ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第六十九話 兄妹

 アルヴヘイムの央都、アルンにある高級レストラン。今現在、サスケとラン、リーファ、そしてユイの姿はそこにあった。サスケがスプリガン領主、エラルド・コイルに頼んだ援軍が到着するまでの時間潰しに、礼を兼ねて食事を御馳走するために誘ったのだった。

 

「…………」

 

 三人と一人が囲むテーブルの上には、豪勢な料理の数々が並べられている。上級プレイヤーですらなかなか味わえないような、アルヴヘイム屈指の美味が並ぶその様は、壮観の一言に尽きる。だが、食卓の席に着いている全員の顔は一様に暗く、場の空気は重々しい沈黙に満ちていた。

 本来ならば、目の前の食事を頬張りながらパーティーメンバー同士で冒険の話等で談笑しているのが普通のシチュエーションなのだろうが、誰一人食事に手を付けようとはしない。食欲をそそるような豪華な食事でさえも、喉を通る雰囲気ではなかった。

 

「……ねえ、サスケ君」

 

 そんな気まずい沈黙に耐えかね、最初に口を開いたのはリーファだった。話し掛けられたサスケは、食事の席に着いて以降ずっと腕を組んだまま全くと言っていい程動かなかった顔を、リーファの方へ向けた。

 

「どうした?」

 

「それはこっちの台詞だよ……一体、何があったの?」

 

 恐る恐る尋ねるリーファだったが、何のことを聞いているかは明確にしなかった。リーファとランが聞きたがっていることは他でもない。先程、世界樹の上空へ飛んだ場所で、ユイが障壁の向こうへ呼びかけ続けた結果、空から落ちてきたカードについてのことだろう。もしくは、カードの落とし主のことについてかもしれない。

対して、問われたサスケは相変わらずの無表情のままだったが、その実内心では僅かに驚きを抱いていた。先程の世界樹攻略に際しては、内心で抱えていた焦燥が僅かに露見していたが、今回は感情が表に出ないようにポーカーフェイスを貫いているつもりだったからだ。グランド・クエストへの挑戦後にユイを上空に展開されている障壁へ連れていったことや、肩に座っているユイの元気の無い表情から不信感を抱かれた可能性もある。だが、話し掛けてきた彼女の態度を見るに、どうやら自分が抱える焦燥や苦悩を悟って投げ掛けた問いなのだろう。予想外の目敏さを見せたリーファだったが、感覚的に察知したに過ぎないのだろう。追求される前に、サスケは適当にお茶を濁して答えることにした。

 

「別に……何でもない」

 

「……少しくらい、話してくれても良いんじゃない?」

 

素気なく答えたサスケを窘めるように、今度はランが口を開く。この場を包む気まずい空気は、主にサスケとリーファ、ユイの間に発生していた。ランに至っては、主にリーファとユイの様子が明らかにおかしかったことから、その場の空気に呑まれる形で動けなくなっていたのだった。ランとしても、この気まずい空気をどうにかしたいと思っていたのだが、ここはサスケと比較的親しいリーファが切り出すべきだと思って口を噤んでいたのだ。しかし、いざ尋ねたリーファへ対応したサスケの態度は、他人行儀でまるで心を開こうとしなかったため、あんまりだろうとランが口を挟んだのだった。

 

「本当に何も無い。それより、食べなくて良いのか?ここまで付き合ってくれたんだ。今日は礼も兼ねて俺が奢るぞ?」

 

「話を逸らさないで」

 

 話すことは無いとばかりに頑なな態度を取り続けるサスケに対し、リーファもまた意地でも事情を聞かせてもらうとばかりに退く気配は全く無かった。隣に座るランも同様である。

 

「サスケ君……あの時、世界樹の障壁まで飛んで行ったけれど……あれは何のためだったの?」

 

