ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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アインクラッド
第六話 剣の世界


2022年11月6日

 

遂にこの日がやってきた。世界初のVRMMO、ソードアート・オンラインの正式版パッケージ発売日である。現在時刻は午前十一時で、正式サービス開始は午後一時。スタッフとしてゲーム開発に尽力し、ベータテストにも参加した和人も、既にパッケージを購入済みである。桐ヶ谷家の台所にて、茶を飲みながらサービス開始を待つ和人。だが、その表情はどこか浮かばれない。

 

(………俺はこのまま、あの世界へ行っていいのだろうか?)

 

開発スタッフとしてもこのゲームの完成、そして発売を心待ちにしていた和人だったが、発売日になって、ゲームをプレイすること、正確にはナーヴギアをかぶって異世界へと行くことに躊躇いを感じていた。その原因は、ベータテスト完了を祝したアーガス社でのパーティーの時に、茅場が放った言葉とその時の表情である。

 

『長年の夢が完成する』

 

その一言が、どうにも引っかかっていた。何気なく口にした言葉だったが、自分には推し量れない何かがある、そんな気がするのだ。思えば自分は、茅場晶彦という人間を本当の意味で理解できていなかったと、ここに至って気付いた。もっと彼の言動や行動に注意を払っていれば、今頃になって抱いた違和感の正体にも気付けたかもしれない。だが、自分は彼の作り出した仮想世界という名の幻に心奪われ、それを考えることをしなかった。幻術を極めた忍者が、仮想の現実に踊らされて真実を見失うなど、滑稽極まりない。忍失格だと、迂闊だった己を恥じる和人。

先程、茅場の仕事用の携帯に電話を入れてみたが、携帯は電源が入っておらず、会話はできなかった。茅場の仕事用の携帯電話は、出勤日や休日に関わらず、常に電源をオンにしていると聞いていた。それが繋がらないとなると、いよいよもって怪しい。何かあるとしか考えられない。

 

(今日というこの日に、何かをしようとしているのは確かだろう…)

 

無論、制作者として他の運営スタッフに黙ってサプライズを仕掛けるつもりなのかもしれない。だが、茅場という男がそんなことを企んでいるとは思えない。そもそも、茅場の「仮想世界を作り出す」という夢は、ソードアート・オンラインのゲーム完成と共に既に達成されている筈である。これ以上何をしようというのか?

 

(あなたは、夢の先に何を見ているんだ…?)

 

茅場が口にした言葉をもう一度反芻する和人。そして、違和感と同時に覚えたもう一つの感情――「既視感」について考え始める。確かなのは、桐ヶ谷和人ではない前世の自分、うちはイタチだった頃の記憶に由来しているということ。つまり、自分は茅場晶彦に似た言動、思想を持った忍を知っているということだ。思い出すことができれば、茅場の秘めたる夢と呼ばれる何かの正体に一気に近づけるだろう。だが、過去に見知った忍達をいくら思い出しても、茅場に合致する人物は浮かばない。

 

(もしかしたら、俺自身が思い出したくないのかもな………)

 

既視感の正体が掴めないことについて、イタチはそう考えた。思い出せないのではなく、思い出そうとしない。仮想世界を舞台としたVRMMO、ソードアート・オンラインに向けられる和人の感情は、制作に携わったゲームとしての思い入れに止まらない。前世の自分がいた世界、月読を思い出させるあの世界こそが、自分の居場所ではないかと言う、依存や執着に似た感情を抱いている自覚があった。故に、露見すればソードアート・オンラインの運営が危ぶまれるであろう茅場の魂胆を知ることを、無意識のうちに拒んでいるのだと、そう思えた。

あるいは、それ自体を望んでいるのかもしれない。例えば、ゲーム世界へ飛び込んでから、永久に帰って来れなくなる……即ち、この世界、現実からの完全な離脱、「ログアウト」を―――

 

(何を考えているんだ俺は………)

 

