ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
これを記念して、二話連続投稿です。
どこまで続けられるか分かりませんが、今後も読者の皆様の期待に応えられるよう、努力していきたいと思います。
2025年12月13日
土曜日というだけあって、そこそこ車の多い道路を走る、一台のオートバイ。運転するのは、ジーンズ、ジャケット、ヘルメットと身に纏うもの全て黒一色で統一された格好の少年。終いには、オートバイまでメインカラーが黒である。どこまでも黒が似合うこの少年の名前は、桐ヶ谷和人。向かう先は、先日受けた依頼を遂行するために打ち合わせた場所である。
和人が乗車しているオートバイは、オートバイ業界の中でも随一の人気を誇るメーカーの製品である。時価七十万相当と、一学生が購入するには高過ぎる価格であり、和人とて容易に手が出せる値段ではない。和人がそんな高級オートバイ入手に至ったのは、“貰った”からにほかならない。オートバイの貰い元は、SAO時代からの知己である、薬剤師プレイヤーのシェリー。宮野志保というこの女性は、和人より年上の十八歳。SAO生還者のために開設された学校に通うことも可能ではあったが、現在は留学という道を選んでアメリカに行っていた。そして、アメリカ留学に加え、18歳という年齢に達したことで大型自動二輪車免許取得可能になったことで不要となった普通自動二輪車を、“お下がり”という形で和人に譲渡したのだった。ちなみに、志保にはアメリカで生活している明美という姉がおり、留学中はその住居を利用するらしい。そして、志保の新たな愛車には、明美の愛車であるハーレー・ダビッドソンをお下がりとして貰う予定らしい。
そうしてオートバイを走らせることしばらく。ようやく目的地へ到着する。和人がオートバイを押して入っていく敷地内に建っているのは――病院。ここは、千代田区にある大型の都立病院である。依頼人である菊岡は、死銃との接触に当り、和人の安全確保には細心の注意を払うことにしたらしい。偶然の一致としか思えないものの、ゲームの世界と現実世界の両方で同時に死を齎すという、死銃が持つ能力の真偽を確かめるのだ。何が起こるか分からない以上、最悪の事態にも対処できる場所を選ぶのは、当たり前と言える。また、この病院は和人がSAOから帰還して以降リハビリのために訪れていた場所でもある。馴染みのある場所でのダイブならば、不安も少ないだろうという、これも菊岡なりの配慮の結果なのかもしれない。そうこう考えながらも、駐車場へオートバイを止めると、病院へ入る前に一度携帯電話を取り出した。
「俺だ。今、病院に到着した」
『了解しました。カンキチさんとボルボさんにも連絡を入れます』
「ああ、頼んだ。こちらについても心配は無用だ。ここ十日間のダイブで、光剣の使い方も鉛玉の捌き方も大分モノにできた。当初の予定通り、本戦へ進出して死銃を討つ」
いつもと変わらず、平坦な口調で話す和人だが、その声には強い意志が感じ取れた。和人を知る人物でなければ分からない、ほんの些細な変化。だが、今回の依頼に対してイタチが如何に望んでいるかが窺い知れるものだった。
「『BoB(バレット・オブ・バレッツ)』……“奴等”は必ず、現れる」
『私も、あなたの実力には全幅の信頼を寄せているつもりです。しかし、予選限定といえども油断は禁物です』
「分かっている。仮に予選で、お前が招いた“心強い味方”と当たったとしても、必ず排除してみせる」
『ありがとうございます。それでは、ご武運を祈ります』
最後に竜崎がそれだけ言うと、通話は切れた。和人は携帯電話をポケットにしまうと、病院入口へと足を向けた。受付を通過し、入院生活で歩き慣れた廊下を進むことしばらく。菊岡から指定された入院病棟三階の病室へと到着する。
部屋の番号が指定されたものであり、空室であることを確認すると、和人はノックと共に扉を開いた。部屋の中には予想通り、患者用のベッドと、患者のバイタル等を測定するための機器が備え付けられている。そして、それらバイタル機器を確認するための人物もいた。
「オッス!桐ヶ谷君、お久しぶり!」
女性にしては高めの背丈で、長い髪を三つ編みにして束ねている看護士服姿の女性。和人も入院中に幾度となく世話になった、安岐ナースである。
相変わらずのハイテンションな様子での挨拶に、和人は若干呆れながらも、しかしそれを表に出すことは無く淡々と挨拶を返す。
「こんにちは、安岐さん」
「おやおや、桐ヶ谷君は相変わらず愛想無いねえ……でもまあ、身体の方は…………って、痛ぁあっ!」
憮然とした態度の和人に不満を漏らす安岐ナース。卑猥な動きをさせながら和人の身体目掛けて手を伸ばしたが、その手が届くことは無かった。安岐が伸ばした腕は和人によって捻り上げられたのだ。
「会って早々、何をしているんですか?」
「痛い痛い!別に、他意は無いから!桐ヶ谷君の身体がちゃんと肉付いてきているのか確かめたかっただけだから!」
「それならご心配無く。この通り、順調に回復していますから」
無表情のままで安岐の手をギリギリと締め上げつつ、そう告げる和人。痛みに悲鳴を上げる、自業自得なその姿に冷やかで呆れの感情を含んだ視線を向けつつも、ある程度懲りただろうと思うところで拘束を解く。
「全く……ちょっとからかおうとしただけじゃない」
「余計なお節介です。それより、早く準備をお願いします」
「ああ、ちょっと待って。あの眼鏡の役人の人から、伝言預かってるから」
そう言うと、安岐は胸ポケットから茶封筒を取り出して手書きのメモを和人に差しだした。それに目を通した和人は、さらに呆れることになる。
『報告書はメールでいつものアドレスに頼む。諸経費は任務終了後、報酬と併せて支払うので請求すること。追記――美人看護婦と個室で二人きりだからといって若い衝動を暴走させないように』
読み終えた和人は、呆れてものも言えないとばかりの表情とともに深い溜息を吐くと、メモ用紙をポケットの中へ突っ込んだ。そんな和人の様子を見た安岐は、メモの内容が気になったのか、和人に尋ねる。
「何が書いてあったの?」
「碌でもないことですよ。それより、早く始めましょう」
その後のやりとりは、スムーズに進んだ。和人が冗談の通用する性格でないことは安岐自身も承知していたので、それ以上無用な悪ふざけをすることは無かった。アミュスフィア装着前に、上半身裸になって心拍計測のための電極を胸部に貼り付けてベッドに横になる。
「三、四時間はダイブして戻りませんので、後のことはよろしくお願いします」
「はいはい。いってらっしゃいな」
「それでは。リンク・スタート」
ダイブ後の電極のモニターを安岐に頼み、馴染みの開始コマンドを口にする和人。残された安岐は一人、捻り上げられた手首を擦りながら恨めしげに和人の心拍をモニターするのだった。
VRMMO『ガンゲイル・オンライン』の世界の首都、グロッケン。様々なプレイヤーやスコードロンの拠点を擁するこの大都市は、いつも以上の喧騒に包まれていた。その理由は、ただ一つ。このゲーム、GGOにおける最強のプレイヤーを決める一大イベント『BoB(バレット・オブ・バレッツ)』が開催されるからである。大会は土曜・日曜の二日間に渡って行われ、初日である今日はAからOブロックに割り振られたプレイヤー達が本戦進出を賭けた激戦を繰り広げる。
そして、大会へ出場するプレイヤー達が集まるホールの中。頂点を目指して集まった、およそ九百六十名ものプレイヤーが犇く空間の片隅で、少女――シノンは一人瞑目していた。
(死剣…………あなたは一体……?)
