「お疲れ様です、真姫先生。今日のオペなんですけど……」
「ええ、わかったわ」
若い男性医師に手術の打ち合わせを行っている美しい女医。彼女は西木野病院の病院長の娘で脳外科のエース、西木野真姫である。
西木野真姫、わずか一年足らずでスクールアイドルの頂点まで上り詰めたグループとしていまだに伝説として語り続けられている、μ'sの元メンバーだ。
彼女は音ノ木坂学院を卒業後、当初の希望通り有名私立大学の医学部に進学した。
そこで、彼女は自身の才能を発揮し始める。
入学時こそ三位だったが、最初のテストで学部内トップの成績を誇ると、それを卒業まで維持し、主席卒業を果たした。周りから尊敬のまなざしで見られてたが、同時に妬みを漏らす生徒も多かった。
医学部卒業後は実家である西木野病院に就職、脳外科医として働き始めた。
真姫は研修医時代からその手腕を発揮し、多くの手術に参加した。最初は親の七光りだ、そんなやつを手術に使っても、そんな声が多かったが、彼女はそれを実力でねじ伏せた。
正規医として働き始めた彼女の手術成功率は95%、しかもその失敗は助手として参加した手術のみ。つまり自分が執刀医として参加した手術はすべて成功させている、ということだった。
話が終わったのかまた歩き出した彼女の後に続いて何人かからの陰口が聞こえる。
「またあの子だよ……」
「しっ! 聞こえるぞ。聞かれたらまずいの知ってるだろ」
「病院長にチクられて俺らのクビが飛ぶっていう話だろ。気を付けないとな」
「ったく、これだから親の七光りのやつは面倒なんだ」
もちろんピアノをやっていたせいか耳がいい真姫はもちろんその陰口が聞こえていたが、無視した。
(本当に面倒な人たち。私がそんなことするわけないじゃない。ほんと、イミワカンナイ)
周りからの見られ方と彼女の性格のために事務連絡以外はかなりの割合で彼女は孤独だった。彼女にとっては今までと変わらないことのため、まったく気にしていないのだが。
手術が終わったのは手術開始から16時間が経った夜が深まったころだった。
「お疲れ様」
『お疲れさまでした』
挨拶はしっかり行い、手術室を後にした真姫は自分の担当患者を一通り回り、患者の様子を確認して仮眠室に入る。
今日の手術は動脈瘤の摘出。患者が麻酔から覚めなければ何とも言えないが、動脈瘤の位置が多少難しいところにあり、摘出はできたものの何かしらの障害は出てしまうかもしれない。
だが、死に至る恐れがある動脈瘤を摘出したのだ、生きていられるのなら障害なんて
その仮眠からの覚醒は唐突だった。自分のポケットに入れておいたPHSが鳴り響く。
いつの間にか夜は明け、朝日が昇っていた。
一気に脳を覚醒させた真姫は電話を受ける。
『救急です。一名脳疾患の可能性がある患者が運ばれてきましたので診察お願いできますか?』
「わかりました、CT室運んでください。あと患者情報お願いします」
『はい、患者は30歳女性。起床直後に激しい頭痛を訴え、そのまま意識を失い倒れた模様です。血圧……』
移動しがてら報告を聞きながら彼女は頭の中にいくつかの病気を思い浮かべる。
CT画像を見なければ何もいえないが、助かる見込みがあるといいんだけど、そんなことを考えながら真姫はCT室に急いだ。
「脳腫瘍、ですね」
「そうですね。かなり大きい。意識不明の原因は完全にこれですね。早急に開頭して腫瘍を摘出しないと」
脳疾患なら自分の担当診療科。そのためそのまま自分の担当患者になるだろうと名前を確認して彼女は大きな衝撃を受けた。
「まこちゃん……?」
彼女が見ている電子カルテには『尾崎まこ』、自身のかつての友人の名前だった。
「お知合いですか?」
「ええ、中学の時の友人なの」
検査技師にそう問われ、驚きを何とか隠しながら何気ないように答える。
中学時代の唯一の友達である彼女が脳腫瘍で来たことに動揺しないわけがなかった。だが、今の真姫は医者。自分の気持ちを優先させて冷静な判断できない、なんていうわけにはいかなかった。
