百花繚乱クロニクルセブン-僕らのセカイとキミのミライ- 作:白鷺 葵
揺れる心のモノグラム
ノーデンス・エンタープライゼスの広場は、物々しい雰囲気に包まれていた。
誰も彼もが、広場をゆくISDF士官たちの姿に釘付けになっている。老若男女問わず、ISDFは注目の的であった。そのおかげで、ブラスターレイブンと眞瀬ブンイチの周辺には誰も集まってこない。観客の心は、世界の平和を守るISDFによって掴まれていた。
今日のヒーローショーは閑古鳥が鳴いている。観客がいなければ、こちらも商売あがったりであった。今日は早々に店じまいした方が良さそうである。ブンイチはちらりと相棒を見返す。相棒も同じ気持ちだったようで、小さくため息をついて、ISDFへと視線を向けた。
「あれはS&M社製の新型アサルトライフル! あっちはISDF特製のコンバチショットガン! 軍事演習でもお目にかかれない、レア装備の宝庫ですよ!!」
「……やだな。また、変なマモノが来るんじゃないよね?」
観衆の中に武器マニアがいたらしい。青年は黄色い声を上げて装備品を指さしていた。有頂天な彼とは違い、別な女性は不安そうにISDFの人々を見送る。
その不安は、ある意味で的中している。ISDFが“軍事演習でもお目にかかれない”レア装備で身を固めてきているのは、対ドラゴン戦用のためだからだ。
ブンイチは今回の作戦に挑む面々の顔を見回す。部隊長である頼友東吾、直属部下にして副官の如月優真と伊倉由真。それから数十名の士官たちだ。
「…………」
「どうしたんだ、ブラスターキッズ。ISDF士官をじっと見つめて」
「……あの2人を、
ぽつりと零したブンイチの言葉に、レイブンはすべてを察したのだろう。温和な笑みはなりを潜め、口元は真一文字に結ばれた。マスクの下の表情は、きっと真剣そのものなのだろう。
不意に、ユマがブンイチの方を向いた。海色の瞳と紫苑の瞳が交錯する。海色の瞳が大きく見開かれたあたり、伊倉ユマが眞瀬ブンイチのことをどう認識しているのか分かる気がした。
これから数日間、ISDFはアトランティカの調査を行うという。タイムマシンをISDFに使われるということに関して、ジュリエッタは酷く悔しそうであった。上司命令だから致し方なしとはいえ、ストレスが鰻登りになっていることは間違いない。
(その分、別方面に力を入れるって言ってたっけ。確か、新しく行ける座標を特定するとかで、暫くは忙しいと聞いたなあ)
その鬱憤を研究開発に向けるジュリエッタの後ろ姿を思い返す。やけに歯噛みしていたな、と、ブンイチは苦笑した。彼はISDFを蛇蝎の如く嫌っている。
最も、ジュリエッタはノーデンスのNo.2としての仕事もある。タイムマシンにかかりきりでいられるとは思えない。暫く徹夜デスマーチになることは確定だ。
ブンイチにも協力要請が出ているが、こちらも忙しい。ブンイチたちにだって探し物はあるし、用事がある。だから、「忙しいので無理です」と連絡した。
「さて、今日はもう店じまいだから、本業の方に向かおうか?」
「そうだね。そうしようかな」
レイブンはそう呟いて、けれど未練がましく、ちらりと観客の方へ視線を向けた。
若芽色の髪の少女が俯いている。僅かに緑がかった髪の色を、ブンイチは良く知っている。
少女に重なる面影も、そこから感じる懐かしさも、相棒が少女を気にかける理由も。
「やっぱり、あの子のこと気になるよね」
「僕らにしてみれば、あの子は孫みたいな子だろ?」
マスクの下の瞳は、きっと優しく細められているに違いない。レイブンがまだ“レイブンになる前”だった頃、ブンイチがまだ“ブンイチになる前”に見た眼差し。
……優しさの奥底に、僅かながらの羨望が揺らめいていたことも、知っている。それの大部分の責任が、ブンイチにあることも理解していた。
「孫みたい、か」
「?」
「……ねえ、“■さん”。“■さん”も、孫を抱きしめてみたかった?」
藪から棒の問いかけに、レイブンはこちらを振り返った。ポカンと半開きになった口元からして、マスクの下は間抜けな顔が覗いているに違いない。「ブンイチがこんなことを言うとは思わなかった」と、言わんばかりの視線が降り注ぐ。
ブンイチは今、どんな顔をしているだろう。レイブンの間抜け面がすぐに真っ青になってしまう程だから、酷い顔をしていたことは確かそうだ。ブンイチは取り繕うように笑うと、レイブンの弁明を待つ間もなく踵を返した。
