ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
本日夕方、新たな事件に巻き込まれていたレッドプレイヤーのパロキャラも、暗躍を開始します。
一万人もの人間をデジタルコードの世界に閉じ込め、二千人以上の死者を出した世界初のVRMMO『ソードアート・オンライン』。後の世において『SAO事件』と呼ばれるこの事件は、2024年11月6日にゲームクリアが為されたことで、解決したかに見えた。
だが、実際には三百名ものプレイヤーが未帰還者として目覚めず、事件は数カ月に渡り未解決の状態となっていた。目覚めぬ三百名の親族は、このまま目覚めぬのではと不安に駆られる日々が続いた。そんな中、事態が動いたのは解決から二カ月が経過した2025年1月22日。未帰還者三百名が夜中に次々覚醒したのだ。当然、病院はてんやわんやの騒ぎとなり、帰宅していた医師達は職場へと呼び出されて帰還者達の検査を行うこととなった。そして翌日、事態はさらなる動転を迎える。SAO事件の未帰還者を監禁していた黒幕が、メディアを通じて公表されたのだ。
容疑者の名は、『須郷伸之』。SAOの開発会社である『アーガス』からサーバーの管理を委託された『レクト・プログレス』のフルダイブ研究技術部門の責任者という立場を悪用し、未帰還者を同社が管理するVRMMO『アルヴヘイム・オンライン』内部に監禁し、挙句人体実験に利用していたことが明らかにされた。事件を解決に導いたのは、五年前に発生したウイルステロ事件を解決に導いたことで知られる世界最高の探偵――L。SAO事件解決後、水面下で須郷の悪事に関する情報を集めていたLは、それらを用いて警察と政府を動かし、須郷を含めた研究に携わっていた者達全員の逃げ場を塞ぎ、一斉に逮捕したのだった。仮想世界上の人体実験という、SAO事件同様前代未聞の事件に関して、『略取監禁』が成立するかが疑問視されていたが、Lによって須郷の行為の残虐性が具体化・明確化されたことで、茅場に次ぐ初のVRMMO事件の容疑者としての罪状は成立する見通しである。
メディアの報道においては、この事件を解決に導いたのは、名探偵Lとされている。だが、真の意味で事件を解決に導いた立役者は、探偵ですらない無名の少年である。SAO生還者(サバイバー)としてSAO事件を解決に導いた強豪プレイヤーであると同時に、茅場と共にSAO制作に携わった経緯のある彼は、最後の禊としてLの協力者としてこの戦いに臨んだ。
そして、その少年は、今――――――
2025年5月16日
アインクラッド第一層・始まりの街のチャペルの音に似たチャイムが鳴り響き、授業の終了によって生徒達が沸き立つ。そんな喧騒の中、薄いグリーンのパネル張りの廊下を和人は一人、ゆっくりとした足取りで歩いていた。和人達が今いるこの場所は、総務省がSAOから帰還した中高生のために設立した臨時学校であり、SAOから帰還した和人達学生は、普通の学生と同様に青春を謳歌している。
「和人、一緒に昼飯食いに行かねえか?」
そんな和人を昼食に誘うために呼び止める人物が現れる。声のした方を振り向けば、そこには三人の少年の姿があった。オレンジ髪の不良然とした少年――黒崎一護と、白髪の優しげな主立ちをした少年――アレン・ウォーカーと、ヘッドホンを首に提げた緩そうな雰囲気の少年――麻倉葉。いずれも、SAO時代に共に轡を並べてフロアボスに挑んだ仲間達――カズゴ、アレン、ヨウである。
話し掛ける口調までSAO時代とまるきり同じ。隔意を全く感じさせない、攻略組同士の会話そのものだった。ヨウの昼食への誘いに、しかし和人はやんわり断る。
「悪いが、先約がある。お前達だけで食堂に行ってくれ」
「先約……ああ、成程」
和人の言葉に、アレンは得心したように頷く。その後ろでは、一護が溜息を吐き、ヨウは相変わらずのほほんとした表情のままだった。