「あの時ユイちゃん、『ママ』って叫んでいたよね?サスケ君のことは『パパ』って呼んでいたけれど……『ママ』っていうのは誰のことなの?」

 

「…………」

 

 リーファとラン、二人揃ってサスケを尋問に近い形で問いを投げる。いつにも増して真剣な表情で追求する二人に、しかしサスケは心を閉ざした風で沈黙するばかりだった。表面上は二人の言葉など何ら意に介していないように見えるサスケだが、本気で心配してくれる二人の言葉を流し続けるのには心苦しく思っていた。

 

「パパ……」

 

 そんなサスケの内心を悟ったのだろう。ユイもまた、心配そうな表情でサスケを見上げてきた。プレイヤーの精神状態を管理するMHCPであるユイならば、言葉や表情に出さないサスケが心中に抱えている苦悩を察することは容易いに違いない。また、ユイの心中もサスケと同じなのだろう。母親として慕う明日奈が世界樹の上にいて、すぐそこにいる自分達は手も足も出ないこの状況が、もどかしくて仕方がない。だが、ユイが自分と同じ気持ちでいることを知ったところで、サスケにはどうすることもできない。忍としての前世をもつといっても、アルヴヘイム・オンラインというゲームにおいて権限できる権限は一般プレイヤーと何ら変わらないのだ。ユイですら立ち往生せざるを得ないこの状況を打開できる手段など持ってはいない。ユイもユイなりにサスケを慮っているのだろうが、この場合は逆効果である。互いに辛い思いをしていることを知ったことで、さらなる苦悩を抱くという悪循環が生まれる結果となってしまった。

パーティーメンバー二人と名義上の娘に板挟みにされて、なお一層居心地の悪くなるサスケだった。

 

「……二人とも、そのへんにしておけ。ユイが泣きそうだ」

 

「分かった……」

 

「……そうね」

 

 流石のサスケも居た堪れなくなったのだろう。ユイを出しに使うのは甚だ不本意だったが、かつて無い程に真剣な表情で詰め寄る二人の追求を免れる方法は他に思い付かなかった。流石の二人も、今にも泣き出しそうな妖精の少女を前に、仲間同士が言い争う姿を見せたくなかったのだろう。サスケの言葉に頷き、一応の追求は控えてくれた。

 

「さあ、早く食べよう。いい加減、いつまでもここにいるわけにはいかない」

 

「ええ……」

 

 NPCレストランの皿の上に乗せられた料理に関しては、持ち歩き出来るタイプの食糧アイテムとは違い、時間と共に耐久値が減少することは無い。だが、多くのプレイヤーが集まる央都であるアルンの、それも有名レストランの席一つを長時間占拠するのはマナー違反だろう。サスケに促されたリーファとラン、そして肩に乗るユイは、ナイフやフォーク、スプーンを手に各々料理を口に運ぶのだった。

 

「美味しい……」

 

 リーファがふと呟いた。確かに美味しい料理だが、その表情に笑みは無く……食事が終わるまで重い空気は続いたままだった。

 

 

 

 

 

 食事を終えて店を出た三人だったが、先程の気まずい空気は未だ続いていた。アルンまで同行してくれた礼をした以上、他にすることが無いサスケは、この後どうしたものかと考えていた。世界樹関連の情報については徹底して黙秘することに決めていたが、リーファとランはどうあっても聞きたいらしい。

 サスケが秘匿している事情が、サスケ個人のプライバシーやリアルに関する問題だったならば、MMORPGのマナー違反に抵触するため、二人もここまで頑なに聞こうとはしなかっただろう。だが、今サスケが秘密にしている事情は、このALOの、それも世界樹のグランド・クエストに関連していることは明らかなのだ。その攻略にこれから協力をする以上、二人にはサスケに対して説明を要求する権利がある。それに、本心はグランド・クエストとの関連よりもサスケのことが心配という部分が大きい。

 

(……やはり、ここが潮時か)

 