「さあ行こう、ブラスターレイブン! 悪党とドラゴンは待ってくれないぞ!!」
「ちょ、ブンイチ! 待って、待ってって!!」
情けない声を上げるレイブンを尻目に、ブンイチは駆け出す。有明の空は、どこまでも澄み渡っていた。
■■■
「んー……よく寝たぁ」
窓辺から差し込む朝の陽ざしに誘われるようにして、イノリはゆっくり体を起こした。昨日の夜に焚いたラベンダーの香りが、まだかすかに残っている。
散々アトランティスで戦ってきたが、肉体の疲れも精神の疲れもすっかり癒えたようだ。気持ちのいい目覚めを噛みしめつつ、窓を開け放つ。心地よい風が髪を撫でた。
有明の空は快晴。気持ちの良い天気である。澄み渡った空を見ていると、なんだか元気が出てきそうだ。イノリは大きく背伸びをすると、身支度を整えた。
化粧台の鏡に映るのは、暁学園の戦闘装束――イノリの在籍するクラスは白い服だ――を身に纏っている自分の姿だ。よし、と、イノリは心の中でガッツポーズを取る。特に最近は、身だしなみに気を付けるようになった。
(暫くはユウマさんたちと一緒なんだし、きちっとしておきたいな)
イノリはうんうん頷いた。本格的にミッションが始まったわけではないが、アリーやナガミミたちの話を聞いた限りでは、ISDFがノーデンスに駐留することになったらしい。彼らが赴任してくるのが今日なのだという。
さて、最後の仕上げだ。イノリは鏡台に置かれた小瓶をじっくりと吟味する。小瓶のふたを開けては閉じてを繰り返した。瓶の中身は、イノリが趣味で調合したアロマ香水だ。その日の気分や目的に合わせ、適宜使い分けている。
「……よし、今日はこれにしよう」
選んだのは、黄色の小瓶。軽く吹き付ければ、爽やかな柑橘系の香りが漂う。心なしか、普段よりも気持ちが明るくなったような気がした。
同時に、どこか張りつめていたような気持ちが拡散していく。ユウマたちと顔を合わせるというプレッシャーがあったのかもしれない。
イノリは大きく深呼吸した後、扉を開けた。ミカゲが朝食を作っていた。他の面々も身支度を終えたようで、個室から出てきたところだった。
「おはよう、みんな!」
「おはよう!」
「おう、おはよう。メシできたぞー」
リヒトが、ソウセイが、シキが、ミカゲが、イノリに声をかけてきた。眼前には、ミカゲが作った和食が鎮座している。
つやつやに輝く白米は一粒一粒がぴんと立っており、白い湯気を漂わせていた。味噌汁には様々な野菜――人参、大根、玉ねぎ、ジャガイモ、ホウレンソウなどがごろごろと入っている。出汁の香りが鼻腔をくすぐった。
卵焼きの中央にはチーズが入っている。焼いている間に融けたのだろう。とろりと糸が引いていた。ブリの切り身は醤油ベースの照り焼きだ。湯気と一緒に甘じょっぱい匂いが漂ってくる。唾を飲む音がやけに鮮明に響いた。
どの料理も美味しそうだ。イノリたちは表情を綻ばせ、席に座る。早速料理を口に運べば、イノリの頬は自然と緩んだ。
「おいしい」と言ったのは誰だろう。それを皮切りにして、自分たちは料理を食べ進めた。
『相変わらず、ミカゲくんの料理は美味しそうだね』
朝食を食べ進める面々を眺めて、ユイが静かに目を細める。
『今日の朝食は豪華だな』
『わー、さっすがミカゲー!』
旧13班の面々も席に座り、手を合わせる。挨拶を済ませた面々は、料理を食べ進めた。美味しそうに、嬉しそうに、みんなが表情を綻ばせた。
程なくして、ダイニングテーブルの上には空になった器や皿だけが残った。手を合わせてあいさつした後、即座に後片付けを済ませる。
「さて、と。ナガミミ、今日の予定は?」
『今日から暫くは待機だ。ISDFの連中がアトランティカを独自調査するから、ポータルが使えねェんだ』
ナビゲーターのナガミミは、面倒くさそうに悪態をついた。ナガミミの言葉が事実なら、今日から暫く非番ということになる。
「それじゃあ、今日はセブンスエンカウントで戦闘訓練しようかな。新しい戦場に向かうんだもの、みんなの足手まといになるつもりはないわ」
「僕は野暮用があるので、今日は家に戻ります。他にも、色々と準備しておこうかと思いまして」
「俺は街へ買い物しに行こうかと思ってるんだ。ちょっと、作ってみたい装飾品があってな」
仲間たちはそれぞれ用事があるらしい。イノリはどうするのかと、仲間たちの眼差しが向けられる。
