ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
基本、登場させるパロキャラは、ジャンプ、サンデー、マガジンのいずれかの人気作品に登場していることが条件になっています。
和人を中心に思い出話に花を咲かせて盛り上がる喧騒の外で、直葉は一人その様子を眺めていた。普段は見せない、困り果てて立ち尽くす和人を中心に、SAO時代の話しに花を咲かせる元プレイヤー達と、和人を巡って言い争う女性達。同じ世界を生きた者同士の世界が目の前にあり、中心に居る和人と自分を隔てる見えない壁が存在するかのように思えてしまう。
「どうしたの、直葉ちゃん?」
「蘭さん……」
そんな直葉に声を掛けたのは、彼女と同じシルフ族のALOプレイヤーの毛利蘭だった。彼女も直葉同様、SAO生還者ではないが、ALO事件を解決した立役者の一人として、直葉と共にこのオフ会へ呼ばれていたのだった。
「なんか、居辛くて……」
「ああ、成程ね。私の方も、新一が勝手に盛り上がっちゃってね。ほら、あそこ。こうして私だけ置いてけぼりにされちゃったのよ」
「……ちょっと、寂しいですよね」
SAO事件から引き摺っていた因縁全てを清算し、真の意味で仮想世界から帰還した筈の兄の姿が遠く感じる。和人の家族であり、ALO事件を解決するために和人と協力した立役者の一人である筈の自分が、何故かここにいることが場違いに思えてしまう。言いようの無い、寂寥感や空虚感に似た感情が心を支配し、居心地を悪くしているような気分だった。
「全く……新一もそうだけど、和人君も本当に仕方ないわね」
「いやぁ……でも、仕方ないですよ。お兄ちゃんにはお兄ちゃんの付き合いがあるんですから」
「けど、それで引け目を感じて諦めることは無いわよ。和人君の傍に居たいのなら、思うままに行動すると良いわ」
「そう……ですね」
蘭から激励の言葉を受けて、しかし直葉は力無く返事をすることしかできなかった。だが、いつまでも元気の無い姿を見せるわけにもいかないと思った直葉は、ここで一つ、先輩をからかいを入れることにした。
「私もそうですけど、蘭さんも新一さんと、もっと仲良く……いえ、進展できるように頑張ってくださいね」
「なっ!ちょ、ちょっと直葉ちゃん!」
普段は大人しい後輩からの奇襲に、蘭は顔を赤くしてしまう。傍から見ても、非常に分かりやすい反応である。そんな、慌てふためいた蘭の姿を見て、直葉は笑いながらからかいをエスカレートさせていくのだった。
背中を押すために励ましの言葉を送る蘭だが、直葉の機転のお陰で、暗かった表情は幾分か明るさを取り戻していた。一方の直葉は、蘭と話をしている傍らで、その視線はすぐそこでSAO帰還者達の輪の中心に立っている和人の姿を捉えていた。
ただし、すぐそこに居る筈の和人と自身、互いの距離は、やはり曖昧なままだった――――
アルヴヘイム・オンラインの世界の中心に聳え立つ巨木、『世界樹』。かつてはグランド・クエストの舞台として知られ、それを征した者のみが到達できる聖域と化していた頂上部には、巨大な街が作られていた。その名も、『イグドラシル・シティ』。新生ALOのアップデートに伴い、新たに作られたこの街は、根元にある央都アルンと世界樹内部に作られたエレベーターを通して繋がっており、アルヴヘイム一高い場所にある街として知られている。
そして、現在時刻は十時五十分。月が天高く昇っている、現実世界と同じく夜景も美しい現在、イグドラシル・シティの広場には、数十名のプレイヤーが集まっていた。皆、種族も武器もバラバラで傍から見ると何の集団なのかはまるで分からない。
「……遅いな。リーファの奴、何をやっているんだ?」
そんな集団の中心に立つ、黒ずくめの少年プレイヤーが訝しげに口を開いた。頭には猫の耳と尻尾を生やした少年の種族は、モンスターのテイム能力に特化した猫妖精族『ケットシー』である。苛立ちと心配を綯い交ぜにした声を発するその少年に、禿頭のチョコレート色の肌をした土妖精族『ノーム』の中年プレイヤー、エギルが話し掛ける。
「オイオイ、イタチよぉ……お前等同じ家にいるんだろう?どうして一緒にダイブしなかったんだよ」
「直葉が先に行っていると言い出したんだ。約束の時間についても念を押した」