 パーティーを組んでいる以上は、秘匿事項を話すことを要求されることは必然。だが、SAO未帰還者の解放が掛かっていることもあり、みだらに口外して良い筈が無い。さらに、話事態が仲間でも信じてもらえるか怪しい話である――尤も、サスケを信頼してくれているリーファとランならば、信じてくれる可能性の方が大きいが。しかし、悪く行けば信頼の崩壊に至ることもある。どちらにしても、話せないことに変わりない。ならば、取れる手段は限られてくる。

 

「サスケ君……」

 

 アルンの街並みを歩くことしばらく。リーファが再び、サスケに声を掛けてきた。用件は恐らく、食事の時と同じく、サスケが隠している秘密についてなのだろう。果たして、口を開いて発した問いは、予想通りのものだった。

 

「本当に、何も教えてくれないの?」

 

「くどいぞ。俺は何も後ろめたい秘密など持っていない」

 

 先程よりも冷淡に告げるサスケに、リーファはむっとなる。自分達はただサスケのことを心配して気を遣っているというのに、どうしてこれ程までに隔意を持たれねばならないのか。それと同時に、いくら話し掛けても悩みを打ち明けてくれないことに悲しさを感じていた。

 

「どうしても話せないの?」

 

「同じことを言わせるな。これ以上追求するのなら――――パーティーは解消させてもらう」

 

「サスケ君っ!」

 

「パパ……!」

 

 これがサスケの最終手段だった。仲間にも言えない、信じてもらえるかも分からない悩みを抱えている以上、彼女等と自分との関わりを断ち切るしかない。短い間とはいえ、今まで付き添ってきた仲間の想いを無碍にしてまで守るべき秘密など存在するのか。サスケ自身も疑問ではあったが、その想いを今ここで振り切ることにした。

 

「…………それが、サスケ君の答えなのね?」

 

「ああ」

 

 サスケの言葉を聞いていたリーファは、確認するように問いかけた。対するサスケは、何でもない風に首肯する。流石にこれ以上は見ていられなくなったのか、ランが前に出てサスケを窘めようとするが、その歩みはリーファの手によって制された。

 

「……なら、あたしにも考えがあるわ」

 

「?」

 

 パーティーを解散してでも秘密を口外する気は無いという意思を示されて尚、リーファに諦めた様子は無かった。その瞳に宿していたのは、怒りの炎と覚悟の光。次の瞬間には、腰に挿していた長剣を引き抜き、切っ先をサスケへ向けていた。

 

「サスケ君、あたしと勝負よ。あなたが勝ったら、もう詮索はしない。あたしが勝ったら、あたしやランさんに隠している秘密について話してもらうわ」

 

 リーファから一方的に告げられた宣戦布告と勝敗の条件に、流石のサスケも軽く目を見開いた。だが、然程驚いてはいない。こんなやりとりはアインクラッドでもあったからだ。

 

(……あの時のリズベットさんと同じ、か)

 

 SAO事件当時、明日奈が用意した剣を断ったことがきっかけで、剣を鍛えた鍛冶師とデュエルをする羽目になったことがある。VRワールドにある女性というものは、己の意思を貫くためならば強硬な手段も辞さないらしい。現実世界では暴力的な手段としか認識されない手段だからこそ、剣で語るのが常のVRMMOで取りたがるとも考えられる。

 ともあれ、今サスケが向かい合っている相手はリーファである。自身に剣を突きつけている彼女に対処せねばならない。

 

「何故、俺にそこまでこだわる?所詮行き連れのパーティーだ。デスペナのリスクを負ってまで真意を聞く必要などあるまい」

 

「必要とか、そういう話じゃないのよ。これはあたしなりの筋の通し方なの。それに、あたしが負けるのを前提で考えるのはやめてくれない?」

 