ノーデンスに寝泊まりするための準備はツカサがしてくれたため、イノリ個人の用事で帰宅する用事は無い。あるとするならば――イノリはちらりとミカゲを見た。
死んだ人間がこの場に転がり込んだのだから、彼の状況は「着の身着のまま」と言えるだろう。竜戦役の経験上、ミカゲ本人は殆ど頓着していない様子だ。
ちらり、と、互いに顔を見合わせる。ミカゲもイノリの言いたいことを察したのか、何とも言い難そうに顎に手を当てた。そうして、納得したように頷く。
「じゃあ、イノリ。店までの案内頼むわ」
『洋服選びなら私に任せて。ミカゲくん、自分の洋服選べないもの』
「む……」
イノリに案内を頼んだミカゲだが、ユイの茶化すような笑みと発言に、たじたじと視線を逸らした。仲睦まじい祖父母のやり取りを見るのは久しぶりである。イノリも自然に頬を緩ませた。
予定が決まれば、早速街へ向かわなくては。他の面々も身支度を済ませると、それぞれの目的地へと出発していった。仲間たちの背中を見送った後で、イノリとミカゲも歩き出した。エレベーターへ乗り、1階へ降りる。
扉が開かれた。エントランスの方へと歩き出したとき、ISDF士官たちの姿を見つける。
彼らの中に紛れるように、見覚えのある青年の姿を見つけた。
イノリが彼に気づいたのと同じように、彼もイノリの存在に気づいたらしい。ぱっと表情を輝かせた。
「おはようございます、イノリ」
「おはようございます、ユウマさん!」
彼はパタパタとこちらに駆け寄ってきた。イノリもユウマに声をかける。
「もしかして、これからアトランティスへ向かうんですか?」
「はい。キミたちのボスやドクターには申し訳ありませんが、暫くタイムマシンをお借りしますよ」
その流れのまま談笑しようとして――ふと、何かに気づいたのか、ユウマは目を瞬かせた。
「どうかしましたか?」
「何かにおいませんか? こう、柑橘系のような……」
「ああ。それ、私がつけてる香水ですよ」
イノリはそう言って、鞄から小さな小瓶を取り出した。鏡台に置いた瓶より2回り程小さなそれを示せば、ユウマは納得したように手を打つ。
「女性はそういうのを好む傾向がありますからね」と呟いた彼の眼差しは、香水の小瓶に注がれていた。翡翠の瞳が、興味深そうに瞬く。
「……もしかして、こういう香りは嫌いでしたか?」
「いいえ。不快ではないですよ。ただ……」
「ただ?」
「なんだろう。何となくですが、こう……気分が高揚する香りだなと思ったんです。『気持ちが明るくなる』、というヤツですね。良い匂いです」
「厳密には違うのかもしれませんが」と付け加えて、ユウマはふわりと微笑む。この様子からして、ユウマは柑橘系の香りを“心地よいもの”と認識しているようだ。
香りの好みは個人によって変わるため、好き嫌いが大きく分かれる。今朝使った香水の香りが嫌がられなかったことに安堵して、イノリは安堵の息を吐く。
ユウマはイノリの香水の香りを楽しんでいる様子だった。ふわりと緩んだ口元を見ていると、イノリも嬉しくて堪らなくなる。胸の奥底に、明かりが灯るような心地になった。
「折角だから、つけてみますか? 香水」
「嗅ぐのはいいんですけど、つけるのは、その……任務に支障が出てしまう可能性があるので」
「あ……!」
そう言うなり、ユウマは申し訳なさそうに俯いた。その言葉を聞いて、イノリはハッとする。
アロマなどに使用される香りの中には、マモノを引き寄せたり凶暴化させたりするものもある。どの種類がどのマモノに影響を与えるかはまちまちだ。
下手に香水を使った場合、その香りがマモノに影響を与えないとは限らない。香りにつられたマモノがどんな行動を起こすかはまだ未知数である。
「ご、ごめんなさい! 軽率でしたね。当たり前のことなのに、すっかり失念してしまって……」
「いいえ! そんなことは……!」
ユウマは慌てた様子でイノリの言葉を遮った。彼は難しい顔をして唸っていたが、ややあって、付け加えるようにして言葉を続けた。
「任務に支障が出ない範囲で使用するなら、大丈夫だと思います」
「……ほ、本当ですか……?」
「――っ、はい!」
翡翠の瞳には、目を輝かせるイノリの表情が映し出されている。それにつられるかのように、ユウマも表情を綻ばせた。
大人びた青年が浮かべるには、どこか子どもっぽい笑みだ。可愛いなあ、なんて内心思いながら、イノリも口元を緩ませる。
