ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
イグドラシル・シティのとある酒場の中。そこでは現在、こことは別の仮想世界、ガンゲイル・オンラインにて行われている最強決定戦、第三回BoBの中継を眺めるプレイヤー達の姿があった。大会の様子を眺める彼等の顔は、一様に沈痛な面持ちをしていた。
その中でもとりわけ、アスナとリーファの様子が酷かった。この場にいる全員、気持ちは同じであるが、恐らくこの二人が最も強く苛立ちともどかしさを感じていたであろう。
「アスナ、ちょっと落ち着きなよ。リーファもさ」
「まあ、無理も無いだろうけどね」
人一倍顔色が悪く、落ち着きの無い二人をリズベットが必死で宥めようとするものの、焼け石に水らしい。サチは仕方ないとばかりに肩を竦めた。何せ、二人の思い人は今、命の危険が伴うであろう場所にいるのだ。しかも自分達には何の手出しも出来ない状況である。冷静に構えていられる筈が無かった。
「メダカもまだ戻らねえな……あいつも何か、調べてんのか?」
「黒神財閥のコネクションなら、警察関係者から情報も引き出せる筈。何か掴める可能性はありそうですね」
何か、危険なことが起こっていることが分かっているにも関わらず、動く事ができないこの状況にもどかしさばかりが募る。そんな気持ちを紛らわせるために、口を開いたカズゴとアレンだが、場の空気はまるで改善の兆しを見せない。
「大丈夫です。私の方でも、先程の検索作業の合間に、心強い味方を呼んでおきましたから」
「ユイちゃんが?」
「はい。多分、皆さんも知っている方です。ゲーム世界のロジックについて造詣が深い方ですので、きっと役に立ってくれると思います」
SAOではMHCPというAIであり、現在はALOのプライベート・ピクシーであるユイが信頼する人物とは、一体誰なのか。ユイの言葉からして、この場にいる人物全員にも面識があるようだが、顔が思い浮かばない。
「確かに、イタチの奴があの世界に向かった経緯も分からん状態だけどよ……連中がどうやって仮想世界から人殺しをしているのか、その仕掛けを暴かないことには、どうにもできねえよな」
「新一……コナン君さえいてくれれば、何か分かったかもしれないんだけど、連絡が付かなくて」
「大泥棒二人を相手にしなきゃならねえんじゃ、仕方ねえだろうからなぁ……」
笑う棺桶のメンバーの暗躍をしったランが、その殺人トリックを暴くためにまず頼りにしたのは、高校生探偵としてしられるコナンこと工藤新一だった。高い推理力を持ち、SAO事件内部で起こった数々の殺人事件を解決してきたことで知られている。故に、アスナとメダカに次いでログアウトし、連絡を取ろうとしたランだったが、結局電話は繋がらなかった。
ラン自身も予想はしていたことだが、連絡が取れないことは無理も無い話だった。工藤新一は現在、別件の捜査で警察に駆り出されている。彼が今相手しているのは、世界的に有名な怪盗と、三年ぶりに再来した怪盗の二人である。身内の連絡に対応している暇など、ある筈も無かった。
「それにしても、コナン君は仕方ないとしても……ハジメ君まで連絡が取れないのは、どういうわけかしら?」
「多分だけどよ……イタチと一緒に行動してんじゃねえか」
事件の推理に関して頼りにしていたコナンに連絡が取れないと知ったランは、次いでコナンと双璧を成すハジメに電話をかけた。しかし、こちらの電話も圏外であり、通話は通じなかった。
この非常事態に、一体どこへ行ったのかと怪訝に思うランが疑問を口にする。それに答えるように口を開いたのは、カズゴだった。
「抜け駆け捜査はアイツ等の十八番だろ。重要な局面では協力を求めるが、それまでは基本それぞれ一人で突っ走るからな」
「否定できないわね。コナン君だけ別件みたいだけど……本来であれば、あの三人が揃って行動していてもおかしくなかったと私は思うわ」
カズゴの刃に衣着せぬ言葉に、アスナは的確な推理をもって同意する。恐らく、イタチとハジメは協力関係にあり、事件を解決に導くために必要な協力者を多数得ている。メダカの言葉を聞き、その場にいた誰もがそう感じた。
そうして、SAO事件以降多少は軟化したものの、少数の味方のみで行動して危険を冒す点は変わらないイタチに改めて呆れることしばらく。遂に目的の人物が、この場に姿を現す。
酒場の扉を開く音とともに現れたのは、マリンブルーの長髪に、長身で細身の体格、銀縁眼鏡をかけたウンディーネの男性プレイヤー。ローブを纏っていることから、メイジタイプのプレイヤーであることは言うまでもない。この男のプレイヤーネームは、クリスハイト。現実世界の本名は、菊岡誠二郎……総務省仮想課の職員にして、元SAO事件対策チームのエージェントである。そして、今回のイタチのGGO行きを依頼した男でもある。
「クリスハイト、遅いわよ!」
