪と考えていた。故に、翠と直葉の間に確執が起こる事は無かったのだった。

 

「じゃあ、先に帰ってるからね。あなたも遅くならないよう気を付けてね」

 

「うん」

 

 それから翠は直葉としばらく喋ると、先に病室を後にした。残された直葉は、ベッドの上で横になる和人の顔を見ながら、彼が深い眠りに着いた日から今日までを思い返す。

 

(お兄ちゃん……待ってるからね)

 

 今頃和人は、世界初のVRMMOの世界の中、和人は今も戦っているのだろう。一年前、直葉はここを訪れた総務省のSAO事件対策チームの関係者から、未だ仮想世界に囚われていた兄についてある事実を聞かされた。それは、和人のアバターのレベルがゲーム内でトップクラスに位置するということだった。その話を聞いた時、直葉も翠も軽く目を張ったものの、然程大きな驚きは無く、「ああ、そうですか」程度の感想しか無かった。理由は単純、和人がSAO制作スタッフとなったのは、仮想世界への高い適性があったからこそであり、強豪プレイヤーとなるのは必然だからだ。和人が事件に巻き込まれた当初、その境遇を嘆きこそしたものの、冷静に考えてみれば、和人ならば簡単に命を落とすことは有り得ない。常に冷静沈着に物事を分析し、状況を打破する手段が如何に危険であろうとを躊躇い無く実行できるあの胆力があれば、デスゲームをクリアすることも可能と思えてしまう。故に、和人はどれだけ時間がかかっても、必ず帰ってくる。それが、直葉を含めた桐ヶ谷家の三人が出した結論だった。

 それに、和人はSAOの世界に旅立ったあの日、直葉に約束したのだ。「また今度だ」と。故に、直葉は信じて待ち続ける。和人と生きてまた、この世界で話せる日を――――

 

 

 

 

 

2025年1月20日

 

 埼玉県南部の一角にある古い日本家屋の住宅。その縁側に、直葉は腰かけていた。今日は学校無く、家で部屋着のまま寛いでいた。片手には携帯電話を持ち、通話していた。相手は中学の卒業生で、先輩である。

 

「蘭さん、今日はあっちに来れるの?」

 

『うん、大丈夫だよ。お父さんも、今日と明日は夜遅くなると思うから』

 

「ああ~……そういえば蘭さんのお父さん、探偵でしたね。今日も何かの事件の捜査ですか?」

 

『ううん。今夜はお母さんと一緒に夫婦水入らずでディナーをセッティングしたの。今日こそ上手くいってくれると良いんだけど……』

 

 携帯電話の向こうから聞こえてくる苦笑に、直葉も同様に苦笑を浮かべる。電話の相手――蘭の家庭事情を知るが故に、この仲直り計画も成功の見込みが薄いと感じていたからだ。

 

『いっつも会うたびにケンカばっかりするんだもん。どうしてああなっちゃうのかなぁ……』

 

「あはは……まあでも、ケンカする程仲が良いって言うじゃないですか。蘭さんお父さんとお母さんは、まさにその通りって感じで……何だかんだ言って、良い夫婦じゃないですか」

 

『そうだと良いんだけどねぇ……』

 

 そう言って直葉は蘭の両親をフォローするが、当の蘭本人は不満な様子だった。蘭の両親は現在不仲で夫婦別居している状態だが、離婚しているわけではない。顔を突き合わせる度に皮肉を言い合い、いがみ合っているのだが、本心では互いを想い合っている節があることからも、直葉の評価は間違っていなかった。

 

「とにかく、今日は北東のダンジョンで狩りをするみたいです。リーダーはシグルドで、レコンも一緒に行きますので」

 

『うん、分かった。それじゃあ、後でね』

 

 蘭との打ち合わせを終えた直葉は、通話を切ると、自嘲するように笑みを浮かべる。

 

(まさか、お兄ちゃんを閉じ込めた……本当なら、憎むべき世界に、私が夢中になっちゃうなんてね)

 

 先程の電話の打ち合わせの内容は、相手が中学のOG相手ではあったが、部活動等の関係ではない。兄たる和人がSAO事件に巻き込まれて一年程経った時に始めた、剣道とは別の新しい趣味だった。始めこそ、兄と視点や世界を共有することを目的としていたが、今となっては自身もその虜となってしまっていた。和人には、未だこの趣味については話していない。無論、いつまでも内緒にしておくつもりは無く、落ち着いたら話そうと思っていたのだ。だが、兄はSAOから帰還したものの、未だ現実世界へ帰らぬ人間が大勢いる今、事件そのものは完全に解決したとは言えない。そんな中で趣味の話をするのは、無神経過ぎるだろう。今しばらく、兄と世界を共有する喜びを分かち合うことはできそうにない。