BoB開催当日、そしてあと二十分もしない内に予選が始まる今現在、シノンの心中にあったのは、ただ一人のプレイヤーの姿だった。スコードロン狩りの現場で遭遇し、六対一という圧倒的な数の不利を覆し、自分の所属するスコードロンを全滅せしめた、銃の世界で剣を振るう漆黒の戦士――――死剣。
2025年12月8日
五日前、グロッケンにて予期しない形で再会したその日。難攻不落と名高い数々のゲームでハイスコアを残し、その異常、或いは異端とも言える強さを見せつけられたシノンは、敵情視察という建前のもと、その影を追いかけた。そしてその途中、死剣に尾行を看破されたのだ。投げ掛けられた問いは、自分に何か用があるのかという、至極当然の内容。口調自体は静かな物言いだったが、その時に発せられた威圧感は“凄まじい”の一言に尽きるものだった。その日にゲーム機で散々叩きだしたハイスコアと、その際に発揮した桁外れの能力が、シノンの態度を萎縮させていたともいえるが。ともあれ、ストーカー紛いの行為に走ってしまったことは否定できない状況だったので、問いには答えなければならなかった。シノンは出来る限り気丈に振る舞い、口を開いた。
「あなたの強さの……その理由を、知りたかったから」
この言葉だけで、どこまで意思が伝わったかは分からない。だが、ただ只管に強さを求めるシノンの心は伝わったのだろう。死剣は神妙な顔で、考え込むように沈黙した。そして、シノンの目を赤い双眸で真っ直ぐに見据えて言葉を紡ぎ始めた。
「お前が強さを求める事情は知らない。だが、俺にはお前が幻視している強さは無い。俺にあるのは、敵を倒すための戦闘技術だけだ」
自嘲するように放ったその言葉を最後に、死剣はシノンに背を向けてその場を後にしようとする。背を向けられたシノンは、死剣の殺気に当てられ、女性にしてはおかしい男口調に思考を向けることもできず、ただ一人動けずに立ち尽くしていた。遠退こうとしているその影をこの場所に繋ぎ止めるために、必死に訴えかけようとした。
「でも……私は、どうしても強くならないといけないの!」
「……なら、他を当たれ。だが、この世界でどれだけ強くなったとしても、それは所詮仮想の強さだ。それだけは覚えておくんだな」
それだけ言うと、今度こそ死剣はシノンに背を向けて歩き去ってしまった。シノンとしては、まだ話が終わっていないと引き止めたかったが、もうこれ以上は話を聞いてもらえないことは分かっていた。だから、最後に一つ、交わすべき言葉を投げ掛けて終わりにすることにした。
「あなたの……あなたの名前は?」
「……イタチだ」
「私はシノンよ。あなたも、次のBoBには出るのでしょう?その時には……絶対に、負けない」
強大過ぎる相手を前に、精一杯の見栄を切ってみせるシノン。対する死剣は、そんなシノンの真剣な表情を相変わらずの無表情のまま横目に見るのみだった。
圧倒的な存在との戦いを前に闘志を燃やす青い瞳と、氷のように冷徹な紅い瞳。相反する感情を、相反する色の瞳に宿した両者の視線が交差する。人気の無い道の上で唐突に起こった睨み合いは、死剣が踵を返してその場を後にすることで終息した。
残されたシノンは一人、死剣が放った言葉を心中で反芻していた。彼が持っているのは、敵を倒すための技術でしかなく、シノンの求める強さなど持っていないという、その言葉を――――
(敵を倒す強さ…………私は、それを望んでいる)
それが、シノンがこの世界に来た理由だった。その筈だった。だが、死剣が放った言葉は、シノンがこの世界で戦う理由を否定するに等しいものだった。GGOの世界に在りしシノンは、現実世界の朝田詩乃のように、銃を見ても発作を起こすことは全く無く……手に取り、発砲すらできたのだ。
カウンセリングをはじめ、様々な治療法を試してきたが、GGOによる曝露療法ほど有効性を感じた治療法は無かった。この世界で戦い、己の精神を鍛える。確実だと実感できた、この手段の何が間違っているというのか。
自分より確実に強い筈なのに、本当の強さなど持っていないと、矛盾した発言をした死剣の姿が、シノンの心にしこりとして残り続けていた――――
そして、その日を最後にシノンは死剣の姿を見ることは一切無くなった。今日に至るまで、GGOをシノンとしてプレイしてBoB参加のための準備をしている間も、現実世界で詩乃として学校の授業を受けている間も、あの言葉が頭を離れなかった。そしてそれは、今も続いている。
圧倒的強者である筈の死剣すら持っていないと言った……自分が求めている“強さ”とは、何だったのだろうか――――――
(……駄目。集中しなきゃ)
いくら考えても、答えは得られない。それどころか、強さの在処が分からないことが原因で、戦う意味すら見失いそうになる。それでもあの言葉を戯言と切り捨てられないのは、死剣が真の強者だと思っているからなのだろうか。それとも、自分を見つめる瞳に宿した憐れみにも似た感情を垣間見た所為なのか……
ともあれ、今意識を向けるべき対象は死剣の言葉ではない。これから自分が参加するBoB予選であり、その対戦相手なのだ。ここで敗退して全てを無に帰すわけにはいかない。死剣と再び対峙するためにも、今は勝ち進むことのみを考えねばならない。
(……そろそろ、対戦相手が発表される)
BoBは予選開始までのカウントダウンが十五分に近付くと、予選トーナメント表が発表される。それは同時に、自分の所属ブロックとこれから先の対戦相手が表示されることを意味する。果たして、予選で当たる相手には、シノンを満足させるだけの強者はいるのか……
(ゼクシードは……いない。闇風は……)
