ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

72 / 158
第七十話 絆

 アルヴヘイム央都・アルンの一角にある広場。普段人気の無いその場所で、二人の男女が立ち尽くしていた。片や全身黒づくめのレプラコーン領謹製ブランド装備に身を固めたスプリガンの少年、サスケ。片やシルフ五傑としてシルフ領の有名プレイヤー、ラン。呆然とその場に立ち尽くす二人は、顔を合わせることも言葉を交わすこともしない。理由は、先程までここに居た人物、ランと同じくシルフ五傑と呼ばれた剣士、リーファが居なくなったことに由来する。

 気まずい空気がその場を満たす。そんな沈黙を破る小さな存在が、ふと飛び出した。

 

「パパ。リーファさんを追い掛けなくて、良いんですか?」

 

「…………追いかけても、どう声を掛ければいいのか分からなくてな」

 

 サスケの本心である。現実世界で兄妹だった二人が、実は本当の兄妹ではないという事実をカミングアウトしただけでなく、今まで溜めこんでいた物をリーファの方から一方的に吐き出した末に互いの関係が滅茶苦茶になるという結果に至ったのがつい五分ほど前の話である。

直葉をはじめとした家族との距離を曖昧にしたツケが、こんな形で返ってくるとは予想外だった。妹である直葉を蔑にしてしまった末に、傷つけてしまった。その咎を突きつけられ、サスケは自分がこれからどうすれば良いのかまるで分からない。

 

(これも前世の焼き直し……か)

 

 弟を護るべき対象としてしか見ず、そのために他の全てを犠牲するという、一方的な愛情とも呼べる行為の末に復讐鬼にしてしまった前世があった。そして現世では、義兄・義妹という複雑な関係の上で和解するために向き合うべきだった妹を放置した末に傷つけてしまうという失態を犯す始末。前世と現世で同じすれ違いを起こす失敗を我ながらこの上なく無様なものだと、自嘲の笑みが零れそうになる程だった。

 

「……サスケ君」

 

 ユイの言葉にも答えられずその場に立ち尽くすばかりだったサスケに新たに声を掛けたのは、少し離れた場所に立っていたシルフの女性プレイヤー、ランだった。走り去ったリーファもそうだが、残されたサスケのことも気にかけてくれているのだろう。その表情は心配そうにしていた。

 

「……ラン、リーファが直葉だったということは、今日病院で会った毛利蘭がお前か」

 

「うん。プレイヤーネームをリアルと同じにする人なんてほとんどいないから、余計に予想外だったかな?……和人君」

 

 そう言って苦笑するランだった。ちなみに、SAOで知り合ったプレイヤーのほとんどは、帰還後にリアルと同名だったと分かった人間が思いの他多かったとサスケは思い出す。何故か自分の周りには、リアルの名前そのままにする人間が多くいることを改めて不思議に思うが、今はそんなことはどうでもいい。

 

「それより……リーファちゃん……直葉ちゃんがALOを始めた理由、分かるわよね?」

 

「ああ……」

 

 ランから確認するように投げられた問いに、サスケは首肯した。ゲーム嫌いだったリーファこと直葉が、VRMMORPGのALOを始めた理由となれば、一つしか思いつかない。仮想世界の魅力に半ばとり憑かれたような状態にあった兄、和人のことを理解するためだろう。SAO事件勃発後に始めたことから考えても、間違いない。現実世界から……直葉のいる世界から遠退いていく兄の影を追い掛けて、自らも仮想世界に飛び込んだのだ。

 今まで碌にゲームなどしたことがなく、パソコンが苦手だった直葉が、だ。「家族になりたい」……リーファはそのためだけに、生きて帰れるか分からない場所へ行った兄が帰って来た時、同じ世界を共有できるように努力していたのだ。サスケは、自分がどれ程妹に想われていたかを思い知らされた気分だった。

 

「うん。直葉ちゃんは、あなたの話になると、いつも嬉しそうだったわ。剣道が強くて、勉強もできて、無愛想だけと本当はとても優しくて……自慢のお兄ちゃんだってね」

 

「……そうか」

 