酒場へ入ってきたクリスハイトに対し、開口一番に文句を口にしたのは、リズベットだった。対するクリスハイトは、勘弁してくれとばかりに両手を上げ、困ったような表情を浮かべる。
「これでもセーブポイントから超特急で飛んで来たんだよ。ALOに速度制限があったら、免停は確実だよ」
日曜の夜に無理を言われて駆けつけたのだから、労いの言葉の一つもあっても良い筈なのだが、ここにいるプレイヤーの中には、この状況下で殊勝な心がけを持っている者は一人もいなかった。
とぼけたような口調で話すクリスハイトに対し、今度はアスナが前に進み出て問いを投げる。
「クリスハイト、何が起こっているのか、今すぐ説明して」
アスナがクリスハイトをこの場所に呼び付けた時、イタチのガンゲイル・オンラインへのダイブ依頼について説明しろという用件は、既に伝えてある。
問い掛けてきたアスナをはじめ、その場にいたプレイヤー全員の鋭い視線が、クリスハイトに突き刺さる。針の筵状態の状況に置かれてたじろぐクリスハイトだったが、どうにか口を開こうとする。
「ええと……何から何まで説明すると、ちょっと時間が掛かるかもしれないなぁ。それにそもそも、どこから始めていいものか……」
アスナの詰問に対し、しどろもどろになるクリスハイト。その姿に苛立ちを募らせたアスナが、誤魔化す気か、と声を上げようとした、その時だった。
『!』
酒場の中に、「ガゴンッ!」という轟音と衝撃波が伝播する。発生源である酒場の一角の壁を見ると、そこには大剣を手にしたカズゴの姿があった。先程の轟音と衝撃波は、カズゴが床にソードスキルを放ったことで発生したものらしい。床は破壊不可能なオブジェクトであるため、傷一つ付いていないものの、店全体を震わせるような音と衝撃は消せない。
「御託は良いんだよ、オッサン。イタチがダイブしているあの世界で今、何が起きてんのか、説明しろって言ってんだ」
手に持った大剣でBoBの中継映像が映し出されているモニターを指しながら、説明を要求……否、強要するカズゴ。だが、それを止めようとする人間は一人もいない。イライラしているのは、皆同じだからだ。そして、カズゴの殺気に当てられた当のクリスハイトは、冷や汗ダラダラで動けなくなっていた。そんなクリスハイトを見かね、今度はユイが口を開く。
「クリスハイトさんが無理なようなので、私が代わりに説明します」
普段は愛くるしいという印象が強いユイが、カズゴの殺気が満ちる空間の中で、毅然とした態度で説明に臨もうとしていた。その健気な姿に、冷静さを取り戻したカズゴは殺気を引っ込め、同時に手に持った大剣も下ろす。
「……頼んだ、ユイ」
純真無垢なユイの前で、怒りを剥き出しにしたこのような態度は取るべきではない。そう自省しながらも、カズゴはユイに説明を頼んだ。対するユイは、カズゴの内心を理解したのか、真剣な表情の中に穏やかさを見せて頷き、説明を始めた。
「今年の十一月九日の深夜、死銃またはデス・ガンと名乗るプレイヤーが現れ、GGO首都内の酒場ゾーンにて、テレビモニタに向かって銃撃を行いました。同日、中野区のアパートで、フルダイブ中の変死事件が発生しています。
また、十一月二十八日、GGOの首都中央広場にて行われていた集会に、同一の名前を名乗るプレイヤーが現れ、参加者の一人を銃撃しました。そして同日、埼玉県さいたま市にて、同様の変死事件が発生しています。
以上のことから、この死亡者二名が、ゲーム内で銃撃を受けた『ゼクシード』ならびに『薄塩たらこ』であると類推することは可能です。故に私は、現在開催されているBoB内部で回線切断が起こったプレイヤー達も、現実世界において既に死亡していると判断します」
ユイの口から説明された内容を聞いたその場に居たプレイヤー達は、一様に戦慄した。ゲーム内の死イコール現実世界の死となる現象は、かつてのSAO事件を彷彿させる。しかしそれは、飽く迄SAO事件に用いられたゲーム機、『ナーヴギア』においてのみ発生する事象である。事件経て改良が施され、絶対的な安全が保障されている『アミュスフィア』においては、そのような死亡事故の発生は絶対に起こり得ないからだ。
「は、はは……これは、全く驚きだな。この短時間にそれだけの情報を集め、その結論を引き出したのかい。どうかな、ラー……いや、仮想課でアルバイトでもするかい」
場の空気を読まず、下手な冗談を弄すクリスハイトに、今度はカズゴだけでなく、その場にいた全員が各々の得物に手を掛ける。完全に抜剣しないのは、ユイがいる手前、全員で一人を攻撃する集団リンチを行うことに躊躇いがあったからだ。
そんな殺気に囲まれたクリスハイトは、じぶんが再度地雷を踏んでしまったことに顔を髪色と同じくらいに真っ青に染める。いくらこの場所が安全地帯で、HPが一切減少しないといっても、得物を手に殺意を向けてきているのはSAO事件とALO事件において勇名を轟かせた豪傑なのだから、恐ろしいことこの上ない。
「済まない、悪かった、許してくれ、もうふざけない」
