百花繚乱クロニクルセブン-僕らのセカイとキミのミライ- 作:白鷺 葵
「あの子を恨んでくれるな」
息も絶え絶えに、白衣を着た紳士は紡ぐ。
「どうか、あの子を救ってやってほしい」
それを聞いた
だって、あり得ないではないか。紳士の言葉は、己を殺した人間を庇おうとしているようなものだ。知人でもなければ親しくもない
もし、彼が
紳士は見たのだ。犯人の顔の中に、彼が愛した人の面影を。青年にも覚えがあった。美しい青。記憶の中で、海の底を連想させるような宝玉が静かに細められた。
紳士は申し訳なさそうに苦笑した。
口が動く。
「シラユキ」
紡がれたのは、彼が愛した妻の名前。
「かえれなくて、すまない」
それが、紳士が残したの最期の言葉だった。
***
友と別れて、1人歩く。
一抹の寂しさには気づかないふりをした。
人が賑わう繁華街を抜けて、人々でごった返す居住区から離れていく。頼りない街灯の光が瞬いていた。入り組んだ路地を抜ければ、郊外――しかも、マモノが跋扈する危険区域に一番近い居住区へと入りこんだ。
危険区域に近いということで、この地域に住まう人間は多くない。居住者はみな戦闘技能持ちである。青年も――後方支援担当ではあるが――また、戦うことを生業とした人間だ。戦えないわけではない。
ピリピリした空気をかき分けながら歩き続ければ、程なくして平屋の一軒家が見えてきた。灯りは一切ついていない。青年はそこで足を止め、門の前に立った。懐から鍵を取り出して扉を開く。
「勝手知ったる自分の家、だ。久々な気がするがね」
そんなことを呟きながら、自室へ足を踏み入れた。青年が不在の間、少年がこの家を管理してくれたらしい。小奇麗になった自室を見る限り、掃除や整理もしてくれたようだ。
青年は部屋の様子を確認した後、机の鍵穴に鍵を差し込んだ。鍵は簡単に回り、開く。そこから取り出したのは、何重のロックをかけたパソコンと、鍵がついた小箱であった。
キーボードとウィンドウを具現化し、青年は慣れた手つきでロックを外していく。すべて解除し終えた途端、爆ぜるような音と共に、小箱についていた鍵が消えてしまった。ハッカーにしか解除できないようにしていたためである。
青年は箱を開けた。出てきたのは情報記録媒体と、青年宛の手紙である。青年はパソコンを起動させた。記録媒体をパソコンに差し込み、データを閲覧する。真っ先に出てきたのは、青年を中心にして映し出された1枚の写真。青年が恩師たちと撮ってもらったものだ。
懐かしさと寂しさに目を伏せる。恩師たちもまた、もうここにはいない。7人のうち、5人は天寿を全うし、残り2人は陰謀の餌食になった。そのうち1人は、青年の目の前で息絶えたのだ。研究員の紳士が残した言葉が脳裏をよぎる。
(『……あの子を救ってやってくれ』、か)
それは、もう1人の恩師が残した遺言と同じであった。救うべき対象者は全く違う人間を指してはいるけれど、人物たちの根底に渦巻く環境は同じだ。
データははっきりと示している。自分の恩師の1人である、銀髪の青年が死ぬに至ったその理由を。
画面に少年の顔写真が写る。データ源は、竜因子戦術研究部門と呼ばれる魑魅魍魎の魔窟部署だ。
恩師が亡くなる直前に送られたデータには、己の死を悟ったような文面も残されていた。流石に、どのような方法で葬られるかは分からなかったようだが。
彼を手にかけた実行犯も、実行犯に命じた相手も、青年は全部掴んでいる。卑劣な策を巡らせて、奴は次々と邪魔者を排除してきた。
奴が手をかけたのは恩師たちだけではない。友人たちも、自分と志を同じくする仲間たちも――みんな、奴によって亡き者にされたのだ。
机の上に置かれた写真立てに目を向ける。遠い昔に撮った集合写真だ。ネイビーブルーを基調にした軍服に身を包んだ者、白衣を纏う者、おろしたてのスーツを着た者老若男女が笑いあっていた。