「それがどうして、来ていないんだよ。お前ぇ等、何かあったんじゃねえか?」
エギルに次いで口を開いたのは、現実世界同様、頭に悪趣味なバンダナを巻いた火妖精族『サラマンダー』の男性プレイヤー、クラインである。この場所にいるのは、イタチをはじめ元SAOプレイヤーであり、エギルやめだかが主催したオフ会の出席者で占められている。その二次会に相当する集まりを、同日十一時に予定していたのだが、未だに予定していたメンバーは全員集まっていなかった。その最後の一人こそ、イタチの妹である、直葉ことリーファだった。
「何があったか……俺の方が知りたいくらいだ」
「全く……SAOの頃はアスナと色々あって、今度は妹?あんたはどんだけ女の子を振り回せば気が済むのよ」
「リズの言う通りだよ。私ともそうだけど……妹さんとも仲良くしないと駄目だよ、イタチ君」
リーファ不在の理由が分からないと言うイタチに対し、避難の視線を浴びせるのは、鍛冶妖精族『レプラコーン』のリズベットと、水妖精族『ウンディーネ』のアスナだった。前述通り、SAO時代に女性関係で複雑な経緯があったイタチは下手に反論することはできず、沈黙を貫くばかりだった。
「ふふふ、道場と仮想世界では最強の和人君でも、女の子の相手はやっぱり厳しいみたいね。でも、直葉ちゃんはあなたのこと、自慢のお兄ちゃんだって言ってるんだから、頑張らなきゃ駄目よ」
「……承知した」
「それから、コナン君も他人事だと思わないように。あんまり無茶ばっかりして、周りをやきもきさせるのは控えなさい」
「分かったよ……」
ランから小言を受けたイタチに続き、そのとばっちりを食らったコナンまでもが返事をするなり閉口した。二人とも、かなり痛いところを突かれたとばかりにばつの悪そうな顔をしていた。
「二人とも、よろしい。けどイタチ君は、そのリーファちゃんを迎えに行かなきゃね。さあ、今すぐに行ってらっしゃい」
「ああ、分かった」
リーファの親友にして、同じ風邪妖精族『シルフ』のランに促され、今ここに居ないリーファを探すべく背中にスプリガンのイメージカラーである黒い翅を広げるイタチ。飛び立つ前に、その場にいた仲間達の方を向く。
「リーファを探しに行ってくるが、時間までに戻らなかったら、先に行ってくれて構わない」
「分かったよ。イタチ君、リーファちゃんによろしくね」
「了解しました、シバトラさん」
集合したメンバーを代表するように前へ出た猫妖精族『ケットシー』のシバトラに一言断ると、イタチはフレンド登録しているリーファの居る方角を確認してその方向へ飛び立った。
(リーファは……まだ見えんか)
月と星々の光が注ぐアルヴヘイムの夜空を高速で飛行しながら、イタチはリーファを探す。リーファは既にログイン時に逗留していたケットシー領地の首都『フリーリア』を出てアルンへ向けて飛び立っているようだった。フリーリアからアルンへ至るための最短ルートは、蝶の谷と呼ばれる場所を通過した後、平原をひたすら真っ直ぐ飛ぶのみであり、ルグルー回廊のような飛行禁止エリアは存在しない。
妖精王オベイロンこと須郷伸之の支配したALOが崩壊し、新たな管理者によって誕生した新生ALOには、飛行時間に制限が存在しない。旧ALOにおいて、グランド・クエストの報酬とされていた限界飛行時間フリーパスが、全てのプレイヤーに付加されているのだ。飛行限界高度と飛行禁止エリアは存在するが、このゲーム最大の目玉たる飛行エンジンは大幅にバージョンアップされているのだ。
お陰で、限界飛行時間が存在した旧ALOでは、飛行禁止エリアの無い場所でも到着に数時間を要した旅路も、数分の一まで時間短縮することが可能になった。特にリーファのようなスピードホリックのプレイヤーの場合は、フローリアからアルンまでの所要時間は三十分程度で事足りる。よって、リーファのいる場所にはそろそろ到達できる筈なのだが、未だにその姿を捉えられない。
(場所はこの辺りでいい筈だ……これで姿が見えないとなれば……)
フレンド登録によるマップ上の位置は、今イタチがいる場所のあたりで間違いない。これで見渡す限りの範囲で姿が見えないとなれば……
「上、か……」