「だから、もっと一緒にいられるように……あなたと本当の家族になれるようにって、今まで頑張ってきたんだよ」

 

「……」

 

 自分が不在の間のリーファの話を聞かされる度、ちくりちくりと心が痛むような感覚を覚えた。だが、この程度の痛みは甘んじて受けねばなるまい。

 

「和人君。直葉ちゃんのこと、どう思っているの?本当の妹じゃないっていう関係は私も聞いているけれど……それでも、今まで一緒だったんでしょう?」

 

「……勘違いしないでくれ。俺だって、あいつのことを赤の他人と思ったことは一度も無い」

 

「だったら……」

 

「だが、俺はあいつに嘘を吐いてきた。俺のことを純粋に『兄』と呼んでくれることに甘え……本当のことを言おうとしなかった。家族になりたいと思いながらも、関係が壊れることを恐れて向き合うことをしなかった。直葉を信じ切れず、俺は歩み寄ろうとする妹を裏切ったんだ……」

 

 直葉と長い間一緒に暮らしていた和人には、自分が本当の兄ではないことを知ったとしても、直葉の心に何ら変化が起こることなど無いことは分かっていた。だが、実の弟を復讐鬼にしてしまった前世を持つ和人には、そのトラウマ故に妹へどう接すれば良いのか分からず……その距離感が曖昧だった。愛ゆえに滅びの道を歩んだうちはの魂を持つ自分が、本当に直葉を愛して良いのか……それが許されるのか。

 葛藤を抱え続けていた和人だったが、その答えが出る前に、仮想世界へ誘われるままに現実世界を離れ、二年もの間デスゲームの牢獄へと囚われる結果となってしまった。

生きて帰ることができたならば、今度こそ向き合おうと思っていた。自分を兄と呼んでくれる義妹や、自分が前世から抱え続けている前世の葛藤など、あらゆるものと。だが、現実世界へ帰って来た和人を待っていたのは、未帰還者三百名という衝撃の事実だった。そして、再び仮想世界へ飛び込んだのだ。SAO事件の時と同様、妹である直葉を置き去りにして……

 

「……直葉ちゃんは、あなたに裏切られたなんてちっとも思ってないわ。あなたさえその気になれば、分かり合える筈よ」

 

「だが、俺には……」

 

 直葉の心を大きく傷付けたという事実に、かける言葉すら見つからない。あらゆる葛藤を自分一人で抱え込み、妹を蔑にし続けた自分には、今更向かい合う資格があるのかとすら思う。

 そんな和人――サスケの苦悩を悟った蘭――ランが口を開いた。その瞳には、過去を懐かしんでいるかのような光が見て取れた。

 

「サスケ君。新一を……コナンを知っているって言っていたわよね?」

 

「?……ああ。俺と同じ、攻略組プレイヤーだったからな」

 

「攻略組ってことは、かなり強かったってことよね。どうしてそんなに強かったか、分かる?」

 

 突然何を言い出すのかと思ったサスケだが、彼女が指摘した血盟騎士団の細剣使い、コナンの強さには確かに思うところがあった。デスゲーム開始当初、後の攻略組プレイヤーとなった猛者達でさえ積極的に戦うことを躊躇っていた中で、コナンだけは逸早く仮想世界という環境に適応して前線に出ていた。その適応力は、『月読』という仮想世界の幻術世界を体感した前世を持つサスケに迫るものがあった。ランの口ぶりから察するに、どうやら彼女はコナンが仮想世界において発揮した強さの所以を知っている様子だった。

 

「私達はね……前に仮想世界を舞台にしたゲームに参加したことがあるのよ……」

 

「……SAOより前の仮想世界のゲーム……まさかお前達は、『C生還者(コクーンサバイバー)』なのか?」

 

「ネットではそう呼ばれているみたいだけどね」

 

 先程のリーファの正体が直葉だと分かった時程ではないが、目を見開いて軽く驚いた様子で投げられたサスケの問いに、ランは静かに頷いた。

 