ある者は研究者、ある者は軍人、ある者は政治家。立つ戦場は違えど、確かに自分と彼/彼女らは仲間同士であった。――その仲間はもう、いない。緑の髪の少年を除いて、写真の中で微笑むのみだ。
「この頃は良かったな。僕がいて、みんながいて……」
瞼を閉じれば、仲間たちと駆け抜けた日々が浮かぶ。ある者は復興の最前線で、ある者は後方で、世界を復興させようと尽力した懐かしい日々。
――もう二度と、帰れない場所。
――帰ることの叶わない場所。
「……あの頃の僕が今を見たら、どんな気持ちになるんだろう」
鉢植えに視線を向ける。見事に咲いた花の鉢植えが包装されていた。送り先は勿論、主犯格と実行犯だ。
花言葉に興味が薄い彼らに、このメッセージは伝わる可能性は低い。だが、大っぴらに伝えられないからこそできる主張だ。
声高に叫べば、主犯格の命を受けた刺客たちの手によって息の根を止められてしまうだろう。それは避けるべき事態である。
彼らを踏みにじって咲く命に、彼らを踏みにじった命に、問う。
死が土に還ることだと言うならば、生者は常に死者の上に立っているようなものだ。
そのことを、人は身近で感じることはできない。自分の視界に事実が飛び込んでくるまでは。
(ISDFが復活させたルシェクローンも、ISDFが開発した生きる対竜兵器も、奴の
持ちうるすべての権限、および能力を使って、自分は奴の懐へ潜り込む。
己の罪を知ることなく生きる兵器たちに、知ってもらわなくては。
知ってもらったうえで、彼/彼女が“これからどうするのか”を見極めなくては。
――そうして、願わくば。
彼らが
祈るような気持ちで窓に視線を向ける。丁度そのタイミングを待っていたかのように、モクレンの花が地面に落ちた。
通行人――気のせいか、自分が嫌っている相手と雰囲気がよく似ていた――は足元を気にせず、花を踏みつけた。
■■■
硫黄島ベースのマモノ騒ぎを片付け、命からがら帰投したのが数時間前の話だ。あのタコもどきはユマとユウマによって見事に三枚おろしにされたが、硫黄島ベースも対マモノ海兵戦術部隊も、文字通りのズタボロである。
負傷者の輸送でキャットボックスは満員御礼。破壊された施設からヘリを借りることは無理だろうと諦めていた自分たちに足を貸してくれたのはユウマであった。丁度、ユウマもヒュウガへ向かう予定だったらしい。
もっと簡単に言えば、如月ユウマはヒュウガのクルーとして配属されることが決まっていたのだ。彼をヒュウガへ送り届けるヘリに相乗りさせてもらい、シズクとユマはヒュウガへ帰投することができたのである。
「生きて帰れたのだから、上々だな。何ごとも『命あっての物種』というわけだし」
そう呟いたシズクの端末には、旧友の電話番号が表示されている。迷うことなく画面をタップすれば、軽やかなコール音が響いた。
「もしもし、シュウくん?」
『おお、にーちゃん! 息災だったか?』
電話に出たのは、古くから付き合いのある親友――シュウだ。シズクはシュウが赤ん坊の頃から付き合いがあり、彼の面倒を見たり、彼の所属する団体の手伝いをしたり、彼と共にマモノを倒し回ったりしたこともある。
「何とかな。ISDFのブラックっぷりに振り回されながらも、五体満足で帰投したよ」
『あー……。にーちゃんも、相変わらず大変なんだな……』
「……にーちゃん
『ん? ああ。フミにーちゃん、今でも親父さんと一緒になって“あの一件”を追っかけてるらしい』
シュウから齎された親友の話に、シズクは思わず目を見開いた。まさかこんなときに、親友の現状を知ることになるとは思わなかったためである。
しかも、連絡を取り合っている相手までも同じだとは思わなかった。沈黙を保ち、内心苦笑していたシズクの様子に違和感を抱いたようで、シュウは怪訝そうに問いかけてきた。
