ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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ファントム・バレット
プロローグ 21人目のキャスト


『総合病院前における銃撃事件の容疑に加え、SAO事件の未帰還者を拉致した容疑で逮捕された須郷伸之容疑者の実刑判決が確定しました』

 

仄暗い部屋の中を照らす唯一の光源である、テレビの液晶画面。画面に映し出されているのは、某局のニュース番組。内容は、昨今話題となっていた、世界初のVRMMOを舞台に起こった前代未聞の大量殺人事件――SAO事件の延長線上で発生した、大量拉致事件に関するものだった。世間ではこの事件のことを、舞台となったゲームタイトルに準えて『ALO事件』と呼んでいる。ニュースの報道内容において主に取り上げられているのは、当事件の容疑をはじめ、あらゆる余罪で逮捕された容疑者、須郷伸之の刑事裁判における判決の行方についてである。

SAOサーバーを維持する役職を悪用し、被害者三百名を別サーバーに拉致し、非人道的な人体実験に供していたことで知られるが、罪状はそれだけに止まらない。所属企業であるレクト・プログレス内部でも横領等を犯し、逮捕時に未成年の学生を射殺しようとする等、列挙していくと限が無い、悪行の限りを尽くしたことが、ニュース番組の中で語られていた。

 

(フム……中々に興味深い事件ですね。解決する前に関わることができなかったことが悔やまれますね)

 

そんな、凶悪極まる犯罪について取り上げている番組を、椅子に腰かけて足を組みながら眺める一人の男がいた。液晶画面から発せられる光にぼんやりと照らされた顔には、不気味な笑みが浮かべられていた。

 

(まあ、仕方ありませんか。二年もの間のベッド生活から全快するには、どうしても長い時間が必要でしたからね)

 

残念がる男だが、自身の身の上を考えれば、手を出せなかったのも仕方がないと考える。この男もまた、ニュースで紹介されている『SAO事件』の被害者だったのだ。二年もの長い期間を仮想世界の中で過ごし、現実世界へ戻った彼を待っていたのは、筋肉が落ちて脆弱化した自身の身体だったのだ。事件以前の身体を取り戻すまでは、二カ月の時間を要してしまった。しかも、男がリハビリをしていたのは、ただの病院ではなく……犯罪行為に手を染めた者達が拘束されている収容施設、刑務所なのだ。

しかも、ただの刑務所ではない。通常の刑務所とは一線を画す防犯システムを有し、特別凶悪な犯罪者のみが収容される特殊施設である。だが、男にはそんな大層な警備システムは無意味であり、――過去何度もそうしてきたように――今もまた、脱獄して己の欲望を満たすための新たな計画に奔走していた。

 

(しかし、逮捕時に起こった射撃事件ですか……撃たれたのは、間違いなく“君”なのでしょうね)

 

今現在、マスコミや世間がALO事件と呼ばれているこの事件は、かつて発生したウイルステロ事件を解決した、世界的名探偵の『L』が解決したと報道されている。しかし、男は事件解決の裏には、ある人物による影の活躍があることを見抜いていた。そしてその人物は、男もよく知る人物……SAO事件を解決に導いた、ごく一部の帰還者にしかその名を知られていない人物である、と。

 

「待っていてくださいね……イタチ君。そして、ハジメ君」

 

件の人物の、鋼鉄の城に轟かせた二人の宿敵の名前を呟きながら、男は傍の丸テーブルのワイングラスを手に取り、口を付けた。次いで、テーブルにワインボトルと共に置かれた、薔薇の花を挿した花瓶のすぐ隣の位置に視線を移す。

そこにあったのは、VRゲームのパッケージ。タイトルは、『GGO』――『ガンゲイル・オンライン』。男が笑みを浮かべるとともに、そのパッケージの上に、薔薇の花弁が一輪、舞い落ちていった――――

 

 

 

 

 

2025年11月24日

 

祝日である勤労感謝の日の振り替え休日であるこの日の朝。埼玉県南部にある桐ヶ谷家の食卓には、稽古を終えた兄妹が席に着いていた。

 

