ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第八十三話 戦慄のハイスコア

2025年12月2日

 

 銃と鋼鉄の世界――『ガンゲイル・オンライン』。通称GGO。荒廃した地球から逃れた人類が、再び地球へ帰還して再興したというのが、この世界の設定である。その世界の中心たる首都『グロッケン』は、人類が地球を脱出するために乗り込んだ宇宙船をベースに作られたものである。

この首都は、多くのプレイヤーの拠点としての機能を持つと同時に、初めてダイブするプレイヤーが降り立つ最初の拠点でもある。そして今また、新たなプレイヤーが降り立とうとしていた。

 

(ここが、ガンゲイル・オンラインの世界か……)

 

 首都グロッケンのスタートポイントに立つ、一人のプレイヤーがいた。女性と見紛うような華奢で細い体格に、肩まで伸びた黒髪。一見すれば、誰もが女性と勘違いするであろう容姿だが、その性別は男性だった。そんな、少女と見紛う少年は、近くの建物の窓ガラスへと近付き、そこに映った自分の姿を確認する。

 

(……今回の髪型は前世と同じ。瞳の色は、SAO以降これで固定化されているのか)

 

少年は一人、鏡の中で自分を見つめる、血のように赤く……氷のように冷たい瞳を感慨深げに見ていた。彼のプレイヤーネームは、『イタチ』。現実世界での名前は、『桐ヶ谷和人』。

地獄の傀儡師こと高遠遙一からの宣戦布告が為されたその翌日。和人はここ最近発生した二件の不審死に関わっているとされる、『死銃』なるプレイヤーの正体を探るべく、GGOへとダイブしていたのだった。

 

(竜崎によれば、もうすぐ協力者がここへ現れる筈だが…………不安だ)

 

 そして現在、イタチはGGOをプレイするために必要とされる装備や情報を得るため、長いキャリアを持つとされるプレイヤーの協力者を待っていたのだった。竜崎が紹介したそのプレイヤーは、イタチも見知った人物であるとのことだったが、その名前とリアルについて聞かされた時には、酷い頭痛を覚えてしまった。

 何故なら……

 

「おっほ!姉ちゃん、そのアバター……F三○番台だな!どうだ?まだ始めたばっかってんなら、わしが買うぞ!二メガクレジット出すぞ?」

 

 振り向いたイタチの視界に入ったのは、剛毛の角刈りの頭で、手も足も太い、ゴリラを連想させるプレイヤーだった。見るからに欲望に塗れた目で迫るその姿に、イタチは呆れた視線を向けていた。

 

「……申し訳無いが、俺は男だ」

 

「ななっ!……それじゃあ、M九○○○番台か!五メガ、いや六メガ……ええい、七メガ出す!とにかくそのアバター、わしに売ってくれ!!」

 

 イタチが男だと知った途端、ゴリラ風の男は目の色を変え、金額を上乗せして売却をさらに強く迫る。そんな金欲に目が眩んだ男に辟易したイタチは、再度苛立ちを露に再度口を開いた。

 

「悪いがこのアバターは、コンバートだ。売り渡すことは出来ないんだよ……“カンキチ”」

 

 イタチが口にした言葉に、カンキチと呼ばれた男の態度は一変。欲望丸出しの顔が、驚愕へと染まった。

 

「お、お前……なんでわしの名前を…………って、まさかイタチなのか!?」

 

「ようやく気付いたか」

 

 黒髪に赤い瞳という、SAOやALOのアバターに共通する特徴から、ようやくイタチの正体に気付いたのだろう。イタチは、口をあんぐり開けたまま呆然としたままのカンキチに対し、辛辣な言葉を浴びせる。

 

「相変わらず阿漕な商売ばかりしている様だな。世界は変わっても、やってることはそのままだ」

 

 イタチの知人であるこの男、カンキチは、SAO生還者であり、ベータテスターだった。ベータテストで培った知識と経験を活かし、スタートダッシュでイタチをはじめとした攻略組と伍するステータスを備え、最前線で活躍したこともある人物だった。また、それと同時に、アイテム売りや後進のプレイヤー達の教育活動等も行っていたのだが……そのやり口は、非常に阿漕だったことで知られている。

 その所業は、プレイヤー相手に、強化回数を使い切った武器を使用前の物と同額の値段で売却する、ソードスキル講座の出席者に多額の授業料を請求するなど、多岐に渡る。いずれの行為も、犯罪同然の手口であり、ベータテスターの技量を悪用して泡銭をせしめる悪質な行為故に、幾度となく黒鉄宮の監獄エリアに送られたこともある、犯罪者プレイヤーでもあったのだ。イタチもまた、カンキチの所業で『ビーター』の悪名に拍車を掛けられたお陰で、間接的に被害を被ったプレイヤーでもあったのだ。

