ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第九十五話 純黒の悪夢

(そんな……イタチが……!)

 

坑道の十字路でイタチと別れた後、イタチが先行して激闘を繰り広げている最深部へと至ったシノンは、目の前の光景を信じられずにいた。

坑道の開けた場所であり、無数の鉄橋や梯子が複雑に入り組んで階層状になっているその場所。現在シノンが立っているのは、その中でも上層部だった。シノンがここへ辿り着いた時、イタチは階下の地表部にいた。そして、そこにいたのはイタチだけではなく、先程遭遇した死銃の一人たるベンケイと、武装ヘリに乗っていた死銃の片割れであるステルベンという男。

光剣を持つイタチは、同じ武器を持つ死銃二人を相手していた。二対一という、一見不利な戦況に立たされていたイタチだったが、その実互角以上の戦闘を繰り広げていた。壮絶としか形容できない閃光の嵐の中、イタチは傷一つ負わずにそれらを全て捌き、あまつさえ反撃してみせる。この坑道の中、イタチとシノンを追い詰めていた筈の死銃達が、逆に追い詰められている構図となっていた。

それを見たシノンは、やはりイタチは強く……自分の助けなど必要ないのだと、改めて感じた。だが、そう思ったのも束の間だった。突如としてイタチを襲った狙撃と、それに乗じて放たれたステルベンの反撃。この二撃を受けたイタチは、その赤い双眸をダメージエフェクトの赤に染めることとなった。故に、イタチの視界は完全に塞がれているのだ。

 

(狙撃手は……見えない!)

 

恐らくは、死銃の共通武装であろうメタマテリアル光歪曲迷彩付きのマントを羽織っているのだろう。イタチの右眼を撃ち抜いた銃弾が飛来した元を辿って視線を巡らせるも、狙撃手の姿を確認することはできなかった。

 

(どうしよう……イタチがこんなことになるなんて……)

 

イタチを助けるためには、自身と同じく上層階にいるであろう狙撃手を排除する必要がある。しかし、例の透明マントを纏っている以上は、その存在を認知することは難しい。それどころか、迂闊に探そうと走り回れば、この場所にいる自身の存在に気付かれてしまう。そうなれば、死銃(デス・ガン)を撃ち込もうとするだろう。

死の危険が無いとはいえ、あの朝田詩乃のトラウマの根源たる銃を向けられて、精神的に無事でいられる自信は無い。少なくとも、冷静に狙いを定められるとは思えない。結論として、この状況下でシノンには敵を撃破することは不可能に等しいのだ。

 

(私は一体、どうすれば……)

 

助けなければならない仲間が、目の前で絶対的な危機に陥っている。にも関わらず、何一つできることが思い付かない。戦うことすら儘ならない。そんな弱い自分が情けなくて、シノンは苛立ちに歯噛みしていた。

 

(そういえば、イタチは…………)

 

坑道の十字路で分かれたあの時、イタチは自分に何と言っていたか。数十分前の記憶を呼び起こし、告げられた言葉を思い出そうとする。

 

『もし俺が危機に陥ったら、俺に向けて引き金を引け』

 

確かに、イタチはそう言った。だが、そこに諦め以外の何の意味が、策があるというのか。シノンにはまるで理解できなかった。一体、このヘカートでイタチを撃った時に、何が起こるというのか……

 

(…………違うわ)

 

イタチが何を思っているのか、まるで分からない。それは、シノンの本音である。だが、それだけだ。理解できないことを言い訳にして、行動することを放棄しているだけなのだ。

今ここで、イタチが言った通りの行動を取れば、どうなるのか――――

 

(もう一度引き金を引けば、私は……!)

 

かつて銀行強盗と相対した時と同じ、人を殺すことに躊躇いの無い自分に回帰してしまう。それは、シノンにとって、乗り越えるべき壁でありながら、何よりも恐ろしいことだった。イタチによってトラウマの本質を指摘されてから、シノンはその恐怖をより大きく感じていた。今ここでヘカートの引き金を引けば、死銃達に黒星五四式を向けられた時と同様……否、それ以上の恐怖がシノンの精神を蝕み、崩壊させるかもしれない。シノンはそう感じていた。

 

(けど…………!)

 

ここで何もしないという選択をしたならば、それはこの世界に来た理由を、戦ってきた今までの全てを、破棄することにほかならない。加えて、自分を助けてくれたイタチを見捨てることも同義である。

 

「イタチ……」

 

眼下で死闘を繰り広げるイタチの姿を、ただ見ているだけの自分。そんな弱い自分が情けなくて……シノンは震えだす。一体、自分は何のためにこの場所にいるのか――――

 

 

 

『足りないものが己自身だとしても、他者に頼ることが必要な場合もある。かつての俺がそうだったように……お前にも、それがあっても良い筈だ』

 

 

 

(イタチ……!)

 

それは、この鉱山の中へ逃げ込んだ時、自暴自棄になっていた自分に、イタチがかけてくれた言葉だった。殺人を犯した己自身に怯え、かつてのトラウマを彷彿させる銃に怯えるだけだった、足りないものだらけの自分。イタチはそんな自分に、手を差し伸べてくれた。自分に足りないものを補うための存在になってくれると言ってくれたのだ。

だが、それだけでいいのか。この戦いの中で、シノンはイタチから、前へと踏み出すきっかけを貰えた。今まで目を逸らしていた真実を教えてくれた。なのに、自分はこのままで良いのか……

 

「私は……!」

 

こんな中途半端な自分に、何ができるかは分からない。それでも、シノンはそのまま立ち尽くしていることはできなかった。ただ一つ分かっていることは、目の前で戦っている仲間である、イタチを助けねばならないということ。方法は分からない……否、分かってはいても、できるかは分からない。それでも、動かずにはいられなかった。目の前で危機に陥っている仲間を救うために――――

 

 

 

 

 

「無様、だな。イタチ」

 

狙撃と銃撃で両眼を塞がれ、圧倒的不利な状況に立たされていたイタチを取り囲むように立つステルベンから、侮蔑の声が掛けられる。対するイタチは、地面に膝を突きながらも、周囲に立つ敵の居場所を探るために頻りに首を動かしていた。敵の居場所を正確に捉えられず、先程とは打って変わって劣勢に立たされているイタチの状態に、ステルベンと呪武者は満足そうな笑みを浮かべていた。

 

「今の狙撃……プース・チンランだな」

 

「正解や。この大会に潜り込んどる死銃が、俺とステルベン、それにヒトクイだけやと思っとったようやが、正確には奴も含めた四人やったわけや。それと、今のあいつはプースやない。スコーピオンや」

 

呪武者から発せられた肯定の言葉に、イタチは自身を狙撃した、かつての敵について想起する。

 

