ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第六十一話 世界樹へ

2025年1月21日

 

 平日の昼下がり。埼玉県川越市にある、私立川越北中学校では、一・二年生は通常授業を受けており、三年生に至っても高校入試を直前に控えて集中ゼミナールを受講していた。授業中であることに加え、高校入試や定期試験が迫っている校舎の中は、いつも以上に静寂に包まれている。そんな中、直葉は一人、剣道部の部室を出て駐輪場を目指していた。彼女はこの時期に学校へ自由登校が認められている数少ない例外、所謂推薦進学組であり、今日学校へ来たのも、剣道部の顧問に呼ばれてのことだった。名門校への進学を前にした稽古を終えた直葉は、急ぎ次の用事に向かうべく、家路に着く。だが、そこへ……

 

「リーファちゃん!」

 

「うわぁっ」

 

 突如校舎の影から現れる、痩せた眼鏡の少年。直葉と同じ中学の制服に身を包む彼は、直葉の同級生にして、同じく推薦進学組の、長田慎一だった。

 

「学校じゃその名前で呼ばないでって言っているでしょう、長田君」

 

「ご、ごめん……直葉ちゃん」

 

 呆れたように咎める直葉の言葉に、長田少年は萎縮したように謝る。だが、下の名前で呼ばれることを嫌う直葉の顔は険しくなり、竹刀を抜くモーションへと移行し始める。長田は再度謝意を示し、首を横に振りながら呼称を改めた。

 

「ごごごごめん、桐ヶ谷さん!」

 

「……それで、何か用?っていうか、何で推薦組のあんたが学校にいるのよ?」

 

「すぐ……いや、桐ヶ谷さんに話があって、朝から待ってたんだ」

 

「全く……あなたも暇ね。で、話って?」

 

 溜息交じりに改めて問いかける直葉に、長田は眼鏡を直しながら答えた。

 

「シグルド達が、今日の午後からまた狩りに行こうって。ランさんは、今日も行けるって返事を貰ったけど、どうかな?」

 

「……悪いけど、あたししばらく参加できないわ」

 

 パーティーメンバーの中では長田と同じかそれ以上に親しい間柄である、ランが参加すると聞いて、逡巡する直葉だったが、すぐに断った。その返答に、長田は驚きと焦りを見せる。

 

「え、ええ!?何で!?」

 

「ちょっと、アルンまで出かけることにしたから」

 

「アルンって……世界樹の根元の?」

 

 アルヴヘイム中央に聳え立つ世界樹の根元に存在する、ゲーム世界最大の都市であるアルンは、シルフのホームタウンであるスイルベーンをはじめ、各種族のホームタウンからかなり遠く離れた場所にある。その道中には、限界飛行高度を超える山岳地帯や、それを迂回するためのダンジョンもある。出現するモンスターも、領地周辺のダンジョンにいるものとは強さが違う。正攻法のソロプレイで辿り着ける場所ではなく、当然ながらリーファもそれを理解している。故に、何の前触れも無く、こんなことを宣言するなど有り得ない。何かきっかけがあるのでは、と長田が考えた末に出た結論は……

 

「ま、まさか……昨日のスプリガンと!?」

 

「あ、ああ……うん。道案内することになってね」

 

 昨日の狩りの帰り、直葉ことリーファと、長田ことレコンが所属するパーティーは、狩りの帰りに敵対種族のサラマンダーの部隊の襲撃を受け、敗走するという結果に至った。リーファとレコン、そしてこの場にいないランの三人は、他のメンバーと別れてスイルベーンを目指して逃げていったが、途中でレコンが倒れ、次いでランが大部隊を引き付けるために立ち回り、散った。残されたリーファも、可能な限りの敵を道連れに後を追うことになる筈だったのだが、思わぬ闖入者の出現によって、窮地を脱することに成功したのだった。その、リーファを危機から救った人物というのが、長田の言う『スプリンガン』のプレイヤーなのだが……

 

「な、何考えてんのさ、リー……桐ヶ谷さん!あんな怪しい男とパーティーを組むなんて!」

 

「いや、でもそんなに悪い人じゃ……」

 

「あのサスケっていうスプリガン……絶対にスパイだよ!武器から防具まで、どれもこれもレプラコーン領でしか手に入らない特注品だし……それを上から下まで全部揃えているプレイヤーなんて、見たこと無いよ!」

 