『……あれ? にーちゃん、フミにーちゃんと連絡取ってないのか?』
「あ、いや、な。最近は疎遠気味で」
『疎遠!? にーちゃん、フミにーちゃんと喧嘩でもしたのかよ?』
「そういう訳じゃない。僕と彼は、お互いに“やること”があるからな。別々の道を進んでいる最中だ」
『……そうかい。なら、俺はもう何も言わんよ。お前さんらが選び取ったことなら尚更な』
シズクの発言から、裏に込められた意味を察してくれたようだ。シュウはふっと笑い、追及をやめてくれた。
彼は75年前に渋谷を取り仕切っていたグループの系譜を引いているため、義理人情に厚い。そして、その名の通り聡明な人である。
シュウの人柄に感謝しつつ、シズクは本題に入ることにした。シュウもそれを察してくれたようで、受話器越しからくつりと笑う。
『それで、要件は“いつもの”ことか?』
「ああ。“いつもの”鉢植えを、“いつもの”面々に贈ってくれ」
『合点、任せておけ!』
普段はここで会話を終えてしまうのだが、シズクは慌ててシュウを引き留めた。
「……ああ、それとだ。こちらが指定した鉢植えを、今から言う住所に贈ってもらいたいんだが、大丈夫かな?」
『おうよ! 俺とにーちゃんは
急な申し出にもかかわらず、彼は朗らかに対応してくれた。それを聞いたシズクはほっと息を吐く。後は軽い雑談に耽り、シズクは電話を切った。
“
シズクは自嘲する。これではまるで、先人が築いてきた信頼関係を利用しているようだ。自分もまた、
聡明なシュウのことだ。おそらく、シズクが何をしようとしているのか察しているのだと思う。
分かっているうえで、彼は黙って協力してくれる。先人たちが築いた信頼と、彼が受け継いだ仁義の名の元に。
それに応えるのが筋であろう。シズクは少し考えを巡らせた後、思い至った番号をタップする。それは、恩師が目をかけていた医学者の電話番号だ。
(……この人に連絡をするのも、久しぶりだ)
最近、シュウの周りでは“とある病”が流行っているらしい。その医学者は、件の病を緩和させる薬を扱っていたはずだ。現在は町医者をしているが、腕も人柄も信頼できる人物だ。悪いようにはしないだろう。
シズクの予想通り、件の町医者は渋谷への往診を引き受けてくれた。丁度そのとき、受話器の向こう側から誰かの咳が聞こえる。まだ幼い少女のものだ。シズクは思わず眉をひそめたが、それに関する話はないまま電話は終わった。
(さっき聞こえた少女の咳……
「シズク一尉。貴方、こんなところで油を売っていたのね!?」
シズクの思考は、背後から響いたユマの高い声に遮られた。彼女はふくれっ面で、腰に手を当ててこちらを睨んでくる。シズクは内心苦笑しながら、お手上げのポーズを取った。
「ちょっとした野暮用があってね。他人に聞かれたくないことだったから、単独行動をしていたんだ。許してくれ」
「野暮用?」
「もう済んださ。では、ヨリトモ提督の元へ向かおうか」
ユマから何かを言われるより先に、シズクは先陣切って歩き出した。目的地はヒュウガの艦橋――ヨリトモ提督が待ち受けている場所である。
何故自分たちが出頭を命じられたのか――その答えは簡単だ。ユマとシズクが所属している対マモノ海兵戦術部隊は半壊滅状態のためだった。
部隊が存続するか、解散するか。その後の身の振り方にも関わるのだろう。シズクは内心苦笑しながら足を進める。あっという間に、艦橋へ到着した。
ヨリトモの許可を得たうえで、部屋に入る。歴戦を戦い抜いてきたヨリトモの風貌は、樹齢数千年の大木を連想させた。少々の雨風では揺らぐことのない佇まいに圧倒される。彼の瞳には、深い優しさが滲んでいた。
……
はてさて、何を言われることになるのやら。シズクは内心身構えていたが、ヨリトモの口から告げられたのは意外な内容であった。