(プース・チンラン……『右眼穿ちのサソリ女』か)

 

かつてのレッドギルド――笑う棺桶に所属していた女幹部、プース・チンラン。その特筆すべき戦闘技能は、細剣を使った正確無比な刺突にあった。同じ刺突を得手とする剣士であっても、剣技の性質はステルベンことザザとは真逆。回避が至極困難な、熾烈な連撃による『面』の攻撃ではなく、最小限の攻撃回数で急所を突いて仕留める『点』の攻撃なのだ。その突出した正確さ(アキュラシー)は、血盟騎士団副団長にして、『閃光』の異名を冠するアスナにすら匹敵すると謳われていた程の実力者だった。『右眼穿ちのサソリ女』とは、相対した敵の右眼を執拗に狙っていたことに由来する二つ名だった。

 

(アスナさんに匹敵する正確な刺突を繰り出せたあの技量なら、狙撃手としても十二分に通用する実力も頷ける……)

 

プース・チンランことスコーピオンは、笑う棺桶の幹部として高い剣技を有するだけに、ステルベンや呪武者と同様に、前へ出てきてもおかしくないプレイヤーだった。しかし、ステルベンに比べて冷静沈着かつ的確な攻撃を行う性格上、後ろに控える狙撃手が最も適任と判断したのだろう。

 

「狙撃と刺突で、両眼が見えんこの状況。しかも、俺達二人に加え、狙撃手もいるんや。まだまだ、お楽しみはこれからやで」

 

両眼を潰した上、イタチを相手する笑う棺桶の幹部は三人。その内一人は、イタチの剣では届かない場所に潜んで狙撃の隙を窺っている。先程までの互角の戦況を維持することなどできる筈もなく、一方的に嬲り殺しにされる展開は目に見えている。少なくとも、呪武者とステルベンはそう思っていた。

だが、イタチは――――

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

「な、に?」

 

両眼が使い物にならないこの状況にあって、イタチは全く変わらず、冷静に構えていた。しかも、両手に握っていた光剣の刀身を消滅させ、腰のカラビナへとそれらを戻す。その態度からは、この傍から見て圧倒的に不利にしか見えないこの状況を、危機と思っている様子がまるで無かった。

 

「オイオイ、イタチよぉ……己が置かれた状況分かっとるんか?」

 

「両眼が見えないことか?この程度のことで喜んでいられるとは、お前達はつくづくおめでたいな」

 

挑発のニュアンスを含んだ呆れの言葉に、呪武者とステルベンの声に怒気が籠る。両眼が見えないこの状況で、どうしてこのような余裕の態度を取れるのか。

 

「俺のHPはまだ残っているぞ。勝ち誇るのなら、HPを全損にしてからにしろ」

 

「図に、乗る、なぁ!」

 

この期に及んでも弱音一つ漏らさず、相手を嘲るイタチの態度が気に障ったステルベンが、怒りを露にエストックを突き出す。対するイタチは、相手の姿を視認できないためか、ステルベンの方を向いていない。ステルベンが繰り出す『フラッシイング・ペネトレイター』の再現が、イタチの頭を串刺しにせんと迫る――――だが、その瞬間、

 

「な、に……!?」

 

ステルベンの放った超高速の刺突に対し、イタチは直撃寸前で軽くサイドステップを踏んでこれを回避する。だが、イタチの対応はそれだけに止まらず、回避後にエストックを握るステルベンの右手を押さえたのだ。まるで、目が見えているかのように。

 

「姿が見えないだけで、殺気が丸出しだ。こんな攻撃、目を瞑っていても避けられる」

 

「こ、の!」

 

右手首を掴むイタチの手を振り払い、再度刺突を放つステルベン。だが、連続で繰り出されるステルベンの刺突に対するイタチの反応は、眼を潰す前よりは遅くなっているものの、掠り傷を負わせることも敵わない。

 

「宇宙戦艦の装甲板を素材に作った銃剣か。成程、俺の光剣対策のために用意したというわけか」

 

「今更、気付いても、遅い、ぞ!」

 

「お前の剣が、俺を刺し貫くことができるのなら、の話だがな」

 

光剣を腰へ戻し、丸腰状態のイタチに対して、先程以上に熾烈に、容赦なく襲い掛かるステルベン。だが、イタチはそれらを紙一重で避けてみせる。その姿からは、視力のハンデがまるで感じられない。

 

「おいおい、俺を忘れて貰っちゃこまるでぇっ!」

 

ステルベンが猛攻を繰り出すその嵐の中へ、呪武者もまた飛び込んで行く。その右手には光剣、左手には緑色の妖しく光るコンバットナイフが握られている。後者は先程と同じく、毒ナイフである。

 

「相も変わらずの二刀流……お前の剣技は、SAOの時から見飽きている」

 

「このGGOにおける俺の剣技は、SAOん時とは一味も二味も違うでぇっ!それに……」

 

ステルベンと呪武者の二人掛かりの剣戟を、避け続けるイタチ。だが、イタチを狙っているのは二人だけではない。この場から離れた位置には、狙撃手も控えているのだ。

 

「スコーピオンを忘れたらあかんで!」

 

途端、イタチ目掛けて銃弾が飛来する。壮絶な剣技を繰り出す剣士二人の相手に追われていたイタチの隙を狙った、完璧な狙撃。闇を切り裂きながら、イタチの背中へと迫った弾丸は……しかし、寸前でイタチが抜き放った光剣に行く手を遮られ、命中には至らなかった。

 

「何やと!?」

 

「狙いがあり来たり過ぎる。お前達二人に当らないように撃つなら、ここしかないだろう」

 

逆手持ちの赤い閃光を宿した光剣を持ち直し、呆れたように呟くイタチ。音もしない、離れた場所からの狙撃にすら反応するイタチの出鱈目さには、流石の呪武者も唖然としてしまう。

だが、その表情もすぐに憤怒に染まり、怒声を張り上げる。

 

「いい気になるなや!両眼が見えんお前なんぞ、すぐに終わらせてくれるわ!」

 

「死、ね――!」

 

先程以上に熾烈を極めるステルベンと呪武者の猛攻を前に、イタチは一切屈しない。加えて、狙撃手たるスコーピオンの遠距離からの攻撃に対しても、恐怖というものを全く見せない。

だが、両眼を潰されてからのイタチの反応が遅れていることは、傍から見て明らかだった。三対一のこの状況下……SAOの討伐戦以上に消耗を強いられていれば、イタチといえども限界を迎えることは自明の理。元笑う棺桶の幹部達は、少なくともそう考えていた。果たして、戦いの趨勢は、どちらへ傾くのか――――

 

 

 

 

 

(イタチ……やっぱり、さっきよりも回避がギリギリになっている)