 

「そ、そんな昔のことは良いじゃねえか……」

 

「そうだな。今更、根に持っていても始まらんな」

 

 無表情のまま、気にしていないと言外に告げるが、SAO時代に攻略を散々邪魔されたことについては、イタチなりに色々と言いたいことはあったのだろうが、それを口にすることはしなかった。

 

「それよりも、今はこの世界で戦うための装備の仕入れだ。案内してもらうぞ」

 

「お、おう。分かった。それと、こっちの世界のプロとして、わしの同僚も一人連れてきた」

 

 そう言ってカンキチが示した先には、長身で逞しい大柄な男性がいた。緑の迷彩服に身を包み、ベレー帽を被ったカンキチ以上に兵士然とした人物だった。加えて、身に纏う空気もその辺を歩くプレイヤーとは違うことも分かった。そんな風に考えていると、視線に気付いたベレー帽の男がイタチのもとへと近付いてきた。

 

「ボルボだ。これから君のGGO世界での活動をフォローさせてもらう」

 

「よろしく頼む」

 

 互いにそれだけ言葉を交わし、握手をするイタチとボルボ。その後、イタチはカンキチとボルボに連れられ、アミューズメントパークと見紛うような店舗へと向かった。

 GGOには正式サービス開始時期からダイブしていた、古参のプロプレイヤーの一人であるボルボの選んだ店は、武器の品揃えは非常に豊富な上、射撃訓練場も地下に設えられているという至れり尽くせりの店だった。尤も、販売している武装やその他アイテム類の値段は桁外れに高かったが。

 

「おい、イタチ。お前、金は大丈夫なんだろうな?」

 

「問題無い。必要資金は依頼主から五百メガクレジット程貰っている」

 

 GGOにおける換金レートは、千クレジットからである。つまり、五百メガクレジットは、五億クレジット。現実のマネーに換算すれば、五十万円に相当する金額である。

 

「あの~、イタチ君。こっちの銃なんかはどうかな?軽くて使いやすいんじゃ……」

 

「言っておくが、捜査費用は一クレジットたりともお前に渡すつもりは無い」

 

 釘を刺すように告げたイタチの言葉に、子供をあやすような口調で話し掛けたカンキチはギクリとする。安物の銃を買わせて、余った金銭を着服するよう持っていこうとしたようだが、その目論見もイタチの前には無意味だった。

 

「それに、俺はもう使うべき武器を決めている。ボルボ、『光剣』はあるか?」

 

「光剣……?」

 

 イタチの口から出た名詞に、訝しげな顔をするボルボ。一方のカンキチは、「またか」と言わんばかりに呆れ混じりの溜息を吐いている。

 

「……ああ、ボルボ。お前の疑問は分かる。だが、こいつにはその武器が一番なんだよ」

 

「しかし……」

 

 カンキチまでもがイタチを擁護することに対し、何か言いたげなボルボ。無理も無い。『光剣』という武器は、読んで字の如く、光――つまり光学兵器によって形成される剣である。レーザー光線でできた刃を振り回すという、“遠い昔、はるか彼方の銀河系で”起こった星の戦争を舞台とした、某SF映画の武器をそのまま再現した代物である。その性能の再現性は非常に高く、光剣の刃が命中した光線は弾かれ、実弾に至っては蒸発あるいは切断されてしまう。

だが、それは飽く迄光剣が“当たれば”の話である。音速以上の速度で迫る弾丸を剣で捌くことなど、常人には出来る筈も無い。ましてや、『剣術』というスキルの存在しない銃の世界で、好き好んで近接武器を使いたがる物好きはいない。故にボルボは、GGO年長者として光剣をダイブして間もないイタチに持たせることを躊躇していたのだった。そんな心中を察したイタチは、苦笑しながら口を開いた。

 

「心配は無用だ。何があっても、自己責任で対処する。それに、ダイブして間もない俺には、銃の扱いは全く知らないし、学ぶ暇も無い。最初から、この武器しか無いんでな」

 

「本人もこう言ってんだ。紹介してやれ」

 

「むう……分かった。光剣を扱っている店は少ないが、あっちの店ならば大丈夫だろう」

 

 カンキチに促され、ボルボも不承不承、イタチの光剣購入を認めることにした。購入すべき装備が売られている店を目指す道中、イタチはふと気付いたようにボルボに声を掛けた。