今置かれている現実から逃避しようとする自分がいることに、和人は激しく苦悩する。この世界で生きることを決めてから、自分が存在する意義を探そうとしてきた。だが、期せず与えられた三度目の生は、かつて自分が生きた忍世界とは全く異なる、文字通りの異世界。生きる指針を見定められず、前世を引きずること十数年。月日を経ても己を変えることができず、答えが得られないことに、和人は知らず焦燥に駆られていた。

 

(いずれにしても、このまま放置することはできんな………)

 

自身のこれまでを省みるよりも、今は目先の問題に対しどう動くか、決めなければならない。茅場晶彦という人間を理解し切れていない以上、彼の動向を具体的に予想することは不可能である。実際に茅場と話をすれば何か掴めるかもしれないが、現状では本人とは連絡すらつかない。

 

(…実際にダイブしてみるほかない、か…)

 

結局、茅場の真意を知る方法は他に無いと結論付ける。茅場晶彦の「夢」の在り処である仮想世界、浮遊城アインクラッドへ赴くことが手っ取り早い方法である。だが、今思い出して見れば、茅場に感じた違和感には、危険な臭いもあった。

 

(ソードアート・オンラインは世界初のVRMMO…だが、所詮はゲーム…)

 

そう考えている筈なのだが、納得できない自分がいる。確かに自分は、仮想世界を万華鏡写輪眼によって展開される月読の世界に似ていると言っていたが、別段危険があるわけでもない。仮想世界で動くプレイヤーはアバターで、痛覚は実際には感じない仕様になっている。月読のように、精神崩壊が起こることなど通常ならばあり得ない筈である。

 

(…行ってみれば、分かることか。)

 

いろいろと悩んだ挙句、実際にダイブしてその目で何が起こるかを確かめる事を選択する。胸に痞えた違和感は取れず、既視感の正体も掴めないままだが、結局それ以外の選択肢を思いつかなかった。もとより、ソードアート・オンラインのサービス開始日にログインすることは当初から決めていたことである。と、そこへ

 

「お兄ちゃん、お昼だよー!」

 

廊下から自分を呼ぶ妹の声が聞こえた。思考を中断し、和人は声が聞こえた扉の方を向く。

 

(直葉……か………)

 

義妹の呼びかけに、未だに思い出せない過去に着いてはひとまず棚上げし、和人は腰を上げ、扉越しに返事をする。

 

「…ああ、今行く。」

 

そう言うと、自室を後にして一階へと降りる。食卓には既に昼食のうどんが用意されており、直葉に急かされ、席に着くと二人揃って箸を手に食べ始める。めんつゆが若干しょっぱい気がしたが、どうやら直葉が量を間違えたらしい。苦笑しながら誤魔化そうとする妹に、和人はやれやれと肩を竦めながらもうどんを完食する。

 

(……直葉、お前は俺がいなくなったら、どうするんだ?)

 

隣で食後のお茶を口にして休憩に入っている義妹に目をやり、和人はふと考える。転生してから今の今まで、自分は家族とどこか距離を取っていた。実の家族ではないことなど、和人は全く気にしていない。だが、前世の記憶が、家族との距離を埋めるのを邪魔している。「愛すること」を無意識のうちに封印してしまっているのだ。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「!…いや、何でもない。」

 

そんなことを考えていると、直葉が声をかけてきた。普段は隙の無い雰囲気の和人にしては珍しい反応を、直葉は不思議そうに見つめていた。

自分のことを疑いなく「兄」と呼ぶこの少女は、自分のことをどう思っているのだろう?前世の過ち故に、向き合うことを躊躇ってきた和人だったが、今になって直葉のことが気になってしまった。彼女もかつての弟のようにならなければいいが…と、そんなことを考えていると、食器を洗い終えた直葉が和人のもとへ戻ってくる。

 

「私は午後から部活だから、行ってくるよ。それと、今度高校生の人達と交流試合することになったから、帰ってきたら稽古つけてくれる?」

 