「自分が、教育係でありますか?」
名指しされたユマが目を丸くする。ヨリトモは厳かな表情を崩さぬまま頷いた。彼がユマを教育係に任命したのは、ひとえに
伊倉ユマは、富士にあるISDFの研究所で生まれたルシェクローンである。ムラクモ機関が保管していた“人造S級計画”の一部をサルベージした結晶が、
教育される側である如月ユウマは、
種族の違いはあれども、ユマとユウマは似通っている。そうして、ある意味では、ユマはユウマの先輩に当たるわけだ。彼の実力は硫黄島ベースで否応にも示されたが、人柄はユマの黒歴史と同列の気配を察知した。
それらを総合すると、ヨリトモが何を言わんとしているのかがよく分かる。彼は、如月ユウマを兵器ではなく人間と認識し、接しようとしているのだ。
「現状には色々と思うところがある。……すまんが、頼むぞ。上手くユウマの面倒を見てやってくれ」
「はっ、お任せを」
「ありがたい。
ヨリトモの言葉に、一瞬、シズクは目を瞬かせた。恐らくは、シズクの隣にいたユマも。
海色の瞳は驚愕に揺れている。字幕を付けるとしたら――「そんな、嘘でしょう!?」だろうか?
「提督。
「雪待一尉、貴官は伊倉一尉の教育係を務め、伊倉一尉をここまで育て上げた。その手腕と人柄を信頼しての頼みだ。何かあり次第、伊倉一尉とユウマをサポートしてやってくれないか?」
シズクの問いに、ヨリトモは厳かな顔つきのまま返してきた。戦場では鋭く研ぎ澄まされている眼差しも、今はどこか温和に見える。
彼の眼差しから連想したのは、今は亡き恩師たちだ。特に、シズクが一番憧れた“影の司令塔”のものとよく似ていた。
亡き恩師から「信じている」と言われたような気がして、シズクは心の中で身震いした。恐れではなく、歓喜の意味で。
「――恐悦至極」
その言葉が口をついた。噛みしめるような響きには、押し殺せなかった感情――歓喜が滲み出てしまった弊害だろう。もし表情筋が仕事をしていたら、きっとシズクは酷い顔をしていたに違いない。涙を堪えることができたのは僥倖だろう。
顔は仏頂面なのに声が感極まっているという現象を目の当たりにしても尚、ヨリトモは揺らがない。ただ、シズクの反応がオーバーだったようで、彼はほんの一瞬目を丸くした。しかし、彼はすぐに真顔に戻った。
隣にいるユマの視線が突き刺さってくる。彼女の視線に字幕を付けるとするならば、「貴方がそんな声を出すのなんて珍しい」だろうか。シズクが視線を向ければ、彼女はそそくさと視線を逸らした。
「1つだけ。我々が選ばれた理由は、私たちが
話題を変えるかのように、ユマはヨリトモに問いかけた。
時を超えて復活したルシェ族はごく少数だ。ルシェクローンたちが子を成して人口は増加傾向にあるものの、それでも人間の人口に比べれば明らかにマイノリティである。同族の多くは世界救済会の保護を受けて生活していた。
一時期、「ルシェ脅威論」をぶち上げた政治家どものせいで、苦労を強いられた者たちもいる。シズクの場合は恩師や周囲の人々による理解があったから平穏に生きてこれたが、ユマのような扱いを受けたルシェ族だっていただろうことは明らかだ。
ルシェ族が
「……まったく同じ存在ではないか、と軽く口に出せば汚い取り繕いだな。とても言えたものでもないだろう。……すまない。だが、
ヨリトモの言葉には、深い誠意がある。相手のことを慮り、相手の痛みを理解し、真正面から向き合う。
そういうことができる人間は、心根が優しい性質なのだ。厳しさの奥からは、彼の生来の気質が滲み出している。
故に、人はヨリトモに惹かれるのだ。彼の人柄が詰み上げた人望が、提督という地位に直結している。
『アイツは優しすぎるんだよな。絶対リーダーに向いてないタイプだ』