 リーファとて、サスケとの実力差は理解している筈だ。そもそも、勝つかどうかは問題ではないのだろう。リーファがサスケにデュエルを申し込んだ理由は、剣を交えて互いを理解することにあるのだろうとサスケは思った。それに、譬え負けると分かっていても、リーファもただで終わるつもりは毛頭無いらしい。

自分の意志を貫き通すためなら、デスペナなど安いもの。自分なりの筋を通すためならば、負け戦など問題ではないのだ。サスケの真意を確かめるまでは一歩も退かない。リーファの瞳には、そんな強い意志が宿っていた。

 

「……どうしてもやるのか?」

 

「やってもらうわ。まさか、このまま逃げに走るなんてことはしないでしょうね?」

 

 意地でも逃がさないとばかりにサスケに迫るリーファの目は、明らかに本気である。真実を語れない以上、パーティーとしてここまで同行してくれたリーファの想いには、別の形で報いなければならない。リーファが言葉の代わりにデュエルを望むのならば、サスケとしても逃げるわけにはいかない。

 

(一流の忍同士は、拳を交えただけで互いの心の内が分かる……この世界でも、同じことが言えるのかもしれんな……)

 

 サスケの前世たるうちはイタチは、強力な忍には違いなかっただろうが、弟を復讐鬼にしてしまったことをはじめ多くの失敗を犯した点で、一流の忍と言えるか疑問に思うことも多くある。

 だが、それは飽く迄前世の話。現世たる今、問題となっているのは剣士としての器である。仮想世界とはいえ、サスケもリーファも剣技は最高と呼べるレベルに達していることは間違いない。だが、それも技巧の話でしかない。サスケの場合はSAOと同じく、職種は剣士(SAOにジョブシステムは無い)で心は前世の忍なのだ。前世の忍世界では、忍の前身は侍だと言われているが、戦闘者としての心得には多かれ少なかれ違いがある。一方のリーファは、心は間違いなく生粋の剣士だろうとサスケは考えている。現実世界の運動能力が大きく反映されるALOにおいて、シルフ五傑に数えられるだけの実力を発揮できるのだ。動きに剣道の基本動作が混じっていることから見ても、現実世界でも剣道をしていることは明らかである。

 そこまで考えたところで、サスケの中でふと気になることが発生した。

 

(何故だ?……リーファの動きが、どこかで見たことがあるような……)

 

 意識した途端に気になりだした、リーファの動作への既視感。ここに至るまで空中戦ばかりで、地上戦も乱戦ばかりで碌に注目することが無かったため、太刀筋が剣道に似ているとだけしか思わなかった。だが、こうして地上で相対してみると、その構えにどこかで見たことがあるかのような感覚を覚える。

 

(あの構え……前に見たことがある気が…………?)

 

 一方のリーファもまた、自分と相対するサスケに対して既視感にも似た感覚を覚えていた。当初はスプリガンが放ったスパイとしか見ておらず、レプラコーン領産の高級装備に身を固めたプレイヤーでもあったので、スプリガン内部での地位について注目するばかりだった。剣技に関しても、真剣に向き合ったのはこれが初めてなのだ。構えなど気にも留めなかった。だが今、デュエルを前にその姿が以前に見たことがあるのでは、と疑問に思っていた。

 

(リーファ、お前は…………)

 

(サスケ君、あなたは…………)

 

 互いに互いの正体を記憶の中から呼び起こそうとするサスケとリーファ。だが、いくら思い返しても分からない。一体、目の前で対峙している人物は誰なのか……

 

(駄目。そんなこと考えている場合じゃない)

 

 今はデュエルをする時だ。余計なことを考えている暇など無い。今集中すべきは目の前の勝負なのだ。リーファは心の中でそう自分に言い聞かせると、頭の中で渦巻く迷いを振り払うように開始の宣言を口にする。

 

「サスケ君、準備は良いわね?」

 

「……ああ」

 