「ったく……いい加減白黒つけたらどうなんだってんだ」
「まあまあ、オイラ達がどうこう言って解決する問題じゃないだろう?まあ、なんとかなるさ」
ともあれ、三人とも事情を察してくれたようなので、和人は先を急ぐことにした。
「……悪いな。行かせてもらう」
「ええ。行ってあげてください、彼女のところに」
アレンにも促され、目的地たる中庭を目指す和人。木々の緑に覆われたトンネルを潜り、レンガの敷き詰められた道を踏みしめて向かった先にあるのは、花壇に囲まれた小さくも美しい円形の庭園。その中央には、四方を向いて配置されたベンチがある。そしてその一角に、彼女は座っていた。
「明日奈さん、お待たせいたしました」
「お疲れ様、和人君」
軽い挨拶をして、こちらへ微笑みかける明日奈のもとへ歩み寄ると、会釈して隣に座る。だが、この場所へ来るまでの動きも含めて、一連の和人の動きは常の彼にしてはやや緩慢だった。明らかに身体に何らかのハンデを抱えている。そんな風に思わされる和人の様子がどうしても気になった明日奈は、心配そうな表情で和人へと問いかける。
「和人君……身体、大丈夫?」
「……一応、問題はありませんよ。今ではもう、松葉杖無しで歩けますしね。そちらはどうですか?」
「こっちも概ね良好かな。松葉杖無しで歩けるようになったのは、つい最近だけどね」
和人の体調を心配して声を掛けた明日奈だが、逆に心配されてしまった。それもその筈。この二人は数ヶ月前までは同じ病院に入院し、退院後も幾度か通院して顔を合わせていたのだから。SAO生還者である明日奈は言わずもがな、和人の方は昨年十一月に覚醒していたものの、明日奈を含む未帰還者三百名を解放する際に、銃撃を受けて入院を余儀なくされていた。
「経過は順調だって聞いたけど……剣道の方は、稽古とかはまだできないんでしょう?」
「激しい運動ができないことは確かですね。今のところはできることといえば、無理をしない程度にトレーニングを行い、全快までに筋肉が落ちないよう努力することくらいです」
「……ごめんなさい。私のせいで……」
「あなたが気に病むことはありませんよ」
非常に申し訳なさそうな顔で接する明日奈に、しかし和人は気にするなと言う。未帰還者三百名が解放されたその日、腹部に銃撃を受けた和人は、負傷から比較的早期に病院に運び込まれたことで奇跡的に一命を取り留めたものの、一週間もの間生死を彷徨うこととなったのだ。この報告を聞いた明日奈は衝撃を受けると共に顔を真っ青に染め、覚醒時の衰弱も相まって卒倒してしまった程だ。
そもそも和人が病院に来た理由は、明日奈の覚醒を確かめるためであり、それを頼んだのは明日奈自身なのだ。その結果、待ち伏せしていた須郷に襲撃されたのだ。武術を嗜む和人ならば、須郷程度軽く捻じ伏せられたが、明日奈の救出に際して現実世界そのままの痛覚で、身体を切り刻まれるダメージを受けて精神的に著しく消耗していたことが重傷を負う要因となったのは間違いない。負い目を感じるのは無理も無い話だった。
「須郷に撃たれた件については、俺のミスです。あの時点で須郷からの反撃を予測していれば免れた怪我です。明日奈さんには責任はありません。それより、あなたのお父さん……彰三さんはどうしていますか?CEOを辞任したとは聞いていましたが」
「うん。一時期は相当落ち込んでいたよ。人を見る目が無かったってね。ああそれから、私を助けてくれた和人君にまで危険な目に遭わせたことについては、今でも申し訳なさそうにしているよ」
SAO未帰還者を解放したその日に須郷が起こした銃撃事件によって負傷した和人が目覚めた際、付きっきりで看病をしていた直葉をはじめとした家族や、同病院に入院していた明日奈に次いで早々に会いに来て深々と頭を下げて謝罪したのは、明日奈の父親である結城彰三だった。部下である須郷の暴走を看過し、恐ろしい人体実験が自身の会社で行われていたという事実に対し、激しく後悔を抱いていた。さらに、須郷の暴走の末に、明日奈を救ってくれた恩人である和人が負傷した件について、傍から見ても分かる程に凄まじい負い目を感じており、それは今でも続いていた。銃撃によって入院した和人が明日奈と同じ病院に入院し、最先端の高度な治療を受けることができたのは、入院費用を彰三が全額持ってくれたお陰だった。