冷や汗を滝のようにダラダラと流しながら許しを請うクリスハイト。その姿に、ようやくまともな話し合いができると判断した一同は、殺気と得物を抑える。
「……そのおちびさんの説明は、全て事実だ。君の説明した二人のプレイヤーは、死銃に打たれたその時刻近辺で、急性心不全にて死亡している」
「おい、クリスの旦那よ。あんたが依頼主なんだってな。てことは、その殺人事件のことを知っててイタチをGGOにコンバートさせたってのか!?」
怒りを露に、その真意を問うクラインに対し、クリスハイトは落ち着くように促す。
「待って欲しい、クライン氏。僕はこの二件の変死事件について、イタチ君と現実世界でたっぷり話し合った。その結果、『これらの変死事件は殺人事件ではない』というのが、僕達の結論だ」
「何……?」
「アミュスフィアでは、どんな手段を用いようとも、毛ほどの傷も付けられない。ましてや、機械と直接リンクしていない心臓を止めるなど不可能だ。これは、イタチ君も共通の見解だ。ゲーム内の銃撃で、現実の肉体を殺す術は無い」
クリスハイトの理路整然とした説明に、クラインは反論できずに黙りこむ。イタチも同意した見解となれば、最早それ以上は返す言葉も無い。そこで、代わりに口を開いたのは、イタチの妹であるリーファだった。
「クリスさん。ならあなたはどうして、お兄ちゃんにGGOに行くように頼んだんですか?あなたも感じていた……いえ、今も感じているんじゃないですか?あの、『死銃(デス・ガン)」というプレイヤーは、何か恐ろしい秘密を隠しているって」
「…………」
リーファの真剣な言葉に、今度はクリスハイトが黙り込んだ。やはり、ロジックこそ分かっていないが、クリスハイトも死銃なるプレイヤーに何か危険を感じているらしい。そこで今度は、アスナが一歩前へ出て、総務省勤務のクリスハイトですら知らないであろう、新たな情報を告げる。
「クリスハイト、死銃は私達と同じ、SAO生還者よ。しかも、最悪と言われた殺人ギルド、『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』のメンバーだわ」
「!……それは、本当なのかい?」
「ええ、間違いないわ。私とクラインさん、カズゴ君、アレン君、ヨウ君は……それに、この場にはいないメダカさんは、討伐戦に参加していたから、間違いないわ」
「決め台詞に加えて、右目を狙う嗜虐性も確認できましたからね」
実際に討伐戦に参加し、事後処理で顔を合わせていることに加え、状況証拠もあるというアスナとアレンの言葉に、クリスハイトは心底驚いたようで、先程取り戻したばかりの冷静さを失っていた。
「ね……ねえ、アスナ。クリスハイトって、SAOのこと知っているの?」
「確か、リアルではネットワーク関連の仕事をしてる公務員だって聞いたような気がするんけど……もしかして、対策チームのメンバーだったんか?」
アスナとクリスハイトの会話を傍で聞く中で、彼がただの公務員ではないのでは、と感じたリズベットとヨウが問いを投げた。少なくとも、総務省が立ち上げたという対策チームに関わりのある人物でなければ、死銃がSAO生還者であることや、笑う棺桶のメンバーであることを告げる意味は無い。
二人の問いに対し、どう説明したものかと逡巡したアスナだが、当のクリスハイトはあまり秘匿するつもりは無かったらしく、それほど間をおかずに首肯した。
「ヨウ君、君の考えた通りだ。僕は昔、『SAO事件対策チーム』の一員でね。とはいっても、対策らしい対策は何一つできなかったけどね……」
事件当時は、碌に役に立てなかったこと申し訳なさそうにするクリスハイトに対し、その場に居たSAO生還者達は微妙な面持ちだった。確かに、事件を解決に導く上では無力だったかもしれないが、生還者達が事件後に社会復帰することができたのには、対策チームの活躍が大きいからだ。SAO帰還者のために建設され、今現在イタチをはじめ、多くの帰還者達が通っている学校が、その最たる例だろう。
だが、如何に多大な借りがあるとはいえ、命の危険が伴う現場にイタチを送り込む理由にはならない。クリスハイトが総務省務めで、それ相応の影響力を持つ人物であると知った一同は、クリスハイトに事件解決のために協力させることにした。そして、その場にあつまった中で、まず真っ先に口を開いたのは、リーダー格たるアスナだった。
「クリスハイト。あなたなら、死銃を名乗るプレイヤーの、現実世界での住所や名前を突き止められるんじゃないの?笑う棺桶に所属していた生還者を全員リストアップして、今自宅からGGOサーバーに接続しているか、契約プロバイダに照会すれば……」
「いや、それは不可能だよ。本格的な捜査を行うとなれば、裁判所の令状やら、捜査当局への事情説明やらで、何時間も掛かる。
確かにイタチ君からは、SAO生還者の中でとりわけ危険と判断された犯罪者プレイヤーの詳細なリストを提供してもらっているけど……笑う棺桶のメンバーは、人数が多過ぎる。しかも、それぞれの住所は日本全国に散らばっているから、とても手が回り切らないよ」