 リーファの方から決闘開始の宣告によって、サスケもまた記憶を探るのを中断して勝負に集中する。高レベルのプレイヤー同士の戦いにおいて、思考を別のことに割いて戦闘に及ぶなど自殺行為に等しい。それは、サスケがリーファを名実ともに最高クラスの剣士と認めているが故の思考だった。それに、太刀筋に覚えがあるのならば、実際に剣を交えれば分かる筈。

 互いに気持ちを切り替え、互いに剣を構えて臨戦態勢に入る。

 

「……行くよ!」

 

「来い……!」

 

 短い言葉と共に、戦いの火蓋は切って落とされた。先に動いたのは、リーファだった。翅を広げながらの一足飛びで、一気に間合いを詰めての一振り。加速機能を持つ妖精の翅は、地上戦においても高い戦闘能力を発揮する。リーファ自身が敏捷性の高いプレイヤーであることに加え、翅による加速が加わった状態で放つ斬撃は、後手に回って反応できるものではない。

 

「ふっ!」

 

 だが、それも普通のプレイヤーならばの話。常人離れした動体視力と反応速度を備えたサスケでは、どれだけ速くても正面からの攻撃である以上受け損なうことなど有り得ない。無理の無い態勢で難なく刃を受け止める。

 

「くっ……!」

 

リーファとて正面からの馬鹿正直な一撃がサスケに入るという甘い展望は抱いていない。刃の接触によって生まれた反動を利用し、後ろへ跳んで間合いを再度取ろうとする。

 

「甘い……」

 

「!」

 

 だが、サスケはそれを許さない。衝突時に刃を振り抜くことで衝撃を殺し、飛び退くリーファへ追撃を仕掛けて鍔迫り合いに持ち込む。

 

「くっ……ぉぉおおお!」

 

「はぁあああっ!」

 

 態勢を立て直す余裕すら与えないサスケの猛攻がリーファを襲う。目にも止まらぬ速度で繰り出される連撃は、リーファの動きの中に生じるガードの穴を的確に突き、反撃の隙を一切与えない。

 

「やぁぁあああ!」

 

 防戦一方に追いやられる状況に危機を覚えたリーファが、先程より激しく攻勢に出る。このまま受けに回れば、一方的な斬撃に晒され続けてHP全損に陥ることは間違いない。状況を打開するためには、行動を守りから攻めへと切り替える以外に手は無い。

 傍から見れば、早々に追い詰められて満身創痍になった末に取った暴挙に等しい行動だが、実際にリーファが取れる手段はこれ以外に存在しない。それに、サスケに守勢に回らせたところで、今度は攻撃全てを往なされてカウンターを入れられる危険性が高まるだけである。

 

「それで俺が倒せるとでも思っているのか?」

 

「悪いけど、あたしにはこれしかないのよ!」

 

サスケの勝負はもう着いているとでも言いたげな言葉に、リーファは反発する。自分の取った行動が暴挙に等しいことは、リーファ自身も承知している。今現在、防御に入っているサスケだが、リーファの太刀筋の中に生じる隙をいつでも突ける状態なのだ。もとより、サスケとの間には覆し難い実力差があることはデュエル以前に承知している。だが、リーファとて諦めるつもりは毛頭無い。

 

「せぇぇえええい!」

 

「ふっ……!」

 

 リーファの繰り出す渾身の一撃。だが、サスケにはかすりもしない。軽快なステップで放たれた一撃を回避すると、カウンターとしてその脳天へと刃を振り下ろす。

 

「!」

 

 大振りを繰り出した後の、反応できないタイミングで繰り出された一撃。額へ迫る刃を前に、回避し切れないと分かったリーファは、衝撃に備えて目を瞑る。だが、いつまでたっても、刃が身体を引き裂く痛みなき感覚は来なかった。

 

「え……?」

 

 疑問に思って恐る恐る目を開くリーファ。するとそこには、先程まで迫っていたサスケの刃が前髪に触れる程の距離で静止していた。

 