「脳腫瘍があります。早急に開頭手術を行って腫瘍を取り除く必要があります。手術の日程はまこさんの体調によって決定しますが、心づもりだけはしておいてください」
「わかりました。ありがとうございます、先生」
まことのかかわりはあったが、両親とのかかわりはなかったため、真姫がまこの友人だと知られることはなかったからか、両親への説明はいつも通り冷静に説明できた。
しかし、まこが意識を取り戻してから、本人への告知はそういうわけにはいかなかった。
「まさかこんな風にまた会うなんてね、尾崎さん」
真姫がかつてのようにそう呼ぶとまこは寂しそうに目を伏せた。
「久しぶり……やっぱりそう呼ぶんだね、真姫ちゃん」
真姫のそれは自身の性格からだったが、それはまこを傷つけてしまったかもしれなかった。
どう接すればわからない真姫は
「……とりあえず先に尾崎さんの病状について説明するね。
脳に腫瘍ができてて一刻も早く取り除かないといけないの。手術の日は尾崎さんの体調によって決めるけどね」
「真姫ちゃんがやってくれるの?」
「たぶんそうなるんじゃないかしら。大丈夫、絶対に成功させるわ」
そう話す真姫の声には実力に裏打ちされた自信がにじみ出ていた。
「うん、真姫ちゃんにやってもらえるなら何も心配しないよ。よろしくね、真姫ちゃん」
そう言って優しく微笑むまこに、真姫はようやく安堵した。
「それにしてもやっぱり真姫ちゃんはすごいね。本当にお医者さんになったんだね。
そうそう、真姫ちゃんは手紙で一回もスクールアイドル、μ'sだっけ、の話をしてくれなかったけどちゃんと知ってたよ。キラキラ輝いてる真姫ちゃんを見て私も頑張らなきゃって何度も勇気をもらったんだ」
実はファイナルライブも見に行ったんだよ、そう話すまこの表情に嘘偽りはなくて、それが余計に真姫の表情を暗くさせた。
一度は両立しようと思った医者と音楽。でもいざ大学で医学部に入ると勉強で手いっぱいになり音楽を結局あきらめざるを得なくなった。
もちろんまこからすればただの話題、自分の友人を称賛しているだけなのだろうが、真姫には、どうして音楽を続けなかったの、という批判にも取れて。
「じゃあ、私他の仕事もあるから行くわね。また回診に来るから」
医者を始めてからうまくなった嘘をついて病室を出て行った。
まこは特に何か大きなことがあるわけでもなく、順調に手術日を迎えた。
「真姫先生。うちの子をよろしくお願いします」
「はい、絶対成功させます。任せてください」
真姫はまこの親と話をした。
真姫の目にはいつにもまして熱い熱がこもっていた。
「真姫ちゃん……よろしくね」
「任せて、尾崎さん」
「先生、そろそろ」
「はい。じゃあ尾崎さん、行きましょ。お母さんはそちらの待合室でお待ちください。かなり長い手術になると思いますので」
「はい、わかりました。頑張ってくるのよ、まこ」
まこが小さく頷いてのを確認し、まこが乗るストレッチャーを手術室の中に運び入れる。
閉まるドア越しに真姫の目に映った最後の光景はまこの母親が大きく頭を下げているものだった。
「じゃあ尾崎さん、おやすみ」
麻酔がかかり目がトロンとなっているまこに真姫はそう声をかけた。
「手術を始めます」
真姫の宣言により手術が開始された。
頭蓋骨にドリルで穴をあけそれを外し、脳を露出させる。そして、腫瘍を脳から切り離す。
言葉にすれば簡単だが、その手術は困難を極める。こと、まこの症例はそうだった。
「腫瘍がかなり浸潤してる。これじゃ脳との境がわかりにくい……」
大きい顕微鏡のようなものを覗きながらぽつりとつぶやく真姫。
「どうしますか?」
「とりあえず確実に腫瘍だとわかるところを取り出しちゃいましょう。脳の腫れもひどいから腫れ止めの点滴を追加して」
「残りは?」
「量によって決めましょう。多少再発のリスクがあっても患者の社会復帰を一番に考えて危険なところは避けて、放射線や薬で散らすことも視野に入れます」
「わかりました」
