百花繚乱クロニクルセブン-僕らのセカイとキミのミライ- 作:白鷺 葵
アイの呪縛
「なあ、トウゴ。どうしてムラクモ13班は、竜戦役を戦い抜けたと思う?」
その問いに、ヨリトモは目を瞬かせた。
嘗てのムラクモ13班員にして、誰もが知っている英雄本人――渡来ミカゲの質問。その意図が理解できず、ヨリトモは首を傾げる。
紫水晶の双瞼はどこまでも静かに、けれども強い意志を持って、何かを欲している。おそらく、彼が欲しているのはヨリトモの答えだ。
「……“ムラクモ13班がS級能力者で、且つ、戦いを最後まで生き残った”じゃ、ないんですか?」
特別な力があったから、彼らは人類の希望になり得たのではないのか。そして、どうにか生き残ってきたから、その姿が希望になったのではないか――たどたどしく紡いだヨリトモの答えを、ミカゲは黙って聞いていた。
英雄とは強い力を持っているものだ。だが、力だけでは意味がない。生きて敵を倒して、初めて希望になり得る。希望がなければ、人は立ち上がることはできなかった。立ち上がれなかったら、人類は竜に狩り尽されていたであろう。
持論を語り終えた後、ヨリトモは伺うようにしてミカゲを見上げる。ミカゲは黙ったままだ。胡坐をかいて、縁側で空を見上げている。澄み渡った空には雲1つない。風に揺られ、風鈴が涼しげな音色を奏でた。
遠くの方から、重機の稼働音が聞こえてきた。確か、この近辺での再開発が持ち上がっているとワイドショーで取り上げられていたか。ヨリトモは漠然とそんなことを思う。
「じゃあ、都庁や議事堂の避難民は?」
「え?」
「彼らは特別じゃない。どこにでもいるような、何の力も持たない一般人だ。――彼らが竜戦役を生き残れたのは、何故だと思う?」
普通の人間なら、生きるのを諦めてもおかしくない状態だった――そう語ったミカゲの眼差しは、遠い場所へと向けられている。
彼が駆け抜けた戦場は、どこもマモノと竜の巣窟だった。赤い葬送花が咲き乱れ、人間が生きていけるような場所ではなかった。
「そりゃあ、“ムラクモ13班に庇護されていたから”じゃ――」
「――トウゴ」
咎めるような響きに、ヨリトモは思わず身を固める。ミカゲの表情は気だるげなままだが、彼の眼差しはどこまでも鋭い。たった一言しか発言していないけれど、彼の態度が「それは違う」と告げていた。
「人を救うのは、英雄じゃない。人が積み重ねる営みそのものだ」
「自分もそれに救われてきた」と付け加えて、ミカゲは再び空を見上げた。そんな彼の言葉に応えるかのように、遠くから誰かの話声が聞こえてきた。
それは晩御飯の材料について語らう親子のものだったり、流行しているテレビ番組やゲームのことを語らう青少年の声だったり、様々だ。
どこにでもあるような日々の営み。静かに目を細めたミカゲは、何かを懐かしんで/想いを馳せて/噛みしめているように思う。
「色々振り回されたのは事実だ。住民同士の軋轢や、問題に巻き込まれたこともあったよ。――でも、彼らの存在が、俺たちの希望だった」
そう言って、ミカゲはゆっくりと口を開く。
紡がれるのは、遠い昔の英雄譚。誰もが忘れてしまった――けれど確かにそこに在った、伝説の近代神話。
その裏側で積み重ねられた人々の営みと、紡がれていった出来事。公式には残らず、けれどもミカゲの記憶に刻まれた物語。
ヨリトモは、それを黙って聞いていた。
***
「それじゃあ、また明日ー☆」
「では、失礼する」
アリーが解散の音頭を取った。それを皮切りに、ヨリトモが踵を返した。
彼を筆頭にして、ISDFの隊員たちが続々と引き上げていく。会議室を出て廊下を歩いてしていたときだった。
