ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第六十五話 ヨツンヘイム

 新世代VRMMO、アルヴヘイム・オンラインの舞台、アルヴヘイムの中心に聳え立つ世界樹の頂上。つい最近なされた管理者側からの設定により、一般のプレイヤーは僅かに覗き見ることすらも叶わない高さに吊るされた金色の鳥籠。その中に置かれたベッドの上に、一人の少女が横たわっている。目は閉じず、アルヴヘイムの地平線に沈みつつある太陽をじっと見つめていた。

 

(そろそろ……いけるかしら?)

 

 日の傾きを見るに、オベイロンが前回ここを訪れてから五時間以上経過したのは間違いない。オベイロンがこの場所を訪れるのは、大概が休憩時間もしくは仕事後である。頻繁にここへ足を運び、アスナの心を折るべく言葉攻めやセクハラを繰り返しているが、実際は多忙な身分なのだ。

 歪んだ人格の持ち主ではあるものの、優秀な頭脳の持ち主であるオベイロンこと須郷は、レクト・プログレスのフルダイブ部門責任者として日々山のような業務をこなしているのだ。加えて、ごく一部の部下と共に秘密裏に違法研究まで行っているのだから、自由に行動できる時間は一般社員以上に制限されていることは間違いない。事実、オベイロンは一日に三十分程度アスナを嬲ってこの場を出て行くと、翌日までは姿を現さないのだ。また、須郷は今日立ち去る際に、『明後日まで』と言っていた。

 

(動くなら、今ね……)

 

 現状を冷静に分析した結果、須郷が今日中にここに現れることはまず無いという結論に至った。アスナはベッドから起きあがると、意を決して扉を目指す。

 

「……3……2……9」

 

 この鳥籠を脱出するべく、コードを暗証番号入力板へと打ち込んでいく。この暗証番号は、無論オベイロンに教えてもらったわけではない。オベイロンが鳥籠を出るために暗証番号を入力するところを、鏡越しに見て覚えたのだ。直接見た場合には、オベイロンが打ち込む様子が全く見えなかったが、鏡を通して間接的に見れば、現実世界以上にくっきりと視認することができたのだ。こうして、オベイロンでも気付かないシステム上の抜け穴を利用したアスナは、扉を開くための暗証番号を把握するに至ったのだった。やがてアスナが暗証番号を討ち終えると共に、金色の格子が音を立てて開いた。

 

「和人君……私、頑張るからね」

 

 恐らくは、今もこの場所を目指して戦い続けているであろう想い人の勇姿を胸に、アスナは自分の戦いを始める。この世界に囚われ、非人道的な実験に遭っているSAO未帰還者達を助け出す。同じく囚われの身である自分にどこまでやれるか分からないが、じっとしているつもりは無い。諦めずに挑み続けることこそが、SAOで学んだことなのだから。

 この鳥籠を出た先に待つのは、鬼か蛇か。何が待ち構えていようとも、アスナは歩みを止めることをしない。最後まで勇敢に戦った和人ことイタチのように足掻き続けるのみ――――

 

 

 

 

 

 アスナが自分なりの戦いを始めていたその頃、イタチこと和人――この世界ではサスケ――は、世界樹に到達するまでの道中最大の難関に差し掛かっていた。否、差し掛かってしまったと言うべきだろうか。

 

「リーファ、ラン、あそこに祠がある。一度あそこで休んで策を練るぞ」

 

「分かったわ!」

 

「それしか無いわね……」

 

 至る場所に雪が積もり、氷が張った石の地面を踏み締めながら、サスケ達三人は道無き道の先に見えた祠のようなオブジェクトを目指す。

 現在、サスケ達のいる場所はアルヴヘイムの地上エリアではない。薄暗い闇に閉ざされた洞窟なのだ。だが、一般のダンジョンとは規模が桁違いである。遥か彼方に見える壁の場所からして、広さは三十キロ以上はあるだろうか。鍾乳石と共に垂れ下がる氷柱が発する燐光は、三人が立つ場所から最低五百メートルはあろう高さから降り注いでいる。この、洞窟と形容するにはあまりに巨大なダンジョン――地底世界の名前は、『ヨツンヘイム』。アルヴヘイムの地下に広がるもう一つのフィールドであり、邪神級モンスターが闊歩する闇と氷の世界である。

