ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第七十五話 狭間の世界で

 雪の降る寒空の下、和人はどくどくと流血する右脇腹を押えながら、自身に対する憎しみを燃やしながら近づいてくる男と相対していた。流れる血の量に比例して自分の身体が冷たくなる……即ち、死に近づくのを感じる。だが、今は状況を打開する術を考えねばならない。

 

「酷いことするよねえ……桐ヶ谷君。まだ痛覚が消えないよ。まあ、僕の場合は良い薬がいくらでもあるからね」

 

 そう言うと、須郷はひけらかすようにポケットからいくつかのカプセルと錠剤を取り出して口の中へ放り込んだ。どうやら、仮想世界で体感した痛覚を和らげる薬らしい。これを服用したお陰で、通常ならば動けない筈の須郷がこの場所まで来ることができたのだ。

 

「君にはこんな薬は無いからね。僕以上に痛覚が残っているんじゃないかな?今の銃弾を避けられなかったのが、その証拠だね」

 

「…………」

 

 血走った興奮状態のまま、凶悪な笑みを浮かべる須郷を前に、和人は沈黙したまま目の前の脅威を排除するために思考を走らせる。だが、傷口からの出血は激しく、車に寄りかかった状態で立つのがやっとの状態。痛覚と寒さに加え、出血で身体は思う様に動かず、拳銃に対抗できる武器など持っている筈もない。

 文字通り絶体絶命の状況に立たされ、無表情ながら冷や汗を流す和人の姿に満足した様子の須郷は、右手に握った拳銃を見せびらかしながら口を開く。

 

「これが恐いかい?ふふ……やっぱり持ってきたのは正解だったよ。武道家の君を相手にするには、飛び道具がないと不利だと思ってね」

 

 痛覚を抑える薬剤を服用するだけでなく、ソードスキル作成に協力した武芸者を相手するために拳銃まで用意する周到さ。ログアウトした和人を襲撃しに来る時点で血迷っていることは間違いないが、相手の戦闘能力を正しく判断した上で拳銃まで持って来たのだ。和人を殺害するという行為に関しては、冷静に思考を巡らせることができていたのだろう。須郷という男が持つ執念には評価を改めさせられるが、今はそれどころではない。

 刻一刻と刻まれる死のカウントダウンを少しでも遅らせ、突破口を探るべく、和人は対話によって時間を稼ぐことにした。

 

「須郷……もう貴様は終わりだ。既にレクト・プログレスのシステムは俺の協力者が掌握した。お前の犯した人体実験の罪状も明日には露見する……俺を殺したところで、何も変わらんぞ」

 

「終わり?……何が?何も終わっちゃいないさ。僕を欲しいって言う企業はいくらでもあるんだ。レクトに保存したデータが取り押さえられたとしても、僕個人が所有するバックアップがある。これまでの研究によって蓄積したそれらを持って海外に飛べば、今度こそ僕は、本物の王になれる」

 

 頬を歪めて言い放つ須郷に対し、しかし和人の視線は冷淡だった。竜崎は今回のレクト・プログレスが管理するALOのシステムへの突入作戦を決行するに当り、警察を動かす用意を事前に済ませている。ファルコンが取得したデータを持ち込めば、逮捕状も簡単に取得できるだろう。家宅捜索を行えば、自宅に保存しているバックアップは容易に取り押さえられる上、天才ハッカーのファルコンもLに協力している以上、コンピュータ等に電子的に保管したデータは全て暴かれるだろう。

ハッキングという非合法な手段で取得した証拠だが、Lは手段を選ばない探偵として警察や政府に認知されているらしい。今回の未帰還者三百名の監禁事件はSAO事件と同レベルの重大な事件として認知されている以上、政府も警察も首謀者である須郷の逮捕には積極的に動いており……法律を逸脱した操作方法を取るLにも協力的な姿勢を示すことは間違いない。