彰三や明日奈が内心で未だに負い目を感じ、申し訳なく思っていたことは、和人本人も理解している。だが、和人自身もSAO未帰還者を監禁している巨悪たる須郷が関与しているこの事件に首を突っ込む危険性は理解していたのだ。故に、今回の銃撃に関しては自己責任的な面もあり、これ以上明日奈や彰三が罪悪感を覚える必要は無いというのが、和人の考えだった。
「須郷も既に捕まったんです。これ以上引き摺るのは不毛の一言に尽きます」
「……そう、かもしれないね。けれど、少しだけ分かったこともあるの」
「?」
少しだけ遠い眼で、何かを思い出すように言って、明日奈は続ける。対する和人は、どこか雰囲気の変わった明日奈の様子に疑問を持ちながらも、顔を向けて聞き入ることにした。
「本人が気にしないって言ってくれていても、どうしても忘れられない……『罪の意識』っていうのは、そう簡単には消えない。だから、和人君もずっと一人でいようとしていたんだね」
「…………」
「勿論、アインクラッドに居た時の和人君……イタチ君の苦悩を、全部分かってあげられたとも思っていないよ。それでも……ほんの少しでも、君の気持ちを理解できたらって……ね」
和人の気持ちが少しは分かると言った明日奈の瞳に、しかし自惚れの色は無かった。口にした通り、断片的にしか分かっていないこと自体を理解していることは間違いない。他者の気持ちというのは、自分が似たような立場になった時に、初めて断片的に分かるものである。それを学んでも尚、困難や柵を承知で和人との繋がりを希求する明日奈がいた。
「それでね……あなたのことを本当の意味で知って、その全てを受け止められるようになりたいって、そう思っているの。そんな日が本当に来るのか、分からないけどね。でも……そうなりたいっていう気持ちは本当だよ」
他者と関わることの難しさを、実体験を経て知った明日奈の姿は、ただがむしゃらに和人ことイタチに接近することで距離を縮めようとしていた頃の危うさや無鉄砲さに似た雰囲気は感じられない。ただ只管、和人と向かい合おうとする、真摯な姿がそこにはあった。
「だから……私がそんな風になれたら、もう一度、聞いてほしいの。私の、本当の気持ちを……」
「……分かりました。」
アインクラッドが崩壊を迎えた時、明日奈は自身の本当の気持ちを打ち明けていた。だが、明日奈が口にした言葉は、告白の帳消しと同義だった。
しかし、和人はその考えを否定することは無かった。というより、この申し出は、和人にとってもありがたいものだった。アインクラッドで多くの者達と関わり、変わったと自覚することができた和人だが、未だに他者との距離感は曖昧だった。故に今は、明日奈の気持ちに答えることはできないと感じていた。
そして同時に、和人自身もこのままではいられないと思った。和人の気持ちを告げるために、明日奈は誠心誠意努力することを誓ったのだ。和人もまた、その気持ちに応えねばならない。この先、互いの関係がどうなるかは、和人にも明日奈にも分からない。もしかしたら、何も変わらないかもしれない。しかし、互いに分かり合おうとする意志力があったならば、結果はどうなろうとも、きっと良い方向に進む筈。和人と明日奈、二人は奇しくも同じことを考えていた。
「まあ、辛気臭い話はこれくらいにしようか。和人君、お昼ご飯作ってきたから、食べてみてくれる?」
「それでは……いただきます」