 

「世界樹を前にして、まさかこんなところで足止めを食らうとはな……」

 

「ごめんね……サスケ君。あたしが軽率にあんな街に降りたせいで……」

 

「それは俺も同罪だ。アルン周辺の中立域の村や街を予め把握しておけば、こんな事態は起こらなかった」

 

「でも流石に、あの村丸ごとモンスターなんて、想像できなかったわよねぇ……」

 

 ヨツンヘイムは地底世界。地上ルートでアルンを目指すサスケ達三人のパーティーは、本来ならば来る筈の無い場所なのだ。それが何故、邪神級モンスターが犇く暗闇の中を彷徨い歩く羽目になっているのか。

 サスケ達が鉱山都市ルグルーを出て蝶の谷に達したサスケ達は、サラマンダーによるシルフ=ケットシーの領主会談襲撃を阻止した後、再び世界樹を目指した。だが、八時間以上に及ぶ連続ダイブにリーファとランは疲弊の色が濃かったため、アルンへは到達できていないものの、今日はこのあたりで落ちようという話になった。そして、ちょうど視界に入った森の中の小村へと飛んで行ったのだが……

 

「まさか、村まるごとモンスターだったなんてね」

 

「プレイヤーが一人もいなかった時点で、何らかの罠と怪しむべきだったろう。加えて、アルンにはモンスターがいないなどと油断するべきではなかったな」

 

「あははは……」

 

 サスケの指摘に苦笑するリーファ。アルンにはモンスターがいないと最初に言ったのは、他でもない彼女なのだ。異変は、モンスターなどいないと油断したリーファを筆頭に、パーティー三人が村と思しき場所へ降り立った瞬間に起こった。村を構成していた三つの建物が肉質のこぶへと変化したのだ。危険を逸早く察知したサスケは二人に飛んで逃げるよう指示を出したものの、突然の事態に反応し切れなかった二人は間に合わなかった。そして、サスケも二人を捨てることができずに三人纏めてモンスターの腹の中へと吸い込まれたのだった。うねる暗赤色の洞窟に呑み込まれた三人は、壁面を攻撃するなどして抵抗を試みたのだが、結局効果は無かった。そして、数分ほど消化管によって運ばれた末に放り出された場所は、巨大な邪神が伸し歩く地底世界の中だったというわけだ。

 

「し、仕方ないじゃない……アルンへ行くのは、私だって初めてだったんだもん……」

 

「何もお前だけの責任と言っているわけじゃない。油断したのは俺もランも同じだ。パーティー全員、用心が足りていなかったというだけのことだ」

 

「こんなことなら、ケットシーの交易ルートを聞いておくんだったわね……」

 

今更ながら、悔やむべきことが多くあったとばかりにランが呟く。リーファが道中で口にしていた、アルン高原にモンスターが出現しないと言う話は、アルンとスイルベーンを行き来するシルフのキャラバンのメンバーから聞いた話である。街から街へと物資を運ぶキャラバンはモンスターからの襲撃や他種族による略奪を受ける危険性が高く、リスクの少ないルートを使ってアルンを目指す。そのため、交易ルートにはモンスターの出現頻度が非常に少ないポイントを利用するのだが、リーファ達が通っていた地上ルートは蝶の谷を目指した時点でシルフのキャラバンの利用する経路からは完全に外れていたのだ。故に、サスケ等パーティーはモンスターの出現や罠には細心の注意を払って進むべきだったのだ。尤も、開いた口を村そのものに擬態する巨大なミミズ型モンスターの存在など、ケットシーの交易ルートの情報を得ない限りは、流石のサスケも予測不可能だったのだが。

 

「後悔先に立たず、だ。たらればの話をするよりも、今はここを脱出することが先決だ」

 