「…今日は、やってやれるか分からない。」

 

直葉の何気ない頼みに、いつもならば引き受けられる筈だが、言葉を濁しながら約束はできなかった。理由は言うまでもなく、SAOのことが引っかかっていることにある。そんな和人に対し、直葉は若干むくれる。

 

「え~…この前は、きっちり稽古つけてくれるって言ってたのに~」

 

唇を尖らせて文句を言う直葉。その姿に、和人は前世の弟の面影を見た。和人は無意識のうちに顔に苦笑を浮かべながら、直葉のもとへ近づき、

 

「許せ直葉、また今度だ。」

 

右手の人差し指で直葉の額を小突いて、そう締めくくる。それは、前世において自分の都合で相手をしてやる暇のなかった弟に対して行っていたのと同じ行為だった。前世の自分は今度だ、後でだと言ってばかりで、結局約束を破ってばかりだった。そして今また、果たせないかもしれない約束をしてしまった。何故こんなことをしてしまったのか、和人自身分からない。ただ、直葉を見ていたら、こうしたくなった。

一方直葉は、常の和人にはない穏やかな表情と突飛な行動に、目を丸くして驚いていた。こんな兄を、直葉は知らない。だが、何を言っていいのかも分からない。心の整理がつかいないながらも、ただ一言。

 

「………約束だからね。」

 

それだけ言うと、足早に部屋へと戻っていった。その後、部活に出かける準備を整えると、足早に出発した。

 

(また今度、か……)

 

 果たして、その時が訪れるかは分からない。今まで直葉をはじめ、家族とは距離を置いていた…愛することを忌避していた、その筈なのに、自身の内に湧いた思いをこの時ばかりは抑えられなかった。だが、和人はそんな感情も振り払い、決意を新たに動き出す。己が望み、作り上げた「仮想世界」へと……

 

「さて…」

 

桐ヶ谷家に残されたのは和人一人。直葉が玄関を出て行くのを見届けると、門の鍵をかけて二階の自室へと向かう。部屋の扉も鍵をかけ、時刻が午後一時三分前になっていることを確認する。棚の上に置いてあったナーヴギアを手に取り、電源を入れる。買ってきたソードアート・オンラインのパッケージを開いてROMカードを取り出し、慣れた手つきでスロットへと挿入。数秒で主インジケータが点滅から点灯へと変わるのを確認しつつ、ベッドへ横たわった。そして、ナーヴギアを頭に装着。顎の下でハーネスをロックし、シールドを降ろして目を閉じる。

茅場晶彦が作り出した仮想世界――ソードアート・オンラインが舞台、アインクラッド。空に浮かぶ鋼鉄の城に、希代の天才・茅場晶彦が抱いた夢、その真の姿が具現する。和人はそれを見届けるべく、扉を開く鍵となる一言を唱える。

 

「リンク・スタート!」

 

そして、和人の意識は仮想世界へと旅立っていった。長く険しい戦いの世界へと―――

 

 

 

「…戻ってきたか、この世界に。」

 

開始コマンドを唱えた後、虹色のリングを越えて降り立ったのは、アーガス社でスタッフとして散々ダイブし、ベータテストにも参加して見知った場所。ソードアート・オンラインが舞台、浮遊城アインクラッドの最下層、「はじまりの街」の中央広場である。

和人のアバターであるイタチは、前世と同じ容貌でその場所に立っていた。周囲を見ると、次々青白い光と共にプレイヤーが現れる。空にはサービス開始を祝う花火が打ち上げられていた。途端、辺りには完全なる仮想現実であり、世界初のVRMMOにダイブした感動に浸るプレイヤー達の歓声がこだまする。そんな浮かれた空気の真っただ中、イタチは一人、別のことを考えていた。

 

(今のところ、この世界に違和感らしきものは無いな。データ蒐集やベータテストの時と何ら変わらない…)

 