菊岡が口にした、SAO事件における犯罪者プレイヤーのリストとは、イタチが事後処理のために作成したものである。SAO内部で犯罪に手を染めたオレンジやレッドのプレイヤー達を現実世界の法で裁くことは、まず不可能である。何故ならば、彼等もまた、茅場晶彦が起こしたSAO事件の被害者と認識されているからだ。
しかし、積極的に犯罪に加担したプレイヤー達をそのまま放置するわけにはいかない。そう考えたイタチは、SAO事件解決後に、要注意人物のリストを作成し、対策チームへ提出したのだった。リストにアップされていたプレイヤーネームは二百名以上に上ったが、イタチの記憶力は凄まじく、イタチが交戦した犯罪者プレイヤーの名前、罪状、その他特徴の全てを詳細にまとめていた。後にアスナやクラインをはじめとした他の帰還者達にも照会され、間違いが一つも無いことが明らかとなった。
ともあれ、イタチが作成したリストをもってしても、法律等の壁が邪魔をして、死銃の野望を止めることは到底できない。つまり、結局のところこの場にいる人間は全員手詰まりなのだ。
「クソッ……俺達がイタチにできることは、本当に何も無いのかよ!」
「せめて、死銃がどうやって人を殺しているのか……そのトリックが分かればいいんだけど……」
仲間が命懸けの戦いに臨んでいるにも関わらず、何一つ手助けができず、己の無力を痛感するばかりのこの事態に、クラインをはじめ皆のもどかしさは募るばかりである。
「遅れてすまない、今戻った!」
そんな中、独自に調べるべき事項があるとログアウトしていたメダカが、酒場へ戻ってきた。何か、新たしい情報を掴んできてくれたのだろうか。そう思った皆が、期待の視線をメダカへ向けた。
「警察関係者の知り合いに聞いたのだが、警視庁の捜査一課と警察庁の刑事局が、例の怪盗騒動とは別件で、何らかの捜査のために動いているらしい」
「怪盗とは別件……まさか、死銃の捜査に?」
アスナの問いに対し、メダカは静かに頷いた。そして、次いでメダカから齎された情報は、さらに驚くべきものだった。
「しかも、この捜査の裏には世界的に有名な名探偵――『L』が関わっているらしい」
「Lって……ALO事件を解決したっていう、あの!?」
「ああ。ついでに言えば、イタチとLは、ALO事件解決のために協力した間柄という噂もある。今回の死銃事件でも協力関係を結んでいると考えて間違いあるまい」
イタチとLの関係については、事件解決以降、当人の口からは何の言及も無かった。しかし、ALO事件解決時の世界樹攻略や、その後の「Lが事件を解決した」という報道と照らし合わせれば、二人の間に協力関係があったことを想像することは難しくなかった。しかし、周知の事実ではあっても、それを裏付ける明確な証拠は一切無い。それに、譬え事実だとしても、アスナをはじめとしたSAO時代の彼の規格外ぶりを知る者達は、「イタチだから」という理由で全て納得したという。加えて、銃撃まで受けたイタチの身辺を、これ以上徒に騒がせるべきではないと考え、そのことについて詮索することは、一種のタブーとなっていたのだった。
「捜査に携わっている警察関係者の動向については、流石に知ることはできなかった。しかし、警視庁の人員を動かしているのは、ハジメの知り合いである剣持警部らしい」
「決まりだな。死銃事件には、ハジメが関わっていることは間違いない。イタチともおそらく、打ち合わせている筈だ」
メダカの言葉に頷き、ハジメとイタチの関与を確信するカズゴ。他の面々も同様である。
「でも、死銃はゲーム内の銃撃で殺人をしているんですよね?現実世界の警察を動かして、どうするつもりなんでしょうか?」
「現実世界から回線を強制的に切断させる……というわけじゃないわよね」
現在発生している、死銃による殺人事件を終わらせるのに一番手っ取り早い方法は、BoBに参加しているプレイヤー達が装着しているアミュスフィアを、現実世界から強制的に外して、回線切断させることである。しかし、それならば既に実行されている筈である。イタチには、他に対策があるのだろうか。
「そういえば……」
「どうしたんですか、ヨウ?」
「いや、イタチの奴、やけに冷静じゃないかと思ってよ」
「イタチが冷静なのは、いつものことじゃねえのか?」
カズゴの言葉に、しかしヨウは首を横に振って否定する。
「違うんよ。SAOのイタチは、いつも仲間を守るために必死に立ち回ってたのに……今回のイタチは、かなり大人しいとは思わねえか?」
「言われてみれば確かに……」
ヨウが言うように、人の生死が懸かっている戦いにも関わらず、イタチの行動はあまりにも消極的だった。死銃による殺人を止めたいならば、イタチが持つ索敵力・戦闘能力をもっと発揮して、積極的に戦闘に臨もうとする筈。一体イタチは、何を考えているのだろうか。
「もしかしてイタチ君は、既に殺人のトリックを見抜いているんじゃ……!」
