申し訳ありません。
薄暗いビルとビルとの間、繁華街からは外れ、道路からは決して見えない裏路地。
多くの大量消費がされているファストフード店の裏口。
食べられなかった残飯が棄てられているゴミ箱が・・・倒れた。
中で何かが暴れていたのか、しきりに跳ね、転がり、そして壁にぶつかって止まる。
ゴミ箱の中から出きたのは、『ナニカ』だった。
それは人の形をしているが、人と判断するのは難しいモノだった。
何故ならば、それは人の形をしたモノでしかなかったからだ。
身体全身の輪郭はぼやけ、辛うじて人?であろうと判断できる程度の存在でしかなく、
それも、注意して、目を皿のようにし、意識して視なければ、簡単に判らないほどだ。
その人の形をした『ナニカ』は、
ゴミ箱に棄てられていた残飯を、口に当たる部分に放り込んでいく。
噛み砕く音が聞こえ、咀嚼音が響き、そして嚥下する音が聞こえる。
そしてまた、『ナニカ』はまた残飯を飲み込んでいく。
それを幾度となく繰り返していると、コンクリートを踏みしめる足音が聞こえた。
『ナニカ』が振り返ると、そこには雨も降っていないのに、
そして日もとっくに落ちて夜だというのに、黒い傘を差した存在が立っていた。
「あら?これは珍しいものを見つけてしまったかな?」
開口一口に、黒い傘の人間?は、
何か面白いものを見つけたような、そんな言葉を発した。
傘で顔を見ることは出来ないが、その声の音色からして、女性であろう。
『ナニカ』は、傘の女性?に目を向けつつも、残飯を口に放り込むことは止めなかった。
目の前の『それ』を見ながら、女性は自身の顎に手を当て、考え込む仕草をする。
それは女性の癖であり、何か不可思議なもの、信じられないことに遭遇すると、
決まってそれを見定めようとし、無意識にやってしまう行動だった。
女性の出で立ちは、言ってしまえば、この現代社会の日本において、
酷く時代錯誤と言うべきか、場違いと言うべきか、変な意味で目立っていた。
黒い傘もそうだが、彼女の纏う服は、まるで中世時代の貴族が来ていそうな、
言ってしまえばドレスである。
しかも、黒を基調とし、紫がかったリボンの付いたゴシックドレスだ。
こんな服を着ていたら、確実に目立つ上に、職質ものだろう。
そんなおかしな格好の女性は、
目の前の『それ』をじっくりと目で舐め回しながら、ふむふむと頷く。
「本来なら、人間界に干渉することなどを、私はあまりしないのだが。
気まぐれと言うものも、案外馬鹿に出来ないものだ。
しかし、本当にここは違う世界なんだなぁ。」
そう言うと女性は、さしていた傘を閉じる。
すると閉じた傘は、まるで始めから無かったかのように、彼女の手から消えた。
そして『ナニカ』は、女性の素顔を見た。
長い紫髪をリボンで一つに纏め、
その瞳は、まるで深淵を覗いてしまったかのように黒かった。
その顔立ちは整っており、仮に道を歩けば、多くの人が振り返るだろう。
ただし、その目の下に隈が無ければの話だが。
「もしもーし?おーい?聞こえているかな?
仮に聞こえているなら何かで示してくれるかな?」
女性は、自身の声が聞こえているかを確認すると、
目の前の『それ』は首らしき部分を縦に振る。
「良かったよ。仮に意思疎通が出来なかったら、私も嫌なことしなければならなかったからね」
そう呟くと、女性は更に問いを投げかける。
「君は、一体何なのかな?