周囲を見回し、何か異変はないかと注意してみたものの、特に気になるものはない。とりあえずは、ゲームをプレイしてみなければ分からない。そう考えた和人は、中央広場を後にした。

 

(まずは、武器の購入だな。)

 

このゲームのタイトルは、「ソードアート・オンライン」。剣を武器に冒険するゲームである以上、武器を手に入れないことには始まらない。スタート地点であるこの街には様々な武器屋が点在しているが、所持金を考えれば店は慎重に選ばねばならない。イタチはベータテストの頃に見つけた、入り組んだ裏道にあるお得な安売り武器屋に行こうと足早に駆けていく。と、そこへ

 

「おーい!そこの兄ちゃん!」

 

唐突に、後ろから声が掛けられる。立ち止まり、振り向いてみると、そこには自分を呼んだであろうプレイヤーが一人。戦国時代の若武者のように凛々しく整った顔立ちに赤い髪で、頭には悪趣味な柄のバンダナを巻いている。ベータテストの時に見知った顔ではない。

 

「俺に何か用か?」

 

取りあえず、用件を尋ねてみる。赤髪の若武者はこちらへ追いついて肩で息をしながら話しだす。

 

「その迷いの無い動きっぷり、あんたベータテスト経験者だろ?」

 

「…そうだが。」

 

特に隠しだてする理由も無いので、すんなり頷くイタチ。対する若武者は、ビンゴとばかりに笑みを浮かべてイタチに詰め寄る。

 

「俺、今日が初めてでさ。序盤のコツ、レクチャーしてくれよ。」

 

「………」

 

開始早々に自分に接触してきたプレイヤーに、イタチは若干警戒心を抱く。桐ヶ谷和人のベータテストにおけるプレイヤーネームとアバターは、茅場に既に知られている。サービス開始初日に、計画の障害になり得る制作サイドの自分を監視するために放ったスパイかもしれない。

 

「なあ、頼むよ!俺はクライン、よろしくな!」

 

「…イタチだ。」

 

半ば強引にレクチャーする羽目になったが、イタチは取りあえず目の前の男が茅場の手先であるかを確認するために同行を許すことにした。

その後、二人揃ってイタチが向かおうと思っていた武器屋で買い物を済ませ、フィールドへと直行する。向かう先は、始まりの街の南部。

 

 

 

「うぉおあああっっ!」

 

はじまりの街周辺のフィールドに生息する青いイノシシ型モンスター、「フレンジー・ボア」の体当たりを食らって地面に倒れる若武者ことクライン。大袈裟に痛がる彼に対し、イタチは軽く溜息を吐きながら声を掛ける。

 

「…痛みは感じない筈だが?」

 

「あ…そうか。」

 

そう言いながらクラインは立ち上がり、改めて曲刀を構える。イタチはなかなか戦闘に慣れないクラインにアドバイスをする。

 

「ソードスキルの発動において重要なのは、初動のモーションだ。システムがそれを認識すれば、あとは勝手に技を命中させてくれる。」

 

「モーション…モーション………」

 

「イメージして構えるといい。これから発動させるソードスキルが、どんな軌道を描いて敵に命中するかをな。」

 

イタチの言葉に従い、今度は腰を落とし、右肩に担ぐように剣を構える。すると、今度こそ規定モーションが検出され、刃がライトエフェクトを放つ。

 

「うぉぉおおおお!!」

 

掛け声と共に繰り出された斬撃は、狙い違わず、クラインに突進を仕掛けていたフレンジー・ボアの首筋に命中した。HPを削り切られた青いイノシシは、そのままポリゴン片を撒き散らして消滅。クラインとイタチの目の前に、紫色のフォントで加算経験値の数字が浮かび上がった。

 

「よっしゃぁあああ!!」

 

「初勝利、おめでとう。」

 