 長田の言う通り、そこらのプレイヤーの財力では到底手に入らない、強力な武装に身を固めたサスケというプレイヤーは、かなり異質な存在であることには違いない。また、レコンは直接見ていないが、重装備のサラマンダー二人を瞬殺した点からも、スキル熟練度は完全習得レベルにあることは間違いない。本人は位置情報の破損か、近隣でダイブしているプレイヤーとの混信によって期せずしてあの森に出る羽目になったと言っていたが、実際のところはどうなのか、直葉にも分からない。長田の言うように、スプリガン領から放たれたスパイなのかもしれない。だが、昨日のスイルベーン帰還後、行きつけの酒場兼宿屋で話をしたリーファには、サスケという少年にそんな意図があるとは思えなかった。

 

(世界樹に行きたいっていうのは本心なんだろうけど……どうして、あんなに必死そうだったんだろう……それに、何て言うか……どこかあの世界に慣れていない感じがあったし……)

 

 食事をする傍ら、ゲームの舞台であるアルヴヘイムについての話をしていたが、中級プレイヤーでも知っている情報について尋ねていた点からして、サスケはあの世界にあまり明るくないようだった。スイルベーンへ到着するまでの道中についても、随意飛行で、しかも本気のリーファと互角以上の飛行速度を発揮して見せたが、どこか安定しない、未熟さのようなものが垣間見えた。装備とスキル熟練度は一級品で、それを活かすだけのセンスもある。少なくとも、チートで能力を強化したプレイヤーには思えない。それなのに、まるでALOを始めて間もないビギナーのようにも見える、非常に謎多き人物。それが直葉ことリーファの抱いた印象だった。

 

(それにあの目……どこか、お兄ちゃんを思い出すのよね……)

 

 サスケがアルンを目指すと言った際に、同行を申し出た最たる理由が、それだった。スプリガンには珍しい赤い双眸には、どこか憂いを帯びているように見えた。そして、あまり感情を表に出したがらず、常に相手と距離を置こうとするその態度は、義兄たる和人を彷彿させるものがある。サスケと話をする中で、リーファはそう思った。だからこそ、放っておく気にはなれず、また、現在所属しているシグルドのパーティーに窮屈さを覚えていたのも後押しして、サスケとのパーティー結成に踏み込んだのだった。

 一方、そんな直葉の内心を知らない長田は、サスケのことを完全にスパイだと疑っているようである。だがその本心は、突如現れた他種族の、ブランド物を大量に身に付けたプレイヤーが、リーファと仲良くしているのが気に食わないという面が大部分を占めていた。古参として、誰よりもリーファとプレイ時間を共有した長田にとって、サスケという存在は許し難いものがあり、故に、今ここで直葉を説得して、手を切るべきだと必死に説得にかかる。

 

「桐ヶ谷さん、シグルドやランさんだって、きっと納得しないよ。あんな怪しい奴と、泊まり込みで、遠くまで行くなんて……」

 

「妙な想像するんじゃない!!」

 

「ごふぅっ……!!」

 

 だが、妄想に駆られ、相当に空回りした言動のお陰で、長田の思いは直葉に届かない。手に持った竹刀ケースで長田の胸に一突き食らわせて黙らせると、地面に蹲る長田を尻目に直葉は再び家路に着く。

 

「とにかく、そういうわけだから。シグルド達にはよろしく言っておいてね。あと、ランさんにも謝っておいて」

 

 再度呼び止めようとする長田の声には耳を貸さず、直葉は駆け足でその場を去っていく。駐輪場に止めた自転車へ乗ると、そのまま校門を出て自宅へ向かってしまった。

 

 

 

 

 

 自宅へ帰った直葉は、家の中に和人の姿が無いことを確認すると、自室を目指す。兄の姿が見えないのは、恐らくトレーニングに出かけているからだろう。SAO生還者の中では最も早くに退院して日常生活ができるまでに回復し、剣道の稽古で直葉から一本取れるまでの体力を取り戻していたが、それでも未だに満足できないらしく、以前にも増してトレーニングに励むようになった。兄がこれ以上強くならないように、無理をしないようにと頭の隅で密かに願いながらも、制服から部屋着へと手早く着替える。その後、ヘッドボードに置いてあるアミュスフィアを手に取り、慣れた手つきで装着。ベッドに横になると、冒険の世界への扉を開くキーワードを口にする。

 

「リンク・スタート!」

 

 いつもより軽快な声で仮想世界へのダイブした直葉。接続を経た先に待っていたのは、妖精たちの世界。目を開けた先にあった光景は、昨日ログアウトした宿屋の中。その姿もまた、妖精剣士リーファへと変わっていた。