手術の方針は決まったが、腫瘍が難しいところにあるだけに慎重に行われた。
(絶対にまこちゃんを助ける。またあの優しいたれ目で笑ってもらうんだから)
その思いで手術を続けること10時間。
「縫合完了。これで終わりね」
お疲れ様でした、その声を背中に受けながら真姫は手術室を出てまこの母親が待っているであろう待合室に向かった。
「先生! 娘は、まこは!」
「予想以上に腫瘍が大きく、全部摘出には至りませんでした。まこさんの麻酔が覚めてみないとどうかはわかりませんが腫瘍の部位が部位だけに何らかの障害が残ってしまうかもしれません」
「それでもいいです、あの子が生きてさえいてくれれば……」
娘を思う母の気持ちを察した真姫はそれ以上何も言えなかった。
しばらくは面会できませんので、それだけ言うと真姫は待合室から出て行った。
それからしばらく経っても、まこは麻酔から覚めなかった。
麻酔以外の要因を疑った真姫はまこをCT室に運ぶように指示した。
そのときーー
突然激しくなりだした心電図。慌てて覗き込む真姫が目にしたモニターには血圧降下が示されていた。
「先に手術室に運んで! もう一回あけて止血し直すわ! 急いで!」
ICUから運び出されたまこを見送り、真姫はまこの母親に声をかける。
「取り残した腫瘍から出血が続いているようです。今からもう一度頭を開けて止血を試みます。つらいですが、これにサインしていただけますか?」
「どうして、どうしてうちの子ばっかり……」
泣き崩れそうになる母親は何とか同意書にサインをする。
「ありがとうございます」
母親を看護師に任せて真姫は手術室に走る。真姫の中で不安が大きくなっていた。
止血のための手術は無事終了。今度こそ出血点がないことを確認し真姫は頭を閉じた。
そして今度はいつまでも目が覚めない、ということはなくほぼ麻酔が切れる予想時間通りにまこは意識を取り戻した。
その連絡を受けた真姫はまこの病室にいそいで向かう。
「尾崎さん、目が覚めたのね」
その次の一言は真姫に衝撃を与えた。
「あなた……だれ?」
「え……」
このまま逃げたしたくなる衝動に襲われつつもなんとか自分を抑えた真姫は一つ一つ脳機能の確認をしようとする。
すぐにまこの母親のこととを指さし
「この人は、誰?」
と確認する。
「……わかんない」
人のことはわからないらしかった。
「ここがどこかわかる? どうしてここにいるかわかる?」
まこは少し考えてから首を左右に振った。
「私の手を握ってくれるかな?」
「うん」
まこはしっかり握り返した。
他にも確認したが記憶障害以外は見つからず、真姫はたまに起こる一過性の健忘。つまり一時的な物忘れだと判断した。
「しばらくすればまた記憶が戻ると思います。ほかの治療はおいおい決めていきましょう」
「はい。本当にありがとうございました」
頭を下げてICUを後にする真姫の顔は喜びで満ちていた。医者として自分の友人の命を救えたのだ、これまでで一番うれしい手術の成功だった。
しかし、そんな喜びにいつまでも浸ってるわけにはいかない。すぐに新たな仕事に忙殺された。
そんなある日、いつも通り回診をしてると突然真姫の院内PHSが鳴った。
呼び出された通りに病室に行くと
「出てって! 放してよ!」
そこには看護師に抑えられているまこがいた。
「なにがあったの?」
「それが急に錯乱して暴れ始めたんです!」
今までのまこならそんなことするはずがなかった。とにかく薬を持ってくるように指示した真姫はまこに話しかける。
「尾崎さん、どうしたの!」
「ほっといてよ! ……ずずっ」
いきなり泣きはじめたまこにどうすればいいのかわからない真姫。
とりあえず安定剤を投与してようやく落ち着いたまこを真姫はCT室に運ばせた。
まさか、という疑念が真姫の中でふつふつと大きくなっていた。
「どうです?」
「やっぱり少し損傷がありますね。おそらく間違いないと思いますが……」
「記憶の方は私の責任、ってことですよね」
「検査技師の私からは何とも言えません」