 結論として、須郷伸之の未来はどの道破滅以外に有り得ないのだ。だが、須郷は己の栄達を一切疑っておらず、憎悪に満ちた狂気の視線を和人へ向ける。

 

「けれどその前に……邪魔をしてくれた君を殺すよ、桐ヶ谷君!」

 

「ぐっ……」

 

 再び鳴り響く銃声。須郷は和人の心臓を狙ったようだが、狙いは外れて和人の左肩を掠める。銃弾は和人が寄りかかっていた車の窓ガラスに蜘蛛の巣状の罅を入れると共に穴を開けた。和人は左肩を右手で押さえるが、身体が左へと傾き、倒れそうになった。

 

(……?)

 

 その時、車体に接触したズボンの左のポケットに違和感を覚えた。何かがポケットの中に入っている。一体、何だっただろうか。左手を須郷の死角になる位置に持ってきて、ポケットの中を探り、それが何なのかを確かめようとする。

 

(これは……)

 

「おや?……手が悴んで、狙いがぶれちゃったよ」

 

 須郷は拳銃を持っているものの、使い慣れているわけではないようだった。事実、拳銃を握る手は寒さと痛覚に震えていることに加え、構えがまるでなっていない。傍から見ても、素人が危なっかしい使い方だったことは明らかだった。

 だが、須郷はそれでも尚、銃口を和人へ向けて容赦なく引き金を引こうとする。

 

「お前みたいなクズが……僕の足を引っ張りやがって!その罪に対する罰は、死だ!死以外に有り得ない!!」

 

 須郷の握る拳銃の照準が、和人の額に合わせられる。次に引き金を引かれれば、高確率で弾丸が和人の脳天を撃ち抜くだろう。いよいよ間近に迫ってきた己の死を前に、しかし和人は冷静だった。左ポケットの中に、現状を脱することができるかもしれない、最後の武器を見つけたのだ。使うとしても、チャンスは一度きり。須郷が引き金を引く瞬間を狙い、成功させねばならない。

 

「死ねぇ!小僧!!」

 

 引き金を引き、和人の頭部に銃弾を叩き込もうとする須郷。和人を殺すという、狂気と殺意に満ちた凶弾ならぬ狂弾が放たれるその瞬間に生じる隙を、和人は見逃さなかった。

 

(今だ……!)

 

 出血多量で朦朧とする意識の中、和人は最後の力を振り絞り、左肩を抑えていた右手を左ポケットへ滑らせ、中に入っていた物を素早く取り出し、そのまま須郷目掛けて投擲した。和人が手裏剣を投げるのと同じ要領で放った、先端の尖った細長い投擲物は、須郷の銃口へとその前兆の半分程度を入り込ませた。そして引かれる、引き金――――

 

「ぎぃぃいいゃゃやぁああああああああ!!!」

 

 先程の銃声の比ではない、より一層大きな破裂音。だが、辺りに響くのはそれだけではない。火薬の爆発によって発生する音に次いで、須郷の悲鳴がこだまする。右手に握っていた拳銃は、銃身が破裂し、原形を留めない程に大破・変形している。引き金を引いた右手は火薬の炸裂による火傷に加え、金属片が突き刺さったことで二の腕まで血塗れになっている。

 激痛に喚き、拳銃を地面へ落とす須郷。何故自分の右手がこれ程までの大怪我を負ったのか、理解できない。須郷が右手に大怪我を負った理由を知っているのは、同じく血塗れで相対する和人のみだった。

 

(上手く……いったか…………)

 

 朦朧としてくる意識の中、和人は自身が追い詰められた局面で取った行動が功を奏し、反撃に成功したことを確かめていた。和人が引き金を引こうとしていた須郷目掛けて投擲したのは、ダーツの矢だった。家族に隠れて、郊外の雑木林で行っていた忍修行で手裏剣の代用品として使うために安価で購入した物だったが、SAO事件以前の二年前からポケットの中に入れたままにしていたらしい。和人はこれを銃口目掛けて投擲し、引き金が引かれる直前で銃身に入り込ませた。結果、銃弾が詰まったことで火薬の燃焼圧力に砲身が耐え切れなくなり、腔発を起こしたのだ。