「有り得ることだと思います!お兄ちゃんなら、事前にトリックを見抜いていたとしても、おかしくない筈です!」
「けど……あの回線切断は、どういうことよ!?」
ゼクシードと薄塩たらこの件を考えるに、回線切断イコール死を意味する筈である。死銃の銃撃の直後に回線切断を起こしたプレイヤー達は、一体どうなっているというのか。疑問は尽きないが、それはトリック自体を見抜かないことには、何とも言えない。
「結局は、死銃がどうやって人を殺しているのか、っていうところに行き着くんですね」
「それが分からないことには、私達には手も足も出せんからな……」
イタチが何かを掴んでいることが分かったところで、自分達が何を出来る筈も無い。イタチが全てを見抜いており、Lという強力な見方を付けて事件を解決へ導いているのならば、何もしないでいるという選択肢も取れる。しかし、イタチ一人に過去の因縁と戦わせて、自分は高みの見物をしようと考える者は、この中に一人もいなかった。
「リーファ、お前はイタチから何か聞いていないのか?」
「そう言われても……」
新たな手掛かりを掴もうと模索するメダカは、イタチと暮らしているリーファへと問い掛ける。秘密主義で、そうそう口を滑らせることの無いイタチが隙を見せるならば、それは最もリラックスして、心理的に無防備になる空間……即ち自宅である。故に、リーファならば何か知っているのでは、とメダカは考えたのだ。
当のリーファは、皆から注がれる期待の視線を浴びながらも、必死で思い出そうとする。ここ最近のイタチこと、兄・和人の言動に、何かおかしな内容は無かったものか……
「あ!そういえばお兄ちゃん、今朝おかしなこと言ってました!」
「おかしなこと?」
「はい。お兄ちゃん、バイトでGGOにダイブしているっていう話が出た時に、報酬で何でも好きなものを買ってくれるって言ったんです。それで、今回のバイトの報酬は、上手くいけば三千万円くらいになるって言ったんです」
「三千万円!?」
リーファの口から出た途方も無い金額に、一同は唖然とする。本当か、と一同揃ってリーファに疑いの眼差しを向けるが、本人は首を横に振ってその疑いを否定する。
「本当よ!私だって、本気で信じてたわけじゃないし……けど、お兄ちゃんが冗談を言うことなんて、滅多に無かったから……」
「でも、殺人事件の捜査協力だとしても、明らかに法外な額ね。何か、特殊な事情があるのは間違いないわ。そうでしょう、クリスハイト」
リーファに次いで、アスナに指名されて一同の視線に晒されたのは、イタチをGGOへ送りだした依頼人たるクリスハイト。リーファの言葉を聞いた途端、その表情は硬直し、その肌は冷や汗とともに髪色以上に真っ青に染まっていた。
「リ、リーファ君……それは、本当なのかい?」
「その様子だと、やっぱり心当たりがあるようね。さあ、話して貰うわよ」
リーファの返答を待たず、仁王立ちして迫るアスナに対し、クリスハイトは萎縮しながらも口を開いた。
「い、いやぁ……実は、イタチ君に今回の調査の依頼をした時に、報酬に関してある条件を出されてね……」
「条件?一体どんな条件を出したら、三千万円なんて報酬になるのよ……」
「それが……死銃の事件が、何らかのロジックによる殺人事件だったなら、プロのプレイヤーが月に稼ぐ額と同じ三十万円じゃ割りに合わないって言われて……それで、『今回の事件が殺人事件であり、協力者がいた場合、犯人一人につき三百万円を払う』っていう契約になったんだよ…………」
『はぁっ!?』
イタチとクリスハイトの間にかわされていた契約を聞き、間抜けな声を発してしまう一同。それと同時に、イタチが受け取れると言った、『三千万円』という破格の報酬の意味が見えてくる。
「三百万って……どうしてそんな額になってんだよ……」
「い、いやぁ……指名手配の殺人犯の逮捕に協力した時の、一般的な懸賞金の額を参考にしていたらしくて……」
「ちょっと待って。それって、つまり……」
「死銃は複数犯……それも、十人はいるということだな」
イタチの口にした言葉が事実ならば、死銃の人数は単純計算でそういうことになる。この情報に関して、もっと詳しく聞かせろと視線を送る一同に対し、クリスハイトは未だに引き攣ったまま戻らない顔でどうにか言葉を紡いだ。
「イタチ君は、死銃のロジックを共有している人間が複数いる可能性を考慮しての条件だって言っていたんだけれどもね……」
「でも十人って……まさか、全員が全員、BoBに出場してるっての!?」
「いや、それは有り得ない。いくらSAO生還者でも、GGOの最強を決定する大会だぞ?予選のカードだってランダムに組まれているんだから、そんな人数を送り込むのは絶対に無理だ」
メダカの指摘は尤もだった。本選出場枠は三十名であり、共犯者十名が全員出場するとなれば、その三分の一を占める必要がある。それ以前に、予選トーナメントの対戦カードは運営がランダムに決定しているのだ。全員が別ブロックに振り分けられ、首尾よく本選に出場するなど、メダカが言うように、絶対に有り得ない。