「お兄ちゃん、今日はどうするの?どこか出かける?」

 

「特に予定は無いな。お前の方は?」

 

朝食を摂りながら会話する兄の和人と、妹の直葉。一つ違いのこの二人は、実の兄妹ではなく、それが原因で以前はすれ違いを起こしたことがあったものの、それも既に昔の話。とある事件をきっかけに、互いの思いを知って今に至った二人の間には、蟠りの類は一切無かった。

ただし、直葉の和人に対する接し方については、時折妹とは思えない程大胆になるところがあるため、これを受ける和人は若干距離感に戸惑うこともあるのだが。

 

「そうだなあ……折角の休日で部活も無いけど、今日は雨だしね。やっぱり、ALOかな?」

 

「そうだな……俺もダイブするとしよう。それに、同じことを考えている奴は他にもいるだろう。他の面子にも、後で電話を掛けて誘ってみるか」

 

他愛も無い、どこの家庭にもある兄妹の会話。だが、兄である和人の方は、周囲から慕われる傾向が強いものの、積極的に関係を持とうとする意識が薄いことが、家族や友人から問題視されていた時期があったのだ。だが今では、そんな性格も幾分か軟化し、以前より交友関係を大切にするようになったのだった。

 

(これも、この世界に転生して……仮想世界に関わってきた末の『変化』なのかもな……)

 

自身の性格の変化を自覚しながら、和人はふと、そのようなことを考えていた。桐ヶ谷和人は、前世の記憶を引き継ぐ『転生者』だった。しかも、前世は異世界の『忍術』という魔法染みた異能が存在する『異世界』を生きた人間であり、『忍者』だった。傍から聞けば、馬鹿馬鹿しいことこの上なく、精神異常すら疑われても仕方のないような与太話なのだが、全て事実である。

忍としての前世、うちはイタチの記憶を引き継ぎながらも、この世界を生きることを決意して、和人は十年以上の月日を過ごしてきた。だが、和人が転生した時点での年齢は三歳で、前世の忍時代の享年は二十一歳である。忍時代に変化の術を使い、年齢や性別を偽って潜入捜査等を行った経緯のあるイタチでも、完全に子供になるのは難しかった。そのため、周囲の大人や同年代の子供から、異質なものを見るような視線に晒されることも何度かあった。また、前世で家族関係が悲惨な結末を辿ったトラウマも相まって、自身の引き取り先である桐ヶ谷家の家族とも、どこか距離感が曖昧だった。

そんな和人の内面を変える転機となったものが、『仮想世界』の存在だった。前世のうちはイタチが使用していた『月読』と呼ばれる幻術に似た世界に興味を持った和人は、母親を経由して世界初のVRMMOたる『SAO』の制作スタッフに名を連ねることとなった。そして、ベータテストを通して正式サービスの初回スロットを入手した和人は、ゲーム内の死イコール現実世界の死となる、前代未聞のゲーム世界を舞台にした大量殺人事件、『SAO事件』へと巻き込まれることとなった。二年もの長きに渡る戦いの中で、多くの仲間達と関わる中で、和人ことイタチは確かに変わっていった。そして、SAO事件解決後に勃発したALO事件においては、幾年もの間続いていた妹とのすれ違いを乗り越え、仲間達と力を合わせることで危機を乗り越えた。

事件当時は、前世の焼き直しの如く、自己犠牲の精神で孤立を深めていた和人だが、今は違う。家族や仲間達との間にある絆を確かに感じ、信じ合うことができる。

 

(……これが、俺に足りなかったものなのかもしれないな)

 

何もかも一人でやろうとしていた前世から大きく変化した自分には、未だに戸惑うこともある。しかし和人は、不快な気分は全く抱かなかった。今の自分は、前世の自分が持ち得なかったものを手に入れている。断言はできないが、きっとこれは、前世で失敗した自分に足りなかったものなのだと、和人は思うからだ。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「いや、何でもない」

 

そんなことを考え込んでいた和人を怪訝に思ったのか、直葉が声を掛けてきた。一方の和人は、何でもない風を常の無表情にて装いながら受け答えし、話を逸らすことにした。

 