 

「こんにちは、リーファ」

 

 ログインして間も無く、リーファに挨拶するプレイヤーが現れる。声のした方を振り向くと、そこにいたのはつい昨日出会ったばかりのスプリガンの少年の姿。昨日、アルンへの申し出をした相手、サスケだった。

 

「こんにちは、サスケ君。ユイちゃんも」

 

「はいです、リーファさん」

 

 サスケの纏った黒衣のポケットから飛び出し、同様に挨拶するのは、彼のプライベート・ピクシーであるユイ。昨日と変わらず、愛らしく振る舞う彼女には、AIとは思えない、本物の心があるかのように思えてならない。

 

「こちらもさっきログインしたばかりだ。アルンを目指すには、お互いアイテム補給は必要だろう。案内を頼めるか?」

 

「勿論よ。さ、行きましょう」

 

 リーファと合流を果たし、長距離移動のために必要な各種アイテムを買いに出かける二人と一人。シルフのホームタウンにスプリガンがいることは相当に珍しいのだろう。サスケの姿を見て訝しげな表情をするプレイヤーとすれ違うことが多かったが、リーファが隣についていたお陰で、特にトラブルは起こらず、平和に買い物を済ませることができた。

 アルンを目指すために十分なアイテムの補給を済ませた二人は、スイルベーンから飛び立つべく、最も高い塔へと向かう。すると、塔の中へ入る途中、リーファが足を止めた。

 

「どうかしたか?」

 

「ちょっとね。領主のサクヤに挨拶してから行こうと思ったんだけど……」

 

 言い淀むリーファを訝しく思い、彼女が見つめる先に自分も目をやるサスケ。そこには、シルフの領主館と思しき壮麗な建物があった。ただ、建物中央に立つポールにはシルフの紋章旗が上がっておらず、これは今日一日領主が不在であることを意味する。

 

「領主は不在のようだな」

 

「サスケ君も分かるの?」

 

「俺も、スプリガンの領主とは懇意の間柄だからな。領主館の紋章旗の意味は種族共通と聞いている」

 

「そうなんだ。ま、サクヤには後でメールをしておけば大丈夫でしょう。早く行こうか」

 

「ああ」

 

 改めて歩を進めるサスケとリーファ。塔を行き来するプレイヤーの波の中を歩きながら、頂上へ通じるエレベーターへと入ろうとする。だが、その時だった。

 

「リーファ!」

 

 突然、リーファを呼び止める声が響く。振り返った先にいたのは、リーファが今最も会いたくないと思っていた人物。昨日までリーファが所属していたパーティーのリーダーにして、シルフの主流派閥の筆頭、シグルドだった。両隣には、取り巻き二人がついている。シグルド本人は、眉間に皺を寄せ、高圧的な態度を取っているその姿に、リーファは嫌な予感しかしなかった。

 

「こんにちは、シグルド」

 

 とりえあえず、作り笑いを浮かべながら挨拶したものの、シグルドの表情が緩まる様子は無い。ああ、やはり面倒なことになるな、と内心でリーファが想像していると、予想通りの言葉が出てきた。

 

「パーティーから抜ける気なのか、リーファ」

 

「うん……まあね。しばらくは、領地を離れてみようかなって、思ってて……」

 

「勝手だな。残りのメンバーに迷惑がかかるとは思わんのか?」

 

「……パーティーに参加するのは都合のつく時だけで、いつでも抜けていいって約束だったでしょ?」

 

「だが、お前は俺のパーティーの一員として既に名が通っている。理由も無く抜けられては、こちらの面子に関わる」

 

 シグルドの傲然とした物言いに、言葉を失うリーファ。同時に、つい最近、レコンから忠告されていたことを思い出す。ALOのようなハード志向のMMOにおいて、女性プレイヤーは希少な存在であり、特にリーファやランのように容姿端麗で、シルフにおいて五本の指に数えられる実力者はさらに珍しいという。だからこそ、シグルドのように権力欲に満ちた強豪プレイヤーは、そのようなプレイヤーをパーティーメンバーとして侍らせることで、自身のパーティーのブランドを上げようとしているらしい。だが、自分がアイドル扱いされるなど想像できず、このことは記憶の片隅に置いたままにしておいたのだが。

 

(……結局、自由なんてどこにも無かったのかな)

 