「わかりました、ありがとうございます」
まこを看護師に任せ、CT室を出て更衣室に飛び込む真姫。
結論的にはまこは高次脳機能障害だった。手術後、出血があったため脳の一部が壊されていて障害が残ってしまっていた。
そして、記憶に関しては高次脳機能障害以上の障害が残っており、そちらはおそらく真姫が手術中に傷つけてしまった可能性が高い、ということだった。
自分の初めての失敗。それが自分の初めての友達に当たる。現実とは何とも残酷だった。
そして、何よりも自分が求めたあの優しい笑顔を持ったまこは、もう、二度と帰ってこない。
障害なんて大した問題じゃないと思っていた。
実際は
QOLなんて考えたこともなかった真姫が初めて考えてやった手術。その結果がこれだ。
今までの経歴に傷がついた、そんなことは頭になかった。
ただ、自分の友人の手術を失敗して、二度と元に戻ることはないだろうということに真姫はただただ悲しみを覚えるしかなかった。
真姫はのっそりと立ち上がり、更衣室を出た。
それからまこの両親に説明をして、本人にも説明した。
「最善は尽くしたのですが、残念です」
最後にそれだけ言うと真姫は病室を飛び出した。もうその場にいることはできなかった。
ただ後悔ばかりがつのった。なによりも、結局一回も本人の前では名前で呼んであげなかったことを一番後悔していた。
だが、そんな日でも手術は慈悲なく組まれている。しかも真姫は腕がいいと知られている。それだけに真姫を頼ってこの病院を訪ねる人も多かった。
「よろしく」
「あ、はい、よろしくお願いします」
手術室に入って挨拶をし、手術を始める真姫。その眼にはいつもの自信はなく、濁っていた。
(いつも通り、冷静に……)
頭蓋骨を外し、脳を露出させる。
電気メスを受け取ったところで
――放して! ほっといてよ!
今のまこの様子がフラッシュッバックして。
大きな音とともに真姫は電気メスを落とし、座り込んでしまう。
「先生!? どうしたんですか?」
「……大丈夫よ、ごめんなさい」
一瞬目を閉じてからもう一度目を開ける。そうして立ち上がった真姫は先ほどよりは少しは落ち着いていた。
「続けましょ」
なるべくいつも通りを装って真姫は手術を続行した。
しかし、そんな心理状態で通常の力が出し切れるわけもなく、結果は思わしくなかった。
そんな状態が何日も続き、院内はその話題で持ちきりだった。
「あの子、とうとうぼろ出したわね」
「なんか友達のオペ失敗してから病んじゃったみたいよ」
「あんなに偉そうな態度してたくせに結構もろいな」
憶測やうわさが飛び交い、元々真姫にいい思いを持ってない人たちはここぞとばかり聞こえよがしに陰口をたたいていた。
そんな状況を重く見たのが医院長である真姫の父だった。このままでは病院内のチームワークすら危ういと考えた彼は真姫に海辺にある西木野家の別荘への休暇を言い渡す。
かつてμ'sの合宿にも使われたその別荘は真姫のお気に入りだった。環境がよく、真姫が好きなピアノもある。しばらく臨床から離れてゆっくり休めばまた復帰できるだろうというのが彼の考えだった。
別荘にやってきてようやく一人になった真姫は部屋にこもって出てこなくなった。使用人が声をかけようとしてもドア越しに聞こえるのはとても小さな、少しでも音を立てれば消えてしまいそうな嗚咽のみだった。
それのままどれくらいの時間がすぎただろうか。一日だったかもしれないし、一時間、もしかしたら一週間かもしれない。窓とカーテンを閉め、外部との関係も絶っていた真姫に正しい時間感覚は残っていなかった。
美しかった髪は見る影もなく、その美貌はやせ細った今の彼女では確認のしようがなかった。
部屋の外に出てみる。そしてまっすぐピアノに向かい、椅子に座る。
――真姫ちゃんすごい! ピアノも上手だね
「……っ!」
再びのフラッシュバック。その場で固まってしまった真姫はそのまま部屋に戻った。
窓の外では黒雲が空を覆い、激しい雷雨になっていた。これがいつやむのか、知る余地はない。