だがとりあえずは、小さなことから始めることにした。今すべきは、須郷の銃撃事件で生じ、未だに残っている負い目によって生じた距離感を取り戻すことである。事情が事情であり、SAO事件当時には危険を共にすることによる吊り橋効果で急接近することすら無かった間柄である。焦らずゆっくり、相手の気持ちを理解し、自分の気持ちとも向き合って行く。それこそが、和人と付き合い、距離を縮める最善の策だと、二人は思っていた。
「全く……本っ当に煮え切らないわねぇ……」
「リズさん……じゃなかった。里香さん、覗きなんて趣味悪いですよ。やめた方がいいですって」
カフェテリアの西側、その窓際に位置する席から中庭を、正確にはそこにあるベンチに座りながら昼食を取る男女を見る二人の女生徒がいた。いちごヨーグルトドリンク片手に苛立ちを露にする少女は篠崎里香、それを窘める少女は綾野珪子である。リズベット、シリカというプレイヤーネームで呼ばれていた、SAO生還者であり、この学校の学生である。
「だってさぁ……SAOの時には、あんなにサポートしてあげたっていうのに、そんなに進展してないじゃない。全く、あたしの努力はなんだったんだか……」
かつてSAO時代に、アスナがイタチに懸想していることを知ったリズベットこと里香は、その恋を応援するために雪山まで同行して金属を調達し、剣を鍛えた経緯がある。その後も事あるごとに恋愛相談を持ちかけられ、恋愛成就のために一肌脱ぐ姐御キャラとしてアスナを支援していたのだ。だが、SAOクリア後の現在は、昼食を共にするのがやっとというのが現実。苛立つなと言うのは無理な話だ、というのが里香の意見だった。
「努力っていっても、剣を巡ってデュエルしたくらいじゃないですか。あれ以来、仕事の依頼は無かったんでしょう?」
「だってアイツ、オヤマダ武具店ばっか行くんだもの。たまに明日奈に連れられて来ても、全然アイテム買わないし……」
SAO時代の和人の行状に関して次々愚痴を垂れる里香に対し、珪子は苦笑を浮かべるばかりだった。和人ことイタチが決して悪い人間ではないことを知っている珪子としては、弁護して認識を改めたいのだが、苛立ちを露にヒートアップする里香を止める術が無い。
「そのへんにしておけ、里香」
「めだか……」
「めだかさん!」
そこへ珪子にとっての救世主の如く現れたのは、SAOのアバターと全く同じ、艶やかな紺色の長髪を靡かせた美少女。SAO事件当時、アインクラッド攻略の最前線に立った攻略ギルド『ミニチュア・ガーデン』のリーダーのメダカこと、黒神めだかである。
「イタチがマンタの店しか利用しなかったという話しだが、仕方ないだろう?ベータテスターの顔馴染みだし、デスゲーム開始当初からアイテムの供給や資金援助をしていた間柄だ。浮気するのは躊躇われたんだろう」
「そんなこと言ったって……」
「あんまり根に持つのは、私も感心しないよ」
「深幸……あんたまで」
めだかに次いで、里香を窘めるように割り込んできたのは、黒髪のショートカットで右目の泣き黒子が特徴的な少女、綾瀬深幸(あやせみゆき)である。SAOでは『サチ』というプレイヤーネームを使っていた彼女は、和人や明日奈、めだかのような攻略組ではなかったが、シリカと同じ様にとある事件をきっかけに和人ことイタチと関わりを持った人物の一人だった。
SAO時代に結成した、以前通っていた高校のパソコン研究会のメンバーで構成されたギルド『月夜の黒猫団』のメンバーとも繋がりが続いていたが、この高校へ入ってからは攻略組か否かを問わず、交流の輪がより広くなっていた。イタチという、ある意味SAOにおいて有名人な人物と知り合いだったというステータスも相まって、明日奈や里香、珪子、めだかといった女性プレイヤーとは友人関係になっているのだった。
「剣技や攻略の作戦指揮では一流だが、色恋……というより、他者と関わりを持つのが苦手なのだろうな。まあ、我々も気長に待つだけだな」
「そうだね。それより、今日のオフ会は、皆行くの?」
和人のことに関しては、最早仕方ないと結論付けためだかの意見に同意する一同。そして、深幸が話題転換を図るべく、本日放課後に予定されている催し物について参加を問う。