「勝負は着いた。約束通り、これ以上の詮索は止めてもらおう」

 

「…………」

 

 腰に差した鞘へと剣を納め、リーファに背を向けるサスケ。対するリーファは、握っていた剣を手から地面へ落とし、膝をついてその場に座り込んでしまった。

 勝負の行方は最初から分かっていたようなものだが、これ程までに圧倒的に叩き伏せられるとは予想していなかった。思い上がるつもりはないが、シルフ五傑と呼ばれていただけの実力あるプレイヤーとしての矜持は確かにあった。自ら挑んだとはいえ、それを打ち砕かれたのだから、ショックは半端なものではないことは間違いない。

 

「……やっぱり、サスケ君は強いんだね」

 

「リーファちゃん……」

 

 暗い表情のまま言葉を紡ぐリーファを放置するわけにはいかないと考えたランは、即座に駆け寄り、宥めようとする。だが、リーファは落ち着く様子はなかった。自嘲の色を濃くした声色で、語気を粗くして続ける。

 

「そんなに強かったなら……あたし達なんて、最初から必要無かったよね……」

 

「……そんなことは無い。右も左も分からないアルヴヘイムの中で、アルンに辿り着けたのはリーファとランのお陰だと思って」

 

「嘘よ!!」

 

 自分を卑下するリーファの言葉を否定するサスケだったが、リーファの怒気を孕んだ叫びにかき消されてしまった。癇癪を起したように怒鳴ったリーファに、サスケもランも驚いた様子だった。サスケの表情にはほとんど変化が見られなかったが内心はランと全く同じである。

 

「だったら何で、一人で背負いこもうとするのよ!?あたし達が力不足だから……頼りないから以外に、どんな理由があるっていうのよ!?」

 

「リーファちゃん、落ち着こう。ね?」

 

 感情を爆発させるリーファを必死に宥めようとするラン。だが、一度火が点いた激情は簡単には止まらない。

傍から聞けば、リーファがサスケに言っていることは理不尽そのものである。だが、事情を鑑みればリーファもまた理不尽な想いをしていることは明らかなのだ。地面から立ち上がると、暴走するに任せてサスケへさらに詰め寄る。

 

「そりゃ、サスケ君にはあたしもランさんも全然敵わないけど……いろんなことを分かち合うための仲間じゃない!!サスケ君がどんな悩みを抱えているか知らないけど、一緒なら解決できるかもしれない……けど、言ってくれなきゃ何も分からないじゃない!!」

 

「…………」

 

 極めて一方的なリーファの物言いに、しかしサスケは嫌な顔を全くせずに聞き入っていた。右から左へ流すというわけではなく、彼女の言葉に込められた激情をも受け止めている様子だった。ランの歯止めも利かず、リーファの感情はヒートアップしていくばかりである。

 

「そうやって格好付けて……あたし達が心配しないとでも思ってるわけ!?冗談じゃないわよ!!確かにあたし達は成り行きのパーティーかもしれかったけど……それでも、この旅の中で信じ合えたと思っていた!なのに……なのに!」

 

 終いには、目に涙まで浮かべて怒鳴り散らすリーファに、サスケはますます居た堪れなくなった。ランも最早止められないと目を瞑るばかりだった。ランの制止を振り切ったリーファは、地面から勢いよく立ち上がるとサスケの服を掴んで勢いよく揺さぶりかける。

 

「こんなに力になりたいって言ってるのに、どうしてこの手を振り払おうとするのよ!?仲間だから迷惑かけたくないとか思っているなら、そんな気遣い要らないわよ!!仲間だから迷惑かけて良いんじゃない!!」

 

「大体、いつもいつも黙ってばかりで、何考えてるのか全然分かんないのよっ!!腹に溜めこまれる方はどれだけ嫌な思いをしているか考えたことあるの!?」

 

「一人で抱え込んで突っ走って……仲間とか言っておきながら、あたしは完全に蚊帳の外じゃない!!中途半端に友達扱いされる方が、逆に頭にくるのよ!!」

 

「何も言わずに行くなんて……そんなの、嫌よ……絶対に嫌!!あたしも一緒にいるのに……ここにいるのに…………なんで一人で行っちゃうのよ!!」

 

 

 

 

 

お兄ちゃんっ――――!!