 

「そうだ、ボルボ。確か、グロッケンには反射神経を試す類のゲームがあると聞いている。後で案内してくれるか?」

 

「あ、ああ……」

 

 イタチの言う、『反射神経を試すゲーム』というのが何のゲームを示しているかがすぐに分かったボルボだが、同時にそのゲームがとてつもない難易度であることも知っている。故に、本当にクリアできるのかと強い疑念を抱いていたのだ。

 しかし、光剣購入後のイタチがこれらのゲームを易々クリアしたことで、その認識は大きく覆されることになるとは、今のボルボは知る由も無かった。

 これが、BoB予選開催日から、十一日前の出来事だった…………

 

 

 

 

 

 

 

2025年12月8日

 

 都内を走るタクシーの中。詩乃は一人、和人と出会った過去の思い出を想起していた。それは、道場に入門してから一年後、和人と再会した時のこと。詩乃は和人から、何が彼女をそこまで駆り立てたのか、その力に対する執念の正体について尋ねられたことがある。和人の主観では、一年足らずで初段取得直前まで漕ぎつけた詩乃の熱意、或いは執着は、ある異常なものに見えたのだ。詩乃が剣道を始めるきっかけを作ったのは紛れも無く和人自身である以上、その理由について尋ねるのは、ある意味当然と言えた。

だが、詩乃の過去は、口にすることも憚られる凄惨なものである。当然ながら、尋ねられた当初、詩乃は話すことを渋った。しかし、苦悩の末に、最後は自身の過去を和人に話したのだった。真の強さの一端を見せてくれた和人に対し、一方的ながらも詩乃は恩義を感じていたことが理由として挙げられる。加えて、自分の過去を話すことで、和人が強さを得るためのヒントをくれるのではないかと期待していたこともあったのだ。

無論、過去を告白することで、和人が詩乃を避けるようになる可能性も考えていた。事実、銀行強盗事件を知った同年代の者達は、例外なく詩乃を毛嫌いし、遠ざけるようになっていった。だが、和人に限ってはそんなことになるとは思えなかった。そして、実際に話してみた結果、和人は、詩乃へ嫌悪感を抱くことは無かったが……求めていた答えは得られなかった。詩乃の過去と、それを克服するために行動している経緯を知った和人が口にしたアドバイスは、「無理はするな」の一言だけだった。

あまりに陳腐でありきたりで、カウンセリングを受けた中で何度も言われた言葉である。だが、和人はこの言葉を発した時、どこか悟ったような表情を浮かべていた。これは詩乃の直観だが、和人は詩乃のトラウマがどのようなものであるかを理解し、その解決方法を知っている可能性が高い。だが、仮にこの仮説が当たっていたとして、何故和人は「無理はするな」としか言わなかったのか、疑問が残る。敢えて答えを教えないことに、何らかの意図があるのか、それとも詩乃が自分で気付かねばならないことだからなのか……いくら考えても答えは導き出されず、疑問が増えるばかりだった。

 

(結局、私自身の力で解決しなくちゃいけないんだ……)

 

 和人を問い詰め、強引にでも答えを聞くという手段もある。だが、詩乃にはそれを実行する気にはどうしてもなれなかった。和人が教えるべきでないと考えて口を閉ざしている以上、譬え泣きついたとしても教えてくれるとは思えない。それに、詩乃が強者と認めた少年たる和人に、これ以上自分の弱さを曝け出すことはしたくなかったのだ。

 蛇足だが、和人個人に対して弱い己を見せることに抵抗や羞恥を覚える感情には、詩乃本人すら自覚していない、特別な感情が存在しているのだが、詩乃にその自覚はまるで無かった。

 

(とにかく、私は今、私にできる精一杯のことをしなきゃ……)

 

 詩乃の握る携帯電話のアドレス帳には、今日新たに登録された人物――桐ヶ谷和人の名前が載っている。詩乃が求める強さの片鱗を見せてくれた人物との繋がりができたのだ。自分が確かに強くなったと、そう確信するためにも、真の強さを持つ和人に認めてもらうよう努力せねばならない。

 

「到着しましたよ」

 

「あ……はい」

 

 そして、そうこう考えている間に、タクシーは詩乃の自宅たるアパートへ到着したらしい。運転手の言葉に頷くと、荷物を持って車から降りる。料金は既に支払われているというのは本当のようで、運転手が詩乃に支払いの話をすることはなかった。タクシーから下車した詩乃は、走り去るタクシーに軽くお辞儀して見送ると、自分の部屋へと向かう。