 リーファ――直葉がこのALOに求めたのは、兄との絆だけではない。現実世界の柵全てを振り払って、どこまでも遠くへ飛んでいける、自由の翼。だが、仮想世界であろうと現実世界であろうと、事あるごとに何かが自分を縛ろうとする。

 リーファの頭に蘇るのは、小学校の頃のこと。剣道場に入門して以来、力を伸ばし続けて、いつしか上級生の男子すら負かす程の実力をつけていた。だがその一方で、帰り道では他の上級生男子の集団に取り囲まれ、卑小な嫌がらせを受けていた。あの時の上級生男子達の顔は、今目の前に立つシグルドと取り巻きそのものだった。剣道で負け無しだったとはいえ、大勢に囲まれて威圧されることは、当時の直葉には非常に怖かった。だが、そんな時はいつだって、助けてくれる存在がいた。それは――――

 

「仲間は、アイテムではありませんよ」

 

 そこまで思い出したリーファの目の前に現れたのは、黒いスプリガンの少年――サスケだった。高圧的な態度でリーファにパーティー脱退取り消しを強要するシグルドを前に、しかし全く怯むことなく立ち向かうその姿は、かつて自分を助けてくれた、兄の姿を想起させた。

 

「何だ、貴様は?」

 

「リーファさんとは、都合がつく時のみのパーティーなのでしょう?正式な契約が無い以上、パーティーに拘束する権限はあなたには無い筈です」

 

 サスケから無遠慮に告げられた言葉に、シグルドは眉間に皺を寄せて怒りを露にする。腰に差した剣に手を掛け、抜刀姿勢でさらに威圧する。

 

「貴様ぁ……屑漁りのスプリガン風情がつけ上がるな!北東のホームタウンから離れたこの地にいるということは、どうせ領地を追放されたレネゲイドだろうが!装備だけはなかなか上等だが……成程、それでリーファを誑かしたというわけだな!」

 

 シグルドの一方的であんまりな言動に、傍で聞いていたリーファもついカッとなって声を上げてしまう。

 

「失礼なこと言わないで!サスケ君は、あたしの新しいパートナーよ!」

 

「何……?リーファ、お前も領地を捨てて、レネゲイドになるつもりか!?」

 

 ALOのプレイヤーは、二種類に大別される。一つは、種族のホームタウンを拠点として、プレイする中で稼いだ金銭――ユルドの一部を執政部へ上納し、種族の勢力発展に注力するプレイヤー。シグルドやリーファが例として挙げられる。もう一つは、ホームタウンを離れてアルヴヘイム央都を拠点に、異種族間でパーティーを結成して活動するプレイヤーである。後者のプレイヤーは、前者のプレイヤーから領地を捨てたプレイヤーとして蔑まれ、脱領者――レネゲイドと呼ばれている。

 リーファの場合、領地に留まって活動しているのは、スイルベーンという街が好きであることもあるが、本質的には惰性に近い部分が大きい。シグルドのパーティーの拘束に辟易していたこともあり、今のリーファは自由・解放への衝動に駆られようとしていた。

 

「ええ……そうよ。あたし、ここを出る」

 

 強い意志を秘めた瞳で、そう言いきってしまった。領地を捨てると宣言したにも関わらず、自然と後悔は無かった。しかし、対するシグルドはとうとう我慢が限界を迎えたらしい。柄に手をかけていた剣を抜き取り、サスケに突き付ける。

 

「小虫が這い回るくらいは捨て置こうと思ったが、泥棒の真似事とは調子に乗りすぎたな。のこのこと他種族の領地に入ったからには、斬られても文句は言わんだろうな?」

 

 憤怒の形相凄まじく、今にも斬りかからんとしているシグルドに対し、しかしサスケは動じない。傍から見れば、恐怖に竦んでいるようにも見えるが、実際は違う。

 

(凄い……サスケ君、まるで隙が無い)

 

 武術に精通したリーファだからこそ分かるのだが、両腕を下げたままのサスケの立ち姿には、見かけに反して付け入る隙が全く無かった。その姿は、現実世界の自宅にある剣道場で幾度となく竹刀を交えた和人を思わせる。稽古の立ち合いでは、有段者すら圧倒することもある直葉の猛攻を、和人は全ていなし、一撃たりとも入らせなかった。

仮にこの場でシグルドがサスケに斬りかかったとしても、同じような結果になるだろう。サスケには掠りもしないだろう。これは、昨日のサラマンダーとの戦闘でも明らかである。他種族である以上、システム的に反撃できないとはいえ、サスケの実力ならば、シグルド相手に攻撃を回避し続けることは可能だろう。取り巻きが援護をしたとしても、容易に逃げ切れると断言できる。