 蓋を開いてみれば大して難しい仕掛けではなかったが、銃口という小さく狭い箇所へと的確に狙いを定めて投擲した和人の技量は、“並外れている”の一言に尽きる。加えて、全身を切り刻まれるような激痛に見舞われながら、流血と共に間近に迫る死と真正面から向き合う精神力を持ち合わせていなければ、この反撃は為し得なかっただろう。忍としての凄絶な戦いに身を投じ続けた和人だからこそできた、文字通り離れ業である。

 

「ぎぃいい……こ、小僧!よくも……よくもよくもぉおおお!!」

 

 だが、拳銃の腔発によって右腕に大怪我を負っても尚、須郷の憎悪は霞みもしない。怒りを倍増させた須郷は、額に血管を浮かび上がらせる程の憤怒を露に、今度は左手にナイフを握って和人へ襲い掛かろうとする。対する和人は、薄れつつある意識の中で須郷を迎撃するべく構える。素手ならば、相手がナイフを持っていようと負ける筈は無い。だが、満身創痍に近いこの状況で、須郷に当て身を食らわせて倒すことは可能かどうか……実際のところは、かなり難しい。だが、自身の命が危機に瀕しているこの状況で、生き残る方法は戦う以外に無い。

 

「今度こそ……今度こそ、死ねぇぇえええ!!」

 

 和人以上に満身創痍の須郷が振り下ろすナイフは、しかし的確に和人の脳天に狙いを定めていた。和人は刃の軌道を見極め、残された僅かな体力でこれを避けようとする。だが、和人が回避に動こうとしたその時――

 

「せやぁぁああああ!!」

 

「ぐっ……!?」

 

 和人と須郷の間を、気合いの籠った声と共に一筋の影が目にも止まらぬ速さで横切る。須郷が突如左手に走った痛みに呻いた数秒後、アスファルトの上に金属がぶつかる音が響く。須郷の左手に先程まで握られていたナイフが、弾き飛ばされた末に宙を舞って地面に落ちたのだ。

 

「とりゃぁぁあああ!!」

 

「ごはぁぁああっっ!!」

 

 そして、ナイフが落ちる金属音から間髪いれずに、和人の前に人影が入り込むと同時に叫び声が響く。同時に、今度は須郷の身体が苦悶の叫びと共に宙を舞う。仰け反った姿勢のまま顎に衝撃を食らった須郷は、背中から地面に落下して地面の上で大の字になって気絶した。

 目にも止まらぬ速さで起こった突然の出来事に唖然とする和人だったが、振り返って目の前に駆け寄ってくる人物の顔を見て、事情を把握することができた。その顔は、今日知り合ったばかりの友人のものだったからだ。

 

「和人君、大丈夫!?」

 

「蘭……」

 

 心配そうな表情を浮かべ、和人の名前を必死に呼びかけるのは、はねた前髪が特徴的なストレートヘアの女性、蘭だった。SAO未帰還者を解放したことを直葉に教え、蘭にも教えてやれと言った通りに従い、連絡したのだ。そして、明日奈と同じ病院に入院している新一の様子を見に来たところで、腔発の音を聞いて駆けつけてきたのだろう。空手の都大会で優勝した実力を遺憾なく発揮し、須郷を叩き伏せたのだ。

 

「しっかりして!和人君!和人君!!」

 

 蘭が助けに来てくれたという事実に至った和人だったが、それ以上は意識が続かなかった。腹部からの流血が激しくなる中、和人の意識を現実世界に繋ぎ止めようとする蘭に名前を連呼されるも、既に和人の身体は限界だった。身体が急激に冷たくなるのを感じる中、和人の瞳は閉じられた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――どこだ、ここは?