『でも、だからこそ、俺はアイツにリーダーになってもらいたいと思う。他者の痛みや命の重みを理解した上で、取捨選択できるようになれば、良識的な指揮官になれるだろう』
『もしアイツが指揮官になったならば……おそらく、アイツが“ISDFの良心”――その“最後の砦”になると思うんだ』
恩師の予感は間違っていなかった。彼を見出した恩師の先見の明に感服しつつ、シズクは二つ返事を返した。
ユマも追随するように二つ返事を返す。しかし、彼女は何か思うところがあったらしい。ヨリトモを真正面から見返しつつ、訝し気に問う。
「しかし……何と言いますか、変な感じがします。そうですね、提督の仰りようはなんだか奇妙です」
「何?」
「まるで、保護者からお子さんをお預かりする保育士の気分です」
「ぶっふ」
ユマが
態度を取り繕うのはヨリトモも同じようで、ユマの問いに対し「子どもは居ないが、散々苦労したから態度が所帯じみてしまった」と返した。……室内の体感温度が急速に下がったように感じたのは気のせいだろうか。だと思いたい。……思いたかった。
どこからか、怒り心頭な紳士の声が聞こえてきた。その中に、彼の暴挙を止めようとする声も混じっていたように感じる。藁人形にでかでかと頼友東吾の名前が書かれているのを幻視してしまい、シズクは祟りの気配を察知した。
今は、何も知らずにいられるユマが羨ましい限りだ。同時に、何も知らないヨリトモに注意信号を送りたい気持ちに駆られる。
話が纏まったら、ヨリトモに紳士の墓参りを進言しよう――そんな決意を固めた頃には、ユマとヨリトモの会話は終わっていた。
ユウマを立派な海男にしてみせると意気込むユマは、綺麗な敬礼をして部屋を出ようと踏み出した。海色の瞳はシズクに「退出しないのか」と問うていた。シズクは「先に行け」と合図を送る。そうして、ヨリトモの方を向き直った。
「提督。少しばかりよろしいでしょうか? 相談したいことがあるのですが」
シズクの様子から、長話になりそうな気配を察知したらしい。ユマは改めて敬礼し、部屋から退出する。それを視線で見送った。
いきなりの申し出に、ヨリトモは目を丸くした。提督と一士官がサシで話をするというのは珍しいためだ。
幾何か悩むような様子を見せたヨリトモであったが、快く頷いてくれた。
ヨリトモに促され、椅子に腰かける。相談事と言ったが、その実は、愚痴のようなものだった。素直に愚痴だと言ったら部屋から叩きだされていたであろう。
……正直な話。ヨリトモもまた
「正直、自分はもうお役御免なのかと思いました。教え子が誰かを指導する側に回るのですから、もう指導役は必要ないのかと」
「心中察して余りある。教え子が巣立つのは寂しいものだからな」
「ですが、自分が朽ち果てて土に還るまでには時間がありますからね。それまでに、伊倉一尉がどのような“花”を咲かせるのかを見届けられれば僥倖だと思っています」
シズクの例えに既視感を抱いたのか、ヨリトモは目を瞬かせる。
「花に、土?」
「はい。自分の恩師がよく言っていたんです。『俺たちは、死者という土の上で花を咲かせているようなものだ』と」
恩師の姿を瞼の裏に思い描きながら、シズクは言葉を続けた。
「人の命は、他者の命によって成り立っている。過激且つ極端なことを言えば、人という生き物は
「…………」
「ですが、
シズクはきっぱりと断言した。
「いつか――いつの日か、
シズクの脳裏に浮かんだのは、シズクを助けるために命を懸けた人々の背中だ。シズクを含んだ無辜の人々のために、命を張った人々の背中だ。シズクの目の前で、いなくなった人々の背中だ。
寡黙な守衛としりとりをしていた守衛、恩師たちを慕っていた病弱な子ども、病弱な子どもを大切にしていた母親。恩師と握手していた自由の国の戦士も、「自分には守護天使がついている」と笑っていた自衛官も、みんないなくなった。