 サスケとシグルド。両者の間に、一触即発の空気が漂い、周囲に緊張が走る。沈黙を破る様に振り翳されたシグルドの剣は、しかし下ろされることはなかった。

 

「シグルド、やめなさい!」

 

 突如、塔の中に響き渡ったのは、鋭い女性の声。シグルドに対する叱責にも等しい叫びに、皆ははっと我に返る。声のした方を振り向くと、塔の入り口付近に長髪の女性プレイヤーが立っていた。怒りに染まった鋭い視線を向けるその女性は、リーファとシグルドがよく知る人物だった。

 

「ランさん!」

 

 突然の知り合いの登場に、驚きの声を上げるリーファ。ランと呼ばれた女性プレイヤーとリーファとは、ALOにおいて同じパーティーのメンバーであり、レコンと同じフレンド。そして、現実世界においても顔見知りという親しい間柄の人物なのだ。常には無い怒りに満ちた表情を、主にシグルドに対して向けているところからして、どうやら先程のやりとりを見ていたらしい。シグルドを睨みつけながら歩み寄ると、腰に手を当てて詰め寄る。

 

「シグルド、さっきから見てたけど、どういうことよ。リーファちゃんが抜けたいって言うのに、あんな風に咎めたりして……まるで、道具扱いじゃない!そこの彼の言った通り、仲間はアイテムじゃないのよ!?」

 

「ぐっ……だが、俺にも立場がある。俺のパーティーメンバーである以上、そう簡単に脱退を許すわけには……」

 

「思い通りにならないからって、自分の都合ばかり押し付けるなんて、そんなのおかしいわよ!その上、言う事を聞かないからって、レネゲイドとして扱うなんて……やり過ぎだとは思わないの!?」

 

 激しい剣幕で捲し立てるランに、シグルドは防戦一方。先程までの傲慢さはどこへやら、反論に窮している様子である。

 

(うわぁ……ランさん、相当怒ってるなぁ……)

 

 普段温厚な人物ほど、本気で怒ると手が付けられないと言われているが、今のランがまさにそうだろう。ALOの中は勿論、リアルにおいても非常に穏やかで、誰にでも優しく慕われている筈のランが、ここまで激しく怒っているのを見るのは、直葉にとって初めてだった。傍に立っているサスケも、怒声を上げるランに半ば唖然としている様子である。

 

「俺だって、執政部に所属するプレイヤーとしての体面というものがある!パーティーメンバーが理由も無く脱退を申し出たとしても、はいそうですかと容易に許すことはできない!」

 

「あなたねぇ……体面を守るとか言って尤もらしい理由をつけているけど、パーティーを理由にリーファちゃんを縛り付けて、言う事を聞かせたいだけじゃない!こんなの、パーティーの在り方として絶対に間違っているわ!」

 

「ラン……貴様!」

 

 ランの激しい糾弾に、しかし対するシグルドは、シルフの権力者としての威光を振りかざして主張を通そうとする。その姿に、ランはこれ以上の議論は無駄だと悟った。溜息を一つ吐くと、決意を新たに再度口を開く。

 

「……前々から言おうと思っていたけれど、私もこれ以上あなたに付き合えないわ。悪いけれど、私もあなたのパーティーを抜けさせてもらうわ」

 

「なっ……!」

 

 据わった目で放った言葉に硬直するシグルド。リーファに続き、まさかランまでもがパーティー脱退を宣言するとは、シグルドもさすがに予期できなかった。だが、パーティーリーダーであるシグルドの傲慢で独善的な態度には、リーファのみならずランやレコンも辟易しており、パーティー脱退の機会を常日頃から窺っていたのだ。故に、リーファの不満が爆発したこのタイミングでの連鎖的な脱退宣言は然程おかしいことではなかったのだ。尤も、シグルド本人は全く納得していないのだが。

 

「お前等……今、俺を裏切れば、近いうちに必ず後悔することになるぞ。精々、外では逃げ隠れするんだな」

 

 執政部の最大派閥に所属する身として、このような大勢の目がある場所で刀傷沙汰を起こすわけにはいかないことを認識しているシグルドは、剣を納めることにした。ドスの利いた声で最終警告という名の脅しをかけたが、ランは勿論、リーファも動揺した様子はなかった。

 

「戻りたくなった時のために、泣いて土下座する練習でもしておくんだな」

 