『C生還者(コクーンサバイバー)』とは、ナーヴギアの前身とも呼べる、VRマシン『コクーン』を舞台に起こった大量殺人未遂事件を生き残った人間を指すネット用語である。この事件自体は九年前に発生したもので、巻き込まれた被害者の数こそ五十名と多かったものの、死傷者はゼロで済んだことに加え、同日に起きたマシンの開発社社長が起こした殺人事件の衝撃が大きかったことから年月によって風化されていったのだった。だが、SAO事件の勃発によって、過去に起きたVRマシン絡みの事件として注目を浴びるようになったのだ。そして、ゲームの生存者はVRマシンの名前に準えて『C生還者(コクーンサバイバー)』と呼ばれていた。

 

(成程……VRマシンを体験した経験があったのならば、コナンが発揮したあの戦闘能力も頷ける)

 

 VRワールドは、和人のような特殊な事情を抱えた人間でない限りは、そう簡単には適応できない。だが、忍世界ではない現世においても、和人に似た例外は存在する。それは、SAO以前におけるVRマシンのゲームを体感し、これをクリアした経験を持つプレイヤーである。たった一度のダイブでも、生来の仮想世界への適正次第では、プレイ時間やブランクの長さに関わらず仮想世界へ早期に適応し、フロントランナーから攻略組の仲間入りをすることができる程の戦闘能力を発揮することができるのだ。コナンはまさにその例外に該当するプレイヤーであり、コクーンというVRマシンのゲームをプレイし、これをクリアしたこと経験が所以だったのだろう。ともあれ、ベータテスターではない筈のコナンがスタートダッシュで抽んでた実力をもって、最前線で活躍できるに至った理由は納得できた。

 

「何とかあの時は無事で済んだんだけど……かなりギリギリだったからね。新一がまたVRゲームをやるとか言いだしたものだから、私は反対して……それで、喧嘩になったのよ」

 

「……そうか」

 

「それでまた、死ぬか生きるかのデスゲームになったんだもの……本当に、気が気じゃなかったわ」

 

「だが、それでもお前はこうしてALOに飛び込んだ」

 

 ランの独白の中に垣間見える、VRゲームに対する嫌悪にも似た感情を、しかしサスケは否定した。サスケやコナンを二年もの間閉じ込め続けたゲームがVRMMOならば、ランがリーファ達と今こうしてプレイしているALOもまたVRMMOなのだ。VRゲームを憎むべき対象としての対象以外のものとして見ているのは間違いない。

 

「そうね……自分でも、まだ分からないわ。VRゲームが恐いって思うこともあるけれど……それでも、知りたいと思ったの。新一がどうして、あんな目に遭っても尚、この世界へ来ようと思ったのかをね」

 

「……そうか」

 

 ランの言葉を聞く中で、自分もコナンも考え方は違っても、仮想世界への強い想い入れがあったからこそSAOで共に戦うことができたのだと思った。サスケが朧に危険を察知することができたのは正式サービス開始日のみだったが、コナンはコクーンの一件でVRマシンの危険性を嫌というほど思い知った筈。にも拘わらず、ナーヴギアを恐れることなく仮想世界へ飛び込んだ上、攻略組として戦い続けられたことがその証拠なのだ。

 

「ただ、今ならこうも思うわ。あの時、反対したのは仕方なかったとしても、一人で飛び込む新一を放っておかないで、私も一緒にSAOに行っていたなら、ってね」

 

「確かに……コナンも十二分の実力を発揮していたんだ。お前も飛び込んでいたのなら、間違いなく攻略組になっていただろうな」

 

「そう言ってもらえると嬉しいわ。けれど、私は結局新一の傍にいることができなくて……現実世界で待つ側になった。新一が生きるか死ぬかの戦いに挑んでいるっていうのに、私だけは安全圏にいて……なんて無力なんだろうって思ったわ」

 

「…………」

 

 ランが語っているのは、SAO事件当時に彼女が抱いていた感情なのだろうが、これはリーファの感情でもあるのだとサスケは悟った。自分とコナン、仮想世界に親しい人間を囚われた身の上の二人だったからこそ、悲しみや痛みを分かち合えたのだ。

 