『ヨリトモくん』
ヨリトモを呼び止めた紳士の声は、どこか複雑な響きを宿している。足を止めたのは、置き去りにしてきた“もの”に対する罪悪感だ。
振り返った先にいたのは、旧ムラクモ13班に所属していた生命科学の研究員――那雲ヨツミ。
ヨツミはNav.シリーズ開発だけでなく、ルシェクローン再誕に関する研究にも関わっていた。Nav.シリーズの面々を姪・甥っ子と称して可愛がっていた。
彼に呼び止められた理由を、ヨリトモは充分理解している。脳裏に浮かんだのは、嘗て自分が愛した
ヨツミの表情は剣呑だ。怨敵を睨むような眼差しを、ヨリトモは甘んじて受けた。
彼は、ヨリトモの選んだ道に関して物申したいのだろう。
「……なんでしょうか」
『どうしてキミは、“あの子”を置いて行ったんだ』
お前がそんな奴だとは思わなかった――紫苑の瞳は、ヨリトモに対する激しい非難で満ちていた。
『キミが何を思ってその判断を下したのかは、大体は察している。……だが、私はキミのやり方を肯定することはできない』
「ヨツミ博士……」
『“あの子”を守りたいのなら、キミは“あの子”から離れるべきではなかった。すべてを投げ打ってでも、“あの子”の傍に居てやるべきだったんだ……! ミハルの忘れ形見である“あの子”の傍に!!』
激情に歪んだヨツミの眼差しに射抜かれる。殺気に慣れていない人間が彼と相対峙したら腰を抜かしただろう。ヨリトモは職業柄、殺気というものに慣れていた。しかし、それでも、嘗ての英雄が向ける激情を真正面から受け止めると言うのは心臓に悪い。
彼の意見は間違っていない。むしろ、誰もが選びたいと考えている最適解だ。同時に、那雲ヨツミが伴侶――ルシェクローン・シラユキを守るために選んだ答えでもある。彼はシラユキの傍にいた。彼女に襲い来る魔の手を、爆発的に開花させた力で打ち払ってきた。
自分の力で愛する人を守り抜く――英雄譚を紐解いた人間ならば、誰もが憧れる話だ。己の力で愛する女を守り抜き、寄り添っていた男からしてみれば、ヨリトモが出した答えを認めることなどできはしない。ヨツミにとって、ヨリトモの出した答えは“逃げ出した”も同義だ。
自分の出した答えは、正しくはなかったと自覚している。
頭では――いや、理屈でも、正しいものではなかったと分かっていた。
「確かに、俺の出した答えは正しくない。貴方から見たら、怒髪天になる気持ちも頷ける」
『っ、ならば……!』
「だが、貴方のそれは傲慢だ」
込み上げてきたものが、溢れる。部下から「いいトシ」と称されても、結局はヨリトモも人間だった。嘗ての英雄たちとは比べ物にならない程脆弱で、愚かで、汚い人間だった。綺麗な顔で、綺麗な理想論を語る相手に反論したいと思うのは当然だった。
「誰もが『貴方のように』“最適解を選ぶ”ことができるわけではない。誰もが『貴方のように』強いわけではない。誰もが『貴方と同じように』強くなれるわけではない」
『ヨリトモくん……』
「俺は、貴方や先生のような、特別な人間ではないのですよ」
嘗ての英雄――華々しい言葉を背負って立つムラクモ13班の姿は、ヨリトモからすれば眩しすぎるものでしかなかった。
清く、正しく、人類を愛し、人類のために命を懸けた彼らの在り方に、憧れを抱かなかったわけではない。
英雄になりたいと思っても、現実という壁がそれを阻む。取捨選択という言葉に悩んだことは、1度や2度ではない。
最適解を求めて悩んでも、正しかったと胸を張って言えたことは一度もなかった。それでも、正しいと信じて歩いてきた。そうでなくては、そうでなければ、ここに立っていられない。