 薄暗く氷の張った、道無き道を歩く中で見つけた祠の中へと入りながら、サスケは二人の思考を脱出方法の模索へと向けさせようとした。だが実際、サスケですら邪神級モンスターが犇く大空洞を脱出する術はすぐには浮かばない。四メートルの立方体型の空間の中、地面に焚火を起こして暖をとりつつ、座り込んで策を練る。

 

「まず、俺はヨツンヘイムについての知識が無い。正攻法としての脱出方法は、何かあるか?」

 

「私も初めて来るんだけど……確か、央都アルンの東西南北に大型ダンジョンがあって、その最深部にヨツンヘイムへ通じる階段があるって聞いたわ」

 

「なら、そこを目指のはどうだ?」

 

 サスケの手持ちアイテムには、ヨツンヘイムのマップは無いが、ナビゲーション・ピクシーのユイがいる。彼女にマッピングデータを呼び出してもらえれば、道に迷うことは無いだろう。サスケはそう考えたのだが、ランは首を横に振った。

 

「駄目よ。階段のあるダンジョンは全部、当然ながらそこを守護する邪神がいるわ。」

 

「邪神の戦闘能力は?」

 

「少なくとも、三人でまともに相手できる強さじゃないわね。君が戦ったユージーン将軍も、ソロで戦って十秒と持たなかったらしいわ」

 

「…………」

 

 リーファから告げられた情報に、サスケは沈黙する。邪神がどの程度強力なモンスターかは未知数だったが、上手く立ち回れば撃破することも不可能ではないのではと考えていた。だが、ランとリーファの説明を聞く限りでは、思い通りにはいかないらしい。倒すことが不可能ならば、スプリガンの幻術魔法で誘導してその隙に階段を抜けるしかない。尤も、邪神を撃破しなければ通れないよう、システム的に設定されていた階段だった場合、脱出方法は完全に閉ざされてしまうのだが……

 

「ねえ、サスケ君……」

 

 そこまで考えた所で、リーファが唐突に口を開いた。思考に耽って焚火に向けていた視線を彼女の方へと向け、サスケが向き直る。

 

「何だ?」

 

「サスケ君は、どうしてあたし達を助けてくれるの?」

 

「……何のことだ?」

 

「あの巨大ミミズに呑み込まれた時と……あと、サラマンダーから私達シルフを助けてくれたことよ」

 

 危ない場面を助けてもらってばかりいながら失礼千万なのだが、リーファとランの中では、サスケは冷めた人間で不要な物は切り捨てる印象があった。だが、アルンを目指すことが最優先目標ならば、ミミズに呑み込まれそうになった時、リーファとランを見捨てれば単独でも目的地へ到達できていた筈なのだ。サラマンダーによるシルフ=ケットシーの領主会談にしても、スプリガンのサスケには無関係の話であり、介入する必要性は全く無かったのだ。故に、一連のサスケの行動は非効率的であり、二人がイメージとして抱く内面と噛み合っているように思えなかった。リーファがサスケの真意について尋ねたのも、そのためである。しかし、サスケからの返答はすぐには出ず、しばらく黙ったままだった。

 

「……アルン行きは、俺の個人的な都合だ。付き合わせた以上、俺がお前達を守るのは当然の義務だ」

 

 少しの間考えて出した結論が、『己に課した責務』だからという理由だった。だが、サスケ自身はそれで納得しているわけではない。サスケの真の責務は、須郷伸之の野望を阻止することであり、リーファとランを守るのは二の次にするべき事項である。巨大ミミズからの襲撃を受けた際、本来ならばリーファとランを見捨てていれば、脱出できたのだ。サラマンダーの襲撃に関しても同様である。あの場面でリーファとランと別れ、アルンを目指すべきだったのだ。そもそも、現在の窮地は余計なことに首を突っ込んでしまったことに端を発している。本来の責務を逸脱していることは明らかであり、自分でも何故そのような行為に走ってしまったのか、明確な理由が掴めない。少なくとも、前世の忍――うちはイタチだった頃の自分ならば、有り得ないことだった。