 それだけ言うと、シグルドは取り巻きを伴って塔から姿を消した。残されたランは、リーファとサスケの方へと向き直った。その表情は、先程シグルドに接した時のような刺々しさは無く、慈愛に満ちたものだった。

 

「大丈夫、リーファちゃん?」

 

「はい。ありがとうございます、ランさん」

 

 緊張が解けて、倒れそうになるところをサスケに支えられるリーファ。ランはそんな彼女に優しく声をかけた後、今度はサスケへ向き直る。

 

「ありがとうね、リーファちゃんを助けてくれて」

 

「世界樹までの道中をお世話になる身として、当然のことをしたまでです。それより、俺がリーファを引き抜いたせいで、あなたまでレネゲイドとして扱われてしまうことになりましたが……」

 

 無表情ながらランの身の上を心配するサスケに、しかしランは首を振って答えた。

 

「ううん、気にする事は無いわ。元々、私もリーファちゃんもあのパーティーからは遠からず抜けるつもりだったからね。どの道、穏便には抜けられなかったわよ。それにレコン君から聞いたんだけど、あなた達、アルンへ行くんでしょう?それなら、味方は多いに越したことは無いじゃない?」

 

「それって……ランさんも来てくれるってことですか!?」

 

 驚いた様子で尋ねるリーファの言葉に、ランは満面の笑みで頷く。

 

「この街を出たとしても、特に行く宛ても無いしね。それなら、あなた達と一緒にアルンを目指した方が良いと思うの」

 

「しかし、本当に良いんですか?」

 

「心配いらないわよ。これでも私、リーファちゃんと並んで『シルフ五傑』って呼ばれているくらいの実力はあるから、きっと戦力になる筈よ」

 

 ランの自信満々な言葉に、しかしサスケは沈黙する。リーファとランがそれなりに実力あるプレイヤーであることは察しがついていたが、まさか五傑とまで称される実力者とは思わなかった。シグルドと呼ばれた男性プレイヤーの方は、口調から察するにシルフ領内で相当な地位にある人間なのは明らかである。そんな人物のパーティーを抜けて面目を潰したのだから、リーファとランはただでは済まないだろう。加えて、成り行きとはいえ、引き抜いた立場にある自分も、非常に恨まれていることは間違いない。今更、土下座させて二人のパーティー脱退を取り消すわけにはいかない以上、もう後戻りはできない。目下の目標であるアルン行きに協力してくれると言ってくれたこの二人を送り届ける義務が、自分にはあるとサスケは感じた。

 

「サスケです。よろしくお願いします」

 

「ランよ。こちらこそよろしく。それから、私にも敬語はいらないわ」

 

「分かった」

 

 決意を新たに、握手を交わすサスケとラン。傍から見守っていたリーファは、親しい仲間が困難な旅路に加わることと、新しい仲間と意気投合している様子を微笑ましく思うのだった。

 

「それじゃ、早速てっぺんまで行こうか」

 

「そうね。サスケ君、こっちよ。案内するわ」

 

「よろしく」

 

 新たにランを仲間に加え、サスケはシルフ二人に先導されてシスイルベーンで最も高い塔の頂上へ向かうべく、エレベーターへと乗り込む。数十秒後、プレイヤー達の飛行場たるパノラマデッキへと辿り着いた三人の視界に飛び込んだのは、無限の蒼穹。辺り一面には美しいパノラマが広がり、心地よい風が頬を撫でる。いつ見ても心和む風景だが、リーファとランの顔には若干の曇りがあった。サスケはそんな二人の様子を察すると、若干申し訳なさそうに口を開いた。

 

「……良かったのか、本当に?」

 

 何が、とは聞くまでもない。シルフの上級プレイヤーたるシグルドとの口論の末、二人はレネゲイド認定されてしまったのだ。領地を出て行くとなれば、この風景を見ることは勿論のこと、他にも仲が良いであろうプレイヤーには、気軽に会う事もできなくなるのだ。如何にパーティーに嫌気がさしていたと言っていたとはいえ、原因を作った立場にあるサスケは罪悪感を覚えずにはいられない。確かめるようなサスケの問いに、二人は苦笑しながら答えた。

 

「気にしないで。一人じゃ怖くて、なかなか決心がつかなかったんだもの。むしろ、良いきっかけだったと思ってるわ」

 

「リーファちゃんの言う通りよ。大したことじゃないわ」

 

「それにしても……」

 