 

地表部にて繰り広げられている、イタチが死銃達と死闘を上層階から見ながら、シノンはイタチが劣勢に追いやられていると感じていた。先程まで余裕で回避できていた死銃二人掛かりの剣戟を、今は接触ギリギリ、またはスレスレで回避するようになっており、明らかに余裕が無かった。

 

(目が見えないあの状況で避け続けられるのも驚きだけど……反撃ができないあの様子じゃ、長くはもたないわね)

 

今のイタチは、剣術に優れたプレイヤー二人を一度に相手して、攻撃の届かない遠距離からの狙撃にも対処しているのだ。それも、目が見えない状況において、である。まともに戦えていること自体が既に異常と呼べた。

恐らくイタチは、視覚以外の感覚――恐らくは、仮想の聴覚・触覚で、相手の動きや振るわれる武器の軌道を、感知して反応しているのだろう。しかし、それをやるには、相当な集中力の消耗を伴う。人間の集中力に限界が存在し、イタチとて例外ではない。色々と規格外の能力を持つイタチだが、この状況を長引かせて両眼の欠損が戻るまでのタイムリミットを稼ぐことができるとは考え難い。

 

(私がやるしかない、わね…………)

 

三人のプレイヤーを相手に、身動きが満足に取れず、手詰まりの状況。恐らくイタチは、これを見越してシノンに指示を託したのだろう。狙撃の位置取りを行い、伏射姿勢で狙撃体勢に入ったシノンは、そう考えていた。

 

(危なくなったら、自分に向けて撃てって言われたけど……一体、どうなることやら)

 

今、このタイミングで自分がイタチを撃つことは、死銃に対する援護射撃にもなりかねない。しかし、あのイタチが出した指示である。この状況を打破するための、何かが起こることは間違いない。シノンには、それがどのような形で起こるのか、まるで想像がつかないが、信じることには躊躇いが無かった。

問題は、シノンがそれを実行できるか……本当に引き金を引くことができるかにあるのだ。

 

(今、ここでヘカートを撃てば、イタチを助けることはできる。けど……きっともう、逃げられなくなる)

 

イタチに指摘されて初めて確信した、自分が抱えるトラウマの本質。大切なものを守るために、人殺しすら躊躇わないもう一人の自分――――それが、引き金を引いた瞬間に、シノンの頭の中に必ず現れる。その時自分に、一体何ができるのか、何をすべきなのか……その答えは、シノンにも未だに分からない。

 

(ヘカート。こんな私だけど……もう一度力を貸して)

 

逃げ場を失い、何よりも見たくないものを見ることになり……その末に、さらに深い傷を心に負うかもしれない。それでも、シノンは引き金を引くことを心に決めていた。自身とイタチを取り巻く、黒衣の死銃達が躍る純黒の悪夢を打ち破るために。

だからこそ、シノンは祈る。この世界で誰よりも一緒に戦ってきた、無二の戦友であり相棒……自分に戦うための力と勇気をくれた、女神の名を冠する狙撃銃に――――

 

(もう一度、ここから踏み出すための……過去の私自身に、向き合うための勇気を……)

 

あの五年前の事件の時と同じく、大切なものを守るための、自分自身を奮い立たせるための心の強さを――――

 

(私を助けてくれた……足りない何かを補うために、一緒に戦ってくれると言ってくれた、イタチを助けるために!)

 

スコープを覗いた視界に映った着弾予測円の中に、今守るべき存在の後ろ姿を捉え、引き金に指を掛ける。だが、そのまま撃つような真似はしない。イタチを助けるために引き金を引くのならば、最大限の協力をする必要がある。例えば、イタチを狙う死銃三人の注意を引くような、狙撃以外の何かである。

スコープから顔を離さず、イタチに狙いを定め続けているシノンは、そこで息を深く吸い込む。そして――

 

「イタチ!!」

 

仲間の名前を、大声で叫んだ。当然の反応として、地上で戦う死銃二人、そしてイタチの顔が、シノンの方へと向く。だが、シノンは全く動じない。そして、スコープ越しにその姿を捉え、その場から動かずにいる仲間目掛けて、引き金を引いた――――

 

 

 

 

 

「そぉらぁっ!食らいやっ!」

 

「!」

 

ステルベンの機関銃の如き刺突を、視力が使えない状況下で紙一重、すれすれで回避し続けるイタチへと、呪武者が襲い掛かる。初撃は左手に持った毒ナイフによる横薙ぎ。少しでも掠れば、麻痺で動けなくなり……剣戟の嵐に切り刻まれることになるであろう一撃である。イタチはそれを、ステルベンの刺突を素手で逸らすことで生じた隙を利用し、かろうじて回避することに成功する。

だが、呪武者の剣戟はそれだけでは終わらなかった。

 

「阿呆が!まだこっちが残っとるで!」

 

毒ナイフに次いで放たれたのは、光剣による刺突。狙いは顔面である。実体を持たない分、こちらの方が非常に速く……流石のイタチといえども、回避行動は完全には間に合わない。

 

「ぐっ……!」

 

頭を反らすことにより、直撃は回避できたものの、その閃光はイタチの両眼を掠めた。ガンゲイル・オンラインにおける手足や目といった部位欠損ステータスの持続時間は、三分間である。しかし、同一箇所に重ねて攻撃を受ければ、その時間経過はリセットされる。

だが、死銃の連携はそれだけでは終わらない。

 

「!」

 

両眼を光剣に焼かれたイタチの頭を狙って飛来する弾丸。スコーピオンの援護射撃である。顔面の前に光剣があるこの状況下で、後頭部を狙う射撃……避けるのは非常に困難である。その光景に、死銃達はイタチの敗北を確信する。だが、イタチはそんな狙撃にすら反応して見せる。

 

「んなっ……!?」

 

呪武者が有り得ないと驚きを露にした目の前で、イタチが狙撃を避けるために取った行動。それは、横方向へ転がることだった。イタチの咄嗟の行動により、弾道からその頭部は外れ、飛来した弾丸は、動いた勢いで靡いたイタチの長髪を貫き、光剣の刃に命中して消滅した。

 

「狙いは悪くなかったが、詰めが甘いな」

 

「ハッ!余裕のつもりのようやが、実際そうでもないんはバレバレやで。また目をやられてしもうたしな!」

 

「反応が、遅れて、いるぞ」

 

「集中力が切れ始めているんやないか?え?」

 

地面を転がりながら、体勢を立て直すイタチを、死銃二人は嘲笑いながら見下す。しかし、その見立ては決して間違っていない。イタチの反応速度は、両眼を潰されて以降、徐々に遅くなっている。先程の光剣の刺突にしても、常のイタチならば、両眼を焼かれることなど無く、狙撃による援護に対しても、髪に掠らせることすらなかっただろう。傍から見ても、イタチが追い詰められていることは明白だった。