救えなかった命を、覚えている。消されてしまった命の灯火を、覚えている。忘れることなんてできやしない。忘れていいことだとは思わない。すべてから目を逸らして生きるには、雪待シズクは強すぎた。
「そのとき、あの子たちは――特に、如月准尉は、己の存在意義について悩むことになるでしょう。そのとき、彼は大きな選択を強いられる」
「選択?」
「“完全な兵器”になるか、あるいは“不完全な人間”になるか、です」
シズクの言葉に思うところがあったのか、ヨリトモの表情が曇る。彼の直属上司であるアクツの態度を思い出しているのであろう。
実際、アクツはユマのことを「ルシェクローンの出来損ない」、あるいは「失敗作」と呼んでいる。
ユウマの有用性を示すための実験として、硫黄島ベースの一件を利用したことも、シズクはすでに掴んでいた。
「如月准尉は兵器としても、人間としてもまだ未完の命だ。周囲の人々は、如月准尉に“完全な兵器”であることを望むでしょう。彼のあの態度は、“自分が完全な兵器である”という
「……雪待一尉、貴官の推察は恐ろしいな。まるで、総司令のお考えを隅々まで把握しているかのようだ」
「いいえ。アクツ総司令のお考えなど、ただの一士官である自分になど推し量れるものではありません。……推し量れたところで、一個人としての自分は、たとえ死ぬことになっても彼の考えに同意できるとは思いませんがね」
アクツの考えに理解がないわけではない。ただ、人間としての常識や道徳が、生み出された命の行く末を憂いてならないのだ。人類全体のために、1つの命を絶望に落とすなんて。
命を生み出す者の責務を背負ってルシェクローンを作り出した紳士の背中が浮かんでは消えていく。本来、命を取り扱うべき人間は、彼のようにあるべきだった。
世界は不平等である。良い人間が次から次にこの世を去り、命を命と思わない奴らがこの世界を動かしている――その事実が実に腹立たしい。シズクは深くため息をついた。
「その様子だと、貴官はユウマに“不完全な人間”を選択してほしいと願っている訳だな?」
「ご推察の通りです。そうして、自分の教え子である伊倉一尉は、自分が願った通りの道を――“不完全な人間”として生きる選択をしてくれた」
白い髪と獣耳のルシェの乙女の姿を思い浮かべる。表情筋が仕事をしていたら、愛おしすぎて、思わずにやけてしまったかもしれない。
真面目なときに真面目でいられるという意味では、望まないポーカーフェイスというのは便利である。閑話休題。
「兵器であることを辞めたせいで、彼女に肩身の狭い思いをさせてしまったのは事実です。予想して然るべき事態だったのですが、自分のような矮小な存在では、彼女の防波堤として実力不足だった感が否めません。伊倉一尉のひねくれぶりは、その腹いせもあったのでしょう」
「そんなことはない。伊倉一尉は、貴官のことを深く信頼しているようだぞ」
「貴官の示した選択肢を選んだことがその証拠だ」と付け加えて、ヨリトモは静かな眼差しを向けてきた。こちらを労うような視線に、シズクは内心ひっそり苦笑した。
直属上司の言葉を無碍にするわけにはいかないので、素直に感謝の言葉を述べる。信頼してくれているのなら、もう少し甘えてくれても良さそうなものだ。
「昔はもっと甘えてくれたのですが……反抗期でしょうか」
ついついシズクは愚痴を零す。シズクの言葉を聞いた刹那、ヨリトモの眉がぴくりと動いた。心なしか、彼の吐いた呼吸が重々しく感じる。
反抗期という単語に、ヨリトモの何かがひっかかったようだ。――その何かを、シズクは知っている。だから、沈黙を保つことにした。
暫く難しい顔をしていたヨリトモだったが、彼は時計を確認してため息をつく。彼の様子からして、この後上層部連中とやりあわなくてはならないらしい。