心底嬉しそうに派手なガッツポーズを決めるクラインに、イタチは僅かに笑みを浮かべてそれを祝す。当初こそ茅場のスパイ疑惑を持っていたが、フィールドに出て狩りをするまでの挙動を観察しても何らおかしい点は見当たらず、戦闘における動きも完全なド素人。クラインがただの通りすがりのビギナーであることは疑いようもなかった。

 

「喜んでいるようだが、今の敵はレベル1の最下級モンスターだぞ?」

 

「はっ?…マジかよ?てっきり俺は中ボスクラスかと…」

 

「よく周りを見てみろ。そこら中に中ボスが湧いているぞ。」

 

イタチの言う通り、辺りを見渡すと、先程倒したイノシシが何体もポップしているのが見て取れた。初勝利の余韻はどこへやら、がっくりと項垂れる。

 

「あれに苦戦しているようでは、フロアボスなど到底敵わん。要修行だな。」

 

「精進します…」

 

か細く答えたクラインの姿に、イタチの顔に自然と笑みが浮かぶ。前世でも同じようなことがあった。弟と一緒に、それこそ中ボスレベルの巨大イノシシを退治するという仕事だったが、弟の放った矢は外れて作戦は失敗。結局、ほとんどイタチ一人の力で退治したのだった。

 

「今のでソードスキル発動のコツは掴めただろう?もう少し狩りを続けるか?」

 

「あたぼうよ!狩って狩って、レベルアップしてやるぜ!」

 

赤いライトエフェクトと共に剣を振り回してはしゃぎ回るクラインと共に、パーティープレイを続行するイタチ。その後、夕方になるまで狩りを続けた結果、二人はレベルが2に上がった。無論、この間もイタチは周囲の仮想空間に異常が無いか、常に注意を払っていた。

 

 

 

「しっかし、何度見ても信じらんねえなぁ…ここがゲームの中だなんてよぉ…作った奴は天才だぜ。」

 

「全く同感だ…」

 

夕暮れの空を見上げながら呟いたクラインの言葉に、イタチは同意する。月読という精神世界を展開する忍術をもってしても、ここまで広大な仮想現実は再現できない。忍術に依らない、科学の力のみでそれを成し得ている現実が、イタチには未だに夢に思えていた。

そして同時に思い出す。この世界を創造した天才科学者、茅場晶彦のことを…

 

(あなたは今、一体何をしようとしているんだ…)

 

未だに拭い去れない、ゲーム開発者である茅場に感じた違和感。サービス開始から、今のところ何も無いことが、むしろ不気味に思えて仕方がなかった。だが、何かある筈だ。茅場の仮想世界創造の奥に秘された、それも巨大な何かが…

だが、考えても浮かばない以上、自分で動くほかに選択肢はない。気持ちを切り替え、クラインに今後の動向を聞く。

 

「さて、どうする?まだ狩りを続けるか?」

 

「ったりめえよ!…と言いたいところだがよ…」

 

威勢良く返事した若武者だったが、その直後…

 

「腹減ってよ…指定したピザの宅配も、そろそろ時間だからよ。」

 

「一度落ちるか。俺は構わない。」

 

「あ、んで、俺その後、他のゲームで知り合った奴等と落ち合う約束してるんだ。どうだ?あいつ等とも、フレンド登録しねえか?」

 

「そうだな…その時に頼もうか。」

 

「任せとけって!あと、そいつらのレクチャーもよろしく頼むぜ!」

 

「…さてはお前、俺をギルドに入れるつもりだな?」

 

「い、いやぁ…そんなつもりは無ぇけどよ…」

 

仲間とのフレンド登録を勧めた真意を推察したイタチの指摘に、クラインは動揺を浮かべる。やれやれとイタチは思いながらも、何をするべきかの行動指針も定まっていない現状では特に断る理由も無いと考える。ギルドへ入るかはさておき、メンバーへのレクチャーぐらいならやっても構わないかと思った。

 

「それはさておき、そろそろログアウトした方が良いんじゃないか?」

 

「おお、そうだった!早くしねえとピザが冷めちまうぜ!」

 