「本選に出場している死銃は一人ではないのだろうが……問題は出場していない連中の動向だな」
死銃が複数犯であることが分かったのだ。問題は、十人もの共犯者がどのように協力しているかである。あと一歩のところまで迫っている死銃の殺人トリックを、必死に見破ろうと思考を巡らせる一同。と、そこへ新たな来客が現れる。
「邪魔するぞ」
酒場の扉を潜って現れたのは、眼鏡をかけた、黒髪・黒眼のプレイヤー。種族はスプリガンである。容姿は端麗で、その表情には眼鏡の効果も相まって、知的さが窺える。そのプレイヤーに、酒場にいた一同は見覚えがあった。
「ケイマ君!」
「どうしてお前がここに!?」
彼の名前は、ケイマ。アスナ達と同じくSAO生還者であり、同じ学校に通う生徒でもある。そして、SAO事件当時は血盟騎士団所属で、参謀の立場にあった切れ者としても知られている。
「どうしてって、お前等が呼び付けたんだろう?」
「いや、私達は……」
「神様、遅いですよ!」
「ユイちゃん!?」
その場に居た一同には、彼をここへ呼び出した覚えが無く、一体どういうことだと、誰もが疑問符を浮かべる。そんな中でただ一人、ユイが声を上げた。
「ユイちゃんが呼んだ、頼りになる助っ人って、まさか……」
「そうです、ケイマさんこと、神様です!」
腰に手を当て、自信満々にそう言い放つユイに、一同は唖然とする。ケイマ――本名、桂木桂馬は、ユイの言うように、確かにゲームに関して卓越した知識と技能を持っている。その能力は今も健在であり、新生アインクラッドの攻略に幾度となく手を貸してくれていた。
ユイとは攻略会議の席で知り合い、リアルなゲーム女子ということでケイマがユイを気に入っていた。一方のユイもまた、『落とし神』と呼ばれる程にゲームプレイに優れた実力を有するケイマを慕っていたのだった。
閑話休題。つまり、ゲームシステムの精通したケイマに意見を聞けば、確かに突破口が開けるかもしれない。だが……
「全く……人がゲームをしている時に呼び出すなんて、何を考えているんだ!?もう少しでルートクリアできたんだぞ!」
ゲームに対して異常なまでの執念を燃やし、四六時中――授業中すらも、――ゲームに励む程の病的ゲーマーなのだ。しかしそれでいて、全国模試でトップクラスの成績を収める程の類稀な頭脳を持っているのだ。尤も、その能力と情熱は、専らギャルゲーのスピード攻略に使われているのだから、才能の無駄遣いとしか言いようが無い。ともあれ、そんな明らかに人格に問題のある人物に意見を求めようと言うのだ。手詰まりの状態を打開するためとはいえ、その場にいる一同は頭が痛くなる思いだった。
「ごめんなさい、神様。でも、パパがピンチなんです!」
「……仕方の無い奴だ。話してみるがいい。この落とし神ことケイマに!」
ユイの懇願に対し、先程まで怒りを露わにしていた状態から一変。紳士的な、しかし尊大な態度で任せろと言う。その姿に、やれやれと頭を抱える一同を余所に、ユイの口から現在発生している死銃事件の詳細について説明されていく。
「成程……事情は分かった。その、死銃とやらが殺人を実行するためのトリック、だな……」
「で、何か分かったのかよ?」
イタチを助けるためにも、新たな情報を今すぐ手に入れたいと考えていたクラインが、痺れを切らしたように問い掛ける。その内心は、他の面子も同じである。対するケイマは、挑戦的かつ見下すような笑みを浮かべながら、口を開いた。
「お前達の思考は、相変わらずバグ塗れだな。全く以て、なっていない!」
「ンだとコラ!」
「ゲームと現実を混同させて考えるから、真実が見えないんだよ。ゲーム内の銃撃で、現実の人間が殺せるわけが無いだろう?」
「アンタにだけは言われたかないわよ!っていうか結局、アンタも分からないんじゃない!」
癇に障る物言いに、クラインやリズベットが苛立ちを露に、ケイマへ食ってかかる。今にもケイマへ殴り掛かりそうな二人だったが、傍に立っていたリーファやシリカ、メダカといった仲間達が必死に押さえるのだった。
「勘違いするな。落とし神たる僕には、全て分かっている!君達と一緒にしないでくれたまえ」
「そういうのはもう良いから、早く話してくれないか?緊急事態だからな」
怒りを露に殴りかかろうとするクラインとリズベットを前にしても、尊大な態度を崩さないケイマを相手に、頭痛が増すのを感じながらも、メダカは努めて冷静に構えて問い掛けた。
「ゲーム世界のアバターを殺せるのは、同じ世界のアバターだけだ。ならば、現実世界の人間を殺せるのは?」
「…………成程、そういうことか」
ケイマの口から発せられたのは、端的で抽象的な説明だった。しかしメダカは、その言葉だけでケイマが至った結論を汲み取ったらしい。
「メダカ、今ので何か分かったんですか!?」
「ああ。私達SAO生還者は、ゲーム内の死と現実世界の死を直結させる観念に縛られていた。だが、それ自体が間違いだったということだ」