ならば、相手の迷惑にならぬよう、こちらも立ち去らなくては。シズクは敬礼して部屋を出ようとして、ふと足を止めて振り返った。
「提督」
「どうした?」
「自分は、霊感はそれなりにある方なんですよ」
シズクが前提として告げた言葉は、ヨリトモからしてみれば、さぞや奇妙な台詞に思えたことだろう。
だが、これは重要なことだ。背後でヨリトモの名前が書かれた藁人形を振り回す紳士の幻を思考の端へ追いやりながら、シズクは進言した。
「――
――後日。
雪待シズクは、目の下に大きなクマを作ったヨリトモが、関係者の墓前で土下座していた姿を目撃することになる。
その際、ヨリトモは「毒ハメもエグゾーストサクリファイスも勘弁してください」と謝り続けていたのだが、本人の名誉のため、その件の詳細については割愛させていただく。
***
『ユウマは結局なんなんです? 私の同類だと思っていましたけど、やっぱり違いますね。完全にダメダメ』
『珈琲もわからず、洒落も分からず、挙句、規律馬鹿! 実はダメ人間要素を凝縮した試験体だったりします?』
伊倉ユマが正式に如月ユウマの教育係に配属されてから、わずか数分。彼女の黒歴史語録が堂々更新された瞬間であった。
勿論、雪待シズクという男は、この発言を黙って見過ごせるような
……正直な話、シズクのお灸よりもヨリトモに諭された方がすんなり話を聞くあたり、先程ヨリトモが言った「ユマに信頼されている」という発言はリップサービスのように思えてならない。“不完全な人間”を貫き通すには、まだまだのようだ。
(何も知らないことは幸福なのか、不幸なのか)
争奪戦でどうにか確保したカレーを抱え、シズクは相棒たちの姿を探す。ユマとユウマの姿はすぐに見つかった。2人は既にカレーを食べており、仲良く談笑している。
現在、ヒュウガの飛行甲板では、大規模な祭りが行われている真っ最中だ。如月ユウマの歓迎会という大義名分はあるが、あくまでも上っ面の役割しかない。要は楽しくレクリエーションがしたいだけなのだ。人はみな、楽しいことが大好きなのだから。
待ってましたと言わんばかりに、食料は大盤振る舞いである。ハワード一尉の班を阿鼻叫喚地獄に貶めて手に入れたパイン缶や、中々食卓に並ばない和牛肉等、豪勢としか言いようがない。こんなに騒いだのはいつぶりだろうか。
(懐かしいな。みんながいた頃を……昔を思い出す)
シズクはゆるりと目を細める。気のせいか、胸の奥底から込み上げてくるものを感じて、
もう二度と、雪待シズクが帰れない場所。もう二度と、雪待シズクが言葉を交わすことが叶わない相手。楽しかった思い出故に、今は酷く苦しい。
夢を抱いた仲間たちの背中が浮かんでは消える。シズクの“嘗ての仲間たち”の多くが、1人の男が掲げた“
(理念は形骸化し、先人たちの想いと祈りの結晶は悪意に飲まれる、か。やるせないな)
正直な話、国家を超えて世界の治安維持のために組織されたISDFだが、このウン十年の間に腐敗の温床と化していた。
イカれた官僚たちが軍のTOPに陣取り、イカれた研究者が非合法待ったなしの研究を行い、イカれた軍人たちがそれに加担している。
ISDFはいつから魑魅魍魎が跋扈するようになったのだろう。
――そうして、シズクの目の前で語らうユマとユウマもまた、ISDFが抱える
「貴方、こんなところで考えごと? 往来の邪魔になるから、さっさと退避した方がいいのではなくて?」
顔を上げれば、いつの間にか、ユマが立っていた。
シズクは一瞬凍り付き――けれどすぐに取り繕う。
「――ああ、そうだな。すまない、キミに見とれていた。僕のパートナーはこんなにも素晴らしいのだと自慢して回りたいと思っていたんだ」
嘘は言ってない。純度100%の真実でもないのだが。
シズクの言葉を聞いたユマは、渋い表情を浮かべた。