 

 気が付けば、そこにいた。辺り一面、黒一色の暗闇。一筋の光すら見えない空間を満たすのは、暗黒と静寂。空気は冷たくも暖かくもない。虚無に満ちた世界の中、自分は本当に生きているのか……存在しているのかすら分からなくなる。

 

「そうだ……俺は」

 

 意識が覚醒すると同時に、目覚める前の最後の記憶が蘇っていく。自分――桐ヶ谷和人は、SAO未帰還者の解放に成功したことで、その事実を確かめるべく病院に入院している、現実世界の知己でもあった明日奈のもとを訪れたのだ。だが、病院へ入る前に、待ち伏せしていた黒幕の須郷に銃撃を受け、急所を撃ち抜かれた末に出血多量で気を失ったのだ。

 そして今、目が覚めると底知れない暗闇に包まれるこの場所に立っていたのだ。明らかに病院ではなく、身体には痛みも無ければ傷も無い。これらの情報から導き出される結論は…………

 

「あの世……か」

 

 荒唐無稽な話だが、どうやら和人が今立っているこの場所は、死後の世界らしい。前世において二度の死を経験した和人だったが、死後の世界を見た記憶は一切なく、生前の記憶しか残っていない。故に、この場所が俗に『あの世』と呼ばれる場所であることを証明する方法はなく、所詮は和人個人の主観による推測でしかない。或いは、須郷の銃撃を受けた末に絶命し、新たな世界へ転生したという可能性もある。

 

(どう見ても、現実の世界には見えないが…………)

 

 ともかく、何を考えるにしても今は情報が足りない。和人は自分が今どこにいるのか、その答えを探すべく、底知れない暗闇の中で足を動かすことにした。

 行く宛ても無く、只管に広がる闇の奥へ奥へと歩き続ける和人。十分、数十分、数時間……どれ程の時間歩き続けたか分からない程に歩き続けたが、壁や障害物に全く突き当たらない。しかも、気が遠くなる程歩き続けているにも関わらず、全く疲れもしない。まるで、ここが現実の世界ではないことを示しているかのように。

 と、そんな中……

 

「む……?」

 

 ふと視界に入った、小さな灯り。遠近感が曖昧な暗闇の中で、一体どの程度離れた位置にあるのか分からない光だった。だが、この広過ぎる暗闇の中でようやく見つけた手掛かりである。迷う余地は無いと判断した和人は、灯りのある場所を目指すことにした。

 

(誰か……いるのか?)

 

 灯りに近づくにつれ、その傍に座る人影が確認できた。人がいるというのは尚好都合である。この場所が一体どこなのか、尋ねることもできるからだ。だが、目の前の人間が必ずしも友好的に接してくれるとも限らない。和人は警戒を怠らず、身構えて近づいていく。

 そして歩くことしばらく。遂に、灯りのすぐ傍へと近づくに至った。灯りの正体は、焚火だった。パチパチと燃える火の傍には、件の人物が背中を向けて座っている。体格からして、和人より年上、壮齢の男性だった。しかも、それだけではない。

 

(この感覚……まさか、俺と同じ忍……?)

 

 距離が十メートルを切ったあたりからなんとなく感じた、懐かしい感覚。後ろ姿を見ただけだが、全く隙が無い。身体から醸し出される忍独特の気配は、間違いなく相当な実力者……それも上忍に相当する器なのは間違いない。加えて、後ろから迫る和人の接近を、恐らくは和人よりも早く把握していたことも分かった。前世の和人――うちはイタチならば、同等以上の距離から察知することができただろう。何はともあれ、目の前の忍らしき人物に話し掛けなければ何事も始まらない。

 

「……すみません。聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 

 相手が忍である可能性が高いと分かった以上、より警戒を強めねばならない。幸い、殺気のような攻撃的な意思は感じられないが、油断しないに越したことはない。物腰は柔らかく話し掛ける一方で、万一襲い掛かられても対応できるよう身構える。和人が放った問いに対して、男性は静かに腰を上げる。

 

「しばらく見ない内に、変わったな――――イタチ」

 