「勿論、参加します!」
「私も!」
「無論だな。そもそも、会場が会場なのだ。私が参加しない筈があるまい」
問われるまでも無かったらしい。その場にいた全員、参加表明するのだった。
そして、その日の放課後。普通の学校と同様、部活動に勤しむ生徒やそのまま帰宅する生徒が行き交っていた。そんな中、和人はどちらにも属さず、校門を出てある場所を目指していた。校舎の敷地の外周部を歩くことしばらく、道路の端に停められていた車の前でその歩みを止めた。
「お待たせしました、ワタリさん」
「いいえ、お気になさらずに。それより、早く車へお乗りください」
そこでは、黒い執事服に身を包んだ白髪に白髭、眼鏡をかけた男性が和人を待っていた。軽く会釈すると、車の扉を開いて和人を招き入れると、車を発進させる。ワタリの運転する車は、SAO生還者達の通う学校を離れていき、初めてワタリの車に乗せてもらった時と同じルートを進んでいく。そして、辿り着いたのは以前に訪れた事のある高層ビルだった。地下駐車場に入った車から降りた和人は、以前にも通ったことのある扉へ案内された。
「申し訳ありませんが、通信機器は全てこちらに」
「了解しました」
以前にも指示された通り、手持ちの通信機器を預けて中へと入っていく。エレベーターで地下へと至り、最初に竜崎と出会った部屋の扉へと至った。
「既に竜崎は中にいます。それともう一人、和人様とは別に、ゲストが到着しております」
「ゲスト……その方は、竜崎の正体を御存じなのですか?」
「はい。『ファルコン』と言えば、お分かりになりますか?」
「!……来ていたのですか」
ワタリが口にした『ファルコン』とは凄腕のハッカーであり、Lこと竜崎と並んでALO事件を解決に導いた立役者の一人である。卓越したハッキングスキルで数々の犯罪者を摘発するという、ある意味Lに似た功績を作っていた伝説のハッカーとして知られる人物だが、その素性はL同様謎に包まれており、性別・年齢・本名等一切が不明とされていた。
それが今、竜崎ことLと一緒に部屋の中にいるという。事件関係者である以上、和人がファルコンとも顔を合わせる機会があると予想はしていた。だが、己の正体を秘匿したがる竜崎ことLが同席し、三人揃って会うことになるとは思わなかった。
「それでは、中へどうぞ」
話はそれまでと、ワタリがカードキーを使って扉を開く。両開きの扉が開くと、中は以前見たのと同じ、デスクの上にいくつものコンピュータが置かれていた。捜査本部然としたその部屋の一角にある小さな椅子に、二人の男性が腰かけていた。
「和人君、こっちです」
「おう!久しぶりだな、イタチ!」
一人は、膝を抱えた特徴的な姿で座る、目の下に隈のできた男性。もう一人は、和人と同じ学校の制服だが、ワイシャツをズボンから出すなどだらしなく不良然とした姿の少年だった。
「高木藤丸……お前か」
校舎の少年の名前は、高木藤丸。SAOでは、攻略ギルドの聖竜連合に所属していたメンバーの一人であり、キャラクターネームは『ファルコン』。天才ハッカーのファルコンがSAO生還者だったと聞き、まさかとは思ったが、現実世界でハッカーとして名乗っていた名前をそのままSAOで使っていたらしい。
「意外でもないだろ。SAOじゃあ、そのまま『ファルコン』だったんだからな」
「まあ、ある程度予想はしていたがな」
「でも、こいつの方がびっくりだろ。何せ、あのリュウザキの正体が、こんな引きこもりっぽい男で、しかもあの『L』だったんだぜ。予想の斜め上を行き過ぎだろ」
「余計なお世話です」
ファルコンこと藤丸の容赦の無い評価に、言われた当の竜崎は若干不機嫌そうな声色で答える。表情の変化に乏しい竜崎だが、あまり良い感情を抱いていないことは、和人にも分かった。
「それより、俺達をここへ集めた理由についてそろそろ説明して欲しいのだが?」