恐らく、限界飛行高度ギリギリを飛行しているのだろう。リーファが何を思い余って飛んでいるのか分からないが、とりあえずこちらも飛行高度を上げることにした。そして、十数メートル上空へ飛んだところで、視界に目標の人物が入った。
「リーファ……!」
上空から雲を切り裂きながら落ちてくる人影。緑がかった金髪のポニーテールを靡かせながら地上へ向かって真っ逆さまに落ちて行くその人物は、紛れも無くリーファだった。恐らく、限界飛行高度に到達して、撥ね返されたのだろう。だが、何を考えているのか、翅を広げて体勢を立て直そうとする様子が無い。
このまま放っておけば、地面に身体を叩きつけられてHP全損は免れない。リメインライトを回収して蘇生アイテムを使えば済む話とはいえ、当然放置することなどできない。イタチは黄色の翅を広げ、漆黒のコートの裾を靡かせながら一気に加速してリーファの落下する方向へ先回りし、その身体を受け止めた。
「……お兄ちゃん?」
「危なかったな……どこまで昇るつもりだったんだ?」
「ご、ごめん……」
自分を受け止めて姫抱きするイタチを不思議そうに見るリーファだが、そんな妹に対し、イタチは咎めるような口調で話し掛けた。イタチの手を借りて体勢を立て直し、翅を広げて空中にほ場リングする。そして、ふと気になっていたことを問いかけた。
「ねえ、お兄ちゃ……イタチ君。なんで他の人みたいに、もとの姿に戻らなかったの?それに……どうして、新しいアカウントを取って、スプリガンからケットシーになったの?」
アスナをはじめ、多くの元SAOプレイヤーは、ALOをプレイする上でSAO時代のプレイヤーデータを引き継いでいる。故に、各種スキルの習得度は勿論、容姿に関しても髪色等に種族補正がかかっているとはいえ、現実世界のそれに近いものとなっている。だが、和人はSAOのデータを引き継いだサスケのデータを残しながらも、新たなアバター『イタチ』を作ったのだ。
SAO時代のアバターとは別に、レベル0に相当する新たなアバターを、ゲームを楽しむために生成する人間はアスナをはじめ複数いる。そのため、和人に対して新規アバター精製の理由を問う人間は特にはおらず、和人自身もその意図を明らかにすることはなかった。ちなみに、『ケットシー』を選択した理由については……本人も上手く説明できないらしい。これはリーファも知らないことなのだが、種族選択について考えた際、“前世の声”がケット・シー……否、ケットシーを押していたような気がして、結果的に選んだ経緯があった。
ともあれ、リーファは改めてイタチの新規アバター作成の理由について聞いたのだが、イタチは若干考え込むような素振りを見せた後、口を開いた。
「SAO世界のイタチ――ALOのサスケは、俺の前世の分身だ。戦いが終わった以上、悪戯に使うべきじゃない」
「お兄ちゃんが言っていた、前世の忍者のこと……だよね」
「ああ」
須郷伸之による銃撃から一命を取り留め、目を覚ました和人は、ある決意をしていた。それは、十年以上の間隠し続けていた秘密、即ちうちはイタチという名の前世の記憶について語ること。SAO事件に続き、須郷の銃撃事件で生死の境を彷徨ったことで、直葉には並みならぬ心配をかけたのだ。その上、前世の記憶を引きずり、自分と本当の兄妹になりたいと言ってくれた義妹に、これ以上秘密を隠し続けたくなかったのだ。
無論、異世界を生きた前世の記憶があるなどという話をしたところで、信用してもらえる可能性は非常に低い。怪我の後遺症で脳がおかしくなったと思われても仕方が無い。最悪の場合、軽蔑される可能性だってあった。かつてのうちはイタチには有り得ない、数々のリスクを顧みない甘い考えのもとでの選択だと今でも思うが、そこに後悔は無かった。
そして、直葉に前世の記憶云々の話をした当初は、当然のことながら本人には困惑された。今まで真面目な性格だった兄が、真剣な話しと言ってこのような荒唐無稽なことを言い出したのだから、当たり前の反応である。やはり、理解できるわけが無かった。和人はそう考えたのだが……何故か直葉は最終的に、この荒唐無稽極まりない話に納得してしまったのだ。