 溜息と共に、独白のように続けるリーファ。空を見つめるその瞳には、どこか憂いが見て取れた。

 

「どうして、ああやって縛ったり、縛られたりしたがるのかな?折角、翅があるのに……」

 

 大空を飛ぶ自由への羨望を抱くリーファの問いに、しかしサスケはかける言葉が見つからない。『脱領者(レネゲイド)』という言葉に似た概念は、サスケの前世たる忍世界にも存在する。忍世界において、忍里を抜けて自らの目的のために生きる忍者は、『抜け忍』と呼ばれていた。だが、抜け忍はALOの脱領者のように気ままな立場ではない。うちはイタチがそうだったように、里からは命を狙われる立場であり、マフィアのボディガードや暗殺を請け負う者が多く、盗賊やテロリストとして諸国から指名手配される物が多かった。その在り様は、自由とは無縁のものだった。元より、忍者とは忍び耐える者なのだ。明言こそされていないが、忍が自由を求めること自体が邪道に等しいのかもしれない。自由と言う感覚を共有できないことで、リーファへの答えに窮するサスケだが、彼に代わるように声を発する者が現れる。

 

「フクザツですね、人間は」

 

 凛とした声の出所は、サスケの胸ポケット。次の瞬間には、きらりと翅を輝かせて飛び立った彼女は、サスケの頭を一回りしてから肩の上へと降り立った。サスケのプライベート・ピクシーである、ユイだった。

 

「ヒトを求める心を、あんな風にややこしく表現する心理は理解できません」

 

「あら、可愛い。この子って、プライベート・ピクシー?」

 

「はい。パパのプライベート・ピクシーのユイです」

 

「パパ?……まさか、サスケ君のこと?」

 

 サスケに対する「パパ」という呼称に訝しげな表情をするラン。また要らぬ誤解が生じ始めていることを悟ったサスケは、早々に言い訳をする。

 

「一応言っておきますが、俺の呼称は設定したものではありません。こいつが勝手に呼んでいるだけです」

 

「む~……」

 

 サスケの言葉に不服そうな顔をするユイ。これ以上話がややこしくなる前にどうにかすべきかと考えたリーファが、苦笑を止めて話の流れを戻そうとする。

 

「ヒトを求める心、か……確かに、単純なようで、色々と複雑だよね」

 

「うん……そうだね」

 

 人間関係について、リアルで文字通り複雑な事情を抱えている二人には、ユイの言葉には色々と思うところがあった。サスケにも、前世と現世、両方の生き方に共通して考えさせられることがあり、内心で自嘲した。

 

(結局、何でも一人でやろうとしたから失敗した……本当に、馬鹿は死んでも治らんな……)

 

 前世で弟を復讐鬼にしてしまった失敗は言わずもがな。転生した現世においても、自分は誰一人頼ろうとはせず、何もかも一人で抱え込もうとして失敗を繰り返している。変わらなければ、と思っていても、前世から染み付いた自己犠牲精神が邪魔をする。ジレンマを抱えながらも、それを根本的に解消する術を持たないサスケは、忸怩たる思いを募らせるばかりだった。

 そんな中、ユイがAIとしての領分を大幅に超えた、予想外の行動に出る。

 

「私なら……」

 

 サスケの頬に手を添えると、音高くキスをした。

 

「こうします。とてもシンプルで明確です」

 

 突然のユイの行動に硬直するサスケ。傍にいた二人も同様である。いち早く立ち直ったサスケは、額に手を当てて頭痛を感じながらも、ユイを戒める。

 

「人間界は、もっとややこしい場所なんだよ。そんなことを気軽にやれば、すぐに逮捕されてしまう」

 

「手順と様式ってやつですね」

 

「……あまりそういうことを言うんじゃない」

 

 妙なベクトルに成長しているユイに、サスケは頭痛や眩暈が絶えない。傍に立っていたリーファとランは、顔を引き攣らせている。

 

「す、すごいAIね。プライベート・ピクシーって、みんなこうなの?」

 

「こいつが特殊なだけだ」

 

「はわゎっ……!」

 

 リーファの問いに、憮然とした表情で答えたサスケは、ユイを黙らせるべく首根っこを引っ掴んでポケットに押し込んだ。ユイに対して若干乱暴な扱いをするサスケだが、内心では感謝している面もあった。前世に囚われて言葉を選べず黙りこむしかない時に、躊躇い無く自分の想いや考えを主張できるその純真さは、いつも自分を助けてくれるからだ。尤も、サスケはそれを言葉や表情に出すことは無かったが。或いは、MHCPという存在であるユイには、そのあたりの内心まで筒抜けかもしれない。