脱線を始めた話の軌道修正をするべく、和人がこの場所へ自分達が集められた理由について、主催者たる竜崎へ問いかける。
「そうでした。和人君と藤丸君にこの場所へ来てもらった理由についてですが、まずはALO事件についての報告です。」
「ALO事件については、須郷が逮捕されたことで実質的に解決されたと思うが……事後処理について何かあったのか?」
「はい。主犯の須郷に齎される刑罰についてですが、略取監禁と人体実験の罪状の成立はほぼ確定です。和人君を襲撃した際の、傷害・殺人未遂・銃刀法違反をはじめ、藤丸君の活躍のお陰で、レクト・プログレス本社で脱税、横領、株式の不正取引等が明らかとなりました」
「これで奴の社会的信用は完全に地に堕ちたな。蓄えていた研究内容についても、警察組織や政府が押収したのを横領しようとする連中がいたが、全員潰しておいた」
「……事後処理まですまないな」
須郷の性格は下衆であり、積み重ねてきた所業も凶悪かつ残忍そのものだが、研究自体は軍事等において高い有用性を持つ上、人工知能開発の足掛かりにもなり得るのだ。押収されたそれらを狙い、警察や政府が管理するサーバーに攻撃を仕掛けるハッカーが現れてもおかしくなかった。そこでファルコンこと藤丸は、Lこと竜崎と手を組むことで、第二・第三の須郷とも呼べる存在が出現するのを防いでいたのだった。
「予想外の事態が連続していたが、ようやく事件も完全に決着か」
「そうだな。俺もバイト先兼就職先ができたし、万々歳だな」
「……バイト先?」
藤丸が口にした予想外の単語を訝しむ和人。バイト先、さらには就職先とも言った。一体、どういうことだろうか。
「ああ、和人にはまだ言ってなかったな。俺、これから竜崎の下で仕事することになったんだ」
「本当なのか?」
「はい。彼の優秀なハッキングスキルには、目を見張るものがあります。これまで幾人もの犯罪者を摘発してきた実績もある以上、戦力としては申し分ありません」
成程、納得できる理由である。名探偵『L』と伝説のハッカー『ファルコン』が手を組めば、まさに鬼に金棒だろう。同時に、竜崎が顔を晒してこの場所にファルコンを呼びこんだ理由についても納得した。先に二人がこの場所に来ていたのは、これから仕事を共にする関係で顔合わせをすることが目的なのだろう。
「コードネームはファルコンに因んで『F』です」
「……興味本意で聞くが、お前の組織の構成員は全員アルファベットで呼ばれているのか?」
「組織、というわけではありませんが、大概が私のようにアルファベットで呼び合っていますね。『F』も以前はいたのですが、五年前のウイルステロ事件で殉職して、空席になっていました」
「オイィッ!俺は補充要員かよ!縁起でも無え!」
「ちなみに、『I』も空席です。残念ながら『K』はお譲りするわけにはいきませんが」
「悪いが断る。俺はまだ進路を決めかねている」
抗議する藤丸を余所に、さりげなく和人をスカウトする竜崎だったが、素気無く断られるのだった。忍としての前世を持ち、卓越した身体能力と戦闘能力を持つ和人を犯人逮捕の実働部隊として取り込めば、戦力倍増は間違いない。竜崎が藤丸と同様に戦力として欲しがるのも無理は無い話だった。
「そうですか……気が変わりましたら、いつでも声をかけてください。歓迎します」
「ああ。それから、お前の組織に属すつもりは無いが、仮想世界絡みの事件で俺の助けが必要になったら、出来る限りの協力はするつもりだ。こっちも必要ならいつでも声をかけろ」
「そうさせていただきます。ああ、あとそれからもう一つ」
「なんだ?」
「私の親友の仇を討ってくれたことに、改めて感謝します」
その言葉に、和人は頭の中に疑問符を浮かべた。竜崎が口にした『親友』とは誰のことなのか。SAOの中ですら他者との交流がほとんど無かった竜崎に、そんなものがいたこと自体、初耳である。一体誰のことを言っているのかと和人が問いを投げようとするが、それに答えたのは藤丸だった。