 

 

 

 

 

「!」

 

「……え?」

 

 感情が昂るままに口走った何気ない一言。それは、服を掴んで揺さぶるサスケのことを指し示す言葉だったことは間違いない。口にしたのはリーファだが、彼女自身も自分が何を言ったのか理解できない。しかし、何故サスケにそんなことを言ったのか……思い当たる節はある。サスケの雰囲気や態度、自分のことを極端に話したがらないその性格が、自分のよく知る人物に酷似していたからだ。

 

(まさか……そんな……)

 

 激情に触発されて口走った言葉だったが、意識し始めるとその認識が頭から離れなくなる。性格や雰囲気だけではない。偶然と考えるには、剣の構え方に始まり、リーファのよく知る人物との共通点が多すぎる。そして、その正体が『彼』だったならば、このALOにおいて最強と目されるユージーン将軍を倒す程の強大な戦闘能力についても全て説明がつく。何せリーファの知る人物は、ALOと同じゲームをクリアへ導いた『英雄』なのだから――――

 俯けていた顔を上げてサスケの方を見るリーファ。その目は大きく見開かれ、驚いている様子だった。どうやら、考えていることは自分と同じらしい。リーファはそう直感した。その事実を確かめるように、リーファは唇を震わせながらようやく言葉を紡いだ。

 

「お兄ちゃん……なの?」

 

 リーファの消え入りそうな呟きに、サスケはさらに目を見開き驚愕を露わにしていた。思わず後退り、こちらも辛うじて口を開いて言葉を発する。

 

「直葉……お前、なのか?」

 

 互いが互いに抱いていた既視感の正体が、パズルのピースが組み合わさるように解けていく。現実世界の兄妹同士だったならば、互いの性格や態度に覚えがあっても不思議ではない。ましてや、毎日剣道の稽古をしているのだから、剣の基本動作に見覚えがあるのは当然と言える。

 だが、互いの正体を知った今では、そんなことは最早どうでもいい。重要なのは、“何故”目の前の人物がこのような場所にいるのか、なのだから。ともかく、サスケ――和人は、リーファ――直葉に状況を整理すべくALOをプレイしている経緯について確認しようとする。

 

「……直葉、お前」

 

 だが、リーファへ事の次第を訊ねるための問いかけは、顔を俯けたリーファによって遮られた。言葉の代わりに響き渡る、乾いた音。リーファの平手打ちが、サスケの頬を打ったのだ。予想外の……否、ある意味予想できていたリーファの行動に、サスケは一瞬の驚愕の後すぐにいつもの無表情へ戻り、リーファの顔を見つめる。

 

「……何で叩かれたのか、分かるわよね?」

 

「…………」

 

 底冷えするような瞳でサスケを睨みつけるリーファ。その目には、怒りに加えて悲しみの色に染まっている。

 

「……勝手にナーヴギアを使ってダイブしたことについては、軽率だったと思う。必要な事情があったとはいえ、お前や母さんに一声かけるべきだった。すまない」

 

「それだけ?」

 

 SAO事件で散々心配をかけた身でありながら、家族に黙ってナーヴギアを使用したことを詫びるサスケ。だが、直葉の怒りは治まらない。どうやら、サスケの犯した危険行為以外にも、リーファが怒っていることがあるようだ。据わった目で自分を見つめるリーファの姿に、サスケは内心で僅かに慄いていた。

 

「ナーヴギアを使ったことは勿論だけど、あたしが怒っているのはそれだけじゃないわよ」

 