末端だったとしても、地位を背負うということは責任が伴う。責任を果たすために、ある程度は手を汚さざるを得ない。黒を白だと言い続けることも、ときには上層部の泥を被ることも必要だ。
――そうして、犠牲の天秤を見定めることも。
軍人になるということは、公に尽くすこと。多くの人々を救うため、常に選択を迫られる。
己が取りこぼしたものの数を、手放した人々の想いを思い返し、ヨリトモはため息をついた。
『……ひとつだけ、訂正させてもらえないか』
暫く黙っていたヨツミが口を開いた。紫苑の瞳は、ヨリトモから逸らされることはない。
『私たちは、英雄という華々しい言葉なんて似合う存在ではないんだよ』
『キミも知っていると思うんだがね』と、ヨツミは寂しそうに微笑んだ。彼の視線の先には、選択してきた中で取りこぼした命があったのだろう。意図せず踏みにじってしまった想いがあったのだろう。
ヨツミの様子から、ヨリトモは年甲斐もなく八つ当たりしていたことを痛感した。過去を――痛いところを突かれたからといって、取り乱していいはずなどない。ヨリトモは深々と頭を下げた。そんなヨリトモを、ヨツミは制する。
『すまない。キミが必死になっていたことは、キミの目を見れば分かることだったのにな』
「ヨツミ博士……」
『ただ、どうしても我慢できなかった。……“あの子”、『
「……あの頑固者め」
ヨツミの言葉を聞いたヨリトモは、思わず苦笑した。こういうところは母親に似たらしい。
那雲ミハルという女は、体が弱いくせに、意志の強さと行動力は人一倍だった。後方支援特化型にもかかわらず、ヨリトモのことになると、わき目もふらず前線へ駆けこんできたことも1度や2度ではない。何度肝を潰したことか。
娘はそれを受け継いだ。遠目から見かけた娘の後ろ姿を思い出し、ヨリトモは何とも言えない気持ちになった。娘の成長ではなく、娘の隣に寄り添っていた男が原因である。東雲財閥の末っ子御曹司――東雲リヒトと、娘はとても仲がいい。
あの頑固者のことだ。亡き母/妻ミハルと同じように、愛した男のために命を懸ける姿は鮮明に思い浮かぶ。那雲ミハルは、最期の最期まで、愛する男――ヨリトモの隣に居ようと戦い抜いた。おそらく、あの子も最期まで愛する男の隣に居ようとするだろう。
もう戻れない日々を想う。取り戻すことのできない時間を想う。ヨリトモが選ばなかった選択肢の先にあったはずの未来を想う。
今の自分では到底手に入れることができない、ささやかな親子の肖像が浮かんでは消えていった。過ぎ去った痛みだけが、深く爪を立てる。
抉られるような痛みこそ、ヨリトモの弱さ――罪そのものだ。
『“あの子”は、
「ヨツミ博士、“覆水盆に返らず”という諺をご存知ですか」
もう遅いのだと自嘲しながら、ヨリトモは呟く。それに、どの面下げて娘に会えばいいのかわからない。
父親失格であることは目に見えて明らかだ。そのくせ、それを指摘されてしまえば、平静を保つことは難しいだろう。
「今更、何をどうしろと言うんです」
自分が傍でしてやれることは何もないではないか――なんて、酷く恨めし気な声色になってしまったように思う。余程酷い顔をしていたのか、ヨリトモの顔を見たヨツミが何とも言い難そうな表情を浮かべた。
嘗ての英雄の前では、歴戦を渡り歩いた軍人も形無しである。幼い頃からミカゲに師事してきたことも、旧ムラクモ13班の面々に対して弱さを見せる理由なのかもしれない。今回は悪い意味でそれが発露したと言えよう。
この現場を部下――特にユウマが見ていたら、きっと目を丸くしたに違いない。「極東にマモノは居ない。居るのはヨリトモというドラゴンだけだ」と恐れられる叩き上げの軍人が、青臭い若者のように悪態をついているのだから。