Fブロックトーナメント表の一番端に載っている自分の名前から順に、参加者をチェックしていくが、前回のBoBにおける上位プレイヤーの名前は見当たらない。BoB常連の名前はいくつかあったものの、いずれも脅威となる程の実力者ではない。トーナメント表の名前を半分まで見終わったところで、本戦進出は思ったより簡単だろうと結論を下し、決勝で当たる相手を予測すべく、もう半分の名前に視線を向けることにした。すると、早々に予想外の名前を見つけた。
(Itachi――イタチ…………死剣!)
このBoBにおいて、最大の障害になると予測していた相手の名前が、自分が予選を戦うFブロックの中にある。しかも、驚くべきはそれだけに止まらない。
(対戦相手は……闇風!?)
死剣の初戦の相手は、前回BoBの準優勝者――『闇風』。敏捷極振りのステータスで、『ガンランの鬼』と呼ばれる程の強豪である。予選早々、優勝候補同士がぶつかり合うというのだろうか。
(闇風の装備は、前回優勝したゼクシード程じゃない……けど、敏捷特化型のステータスをフルに活かした戦闘手法は、かなり洗練されている……)
闇風の戦闘を映像で見た事のあるシノンの私見だが、ゲームの数値としてのステータスに加え、それを十二分に活かすだけの動体視力や反応速度を備えていることは間違いない。ゼクシードが参加しないとすれば、優勝も難しくない程の実力者なのだ。
だが、死剣――イタチの実力は、次元が違う。実際に相対し、戦った経験を持つシノンには、それが分かる。死剣を知らないプレイヤーならば、この勝負は闇風の勝利を確信するだろう。だが、シノンにはどうしてもあの死剣ことイタチが敗北するイメージが浮かばない。
(決勝で待っているわ……死剣!)
お手並み拝見といきたいところだが、予選は同時に行われる以上、シノンが『死剣VS闇風』の試合を見ることはできない。だが、死剣が予選落ちする可能性はまずあり得ない。このFブロックの頂点で対峙するという誓いを立て、シノンは自身の戦いに臨むのだった。
シノンが一人、決意を新たにしていたその頃。同じ場所の、真反対の場所に、三人の男達が集まっていた。重苦しい沈黙に包まれた空気の中、丸刈りにベレー帽を被った大柄な男が苦々しい表情で口を開いた。
「厄介なことになったな……まさか、初戦で当たる相手があの闇風とは……」
全く予想外だ、という内心を露にしたその言葉に、今度は傍に居た剛毛でゴリラを彷彿させる体格の男が溜息交じりに呟く。
「全くだ。いきなりこんな対戦カードが来るなんて、ワシだって予想外だ。だが、決まってしまった以上は、勝つしかないだろう。イタチ、大丈夫なんだろうな?」
知り合い二人が心底不安そうな表情で見つめる先にいるのは、華奢な体躯に、肩まで伸びた長髪、女性と見間違うような顔をした赤い瞳の少年――イタチだった。ただ一つ、いつもと違う特徴として、木の葉を模したマークに横一文字の傷がが刻まれた、額当てを装着していた。GGOプレイ歴が長い二人が不安を禁じ得ないこの状況下で、しかしつい最近GGOを始めたばかりのこの少年は、まるで動じた様子が無かった。
「相手が誰だろうと、依頼は必ず果たす。そのためなら、誰が障害となろうが排除するのみだ」
淡々と、これからの戦いなど何でも無いことのように言い放ったイタチの言葉に、それを聞いた二名――カンキチとボルボは、唖然としていた。確かに、銃の世界たるガンゲイル・オンラインにダイブしてから今日に至るまで、イタチは名うてのスコードロン相手に負け無しの無双を繰り広げ、『死剣(デス・ソード)』という二つ名すら頂戴している実力者である。だが、今回ばかりは相手が悪いとしか言いようがない。
「あのなぁ……お前がこれから当たる闇風って奴は、そんな簡単な奴じゃねえんだぞ!」
「カンキチの言う通りだな。俺も、奴とは一度戦ったことがあるが、短機関銃の掃射でも一、二発掠めるのが精一杯だったんだぞ」
前回優勝者のゼクシードに次ぐ強豪プレイヤーとして知られる闇風だが、その実力は第一位のゼクシードより上と考えるプレイヤーは多い。その理由としては、前回BoBにおけるゼクシードと闇風の対決では、大会直前に揃えたレア銃・レア防具の性能が際立っていたことが挙げられる。MMOストリームでは、STR特化型の時代と嘯かれてはいるものの、それ専用の武装が完全に普及していない今はまだ、AGI特化型のプレイヤーの能力も無視できない。
闇風はそんなAGI特化型の中でも脅威も脅威。システム上のステータスやスキルの数値に加え、それを戦闘能力として十二分に発揮できるだけの実力を備えているのだ。如何に仮想世界での戦闘経験が長いイタチといえども、キャリアの短い銃撃戦では分が悪く、勝ち目は非常に薄い。
そんな、恐ろしい程の難易度をカンキチとボルボは語るが、イタチは相変わらず内心の見えない表情のまま、しかし影が差した様子はまるで無かった。
「確かに、今までのようにはいかないだろうな。だが、弾丸は弾丸だ。やりようはいくらでもある」
「お前なぁ……」
相手が闇風といえども、十分勝ち目はあると暗に言うイタチに、カンキチとボルボは呆れた表情をするばかりである。だが、短期間で幾多のスコードロンを狩ってきたイタチは、この世界の主要な武装である銃器と、己の武器である光剣の性能をほぼ完全に把握している。
故に、どうすれば被弾数を抑え、銃を持つ相手の懐に飛び込めるのか、その大まかな答えも出ている。勿論、相手によっては戦術も臨機応変に変えねばならないが、予想外の事態や変則的な敵との相対は前世の忍世界で散々経験しているイタチにとっては、さして難しいことではない。
「これ以上あれこれ言っても仕方あるまい。それに、そろそろ時間だ」
イタチに指摘され、トーナメント表の左上に表示されたタイマーを見れば、こうして話している間にも十五分のタイムリミットも二分前に差し掛かっていた。