私からして、君は人の形をしているけれど、まだ人ではない。
かと言って、あまりに不確かな存在で、吹けば消えてしまう燭台の火のように儚い。
本当は存在しているのに、存在していない、曖昧な存在だ。
まるで、この世界には存在していないのに、存在している、私とは真逆だな」
「?」
「おっと、話が逸れてしまったね。
つまり、君は一体何なのか?私に教えてくれないかな?」
「 」
『それ』は言葉を発しようとするが、口から声が出ることはなかった。
何度も発しているのに、声が出ない。
その姿に、女性は考え込む仕草をした後、「仕方がないか」と呟き、右手を前に差し出す。
すると突然、彼女の右手に不思議な文字が浮かび上がり、
文字が螺旋を描きながら宙を舞い、そして一つの形を作った。
そして彼女の右手には、一冊の本が握られていた。
本の大きさは、彼女の手にちょうど収まる程の大きさで、
厚さも、まるで彼女の手に合わせるかのように収まっている。
装丁は、歴史を感じさせるように古く、所々に金色の装飾がされている。
「さてさて、私としてはあまり気が進まないのだが、
君の声が聞こえなければ、私は君と意思疎通が出来ない。
悪いけど、君を視させて貰うよ」
そう言うと、彼女は本を開き、何やら言葉を発する。
すると、先ほどと同じように、不思議な文字が本から溢れ、『それ』の中に入っていく。
「おや?これは一体どういうことだ?」
『それ』が見つめる中、女性は何やら首を傾げる。
そして難しい顔をした後、直ぐに表情を変えた。
「え、待って。ちょ、ちょちょっと待ってよ!?
え、えー!?ウソ!?え、本当に!?え、どうなってるの!?」
そして急に叫びだした。
「待って、私聞いてない!こんなこと聞いてない!こんなの絶対おかしいよ!
えー!?だったらこの世界はどうなってるの!?
ちょっと神様!今すぐ説明を求めます!ってこの世界に神はいなかったぁぁぁ!?」
終いには顔を百面相にし、大声でがなり立てだす。
その仕草に『それ』は面食らいつつも、ただじっとしていた。
そして肩で息をする女性は、まるでこの世の終わりのような顔をする。
「全く、一体どうなっているんですか!あーもう!
本当なら、今すぐにでも見捨てて去るのが正しいんだけど、
そんなことできるはずもないじゃない!
もういい!考えるのは止めた!」
何やら決意をした女性は、『それ』に手を差だし、告げる。
「私の名はキアラ。キアラ・ダンタリオン。
もしよかったら、私の元に来ないかい?」
差し出された手を、『それ』はじっと見つめる。
『それ』は自分が一体何なのか、自分も解らなかった。
ただ、消えていきそうな自分が嫌で、必死に生きようと足掻いただけだ。
気が付けば、自分はここにいた。ただ、生きたいと望んだだけだ。
「『生きたい』と望むなら、私の手を取りなさい。
そうすれば、私が君を守る」
キアラの顔は、まるで何かを悟ったような、諦めた様なそんな顔をしていた。
『生きられる』
そう思った瞬間、『それ』は彼女の手を取った。
「随分と疲れてたのね、直ぐに眠っちゃった」
私の手を取った瞬間、崩れ落ちるように私にもたれ掛って『それ』を、
私は寸でのところで抱きしめ、お姫様抱っこをしている。
私の腕の中では『それ』が微かな寝息を立てている。
「かわいいわね」
私は、そう言って『それ』を愛しく思えた。
まるで羽毛のように軽く、そしてガラス細工のように脆そうなのに、
私の腕の中で『それ』は生きている。
ああ、なんて儚くて愛しいのだろう。
私が、自分の赤ちゃんを抱いていた時の記憶を思い出す。
今の私に子供はいないけれど、懐かしさを感じる。
「さて、面倒なことにならない内に帰りましょ・・・」
私が帰る為の魔法陣を展開しようとした際、後ろで音がした。
そして、腐臭と鉄の臭いが漂い始め、下卑た唸り声が響く。
「女、女だ・・・それも極上の女だ・・・」
その声を聞いた途端、私は深いため息を吐く。
「ここは貴方のようなはぐれ悪魔がいていい場所ではないわ。
それに、その臭いからして、相当の人間を食べてるみたいね」
返答は聴くにも堪える、下卑た笑い声
「そんなもの、忘れちまったぜ!