その反応に和人は思わず「本気で信じるのか」と口にしてしまった。言い出した身でありながら勝手な物言いだが、それだけ驚きを隠せなかったのだ。直葉からは「お兄ちゃんが言ったことじゃない」と至極真っ当な返しをされてしまい、言葉に詰まってしまった。ともあれ、信じることにした根拠を聞いたところ、直葉は「お兄ちゃんがこんなくだらない冗談を言う筈が無い」や「剣道や勉強が色々と規格外なのも全部説明がつく」などが理由らしい。忍術が使えないとはいえ、異世界で忍として生きた前世を持つ和人が、この世界において自分自身が如何に外れた存在であるかを改めて感じた瞬間でもあった。
「うちはイタチっていう名前だったんだよね。忍者のいる世界っていうけど、お兄ちゃんはその世界でもやっぱり強かったの?」
「……まあ、それなりにな」
「あと、何でもかんでも一人でやろうとして失敗したりしていたんじゃない?」
前世のうちはイタチの身の上については、ほとんど聞いていなかった直葉だったが、その予想はほぼ的中したと言ってもいいものだった。木の葉隠れの里の暗部やS級犯罪組織などに所属したのだから、うちはイタチが標準的な忍より抽んでた実力を持っていたことは間違いないからだ。加えて、二度目の転生を経た今でもトラウマとして引き摺っている失敗、その原因までも直葉は看破していた。
「やっぱりね。それで、弟さんの名前をつけたサスケ君のアバターを……SAOの『イタチ』のデータを、前世の記憶と同じように、戒めのために残しているんでしょう?」
「まあ、そんなところだ」
決して表面には出さずに、しかし内心では動揺しているであろうイタチと会話をする中で、リーファは寂しさの中に少しだけ嬉しさを感じていた。スプリガンの忍であるサスケと最初に出会い、旅をしたのは自分であること。そして、妹という立ち位置から、和人がこれまで話そうとしなかった前世の姿について正確なイメージを浮かべることができる自分がいる。SAOで二年間を共にした人間達よりも、和人の内面を理解できているかもしれない。そんな考えから端を発した、優越感にも似た感情が、イタチの隣に立つリーファの心を支えていた。
そこで、ふとリーファはあることを思い付いた。
「イタチ君、踊ろう」
「?」
唐突な提案に、疑問符を浮かべるイタチに、リーファは右手を握ってそのまま引っ張り、雲の立ちこめる空をスライドしていく。
「最近開発した高等テクなの。ホバリングしたままゆっくり横移動するんだよ」
「ほう……」
いきなりのダンスの誘いに戸惑うイタチだったが、リーファが開発した高等テクというものが知りたいと思ったため、一度棚上げすることにした。戦闘とは関係無いものの、SAOで数々のシステム外スキルを編み出してきた経緯のあるイタチである。システム設定に無い技術というものは興味が湧く。
「前加速するんじゃなくて、ほんの少し上昇力を働かせたまま、横にグライドする感じで」
リーファのアドバイスに従って動くのだが、なかなか上手く踊れない。地に足を付けた武術の動きならば、前世の写輪眼ばりの模倣技術を発揮してすぐにものにできるのだが、翅を広げて空中を飛んだ状態での動きはその限りではない。随意飛行を一日足らずで身に付けたイタチだが、空中戦に関しては一カ月以上の時間をかけてようやくリーファやユージーンといった上級者の域に到達したのだ。それでも相当な習得スピードなのだが、前世の体術や忍術よりも遥かに時間が掛かっていた。
そういうわけで、イタチはリーファの開発した高等テクニック『空中ダンス』に苦戦しているのだった。
「意外に難しいな……」
「現実世界では勉強も運動も得意で、ALOではユージーン将軍も倒せる程に強いのに、飛ぶのは相変わらず苦手みたいだね」
完全無欠に等しい兄の数少ない弱点をまた一つ見つけ、同時にその方面で自分が勝っていることに僅かな優越感を感じるリーファだった。そんな、若干誇らしげな笑みを浮かべるリーファを見て、イタチもまた僅かに笑みを浮かべていた。
だが、イタチも然る者。苦手分野とはいえ、高い学習能力でダンスの技術に徐々に磨きをかけていく。リーファから見て習得レベルはまだまだ初心者の域なのだろうが、その動きはぎこちなさが抜けていき、ダンスとしての形が成されていく。
「そうそう、上手い上手い。それじゃあ、乗ってきたところでそろそろ……」