 そう前置きをすると、リーファはギリと苛立ちを露に歯ぎしりさせると、怒気を孕んだ鋭い瞳で実の兄たるサスケを睨みつけ、サスケに掴みかかる。

 

「何であたしに何も言わずに、一人で行っちゃったのよ!!どうしていつもあたしを置いて行くのよ!!」

 

 先程以上に感情を露にした瞳と怒声で激情をぶつけてくるリーファを前に、サスケは口を開けず身動きすら取れない。

 

「こんなに近くに居たのに……ここに居るのに…………どうしてあたしを置いて行こうとするのよっ!」

 

 言葉に込められた感情が、『怒り』から『悲しみ』へとシフトしていく。涙を流しながら言葉を紡ぐリーファの様子に、サスケは自分の行動がどれだけ妹を傷つけていたのかを思い知らされる。対するリーファは、暴れ出した感情を抑えられず、遂に秘めていた自身と兄との真の関係を口走ってしまう。

 

「やっぱり……お兄ちゃんは、あたしのことを本当の妹だって思っていない……だからこんな風に人の気持ちを無視した行動ができるんじゃないっ……!」

 

「直葉……?」

 

「あたし、もう知ってるんだよ。あたしとお兄ちゃんが……本当の兄妹じゃないってこと!」

 

 リーファの口から出た予想外の言葉に、サスケの瞳がさらなる驚愕に染まる。だが、改めて考えてみれば然程不思議なことでもない。サスケこと和人がいつ命を落としてもおかしくない状況下に置かれていた以上、母親である翠が直葉にサスケの真実を告げていてもおかしくない。自分が不在の間に起こった状況の変化について瞬時に思考を走らせたサスケに、リーファからさらなる追い打ちがかけられる。

 

「あたし……お兄ちゃんがSAOから帰って来てくれて、本当に嬉しかった!現実世界に帰ってきたら、本当の関係を打ち明けて……それで、本当の家族になりたいと思った!!けど、お兄ちゃんはここにいるのに、その心はSAOの中に置き去りのままで……結局、またあたしを放って仮想世界に行くなんて……あたし達のことなんて、どうでもいいんじゃない!!」

 

「リーファちゃん、それ以上は……」

 

「本当の家族になりたいなんて思っているのはあたしだけで……お兄ちゃんにとってはあたしのことなんて、血の繋がっていない妹で……赤の他人としか思っていないんじゃない!!」

 

「リーファちゃん!!」

 

 これ以上は続けさせてはいけない。そう思ったランは、マナー違反を承知でリアル事情を話す二人の会話へ介入を決意した。彼女自身も現実世界で両親が喧嘩の末に別居したという経緯があるため、目の前ですれ違う兄妹を放置できなかったのだ。

 ランの制止により、若干の落ち着きを取り戻したリーファは、はっとなってサスケの顔を見上げた。その赤い瞳には、深い悲しみが浮かんでいた。その泣きそうな……否、心の中では泣いていることは明らかであろう表情を見て、先程までの激情はどこへやら。深い後悔が押し寄せてきた。同時に、このような表情にしたのは、他でもない自分の言葉なのだと……その現実を突きつけられた思いだった。

 

「……っ!」

 

「リーファちゃん、待って!」

 

 最愛の兄を傷付けた。その現実に耐えられなくなったリーファは、その場にいることができなくなった。サスケとランのいる場所から全速力で走り去って行った。

 

(お兄ちゃん……あたし……あたし…………!!)

 

 サスケやランの姿が見えなくなるまで、只管に走るリーファ。目の前の人物から逃げようとしても、罪が追い掛けてくる。どれだけ駆けても逃れられない事実が、リーファの心を押し潰す。

 多くの人で賑わうアルンの街を駆けるリーファの走った軌跡で、流した涙が太陽の光を反射して煌めいていた――――

 


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