「俺は誰が相手だろうと本戦に進出し、依頼を果たす。お前達も、準備を抜かりなく進めてくれ」
「……分かった。ワシ等は手筈通り行く」
「そっちも、気を付けてな」
カンキチとボルボの言葉に対し、イタチは小さく頷く。そして次の瞬間には、イタチの身体は青白い光に包まれ、その場から姿を消すのだった。
カウントダウンが完全にゼロになり、青白い光と共にイタチが飛ばされたのは、管制官が着くような座席が複数並べられた、無機質な空間。コンピュータ等の計器が無数に並べられた座席の奥には、巨大なガラスが張り巡らされている。その向こうには、灰色の曇天が広がり、時折青白い光が瞬いていた。『船の艦橋』――そんな表現が、非常にしっくりくる場所だった。
(成程……これが宇宙航行船の艦橋というわけか)
『難破した宇宙航行船』――それが、イタチの初戦のバトルフィールドの名前だった。事前に調べたBoB予選フィールドリストの中には無かった名前だったため、新規導入されたフィールドと考えられるこの戦場は、どうやら文字通り宇宙船の中らしい。だが、窓の外に広がる景色から察するに、船が航行しているのは宇宙空間ではなく、地球の上空らしい。
(……艦橋のコンピュータは全て、ただのオブジェクトか)
艦橋に設置されたコンピュータのキーを試しに操作しようとしたが、反応は無い。予想通りで、当たり前の結果だったが、どうやらバトルフィールドたるこの船を操作してアドバンテージを握ることは不可能らしい。
(まずは、戦場の把握か……)
今回の対戦相手である闇風は、現在五百メートル以上離れた位置にいる。交戦するには、互いの居場所を知る必要がある。加えて、内部構造の入り組んだ屋内が戦場であるのだから、その地理について記憶しておかなければ、先手を取られる可能性も高い。
だが幸い、ここは艦橋。コンピュータを操作できなくとも、船体内部の構造についての情報は、容易に手に入る筈。そして、辺りに視線を巡らせること数秒。すぐに目的の情報が張り出されたパネルを見つけることができた。
(船体の長さは約九百メートル……そして、艦橋は十階……)
そこに記された詳細について、心中で反芻するいたち。忍時代に鍛えた記憶力で、五秒と時間を要さずそれらの情報を頭に叩き込むと、即座に艦橋を後にする。その道中、自分の現在地と、船体の構造、そして戦闘開始からの経過時間から、走りながら戦況を分析する。
バトルフィールドへ飛ばされてから経過した時間は一分半に満たない。だが、相手は敏捷特化型の闇風である。GGOの戦闘に慣れた人物ならば、既に相手の大凡の居場所を特定し、高い敏捷性を駆使して距離を縮めている可能性は十分に高い。
(狭い廊下で光剣を振るうのは拙い……食堂や会議室も、短機関銃を相手するにはやはり狭い……)
開けた地上ならばいざ知らず、幅五メートル・高さ三メートル程度のスペースでは、戦闘を行うにはやはり狭い。ましてや、相手は短機関銃の使い手である。弾幕を張られれば、回避などできる筈が無い。無論、イタチとて短機関銃相手でも銃弾を防ぎ切る自信はある。だが、移動を制限された状況下では、絶対に後れを取らないとは断言できない。
(止むを得ん……戦場を移すか……)
通路での正面戦闘が不利と考えたイタチは、ある場所を目指してさらに速度を増して駆ける。船という閉鎖された屋内フィールドであっても、自身の戦闘能力を十二分に発揮できる場所は、ただ一つ。索敵スキルでは未だ探知できない、しかし確実に接近してくる闇風の気配を感じつつ、イタチは足を速めるのだった。
(……敵は、ここか)
予選の舞台たる船体の中。ダークブルーのコンバットスーツに身を包んだ痩身のプレイヤー――闇風は、目の前に広がる開けた場所へと、鋭い視線を巡らせながら足を踏み入れた。大小様々なコンテナやケースが積みこまれたこの場所は、船の貨物室。この船の中で、最も広い場所だった。
(しかし……まさか予選早々、こんな奴が相手とはな……)
苦々しく心中で愚痴を垂れる闇風の内心は、眉間に刻まれる皺として、アバターの顔にも表れていた。BoB上位常連の闇風にとって、この予選はただの通過点でしかなかった。本戦へ進むのは当たり前であり、予選など相当強力なプレイヤーと当たらない限りは前座同然。だが、そんな闇風の抱いた甘い認識は、早々に打ち砕かれることとなった。
未だ対面していない状況でありながら、ベテランたる闇風に畏怖を抱かせて止まない無名のプレイヤー。それが、現在の対戦相手、『イタチ』だった。闇風にとって初めてのフィールドでの戦いだったが、記憶に無い名前のプレイヤーだったため、余裕で勝てるだろうと考えたのだが、全く思い通りに事が運ばない。
闇風が選択した作戦は、通路で待ち伏せして短機関銃を正面から掃射するというものだった。そして、長いプレイ時間の中で培った判断力を駆使し、襲撃ポイントに向かったのだが……その全ては、ものの見事に回避された。
(単に俺との正面戦闘を避けているとも考えたが……俺の予測を先回りしてやがる……)
闇風が予測したイタチの行動ルートは、主に二種類。一つ目は、闇風との戦闘を望み、積極的に接近を試みる場合。二つ目は、BoB前大会準優勝者という肩書を恐れ、保守的に逃げに回って機会を窺っている場合。これら二つの行動パターンから、必ず通ると想定されるルートへ回り込んだのだが、全て空振り。
闇風がこれまでのプレイ時間の中で鍛え上げた判断能力は、戦闘能力と同様、GGOにおいてトップクラスに属す。モンスター、プレイヤーを問わず、その動きを予測して先回りするのはベテランプレイヤーたる闇風にとって造作の無いことだった。だが今、そんな闇風が、一人の無名プレイヤーに振り回されている。
(タダ者じゃねえ……奴は、間違いなく強い!)