「さて、ニュースでも見るか」

 

そう言うと、和人はリモコンを手にテレビのスイッチを入れる。チャンネルは、いつも朝見ている局のニュース番組である。チャンネルを変えると、とある美術館をバックにした中継映像が映し出された。

 

『我々取材班は現在、かの有名な怪盗二人より予告状が届けられた、東京都内の美術館の前に来ております』

 

(ああ、また例の怪盗騒ぎのニュースか……)

 

テレビの中継を見た和人は、「またか」と、少しばかりうんざりしたような表情を浮かべた。年末が近いこの季節、あらゆるテレビ局のニュースやワイドショーでは、二人の怪盗の出現・対決が頻繁に取り上げられていた。

片や、ビッグジュエルを狙うことで知られる、月下の奇術師こと『怪盗キッド』。片や、世界的に有名なフランスの大怪盗の三代目……通称、『ルパン三世』。特に前者については、約三年ぶりの活動再開である。また、着用するモノクルの向こうには整った顔立ちが確認できることから、女性には熱狂的なファンが多く、一種のアイドルに近い存在となっていた。

これら著名な怪盗双方から予告状が届いたことが、昨今の話題となっていた。そして現在、予告に記された犯行予定日を数週間後に控え、警察関係者が敷地内を出入りし、警備体制の強化を図っている現地の様子が映し出されていた。

 

「うわ~、怪盗キッドかぁ……本当に帰ってきたんだね。それに、ルパン三世なんていう予告状を出す怪盗が他にもいたなんて、知らなかったよ」

 

「そうだな……」

 

有名な怪盗二人が同時に動き出したことに対し、興味深そうな表情を浮かべる直葉を余所に、怪盗二人のかつての記録映像を眺める和人。予告状が届けられた現地の中継が終わった後に流れた、警察相手に巧みに逃げ回る二人の動きからは、前世の忍者を連想させられる。かつての忍世界の忍者程ではないものの、卓越した身体能力であることは間違いない。そんな中、和人は……

 

(SAO事件が終結してから、約一年ぶりの活動再開…………まさか、な)

 

ビッグジュエルを狙うことで知られる怪盗の記録映像を見る中で、和人が思い出したもの。それは、かつてのSAO事件において、迷宮区探索の最前線に立って罠の解除に勤しんでいたシーフプレイヤーだった。迷宮区最前線に張られた危険な罠を解除し、攻略組の安全確保に尽力していた彼は、確か血盟騎士団のプレイヤーだっただろうか。

 

(まあ、俺には関係の無いことだ)

 

仮想世界絡みの事件ならばいざ知らず、現実世界で起こる窃盗事件に積極的に関与するつもりは、和人には無い。この手の事件に対処する人物は、他にいるのだから。

そうしてテレビの中継を見て食事をすることしばらく。食事を終えた和人は、ふと思い出したように直葉へ問い掛けた。

 

「そういえば直葉、郵便受けは見てきたか?」

 

「あ、いけない。食べ終わったら、見てくるね」

 

「ああ。皿洗いは俺がやっておく。新聞と郵便物は、テーブルの上にでも置いておけばいいだろう」

 

「ありがとう、お兄ちゃん」

 

揃って朝食を食べ終えた二人は、それぞれ別の場所へと向かう。和人は台所の水洗い場、直葉は玄関先の郵便受けである。無駄の無い動作で二人分の食器を洗い終えた和人は、脱衣所からタオルを取り出す。外は雨模様であり、桐ヶ谷家の母屋から郵便受けまでは少しばかりだが距離がある。傘を差しても、多少濡れるのは避けられないと考えた和人の配慮だった。そして、タオルを手にした和人が玄関へ到着するのとほぼ同時に、直葉が戸を開けて戻ってきた。

 

「お兄ちゃん、取って来たよ」

 

「ご苦労だったな。中身は新聞以外に何かあったか?」

 

靴を脱いで上がろうとする直葉へタオルを渡しながら問い掛ける和人。対する直葉は、足にかかった雨水を拭いながら、郵便物を確認する。

 