ヨリトモが嘲りを込めて苦笑した次の瞬間、何かが自分の眼前を横切った。一歩遅れて、ずたん! と、鋭利な刃物が壁に突き刺さるような音が響いた。
――いや、比喩表現ではない。実際に、短剣が壁に突き刺さっている。
視界の端で、赤い髪の毛がひらりと舞った。続いて響くは舌打ちの音。
『惜しいな、バレたか』
あーあ、と、明るい声がした。ヨリトモは慌てて背後を振り向いた。そこには、ヨリトモの軍服に手をかけようとしていた桐野ヒイナの姿があった。
彼女の瞳は欲望でぎらついている。対して、ヒイナを睨むヨツミの眼差しはげんなりしていた。
また、ヒイナの接近に気づかなかった。この失態は、今回で3度目である。頭を抱えたくなってきた。
『キミは、ヨリトモくんに何をしようとしているんだね』
『わー、ヨツミン怖ーい。ミカゲと同じ顔してるー』
ヒイナはへらへらした笑いを崩さない。彼女の手がワキワキと動いている。それを見たヨリトモは思わず後退りし、ヨツミは短剣を弄び始めた。ヒイナが何かすれば、ヨツミが即座に短剣を投擲するだろう。今度は寸分の狂いもなく、彼女の額をぶち抜くに違いない。
ヨツミの殺気を受けても尚、ヒイナは怯まなかった。彼女はニコニコ笑いながら手招きした。ヨリトモとヨツミは顔を見合わせ、もう一度ヒイナに視線を向ける。彼女の目からは、彼女が何をしようとしているのかを察することは不可能であった。
死角へ連れ込まれてナニをされるのか――考えるだけで悪寒が迫ってくる。このトシでそんな恐怖を突きつけられる羽目になるなんて、思うはずがない。ヨリトモはぎりぎり踏み留まってはいるが、他の人間が目の当たりにしたらどうなるだろうか?
『トマリくんにも迫ったんだってな。彼、泣いてたぞ。『もう1人で技術主任室に閉じこもれない』って。おかげでシラユキが付き添いに向かったぞ』
『そっかー、セコムが付いたかー。アレも惜しかったなー。シラユキちゃんが来なければ、あともうちょっとでジュリエッタをひん剝けたのに』
『おい』
「おい」
思わぬ被害者と懲りないヒイナの様子に、ヨツミとヨリトモは声を揃えて剣呑な表情を浮かべた。勿論、哀しいがな、彼女には反省の色など一切ない。
ヒイナはくるりを背を向け、会議フロアの廊下にあるベンチを指さした。「ここで話をしよう」と言うのだろうか。ヨリトモとヨツミは顔を見合わせた後、警戒を解かぬままヒイナの後に続いた。
視界の端でユウマとイノリが連れ立って歩いていく姿が見えたような気がしたが、今は自分の貞操の方が最優先事項である。警戒を続けながら、ヨリトモはベンチに腰かけた。『確か、“覆水盆に返らず”だっけ?』とヒイナは問いかける。
人懐っこい笑みを浮かべていたヒイナの表情が、途端に真顔へ変わった。ヨリトモは思わず目を瞬かせた。
彼女が真剣な表情を浮かべているというのは珍しい。その認識はヨツミも同じようで、彼も息を飲む。
『確かに、零れた水は盆に返らない。壊れたものは戻せない』
『でもね』と、ヒイナは微笑んだ。先程のギラギラした笑みとは違い、母親が子どもに語って聞かせるような、慈愛に満ちた眼差しで。
『それでも、新しく作り直すことはできるんだよ』
どこか芝居かかった様子で、ヒイナは朗々と語り始める。
いつの間にか、ヨリトモはそれに引きこまれていた。
『これから私が話すのは、とある親子の物語。遠い昔に生き別れ、父は娘を失ったと思いながら日々を過ごした。娘は親の存在など知らず、同年代の若者たちととある団体を作り、その面々を家族と慕って生きてきた。そんな父娘が、ひょんなことから再会する。父親は親ムラクモ派の議員、娘は若者集団SKYの幹部――さてさて、その顛末は?』