ユウマがイノリの趣味に興味を示してくれたのが嬉しい。故に、語りに熱が入るのは当然のことであった。
「この香水、私が自分で作ったんです。ブレンドも自分で考えたんですよ」
「そうなんですか。知り合いに香水を愛用している人がいますが、キミの香水は自然な感じがしていいですね。その人の香りは、どこか纏わりつくような感じがあって、正直好きじゃないんです」
「ああ、成程……。多分、その人、香水のつけすぎなんですよ。単体では良い香りでも、使いすぎると臭くなりますから。何事も適量が一番です」
「そういえば、ブレンドは自分で考えていると言いましたね。他にはどんな香りがあるんですか?」
「柑橘系以外にも、フローラル系の香りとか、スパイシー系の香りとか、色々ありますよ」
「こんなにあるんですか……! これ、全部キミが? ……凄いな」
「香水作りも、私の趣味であるアロマテラピーの延長なんです」
幸いなことに、ユウマも興味深そうにイノリの話に耳を傾けてくれた。彼はイノリの話を聞きながら、小瓶の香りを嗅いでは納得したように頷く。
香りを嗅ぐたびに微笑むユウマの横顔を見ていると、やはり、心が温かくなってくる。満たされているような心地になるのに、どうしてか胸が締め付けられるような気がした。
(――ずっと、このままお喋りを続けられたらいいのに)
「こら、ユウマ。アンタ、こんなところで油売ってたの? これから任務が始まるってのに――」
イノリが頭の片隅でそんなことを考えたのと、2人の世界が第3者の介入によって壊されたのは、ほぼ同時だった。
振り返れば、ユマがぎょっとした顔をして止まっている。イノリとユウマの姿を見比べては、何かを察したようにため息をついた。
ユマは何も言わないけれど、海色の瞳は「面倒くさい」と叫んでいる。……どうやら、イノリはユマとユウマの邪魔をしてしまったらしい。
「ご、ごめんなさい! 邪魔するつもりはなかったんです! 本当にすいません!」
イノリは慌てて後ろに下がった。勢いそのままに、近くにいたミカゲの腕を引っ掴む。
ミカゲは驚いたように目を瞬かせたが、彼はすぐにユウマの方を向くと、忌々しそうに顔を歪めた。
祖父を出汁に使う形になるが、致し方がない。「おじいちゃんと買い出しに行く用事があるから」と紡いだ声は、酷く上ずっていた。
「待ってください」
駆け出そうとしたイノリを、ユウマは慌てた調子で呼び止める。イノリが足を止めて振り返れば、近い距離で立っているユウマとユマの姿が真正面から飛び込んできた。
“非の打ち所のない2人が揃って並んでいる”事実を目の当たりにする程、胸の奥底がじくじくと痛むのだ。だからと言って、それを2人にぶつけるわけにはいかない。
イノリは努めて笑みを浮かべた。「何ですか?」と尋ねれば、ユウマは驚いたように目を見張った。ややあって、口が真一文字に結ばれ、どこか真剣な面持ちに変わる。
「時間が空いたら、また、こうやって話をしませんか?」
どこか縋るような眼差しだった。以前、祖父から「赤の他人の癖に距離が近い」という苦情を受けたときと似て、不安そうに揺れる翡翠色。
痛みを押し殺そうと必死になっているユウマを、これ以上傷つけたいとは思わなかった。迷うことなくイノリは頷く。
それを見たユウマもまた、ホッとしたように笑みを浮かべた。
「それじゃあ、また今度」
「ええ。また今度」
ユウマが手を振るのを視界の端に捕らえた後、イノリはミカゲの手を引いて駆け出した。振り返ることは絶対にしない。
振り返れば――そこには、当たり前のようにユウマとユマが寄り添うようにして立っているのだろう。
どこからどう見てもお似合いな2人。それを直視することも、ましてや壊そうとすることさえ、イノリにはできなかった。
■■■
『ご、ごめんなさい! 邪魔するつもりはなかったんです! 本当にすいません!』
『おじいちゃんと買い出しに行く用事があるから、私はこれで。失礼しました』
『――何ですか?』
どこか傷ついたように、けれどもその傷をおくびにも出すまいとするイノリの微笑みが、頭から離れない。その痛々しさを鮮明に思い出し、ユウマは思わず目を伏せた。
イノリはどうして、あんな表情を浮かべたのだろう。辛そうな表情を見るのは、胸が痛かった。イノリの笑みが曇った理由が分からない。それが、酷くもどかしかった。
ユウマが気づいていないだけで、何か、イノリの気に障るようなことをしてしまったのだろうか。ユマから「俗世と人間関係に疎い」と太鼓判を押されたことが、こんな形で実を結ぶなんて思わなかった。