 

「それでは、そろそろ出発しましょう」

 

「そ、そうね……それじゃあ、そこのロケーターストーンに戻り位置をセーブしよう」

 

 ランの言葉に頷いたサスケは、言われた通りに展望台中央の石碑にセーブを行う。これで、死に戻りする羽目になった際に、昨日のように見知らぬ場所へ飛ばされることは無くなる。

 

「それでは、行きましょう」

 

 全ての準備が整い、目的地へ向けて飛び立つべく三人は翅を広げる。そして、央都アルンを目指し、いざ旅立とうとした、その時だった。

 

「リーファちゃ~ん!ランさ~ん!」

 

「あ、レコン……」

 

 塔のエレベーターの向こうから現れたのは、昨日スイルベーンに到着した際、サスケも会った、おかっぱ髪の少年。リーファとランのフレンド、レコンだった。

 

「酷いよ!一言声をかけてから出発してくれたって、いいじゃない!」

 

「ごめん、忘れてた」

 

 リーファの一言に、がくりと項垂れるレコン。リアルでも友達の相手に、いくらなんでもこれは無いだろうと、サスケは若干非難の視線をリーファへ向ける。ランは只管苦笑していた。

 

「二人とも……パーティー抜けたんだって?」

 

「う~ん……その場の勢い半分だけどね。あんたはどうするの?」

 

「決まってるじゃない。この剣は、リーファちゃんだけに捧げてるんだから」

 

「えー、別にいらない」

 

 短剣を手に、真剣な表情でそう言い放った彼に、しかしリーファは容赦ない評価を下す。サスケの非難の視線が増す。レコンの方も、またもがくりと項垂れたが、どうにか踏みとどまった。

 

「まあ、そういうわけだから、当然僕もついていくよ。……って言いたいところだけど、ちょっと気になることがあるんだよね」

 

「何よ?」

 

「まだ確証は無いんだけど……少し調べたいから、僕はしばらく、シグルドのパーティーに残るよ」

 

 リーファの騎士を気取った態度を取っていたのだから、このままパーティーに加わるかと思えた少年が、何を思ってか、パーティー残留の意思を表した。その言葉に、サスケが訝しげな表情をする。友達二人が抜けたというのに、尚もあの横柄なシグルドのパーティーに残る理由があるのだろうか。一体この少年は、何を探ろうとしているのか……

 

「サスケさん」

 

「!」

 

 そこまで考えたところで、ふと声を掛けられるサスケ。対するレコンは、いつにも増して真面目な表情で向き直る。

 

「彼女、トラブルに飛び込んで行く癖があるんで、気を付けてくださいね」

 

「……承知した」

 

「それから、言っておきますけど。彼女は僕の――うぎゃっ!」

 

「しばらくは中立域にいると思うから、何かあったらメールでね」

 

 サスケに詰め寄って何かを言おうとしたレコンの声は、しかしリーファが脛に食らわせた蹴りの一撃によって黙らされてしまった。リーファはそれだけ言うと、塔の屋上から飛び立ってしまった。サスケとランもまた、レコンに同情しながらも、後を追って飛び立っていった。

 

「彼、リアルでも友達なんだろう?いいのか、あのままで」

 

「問題無いわ。どうせ大したことの無い用事でしょうし、運が良ければすぐに合流してくるわ」

 

「またまた。とっても仲が良いのに……」

 

「ランさん!変な誤解を招くようなことを言わないでください!」

 

 サスケに続き、からかうように声をかけるラン。そして、さらにユイが続く。

 

「あの人の感情は理解できます。好きなんですね、リーファさんのこと。リーファさんは、どうなんですか?」

 

「し、知らないわよ!」

 

 ユイの爆弾的な質問に、顔を若干赤くして返すリーファ。そんなリーファの様子を、ランは苦笑し、サスケも無表情ながら内心で微笑ましく思っていた。

 

「さ、急ぐわよ!一階の飛行で、あの湖まで行くよ!」

 

「「了解!」」

 

「はいです!」

 

こうして、期せずして出会った三人と一人のパーティーは、アルヴヘイムの中心地たる央都アルンを目指して飛び立っていったのだった。

この世界の故郷たる翡翠の都への郷愁が胸を締め付けるも、新たな世界への期待に胸を躍らせ、少女達は旅立っていく――――

 


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