『――成程な。この地の名前も、期せずして彼らと同じだったか』
『む。ヨツミン、話の腰を折らないでよ』
ヒイナの話はヨツミの言葉によって遮られた。話がそれていく中、ヨリトモは断片的な情報を組み合わせる。親ムラクモ派の議員、SKYの幹部、名前がこの地と同じ――“アリアケ”。ISDFの機密資料、この世界の義務教育で習う竜戦役の基本概要、そして――恩師から語られた英雄譚の裏側が、該当者の名前を弾き出した。
公式では一切残らなかった記録であり、恩師が留めていた記憶。関係者だけが知っていた公然の秘密だ。その在り方は歪ではあったけれど、確かに“親子”だった父と娘の話。ヨリトモがすべてを察したことに気づいたのか、ヒイナとヨツミが言いあいをやめる。彼らの眼差しはどこまでも優しい。
“離れて暮らしていた父娘が、長い葛藤とすれ違いを超えて、『妻と娘の思い出を抱える寂しいオジサンと、それにつき合ってあげる若者』から『互いを想いあえる父娘』になった”――。
その話を聞いた当時は、まだ何も分かっていなかった。愛する
英雄譚の裏話だと思っていたそれが、自身の身近に迫っている。ヨリトモは、英雄譚に出てくるような人々と己は別次元の生き物だと認識していた。彼らは特別だから、竜戦役を戦い抜けたのだと。どんな形であれ、乗り越えてこれたのだと。
『人を救うのは、英雄じゃない。人が積み重ねる営みそのものだ』
『色々振り回されたのは事実だ。住民同士の軋轢や、問題に巻き込まれたこともあったよ。――でも、彼らの存在が、俺たちの希望だった』
特別であることがすべてではない。当たり前のように積み重ねられていく日々があったからこそ、英雄は歩み続けることができたのだ。恩師の言葉が脳裏をよぎる。
『あの2人が頑張ってやり直そうとする様子も、私にとっては励みだったなあ。アリアケ議員から『寧子と食事の約束したんだ』って話を聞く度、絶対世界救わなきゃって思ったし』
『ジャバウォック討伐の直前に発生した地震では、SKYの居住区へ突撃していたという話も耳にしたな。援交を疑う者、すべてを察して羨ましがる者、反応は様々だったか』
ヨリトモは、懐かしむ2人の話に耳を傾けた。
誰かにとっての“ささやかな日常”が、英雄にとっての“守るべきもの”となる――脳裏に浮かんだのは、英雄になるべくして生み出された命の存在だ。ヨリトモの部下にして“生きる竜殺兵器”、如月ユウマ。
恩師や恩師の仲間たちの話から考えるに、ユウマにはそれが足りないように思う。人として当然の感情や営みから隔離されてきた彼が持つ支えは、己が生み出された意味だけだ。故に、ユウマの在り方は危うい。
故に、英雄の系譜を受け継ぐ正当な継承者――渡来イノリを筆頭とした新生13班が、ユウマの脅威になるのではないかと危惧したこともある。ミカゲに一発で見抜かれた挙句、ヨリトモとのやり取りで大部分を察せられてしまったが。
現時点では、ユウマはイノリに心を許しているし、イノリもユウマを信頼している。傍から見れば、どこにでもいる“若い恋人たち”に見えなくもない。そのせいで、ヨリトモ含んだ一部の人間たちが大変なことになっていた。閑話休題。
如月ユウマにとって、渡来イノリは“ユウマを一個人として認め、対等な人間として接する他人”だ。ユウマにとって、そんな相手は初めての存在である。人として当然の感情や営みから隔離されてきたユウマが、どんな関係を築くのか。
『ヨリトモくんは、周りからいいトシだと言われているのかもしれないが、我々から見れば充分若造だよ』