 

「まあ、俺達はまだまだ余力たっぷりなんや。まだまだ、遊んでやるから覚悟しいや」

 

「まだ、まだ、ここから、だ」

 

元笑う棺桶の幹部達による、SAOから続く殺戮劇は、まだまだこれからとばかりに、嗜虐的な笑みを向ける二人。恐らく、ここにはいないスコーピオンも同じことを考えていることだろう。ゲーム世界の中だけに止まらない、おぞましい悪意。そんなものが渦巻く戦場の中心に、目が見えない状態で立たされて、平気でいられる人間はいないだろう。だが、当のイタチはこの絶望的としか形容できない状況にあって、全くと言っていいほど表情に変化が無かった。

一体イタチは今、何を考えているのか。この不利な戦況にあって、絶望を抱いているのか……或いは、全てを覆すための逆転の一手があるのか。死銃は前者と考えているが、その真意は傍から見ている者には全く分からない。ただ一つ、分かっていることは、イタチはこの戦いを諦めていないということ。一体、イタチはどんな考えがあって戦いに臨んでいるのか――――

その答えは、この場に現れた新たな人物の上げた声によって、明らかとなった。

 

「イタチ!!」

 

突如、坑道の開けた空間の中に響いた女性の声。それを聞いた者達は皆、一様に異なる反応を見せる。

 

「何っ!?」

 

「む!」

 

地表でイタチと相対していた死銃二人、ステルベンと呪武者は、予想外の出来ごとに驚きながらも、その声が響いた方向へと顔を向けた。

 

「……!」

 

坑道の空洞内、その上層部のとこかに身を潜め、イタチに狙撃を行っていた死銃、スコーピオンは、声を響かせた者へ標的を変更し、移動を開始した。

 

「来たか……!」

 

そして、その名を呼ばれたイタチは、ただ一人、自身の味方が現れ、計略通りに動いてくれたことを確信し、動き出す。向かう先は、声の響いた音源。シノンの居る場所へ真っ直ぐ駆け出していくのだった――――

 

 

 

 

 

和人の前世である、木の葉隠れの抜け忍たる、うちはイタチ。万華鏡写輪眼の使い手として、『月読』という幻術を操っていた経験を持つ。対象を自身の精神世界へと引き摺りこみ、その空間において時間さえも操れるこの術を使った経験は、うちはイタチの転生者たる桐ヶ谷和人に、仮想世界への高い適性を与えていた。だが、その適正とは、仮想世界でアバターを動かす能力のみに止まらない。仮想世界に立つイタチには、デジタルデータによって再現される五感全てを、現実世界そのままに感じ取ることができる。しかもそのスペックは、前世のうちはイタチに匹敵する。つまり、仮想世界という場所は、イタチの独壇場。仮想世界においては、忍術こそ使えないものの、暁の忍たるうちはイタチそのものなのだ。

 

「味方に助けを求めて、俺達を撒こうって魂胆か!そうはさせへんで!」

 

「逃が、さん!」

 

故に、イタチには分かる。自身が背を向けた二人の死銃、呪武者とステルベンが、自身を両サイドから挟み込む形で挟撃しようとしている。そして、己の名前を呼んだ者――シノンは、予め打ち合わせた通り、自身を標的に狙撃を敢行しようとしている。己に真っ直ぐ注がれる、しかし殺気の無い一筋の視線から、イタチはそれを感じ取っていた。だが、感じるのは視線だけではない。シノンが引き金を引く動きすらも、目に見えるように分かる。

 

(ここだ……!)

 

うちは一族は、写輪眼という血継限界を持つ一族として知られている。だが、写輪眼を極めた者は、眼だけに頼る戦い方は決してしない。うちはイタチも然りである。譬え視力が使えない状態にあっても、残り四感と、忍として培った第六感を用いれば、敵味方の動きを察知することは、イタチにとって難しいことではない。

そしてそれは、近接戦闘を行う敵二人と、狙撃手一人を相手している、圧倒的な不利を強いられている今であっても変わらない。周囲に立つプレイヤー達の視線と殺気を肌で感じ、足音や武器を振るう音でその動きを聞き分ける。そして、狙いを定めて得物を握った。

 

「ふっ……!」

 

イタチが左手に取ったのは、こしに装着していた青い閃光を宿した光剣。それを、シノンが放とうとしている銃弾目掛けて振りかぶり……投擲した。シノンが構えていた狙撃銃、ヘカートⅡの銃声が響いたのは、それとほぼ同時だった。

GGOのゲームのシステム上、弾丸というオブジェクトは、一定以上の耐久値を持つプレイヤーやオブジェクトに着弾した後に、弾丸自体の耐久値が尽きることで消滅する。しかし、着弾対象が光剣の刃となれば、話は変わってくる。一般的な小口径の銃弾ならば、接触した瞬間に消滅する。だが、シノンのヘカートⅡから射出されるような大口径の銃弾の場合は、耐久値の高さ故に、接触した瞬間には消滅しない。

 

「なぁっ……!」

 

「む……!」

 

対物弾と光剣、それらの衝突の行く末。その答えは、イタチとシノン、死銃達が集結している坑道の大空洞、その空中において繰り広げられていた。

呪武者とステルベンが、揃って顔を驚愕に染めて見つめる先では、イタチの投擲した青い刃の光剣と、シノンがヘカートⅡから発射した対物弾が、空中で交錯していた。高速で回転しながら宙を舞う光剣は、青い光の輪を描きながら、真っ向から飛来する対物弾を――――

 

 

 

縦に真っ二つに切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿ね……自分から居場所を告げるなんて」

 

(……やっぱり後ろを取られた!)

 

坑道の中、大きく開けた大空洞の空中にて、対物弾と光剣とが衝突するその間際のことだった。イタチの名を叫び、ヘカートⅡによる狙撃を行ったシノンの背後に、女性プレイヤーの声が掛けられた。恐らく、先程イタチの右眼を狙撃した、死銃の仲間だろう。

 

(この状況じゃ、とてもじゃないけど避け切れない。どうすれば……!)