「ど、どういうことだい!?死銃は、仮想世界で殺すことで現実の人間を殺しているんじゃなかったのかい!?」
今までの推測全てが間違っているというメダカの意見に、狼狽して声を上げるクリスハイト。そんな彼と、その場にいた一同に向けて、メダカはケイマの言葉で至った結論を口にした。
「本選に出場していない共犯者は、現実世界にいる。そして、仮想世界の銃撃に合わせて、現実世界の仲間が生身のプレイヤーを殺しているということだ」
この場に居た誰もが思い付かなかった、まさしくSAO生還者の盲点を突いたトリックだった。あまりにも合理的かつ恐るべき計画の全容に、その場にいた全員は戦慄した――――
第三回BoB本選の舞台、ISLニヴルヘイムの中央部にある鉱山都市。その山の一角にある、出口が雪で閉ざされた仄暗い坑道の中。岩壁に寄り掛かって寄り添い合う二人のプレイヤーがいた。
「今話したことが、俺がこの世界に来た理由だ」
「死銃……それって、本当に実在したの?」
黒髪に赤眼、額に木の葉を模したマークが刻まれた額当てを装着した男性プレイヤー――イタチと、隣に座るペールブルーの髪色の女性プレイヤー――シノンは、紆余曲折を経て和解し、一時休戦状態の状態にあった。
そして、シノンの精神状態が落ち着いたところで、イタチが銃の世界たるガンゲイル・オンラインの世界へダイブし、死剣として君臨し、この大会に参加した真の理由について話した。イタチというプレイヤーを絶対的な強者と信じて疑わなかったシノンは、その内容について大いに興味があった。しかし、イタチの口から語られた話は、信じられないような、恐るべきものだった。
「全て事実だ。奴は現実世界にいる共犯者と共謀し、大会中に銃撃を行われたその直後に、現実世界の人間が劇薬を無防備の人体に注入して死に至らしめている。あたかも、仮想世界で起こった銃撃が、仮想世界と現実世界の両方で死という現象を引き起こしたかのように見せ掛けてな」
イタチが話す内容は、実際に現実に起こっている出来事と認識するには、あまりにも非常識極まりないものだった。
先程、武装ヘリでシノンとイタチに襲い掛かったあの黒マントのプレイヤー達の正体が、ここ最近GGO世界を騒がせていた『死銃』と名乗るプレイヤー本人だという。被弾したプレイヤーの回線切断は、現実世界にいる仲間の殺人を犯したことで、実際に死亡した結果らしい。そんなおぞましい計画殺人を演じている死銃の正体は、かの有名なSAO事件の生存者であり、しかもHP全損イコール死を意味することを承知の上でPKを繰り返していた殺人ギルドのメンバーだという。そして、そんな死銃を追ってこの世界へやってきたイタチもまた、SAO生還者であり、過去の因縁を清算するためにこの戦いに臨んでいると言ったのだ。
しかし、死銃と思しきプレイヤーが放った、“たった一発の弾丸”によって、プレイヤーが強制ログアウトされる現場を、シノンもスコープ越しに実際にその目で見ている。GGOにおいて最強と称してもおかしくない実力者とはいえ、一介のプレイヤーでしかない筈のイタチが、何故、このような情報を得ているかは分からない。しかし、あの時見た光景には、システム的に説明できない何かがあったことは明らかであり……イタチの説明した内容が事実であることを物語っていた。
「奴は、プレイヤーを銃撃する際に十字を切る動作をしているが、あのゼスチャーは、腕時計を見て犯行時刻の確認をするためのものだ。一見、仮想世界の銃撃が命を奪っているかのように見えるあの光景は、現実世界の共犯者と厳密に打ち合わせて行っている、“時計仕掛けの殺人劇”というわけだ」
「……死銃の存在については、信じても良いわ。それで、あなたはあいつ等を止めるために、この世界に来て、大会に参加したってわけね」
シノンの言葉に頷くイタチ。その首肯に、シノンは冷や汗を流した。口では理解したと言っていても、本心ではどこか信じられないところがあった。しかし、ここ最近の戦いの中でイタチというプレイヤーの非常識さを目の当たりにしてきたせいか、現実とは思えられない事象を受け入れられる自分がいた。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からないが、この際割り切るしかないと、無理矢理自分に言い聞かせることにしたのだった。
「それで……そのことを私に話したってことは、もしかして私も……」
「薄々感じていたようだが、その通りだ。奴等はお前のことも狙っている」
イタチの口から告げられた衝撃の事実に、シノンの身体が再度硬直する。そして、それが意味することはただ一つ。今、現実世界のシノンこと朝田詩乃の自宅には、仮想世界における死銃の銃撃に備え、共犯者の男が侵入しているということだ。しかも、その手には、劇物の詰まった注射器を携えて……
「シノン!」
「っ!」