「ライトのことだ。お前もベータテスターだったんだから、知っているだろう?」
藤丸の口にした、『ライト』というプレイヤーネームに、和人は心当たりがあった。ベータテスト時代、カズゴやアレン、ヨウといったプレイヤーと並んで、正式サービス開始時に強豪となり得るとして和人がマークしていたプレイヤーの一人である。実力があることに加え、頭脳派で相当な切れ者だったため、デスゲームという状況下にあっても攻略組を率いると和人は考えていた。だが、デスゲーム開始から二カ月が経過した時点において、アルゴが調べたベータテスターの戦死者リストに名前を連ねていたのだった。死因はベータ版には無かったトラップに掛かったことが原因とされていた。
「私がSAOをプレイしたのは、ライト君の誘いがきっかけでした。デスゲームが開始された時、私は飽く迄ゲーム世界脱出のための抜け道を模索しようと考えましたが、彼は正攻法によるゲームクリアを唱えたことで、私達は対立してしまいました。結果、彼は私と袂を分かち、フィールドで命を落としました」
「……だが、それがお前の責任というわけでもないだろう」
「それを言うなら和人君もそうでしょう。しかし、ライト君は正しかったんです。茅場晶彦が作りだしたゲームには、抜け道など一つとしてありませんでした。そしてそれは、現実世界においても同様でした。解決後に聞いた話なのですが、どうやら茅場晶彦は、私の……『L』の正体を掴んでいたようです」
「それは本当なのか?」
驚いた様子で尋ねる藤丸の問いに、しかし竜崎は首肯する。和人は大して驚いた様子は無く、あの茅場ならばやりかねないと、半ば以上納得さえしていた。
「茅場晶彦が私の正体を知るに至ったきっかけは、彼が私の育った施設を訪れたことがきっかけでした。世界中から集めた優秀な孤児たちに英才教育を施し、優秀な人材として世に輩出することを目的としたその施設に、茅場晶彦はコンピュータ系の情報技術を指導する講師として呼ばれていました。無論、その施設がLと通じているということは他の講師にも一切漏らさない機密事項だったのですが……どうやら、SAO事件を引き起こすに当り、Lやその関係者が動くことを予測し、訪問前にこの施設だと当りをつけていたようです。講師として訪れた後、茅場晶彦はその伝手を利用しては機密性の高い名探偵Lの情報を密かに集め、秘密裏に解決した事件のデータを入手していました。そして、SAO事件勃発に伴い、Lやその関係者が捜査に動いた場合、それらの情報がリークされると通告し、私の関係者の動きを完全に封じたというわけです」
「成程……SAO事件を解決する可能性のある人物についても根回しを行い、事前に動きを止めていたというわけか。」
一万人ものプレイヤーを仮想世界へ閉じ込めるという大事件を引き起こすのだ。世界的名探偵のLが動くことは予想していてもおかしくない。日本警察の目を欺く自身はあったようだが、Lでは相手が悪いと判断し、予め捜査参加ができないよう手を打ったのだ。結果としてその策は功を奏し、SAO事件は二年に及ぶ膠着状態となったのだ。どこまでも抜け目ない茅場の計画に、藤丸は戦慄し、和人は内心で舌を巻いていた。
「お前やお前の関係者が捜査に介入できなかった理由は分かった。だが、SAO事件当時も、数週間が経過したあたりでお前達も助けが来ないことには気付いたんだろう?」
「はい。しかし、私がその結論に至った時には、プレイヤーとしては完全に出遅れていました。攻略組に追いつくことができないあの状況で私ができたのは、第二層から姿を現し始めた犯罪者プレイヤーに対処することだけでした。しかし、それはSAO内部におけるプレイヤー同士の問題の解決にはなっても、デスゲームと言う根本的な問題の解決にはなりませんでした。これではライト君の仇を討つ事もできず、私が第一層から予見していた、現実世界の人体の限界が訪れる。しかし、あなたは私の予想を裏切り、第百層に到達する前に茅場晶彦を討ち取り、ゲームをクリアしてくれました。本当に、ありがとうございます」