 

「はぁ~……」

 

 思い通りにいかないことばかりで、もどかしい気持ちになる直葉。溜息が出るのも、無理は無かった。気を紛らわそうと、傍らに置いてあるマフィンに手を掛け、大きく一口齧りつく。と、その時だった。

 

「ただいま」

 

「おひいはん……ふぐっ!」

 

 外出から帰ってきた和人と直葉の目が合った。不意に現れた兄の姿に軽く驚き、呑み込もうとしていたマフィンを喉に詰まらせてしまった。

 

「んぐぐぐぐっぐっ……!」

 

 呼吸困難に陥り、苦しみに悶える直葉。和人はそんな直葉のもとへすぐさま駆け寄ると、傍らにあったジュースにストローを挿して渡す。直葉はそれを受け取ると、一気に吸い上げ、喉に閊えたマフィンを胃へと流し込んだ。

 

「ぷはっ……死ぬかと思った……」

 

「気を付けろ。もっと落ち着いて食え」

 

「うう……ごめんなさい」

 

 呆れたような和人の言葉に、萎縮する直葉。対する和人は苦笑しながらも踵を返し、玄関から家の中へと入ろうとする。そんな和人の背中に、ふと直葉は疑問を投げかける。

 

「そういえばお兄ちゃん。用事があるって言って出かけてたけど、どこ行ってたの?」

 

「……ああ、ちょっと知り合いに会うためにな」

 

 若干返答に窮した様子を見せる和人。その態度を見るに、恐らく相手はSAO事件絡みの知り合いなのだろう。自分の趣味を交えて話せるようになれば、きっと紹介してもらえると直葉は考えている。

 

「そっか……。そういえばお兄ちゃん、確か昨日会いに行ってた明日奈さんって、確かSAOじゃなくて中学からの知り合いなんだよね。今度、あたしも会いに行っていいかな?」

 

「そうだな。きっと、明日奈さんも喜ぶだろう。ちょうど明日あたり、また行く予定もあるしな」

 

「え……昨日行ったばかりなのに?」

 

「ああ、ちょっとな」

 

「じゃあ、その時は一緒に行かせてもらおうかな。楽しみにしてるね」

 

 それだけ言葉を交わすと、和人は玄関へと背を向けて向かって行った。直葉も縁側から家の中へと入り、自室へ向かっていく。今日は先程打ち合わせた用事があるのだ。そのためには、自室にある“機械”を動かさねばならない。

 直葉は自室へ入ると、ヘッドボードから二つのリングが並んだ円冠状の器具を取り出す。同時に電源を入れ、頭からすっぽり被ると、ベッドに横たわる。そして、『異世界』への扉を開く言葉を口にした。

 

「リンク・スタート!」

 

 途端、直葉の意識は現実世界から乖離した。彼女の意識が行く先は、兄と世界を共有するために始めた、新しい世界――――

 

 

 

 

 

 現実世界を旅立った直葉が次の瞬間降り立ったのは、レンガ造りの建物の中。西欧風の建物は日本でも珍しくはないが、生憎ここは現実世界ではない。現実世界は未だ昼間だったにも関わらず、窓の外に見える景色は黄昏時の紫が広がっていることも証拠の一つである。何より、直葉の姿は現実世界のそれとは大きく異なっているのだ。髪は緑がかった金髪でポニーテール。横に伸びた長い耳は、お伽噺に出てくるエルフを彷彿させる。

 ここは第二世代型VRマシン、『アミュスフィア』によって再現された、『仮想世界』なのだ。そして、直葉が現在プレイしているゲームの名前は『アルヴヘイム・オンライン』――妖精郷の名を持つ、スキル制のVRMMORPGなのだ。

 

「さて、まずは皆と合流しないと……」

 

 無事にログインできたことを確認すると、直葉は宿屋を出て町へと出る。ここはアルヴヘイムにある、直葉が選択した種族――シルフのホームタウンである。直葉のアバターたるこの少女、リーファは、今日これから打ち合わせしたメンバーと合流して狩りに出かける予定なのだ。

 

「リーファちゃ~ん!」

 

 集合場所へ向かおうと考え、歩きだそうとしたリーファの耳に、聞き覚えのある声が響いた。振り返るとそこには、予想通りの人物が小走りに向かって来ていた。

 

「レコン、先に来てたのね」

 