「……呆れたわ。貴方って、私と絡むと息をするように睦言が吐けるのね」
「正直、僕自身が一番それに驚いている」
「どうだか。それに、そんな仏頂面で私のようないい女を落とそうなんて1000年早いわ。表情筋は今日もストライキを起こしてるの?」
「ストライキとは失礼な。これでも僕は今、相当浮かれているんだぞ」
「ごめんちょっと想像つかない」
ユマが額に手を当てた。真顔で睦言を囁く男なんて、と、彼女は囁くような声色で呟く。耳が動いていないと感情の判別ができないとぼやいたユマは、シズクの方へ向き直った。
「情と勢いに任せて貴方と私のズレを1から10まで叫び散らしたい衝動に駆られるけれど、それは決してスマートな案ではないわ」
「違いない」
軽いじゃれ合いを済ませて、シズクはユウマの座るテーブルに足を向けた。椅子に座るユウマは難しそうに顔をしかめている。
そんな彼を見てため息をつくユマは、教育係という肩書が板についているようだ。任命早々色々あったのだから、当然と言えば当然だろう。
……「焼きそばを作れないS級能力者はポンコツ」等と暴言を零すあたりは、まだまだ未熟であると言えるが。
そんなことを言うならば、戦場における雪待シズクは粗大ごみだろう。あるいは、処分に困る廃墟物件か。情報演算能力以外は並なのだ。ユマやユウマと
「どうしたんだ如月准尉。そんなに難しい顔をして」
「雪待一尉。聞いてください、ユマの言っていることが理解できないんです! こんなの支離滅裂だ!!」
「ちょっと待ちなさいユウマ。シズク一尉は私の教育係なだけであって、アンタの味方じゃないんだからね!」
ユマとユウマはぎゃあぎゃあ叫び散らしながら、ああでもないこうでもないと議論を始める。シズクはそれを、微笑まし気に傍観することにした。
これから共に戦うことになるのだから、1回くらい思いっきり喧嘩した方がいいのだ。仲間との語らいは、良くも悪くもかけがえのない時間になる。
ベキ論と悍ましいまでの効率主義を掲げるユウマに対し、ユマは覚えたての血潮と人間論を語って対峙する。前者も後者も、その理論を掲げるには歪な出自を背負う者たちだ。どちらも道半ば、未だに完成されていない。
未完の命は、完全とは程遠い。
不完全の括りにすら入れない。
ISDFという箱庭の中で、芽吹きのときを待つ種。
(伊倉ユマに如月ユウマ……ニセンの系譜を喰らって生まれ落ちたその命、どれ程のものか)
選択のときは、近い。
ひしひしとそれを感じながら、シズクはカレーへと匙を伸ばした。
【参考および参照】
『セブンスドラゴンⅢ UE.72 未完のユウマ』(カルロ・ゼン著)
『劇場版 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』より、EDテーマソング『蒼穹』(歌:angela 作詞:atsuko 作曲:atsuko・KATSU)
『bokemaru.up.seesaa.net(http://bokemaru.up.seesaa.net/image/NNBBB2B9CD.txt)』より、『ストレイシープ(迷える子羊)』
―――
犠牲があったからこそ成り立つ今があって、その犠牲がなければ存在できない命もある。
自分が生まれ落ちたときに支払われた犠牲に、自分は釣り合う/見合うような存在だろうか。
――『花咲く世界とクロニクルセブン -じじいと孫のCode:VFD-』における『Chapter-X.断ち切られた想い、紡がれた未来』あとがきより
現在、未完のユウマ第2章相当。改定前の2話目で構築されていたフラグの一部がこちらに移行しました。
改定前の作品に登場していた新旧13班員や、2020-Ⅱに登場したモブの一部もちらほらしています。
ユウマの階級についてはねつ造ですのでご注意ください。