「ええと……あ、これはあたし宛てだね」

 

「CDストアからのキャンペーンハガキか?」

 

「うん。今話題のアイドル歌手、エミリオ・バレッティが日本でライブイベントを開催するから、それにちなんだキャンペーンをやってるみたいだね」

 

「ああ、あの人気歌手か」

 

直葉が口にしたアイドルには、和人も聞き覚えがあった。エミリオ・バレッティとは、世界を股に掛けて活動しているイタリア人人気アイドルである。来月には日本で行われるライブ公演が決定しており、ここ最近は昼夜を問わずテレビで話題として取り上げられていた。

 

「一等はライブのペアチケットだって!応募してみようかな……」

 

「お前がアイドルに興味があったというのは、初耳だな」

 

「何よ、それ。あたしだって、剣道以外のことにも興味を持つもん」

 

本当に意外に思っただけで、からかったつもりは無かったのだが、直葉の不興を買ったらしい。やれやれと苦笑しながらも、和人は再度口を開いて謝罪を口にする。

 

「悪かった。で、他はどうだ?」

 

「ええと、これとこれはお母さんの仕事関係かな?あ、お兄ちゃん宛ての手紙があるよ」

 

「……俺宛てに?」

 

怪訝な顔をしながら、直葉に差しだされた手紙を受け取る和人。封筒は白い洋型で、材質も一般の規格より高価なものが使われていると分かる。普段、スポーツ用品を扱う専門店からのハガキはよく届くのだが、このような手紙が届くことは全くと言っていいほど無いので、和人は不審に思った。

 

「もしかして……ラブレター、とか?」

 

「それはないだろう」

 

直葉の冗談を軽く流しながら、和人は改めて封筒を眺める。高級感のある封筒の表面には、自分の宛名が記されている。ただし、差出人の名前は無い。そして、裏側には赤い封蝋による封印が施されていた。その印璽は、“薔薇の花”を象っていた。

 

(まさか…………)

 

その印璽に、不吉な予感を覚えた和人は、ほんの僅かに目を鋭くする。

 

「……お兄ちゃん?」

 

「……いや、何でも無い」

 

そんな和人の変化から、何かあったのかと心配した様子の直葉が声を掛けた。対する和人は、常の無表情へと戻って何でもない風を装った。

その後和人は、部屋で用事を済ませてからALOへダイブすると直葉へ言うと、自室へと戻った。部屋の鍵をかけると、今朝届いた差し出し人不明の封筒を改めて見やる。

 

「…………」

 

薔薇の花の印璽……これを見た和人は、“ある人物”を連想していた。封筒を開けて中身を確認すらしていないが、差出人はその人物で間違いない。そして、この封筒の中には、間違いなく“良くないもの”が入っている。前世のうちはイタチとして培った忍の直感が、そう告げていた。

だが、中に入っている書面を確認しないわけにはいかない。これが、和人の知る“あの人物”からの手紙であるならば、これは何らかの凶事が起こる予兆に等しいのだから。

 

(今度は何を企んでいる……スカーレット・ローゼス)

 

返答無き問いを心中で呟きながら、和人は意を決して封を破るのだった。

これが、新たなる死闘の幕開けになることを予見しながら――――

 

 

 

 

 

 

 

「まさか……奴がっ!」

 

和人もとへ、差出人不明の手紙が届いたその日の昼下がり。和人同様に差出人不明の手紙を受け取り、その中身を確認して驚愕に目を見開いていた少年がいた。

肩まで伸びた髪を後ろで束ねており、父親譲りと言われている太い眉毛が特徴的な、高校生程度の年齢の少年。彼の名前は、金田一一。とある有名な名探偵の孫であり、祖父譲りの卓越した推理力で数々の難事件を解決に導いた経験のある、少年探偵でもある。

そんな彼が、普段以上に取り乱し、驚愕と恐怖に顔を染め、冷や汗を流している。その理由は、手紙の内容と、その差し出し人にあった。

 

「……あいつ……こんなものを俺に寄越して、今度は一体、何をしようって言うんだ……!」

 