「!」

 

 男の発した言葉に、目を見開く和人。今この男は、自分ことを『イタチ』と呼んだ。それはつまり、桐ヶ谷和人の前世の名前を知っているのだ。和人の予想通り、この男は和人と同じ前世を生きた『忍者』なのだ。

だが、それだけではない。和人は自分に話し掛けてきたこの声を聞いたことがある。そして、知っている……何故ならその人物は、かつてうちはイタチの大切な人の一人であり……そして、イタチ自身がその手に掛けて殺した人物なのだから。

 

(まさか……)

 

そんな想いが、和人の頭の中を駆け巡る。和人の方へと振り返ったその横顔は――――紛れも無く、和人の記憶に焼きついたままのものだった。

 

「父さん……!」

 

「久しぶりだな、イタチ」

 

 声と同じく穏やかな表情のままで和人の方へ振り向いた男性は、うちはイタチの父親……うちはフガクだった。驚く和人の顔を見て、苦笑を浮かべたまま口を開いた。

 

「姿形は随分若返ったようだが、俺には分かる。お前の父親だからな……」

 

「…………」

 

 先程まで暗闇の中だったせいでよく分からなかったが、今の自分の姿は二度目の転生を果たした時の、中性的な顔立ちと女性とも取れる線の細いシルエットだった。ちなみに格好は病院の駐車場で須郷に襲われた時と同じ、黒のジャケット姿だが、須郷に銃撃された時に付いた穴や傷は無かった。

 そして、和人と相対する前世の父親であるフガクは、実に十数年ぶりの、しかも殺されて以来の再会にも関わらず、蟠りの欠片も感じさせない口調だった。和人の方は、まさかこんな形で父親と再会を果たすとは夢にも思っていなかったため、何を話せばいいのか、完全に失念していた。

 

「だが、遂にお前までここに来てしまうとはな……」

 

「……やはり、ここは死後の世界か」

 

「そういうことだ。だが、お前のその姿を見るに、ここに来るまでには色々とあったようだな」

 

「それはもう、色々と…………」

 

 突然の父親との再会に戸惑う和人だったが、こうしていても仕方が無い。忍世界から異世界へ転生した経緯については話すべきかと迷ったが、死んだ今更になってまで隠しだてする秘密などある筈も無い。和人は、ここに至るまでの全てを話すことにした。

 

 忍界大戦が勃発し、穢土転生という術によって生前の世界へ呼び戻されたこと――――

 

 最期の務めとして、木の葉を守るために黒幕を止め、自分を含め傀儡と化した者達を解放したこと――――

 

 逝き際に、弟のサスケと会って、真実と本当の想いを打ち明けたこと――――

 

 二度目の転生を果たしたこと――――

 

 転生した世界で、新しい家族と共に生きてきたこと――――

 

 仮想世界という、月読を彷彿させる世界の創造に関わったこと――――

 

 ゲーム世界での死が現実世界での死となるデスゲームを課され、戦い続けてきたこと――――

 

 前世と同じ過ちを繰り返し、多くの犠牲者を出したこと――――

 

 罪深い自分を受け入れ、共に戦おうとする仲間達ができたこと――――

 

 一つの事件が解決しても尚、眠り続ける仲間達を救うために奔走し……その果てで、命を落としたこと――――

 

 語り始めれば長い和人の話に、しかしフガクは変わらぬ穏やかな表情で聞き入っていた。転生して異世界へ行ったなど、通常ならばとても信じてもらえる話ではなく、父親であっても信じてもらえるか和人自身も微妙だった。だが、フガクには和人の話を疑っている様子は微塵も無く、首を縦に振って頷くばかりだった。

 

「これが、俺が体験した全てだ」

 

「そうか……」

 

 和人の荒唐無稽な転生談を聞き終えたフガクは、どこか納得できない表情だった。和人の話を信用していないわけではない。和人の話に出てきた、その生き様に疑問を持っているようだ。

 