隣に座るイタチに大声で名前を呼ばれ、正気を取り戻すシノン。あのまま放置されていたならば、心拍が乱れて強制ログアウトになっていたかもしれない。シノンは深呼吸を行い、乱れた呼吸を整えると、再びイタチを見据える。
「お前の危機感は分かる。だが、死銃の殺人トリックはBoB本選が開始される前に看破済みだ。俺の仲間が現実世界で対処している以上、万一お前が被弾したとしても、死に至ることは無い」
イタチの説明を聞き、死の恐怖で未だに乱れていた鼓動と呼吸がようやく落ち着く。確かに、死銃が今もこの世界のどこかで、人を殺しているであろうこの状況下にあって、イタチは異常なまでに落ち着いている。極めて冷徹な性格であるイタチが、他人の生き死にに動じる姿が思い浮かばないが……しかし、死銃の野望を阻止するために行動しているのならば、ここまで行動が消極的なのもおかしい。イタチが何らかの手を打っていることは明らかだった。
「お前には選択の余地がある。このままここで大人しくするか、BoBを棄権して、その身と精神の安全を図るか……或いは、死銃を相手に戦うか、だ」
「!」
「前者を選んだならば、自分の心だけは守れるだろう。だがそれは、お前がこの世界で戦ってきた理由や信じるもの全てを否定するも同じだ。少なくとも、この世界で得られるものは何一つ無くなることは間違いない。
後者を選ぶなら、停滞することは避けられるだろう。だが、お前の精神状態から考えて、かなりのリスクが伴う。死銃と己の過去、この両方に勝たなければ、お前の心は今度こそ壊れるだろう」
イタチに突き付けられた二択に、しかしシノンは即答することはできなかった。以前のシノンならば、迷いなく戦うことを選択していただろう。だが、今は事情が異なる。安全が確保されているとはいえ、あのプレイヤー――死銃は、相手を殺そうとする、確固たる殺意をもって銃口を向けてくるのだ。その姿が、シノンこと朝田詩乃の心にトラウマを刻み込んだ銀行強盗の姿と重なる。仮にこれから戦いに出たとして、死銃の前に出た時に、心と身体が正常に機能するとは思えない。また、引き金を引けずに動けなる可能性が高い。そして、イタチの言うように、被弾の末に精神が壊れるかもしれない。
「怖いか?」
「…………うん」
過去のトラウマを想起させる死銃と戦うとなると、シノンの心にはどうしても恐怖が先走る。しかし、そんなシノンとは対照的に、イタチは相変わらず冷静そのものだった。
「イタチは……怖くないの?」
だからこそ、シノンは問い掛けたかった。シノンのように命を狙われているわけではないが、かつて命の奪い合いをした相手と過去の因縁と相対している。にも関わらず、イタチは冷静そのもの。常の状態から全く変わった様子が無かった。一体、何がその精神を支えているのか……シノンはその理由が気になっていた。
「怖いさ……」
イタチの口から出た答えは、意外なものだった。まさか、死剣と恐れられる程の実力者であるイタチにも、恐怖を抱く時があるのだろうか。
「死銃を止める……その任務に失敗した末に、もっと大きな惨事に繋がるかもしれない。それは俺にとって何よりも恐ろしいことだ」
「イタチ……」
「だから俺は、“忍び耐えて”戦うことを選んだ。守るべきものがある……だから俺は、この戦いに臨んでいる」
イタチが紡いだ言葉の中には、確かに恐怖のようなものが感じられた。しかしそれは、過去の因縁や、殺し殺される戦いの中にあるものではない。イタチはそれ以上に、自身が戦いを放棄することで発生する犠牲を憂いているのだ。
(本当は、優しいのね……)
冷徹で無慈悲な戦闘スタイルのイタチだが、その内面は真逆らしい。シノンを助けた時もそうだったが、イタチがこの戦いに臨むのは、誰かを守るためにほかならない。自身が抱く恐怖をはじめとした感情一切を封じ込め、戦いに身を投じているその行動からは、他者を思いやる心があったからこそなのだ。
(けど……そんなあなたのことは、一体誰が助けるの?)
かつての因縁を清算するこの戦いには、イタチに協力して現実世界からフォローを行う味方がいる。だがこの世界には、戦うイタチを助けてくれる者は一人もいないのだ。この世界においては絶対的な実力を持ちながら、誰よりも優しい心の持ち主であろうイタチは、本当に一人で大丈夫なのか……
「イタチ、お願いがあるの」
そこまで考え、シノンはそっと口を開いた。イタチは、誰かを守るために勇気を振り絞っている。自分にもそれができるのならば、信じてみたい。そう思っていた。
「あなたの戦いに……私を、連れて行って」
そこで何ができるかは、シノン自身も分からない。シノンとは比べ物にならないくらい強いイタチに同行したとしても足手まといにしかならない可能性の方が高い。それでも、シノンはその一歩を踏み出したいと思った。
「分かった」
果たしてイタチは、その思いに応えるように、頷いてくれた。
過去に囚われ、自分自身から逃げて動けずにいたシノンを動かしたのは、強くなりたいと言う渇望ではなく……誰かを守りたいという意志。それはまさに、イタチと同じ理由だった。