 おかっぱ頭で気弱そうな少年シルフ――レコンとリーファは、現実世界でも友達だった。そもそも、直葉がALOを始めたのも、学校随一のゲームマニアと評されていた彼に相談した末に決めたことだったのだ。VRMMOを始めるにあたり、アウトドア派でゲーム関連の知識がゼロに等しい直葉が目を付けたのは、インドア派でゲームマニアの、自分とは正反対の性質を持つ少年、レコンこと、長田慎一だった。VRMMOについての情報を得るため、クラス内の奇異の視線を全く気にせず屋上まで呼び出された長田は、直葉の部活動との両立等の要望を満たすゲームについて考えた末に、アルヴヘイム・オンラインを勧めることとなった。

 また、直葉に勧めたのを契機に長田自身もALOを始めるに至ったのだった。長田がゲーム初心者の直葉をレクチャーしてくれたお陰で、その実力をめきめきと伸ばしていった直葉ことリーファは、シルフ五傑とまで称される実力者となるに至ったのだった。

 

「うん。あと、ランさんも一緒だよ」

 

 レコンの言葉に、リーファは顔を上げる。すると、レコンの後ろのすぐそこには、もう一人のパーティーメンバーの姿があった。

 

「さっき電話で話したばかりだったけど、すぐに会えたね、リーファちゃん」

 

「はい、ランさん」

 

 レコンに続く形で近づいてきたのは、ストレートヘアではねた前髪が特徴的な女性。全体的に容姿端麗で怜悧な雰囲気の漂う顔立ちだが、性格は温厚さが窺える。ちなみにランの容姿は、髪型は現実世界と全く同じで、本人曰く、顔立ちは母親によく似ており、眼鏡をかければ本人そのものとのこと。ちなみにレコンとは、彼のリアルネームと今だ眠り続ける幼馴染の少年と名前が同じだったという理由で、仲が良かったりする。

 ともあれ、待ち合わせしていたパーティーメンバー三人が揃ったところで、改めてリーダー含む他のメンバーとの合流場所へ向かうこととなった。

 

「そういえば、リーファちゃん。お兄さんが帰って来たって言ってたけど、調子はどう?」

 

「ああ~……出鱈目な速度で回復して、今では剣道で私を負かしちゃうくらいでして」

 

「凄いんだね~……ウチの新一も、早く帰ってくればいいんだけどね」

 

 リーファ――直葉と、ラン――蘭が出会ったのは、中学の部活動がきっかけだった。直葉は剣道部、蘭は空手部だったが、二人の通う中学では武術系の部活動同士でもそれなりに交流があった。そんな中で二人が知り合ったきっかけは、SAO事件だった。あの事件によって、直葉が兄を奪われたように、蘭は幼馴染の少年を奪われたのだ。互いの事情を知って以来、大切な人を待つ者同士で親交を深め、同じ世界を共有する目的でこうしてALOまで始めるに至ったのだった。だが、直葉の兄たる和人は帰還したものの、蘭の幼馴染である新一は、未だ未帰還者の一人として名を連ねたままだった。

 

「ま、目が覚めたら私がきっちりリハビリの面倒見て、すぐに全快させるつもりだけどね」

 

「ははは……あんまり厳しくしない方が良いと思いますよ」

 

 SAO未帰還者という、触れることも憚られる話題を敢えて蘭自ら出したのは、彼女なりの優しさなのだと直葉は感じた。実際問題、蘭自身は新一のことを心配してはいるものの、必ず帰ってくるという確信はあった。だから、友達であるリーファには余計な気遣いをして欲しくはなかった。

 

「あ、シグルドはもう到着してるみたいですよ」

 

「みたいね」

 

 そうこう話している間に、合流場所に到着したらしい。街の中央に立つ非常に高い塔の前には、三名ほどのプレイヤーの姿が見えた。リーファ達三人が近づいて行くと、向こうもこちらの姿を認めたのだろう。こちらを振り向くと、若干険しい顔をした。

 

「遅いぞ、お前達」

 

「何よ、別に遅刻はしていないじゃない」

 

 開口一番に文句を言ってきたのは、肩まで伸びた緑色の髪に、男っぽく整った顔立ちの長身の男性プレイヤーだった。彼の名は、シグルド。シルフの中でも最強クラスの剣士であり、リーファに迫る実力をもつとともに、領内での政治的影響力も高いプレイヤーなのだ。そのため、独善的で傲慢が目立つ事も多かった。

 

「フン……まあ良いだろう。これで全員揃ったな。それでは当初の予定通り、今日は北東のダンジョンへ行く。前線は俺とリーファ、ランが務める。残りの者は後方支援に回れ」

 