「何もかもが中途半端で……忍としては無様な最期だったかもしれないが……それでも、最低限の責務を果たすことはできた。遠回りはしたが……こうしてようやく、俺も皆のもとへ――」

 

「何を勘違いしている?」

 

 拙いながらも任務をやり遂げ、この場所が最後に行き着く場所だと思っていた和人の言葉を、しかしフガクは否定した。この上、一体何をやり残したことがあると言うのだろうか。和人はその真意を確かめることにした。

 

「勘違い……?」

 

「お前なりに努力して……全てやり遂げたつもりだったんだろうが、やるべきことが残っているだろう。お前を待っている者達がいるんだ……帰るべきなんじゃないのか」

 

「……だが、既に俺はあの世にいる。もう戻るための術など、ありはしない。それに……あの世界は、俺には過ぎた幸せだった。同じ過ちを繰り返し、多くを犠牲にした俺を、仲間達はいつも助けてくれた。義理の家族でしかない俺を……愛してくれた、家族がいた。俺には、あの世界で生きる資格は――――」

 

 そこまで口にした和人だったが、それ以上は続かなかった。衝撃と共に後方へ飛ぶ和人の身体。気付けば、和人の身体は地面に横たわっていた。頬に走る痛みを感じ、自分が殴り飛ばされたのだと理解するまでに時間はかからなかった。

 

「もう一度言ってやる。お前は勘違いをしている。俺達がいるこの場所は、流刑地じゃない。今の腑抜けたお前を受け入れる余地は、俺にも……他の奴等にも無い」

 

「だが、俺は…………」

 

 怒りに満ちた表情でそう言い放つフガクを前に、和人は言葉に詰まる。自分の帰りを待つ人達が大勢いることは間違いない。皆を置いて一人逝こうとする自分は、『腑抜け』と呼ばれても仕方が無い。

 

「イタチ」

 

「母さん……!」

 

 苦悩する和人の前へ、新たな人物が姿を現す。フガクの傍へ寄り添うように立っていた女性は、フガクの妻にしてイタチの母親、うちはミコトだった。

 

「あなたはまだ、ここに来るべきじゃない……本当に帰るべき場所がある筈よ」

 

「……」

 

 その言葉には、母親としての慈愛が満ちていた。その手に掛けた前世の別れ際と同様、和人のことを何もかも理解していて、その上で叱りつけるような言葉だった。対する和人は、両親から諭され、しかし和人は素直にその考えを受け入れられずにいた。

 

「イタチさん、いい加減に戻ったらいいんじゃないですか?」

 

 両親に続いてもう一人、焚火の傍に大柄の男が姿を見せる。赤い雲の模様が入った黒装束に身を包み、額当ては前世の忍世界において霧隠れの里を示す紋章の上に、横一文字の傷が入っていた。鮫のような顔立ちで、青黒い肌に会い色の髪をしたこの男もまた、和人の前世であるうちはイタチと繋がりの深かった人物の一人である。

 

「鬼鮫……そうか、お前も逝っていたのか」

 

 イタチをはじめとしたS級犯罪者で構成された組織、『暁』において、イタチとツーマンセルを組んで行動していた、霧隠れの抜け忍『干柿鬼鮫』である。凶悪で残忍な性格にも関わらず、イタチに対しては紳士的だったパートナーである。

 

「イタチさんも、私より先に逝った割には、二回も蘇って……忙しいことですね」

 

「穢土転生された面々の中にお前の顔が無かったということは……忍界大戦時にはまだ生きていたのか?」

 

「いえ、私はその戦争には呼ばれていませんでした。生きていれば、勿論参加していたでしょうがね。暁の目指した、嘘の無い理想の世界が見れなかったのが、心残りですよ……」

 

「残念だが、暁は既に首領のマダラを除いて全員死んでいた。お前が言う『理想の世界』も、実現することは無いだろうな」

 

「そうですか。それは残念です」

 