「だから……どんなに危険でも、一緒にいたいと思った。もう一度帰ってきてくれたなら、その手を絶対に離しちゃいけないって……そう思ったの。リーファちゃんだって、あなたのことが大切で……だからあんなに怒っていたのよ。あの子は、あなたのことが大好きだから……だから、行ってあげて」

 

「ラン……」

 

「リーファちゃんは、あなたと剣で語り合おうとしたけれど……やっぱり言葉に表さなくちゃ伝わらないことはあるわ。あなたが本当の兄妹に……家族になりたいと思っているなら、今がその時よ。行ってあげて」

 

 サスケと、今はここにいないリーファへと向けられた慈愛に満ちたランの瞳とサスケの背中を押すその一言に、心に秘めた迷いは消えていた。やるべきことが決まった今、行くべき場所もまた決まっている。

 

「ラン、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 道を指し示してくれたランへ感謝を一言述べ、サスケはすぐさま駆け出す。ランはその背中を心からの笑みを浮かべながら見送った。

 

 

 

 

 

 サスケがランの後押しを受けて決意を固めていたその頃、二人を残してその場を走り去っていたリーファが辿り着いたのは、アルンの南側、世界樹のグランド・クエストを受諾するためのゲートがある広場だった。

 

(お兄ちゃん……あたし……!)

 

 感情のままに口走った言葉によって傷ついたのは、兄であるサスケだけではない。言葉を放ったリーファ自身もまた傷ついていたのだ。それも、激情をぶつけられたサスケ以上に。

 

(どうして……どうしてあたしはいつも、お兄ちゃんを……!)

 

 ずっと一緒に暮らしてきた相手でありながら、その苦悩に気付く事ができなかったばかりか、真実を知った今もこうして酷い言葉を投げかけて傷つけてしまった。一緒にいたい、家族になりたいと、ただそれだけが自分の願いだった筈なのに、何故いつも自分のすることは裏目に出てしまうのか。行き場の無い感情が後悔となってリーファの心をかき乱す。

 

(もう……駄目、なのかな)

 

 今まで、兄と和解するために自分なりに努力を重ね、ALOの仮想世界にまで来たが、今はもうどうすれば良いのかまるで分からない。サスケに対し、彼にとっては自分など赤の他人なのだと言い放ち、修復を望んでいた関係を自ら壊したのだ。謝っても許されるとは思えない。とてもではないが、会いに行く気になどなれなかった。

 何をする気にもなれなかったリーファは、顔を俯かせたまま歩き、ふらりふらりと広場の片隅にあるベンチへと近づき、そこへ腰かけた。そして、どれだけ時間が経っただろうか。ふと、リーファの目の前にプレイヤー一人分の気配が現れた。

 

「リーファちゃん!」

 

 リーファに声をかけてきたのは、黄緑色のおかっぱ頭の少年シルフプレイヤー。ALOを始めて以来の、ランと並ぶ馴染み深いプレイヤーの一人、レコンである。

 

「レコン?」

 

「もう……探したよリーファちゃん!」

 

 予想外の人物の登場に驚くリーファ。それもその筈。今回のアルンへの旅に同行できなかったレコンは、シルフ領に潜入していたサラマンダーのスパイに捕縛されていて動けない状態にあると本人が言っていたのだから。

 

「あんた、サラマンダーは?」

 

「全員毒殺して脱出してきました」

 

「毒殺って……」

 

 さらっと物騒な事を、それも自慢げに口にする友人に、リーファは唖然とするばかりだった。だが、こんな他愛の無い話題で、少しは抱えていた悩みの重さを忘れられた気もした。

 

「それで、リーファちゃんを追いかけて来たんだ。そういえば、ランさんとあのスプリガンはどうしたの?」

 

「えっと……あたしね、あの人に酷いこと言っちゃった。口にしちゃいけないこと言っちゃったの。あたし、馬鹿だ……」

 

 再度頭の中に蘇る、兄に対して放った言動。こうして冷静になって思い出すと、本当に酷いことを言ったと思う。いくら黙ってALOをプレイしていたとはいっても、ああも一方的に糾弾するのは明らかにやり過ぎだった。そして、自分の言葉を聞いた時の和人の悲しみに染まった顔を思い出し、涙が溢れてきた。