 濡れたスカートから予め取り出しておいた鍵を旧式の電子錠へ差し込み、暗証番号を打ち込んで扉を開く。誰が待っているわけでもないが、一応「ただいま」と呟いて中へと入ると、ユニットバスの扉やキッチンを素通りして六畳間の自室へと真っ直ぐ向かう。途中、キッチンを見た時に夕食を買っていないことを思い出したが、今晩は買い置きのカップ麺で適当に済ませることにする。そもそも、衰弱から回復して間もない身である。現在時刻は七時を回っているが食欲も無いのだから、今日の夕食は抜きにしても良いかもしれないと詩乃は思った。

 

(けど、今はそれより……)

 

 喉を通らない夕食の心配よりも優先すべき事項が詩乃にはある。ベッド脇の小テーブルへと向かい、上に置かれた機械――『アミュスフィア』を手に取る。

 これこそが、詩乃が剣道に代わるトラウマ克服のために用いている手段である。次世代型フルダイブマシンであるアミュスフィア――正確には、アミュスフィアにセットされたゲームこそが、詩乃が過去の因縁を断ち切る可能性を見出した世界なのだ。

 

(シノン……私に、力をちょうだい)

 

 仮想世界に在りし自身の分身に想いを馳せながら、詩乃はアミュスフィアを頭に被る。ベッドに横たわり、手探りで電源を入れると、機器がスタンバイ完了を告げるや否や、開始コマンドを口にする。

 

「リンク・スタート」

 

 

 

 

 

 アミュスフィアにセットしていたゲームこと、ガンゲイル・オンラインの世界にダイブした詩乃が降り立ったのは、首都グロッケン。ゲームを開始してからお馴染みの、華奢でお人形めいたペールブルーの髪を持つアバター、シノンの姿で街中を歩く。目指す先は、GGO諸装備を扱うアイテムショップ。目的は言わずもがな、先日消費した弾薬および装備の補充である。それが終わり次第、フィールドへ繰り出して、主にモンスターを相手とした狩りを行うのだ。今回はパーティーを組む相手がいないため、プレイヤー相手の狩りはできないが、必要な資金を得ることは勿論、腕を鈍らせないためにも狩りは欠かせない。早いところ買い物を済ませようと、足早に歩くことしばらく。ふと、通りすがりのプレイヤーの間で交わされる会話の内容がシノンの耳に入ってきた。

 

「また出たんだってよ、『死剣』」

 

「マジかよ……やられたスコードロン、これで二十件目って聞いたぞ」

 

 気になる単語が発せられたことで、反射的に足を止める詩乃。知らぬふりをしながら、後ろの方で会話するプレイヤーの話に聞き耳を立てる。

 

「光剣使いなんだろ?なんだって、あんなマイナーな武器を使う奴が現れたんだよ」

 

「知らねえよ。でも、かなりヤバい奴だって噂だぜ。なんせ、銃弾を弾き落としたって聞いたからな」

 

「嘘だろ?まあ、原理的にはできねえでもないのは分かるけどよ……流石に有り得ねえだろ」

 

 昨今噂となっている、つい最近自分も遭遇した謎のプレイヤーこと『死剣』についての他愛の無い噂話を聞いた詩乃は、表情は変えず、しかし内心で苦笑する。

『銃弾』と『光剣』が衝突すれば、勝つのは『光剣』である。これは、GGOのシステムを熟知している人間ならば、すぐに行き着く結論である。だが、あまりに当たり前過ぎる法則であり、光線と銃弾が衝突するケースが起こることは滅多に無いため、何のきっかけも無しにこんなことを考えるプレイヤーはあまりいない。ちなみに、銃と剣の対決については、現実世界においても立証されている。特に有名なものとしては、『日本刀とピストル、対決したら日本刀が勝つ』という、数十年前に放映された無駄知識を探求するテレビ番組がある。

閑話休題。ともあれ今重要なのは、光剣で銃弾を叩き落とせるという“法則”ではない。それを可能とするプレイヤーの“技術”なのだ。銃器の種類にもよるが、銃弾の飛来速度はいずれも弾速は音速の域である。それら全てを叩き落とすことなど、並大抵の人間にはできない。故に、死剣なるプレイヤーが実在することを信じるプレイヤーはいても、人間離れした技術まで信じるプレイヤーは少ないのだ。

 

(でも……死剣は確かにそれをやってのけた)

 