 デスゲームの経験を引き摺っているが故に、ゲーム内であろうと自分の前でプレイヤーが死ぬことを許容できなくなったのか。或いは、リーファとランへの仲間意識が知らぬ間に強くなっていたためなのか。いずれにせよ、サスケこと和人が前世から引き継ぐ、うちはイタチとしての人格が大きく変わったことは間違いない。

 

(だが、こうなってしまっては、元も子もないな……)

 

 あらゆる法則や枠に囚われない変化というものは、前世のうちはイタチだった頃から望んで止まないことだった。だが、目的を見失った挙句、果たすべき責務の遂行から遠ざかっている現実が目の前にある。二人を見捨てなかったことが間違いだとは思わない、というより思いたくないサスケは、一人自分の心の在り様に苦悩を抱いていた。

 だが、そんなサスケの内心を知らないリーファは、サスケがにべもなく放った言葉に胸の痛みを覚えた。仮想の肉体に走る痛みではなく、ちくりと棘が刺さったかのような、心の痛みを。

 

「……別に、君のためじゃないもん」

 

 気付いた時には、そう呟いていた。震える声は悲しみの色を帯びながらも、サスケの言葉を批難する意思が明確に感じられた。膝を抱く手に力を込めながらも、強張った声で続ける。

 

「君に頼まれたからじゃない……君と一緒に世界樹を目指そうとしたのも、シルフ領を抜けたのも、全部あたしの意思だよ。無理に付き合っているとでも思っていたの?」

 

 言い募るごとに増す苛立ち。目もとに涙を浮かべつつも、リーファはサスケに言っておかねばならないと思った。そして、サスケが自分達を守ったのが、ただの義務や責任からだという言葉を否定したかった。

 

「君と一緒に冒険して……とても楽しかった。どきどき、わくわくして……この世界が、ただのゲームじゃなくて、もう一つの現実だって思えたんだよ。なのに……なのに、どうしてそんなこと言うの?」

 

「…………」

 

 感情的になるリーファに対し、サスケは若干の後悔を覚えていた。責務云々を理由に挙げた先程の言葉は、決して本心ではない。前言撤回するべきかと考えたものの、代わりの理由が浮かばない。いっそのこと、『助けたかったからそうしただけ』と言えば楽なのだろうか。だがそれは、事態をマイナス方向に進展させてしまった、堕落に近しい変化を遂げた自分を受け入れることを意味する。抵抗する自分がいる。何が正しく、何が間違っていたかを明確にできず、返答に窮するサスケだった。

 

「リーファちゃん、落ち着こうよ。ね?」

 

「ランさん……」

 

 今にも飛び出しそうなリーファの肩に手を添えて冷静になるよう促すのは、彼女の姉貴分たるランである。サスケの言葉が本心ではないことを悟ったランは、二人の間にすれ違いが生じることを防ぎたいと思っていた。リーファに思い止まるよう声をかける一方で、サスケの方にも弁明を行うよう目線で訴えかける。ただ一言、『仲間だから』、『友達だから』と僅かでも本心を口にすれば、関係修復は容易い筈なのだ。だが、サスケも自身の本心がどこにあるのか分かっておらず、言葉が見つからない。四メートル四方の祠の中に流れた沈黙。だがそれは、長くは続かなかった。

 

ぼるるるるるぅ!

 

『!!』

 

 ほこらの外から響き渡る、異質な音。大音響の正体は、ヨツンヘイムに生息する邪神級モンスターの咆哮で間違いない。加えて、ずしんずしんと地面を揺るがす足音と振動まで伝わってくる。恐らく、三人がいるほこらより程近い場所にいるのだろう。

 

「近いな……邪神級のモンスターが……しかも二体だ」

 

「そんな……こうなったら!」

 

「リーファちゃん、待って!」

 

 一匹でも手に負えない邪神が二体も接近している以上、隠れて凌ぎ切れるとは思えない。こうなった以上、誰かが囮となって引き付け、残り二人が生き残るしか手段は無い。リーファはそう考え、ほこらから飛び出そうとしたのだが、ランが必死になってそれを止める。