 

「ごめんね、変なこと言って」

 

「……リーファちゃん?」

 

 突然目に涙を浮かべたリーファを訝るレコンだったが、リーファはその追求から逃れるべく、涙を拭いて気丈に振る舞った。

 

「あの人とはもう会えないから……帰ろう、スイルベーンに」

 

 今のリーファには、目の前の現実から逃げることしか考えられなかった。譬えこのALOにいるサスケから逃げたとしても、現実世界には和人がいる。逃げ場などどこにも無く……スイルベーンへ変えるという行為自体もその場凌ぎでしかないことも、リーファ自身が自覚していたが……今はそれ以外の方法が思い付かなかった。

 だが、目の前の少年はリーファが抱えるそんな後ろ暗い感情を悟ったのだろう。次の瞬間には、強い意志を秘めた瞳でリーファの手を握ってきた。

 

「リーファちゃん!」

 

「レ、レコン!?」

 

 突然の親友の行動に動揺するリーファ。リアルでも仮想世界でも、普段は大人しい少年としてのイメージが強いレコンが、何故こんな大胆なことをしてきているのか。先程まで心ここに在らずな状況が続いていただけに、思考が追い付かないリーファに、レコンはさらに言葉を投げかける。

 

「リーファちゃんは泣いちゃ駄目だよ!いつも笑ってないと、リーファちゃんじゃないよ!」

 

「えっと……」

 

 真剣な表情で強く訴えかけるレコンに、リーファはどう答えれば良いのかまるで分からない。対するレコンは顔を赤くした状態で、尚も真剣な眼差しで想いを告げる。

 

「僕が……僕がいつでもそばにいるから!リアルでもここでも、絶対一人にしたりしないから!だって僕……リーファちゃんのこと……直葉ちゃんのこと、好きだから!」

 

「!!!」

 

 突然の告白に、驚きに目を見開くリーファ。親友からの不意打ちに近い突然の告白に、しかしリーファは口を開く事ができず、顔を赤くすることしかできない。だが、そんな思考が混乱して立ち尽くすことしかできないリーファを無視するかのように、レコンの顔が、その唇がリーファのもとへと近づいていった。

 

「っ…………待ちなさい!!」

 

「うげぇっ!」

 

 だが、その接近はリーファの手に……否、拳によって阻まれた。レコンの鳩尾にリーファの拳が炸裂したのだ。その衝撃に依ってバランスを崩したレコンは、階段を転げ落ちて途中で止まった。

 ハラスメントに抵触する行為だったとはいえ、現実世界だったならば大怪我は免れない事故である。流石にやり過ぎたと思ったのか、リーファが階段を下りて駆け寄っていく。

 

「ご、ごめん……大丈夫?」

 

「おっかしいなあ……この展開なら、あとは僕に告白する勇気があるかどうかだけだったのに…………」

 

「あんたって……ホント馬鹿ね」

 

 告白に次いでキスという奇襲に及び、失敗したレコンに向けられるリーファの眼差しは、呆れに満ちていた。だが、同時に嬉しくもあった。告白を受け入れるかどうかは別として、自分を友達だと……一人ではないと言ってくれたことが。おっちょこちょいで空回りしながらも、その奇行のお陰で背負っていた重荷が大分軽くなったことを自覚できた。暗く沈んでいたリーファの表情にも、自然と笑みが零れた。

 と、そこへ……

 

「リーファ」

 

「!」

 

 ふと、リーファとレコンの立つ階段の下から声が掛けられた。階下を見れば、階段下の踊り場にはここに来るまでに見知った黒ずくめの少年――サスケの姿があった。

 

「サスケ君……」

 

 どうやら、走り去ってしまったリーファを追ってきたらしい。その表情には、迷いや憂いは無い。語られずとも分かる。その瞳には、全ての真意を言葉で語った上で、義妹であるリーファと向かい合う覚悟の光が宿っていた。

 

(なら、あたしも覚悟を決めなくちゃね……)

 