差し出し人の名前は、手紙を入れていた封筒には無かったが、中に入れられていた一枚目の便箋には、短い言葉とともにそれが記載されていた。

 

『Good Luck

From 地獄の傀儡師』

 

あまりにも短く、差出人の名前自体が本名ではないことは明らかである。しかし、これを書いた人物の正体はすぐに分かった。

一行目の短い英文と、二行目の差出人の名前。これらは、一が二つの世界で戦いを繰り広げた人物が使っていた決め台詞と、自ら名乗っていた二つ名である。筆跡についても見覚えがあったので、間違いない。だが、問題はそれだけではない。

一は自身に落ち着くよう言い聞かせながら、二枚目の便箋に改めて視線を向けた。そこに記されていたのは、ある名前を表にまとめた“リスト”だった。

 

(奴は事件を起こす度に、何らかの挑戦状を俺達に送ってきた。なら、奴が次に何かをしでかすのなら…………)

 

そこまで思い至り、やはり間違いないと直感した。手紙の内容には明示こそされていないものの、差出人たる宿敵が何かを起こす予兆であり、挑戦状そのものなのだ。つまり、この手紙の差出人は、「これから自分が引き起こす企てを看破し、阻止してみせろ」と言っているのだ。

 

「お前の思い通りには、絶対にさせない………」

 

ならば、自分はそれを全力で止めるのみ。これまでそうしてきたように、繰り出されるおぞましい計画の全てを暴きだし、陰謀の全てを破滅させるのだ。

 

「ジッチャンの……そして、俺の誇りにかけて!」

 

名探偵と言われた祖父のと、自身の誇りにかけて、再びの対決に臨むことを、金田一一は誓った。

 

 

 

 

 

 

 

2025年11月30日

 

日本から遠く離れたアメリカの首都、ワシントン。その街の一角にある高級マンションの一室にて、左手に携帯電話を持ち、通話をする一人の男性がいた。黒いニット帽を被った、クールな印象を受ける顔立ちで、目の下には隈がある。

 

「俺が日本に、ですか?」

 

『その通りだ。休暇中の君には悪いのだが、至急ある事件の捜査を、秘密裏に行ってもらいたい』

 

「ある事件?……現在、日本への入国が強く疑われているという、ルパン三世に関する捜査ではないのですか?」

 

『そちらの捜査は、私とジョディ君、キャメル君で行う。赤井君、君に手掛けてもらいたいのは、別件だ』

 

この男の名は、赤井秀一。彼はアメリカの連邦捜査局――FBIの捜査官の一人である。卓越した推理力と捜査手腕に加え、凄腕の狙撃手でもある彼は、銀の弾丸(シルバー・ブレット)の二つ名で呼ばれ、多くの犯罪者からは恐怖されている彼は、凄腕の捜査官として知られている。そんな名の知れた捜査官故に、アメリカ各所で事件が起こる度に引張り凧にされることが常だった。そのため、こうして休暇を得られたのもかなり久しぶりだったのだが……いつもの如く、その平穏は唐突に幕を閉じてしまったのだった。

 

「別件……一体、どのような事件ですか?」

 

『非常に説明に困るのだが……君に頼みたいのは、有り体に言えば、とあるゲームの中で起こった不審な現象についての調査だ』

 

「ゲーム……もしや、『ガンゲイル・オンライン』ですか?」

 

ゲームに関する捜査と聞いた赤井は、自分が駆り出される理由として、自分がプライベートでアカウントを所有し、プレイしていることが理由であると考え、そのタイトルを口にした。すると、電話口からは案の定、溜息交じりの肯定が返ってきた。

 

『その通りだ。詳細は追って知らせるが、ただの偶然である可能性が高い。正直、休暇中の君を日本へ渡らせてまで調べる案件とは思えない事件だと私は思うのだが……上層部の命令でね。アメリカにメインサーバーがあることを理由に、その真偽を確かめるために圧力を掛けてきた』

 