 

「離してください、ランさん!あたしが邪神をプルしますから、その隙にサスケ君と逃げてください!」

 

「そんなわけにいかないでしょう!」

 

「二人とも、落ち着け。何か様子がおかしい」

 

 先走るリーファと、それを押さえつけようと必死のランに対し、サスケが冷静になるよう促す。索敵スキルを行使し、外で騒ぎを起こしている邪神二体の位置を探索しているのだが、モンスター達の行動がどこか不自然に思えてならない。

 

「邪神二体が近くにいるのは確かだが、こちらへ向かっている様子は無い。二体揃って、一つの場所に留まっているようだ」

 

「それだけではありません。邪神二体は、互いを攻撃しているようです」

 

「え……でも、何で?どうしてそんなことに!?」

 

 サスケに続くユイから齎された上方に困惑するリーファとラン。ALOのプレイヤーの中でも古参の部類に入る二人も、このような状況は初めてらしい。通常のモンスターの行動アルゴリズムにおいて、同士討ちを行うことは有り得ない、システム上においてイレギュラーな事態なのだ。

 

「何故同士討ちを行っているかは定かではないが、一方が潰されれば、もう一方がこちらへ向かってくることは間違いない。争っている隙に、脱出するほか無いな」

 

「そうだね」

 

「私も賛成よ」

 

 サスケの提示した脱出プランに、リーファとランも同意する。戦闘が終結した後の手負いの邪神ならば、三人のパーティーでも倒せるかもしれない。だが、現在優先すべきはヨツンヘイムからの脱出であり、そのための余力はできる限り残すべきである。

 三人はモンスターの接近に用心しながらほこらを出ていく。そして、先程響いた咆哮の主は、数歩程度の距離で確認できた。全高約二十メートルであり、体格差はあれども二体とも邪神特有の青みが狩った灰色の体色である。大柄の方は、縦に三つ連なった顔の横から巨剣を握る四本の腕が飛び出した、異教の神像めいた邪神。小柄な方は、巨大な耳と長い口吻を備えた象のような頭部に、饅頭のように扁平で円形の胴体、そしてその巨体を支える二十本程度の鉤爪突きの肢が付いた、異形の邪神である。

 戦闘は、大柄な邪神の優位だった。象の頭部に水母の胴体をもつ、象水母とでも形容すべき異形の邪神が繰り出す鉤爪付きの触手をものともせず、神像型の邪神は四本の巨剣を振り翳して大ダメージを与えていた。

 

「一体、どうしてこんなことに?」

 

「プレイヤーの反応は……どこにも無いな」

 

 ALOにおいてモンスター同士が戦闘を行いケースは、主に三つ。ケットシーのテイムモンスターによる戦闘、音楽妖精族・プーカのメロディによる扇動、幻惑魔法による混乱状態である。だが、邪神二体による戦闘の余波が生じない物影に隠れながら、索敵スキルで周囲のプレイヤー反応を探しても、全く引っ掛からない。そもそも、邪神級モンスターがテイムできるなど聞いたことが無いし、邪神相手に有効な音楽系スキルや幻惑魔法が存在するかも怪しい。いずれにせよ、かなりイレギュラーな事態であることに変わりは無い。

 

「もうそろそろ、決着が着きそうだな。今の内に、ここから離脱するぞ」

 

「そう……よね」

 

 邪神二体の戦闘は、三人が身始めてから終始神像型の邪神の優位で、決着しようとしていた。象水母の邪神が倒されれば、次は自分達の番だろう。そう考えたサスケは、今の内に素通りしようと提案する。ランはやや不服そうな顔をしていたものの、現状では最善策には違いないと考え、承諾した。だが、リーファは……

 

「ねえ、サスケ君」

 

「……どうした?」

 

「あの苛められている邪神、助けよう」

 

「…………」

 

 リーファの口から出た、現状を顧みれば非合理的な提案に、サスケとランが硬直する。どうやら、巨剣を振り回す神像型の邪神に一方的に攻撃されている象水母の邪神が可哀想に思えたらしい。ゲームプレイヤーがモンスターに憐憫の情を抱くなど、本来ならば有り得ないことだったが、心根の優しいリーファだけにサスケとランの表情に驚きの色はあまり無かった。