 五方向から放たれる銃弾全ての軌道を見切り、無駄の一切無い動きで弾き落としたのだ。一体どうしたら、あんな真似ができるのか。今更ながら詩乃は疑問に思っていた。死剣というプレイヤーが特別なのか、それとも何らかのトリックがあるのか……

 

(弾道が見える…………弾道予測線?けど……)

 

 銃火器メインのGGOならではのシステムである、視認した相手の持つ銃口から発せられる赤い弾道予測線(バレットライン)。これを見れば、一般のプレイヤーであっても銃弾が通過する箇所を視認・把握することが可能となる。尤も、把握できるのは弾道だけで、いつ発射されて自身のもとへ着弾するかまでは分からない。弾道予測線上に光剣を構えていれば、飛来する弾丸を防御することは可能である。

だが、振るって叩き落とすとなれば話は別。野球に例えれば、音速で飛来するボールをバットで打ち据えるのと同義であり、頗る困難なのは言うまでもない。それに、死剣は目視や索敵スキルで認識できない程の距離から放たれた狙撃にも反応して見せたのだ。弾道予測線だけを頼りに銃弾を防いでいるとは思えない。死剣には、弾道予測線以外の何かが見えているのか。それとも、運営が密かに導入したユニークスキルによるものなのか。或いは、プレイヤーによるチートやゲーム内に発生したバグによって自動防御でも働いているのか……

 

(……考えても埒が明かないわね)

 

 死剣が銃弾を見切る……否、見斬る能力。長いGGOプレイ時間の中で培ったシノンの知識を総動員して考えても、納得のいく答えは導き出せなかった。これ以上深く考えることに意味は無いと判断したシノンは、再び足を動かすことにする。これまで会った中でも最強クラスのプレイヤーであることは間違いないが、いつまた再会できるか分からない存在である。得体の知れないその正体について勘繰るよりも、次に出会った時に太刀打ちできるよう戦力を整えるべきなのだ。そのためにも、今はショップへ急ぐべきなのだ。

 その後の道中でも、すれ違うプレイヤー達の間で飛び交う『死剣』の話題を鬱陶しく感じながらも、一々足を止めていては限が無いと割り切り、一心不乱に只管、ショップを目指すことにした。

 

 

 

 

 

 シノン行きつけのショップは、首都グロッケン中央にある。銃器や弾薬を取り扱う店をはじめ、衣服やアクセサリー、食品といった嗜好品を扱う店も多数内包する巨大なショッピングモールである。そして、それだけ巨大なショッピングモールであれば、店以外の遊興設備も保持している。

 シノンが再び足を止める原因となったのは、シノンのショップのすぐ手前にある、そんな遊興設備のある場所だった。いつもと変わらない、『Untouchable!』なるゲーム機の周囲に、七十人近い人だかりができている。一体何事なのだろうと思いつつも、通路を塞ぐ程に集まった邪魔な人ごみを掻きわけて進む中、またも気になる言葉が耳に入った。

 

「おいおい……まさか、クリアしちまうなんてな」

 

「あの黒髪の姉ちゃん、すげーな……」

 

人だかりの中で聞いた単語には、『クリア』や『黒髪』、『女性』を表す言葉がいくつも含まれていた。これの意味するところはつまり、あの難攻不落のゲームをクリアしたプレイヤーが現れたということだろうか。そしてそのプレイヤーは女性であり、容姿は黒の長髪に、赤い瞳だという。

 

(まさか……)

 

 耳に入る情報は、つい最近シノンが遭遇したプレイヤーに酷似している。確かに、長いGGOプレイ時間の中で出会ったプレイヤーの中でも目下最強の実力を持つ“彼女”ならば、あの難攻不落のゲームをクリアしたとしてもおかしくない。そして、シノンの予想が当たっているとするならば、今この場所にはあのプレイヤーがいるということになる。そう考えると、行きつけのショップへと向かっていた足は無意識の内に逸れて、ゲーム機の方へと向かっていた。

 

「なんつー反射神経してんだよ……」

 

「一体、どこのスコードロンに所属しているんだ?」

 

 目の前で起きた光景が信じられないとばかりに呟くプレイヤー達。シノン自身も、長距離から放った対物ライフルの弾丸を叩き斬られている。システム上可能であっても、実行することは不可能な離れ業を見せつけられたのだ。今ここに集まっているプレイヤー達は、初めて遭遇した時と同じ感情を抱いているのだろう。