調査すべき具体的な内容までは聞けなかったが、通話の相手である上官の電話越しの声からは、呆れと申し訳無さが窺えた。事件内容が馬鹿馬鹿しいと言っていたが、それを指示した上層部についても、何らかの思惑が渦巻いているのだろう。そんな裏事情に翻弄されて苦労する上官を気の毒に思いながらも、赤井はこの命令を受諾することにした。

 

「了解しました。本日夜の便をこれより至急手配し、日本へ飛びます。日本サーバーへのコンバートについても、早急に終わらせます」

 

『ウム。悪いが、頼んだぞ』

 

捜査に必要最小限のことを話し終えると、赤井は左手に持った携帯電話を上着のポケットへしまい、本部へ戻ることにする。

 

「あら、もう帰るの?」

 

そんな赤井のもとへ、このマンションの部屋の主である女性が声を掛けてきた。長髪で整った顔立ちをした、日系の美人である。彼女の名前は、宮野明美。赤井の恋人である。

 

「すまないな……また、捜査要請だ。今日中には日本へ発たなければならん」

 

「大変ね……分かったわ。それじゃあ、仕事頑張ってね」

 

「ああ。妹さんにも、よろしく伝えておいてくれ」

 

それだけ言葉を交わすと、赤井はドアを通ってマンションを出て行ったのだった。残された明美は、中々一緒にいられる時間を作れない恋人の後ろ姿を見送り、溜息を吐くのだった。そして、いつまでもこうしていても仕方が無いと、踵を返してリビングへ戻ろうとする。そこへ、

 

「ただいま」

 

今しがた赤井が通ったドアが再度開かれ、別の人物が部屋へと入ってくる。赤みがかったウェーブ状の茶髪に、明美と同様の東洋系の顔立ち。明美に似た部分のある顔だが、目つきが若干鋭いほか、柔和で暖かい印象を受ける明美とは反対に、ダークでシリアスな雰囲気を醸し出している。

 

「志保。帰ったのね」

 

彼女の名前は、宮野志保。明美の実妹である。現在、ワシントン大学へ留学生として通っている彼女が、アメリカ在住の明美と暮らし始めたのは、今年の三月頃からだった。それまで志保は、日本のとある発明家の家に在住していたものの、アメリカ留学を契機に同居するようになったのだった。

 

「今日の講義は、早めに終わったからね。それより、彼はどうしたの?」

 

「また仕事で帰っちゃってね……」

 

苦笑しながらそう告げた明美に、志保は深い溜息を吐いた。明美の恋人である赤井の事情は、志保も認知していた。FBIという職業柄、明美と一緒にいられる時間が非常に短く、数週間や数カ月の間、連絡も取れない状態も珍しくないことも。故に、突然捜査に駆り出される今回のようなケースも仕方ないとは思っている。だが、理解はできても、納得ができるかは別問題である。

 

「全く……いつもいつも姉さんを放って……」

 

「仕方ないじゃない。彼だって、仕事なんだから……」

 

普段鋭い目つきをさらに悪くして、不機嫌そうな表情を浮かべる志保を、必死で宥めようとする明美。だが、志保の性格上、一度損ねた機嫌がすぐに良くなることは無い。姉としての経験上、それを理解していた明美は、どうしたものかと対応に窮していた。

 

「ハァ……それで、今度は一体どこに行ったの?」

 

「詳しくは教えてもらっていないんだけど、日本に行くんだって」

 

「日本……?」

 

その言葉に、怪訝な表情を浮かべる志保。FBI捜査官が、犯罪組織を追う等の事情でアメリカ以外の国へ赴くことは珍しくは無いと聞いている。問題は、向かった先の国である。日本という国は、志保と明美の出身であると同時に、世話になった知人・友人が大勢いる国でもある。一体、その国で今、何が起こっているのか……

 

「……工藤君達に、何も無いといいんだけど」

 

「ごめんね。詳しい話は、聞けないんだ……」

 

「馬鹿ね。姉さんが謝ることじゃないわ」

 

申し訳なさそうにする明美に対し、苦笑しながら口を開く志保。自分の機嫌が直り始めたことで、余裕を取り戻し始めた姉の様子を見ながら、志保は思考を別の方向へ走らせる。

 