食いたければ喰い、犯したければ犯す。それが俺の生き方だ
悪魔になったことで、俺の力は強大になった!
俺を縛るものは誰もいねぇ!邪魔する奴はぶっ殺してきた!
だから俺は、もっともっと喰い、犯し、欲のままに生きてやるんだよ!」
その言葉に、私は更に深いため息を吐く
「それで、その好きに生きているはぐれ悪魔が私に何か用かしら?
今からこの子を治療しなきゃいけないんだけど」
「その必要はないぜ、なにせアンタは今から俺に犯されるんだからな!
そいつはその運動後の食事にするんだよ!
安心しな、あの世で再会させてやるよ!」
また不快な笑い声が響く
それに私は最大級の溜息を吐きてしまう。
これで、私の幸せは何回遠ざかったのだろうか。
ああ、鬱陶しい。
「そう、それは宣戦布告と言ってもいいのね?
ああ、良かった。アナタから襲ってくれるなんて助かったわ」
「あん?何言ってんだこのアマ」
「こう見えても私、争いごとが嫌なのよ。
平和が一番って聞いたことないかしら?
ねぇ、元ウァレフォル家の戦車、はぐれ悪魔のアバディーンさん?」
「な、どうして俺の名を!?」
アバディーンの声は酷く狼狽えていた。
そりゃそうでしょう。
食べようとした相手が、自分の名前を知っているんだから。
「私はあなたのことなら何でも知ってますよ?
暴れ牛のアバディーン、元ウァレフォル家の戦車。
その巨体から繰り出される突進は数多くの悪魔を屠り、
その頑強な肉体は多くの悪魔の攻撃をも退けたとか。
しかし、その力に飲み込まれ、同じ眷属を喰らい、犯し、そのまま逃走。
ランクはA。
魔力は皆無ですが、単純な肉体能力なら破格と言っても良いでしょう」
「!?」
後を向いていても、彼の驚く顔を簡単に予想出来てしまう。
だから私は、さらに続ける。
「幼少期は、小さな男の子でしたのに、変わるものなのですねぇ。
確か、昔はお母さんと言う、ママっ子でしたでしょう?
なのに、力を持ちはじめたら、
その巨体と同じように性格も変わってしまって・・・。
その巨体と傲慢な性格から、暴れ牛と言われてましたね?
元は村を襲う山賊まがいの小物でしたのに、
その力をウァレフォル家に認められたら、やりたい放題。
その果てが眷属殺しと逃走なんて、お母様が泣いてらっしゃいますよ」
「な、なんだてめぇは!?どうして俺を知ってやがる!?」
「さぁ?」
ああ、面白い。
こういう他人の秘密を、本人の目の前で暴露する行為。
自分が上だと思い込んでいる相手が、次の瞬間には狼狽える。
威張り腐っていた顔が、急に怯えに変わる。
ああ、楽しい。
私としては、人前で使うのは控えますが、
こういう相手を追い詰めるために使うのは、本当に楽しくて仕方がない。
「まさか、てめぇも俺と同じ悪魔か!くそがぁ、俺を嵌めやがったな!」
アバディーンは、気を取り戻すと、見当違いなことを言いだす。
実際、今この瞬間まで、私はアナタのことなんて知らなかったんだから。
単になる偶然でしかないのだが、黙っておくことにする。
「それはどうでもいじゃないですか。
問題は、今、この瞬間、アナタはどうするつもりですかってことです」
私の言葉に、アバディーンは一歩後ろへ下がったような、
足を後ろに下げるような音を立てた。
私はそれを心底残念に感じた。
あれだけ大口を叩いていたというのに。
しかし、ここで逃がしてしまったら、人間たちに被害が出てしまう。
「あら、逃げるんですか。ああ、そうですか。
先ほどまで、私を犯すだの、この子を喰うだの言ってましたのに。
暴れ牛も大したことなかったんですね、この臆病者の雑魚が。
アナタなんて殺す価値すらありません。
見逃してあげますから、さっさとお逃げなさい」
だから私は言葉の楔を打ち込む。
決して逃がさないように。
案の定、アバディーンからとてつもない殺気が溢れ出る。
それこそ、怒っているというオーラまでだ。
それに反応するかのように、ビルの壁が震える。
「逃げるだと?俺が?このアバディーン様が?