イタチが上達したのを見計らい、腰のポーチから瓶を取り出して蓋を開ける。途端、瓶の口から弦楽の重奏が銀色の粒と共に溢れ出してきた。音楽妖精族『プーカ』のハイレベル吟遊詩人が自分達の演奏を詰めて売っている音楽アイテムである。
音色が聞こえてきたところで、イタチもリーファの意図を悟ったのだろう。音楽に合わせてステップを踏み始める。習得したばかりのスキルなだけに、イタチの動きにはぎこちなさが残るものの、上級プレイヤーのリーファのリードによって妖精二人のダンスは出来上がりつつあった。
(ふふ、やっぱりお兄ちゃんは凄いな)
ダンス技術をものにしつつあるイタチの実力に内心で舌を巻きつつも、今この時、二人きりで過ごす時間をリーファは楽しんでいた。SAO事件の記憶も、デスゲームを通して育んだ絆も関係無い。空の上、月明かりに照らされながら踊っているのは、リーファとイタチの二人きり。他の誰にも干渉されないこの空間は、自由なこの世界において尚一層リーファにとって居心地が良かった。
(けど、それも今だけ、なんだよね……)
現実世界の家や、この世界でどれだけイタチと一緒の時間を過ごしたとしても、リーファには届かない世界がある。仮想世界へ誘われて旅立った和人のことを理解したいと思い、ALOへと飛び込んだが、現実世界に帰還しても尚イタチの生きる世界は遠過ぎる。互いに想いを打ち明け合い、以前よりは互いの距離を縮められたが、どやらこれが限界らしい。或いは、本当の家族になりたいという願いが叶った今、それ以上を求めるのは過ぎたことなのかもしれない。
「リーファ?」
音楽が鳴り止み、空中で静止した状態で黙ったままのリーファを心配したように声を掛けたイタチに、リーファははっとしたように俯けていた顔を上げる。
「どうしたんだ?」
「ううん、大丈夫……それよりお兄ちゃん、あたしはもう今日は帰るね」
もう既に集合時間は過ぎているというのに、いきなり何を言い出すのかと疑問に思うイタチに、リーファは苦笑して口を開いた。
「だって……遠過ぎるよ。お兄ちゃん達の居る場所は……あたしじゃとても、辿り着けない……」
「…………」
目に涙を浮かべながら、悲しそうに、悔しそうに呟いたその言葉を、イタチは黙って聞いていた。抽象的な言い回しではあったが、それだけでイタチにはリーファの内心が伝わったらしい。神妙な面持ちで黙って聞いた末に……その手を取った。
「お兄ちゃん?」
「行くぞ、リーファ。お前も一緒に来るんだ」
有無を言わさず半ば強引にリーファを連れて飛ぶイタチに、連行されているリーファは戸惑うばかりで抵抗する間も無くなし崩しに引っ張られるままに飛ぶしかない。そうして飛び続けることしばらく。全力に近い猛スピードで飛行を続ける中、イタチは急ブレーキをかけて空中にて止まった。世界樹とその頂上にある街の灯りが先程より知覚に見えることから、この場所がアルンのユグドラシル・シティ付近の空中であることが分かった。
急ブレーキの反動で吹き飛ばされそうになる中、イタチに受け止められたリーファは、一連の兄の行動が理解できず、未だに困惑していた。
「えっと……お兄ちゃん?」
「残念だな……どうやら、間に合わなかったようだな」
「その……何、が?」
意味の伝わらない独り言を呟くイタチを怪訝に思うリーファだが、当人は質問に答えることなく空中に滞空して尚遠く広大な夜空を見上げていた。視線の先には、どうやら現実世界の夜空同様に浮かぶ丸い月を捉えているようだった。
「来るぞ……」
一体何を待っていたのかと思い、リーファも同じく月を見上げた。いつもと同じ、見慣れたアルヴヘイムの月……だが次の瞬間、アルヴヘイム・オンラインの古参プレイヤーであるリーファすら見た事の無い現象が視界の中で起こった。
「え……?」
アルヴヘイムにおいて本来有り得ない筈の光景に、驚きの声を上げるリーファ。視線の先、夜空のど真ん中に浮かんでいた月に黒い影が差し始めたのだ。これが現実世界ならば、月蝕の類と考えることもできるが、アルヴヘイムの月にこのような現象が起きたことは今まで一度も無い。それに、月を覆い隠さんばかりに現れた巨大な影は、円形とは違う、縦に長い円錐形。だが、これ程巨大なオブジェクトの正体が、まるで分からない。疑問ばかりが深まる中、今度はゴーン、ゴーンと重々しくも壮麗な鐘の音が響き渡る。途端、月を覆っていた巨大な浮遊物体が眩い黄色の光を放つ。