 サスケが対話の意志を示した以上、自分もその決意に応えねばならない。そう思ったリーファの行動は、決まっていた。

 

「レコン。悪いんだけど、ちょっと席を外していてくれるかな?」

 

「え……リーファちゃん?」

 

「ありがとうね。あたしもたまにはあんたを見習って、頑張ってみるわ」

 

「う、うん……」

 

 先程までの悲壮な表情から一変、喜色を浮かべて感謝を述べるリーファに戸惑うレコンだったが、迷いの吹っ切れた陽だまりのように温かい笑顔を向けられ、言われるがままその場を後にすることにした。階段を下り、サスケの横を通って街の方へと足を向ける。だがそのすれ違いざま、サスケから唐突に呼び止められる。

 

「レコン」

 

「え?」

 

 気のせいだろうか。名前を呼ぶ声には殺気のようなものが込められていた気がした。レコンは疑問に思いながらも立ち止まり、サスケの方を振り向く。

 

「お前には後で色々と話したいことがある。ゆっくりと、な……」

 

 横目で睨みつけるような視線を送りながらそう言い放つサスケに、レコンは薄ら寒い何かを感じた。思わず身震いするレコンだが、その先を問いかける前にサスケはリーファのもとへと階段を上って行ってしまった。残されたレコンは、逃げるようにその場を後にするのだった。できることならば、二度とサスケには会うことは無いように、と願いながら…………

 

 

 

 

 

 紆余曲折を経て互いが兄妹であることを認識し、互いに相対する覚悟を決めたサスケとリーファは、グランド・クエストを受諾するためのゲート前の広場へと来ていた。この辺り一帯は、今の時間帯ではプレイヤーの数が少なく、二人きりで話をするには最適だと判断してのことだった。

 

「……それにしても、本当に驚いたよ。お兄ちゃんと、こんなところで会うことになったなんて」

 

「それは俺の台詞だ。ゲーム嫌いのお前が、俺の居ない間にALOなぞ始めているなんてな……」

 

 逃げずに向かい合って話をすることを決意した二人だったが、どのように話を始めたら良いのかという点で戸惑っていたリーファの口から出てきたのは、そんな他愛の無い話題だった。サスケもサスケで、取っ掛かりが掴めなかっただけに、この流れは好ましいものだった。

 だが、こんな話をするために対話を決意したわけではない。伝えなければならないと思ったことがあるからこそ、リーファは勇気を振り絞ってサスケと対話する気になったのだ。話しやすくするための前置きなど不要。その後も短いやりとりを続けていたが、この決意が揺るがぬ内に言うべきことは言わねばならない。そう思った直葉の行動は早かった。

 

「お兄ちゃん……その…………ごめんなさい!!」

 

 先程までの和らいだ表情から一変。苦悩に満ちた表情で、リーファはサスケに向けて頭を下げた。謝罪の言葉を投げ掛けられた当のサスケは一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの冷静な表情へと戻った。無表情ながらその赤い瞳には、慈愛の心が籠っていた。

 

「お兄ちゃんに酷いこと言って……本当にごめんなさい!」

 

「頭を上げろ。謝らなければならないのは俺の方だ」

 

「お兄ちゃん……」

 

 涙ながらに謝るリーファを宥めながら、サスケは首を横に振った。普段無表情で素気ない兄だが、本当は優しい人物であることをリーファは知っている。だから、譬え兄妹の関係を否定する言葉であっても、許してくれることは分かっていた。そして、それが分かっていたからこそ辛かった。対話する決意をしたといっても、無意識に兄の優しさに甘えようとしている自分がいることが。

 サスケも、リーファが抱えている後ろめたい気持ちはすぐに悟ることができた。尤も、それに気付くことができたのは、こうして相対した今だからこそだった。ランは、言葉に表さなければ分からないこともあると言っていたが、前世のサスケの時もそうだっただけに、全くその通りだと思う。そして、それが分かったからこそ、今度こそ本当の気持ちを伝えねばならないと……改めてそう感じた。

 