(FBIの彼が出向く程の事件なら……彼は既に関わっているかもしれないわね)

 

高校生探偵と呼ばれ、危険な事件に首を突っ込むことが常の知り合いを思い浮かべ、彼が事件に関与する可能性は十分にあると考える。それと同時に、ある事件で知り合った、もう一人の少年のことも思い出す。探偵を名乗ることは無かったが、非常に頭が切れ、如何なるリスクも恐れない行動力も兼ね備えた少年……件の事件当時は、頑なに周囲との関わりを避ける傾向にあった故に、志保はその行く末を心配していた。ここ最近、日本に居る友人の話では、そんな危うい雰囲気も改善されているとのことだったが、渡米してから本人と直に連絡を取り合ったことは無い。

いずれにしても、彼等が危険なことに首を突っ込んでいないのか……もっと言えば、無事なのかを確認するために、後で電話を掛けてみようと、そう考える志保だった。

 

 

 

 

 

 

 

太陽の光が一切届かない部屋の中、椅子に座って足を組み、目の前のテーブルの上に置かれたチェス盤を眺めながら、駒を弄ぶ男がいた。

 

「私の手駒……死銃は既に、準備は万端……」

 

ポーン、ルーク、ビショップ、ナイトといった駒を順に盤上に並べていく。ただし、クイーンとキング――司令塔と呼べる存在の駒だけは、いなかった。何故ならば、この兵隊は個人主義の集まりであり、統率者の意志のもとで行動しているわけではないからだ。男が名前を呼ばず、手駒とだけ呼んで並べた兵隊は、男にとっては文字通りの“傀儡”でしかないのだ。

 

「次に、こちらが狩るべきターゲットの数……そして最後に、私の人形達と相対する勢力。ハジメ君、コナン君、明智警視……」

 

次に男は、盤中央部にポーンの駒を並べ、最後に中央部のポーンを隔てて向かい合う場所に置く駒を揃えていく。そうして、盤上にて向かい合う駒が二十体になった時、最後の一体――二十一人目のキャストを置いた。

 

「そして、イタチ君」

 

その名前を呟きながら、男は最後にナイトの駒を置いた。

チェス盤における二十一体の駒の配置を眺め、男は満足そうな表情を浮かべた。この盤上の駒達こそが、これから男が幕を開く舞台を表す縮図そのものなのだ。

 

「しかし、意図したわけではありませんでしたが、決行があの怪盗二人の予告した日と重なってしまったのは、少々残念ですね」

 

少なくとも、予告状を出した人物の中の一人は、怪盗二人の対処に向かう筈。そうなれば、キャスト全員が揃う望みは薄いだろう。

 

「恐らく、コナン君はこちらの舞台に上がることはできないでしょう。となれば、あちらの代役は……」

 

ゲストの代役として舞台に上がる人物を予想し、男は口の端を釣り上げた。それと同時に、ナイトの駒を一つ、盤上から下ろし、代わりにキングの駒を置いた。

 

「世界的名探偵『L』……ALO事件を解決に導き、イタチ君と繋がりのある彼ならば、相手として不足はありませんね」

 

計算され尽くした舞台だが、不確定要素の一つや二つはあった方が面白い。キャスティングが少々変わったとしても、何ら問題は無いと、男は思った。

 

「皆さん、待っていてくださいね……この私、地獄の傀儡師の、恐怖のマジックショーの幕開けは、もうすぐです」

 

 

 

Good Luck

 

 

 

SAO事件解決から一年後。未帰還者三百名を閉じ込めたALO事件すらも解決し、事件に関わった人々は、その中で感じた恐怖をそれぞれのやり方で忘れようとしていた。

しかし、記憶の彼方に遠ざけられていた悪夢は、根絶やしにされたわけではなかった。人知れず蠢動を始めていた悪意は、血染めの赤い花を舞台の上に咲かせるべく、再来の時を待っていたのだ。

地獄の傀儡師が企画した舞台の上、二十一人のキャストが一同に会する時、恐怖の殺人劇が動き出す。二十一人目のキャストたる『暁の忍』は、その惨劇を止めることができるのか――――

 


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