既に闇風の心中には、この対戦相手を過小評価するという気持ちは一切無い。ステータス等一切素性の分からない無名プレイヤーとはいえ、自分の予測を上回る動きをしたことから、戦闘慣れしていることは間違いない。
故に、闇風は油断しない。感覚を研ぎ澄ませ、貨物室の中に潜む敵の気配を探る。索敵スキルの発動は勿論、アバターが有する五感と、戦いの中で培った第六感まで動員し、未だに姿の見えない敵の影を探す。
「!」
そして、周囲を警戒しながら貨物室を探すこと一分弱。対戦開始から二十分に及ぶ追跡の末、遂に闇風は、対戦相手たるプレイヤー――イタチの姿を捉えるに至った。
「…………」
標的たるイタチは、別段隠れているというわけではなかった。イタチが立っていたのは、貨物室のど真ん中。コンテナ等の貨物の少ない、開けた場所だった。
(何を、考えている……?)
愛用の銃である短機関銃を油断なく構え、射程距離まで近づいていく。遮蔽物の無い、このように開けた場所に立てば、短機関銃の格好の餌食である。姿を認識されている以上、弾道予測線が発生するのは免れないが、短機関銃の弾幕を避けることは不可能に近い。しかも、遮蔽物の少ない場所は、『ガンランの鬼』と恐れられている闇風の敏捷性を発揮できる独壇場に等しい。つまりこの状況は、闇風にとってこの上なく有利なのだが……だからこそ、解せない。
この、広く大型のオブジェクトが多い貨物室の中で、遮蔽物に隠れるでもなく開けた場所に立つとは……「狙ってくれ」と言っているようなものである。正面切っての遭遇戦を幾度もかわしてここまで来たのだから、闇風の短機関銃は忌避すべき武装の筈。それとも、今までの行動予測は全て偶然に過ぎなかったのか――――
「…………」
本日何度目か分からない、目の前のプレイヤーがしでかす予想の斜め上を行く行動に思考を乱されながらも、闇風は再度短機関銃を構える。未だに矛を……否、銃を交えていない相手だが、闇風はやはり油断はできないと感じた。
短機関銃を向けられても微動だにしない黒衣のプレイヤー、イタチ。その姿には、恐怖で硬直した様子等は一切見られない。恐らく、闇風が引き金を引くのを待っているのだろう。思い返せば、この戦いが始まってからというもの、このイタチという男に自分は上手く誘導されてきた。
(行くぞ……!)
だが、今更後に引くつもりは無い。こうして相対した以上は、持てる力の全てをもって敵を撃破する。今までそうやってきたように――――!
「ウ、オォォオオ!」
雄叫びと共に引き金を引く闇風。途端、銃口からは無数の弾丸が発せられる。闇風の主武装である、キャリコM900Aから放たれ、銃口初速427 m/sで迫るおよそ20発もの弾丸は……しかし、黒衣のプレイヤーを仕留めるには至らなかった。
「んなっ……!」
引き金を引いた闇風は、本日最大の驚愕に見舞われる羽目になった。回避不能な至近距離で放った弾幕が、イタチに僅かなダメージも与えられず、全て“弾かれた”のだ。無論、素手で防御したわけではない。短機関銃の銃弾を叩き落としたのは、その手に握られている赤い閃光を発する剣だった。
(光剣だと……まさかっ!)