ヨリトモの隣に座っていたヨツミが、柔らかに微笑んだ。
『だから、もっと青臭くなっても問題ないと思うんだがね。むしろ、ミカゲがキミを見出したのは、そういう理由だからだと私は思うよ』
「……やり直しできると、思いますか?」
『傷だらけになっても、消えることのない傷跡があっても、歩いていけるさ。キミが思っているよりかは、世界は優しくできている』
「……だと、いいのですがね」
己の経験則に基づく希望的観測――ヨツミの発言をそう片付けることは簡単なことだ。ヨリトモも、平時はそう片付けただろう。
しかし今は、その希望的観測に賭けてみたくなった。青臭い頃の自分を思い返して、どうしてか、笑いが込み上げてきた。
■■■
アクツ総司令が推し進めるプロジェクトに関して、ユマが触れる部分は限りなく上辺の上辺だけである。深淵に踏み込むために必要な権威もなければ、そこから情報を釣り上げる手段もない。
「伊倉一佐、キミは席を外したまえ。ここから先は機密事項だ。次の任務開始までの間、しっかり体を休めておくように」
「……はい、畏まりました。失礼します」
極東支部のトップから機密事項という言葉を突き付けられては、致し方がない。反抗しようが何をしようが、奴はユマを遠ざけようとするだろう。アクツから見たユマは“失敗作のルシェクローン”という扱いだから、潰すことに関して手加減する必要性もないわけだ。
アクツ総司令のことだ。きっと、失敗作のルシェクローンである伊倉ユマを色んな意味で
一士官でしかないユマに出来ることは、アクツ、ヨリトモ、ユウマの背中を見送るのみ。彼らの背中が研究室へと消えていくのを見つめた後、ユマは踵を返した。
通りかかった士官たちと軽い雑談を済ませ、自室へ足を踏み入れる。殺風景な部屋の窓際には、以前シズク――ナユタから贈られたモミジガサの鉢植えが鎮座していた。
欠かさず世話をしているおかげか、普通のモミジガサよりも葉の艶が出ているように思えた。いずれ、鉢植えは白くて可憐な花を咲かせてくれることだろう。
「今日も今日とて、堅苦しい軍人日和。呆れる程に真っ黒なお偉いさんの自尊心は、明日も明後日も絶好調極まりなさそうだわ」
記憶の中で揺れる背中に声をかける。彼は振り返らないし、返事もしない。昔の自分だったら不平不満を垂れ流していただろうが、そうなった原因を知っているため、甘んじて受けるしかなかった。
伊倉ユマという命がここに在るために支払われた業。13の系譜に触れる度、その業は鋭利な刃物となってユマの心に突き立てられる。
しかも、その業はユマだけのものではない。教え子であるユウマにも、ひたひたと近付いてきている。現時点で、彼は何も気づいていなかった。
能天気に笑い、おっかなびっくり気味に青春真っ盛りな如月ユウマ(御年12歳)。恋愛初心者なオコチャマが思いを寄せる相手は――嘗ての英雄の系譜を受け継いでいるという点を除けば――どこにでもいるオンナノコ、渡来イノリ(御年18歳)だ。
だが、引き継いでいた系譜の先にいる相手が悪かった。辿った先にいる先祖は、アクツ総司令とは犬猿の仲/蛇蝎の如く嫌いあう仲だった渡来ミカゲである。アクツに「人類戦士計画の最大の障害」と言わしめた男だ。因縁の深さは計り知れない。
敵対する系譜を継いだ2人が惹かれあうとは、事実は小説より奇なり。神様というモノは残酷な展開がお好きらしい。甘酸っぱい青春の裏に凄惨な真実を仕込むだなんて、悪趣味にも程があろう。教え子の行く末は憂いしかなかった。
(しかも、オコチャマの朴念仁具合が酷いせいでイノリの誤解も解けないし……なんで私があの2人の恋路に巻き込まれなきゃいけないのよォ!?)