てめぇのような女に?ふざけるな、ふざけんじゃねぇぞ!
決めた、てめぇは犯す!徹底的に犯す!
犯しぬいてぶっ壊してやる!覚悟しろよこのアマァ!」
足を踏み出す音、風を切る音、そして
「ぶっ潰れろぉぉぉぉ!!」
私に向けて振り下ろされている、殺意を纏った拳。
それを私は、
『止まれ』
止めた。
ゴキリと嫌な音が聞こえた。
「アがぁぁぁぁぁぁぁ!?俺の、俺の腕がぁぁぁぁ!!」
泣き叫ぶ声が聞こえた。
ゆっくりと振り返れば、
そこには自分の腕が外れ、痛みに泣き叫んでいる牛の悪魔がいた。
「あらあら、これは大変」
その惨状に、私は一応、同情はしておく。
だって、見るからに痛そうだというのは伝わってくるから。
「て、てめぇ!俺に俺に何をしたぁぁぁ!?」
「声をかけましたが、何か?」
痛みで鼻水と涙でくじゅぐじゅのアバディーンの問いに、私は答える。
「てめぇは一体、何なんだよぉぉ!?」
どうやら、彼は私の名前を知りたいようだ。
では聴かせてあげましょうか
私はめいいっぱいの笑顔と仰々しく頭を下げ、大きな声で答える。
「私の名前は、キアラ・ダンタリオン。
ソロモンの72柱の1柱、ダンタリオン家の現当主。
地獄の36の軍団を率い、序列71番目の大侯爵だよ、
はぐれ悪魔さん?」
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!なんで純血悪魔がこんなところにいるんだよ!
ふざけるな!ふざけるな!ふざけるなぁぁぁ!」
あら、余計に鼻水と涙でぐじゅぐじゅになっちゃったわ。
恐い顔が台無しね。
「間が悪かったと諦めなさい。
さて、愚かにも純血悪魔に敵対行為をした、はぐれ悪魔アバディーン。
アナタの結末は決まってます。
まぁ、人間界にまで殺人などの被害を及ぼしたのですから、
言い訳も弁護もありませんけどね」
その言葉に、かつての暴れ牛と呼ばれた悪魔の顔が、
鼻水と涙でぐじゅぐじゅの顔が、絶望に染まる。
「た、助け」
『さようなら』
私は笑顔で言い放った。
「全くとんだ時間を取らされてしまったわ!
まぁでも、危険なはぐれ悪魔を駆除できたのですから、
人間界も多少なりと安全になり、なおかつ、私のお財布は潤う。
うん、win-winね」
そうして私は、こときれた悪魔を魔法陣で囲むと、その身体が宙に浮く。
「さて、これを持っていけば、あちらもお金を出してくれるでしょう。
しかし・・・」
私は溜息を吐く
「こういうはぐれ悪魔のことを、上は何も思っていないのでしょうね。
その傲慢さが、いつか自身の破滅を招かなければ良いのですが。
まぁ、その時は魔王様が何とかするでしょう」
そう呟き、私はずっと腕に抱えている、眠っている『それ』に目をおとす。
「さてさて、どんな名前にしようかなぁ。
でも、まずはこの子の身体をどうするか考えないとなぁ。
ああ、不安だけど、楽しみね!」
私は転送陣を起動し、私の領土へと、私の屋敷へと
出会ってしまった子と、私が作った死体と共に、帰ったのだった。