光剣を振るう漆黒のプレイヤーの姿に、ここ最近GGO世界を騒がせているプレイヤーの異名を連想する闇風。だが、目の前のプレイヤーの正体について思考を走らせるより速く、イタチは攻め込んでいく。
「ぐっ……!」
二十メートル近く開いていた距離を二秒と掛からず走破して閃光の如き刺突を繰り出すイタチに対し、闇風は右側面へ跳んで回避を試みる。間一髪で直撃を免れた闇風だったが、ビーム光線の如き速度で迫る赤き閃光の一撃は、その脇腹を僅かに掠め、身に纏っていたローブを貫通した。
(流石は光学兵器……直撃すれば即死は免れん…………)
僅かに命中した光剣の一撃によって、HPの二割以上を損失した闇風は、内心で戦慄する。直撃すれば、即座に勝負が決まることは言うまでもない。GGOにおいて、純粋な威力だけならばトップクラスの光学兵器に属す光剣の威力も然るものながら、不可避に近い一撃を放ったイタチの技量も凄まじい。
AGI特化型の闇風の戦闘スタイルは、「ガンランの鬼」という異名が示す通り、不可避の弾幕を繰り出す「射撃(ガン)」と、捕捉不能な速度で敵を翻弄する「疾駆(ラン)」の二つ。つまり、闇風は立ち止まって射撃を行う際のみは、自慢の敏捷性を発揮しての回避が儘ならないのだ。イタチはそんな闇風の弱点を見抜き、弾幕へ光剣片手に突っ込むという戦術を取ったのだった。尤も、短機関銃の弾幕を光剣で防御するなど、並みのプレイヤーにできる所業ではない。
出来るプレイヤーがいるとするならば、このGGOにおいてはただ一人。半ば都市伝説としか認知されていない、尾ひれ・背びれが付いた噂としか考えていなかったが、ここに至っては最早その存在は疑う余地も無い。
(死剣(デス・ソード)!……まさか、実在していたとは……)
つい最近出現した、GGOにおいてマイナーな武装として知られる『光剣』を主武装として戦う謎のプレイヤー――『死剣』。噂によれば、GGOにおいて名うてのスコードロンをいくつも、しかも単独で襲撃・殲滅したとされているが、有り得なさ過ぎる戦闘能力に、その存在を現実のものと見なす者は、闇風を含めてほとんどいなかった。
「……チッ!」
ブォン、という音を響かせながら、再度振るわれる赤き死の剣。闇風は、イタチが刺突後の体勢から刃を返しての斬撃を繰り出すよりも速く、地面を蹴って距離を取る。だが、イタチが高速ならぬ光速で繰り出す斬撃もまた、回避が完全には間に合わず、今度は肩を掠めてHPを1割半持っていく。
「グッ……ハァアアッ!!」
だが、闇風もやられっ放しではない。斬撃が肩を掠めた直後に、光剣を振り下ろして僅かな隙を生じさせたイタチに対し、カウンターとして短機関銃を再度放つ。今度の距離は、三メートルにも満たない。弾道予測線を見ても、防御行動は間に合わない筈……
「う、嘘だろ……っ!」
間近で放たれた十発の弾丸に対し、イタチは左後方へ跳ぶことで五発分の弾丸の射線上から外れ、残り五発に対しては光剣をバトンのように回転させることで光の盾を形成し、防御したのだ。
常識を逸脱したイタチの反応速度と剣技に、流石の闇風も呆けた顔を晒してしまう。銃の世界たるGGOで剣を振り回すこともそうだが、このイタチというプレイヤーに対しては一切の常識が通用しないらしい。
(成程……スコードロンをいくつも壊滅させたというのも納得できる……!)
BoB前大会準優勝者の闇風を、正面戦闘でここまで追い込んでいるのだ。前代未聞の光剣使いやら、スコードロンを単独壊滅させたやらの噂が真実であることは、最早疑う余地が無い。加えて、闇風が前大会で戦い、装備の性能の関係で競り負けた相手であるゼクシードとは比較にならない程の強敵であることも。
(こんな奴が初戦の相手ってのは……どんな冗談だ、オイ!)
偶然成立した対戦カードなのだろうが、いきなり本戦の、しかも決戦並みに相手と戦わされているこの状況には、流石の闇風も心中で悪態を吐きたくなった。だが、運営から齎された不条理を嘆いている暇などありはしない。
今すべきは、薄まり始めている勝機を引き戻すこと。そのためにも、まずは距離を取らねばならない。そう考えた闇風は、イタチが一度後方へ跳び退いた隙を利用し、後方に置かれているコンテナの上へと飛び乗り、高い位置へと移動する。
「近付くなっ!」
当然、イタチも追撃に動くべく接近を試みるが、闇風はそれを許さない。短機関銃で威嚇射撃を行い、牽制を行う。最も高いコンテナの上に立つ闇風に接近する方法は、助走をつけての一足飛びで突っ込むか、周囲に置かれた背の低いコンテナを足場として使って階段式に接近するかのいずれかである。
前者は闇風と互角以上の敏捷ステータスを持つイタチならば不可能ではない。だが、如何に優れたステータスを持っていようとも、空中での回避行動は不可能である。無論、短機関銃の弾丸ならば、空中であろうとも死剣の技量で防げる可能性は高い。しかし、闇風の武器は短機関銃のキャリコM900Aだけではない。攻撃範囲が広く、防御の固い敵に対する鬼札とも呼べる、『プラズマグレネード』を備えているのだ。爆発武器であるこればかりは、光剣による防御が通用しない。空中に滞空している間に投げ込まれれば、その爆発に身を焼かれて動けなくなる。仮にHP全損を免れたとしても、短機関銃で蜂の巣にされて勝負が決まる。
故に、イタチが闇風のもとへ安全に接近するには、近場のコンテナからコンテナへと跳び移るしか無いのだ。故に、イタチの移動ルートを先読みし、射撃による牽制を行えば、光剣は届かない。
無論、イタチが射撃武器を持っていないなどと甘い見通しを立てているわけではない。しかし、闇風を圧倒する程のスピードを持つイタチである。所持しているとしても、拳銃の類が精々であり、弾道予測線も見えるのだから、闇風の能力をもってすれば回避は間に合う。それは、敏捷を極めた闇風だからこそ確信できることだった。
(奴を潰すには、高所からの射撃以外に方法は無い……)
よって、闇風はコンテナの上での射撃と跳躍移動で敵を追い詰める、『ガン&ラン』ならぬ『ガン&ジャンプ』へと戦法を切り替えることにしたのだった。
バトルフィールドたるこの航行船の貨物室は、船体と同方向に長方形型に広がっており、長辺部分の両サイドにコンテナが積まれている。貨物搬入用の通路も同様であり、移動方向も限定される。つまり、短機関銃の牽制によって闇風が乗っている側のコンテナに近付けなければ、闇風の優位は揺るがないのだ。
(見事な剣技だが、有効範囲の狭い武器は、この世界では通用しない!)