(……話をしてくれると約束してくれただけ、マシだったのかもしれない)
話をする機会は設けてもらえるわけだから、多分、嫌われている訳ではないはずだ。イノリの表情が曇る直前まで、彼女の趣味の話で盛り上がっていたのだから。
彼女が表情を曇らせたのはどんなときだったのかを思い出す。出来事を時系列順に並べ――ふと、ユウマは思い至った。イノリの様子が変わったのは、ユマがやってきたときだ。
大方、ユマは「いつまで待ってもポータルルームに来ないユウマに痺れを切らし、探しに来た」のだろう。その姿を見た途端、イノリはどこかよそよそしい態度を取った。
ユウマはちらりとユマに視線を向ける。ユマは飄々とした横顔を崩さぬまま、戦場――アトランティカに想いを馳せている様子だった。古の種族・ルシェとしての遺伝子が、懐かしさを感じ取っているのだろうか。それを予想することはできなかった。
長い期間行動を共にしているけれど、ユマが誰かに嫌がらせをするという話はあまり聞かない。気まぐれな猫のような気質だけれど、気高い女性だ。進んで他者に害を成すような真似はしなかった。そういうことは、彼女を愛した男が蛇蝎の如く嫌う振る舞いだったためである。
答えを導き出すには、ユウマが持ちうる情報はあまりにも少ない。イノリの様子が変わった理由にアタリをつけるのは、まだ早計のようだった。
ユウマが切り替えようとした丁度そのとき、ユマがこちらに視線を向けた。何かを察したのか、それとも思いついた方なのか、彼女の口元はにんまりと弧を描く。
まるで三日月みたいだ。……こういうときのユマは、碌なことを考えていない。
「そういえば、ユウマ。アンタ、イノリと楽しそうに話してたわよね?」
「…………それが、何か?」
「どんな話をしたのか聞かせてもらえない? てか、聞かせなさい。今すぐに」
任務が始まると言うのにこの有様だ。それを指摘すれば、かえって面倒なことになってしまうことは学習済みである。伊達に5年間、彼女の教え子をしている訳ではない。
任務を円滑に進めるためにも、多少の雑談は必要である。……正直、誰かに自慢したいという気持ちより、ユウマ自身の胸の中にしまっておきたかったのだが、致し方なかった。
「主に、香水の話をしました。イノリはアロマテラピーが趣味らしく、その延長で香水を作っていると聞きました」
「それで?」
「それだけですが」
「……はァ?」
ユウマの言葉を聞いたユマは、あからさまに表情を歪めた。軍帽の下に納められた狐耳が、不快そうにぴくんと揺れる。
「アンタ、折角あの子の趣味を聞いたのに、何も言わなかったの?」
「仕方がないでしょう。直後にユマが俺を呼びに来たじゃないですか。……まあ、任務に間に合ったという点では礼を言いますけど」
途端に、ユマは何とも言い難そうな表情を浮かべた。彼女は何やらああでもないこうでもないとブツブツ呟いていたが、やがて、何かを諦めたかのように大きくため息をつく。
海色の瞳は責任の在処を探すかの如く彷徨っていたが、その問題は結局保留になったらしい。ユマはすべてを振り払うが如く、目を閉じてかぶりを振った。
この話はこれでお終い、ということらしい。ようやく真面目に任務を行えそうだ。追及が深くならなかったことに安堵しながら、ユウマは前を見据えた。
眼前に広がるのは、1万2千年前の地球に築かれた海洋帝国アトランティス。ユウマたちがいるのは、アトランティスの首都・アトランティカだ。崩壊寸前の居住区には、何匹化のドラゴンがうろついている。奴らに紛れるような形で、他にも様々なマモノが跋扈していた。
どのマモノやドラゴンも、S級能力者であるユウマやユマにとって大した敵ではない。それに、ユウマの場合はアクツから「単独戦闘によるデータ収集」の命令が出ている。組織内での単独行動はあまり好ましくはないのだが、上層部の命令なのだから仕方がない。
「ユウマ」
「大丈夫ですよ提督。心配は無用ですから」
声をかけてきたヨリトモをやんわりと制して、ユウマは笑った。ヨリトモも、ユマも、それ以上は何も言わない。
「――では、作戦を開始する!」
ヨリトモの声を皮切りに、士官たちは割り振られた役目を全うするために駆け出した。ユウマも、滅びゆく海洋帝国の首都へと飛び込んでいく。