そんな驚愕に呆気に取られているプレイヤーで形成された人ごみ掻き分けて進んだ先でシノンが見たもの。それは、シノンが予想した通りの容姿のプレイヤーだった。肩甲骨のあたりまで伸びた黒髪に、鮮やかな紅色の唇。そして、血の様に紅く、冷たい氷のような光を宿した瞳。見紛う筈も無い……先日シノンと仲間のスコードロンを全滅させたプレイヤー、『死剣』である。

 

「…………」

 

 ゲーム機の柵の中で沈黙して佇む死剣。その足元には、これまで挑戦したプレイヤーが注ぎ込んでいった金銭がコインと化して散乱していた。やがてそれらが青いライトエフェクトを発して消滅してストレージへと収まると同時に、死剣はゲーム機から出てきた。

 これまでクリアされた前例の無い超高難易度のゲームをクリアしたプレイヤー……しかもGGOにおいて数少ない女性とだけあって、注がれる視線は様々である。憧憬、羨望、畏怖、感嘆、エトセトラ。中には、自身の所属するスコードロンに勧誘しようと考えているプレイヤーもいることだろう。だが、凍えるような光を瞳に宿し、圧倒的な存在感を放つプレイヤーを相手に、話しかける言葉が見つからない。そのまま、誰一人として声を掛けることすらできず、死剣が見つめる進行方向に立つプレイヤー達はモーセが海を割るかの如く道を開けていった。

 

(一体、どこへ……)

 

 ショップで諸装備を整え、早々にフィールドの狩りへ出かける予定だったシノンの関心は、『死剣の動向』へと変わっていた。己を強くすることを第一としているシノンにとって、死剣との戦闘は目的を果たすための手段としては申し分ない。だが、シノンが再戦を望んでいる一方で、死剣は神出鬼没で遭遇率の低い相手である。名うてのスコードロンを中心に狙っているとはいえ、標的はランダムである。そんな相手が、今目の前にいるのだ。加えて、死剣が出現して以来、その目撃情報は多数寄せられていたが、顔を見たという話は聞かない。つまり、ここに集まったプレイヤーの中で、ゲームをクリアしたこの女性プレイヤーが『死剣』であることを知っているのはシノンのみである可能性が高い。

つまりこれは、死剣の敵情視察を行う絶好の機会なのだ。

 

(問題は、彼女が私を覚えているかどうか…………いや、尾行すれば間違いなく気付かれる)

 

 仮にこのショッピングモールで死剣を尾行すれば、十中八九自分は看破されるだろうと、シノンは思う。先日のダイン率いるスコードロンとの戦闘でも、先手を打って放った対物ライフルによる狙撃を弾かれたのだ。並外れた危機察知能力を有している点からしても、これは間違いない。

実行する前から失敗することがほぼ確定している尾行。PKを推奨しているGGOだが、流石に圏内での攻撃行為は禁止されている。仮に今戦闘になれば、勝ち目は全く無いが、尾行を見抜かれた途端に血祭りに上げられることはまず無い。あとは、どう言い訳するかだが……

 

「あっ……!」

 

 そうこう考えている内に、死剣はシノンから見えない場所まで移動していることに気付いた。その姿を見失わないよう、急ぎ足を動かす。尾行がバレた場合の対応については一先ず棚上げし、死剣の動向を見失うわけにはいかないとその後を追う。

 相当の距離を維持した状態で死剣の後を追い掛けることしばらく。『Untouchable!』の次に訪れたのは、新たなるゲーム機。先程のゲーム機にもあった西部劇を彷彿させる建物が、こちらはプレイヤーが立つ場所を囲むように四方に並んでおり、大八車や干し草ロールといった障害物も多数設置されている。そして、それらジオラマを囲むように防弾ガラスが四方に張り巡らされている。ゲームのタイトルは『Break The Shadow』。

 

(死剣が……あのゲームを?)

 

 『Break The Shadow』――日本語で、『影を破壊せよ』という名のこのゲームは、射撃スキルを競うタイプのゲームである。ルールは、プレイヤーが立つ直径二メートルの円形の場所を囲むように出現する人形のエネミーを射撃により破壊するというものである。そのスコア判定は、『時間内に撃破したエネミーの数』、『発射弾数』、『誤射弾数』、『時間内にエネミーから受けた被弾数』をもとに行われる。プレイ料金は安いものの、銃と銃弾は自前で用意せねばならず、スコア判定も厳しいため、総合的な出費と賞金のキャッシュバックが釣り合わないことが多く、プレイヤーの大部分からは不人気なゲームでもある。

死剣の動体視力をもってすれば、射撃でハイスコアを叩き出すのは難しくはないだろう。だが、このゲームはプレイヤーの立つ円から一歩でもはみ出せば即ゲームオーバーなのだ。光剣を使ってエネミーを直接斬りに行くという戦法は使えない。かといって、光剣を使った近接戦を主体とする死剣が銃器を使っているところは見ていないし、聞いていない。隠し持った奥の手として、銃の類を持っているのか……或いは、光剣戦闘に次ぐGGOのセオリーを覆す戦法を見せてくれるのか。シノンは期待と畏怖の籠った目で、その姿を見つめ続けた。

 

(始まった……!)