 

「……駄目、かな?」

 

 冷血漢とまでは言わないが、目的を達成するためには効率を重視して動く傾向が強いサスケの性格からして、モンスターに同情することなど有り得ない。加えて、ヨツンヘイムへ来てしまった原因の一端がリーファにある以上、こんな我儘をサスケが許容してくれるとも思えない。確認するように尋ねたリーファだが、間違いなく却下されるだろうと予想できた。そして、対するサスケからは……

 

「……二人とも、ここで待っていろ」

 

「え?」

 

 予想外の答えに、硬直するリーファとラン。そして次の瞬間には、サスケは二人を置いて隠れていた物影から飛び出していった。

 

「ユイ、この付近に湖はあるか?」

 

「はい、あります!ここから北へ二百メートル程移動した場所に、氷結した湖があります」

 

 装備していたチャクラムを取り出しながら、ユイにマッピングデータを尋ねるサスケ。期待していた場所が存在することを確認すると同時に、手に持った投擲武器を神像型の邪神目掛けて投擲する。

 

「はっ!」

 

「ぼぼぼるるるぅぅうう!!」

 

 投剣スキルをコンプリートしているサスケの放ったチャクラムは、邪神の三面の内一番上の顔へと飛来し、眉間を斬りつけた。邪神は怒り狂い、標的を先程まで攻撃していた象水母からサスケへと変更。対するサスケも、ブーメランのように旋回しながら戻ってくるチャクラムを手にすると同時に背を向けて駆け出す。

 

「ぼるぅううっ!」

 

 一発でも命中すれば、HP全損は必至の攻撃が、サスケの背中目掛けて繰り出される。だが、サスケは機敏に動いて振り下ろされる刃を回避する。疾走スキルをもつサスケならば、邪神相手でも振り切ることは可能だろうが、サスケの目的はタゲを取るだけではない。自身を標的として追撃を仕掛ける邪神を、目標のポイントへ誘導することなのだ。故に、邪神の速度に合わせて併走し、四本の巨剣による猛攻を回避しながら逃げの一手に回らねばならない。

 

「ぼるぼるぼるぅうう!」

 

「ふっ……!」

 

 なかなか命中しない攻撃に苛立ちを募らせたかのように攻勢を激化させる邪神。並みのプレイヤーならば、反応が間に合わず直撃を受けて即死しているそれらを、しかしサスケは背を向けた状態で紙一重で回避していく。

 

「サスケ君……凄い……!」

 

「並大抵の反射神経じゃないわね」

 

 邪神の猛攻を掠らせもしないサスケの姿を遠目に捉えながら、リーファとランは感嘆の声を漏らす。ユージーン将軍を倒した時点で、ALOにおいて最強クラスのプレイヤーなのは間違いなかったのだが、よもや邪神相手にこれ程の大立ち回りができるとは思わなかった。しかも、逃げ回るサスケには焦りや限界の色は全く見えない。敏捷性や反応速度も然るものながら、相当な胆力の持ち主であると、二人は改めて感じていた。

 

「パパ、もうすぐ湖です!」

 

「ようやくか……!」

 

 ユイからの目標ポイント到着を告げる言葉に、サスケはふっと僅かな笑みを浮かべると、一気に速度を上げて走り出した。一直線に向かう先は、ヨツンヘイムの氷結湖のど真ん中。追尾してくる邪神から距離を開けて湖の中央に達したサスケは、ブレーキをかけて立ち止まる。障害物の存在しない湖の上ならば、邪神がサスケの姿を身落とす事は有り得ない。サスケの狙い通り、三面巨人はサスケの姿を六つの瞳で捉えて離さなかった。

 

「ぼるるるぅう!」

 

「サスケ君!」

 

「逃げて!」

 