 

イタチと死銃が混戦状態にあるこの状況下、イタチの名前を叫んだ以上、こうなることは分かっていた。シノンの背後を取った女性の死銃は、現実世界の自分を殺すための死銃こと、五四式・黒星を手に、射撃の準備をしていることだろう。イタチから現実世界の自分の身体が無事であることは聞かされているが、ここで大人しく撃たれるつもりは無い。加えて、五四式・黒星で撃たれて、自身の精神が無事で済むとも断言できない。この窮地を脱する手段は、他に無いか……そう考えていた、その時だった。

 

「え……?」

 

「なっ……!」

 

伏射姿勢のまま、スコープを覗いていたシノンのもとへと、青い何かが回転しながら飛来した。それは、青い閃光の刃――イタチの投擲した、光剣である。シノンがヘカートⅡから射出した対物弾を引き裂いた光剣は、その勢いを衰えさせることなく、シノンが居る場所目掛けて向かっていたのだ。そしてそれは、瞬く間にシノンの真上を通り過ぎ……

 

「うぁぁぁあああ!」

 

突如響いた悲鳴に、振り向くシノン。背後に立っていた女性の死銃――スコーピオンの胸には、青い光剣の刃が突き刺さっていた。

 

(まさか、イタチはここまで予想して……!)

 

ヘカートⅡの対物弾と、光剣の衝突。その結果として、弾丸を二つに引き裂いた光剣は、勢いのまま飛来して、三人目の死銃であるスコーピオンへと突き刺さった。イタチがシノンに自身の背中を狙撃させた狙いは、こうしてシノンを囮にすることで、姿を見せないスナイパーをあぶり出して攻撃することだったのだ。

だが、この作戦の中に含まれているイタチの意図は、それだけではないと、シノンは感じた。それは、イタチが投擲した光剣を見て、すぐに分かった。

 

(私に意志があるのなら……もう一度、戦えって言うのね……イタチ!)

 

スコーピオンの胸に突き刺さっている光剣の刃の色は、青――かつてシノンが使っていた光剣である。イタチとのフィールドでの戦いに敗れて落としたものをイタチが拾い、以降は副武装として扱っていたものだった。

つまりイタチは、シノンに戦う意志の有無を問い掛けているのだ。過去に立ち向かうつもりがあるのならば、もう一度この光剣を手に、もう一度戦ってみろと――――

 

(なら……私は!)

 

イタチの意図を汲み取ったシノンは、伏射姿勢から立ち上がるとともに、スコーピオンの胸に突き刺さった光剣の柄に手を伸ばし、それを掴む。

 

「おおぉぉぉおおお!!」

 

「ぐぅうっ!こ、のぉぉお!」

 

握った光剣を横薙ぎに動かし、そのアバターを両断しようとするシノン。対するスコーピオンは、残り僅かなHPが残る中で、最後の抵抗を試みる。手に持っていた五四式・黒星を再度構え、シノンへと向けたのだ。

 

「!」

 

途端、シノンはぞっとした。五年前の銀行強盗事件の際に発現した、他者を殺害することに躊躇いを覚えない自分の意志。その時の恐怖が、シノンの心を覆い尽くそうとしていた。

 

(でも……!)

 

ここで恐怖に蹲ってしまえば、かつての自分に逆戻りである。逃げ出したくなる衝動を押さえ、光剣の柄を握る力をより一層強める。この剣とともにイタチから受け取った、勇気を胸に――

 

「せい、やぁぁぁああ!」

 

「あ……あぁぁぁああ!」

 

向けられたトラウマの根源たる拳銃を前に、しかしシノンは、気合いの声とともに光剣を振り抜いた。途中、スコーピオンが放った黒星の弾丸がシノンの髪を掠めたが、今のシノンはそれだけでは止められない。ヘカートⅡを操るために鍛えた筋力パラメータをフル活用して放った横薙ぎの一閃により、スコーピオンのHPは完全に空となった。残された妖艶な女性アバターは自身の敗北を信じられないと言わんばかりの驚愕の表情をそのままに、動かなくなった。

 

「勝った……!」

 

敵をHP全損に追い込み、打ち倒したことを確認したシノンは、乱れた息を整えながら、その場に崩れ落ちるようにゆっくりと座り込む。銃の世界たるGGOへ来て、長きに渡って戦いに身を投じてきたシノン。だが、この時に至って、ようやくその目的が果たされたと言ってもいいだろう。

過去のトラウマを克服し、銃に怯える弱い今の自分を強くする。それが、プレイ当初におけるシノンの目的だった。しかし、イタチと話をした中で、過去のトラウマの本質が、銃を手に人を殺した自分自身であることを認識させられた。だが、それでも戦い続けることを誓ったシノンは、イタチと共闘する中で、自身が抱く恐怖の本質を認識しても尚、恐怖の象徴であり続けた五四式・黒星を前に、戦いに臨み、これを打ち倒すことができた。

 

「ありがとう……イタチ」

 

この戦いの中で、自分がどこまで強くなれたかは分からない。しかしそれでも、前へと踏み出すことができたと確信することはできた。そのきっかけを与えてくれた、無二の戦友たるイタチに、シノンは感謝を呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

空中で光剣の刃に衝突し、縦に真っ二つに叩き割られた対物弾。しかし、それだけでは終わらない。ヘカートから吐き出された弾丸は、なおもオブジェクトとして存在し続けている。そして、射出の勢いもほとんど衰えていない。光剣との接触によって、わずかに逸れた、二つに分かれた弾丸は、それぞれの目標へと飛来していく――――

 

「ぐぁぁああ!」

 

「ごぉっ……!」

 

そして響く、二人分の絶叫。光剣の一閃によって二つに裂かれた対物弾は、光剣を投擲したイタチを背後から挟撃しようとしていた死銃二人――呪武者とステルベンを襲った。

 

「チィィイッ……!」

 

呪武者は、イタチの左側から跳びかかろうと空中に身を投げ出していたため、回避行動も、光剣による銃弾の迎撃も間に合わなかった。それでも、毒ナイフで軌道を逸らそうとしたあたりは流石だろう。だが、質量が半減したとはいえ、対物弾の重量をコンバットナイフで受け止めきれるわけもなく、刀身は着弾とともに砕ける。コンバットナイフを砕いた弾丸の片割れは、呪武者本体へ及び、その胴体を直撃した。弾丸自体は威力が削がれ、軌道が逸れていたため、呪武者の上下半身が泣き別れになることはなかった。だが、脇腹部分がごっそり削られている。HPが残り一割を切っているとはいえ、残っていることが不思議だった。脇腹を抉り取られた呪武者は、まともに着地することも儘ならず、そのまま地面を転がる。

 

「こん、のぉっ……っ!?」

 

まともに動けない状態でありながら、立ち上がろうとする呪武者だったが、何故か身体が動かない。一体、何が起こっているのかと視線を巡らせると、左脇腹に毒々しい光を放つ金属片が刺さっていた。飛来した対物弾の片割れに砕かれた、毒ナイフの破片である。破壊されて消滅する前に、持ち主である呪武者を麻痺に陥れたらしい。

 

「畜生、がぁ……!」

 