闇風が引き金を引くと同時に、短機関銃が再び火を噴く。狙う先には、イタチの姿。当然の如く、弾丸は全て赤い光の露と消える。だが、それも闇風の予想通り。闇風はイタチが弾丸に集中している隙に、左手に持っていたプラズマグレネードのピンを口に咥えて引き抜き、イタチのいる場所目掛けて投擲する。
「!」
あらゆる弾丸を叩き伏せる光剣だが、プラズマグレネードばかりは防御できない。故にイタチは、プラズマグレネードが炸裂するよりも速く、横へ跳んでその攻撃範囲から免れようとする。
「そこだ……!」
「っ!」
回避行動に転じたイタチに対し、闇風による追撃が行われる。地面を転がりながらも、光剣を振るって弾丸の防御を試みるイタチだが、流石に全てを防御することはできなかった。数発の弾丸がイタチの手足を掠め、貫いた。
(いける……いけるぞ!)
今まで、まるで攻撃の通用しなかった死剣ことイタチだったが、この攻撃で確かな手ごたえを得られた。如何に死剣といえども、広範囲を攻撃する爆発物には回避以外の行動が取れない。ましてや、短機関銃に対処する傍らでは、被弾を避け得ない。
装備重量削減のため、普段は一個しかオブジェクト化していないプラズマグレネードだが、闇風のストレージには十個以上収納している。無論、短機関銃の弾薬も同様である。詰めを誤らなければ、この規格外のプレイヤー相手でも十分勝機はある。
闇風がそう考えた時、さらなる予想外の事態が起こる。しかもそれは、闇風にとって優位に働く事象だった。
(な、何っ……!?)
闇風の立つ足場が、突如傾き始めたのだ。だが、闇風がバランスを崩したわけではない。傾いているのは、闇風とイタチが立っているこの空間全体……バトルフィールドである、艦全体が傾いているのだ。
(いける……これで船体が傾いて、壁際まで追い詰めれば逃げ場は無い。そこへプラズマグレネードを三個……いや、四個投げ込めば、如何に死剣といえども、逃げられない!)
それが、長いGGOプレイ時間の中で培った経験をもとに、闇風が考案した作戦だった。成功させるために重要なのは、間断なく攻め立て続けて一定以上の距離を保つこと。そのためには、プラズマグレネードのオブジェクト化と、短機関銃のマガジン交換を素早く行う必要がある。同時に、艦の傾きに応じて即応し、貨物室奥部へとイタチを追いやらなければならない。何せ相手は、闇風と伍する敏捷を誇る死剣である。隙を見せれば、現在の優位など簡単に覆されてしまう。
故に闇風は、油断せず、これまで以上に細心の注意を払って目の前の敵との戦いに臨む――――
「行くぞ……!」
その後の闇風の攻撃は、より苛烈なものと化した。短機関銃の弾幕による威圧と、隙を見て放り投げるプラズマグレネードのコンボで僅かずつのダメージを与えながら、少しずつ……しかし着実に、イタチを貨物室の奥へ奥へと追い込んでいく。戦法自体はワンパターンだが、イタチの動きを的確に予測した射撃と、プラズマグレネードの炸裂・攻撃範囲を最大限に活用した闇風の動きは、イタチを翻弄するに足るものだった。
そして、短機関銃の射撃とプラズマグレネードの投擲を続けることしばらく。遂に闇風に、勝負を決める最大の好機が訪れた。
(傾きが大きい……これなら!)
貨物室での戦闘開始以降に発生した中で、最大の揺れ。船体は大きく傾き、ほぼ垂直に等しい状態となる。そして、闇風の立つ場所は、船体上部。対するイタチは、船体下部である。闇風は手持ちのワイヤーを船体支柱に巻き付けてぶら下がって落下を防ぎ、イタチの上を完全に取った。
「これで……終わりだ!」
イタチとの距離が、貨物室の長さと等距離になり、しかも相対位置が上下垂直。直線距離で両者が二十メートル以上も離れたこの状況では、光剣の斬撃は届かず、投擲しても闇風には及ばない。当初から考えていた作戦通り、所定の場所までイタチを追いこむことに成功したのだ。そして、勝利を確実なものにするために、闇風は最後の詰めに取りかかる。
まずは、短機関銃を乱射。しかし、狙いはイタチではなく、貨物室に収納されていたコンテナの固定具である。固定具が破壊されたことで、支えを失ったコンテナ達は、次々イタチ目掛けて落下していく。
次いで、間髪入れずに手持ちのグレネード全てを投下していく。まずは、既に実体化していた二つを投擲。そして、すかさず右手でウインドウを呼び出し、残り二個のグレネードを左手にオブジェクト化させ、まとめてピンを引き抜いて再度投擲。放ったグレネードは全て、コンテナの隙間を縫うように投下されている。
これで、イタチがコンテナを回避したとしても、完全にプラズマグレネードの効果範囲に捉えることができる。普通のプレイヤーならば、間違いなく即死だろうが、相手はあの死剣である。これで完全に勝負を決められるかは分からないが、動きは封じられると確信できる。プラズマグレネードが炸裂した後は、一気に距離を詰め、短機関銃を至近から撃ち尽くしてHP全損を狙うのだ。
(この俺をここまで追い詰めるとは、大した実力だ……だがそれも、ここまでだ!)
持ち得る武装と知略の全てを注ぎ込んで仕掛けた策略に、勝利を誓う闇風。だが、それでもこころのどこかでは不安を感じていた。前大会において二位の地位を獲得し、実力だけならばGGO最強と呼ばれていた自分を追い詰めた死剣が、本当にこれで終わるのか、と……
そして、その予感は的中した――――
「なぁっ!?」
闇風が見下ろす先にいるイタチ――予想を遥かに超える動きを幾度も見せてきたプレイヤーが、本日何度目になるか分からない、驚愕すべき行動に出た。
船体が垂直状態に傾き、上からはコンテナとプラズマグレネードが落下するその状況下で、イタチが取った行動は、僅かな助走距離を利用して、“壁を走る”というものだった。
(な、何故そんな真似ができる……!?)