 

 死剣がゲームの料金支払い画面をタッチすると同時に、ゲームが開始される。通常、このゲームは開始前にホルスターから銃を取り出して構えておくものだが、死剣の手には何も握られていない。一体これでどうやって、敵を迎撃するつもりなのだろうか。シノンがそうこう考えている内に、遂にエネミー側からの攻撃が開始された。最初に現れたのは、建物の影からだった。西部劇のガンマンの格好をした人形が建物の裏手から飛び出し、手に持つリボルバーの銃口を死剣へ向ける。対する死剣は、人形が飛び出すより先に反応し、銃撃が来る方向へ目にも止まらぬ速さで腕を振るった。途端、

 

「!!!」

 

 シノンの視界に、予想外の光景が展開された。人形の持ったリボルバーが、“爆発”したのだ。一体何が起こったのか、まるで理解できない。死剣のしたことといえば、腕を振るった……目にも止まらぬ速さで振るった。ただ、それだけ。一体、あの瞬間に何が起こったというのか。シノンが常にクールで変わることのないその顔を驚愕に染めている間にも、ゲームは進む。

十分というプレイ時間の間に、続々現れていく西部劇の人形達。建物の死角から、障害物の影から、人形の背中から、そして時に二体、三体同時に現れて銃口を向ける。それに対し、死剣はただただ、人形の現れる場所向けて腕を目にも止まらぬ速さで振るうのみ。そして、人形が引き金を引く度に起こる“爆発”。巻き込まれた人形達もまた、次々砕け散っていく。

 

(一体、何が…………)

 

 人形が爆発と共に倒れるという、光剣戦闘以上に非現実的な光景を前に思考が硬直していたシノンだったが、ようやく目の前で起こっている事態について考えられるようになってきた。爆発しているのは、人形ではなく、人形が手に持つリボルバー銃である。となれば、爆発の原因は銃の暴発なのか。だが、人形の持つ銃はシステム的に暴発する可能性はまず無い。ましてや、それが連発することなど尚の事有り得ない。そして、死剣は人形が発砲する前に、腕を振るうというモーションを起こしている。これらの事象から導き出される結論は――――

 

(まさか……腔発を引き起こしているっていうの…………!?)

 

 『腔発』とは、砲弾が砲身内で暴発する事故のことを指し示す用語である。軍事関係者に最も恐れられている事故であり、拳銃程度の武器でも、使用者は重傷を負い、銃器が大型化すれば砲員が死亡することもざらである。GGOというゲームのシステムにおいてもまた、腔発が発生するよう設計されている。

現実世界における腔発は、弾丸や信管、砲身の不良など多様な原因が挙げられる。だが、GGOにおける銃器や弾丸には耐久値こそあれど、腔発を起こすような損傷はシステム的上起こり得ない。結論として、腔発が発生する原因はただ一つ。それは、『砲身内部汚損』である。汚損とは即ち、銃口内部に金属や砂礫等が付着するなどして弾丸の進行が阻害されることを意味する。

つまり、死剣は人形達が引き金を引く前に、その銃口に細工を施すことで、腔発を引き起こしているのだ。だが、死剣は半径二メートルの円の中に立ったまま、どうやって腔発を誘発しているのか。シノンはもう少し、死剣のモーションを用心深く見てみることにした。

 

(……あれは)

 

 死剣が腕を振るったその瞬間。シノンは弾丸もかくやという速度で飛来し、煌めく何かを視界に捉えた。そして、途端に起こる腔発。

 

(間違いない……あの腔発は、死剣が引き起こしている!)