侵入者の気配を察知したのか、マモノたちが次から次へと現れた。それを、ユウマは何の苦もなく屠っていく。どのマモノも一撃で消し飛ばされていった。
赤い花を踏みにじりながら、瓦礫の街並みを超える。真上から降り注ぐ太陽の光は、硝子色に煌めく街を照らし出していた。こんなときでなければ、「アトランティスの文明レベルを調査せよ」という任務が入ったのだろうか。
水の音が聞こえる。見上げれば、上層部から回廊を伝って水が流れていた。回廊に併設された水路は所々無残に破壊されており、そこから流れた水が民家の屋根を伝っていく。
万華鏡を思わせるように輝く樹木の周囲には、フロワロの花がぽつぽつと咲いていた。その原因は、丁度ユウマの眼前に降り立った翼竜であった。
「先日倒したエンシェンタスよりは、楽しめそうな相手ですね」
不敵に笑ったユウマの様子から、己が馬鹿にされていると悟ったのだろう。翼竜は唸り声を上げると、即座に爪を振りかざした。それを、ユウマは己の拳で難なく弾く。
お返しとばかりに、翼竜の腹にカウンターを叩きこんだ。びゃあ、と呻いたドラゴンはユウマから距離を取り、口からブレスを吐き出した。ユウマは苦も無くそれを避ける。
微かに頬を舐めたのは青白い炎。火力からして、ユウマを止める役を担うには低すぎる。翼竜の懐へ飛び込んだユウマは、迷うことなく思い切り一撃を叩きこんだ。
翼竜の体が大きく痙攣する。程なくして、その体躯はぐらりと傾き地面に叩き付けられた。それきり、ドラゴンはぴくりとも動かない。――何とも呆気ない終わりだ。
周辺に咲いていた赤い花が弾けて消えたのを確認し、ユウマは歩き出そうとして――止まる。ユウマの足元に、見慣れぬ白い花が咲いていたためだ。
花の形状はフロワロとよく似ているが、この花にはフロワロ特有の毒素が見当たらない。ユウマはまじまじとその花を観察してみる。
「……現時点では、何もわかりませんね。持ち帰って分析を――」
「――よお、二股クソ野郎」
花を手折ろうとして伸ばした手は、背後から聞こえてきた声によって止められた。
ユウマが振り返った先にいたのは、アトランティスの現地住民ではなかった。むしろ、U.E.77年の東京で相見えた男である。
黒いバンダナを頭に巻き、蜻蛉を連想させるような緑のサングラスをして、オレンジと灰色基調のつなぎを身に纏った銀髪の青年。
「お前は……!」
「どーも、数日ぶりだなァ優男。同僚の彼女は一緒じゃないのか?」
身構えるユウマとは対照的に、青年はにへらと笑った。見ているだけで苛立たしさを助長するような笑い方だった。
脳裏に浮かぶのは、先日自分たちを強襲した理不尽の権化である。言いがかりの内容も、その強さも、理不尽と言う単語が相応しい有様だった。
青年はきょろきょろと周囲を見渡していた。おそらく、彼が探しているのはユマであろう。彼女は彼女で、ユウマとは別行動である。
勿論、これは任務における重要情報だ。見ず知らずの相手に対し、そうホイホイと開示することではない。だからユウマは、この件に関して沈黙を貫くことにした。話題を変えることで、主導権を握ろうと試みる。
「――どうして貴様がここにいる?」
「おお、怖い怖い。大型犬と聞いてはいたけど、どれかっつーと猛犬だな。ドーベルマンかシェパードみたいな?」
「話を逸らさないでください。……返答次第では、容赦しない!」
言うなり、ユウマは大地を蹴って飛び出した。前回の経験則、および青年の様子からして、ユウマが「青年との対話は意味を成さない」と判断したためである。問いに答えようとしないなら、力技で吐かせればいいだけのこと。
青年は何の迷いもなく、己の得物を鞘から引き抜いた。ほんのりと青光する刀身が、ユウマの拳を受け止めた。ばちりと火花が飛び散り、互いの力が拮抗する。かなりの力を込めたユウマとは対照的に、青年は楽しそうに笑っている。
次の瞬間、青年の笑みが不敵なものに変わった。刹那、ユウマは刀の一撃によって弾き飛ばされる。何とか受け身を取って態勢を整えたが、先程の衝撃で一気に体力を削ぎ落されたような感覚に見舞われた。
それがどうした、と、ユウマは己を奮い立たせる。青年はユウマが立ち上がると予想していたのか、驚くことなく刀を構えていた。
余裕ぶった表情が気に食わない。半ば感情に任せるようにして、ユウマは青年に挑みかかる。振り上げた拳は、青年の得物によって受け止められた。
「――軽い」
「!?」
「そんなんじゃ、何も守れやしねーぞ」