 和人の容赦の無い言葉に、しかし鬼鮫はクックと喉を鳴らして笑うばかりだった。口では残念だと言っているが、既に死んだ身である以上は然程の執着も無いのかもしれない。

 

「そういえば、前に話していましたね。人間がロクでもないかどうかは、死に際に分かる、と……イタチさんはどうでしたか?」

 

「……さあな。俺は死ぬのがこれで三度目だが、前の二回に比べると、無様だったかもしれんな。お前はどうだった?」

 

「私は、ロクでもない人間……でもなかったようですよ。暁の一員として果たすべき責務もしっかり果たしましたからね」

 

 暁の情報流出を、己の舌を噛み切ってまで食い止め、忍連合の情報流出という大役を鮫に自分の身体を喰わせてやり遂げたのだ。犯罪組織とは言え、命懸けで任務を果たしたのだから、少なくとも『ロクでもない人間』という評価はつかない筈である。鬼鮫はそこから、だからとさらに続けた。

 

「あなたは少なくとも、私よりはマシな人間だった筈ですよ。なら、こんな死に様では私や他の連中に示しがつかないんじゃないですか?」

 

「……返す言葉も無いな。だが、先程も言ったが、帰ろうにも手段が……」

 

 

 

 ――――なら、俺が道を作ろう

 

 

 

 新たに聞こえた、懐かしい声。しかしそれは、この世界には現れる筈の無い人物のものだった。声がした方向を振り返ってみると、そこにいたのは鬼鮫と同じ赤い雲の模様が入った黒装束に身を包んだ男性の姿があった。髪は赤く、顔は痩せこけている。そして何より目を引くのは、彼の“目”だった。薄い紫色の波紋のような模様をしたその瞳は、忍世界において伝説の存在であり、かつてうちはイタチも持っていた万華鏡写輪眼のさらに上を行く、究極の瞳術――『輪廻眼』である。そして、これを持っている人間を和人は前世の忍世界で一人しか知らない。

 

「長門……なのか?」

 

「久しぶりだな、イタチ」

 

 イタチの所属していたS級犯罪組織『暁』のリーダー、長門。うちはイタチと共に穢土転生によって忍世界に呼び戻され、戦争の目的である、尾獣を宿した人柱力二人を捕らえるために利用された末、術の操作から抜けだしたイタチによって封印されたのだ。だが、その魂は幻術の世界に永久に封印され、口寄せの術でも脱出すらできない場所にあるのだ。死後の世界にはある筈の無い存在である。

 

「不思議そうな顔だな。聞きたいことは、何故俺がここにいるのか、だろう。なに、そう不思議なことじゃない。俺の魂はお前の須佐能乎が持つ瓢箪、その中に広がる幻術世界にいる。だが、俺自身は生と死の外れにある存在である『外道』だ。お前が死後の世界へ来たことで、こうして意識を表出させることができたというわけだ」

 

「成程……そういう経緯か。お前が道を作ると言ったが、この世界ならば、外道の忍術も使えるということか」

 

「察しが良いな。『チャクラ』とは、世界と世界を繋ぐ力だ。そして俺の魂は、こうして表出しているとはいえ、お前の須佐能乎の中に封印されている。つまり、お前の魂と一緒にあるのと同義だ。『輪廻転生の術』を使えば、お前を元の世界へ戻すこともできる」

 

 長門の説明を聞き、得心する和人。確かに、長門が持つ輪廻眼の能力を行使すれば、死後の世界であるこの場所からの一方通行ではあるが、術を行使して魂を送り返すことは可能だろう。

 いよいよ反論材料が無くなった和人は、現世へ帰る以外の選択肢もまた無くなってしまった。無論、ここに居る人間の誰一人、和人を強引に現世に送り返そうとはしないだろう。飽く迄和人の意思で現世へ帰すことが総意なのだ。

 未だに葛藤している和人の内心を悟ったのか。フガクとミコトは地面に座り込んだ状態の和人のもとへ歩み寄る。そして、前世のうちはイタチよりも華奢なその身体を抱きしめた。