「「了解」」

 

 シグルドの横柄な態度にむっとなるリーファだが、こんなことで腹を立てていては限が無いと割り切ることにした。その後、言い渡されたポジション配置に対し、シグルドの取り巻き二人が返事し、ランとレコンも頷くと、いよいよパーティー一同は出発準備にかかる。リーダーであるシグルドとパーティー登録を終えると、装備を確認し、塔の頂上へと向かい、そこから翅を広げて飛び立っていった。

 

 

 

 

 

その後飛翔すること十数分。リーファ達六人のパーティーは、目的の洞窟ダンジョンへと到達した。リーダーであるシグルドを先頭に、両脇をリーファとランが固め、その後ろをレコンと取り巻き二人が固めていた。

妖精の羽は太陽あるいは月の光無しでは飛翔不能なため、徒歩で進むことしばらく。パーティーの前方に、モンスターが出現した。体長五メートル強の、天井まで届くのではないかとすら思える大型のゴーレムモンスターである。通路を塞いでいる以上、戦闘で排除する以外の選択肢は有り得ない。パーティー六名は即座に臨戦態勢に突入する。

 

「行け!リーファ、ラン!」

 

前衛二人に突入を指示するシグルド。指示を受けたリーファは片手剣、ランは無手だが籠手を付けた状態で突撃する。ALOにおいて、武器スキルは片手剣や槍が主流となっているが、徒手空拳での戦闘を専門とするプレイヤーは非常に少ない。そもそも、体術スキルは武器を落とした際にプレイヤーが無手でも抵抗できるように配慮した、云わば補助的な面が大きい。だが、パワー重視の装備に加え、現実世界において空手の都大会で優勝経験を持つランが繰り出す体術は、渾身の一撃は直撃すれば中級攻撃魔法に相当する威力を発揮するのだ。

 

「はぁぁあ!」

 

 ランの気合の一声と共に放たれた渾身の拳打によって、ゴーレムの身体が大きくよろめく。HPも二割近くが削られているのだ。メイスやハンマーによる打撃攻撃が弱点のゴーレム型モンスターだが、防御力はやはり高い傾向にある。それを一撃で二割程度のHPを削ったのだから、ランの拳がどれ程の威力を秘めているかは想像に難くない。

ゴーレムとの戦闘は、リーファはヒットアンドアウェイの牽制を行い、ランの拳打による打撃攻撃メインでダメージを与える戦法で終始二人が圧倒していた。ゴーレム自体も、動きが鈍重でリーファとランを捉え切れていない。そして隙を突いて、後方に控えたレコンと取り巻きが、魔法による援護射撃を始める。

 

「二人とも、退け!魔法攻撃開始!」

 

 シグルドの合図でリーファとランが交代する。そして、入れ替わりでレコン達から魔法攻撃が放たれる。強力な魔法攻撃を受けたゴーレムは大ダメージにふらつくと同時に、頭上のカーソルに混乱状態のデバフアイコンが点滅する。レコンの闇魔法による状態異常が与えられた結果である。

 先程よりも足取りが覚束なくなったゴーレムに対し、止めを刺すべくシグルドが次なる指示を出す。

 

「ラン、行け!」

 

「はぁぁあ!」

 

 ランはふらつくゴーレムの胸部へ飛び掛かると、強烈な回し蹴りを食らわせる。強打を食らって地面に倒れたゴーレムに対し、今度はシグルドが出て剣を突き立てる。胸部に剣を突き立てられたゴーレムは、残りのHP全てを削り取られて消滅した。

 戦闘の勝利に、取り巻き二人は歓声を上げる。だが、リーファとレコン、そしてランに至っては、強敵の勝利にも関わらず全く喜色は無かった。

 

「シグルドってば、またラストアタック掻っ攫ってったよ」

 

「でも、こんなこと今に始まったことじゃないでしょ?」

 

 シグルドがリーダーとして戦闘の指示を行うまでは良いのだが、経験値が通常より大量に手に入るラストアタックはほぼ絶対に奪いに来るのだ。しかも、作戦上危ない役回りは必ず自分や取り巻き以外のパーティーにやらせていることから、リーファ達から不興を買う事がしばしばだった。

 

「……言っても仕方ないわ。でも、ランさんも相変わらず凄いですよね。魔法無しで、あんなに派手な立ち回りができるなんて」

 

「そうですよ!剣を持っているならまだしも、拳だけであそこまで戦えるのは凄いです!」

 

「ははは、そうかなぁ……?」

 