月をバックに光を放ちながら浮かび上がった物体の正体は、どうやらいくつもの薄い層を積み重ねて作られたものらしい。数十層に相当する高さを有し、その全高は数キロに達するかもしれない。幅にしても、最も広い最下層は直径十キロに相当すると思われる。
「あ……もしかして、これって……」
そこまで考えたところで、目の前で浮遊する物体の特徴に合致するものがリーファの脳裏に閃いた。イタチに視線を向けて問うと、案の定口元に笑みを浮かべながら首肯した。
「浮遊城アインクラッド――ソードアート・オンラインの舞台にして、俺達が二年間を生きた世界だ」
新生ALOを運営している新規ベンチャー会社は、旧レクト・プログレスからALOのデータを買い取るにあたり、アーガスからSAO運営を引き継いだ際に開発データの中に保存されていた、ソードアート・オンラインの舞台たる『アインクラッド』のデータもまた手に入れていたのだ。そして今、そのデータを完全に再現し、ALOの世界へ浮遊城アインクラッドを導入したのだった。
「あの事件では、七十五層までしか到達できなかった。だが、こうして復活が叶った以上は、今度こそ、あの城を制覇する。リーファ、今度はお前も一緒にな」
「お兄ちゃん……」
瞳を涙で潤ませながらイタチを見上げるリーファ。対するイタチは、そんなリーファの頭に右手を乗せて一通り撫でると、今度は人差し指と中指を揃えて、額を小突きながら、
「許せリーファ。ようやく、これで一緒だ」
「……あ……」
SAO事件が発生したあの日と同じ。だが、「許せ」の後に続いた言葉は「今度だ」、「後でだ」とばかり言っていた今までとは違う。「これで一緒だ」と、そう言ってくれたのだ。それは、約束を果たすという宣言。SAO事件が発生したあの日、リーファを現実世界に置いて行ってしまったイタチこと和人だったが、今はこうして約束を守って傍に居てくれて……その上、リーファだけが持ち得なかった思い出まで、これから共有してくれると言ってくれたのだ。その言葉が、想いが何より嬉しくて、リーファは胸がいっぱいだった。
「……うん!」
だからこそ、リーファにはその手を拒む理由など微塵も無かった。涙を浮かべながらも、喜色満面でイタチに頷きかけ、対するイタチも一見すると普段とあまり変わらない表情ながらも、はっきりと分かる程に嬉しそうな顔をしていた。
そして二人は、再び視線を目の前で光を放ちながら浮かぶ鋼鉄の城へと向ける。既にアインクラッドにはイタチが集合の約束をしていた、クラインやエギル、リズベット、シリカ、シバトラ、メダカ等元SAOプレイヤーをはじめ、サラマンダーのユージーンやシルフ領主のサクヤ、ケットシー領主のアリシャ、スプリガン領主のコイル達も各々の種族の妖精たちを引き連れ、アインクラッドを目指して飛んでいる。イタチとリーファに面識のあるプレイヤー達は、「先に行くぞ」、「置いて行くぞ」と発破をかける言葉をかけながら横を通り過ぎていく。そんな中、水妖精族のウンディーネ特有の水色の鮮やかな髪を靡かせた少女――アスナがリーファの前に立つ。直横には、ナビゲーション・ピクシーのユイも伴っている。
「さあ、行こう。リーファちゃん」
「ほら、パパも早く!」
アスナに手を差し伸べられたリーファはその手を握り、ユイに肩に座られながらも促されたイタチもまた、翅を広げる。目指す先にあるのは、二年もの間自分達を閉じ込めた牢獄だった城ではあるが、恐怖心は全く無い。代わりに、見知った場所へ行くにも関わらず、イタチやアスナはまるで未知の領域へ挑むかのような新鮮さを感じていた。それは、この世界で新たに得たリーファをはじめとした仲間達と並んで挑む新たなステージへの期待故のもの。そして、イタチは一人宣戦布告にも似た言葉を口にする。
「よし、行くぞ!」
前世の記憶を持つ桐ヶ谷和人にとって、仮想世界は前世と現世の狭間に等しい世界。だがそこには、この世界で得た多くの仲間達がいた。前世同様多くを失い、繰り返しながらも、新たなものを手に入れていく。うちはイタチは、そんな多くを失い、得続けてきた道をこれからも、標されるままに進む。
終わりの見えない、この世界を――イタチは仲間達と共に生きていく。