改めて頭を下げて感謝を述べる竜崎。その姿はいつになく真摯で、竜崎の中でライトの存在がどれだけ大きかったかを表していた。そんな竜崎の姿を見て若干驚いた和人に対し、藤丸が続けた。
「ライトとは、五年前の事件を解決した間柄だったからな。竜崎にとっては、初めてできた友人だったんだしな」
「五年前……あのウイルステロ事件か」
そういえば、和人が竜崎と初めて出会った時にも、Lとしての正体を語る上でそんなことを言っていた。ブルーシップと呼ばれるテロ組織を壊滅させるために働いた三人の功績者がおり、竜崎ことLもまたその一人である、と。ライトも恐らく、その一人だったのだろう。そして、藤丸もまたそれを知っていたということは……
「藤丸……お前もあの事件に関わっていたのか」
「正解だぜ、イタチ。ブルーシップが使う航空便を割り出したりして、連中の動きを把握するためにLに手を貸していたのは、俺だったんだぜ」
パズルのピースが嵌まるかのように、全ての謎が解けた。竜崎と、彼が認めた天才少年のライト。そして天才ハッカーのファルコンの三人が協力して解決したのだ。だが、藤丸の実年齢は和人の一つ上。つまり、事件当時は中学一年生である。中学生でテロリストの捜査に通用するハッキングスキルを持っていたというのだから、恐れ入る。
「……成程。お前達の繋がりは大体分かった」
「まあ、そういうことです。あと、ライト君についてですが、お父さんがあなたのもとを訪れたと聞いています。覚えはありませんか?」
「ライトの父親?…………そういえば、銃撃で入院していた俺のところへ、眼鏡をかけた警察庁の刑事部部長を名乗る男性が、聴取をしに来て、最後に俺に感謝していたが……確か名前は、夜神総一郎だったか」
「その通りです。ライト君……夜神月君の父親であり、親を知らない私の知る限りにおいて、立派な父親です」
真剣みのある声色で語る竜崎に、和人は確かにと得心する。真面目な雰囲気で、いかにも正義感の塊といった人物だった。その姿は、和人の前世の父親であるうちはフガクを彷彿させるものでもあった。
「ともあれ、話はここまでだな。今日は俺達はこれからオフ会だ。竜崎は一緒に……来れないか」
「はい。申し訳ありませんが、私は職業柄、顔を出すことができません。私以外の皆様でお楽しみください」
「分かった。悪いな、竜崎」
和人と藤丸は竜崎へ軽く会釈すると、席を立って部屋の出口を目指す。
「はい。私もまだしばらくは日本に居る予定ですので、また会うこともあるでしょう。ワタリ、二人を会場まで」
「了解しました」
竜崎の執事であるワタリに案内されるままに、駐車場まで送りだされる二人。そして、行きに乗ってきた黒い車に乗せられ、基地のあるオフィスビルを出て行く。
「それじゃあ、オフ会の会場まで頼みます。場所は……」
「申し訳ありませんが、俺は駅の方で下ろしてもらえますか?」
車を運転するワタリに行き先を指示しようとした藤丸に割り込んで、和人が行き先の変更を願い出る。
「なんだ、そのまま会場に行くんじゃないのかよ」
「悪いが、迎えに行かなきゃならない相手がいるんでな。お前は先に行っていてくれ」
「仕方ねえな……まあ、いいぜ。俺は先に向こうに行って皆と待ってるわ。ってことで、ワタリさん。和人を駅まで連れてってください」
「かしこまりました」
藤丸の、正確には和人の行き先変更を聞き入れ、ハンドルを切るワタリ。初めて車に乗せてもらった時と同じ、同乗者に揺れをほとんど感じさせない快適な乗り心地を提供しながら、しかし決して遅くはない運転で、高級車は目的地を目指すのだった。
サチの本名ですが、電撃風で「幸」という漢字を使おうと考えた結果、こうなりました。
リーファこと直葉とは仲良し。ALOの種族はウンディーネで、得意魔法は氷属性という設定にするつもりです。