 

 空中を飛来する煌めく何かの正体は、銃器の金属部品の類だろう。死剣はそれを投擲し、人形達が持つ銃口へ放り込むことで砲身を塞ぎ、腔発を誘導しているのだ。だが、原理自体は単純でも、実際に引き起こすのは容易ではない。十メートルから十五メートルの距離を置いた位置にいる標的が持つ銃の9ミリ以下の口径の穴に、金属片を真っ直ぐに投げ込まねばならないのだ。しかも、標的は四方八方に現れる上に距離も角度もバラバラ。そんな中で、一歩も動くことなく、標的の銃口全てに的確に投擲物を詰め込んでいる。その姿は、金属部品という名の手裏剣を投擲する、忍者のようだった――――

 

「……っ!」

 

死剣の絶技に見入っていたシノンだったが、気付いた時にはプレイ時間の十分間は既に経過していた。死剣は四方八方へ目にも止まらぬ速さで振るっていた腕を下ろし、開始時と同じ立ち姿のまま、ゲーム機がスコア判定を終えるのを待っていた。

やがて、スコア判定のために必要な諸データの集計が終了すると同時に、死剣の眼前に巨大なホロパネルが出現し、その結果が表示される。撃破したエネミーの数は、パーフェクト。エネミーからの被弾はゼロ。射撃に用いた弾丸はゼロ、誤射もゼロ。まとめると、銃器を使っていた場合において想定される、最高のスコアを出したことになる。これは最早、ただのハイスコアという表現には収まらない。銃器を超えた絶技によって叩きだされる、『戦慄のハイスコア』である。

 

(信じられない……まさか、あのゲームを無傷どころか、銃さえ使わずにクリアするなんて…………)

 

 光剣で弾丸――それも対物ライフルの――を切り裂くという離れ業をやってのけた死剣だったが、今回シノンの目の前で為した業に至っても、絶技と形容するほか無いほど凄まじいものだった。

 

(……もう少し、追ってみよう)

 

 兎にも角にも、この規格外極まりないプレイヤーの動向を探る必要がある。もう時期、このガンゲイル・オンラインにおいて最強のプレイヤーを決定するための戦い――――BoB(バレット・オブ・バレッツ)も開催される。仮にこのプレイヤー、死剣が出場したとすれば、前大会で頂点に君臨したゼクシードや、次席の闇風すら上回る脅威となることは間違いない。死剣の力をこの目で見て、改めてその実力を見極める必要性を痛感した。

 見破られるか否かは既に問題ではない。死剣に打ち勝つためには、少しでも多くの情報を収集するほかに手は無い。そう感じたシノンは、死剣の黒い影を追うべく再び動き出すのだった……

 

 

 

 『Untouchable』に続いて『Break The Shadow』でハイスコアを叩き出した後に死剣が向かったのは、やはり同様のゲーム機だった。二時間と経過しない内に死剣がハイスコアを叩き出したゲームは、八つにも及んだ。いずれも反射神経や動体視力といった、ステータスには依らない、プレイヤー自身が持つアバターを動かすための能力を競うタイプのものだった。

 その様を散々見せつけられたシノンは、内心に押し止めていた冷や汗がアバターの額に浮かび上がるのを感じていた。難攻不落のゲームで次々ハイスコアを出していくその姿は、“死神”のようにすら見える。果たして、自分がこの規格外のプレイヤーと再戦の機会を得たとして、打ち勝つことはできるのか。死剣というプレイヤーを知れば知るほど、不安は深まるばかりだった。

 

「くっ…………」

 

 ただそこに立っているだけで自身を圧倒し、戦意すら奪うこの化物――シノンが追い求めた強者たるこの存在を相手に、僅かな勝機も見出せない自分の無力が恨めしい。だが、怖気づいて逃げ出すなど論外である。死剣に勝つことは、本懐を遂げることに等しい。自身がこのゲームに挑んだ理由を無にしないためにも、今は勝利への布石を集めねばならない。決意を新たに、シノンは死剣の尾行を続けた。

 

(……あれ?一体、どこへ……)

 

 死剣を再び追うことしばらく。先程までの動向から一転。進行方向はゲーム機の密集しているエリアから遠ざかっていた。一体、この先に何があるというのだろうか。見失わないギリギリの距離を保ちながらも、その足跡を辿り、曲がり角に突き当たったところで……

 

「!」

 

 シノンは固まってしまった。何故ならそこには……

 

「俺に何か用か?」

 

 待ち構えていたのは、シノンと大して変わらない身長にも関わらず、何故か大きく感じてしまう黒い影。やや高い位置にあるのは、鋭く冷たい光を宿した紅い双眸。女性にしてはややハスキーがかった声で問い掛けたその声色は、どこか殺気を帯びているようにすら感じられた。

 

「死……剣…………!」

 

 驚愕に声を震わせながら、シノンは眼前に出現した存在の名前を口にした――――

 


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