「直葉……俺はお前に、嘘を吐き続けてきた。『兄』と呼ばれることに居心地の良さを覚え、関係を曖昧にしてきたんだ。父さんや母さんにも言われていたこととはいえ、真実を隠していたことには変わりない。本当に、すまなかった……」

 

「……お兄ちゃん、あたしは騙されたなんて思ったことは一度も無いよ。和人お兄ちゃんとあたしが、本当の兄妹じゃないって知った今でも、その気持は変わらない。だけど……いつも一緒にいるのに、どこか遠くにいるように思えたことは、ちょっと悲しかったかな」

 

「……すまない」

 

「だから、謝らないでよ。あたしは全然怒ってないんだから。でも、今はこうして一緒にいられることが嬉しいんだ。ALOをやっていて、本当に良かったと思ってる。お兄ちゃんが、仮想世界を好きになった理由も、分かったし……ようやく世界を共有できたと思えたから」

 

「そうか……」

 

「だから、お兄ちゃんにも聞かせて欲しいと思ったんだ。本当の気持ちを……」

 

 自分の気持ちを伝えたリーファは、今度はサスケの番だとばかりに真剣な眼差しを向ける。僅かな迷いも無く、自分と正面から向き合う覚悟を決めた妹を前に、サスケもまた逃げることが許されないと改めて感じた。だが、元より逃げるつもりなどありはしない。自分を見つめるリーファの目を、決意を秘めた赤い双眸で真っ直ぐ見据えながら口を開いた。

 

「……俺は今まで、心の中ではどこかお前を遠ざけてきた。本当の関係を明かせば、お前が混乱するから……今まで通りでいられなくなるからと考え……関係を変えることをしようとしなかった。だが、今はこう思う。お前を信じさえすれば、こんなすれ違いをせずに済んだと……俺が初めからお前と真っ直ぐ向き合い、同じ目線で真実を語りあっていれば……とな」

 

「お兄ちゃん……」

 

「失敗した俺が、今更お前に上から多くを語っても伝わらないかもしれない……だが、今度こそ本当の気持ちを、伝えたいと思う」

 

 そう言うと、サスケはリーファの頭に手を回し、自分の額に近づけた。若干顔を赤くするリーファの顔を、変わらぬ優しげな顔で見つめながら、サスケは自分の“本当の気持ち”を口にする。

 

「俺のことは、ずっと許さなくても構わない……お前がこれからどうなろうと…………」

 

 

 

 

 

俺はお前をずっと、愛している

 

 

 

 

 

 サスケが全ての想いを乗せて口にした言葉。それを聞いたリーファは、今まで無表情の中に隠れて分からなかった本当の想いが、ようやく見えたと思った。嘘偽りの無い本当の気持ち……

 

(なんだ……やっぱり、そうだったんだ…………)

 

 それを知った時、リーファは今まで悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えた。何故なら、自分もまた、サスケと全く同じ気持ちを抱きながら、同じ悩みを抱えていたのだから。どちらか一方が本当の気持ちを伝えさえすれば、こんなすれ違いが起こることなど無かったのだ。それなのに、お互いに遠慮して、その想いを内に秘めたまま今まで過ごしてきたのだ。

 

「馬鹿だよ、お兄ちゃんは……」

 

 短く一言、それだけ告げるとリーファはサスケへ抱きついてきた。サスケは突然のリーファの抱擁に若干動揺した様子だったが、僅かに嗚咽のようなものが聞こえたため、そっと抱き返した。

 

「……リーファ?」

 

「お兄ちゃんが本当の兄妹じゃなかったとしても、あたしの気持ちは変わらないよ。ずっと一緒に暮らしていたんだもん……何も変わらない……あたしたちは、家族なんだよ」

 

「…………」

 

「お兄ちゃんを信じられなかったのは、あたしも同じだよ。兄妹揃って馬鹿だね、あたしたち……」

 

「……そうだな」

 

 涙を流しながらそう口にしたリーファを、サスケは少しだけ強く抱きしめた。曖昧に見えて仕方なかった兄妹の……家族の絆は、確かにあったのだ。お互いの想いを打ち明け合うことでそれを明確に感じ取れた二人は、それを感じるために、互いを抱きしめ合うのだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。