ニヤリと笑った青年は、即座に鋭い眼光をこちらに向けてきた。それが攻撃の合図だと気づいたときにはもう遅い。防御を取る間もなく、鋭い連続突きが叩きこまれた。悲鳴を上げることもできぬまま、ユウマは地面に叩き付けられた。
痛みを堪えて起き上がる。戦う意志はまだ折れていない。ユウマは青年を睨みつけた。
腹立たしい笑みを浮かべていた青年は、そんなユウマを見て鼻で笑う。
「最も、女2人を侍らせるような軽薄な野郎になんぞ、負ける気なんてしないが」
「何を分からないことを……!」
「分からないと叫び散らすなら、お前は永遠にこのままだぞー? ……まあ、俺としちゃあ、そんなのが一番困るんだけど」
やれやれと青年はため息をつく。サングラス越しの瞳には、怒りと憤りが強く浮かんでいた。それがかえって腹立たしい。
怒りたいのも憤っているのもユウマである。理不尽な言いがかりをつけられた挙句、理不尽に蹂躙されているのはこちらだ。
相手の隙を探しつつ、ユウマは青年へと反論する。言われっぱなしも、やられっぱなしも、如月ユウマの性に合わない。
「赤の他人に二股クソ野郎と罵られる筋合いはありませんよ。俺には恋人も伴侶もいないし、そういうものは不要だ」
己の存在価値を思い返しながら、ユウマは青年を睨みつけた。
自分の生まれた意味を、ユウマは誰よりも理解している。竜を狩るために生まれた、生きる対竜兵器。来るべき第7真竜――VFDを斃すために、ユウマは生まれ落ちた。
だから、敗北は決して許されない。己が倒れるときは、世界が終わるときだ。人類が竜に敗北するときだ。……そんなこと、認められるはずがない。
“人間がこの銀河で一番優秀な生命体であることを証明する”――アクツの声が、脳裏に浮かぶ。竜がヒトを喰うのではない。ヒトが竜を喰らうのだ。ユウマの身体に施された技術は、そういうものである。
ユウマが喰らったのは、第5真竜フォーマルハウトを主軸にしたドラゴンたちだ。その力は強大であると理解しているが、第7真竜に手が届くかと問われれば「否」である。最強の真竜を屠るには、まだまだ喰い足りない。
それでも、ただの人間相手には、この力は大きすぎる。青年のようなチンピラなど、簡単に倒せるはずなのだ。ユウマは大地を蹴って拳を振るう。青年は涼しい顔のまま、刀を振るった。
拳と刀がぶつかり合い、火花が散る。相手の一撃一撃が重く、剣載だけで体力を削がれる。息が上がるユウマとは対照的に、青年は余裕綽々だった。
負けられない。負けたくない――その一念で振るった拳は、呆気なく回避された。次の瞬間、青年が大地を蹴って飛びあがる。
「勘弁してくれよ。この馬鹿野郎」
呆れたような声が耳を打つ。振り下ろされた刀を防ぐ術など、ユウマには存在しなかった。
強い力が、ユウマの膝を折らせる。刃に肩を切り裂かれ、周囲に鮮血が舞った。
ユウマは、成す術もなく、地面に縫い付けられたのだ。
「ぐ……!」
「調子に乗るなよ」
青年は手慣れた様子で得物を鞘に納める。ユウマは舌打ちしながら彼を見上げた。こちらは満身創痍だというのに、ユウマと対峙している相手は息切れの1つすらしていない。この事実が余計に腹立たしかった。
ユウマが青年と対峙したのは、今回で2度目だ。1度目は数日前、ノーデンスの臨検に向かう道中でのこと。いきなり現れて喧嘩を売ってきたときはただの一般人/タチの悪いチンピラかと思っていたのだが、その油断に足元をすくわれた。
自分たち3人を難なく叩きのめしたのだ。この青年は、只者ではない。
「貴様……!」
「おお、怖いな優男。折角の端正な顔が歪んでるぞ、っと!」
ユウマは無理矢理跳ね起きた。体の底から湧き上がる激情を拳に込める。けれど、青年は何の苦もなくユウマの一撃をいなした。得物は鞘から抜かれていないのに、それはとても重い。
何故。何故、この手は届かない。ユウマは人類最強の戦士として生まれたはずなのに。どうして今、目の前で不敵に笑う“こいつ”を倒すことができないのだろう。
負けたくない。負けられない。負けるわけにはいかない。だというのに、溢れだした感情に、満身創痍の体はついていかなかった。
青年を見上げるだけで、ユウマの体は軋むように痛む。
彼は呆れたような、馬鹿にしてるような苦笑を浮かべる。それだけで、ユウマは酷く腹立たしい気分になった。殴れるならば殴ってやりたい。