GGOプレイ歴の長い闇風だが、こんな動きは見たことが無い。銃の世界たるGGOにおける武器は、その攻撃軌道は三次元的である。だが、それを扱うプレイヤーの動きは、基本的に平面を移動する二次元的なものである。無論、ジャンプもシステム的には可能だが、それでも垂直方向の移動には限界がある。イタチのように壁を走るなど、誰も考えないし、やろうとは思わない。
(くっ……だが、あの助走距離でこの場所に至ることはできない筈……)
そう自分に言い聞かせながら、しかし機関銃を持つ手に力を入れて闇風は身構える。
対するイタチは、闇風の予想通り、突出した敏捷をフルに活用して壁を走るも、その距離は十メートル足らずで限界が訪れた。だが、イタチはそこで落下することはしなかった。壁を走る最中に限界が訪れたのと同時に、壁を蹴って空中へ跳躍したのだ。そして、宙に身を投げ出したイタチが跳んだ先にあったのは、闇風が落としたコンテナである。イタチは空中で体勢を立て直すと、コンテナに足を突いて、再度蹴り出して跳躍。落下してくるコンテナを足場に、次々上っていく。
(まさかそんなことまでやってのけるのか……!)
最早、このプレイヤーを相手に油断は一切できない。コンテナに次いで投下したプラズマグレネードの弾幕も、頼りにはできない。そう考えた闇風は、短機関銃の狙いを定め、弾道予測線が発生するよりも速く引き金へ指をかけようとする。そして、全弾撃ち込む覚悟で最後の攻撃を仕掛けようとした、まさにその時だった。
「んなっっ!!?」
突然の、閃光と爆音。そして、凄まじい火柱が、イタチの立つコンテナの真下で発生したのだ。闇風の放ったプラズマグレネードは、まだ爆発していない。一体、何が起こったのか。発生した音と光から考えて、爆発が起こったことはまず間違いない。だが、何が爆発したというのか。
(まさか、これは――――)
敵をあと一歩というところまで追いつめて発生したこの事態。偶然として片付けるには出来過ぎている。これが作為的に引き起こされた現象だと言うのならば、それを引き起こしたのは……
「――――!!」
だが、闇風がそれ以上思考を走らせることはできなかった。爆発から立て続けに起こった、闇風を襲う想定外の事態。それは、闇風の眼前に黒い影となって現れた。
「っ!…………お、まえっ……!」
目の前には、先程まで真下のコンテナの上に居た筈のプレイヤー――イタチの姿。その手には、赤い閃光の剣が握られている。
その、血の如き色の刀身は、闇風の胴を貫いていた――――
(死剣…………まさかっ!)
腹部に突き立てられた赤い光の剣がHPを食らい尽くす中、闇風は死剣ことイタチが自分に仕掛けた策を悟った。
先程のコンテナの中身は爆薬の類であり、貨物室へ先に辿り着いていたイタチは、恐らく戦闘開始前からそれを知っていたのだ。そして、イタチは接近が儘ならない闇風を撃破するために、それを最大限に利用する作戦を実行したのだ。隠れる場所の多い貨物室の中でわざわざ開けた場所に立って闇風を待ち受けていたのも、死剣としての並外れた実力を示すことによって、貨物室奥へとイタチを追いやる作戦へと闇風を誘導することが目的だったとすれば、全て説明がつく。そして、闇風が放ったプラズマグレネードが爆発するよりも先に、爆薬の詰まったコンテナと、最も頑丈な素材でできたコンテナを確認。移動中に爆薬の詰まったコンテナへとプラズマグレネードを投擲し、その直後に足場を確保。足場のコンテナで爆風と爆炎から身を守りつつ、闇風が投下したプラズマグレネードが爆発するよりも速く、闇風の懐へと飛び込んだのだ。
船体の傾き、それ自体はイタチの予測できなかった事態であることは間違いない。だが、それすらもイタチは即座に対応した。つまり、この勝負は開始から今に至るまで、イタチの手の平の上で踊らされていたということになる。
(完全に俺の……敗北、か)
今回のBoBは、闇風にとって特別な意味を持つ大会だった。何としても、優勝を勝ち取らねばならない――その一心で、スキルや戦術に磨きをかけてきたのだ。その行動のきっかけ、或いは原動力になったのは、以前出演したMMOストリームにて、同席していたゼクシードの発言だった。
“AGI万能論などというのは、所詮幻想”
その言葉は、AGI特化型プレイヤーとしての闇風のプライドに著しい傷を負わせた。この屈辱を晴らすには、今大会で優勝する他に無い。そう信じて疑わなかった。だが、意気込んで出場した結果は、本戦へ進むどころか予選敗退というこの上無く無様なものとなってしまった。
(だが……悪くは、ない)
だというのに、闇風の心は晴れ晴れとしていた。敗北という惨めな現実を受け入れることができること、そして自分を打ち負かしたプレイヤーたるイタチに対する憎悪は微塵も無かった。闇風自身、何故そのような心持だったのか、不思議で仕方が無かったが、その理由はすぐに分かった。
イタチのステータスは、確認するまでもなくAGI特化型。そして、勝負を決めた武器は、光剣というマイナーな武器。ゼクシードがこの先強力な存在になると豪語していたSTR特化型でもなく、前大会でゼクシードが装備していた類のレア武装なども一切使っていない。アバターを操るプレイヤー本人も相当規格外なのだろうが、このイタチというプレイヤーは、敏捷型がこの先のゲームでも戦っていける可能性と、武器の性能が全てでは無いという真理を体現したのだ。
「必ず……」
「?」
「必ず、優勝、しろ……!」
HP全損する直前、闇風は自分を倒したイタチを讃えるようにそれだけ言い残すと、ポリゴン片と化して砕け散った。
勝利者を示すパネルが空中に浮かぶ中、残されたイタチは空中に投げだされて落下しながらも、光剣を一振りすると刃を消滅させて光剣を腰のホルダーへと戻す。敗れ去った闇風の意思が、その心に届いたかは分からない。ただ一人、銃の世界に在りし異端の剣士は、強い意志の宿った瞳で虚空を見つめ、次の戦いへと臨むのだった。