サスケ目掛けて、ずしんずしんと巨大な足音を響かせて湖の上を突き進む邪神の姿を捉え、リーファとランが悲鳴を上げる。このまま足を止めれば、サスケは邪神の餌食になるのは必至である。だが、邪神が氷上の獲物目掛けて襲い掛かることこそが、サスケの狙いだったのだ。

 

「ぼるぅぅううううううっっ!」

 

 湖に踏み出した神像型の邪神だったが、サスケのもとへ到達することはなかった。湖の上を歩く途中、足場である氷が邪神の体重に耐えきれず、割れてしまったのだ。水没していく巨人の姿を見たユイが、呆気にとられながらもサスケに尋ねる。

 

「パパ、もしかしてこれが狙いだったんですか?」

 

「まあな。このまま沈んでくれればありがたいのだが……どうやら、そうもいかないらしい」

 

「え?」

 

 サスケの言葉に、ユイが疑問符を浮かべる中、氷が砕けて露になった湖の水面から邪神の頭一個半ほどが突き出してくる。どうやら、湖の水深が邪神の全高を沈めるには足りなかったらしい。水面から頭と共に巨剣に本を覗かせると、サスケへと接近を開始する。

 

「パ、パパ!早く逃げないと!」

 

「まあ、落ち着け」

 

 氷を砕きながら迫る邪神に、しかしサスケは全く焦った様子は無く、ユイを宥めながらその場を動こうとはしない。その余裕の態度に苛立ちを覚えたのだろうか。邪神が巨剣を先程よりも激しく振り回しながらサスケへと接近していく。邪神視点であと二、三歩程の距離だっただろうか。いよいよサスケへと必殺の一撃が振り下ろされようとした、その時だった。

 

「ひゅるるるぅぅううう!」

 

 目の前の神像型の邪神が放ったものとは別の咆哮が響いてきた。咆哮を耳にした途端、計画通りとばかりに頬を歪ませるサスケ。そして次の瞬間には、神像型邪神が背後から伸びる無数の触手にからめ捕られていた。触手の先端には鉤爪が付いており、絡め取られた神像型邪神は振り解くことができない。

 

「これって、もしかして……」

 

「さっきの象水母型の邪神の仕業ね」

 

 その様子を遠目から見ていたリーファとランには、神像型邪神に何が起こったのかをすぐに理解できた。サスケを追尾した邪神を追って、その凶刃に晒されていた象水母型の邪神もまた湖へ入っていたのだ。水中に入った象水母型邪神は、文字通り水を得た魚のように神像型邪神へ襲い掛かる。陸上での劣勢が嘘のような猛攻を仕掛ける象水母は、神像型邪神の全身をものの数秒で湖へと沈めた。

 

「もしかして、これが本命だったのですか?」

 

「ああ。あの象水母のフォルムは、見るからに水棲生物だった。ならば、戦場を水中へ移動させてやれば、戦いの趨勢は決するというわけだ」

 

 内容だけ聞けば、それほど難しい理屈ではないが、邪神相手に背中を晒して目標ポイントまで誘導したのだ。一歩間違えれば即死は免れないこの作戦を実行したサスケの胆力は、並みのプレイヤーでは持ち得ないレベルである。忍としての前世で培った経験を有していたサスケだからこそできた荒業なのだ。

 

(尤も、この力の使い方が正しいとは、断言できんがな……)

 

 またしても、本来の目的から逸脱した行為に及んでしまったサスケ。尤も、ヨツンヘイムから生還する可能性が限りなく低い現状を鑑みれば、この程度の行動は大したマイナス要因にもプラス要因にもなり得ないのだが。それでも、サスケは自らの在り様を肯定することができなかった。

 

(だが、俺は歩みを止めるわけにはいかない……)

 

 果たすべき使命と、立ち向かうべき運命が目の前にある以上、変化し続ける己と常に向き合いながら、前に進むしかない。どれだけ自分が変わったとしても、目的だけは見失ってはならない。

 前世と現世、現実世界と仮想世界……二つの境界のもとで生きる彼は、桐ヶ谷和人であり、うちはイタチなのだ。決意を新たに、暁の忍は戦い続ける――――

 


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