 目を輝かせてそう言い寄るレコンに、ランは若干困ったような顔をする。現実世界の運動能力がアバターの動きに反映される傾向が強いネットゲーマーにはインドア派の人間が多く、ALOではリアルの運動能力に左右される近接戦闘よりも、魔法主体の戦法を好む者が多かった。無論、サラマンダーやノーム、ケットシーをはじめ、種族補正でパワーやガード、スピードといったフィジカルステータスに秀でたプレイヤー達の中には、剣や鎧で武装した近接戦闘型も多数いる。だが、補正は補正。素人の武術では、AIで動くモンスターには通用しても、現実世界で武術を学んでいるプレイヤーには通用しない。運動能力重視の仕様であるALOでは、リーファのようなプレイヤーは、近接戦闘に限定すれば他を圧倒する程の実力を備えていることになるのだ。

ランに至っても、現実世界では空手部の主将を務める猛者であり、父親の仕事現場で逃走する凶悪犯を戦闘不能にした実戦経験があるのだ。だが彼女の場合、決してそれだけがこのALOで高い戦闘能力を発揮する理由ではない。ランこと毛利蘭には、SAO事件より以前に起きた、仮想世界に纏わる事件に巻き込まれ、SAO事件被害者に似た境遇に陥った過去がある。その経験が、彼女のVR空間への適応速度を速めているのだが、現在この場で事情を知っているのは、ランと同じくSAO事件被害者を身内にもつリーファのみである。

 

(私がここまで戦えているなら、きっと新一も大丈夫だよね……)

 

拳を握りしめながら、未だ帰らぬ幼馴染の無事を願うラン。SAO事件発生より前、ランは幼馴染である新一とケンカをしてしまっていた。理由は、SAOプレイを巡る口論だった。以前にも、仮想世界に纏わるゲームの事件に巻き込まれて危うく命を失いかけたにも関わらず、プレイしたいなどと言った彼に、ランは怒った。だが、どれだけ心配だからやめてほしいと嘆願しても、新一は一歩も引くこと無く、SAO事件に巻き込まれる結果となってしまった。言わぬことではないと呆れることは簡単だったが、ケンカ別れしたランの心中は後悔が占めていた。もしあの日、彼の想いを理解することができたならば、こんな思いをせずに済んだかもしれない。もしくは、自分も一緒にプレイして、傍に寄り添うこともできたかもしれない、と。

今なら、デスゲームと化したSAOに放り込まれたとしても、戦い抜ける自信がある。殺人機械たるナーヴギアを被ることも覚悟できる。だが、それは文字通り今更なのだ。こうして仮想世界で高い適応力をもって戦い続けるのも、同じ境遇に置かれた経験のある彼が生還する可能性の高さを実感したかったという意図が潜在意識の中にあったからかもしれない。否、自分でもここまで戦えるのならば、彼も絶対に大丈夫だと、ランはそう自らに言い聞かせた。やがてシグルドが隊列を組み直すよう指示すると、再びダンジョンを歩き出した。ランも再び先頭に立ち、突き進む。

 

 

 

 

 

「…………」

 

一方リーファも、シグルドが率いるパーティーに属すことで生まれた心の中の蟠りを感じ、悶々とした悩みを抱いていた。

 

(……どうしてこう、仮想世界にまで柵が付き纏うんだろう)

 

 先程は仕方ないと締めたが、リーファとて不満が全く無いわけではない。シグルドのパーティーに入ってから、確かに稼ぎは良くなり、アイテムも以前より強力なものが手に入るようになった。しかしその代償として自分はパーティーという鎖に繋がれているように思えてならない。空と自由を愛するリーファにとって、自分が置かれている今の状況は、好ましいものではない。むしろ、窮屈さや息苦しささえ感じてしまう。

 

(やっぱり、そろそろ抜けるべきなのかな……)

 

 それは、シグルドがリーダーを務めるパーティーからの脱退のみを意味しない。シグルドを敵に回すとしたならば、十中八九領地を捨てねばならないだろう。だが、レコンやランをはじめ、自分に良くしてくれた仲間達のことを思うと、どこか割り切れない自分がいた。

 

(でも、やっぱりいつかは決めなきゃならないんだろうな……お兄ちゃんに、この世界を教えてあげるためにも……)

 

 たとえ多くの柵があったとしても、リーファはこの世界が大好きだった。翼を羽ばたかせて、どこまでも遠くへ行ける、自由なこの世界が……

そして、いずれは兄――和人にも、この世界の素晴らしさを教えたいと思っていた。和人と二人、自由に空を飛び、世界を共有し、分かり合える日を夢見て、直葉は決意を新たに、剣を握り直すのだった。

 


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