完全に動けなくなった状況に置かれ、悔しげに声を上げる呪武者。その目に宿す殺意は衰えさせず、すぐ傍で繰り広げられる宿敵たるイタチの戦いを見据えていた。

 

「ぐぅ、う……イ、タチ!」

 

呪武者とともに、右側から挟撃を仕掛けていたステルベンもまた、空中で引き裂かれた対物弾の片割れを被弾し、負傷していた。着地に失敗はしたものの、被弾したのは左腕。二の腕から先が消失していたが、利き腕である右腕は無事である。

 

「お前は無事のようだな」

 

「貴、様……本当は、見えて、いたんだ、な?」

 

怒りを露に、相変わらずの無表情を崩さないイタチへ詰め寄る勢いで声を上げるステルベン。味方の狙撃を光剣の投擲で二つに裂き、背後から挟撃する二人の敵を同時に攻撃する。これら一連の動きは、両眼の視力無くしては為し得ない。故にステルベンは、イタチの両眼に掛かった赤いダメージエフェクトはダミーであり、盲目状態を装っていると考えていた。対するイタチは、その言葉を聞くと、小さく息を吐いた。ステルベンには気付かれなかったが、それは呆れのニュアンスを含んだ溜息である。次いで、イタチは逆に問い返すために口を開いた。

 

「お前のその赤い眼には、今何が見えている?」

 

「決まって、いる。殺すべき、敵の、姿が、見えて、いる!お前と、同じ、だ!」

 

それ以上の問答は無用と、ステルベンはそれ以上の言葉を発することはせず、イタチへ向けて駆け出し、エストック型銃剣の刺突を繰り出した。

SAO時代と変わらない、非常に速い敏捷にて接近するステルベンに対し、イタチは直立姿勢のままで動かない。そして、ステルベンの刺突がイタチの心臓部を貫こうとしたその瞬間――――イタチは初めて動いた。

 

「な、に……?」

 

ステルベンの刺突を半身になって避けたイタチは、エストックを持つステルベンの右腕を、自身の右手で押さえた。その反応速度には、先程までのギリギリで動いた遅さは無く……両眼が見えている状態とほとんど変わらなかった。

 

「貴様、やはり……!」

 

「お前の血走った赤い眼では、目に映る者達を殺す相手としか見ることしかできない。だから、目の前に立つ相手の本質が、何一つ見えない。それに……」

 

エストックを握ったステルベンの右手を取り、動きを押さえた状態で口を開いたイタチ。だが、途中で言葉を切ると同時に、押さえていたステルベンの右手を、勢いを付けて放し、バランスを崩させる。同時に、腰のカラビナに付いた光剣を抜き、ステルベンを一閃した。

 

「がぁ、ぁあっ!」

 

「同じ色の眼を持っていても、見えているものが違う。同じなのは色だけ……俺とお前では、眼が背負うものの重みが違う」

 

イタチの口から発せられたのは、ステルベンに対する蔑みと苛立ちが込められた言葉。それと同時に、イタチの赤い光剣の横薙ぎの一撃によって上下半身を両断されたステルベンは、地面へと崩れ落ちる。そして、残るHP全てを削り取るべく、その心臓へと止めの一撃を繰り出す。

 

「ましてや、人形に成り下がってまで、レッドプレイヤーで在り続けようとするお前の同類には、俺はなり得ない」

 

「ぐっ……イ、タチっ!」

 

同じ赤い眼を持ち、人を殺すことに躊躇いを持たない者同士のイタチに対し、ステルベンこと、元笑う棺桶幹部、赤眼のザザは、殺意とともにライバル心を抱いていた。だが、イタチとザザとでは、人を殺した理由も、覚悟も違う。そして、赤い瞳の理由も。

ザザがその瞳をメーキャップアイテムで赤く染めていたのは、血色の瞳を、SAO最大規模の殺人ギルドたる笑う棺桶の象徴にしようとしていたからである。

一方のイタチには、赤い瞳をSAOの黒の忍びたる己の象徴にするつもりなど、毛頭無かった。イタチにとっての赤い瞳は、うちは一族の象徴たる写輪眼を示すものである。それと同時に、前世の罪と、それを背負って戦う忍としての覚悟の証だった。

イタチの言う通り、その瞳に秘めた重みが違っていた。自己顕示欲と快楽殺人に酔う者達とは相容れる筈もなく、同じ色と言うだけで、本質すら同一であると見なすザザには、イタチも辟易していた。

 

「お前達死銃という人形が踊る殺人劇は、これで終いだ」

 

「お、の、れ……」

 

ダメージエフェクトの赤色で塞がれた向こう側の瞳に、侮蔑の情が籠った光を宿しながら、イタチは光剣をより深く突き刺した。それと同時に、ステルベンのHPは完全に無くなり、殺意を宿した赤い瞳は光を失うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「イタチ、大丈夫!?」

 

「シノンか……」

 

BoB本選の舞台たる、ISLニヴルヘイムの鉱山都市エリアの坑道にて繰り広げられていた、死銃三人との死闘を制した、イタチとシノンの二人。それぞれ別の場所で戦っていた二人は、今ようやく合流するに至ったのだった。

 

「やっぱり、目が見えないのね……」

 

「いや、それほど問題ではない。視力が機能しないこの状況でも、活動に支障は……!」

 

「えっ!?」

 

そこまで口にした途端、イタチは傍に立っていたシノンを突如抱き寄せ、押し倒した。

 

「イ、イタチ!?」

 

突然のイタチの行動に戸惑うシノン。だが次の瞬間、それまでシノンが立っていた場所を、銃声とともに一発の弾丸が横切った。何者かによる銃撃である。一体、何が起こったのかと混乱するシノンを余所に、イタチは尚も赤いダメージエフェクトが残り、機能しない両眼を近くに立つ柱の影へと向けていた。釣られるようにシノンが向いた先にいたのは、脇腹を抉り取られながらも、右手に五四式・黒星を握るプレイヤーの姿だった。その顔には、シノンも見覚えがある。この大空洞へ至る間に遭遇した死銃の一人、呪武者である。

 

「まさか……!」

 

「まだ生きていたとはな……」

 

シノンの狙撃と、イタチの光剣投擲を組み合わせた三人同時攻撃の際に、既にHP全損に至っていたと思われていたが、まだ生きていたらしい。毒の塗られたコンバットナイフを砕かれた際にその破片を身に受けた呪武者は、麻痺状態に陥っていた。だが、呪武者は、システム的に一切動けない状態を利用し、HPが全損した状態を装い、死体に擬態したのだった。戦いの中で敵意・殺意を感知し、その動きを読み取ることに長けたイタチでも、視力が機能しない状態では、HP全損の是非までは関知できなかったのだった。

 

「こ、んのクソガキがぁぁああっっ!」

 