そう言うと、クラインは一歩退き、右手の人差指と中指をまっすぐ揃えて掲げ、真下に振る。これにより、鈴を鳴らすような効果音と共に、ゲームのメインメニュー・ウインドウが呼び出される。ログアウトボタンを押すべく、メニュータブの一番下に指を滑らせる。だが…

 

「あれっ?」

 

「どうした?」

 

「なんだこりゃ…ログアウトボタンがねえぞ?」

 

その一言に、イタチは訝しげな顔をする。午後一時にログインした直後、メニューを確認したが、ログアウトボタンは確かに存在していた筈だ。それが無くなっているだと?

 

「本当か?よく見てみろ。」

 

「んなこと言ったって…やっぱ無えよ!」

 

クラインの態度からして、嘘は言っていない。ならばと自分もメインメニューを開いてメニュータブの一番下にあるログアウトボタンを探してみると…

 

「無くなっている…な。」

 

相変わらずの無表情で呟くイタチ。だが、内心では大いに驚愕していた。ここに至って現れた異変――『ログアウトボタンの消滅』。ナーヴギアを装着し、フルダイブしている間は、装着者は自分の身体を一切動かせない。つまりそれが意味するところは…

 

「もしかして、俺達、出られなくなっちまったって、ことか?」

 

「…そういうことだ。」

 

ナーヴギアの使用マニュアルは一通り読んでいたが、緊急切断方法は書かれていなかった。内部からのログアウトが不可能となれば、この世界から脱出するには、このバグが直るか、現実世界で誰かが自分の頭にかぶさっているナーヴギアを外すかしかない。

 

「ただのバグじゃない。ログアウト不可能となれば、今後のゲーム運営にも関わる。現実世界に帰れない以上、何らかの損害を被るプレイヤーも出てくるはずだ。お前のピザのようにな。」

 

「………冷めたピッツァなんて粘らない納豆以下だぜ………」

 

意味不明の言葉を吐くクラインに目もくれず、イタチは一人考える。

 

(アーガスと言えば、ユーザー重視な姿勢が売りの会社だ。このような事態が起これば、一度サーバーを停止させてプレイヤーを全員強制的にログアウトさせる筈。しかし、未だその手の措置は取られず、運営のアナウンスがないというのは…!)

 

「運営」という言葉に、イタチはこのゲームを作った張本人、茅場晶彦を思い出す。そして、彼が言った言葉…「長年の夢」、「鋼鉄の城」、「仮想世界の想像」…

それらが、イタチの中でパズルのピースのように静かに組み合わさって行くのを感じる。茅場に感じていた違和感、そして彼が今何をしようとしているのかを、イタチは直感する。

 

「…まさか!」

 

そこまで考え至った途端、和人の思考は、リンゴーン、リンゴーンという鐘のような大ボリュームの音に遮られる。警鐘にも似たその音は、はじまりの街から響いているものだ。

 

「何だ!?」

 

イタチとクラインは二人同時にはじまりの街の方角へと向き直る。途端、二人の身体は鮮やかなブルーの光に包みこまれる。やがて光が治まったその場所からは、二人の姿は消えていた。

 




和人ことイタチの葛藤について加筆しました。自分の中のうちはイタチという人物は、非常に繊細で傷つきやすい心の持ち主なのです。一族の惨殺や、弟が里を潰すと言った時も、表には出さなかったけれども、きっと心はズタズタだったと思っています。そんなトラウマに苛まれているのだから、転生した世界で家族と向き合うことも、答えを探すことも簡単にはできないと思っています。そして、それらを誰にも打ち明けられず一人背負わねばならないのですから、無意識に逃げたくなることだってあると思います。
NARUTO原作で再不斬が言っていたように、忍も人間であり、道具にはなり切れないのです。それはイタチも例外ではなく、万華鏡写輪眼を手に入れたとしても克服できない弱さというものがあるというのが、自分の解釈です。

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