 

「……父さん、母さん」

 

「イタチ、言った筈だ。考え方は違っていても、俺はお前を誇りに思っていると。この想いは、こうして死んだ今も変わらない……居場所や姿形が変わったとしても、お前は俺達の息子だ」

 

「けれど、私達はそれ以上にあなたに幸せになって欲しいと思っている。あなたを追い詰めた私達が、こんなことを言う資格が無いことは分かっている……けれど、死んでまで私達のことを引き摺って欲しくない。それが、私達の嘘偽りの無い本心」

 

 うちはイタチとしての前世を生きた和人は、木の葉隠れの里を戦火から守るために家族を犠牲にした。その時も、両親は死に際に同じことを言って、自分のことを誇りであると評してくれた。だが、一族虐殺の汚名を着た自分を殺させて、うちはの名誉を守るという目論見は失敗し、両親に行く末を託された弟のサスケを復讐鬼にしてしまった。両親をはじめ、一族の者達には会わせる顔は無く、現世でも死後の世界でも、幸せを感受することは許されないと思っていた。

 しかし、フガクとミコトはそんな和人を許すと言った。幸せになって欲しいと言ったのだ。長い間抱えていた葛藤を拭い去る言葉に、和人の心は震える。

 

「お前は確かにうちはイタチだが、今は木の葉の暗部でもなければ、一族の手先でもない……ただ一人の人間、桐ヶ谷和人だ。だからこそ、俺も一人の父親として言わせてもらう。どれだけ遠く離れた場所にいようと……お前がこれからどうなろうと……俺達はお前を、愛している」

 

 フガクの口にした言葉に、和人は大きく目を見開いた。「これからどうなろうと、お前を愛している」――それは、かつてイタチがサスケに別れ際に放った言葉と同じだった。或いは、親子だからこそかもしれない。家族がどれだけ遠い場所に行ってしまおうと……先の見えない未来でどのような運命を辿ろうとも……不変の愛情を誓うことができるのは。譬えそれが、うちはの歴史の中で幾人もの人間を闇に堕としてきた最大の要因であったとしても……和人は、心に溢れるその感情を止めることができず、それは雫となって和人の瞳に溢れ、頬を伝った。

 

「水を差すようで悪いが、そろそろ行くぞ」

 

 両親に抱き締められ、和人の心に巣食っていたかつての世界へ帰還することへの迷いも消えたであろうことを悟った長門が、術の発動を告げる。どうやら、長門も意識を表出させるのもそろそろ限界らしい。印を結び、和人を現実世界へ送り返すべくチャクラを練る。

 

「それでは、お別れですね、イタチさん……いえ、和人さんでしたか?」

 

「俺もまた、お前の中に封印されているから、一緒に戻ることになるのだがな……」

 

 傍らにいた鬼鮫と長門が別れを告げる中、和人を抱擁していたフガクとミコトも腕の中にいた和人を解放し、距離を取り始める。

 

「前世では散々苦しんだんだ。少しくらい、寄り道しても良いだろう」

 

「私達は、いつまでも待っているから……」

 

 両親からの別れの挨拶が為されから間も無く、和人の身体は光に包まれていく。長門が輪廻転生の術を使い、この場所にある和人の魂を、本来あるべき場所へ送り返そうとしているのだ。

 

「父さん、母さん……行ってきます」

 

 涙を流しながら、和人もまた別れを告げた。またいつの日か、この場所で会う事を誓いながらも、三度目の生を受けたあの世界へと帰っていく少年を、しかしその場に居た一同は笑って見送った。

 

「輪廻転生の術」

 

 長門の術が完全に発動すると共に、和人の身体は光となって、闇の果てへと飛んでいった。生と死の狭間の闇を飛び立った、うちはイタチ――桐ヶ谷和人の魂は、二度目の転生を経て、もといた世界へと帰って行く。

 暁の忍の物語が、再び動き出すのだった――――――

 


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