「止めを刺してくる。待っていてくれ」

 

死んだフリをして敢行した奇襲も失敗し、自棄を起こして銃弾を乱射する呪武者。そんな悪足掻きをする呪武者に引導を渡すべく、イタチは光剣で銃弾を防御しながら接近を試みる。だが、その時だった。

 

「がはぁぁあっ……!?」

 

「む……!」

 

「へっ!?」

 

またも予想外の事態が、目の前で起こった。地面に倒れた状態で悪足掻きをしていた呪武者の眉間に、一発の弾丸が撃ち込まれたのだ。そして、残り少なかったHPを全損し、そのアバターは物言わぬ骸へと変わる。呪武者がHP全損に陥ったのは、何者かの狙撃によるもの。しかし、シノンではない。では、一体誰がやったのか。イタチとシノンは揃って大空洞の上層部を見渡し、狙撃手の姿を捉えようとする。しかし、予想に反し、呪武者を狙撃したプレイヤーは、狙撃を行った場所から全く動かなかったため、すぐに見つかった。イタチとシノンが立つ地表から、十メートル程の高さの場所に設けられた鉄橋の上である。黒いニット帽を被った金髪のプレイヤーは、狙撃銃を構えることなく、肩に担いだまま、地上にいるイタチとシノンへ口を開いた。

 

「俺は君達の敵ではない。警戒を解いて欲しい」

 

その言葉に、シノンは怪訝な表情を浮かべる。自分達の敵である死銃こと呪武者に止めを刺したのはこのプレイヤーで間違いないのだろうが、だからといって味方と見なすことはできない。シノンはヘカートⅡを手に持ち、いつでも引き金を引けるように構える。だが、隣に立つイタチは、手でそれを制す。そして、大空洞上層部にいる狙撃手プレイヤーに向けて口を開いた。

 

「成程……お前が、竜崎の言っていた『ライ』だな」

 

イタチの口から出た『竜崎』という名前に、ライと呼ばれた狙撃手は、その怜悧な相貌をピクリと動かした。その反応を見て、イタチは目の前の狙撃手が、今回の捜査開始前に聞いていた助っ人であることを確信する。

 

「俺のことは既に聞いているようだな。なら、話が早い。目標をクリアした以上、これ以上大会に干渉するつもりは無い。この大会の参加者も、坑道にいる俺達を除いて全滅している。この大会が終わった後も仕事が控えている以上、俺はこれでリザインさせてもらう。そちらも急ぐことだな」

 

それだけ言うと、イタチとシノンを救った狙撃手、ライは、『リザイン』を宣言し、リザインの認証を確認するパネルを呼び出す。パネルに表示された、リザインを承認する『YES』に触れた。直後、その場に崩れ落ちた。リザインによって、アバターが死亡扱いとなったのだ。

 

「あの狙撃手、ライって言っていたわね。あなたと同じで、今大会初出場で、相当な凄腕みたいだったけど……知り合いだったの?」

 

「いや、リアルでもゲームでも、直接の面識は無かった。今回の捜査を前に、第三者を通じて互いのことを知っていただけだ」

 

シノンとて今回の死銃事件の当事者の一人ではある。しかし、捜査自体や、それに携わるメンバーに関する情報を徒に与えるべきではないと、イタチは判断した。

 

(FBIの凄腕捜査官にして、銀の弾丸(シルバー・ブレット)の名を冠する狙撃手か……竜崎の捜査に関わる以上、また会う機会があるかもしれんな)

 

今回の捜査に助力してくれていた強力な助っ人の実力に、イタチは畏怖と心強さを感じていた。隣に立つシノンのこともそうだが、共に戦う者の存在を疎むことなく、頼りにできるようになったのも、この世界へ転生して為し得た『変化』なのだろうと、イタチは感じた。

だが、今はそれよりも重要なことがある。ゲーム内で死銃を倒した今、これからどうするかである。

 

「それで、どうするの?もうこの大会で残っているのは、私達だけみたいだけど」

 

「そうだな……俺達も、どちらかがリザインして、大会を終わらせよう。これが終わった後も、現実世界での死銃の確保が待っているからな」

 

今まさに考えていたことについてシノンから尋ねられたイタチは、これ以上戦いを長引かせず、片方がリザインして戦いを終わらせることを提案する。対して、それを聞いたシノンは、表情を強張らせる。

イタチの推測が的中しているのならば、死銃はこのゲーム世界だけではなく、現実世界にも存在しているのだ。現実の肉体に、本物の『死』を与える殺人者が――――

 

「そう、ね……分かったわ。それでいきましょう。でも、イタチ……その前に、あなたには聞きたいことがあるの」

 

「……何だ?」

 

イタチとしては、今すぐにでも大会を終わらせたいと思っているのだが、その問いを投げるシノンの表情は真剣そのものだった。事件に巻き込み、作戦に協力してもらった手前、ある程度の問いには答えねばなるまい。しかし一体、何を聞きたいのだろうか。

 

「あなた、目が見えない状態で苦戦していたみたいだけど……本当は、あの状態でも死銃三人を十分相手できたんじゃないの?」

 

「…………」

 

「その沈黙は、肯定と取るわよ」

 

剣士二人と狙撃手一人を相手に死闘を繰り広げていたイタチの様子を、ヘカートⅡのスコープ越しに見ていたシノンは、薄々勘付いていた。イタチは目の見えないあの状況下にあっても、死銃達を単独で勝利できたのかもしれない、と。対するイタチは口を閉ざして沈黙する。それをシノンは、肯定の意を示していると判断した。

 

「やっぱりね……私が自力で立ち直れるように促すために、苦戦したフリをしたってわけね」

 

イタチが不利を装う理由といえば、シノンにはそれ以外に思い当らなかった。その結論に至ると同時に、イタチには助けられてからこの共闘に至るまで、徹頭徹尾助けられていたのだと、シノンは改めて感じた。

 

「あの戦いに私情を……それも、私なんかのために挟むなんて、本当にあなたは強いのね。私なんて、最初から敵わなかった筈よ」

 

「…………」

 

「けどね、感謝しているわ。この世界に来て、私が目指すべきだったものを再認識できたし……強くなったかは分からないけれど、前へ進めたって思えたからね。本当に、ありがとう」

 

イタチに対して皮肉を口にするシノンだったが、その表情と声色は穏やかだった。最後に口にした感謝の言葉からも、イタチから前を向いて踏み出す力を貰えたと、心から感じていたからこそ出たものだった。

 

「さて……それじゃあそろそろ、この大会も終わりにしましょうか。私がリザインするわ。あなたの方が強いのは明らかなんだから、文句は無いわよね?」

 

「ああ。だがその前に、お前には一つ謝っておかなければならないことがある」

 