青年の口元に薄く浮かんでいた笑みが、ほんの一瞬、酷く真面目なものになった。纏う空気が一変したように思う。ユウマは思わず息を飲んだ。
「……あ、そうだ」
「……? 何、をッ!?」
いきなり胸倉を捉まれる。何の予備動作もなく乱暴に扱われ、ユウマは一瞬息が詰まった。青年は何かを探すようにユウマの胸倉を掴みながら物色していたが、ややあって、お目当てのものを見つけたらしい。
サングラスの向こう側の瞳がゆるやかに細められた。間髪入れず、首元から何かを引っ張り上げられる。ちゃり、と、金属同士がこすれ合う音が響いた。アトランティス全土を包むように瞬く星晶石の輝きを浴びて、銀の金属が煌めく。
「キサラギユウマ、如月優真……漢字ではこう表記するのか」
「っ……!?」
「真に優しいと書いて、優真――ユウマ、か。……うん。
一瞬、何を言われたのか分からなかった。呆けるユウマとは対照的に、青年は優しい眼差しを向けてきた。
例えるならそれは、ユウマを見つめるヨリトモのような/ユウマを見つめるナグモのような、温かいもので満ちた眼差し。
この男と同じようにして、ユウマの名前を褒めた人間は2人いる。ノーデンス13班の渡来イノリと、旧ムラクモ13班の渡来ミカゲだ。
サングラス越しに揺らめく瞳は、あのときユウマの名前を褒めた2人と同じである。ユウマを追いつめていた姿からは想像もできない。呆気にとられたユウマを尻目に、青年はぱっと手を離した。
地面に叩き付けられる寸前に、どうにか態勢を整える。
警戒を解かず青年を睨みつければ、奴は楽しそうに笑った。
「そんなお前さんに、いいことを教えてあげよう」
まるで、秘密の話をするかのごとく、密やかな笑みを浮かべて。
「“人生は誤算だらけ”だ。順風満帆な人生なんて存在しない。いつだって、どんなときだって、いい意味でも悪い意味でも、誤算は付き物だ」
己の実体験を諳んじるかのように、朗々と。
「お前にもきっと、想定外な誤算が起きるだろう。誰かさんと同じ、“幸福な誤算”がな」
ユウマも同じ轍を踏むのだと信じて疑わぬかの如く、青年は確証を持って言ってのけた。ユウマがそれを問い詰めようと体を起こしたとき、どこからともなく強い風が吹き抜ける。慌てて手を覆えば、すぐに突風は止んだ。
周囲を確認するが、そこにはもう青年の姿はない。先程ユウマが摘もうとした白い花の姿もなければ、この場一帯に咲いていたフロワロの花も綺麗さっぱりなくなっていた。マモノやドラゴンの殺気もなくなっている。
なくなったのはマモノの気配だけではない。ユウマが負った傷やダメージも、綺麗さっぱりなくなっている。先程の戦いは夢だったのではないかと疑いたくなるくらい、静かな街並みが広がっていた。
ただ、ユウマの足元に、一輪の花が落ちていた。拾い上げてまじまじと確認すれば、いつか少女から手渡された花と同じものである。
ユウマが手に持つエーデルワイスの花だけが、青年との邂逅が夢ではないのだと示していた。
***
「はァ? ISDFや13班以外の誰かに、ポータルを貸し出した覚えはないわよ?」
「そだね。キミたちが来る前も、来た後も、ポータルルームには誰も入ってないし入れてもいないよ?」
ノーデンスのトップとナンバー2は、怪訝そうな表情を浮かべて顔を見合わせている。実際、見せてもらったログにも、13班やISDF以外の他者が使った記憶は残されていなかった。
何度確認しても結果は変わらない。ユウマは追及を諦めざるを得なかった。ないものはどこを探しても見つからないのだ。仕方がないだろう。
(今日のこれは、悪い夢だったと思うしかない)
痛む頭と疲労を抱えて、ユウマはため息をついた。
今、猛烈にイノリに会いたい。会って話がしたい。理由は分からないけれど、今は無性に、彼女の笑顔が見たかった。
……けれど。結局この日はイノリに会えずじまいのまま、1日は終わってしまったのであった。
今回は、改定前に無かったエピソードが追加されました。孫について思うことのあるブンイチ、勘違いにより改定前よりも混迷しかけているイノリとユウマの青春、勘違いのあおりを喰らい始めたユマ、勘違いによってユウマへの風当たりが強い蜻蛉眼鏡となっています。
後者2人に至っては、まったくの濡れ衣(前者は着せられる方、後者は着せた方)なんですけどね。この調子で行くと、ユマはギャグ方面でのSANチェックに巻き込まれることでしょう。持ち前の精神力で乗り越えてほしいものです。