「私に、謝る?……一体、何を隠していたの?」

 

イタチの口から済まなさそうに発せられた言葉に、怪訝そうな表情を浮かべるシノン。死銃事件の真相のほかに、一体何を隠していたというのか。あるとすれば、シノンに限定した何らかの事情だろうか。そう考えを巡らせたシノンに対し、イタチは意を決したように口を開いた。

 

「シノン……俺達は、この事件が発生する前から、現実世界で面識があったんだ」

 

「それって……まさか!」

 

イタチから発せられた事実に、顔を驚愕に染めるシノン。現実世界の朝田詩乃と面識のある人物で、イタチを彷彿させる人物といえば、一人しかいない。まさかという思いはあるが、イタチの正体が、シノンの知る彼と同一人物ならば、確かに納得できる。恐らく、既に自身の正体に気付いているであろう、その反応を正面から受け止めながら、イタチは続けた。

 

「俺の名前は、桐ヶ谷和人。お前とは、五年前に東北の町で初めて出会い、先週再会している」

 

「そんな……本当に和人、なの?」

 

「ああ。正真正銘、お前の知っている和人だ、詩乃」

 

互いに現実世界の名前で呼び合う、イタチこと和人と、シノンこと詩乃。シノンは未だに信じられないという表情を浮かべ、それを見たイタチはますます居た堪れなくなった。

意識してみれば、全て合点がいくことだった。イタチと和人には、共通点が多い。剣技然り、冷静な性格然り、自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとする行動然り……

しかし、特徴が合致し、本人が名乗ったとはいえ……目の前のアバターが、和人と同一人物であるという事実は、シノンにとって認め難いことだった。

 

「…………って、ちょっとっ!なんで男のアンタが……そんな、女の子みたいなアバターなのよ!?」

 

「…………そう言われてもな」

 

シノンの驚愕の表情を前にして、イタチは「またか」と言わんばかりに頭を痛めた様子だった。この世界に初めて降り立った際に、協力者のカンキチに女性と間違えられたことに始まり……街中を歩く度に、幾度も女性と勘違いされ、ナンパ等を受けることがあった。そして、誤解を解くべく、男性アバターであると説明した際には、羨ましがられ、カンキチ同様にアカウント売却を迫られることも多々あった。しかし、イタチこと和人自身も、望んでこのアバターになったわけではない。SAOでビーター呼ばわりされていた頃に感じた程の不自由は無いものの、このような反応を受けることに、イタチは辟易していたのだった

そして、イタチの正体が男性の和人だと知ったシノンは、驚愕に目を剥いた次は、その顔を赤く染めていた。思い出すのは、女性とばかり思っていたイタチに対し、手を握ったり、抱きついたりした行為の数々…………

 

「ど……どうして、もっと早く、男だって言わなかったのよ!?」

 

「…………特に聞かれなかったから、答えなかっただけだが」

 

相変わらず平淡な口調ながら、若干目を逸らしながら答える和人の反応を見て、冷静さを取り戻すシノン。確かに言われてみれば、イタチの性別について確認を取ったことはなく……その見かけだけで、女性であると判断していた。要するに、一方的に勘違いしていたのだ。イタチこと和人のみを一方的に責めるのは、少々理不尽かもしれないと、シノンは感じた。尤も、納得できるかどうかは、別の話だが。

 

「それじゃあ……初めから、私の正体を知って近付いてきたの?」

 

「いや、お前が詩乃だと知ったのは、本選が始まる直前からだ。だが、お前が内心に抱えている危うさは、フィールドの戦闘で刃を交えたあの時から感じていた。だから俺は、お前が死銃の標的になっていることを知り……お前の行く末を、どうにかしてやりたいとも思っていた。それが、俺がお前を助けた理由だ」

 

イタチから告白された真意に、再度驚愕して固まるシノン。考えてみれば、鉱山都市での遭遇からして、出来過ぎていた。イタチの行動は全て、シノンがターゲットであること最初の段階で見抜き、死銃の行動心理を読み取らなければできないものだった。

 

「そっか……最初からずっと、助けられていたんだね」

 

それが、イタチから告げられた真意を聞いて、シノンが呟いた言葉だった。同時に、苦笑が漏れた。死銃から助けられ、死銃に立ち向かうきっかけと手段すらも、イタチから貰っていたのだ。前を向いて歩くことができたのもまた、イタチのお陰である。

 

(感謝、しないといけないんだろうけど……)

 

頼んではいないとはいえ、命を救われた上、過去のトラウマを乗り越える勇気を得て立ち向かう力を与えてもらったのだから、イタチには感謝するべきなのだろうと、シノンは思う。しかし、最初から全て知っていた上で、それを黙ったまま近付いてきたと聞かされた今では、謝罪を受けても素直に感謝を口にすることはできない。

心にもやもやを抱え、これをどう処理したものかと考えるシノン。未だに目にダメージエフェクトが残るイタチには分からないが、今のシノンの顔は不機嫌そのものだった。

 

(そうだ……!)

 

イタチに対してどう接するべきかと思案を巡らせたシノンの頭に閃いた、一つのアイデア。イタチに対し、感謝と仕返しを同時に行う方法である。

 

「……事情は分かったわ。色々と言いたいことはあるけれど、条件付きで許してあげるわ」

 

「……何を要求するつもりだ?」

 

負い目を感じ、拒否できない様子のイタチの態度に、得意気な表情を浮かべるシノン。自身の優位を確信したまま、要求を告げる。

 

「まず、この大会が終わってログアウトしたら、現実世界の私のところに会いに来なさい。ここでは言えないことが色々とあるからね。何なら、事情聴取にも付き合ってあげるわよ」

 

「……分かった」

 

「それと、もう一つ。今回の私との勝負は、引き分けにしなさい」

 

「引き分け……どうやって?」

 

「『お土産グレネード』って、知っているかしら?」

 

勝負を引き分けにする方法について問いかけたイタチへ返ってきたシノンの答え……それを聞いた途端、イタチは軽く硬直する。

 

「まさか……」

 

「はい、これあげる」

 

そう言うと、シノンは有無を言わさず、イタチの手に雷管のタイマーノブを五秒分程捻ったプラズマグレネードを握らせる。目が見えない状況にあっても、何を握らされたのかはイタチにも分かった。しかし、今更拒否できる筈もなく、イタチは諦めたようにそれを握り続けるのだった。

 

「それと最後に……これで許してあげる」

 

「え……?」

 

シノンが最後に要求した内容……それが何だったのかは、明確には告げられず、見えもしなかった。ただ一つ、イタチに分かった事。それは、プラズマグレネードが炸裂したその直前に――――

 

 

 

自身の唇に押し付けられた、柔らかい感触だった。

 


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