咎めるようにこちらを詰めたく睨むユウマの幻影がフラッシュバックし、ユマは彼を思い切り殴ってやりたい衝動に駆られた。
イノリはユマとユウマが出来上がっていると思っているようで、わざと距離を置こうとしている。対して、ユウマは無自覚ながらもイノリに思いを寄せていた。
同時に、ユウマは「イノリが自分と距離を置こうとしている」ことに気づいており、その原因がユマにあることも察している。濡れ衣であることまでは分かっていないようだが。
「……ああもう、考えるだけで頭が痛くなってきた」
戦術論や軍関連の知識ばかりで詰め込まれた教え子の頭では、人間が生きるために学ぶであろう情緒や世間的な知識がどれ程重要なものか分かっちゃいない。特に、男と女のアレやコレに関する知識と情緒は壊滅的である。
イノリの誤解が加速する原因も、ユウマの態度にあるとユマは考えている。……そりゃあ、ユウマとユマはある意味で御同輩だし付き合いも長いから、距離が近いように見えるのも事実だ。だが、軍の機密上、それを口に出すことは憚られた。
数時間前、ノーデンスでユウマがイノリと何を話してきたかは知らない。だが、情緒の発達が人一倍遅れているユウマのことだ。本当の意味でイノリの誤解を解けたとは思えなかった。絶対、中途半端な誤解が燻っている。
どれ程ユマが弁明したところでイノリは信じないだろうし、ユウマも特に態度を改めようとしないだろう。おかげで、ユマの災難は続きそうだ。
本日何度目のため息だろう。ため息をつくと幸せが逃げるという話をよく聞くけれど、ユマの幸せはとっくの昔に壊れている。もう二度と帰ってこない。
モクレンの花の香りを思い出し、居たたまれなくなったユマは寝台の上で体育座りした。――明星ナユタの背中は、あまりにも遠すぎる。
(私に出来ることは、あのオコチャマが私たちと同じ轍を踏まないよう引っ張ってやることくらいかしら)
ユマはひっそりと自嘲した。自分にそんな資格がないと、ユマ自身が一番よく知っているのに。
それでも手を伸ばしたいと願うのは、何も知らず、幸せそうに笑う少年少女の背中を見たからだ。
「……守ってあげるわ、ナユタ。貴方の希望を、貴方の代わりに。私じゃ到底役として実力不足だけど、やれるだけのことはするつもりよ」
手入れを済ませた小猫丸に視線を向ければ、玉鋼を震わせて息巻く。口は面倒くさがっていたけれど、やる気はユマに負けずとも劣らない。頼もしい相棒だ。
そうと決まれば、やることは一つだ。アクツの言った通りであることは尺ではあるものの、彼の言うことは何も間違っていないのだからしょうがない。アクツの命令だから休むのではなく、自分自身の意志で休むのだ。
ユマはさっさとシャワーを浴びて寝間着に着替える。そうして、ベッドに潜り込んだ。まだ頭は冴えたままだけれど、無理矢理目を閉じて身を丸くする。今は眠れずとも、目を閉じてさえいれば、いずれ夢の国へと旅立てるだろう。
……最も。ユマがどんな夢を見るかは分からないし、そもそも夢を見れるか否かもわからない。ここ最近は、覚えていないはずのこと――那雲ヨツミを手にかけたときの夢ばかり見る。きっと、ユマはこの夢から逃げられないのだ。
それが己への罰。すべてを受け入れるようにユマは瞼を閉じた。
――幸か不幸か、夢は、見なかった。
■■■
Dインストール――竜検体から解析した戦闘情報を直接脳へインストールし、肉体がその負荷に耐えられるように竜検体で強化する技術だ。『人類戦士計画』と銘打たれたソレは、ISDF極東支部のアクツ総司令が主導となって行っている。如月ユウマは、その計画の結晶と言える存在であった。
ユウマには既に、多数の帝竜や雑魚竜検体、および第5真竜フォーマルハウトの検体がインストールされていた。ユウマが圧倒的な力を有するのは、ひとえに真竜フォーマルハウトをインストールした恩恵だろう。しかし、Dインストールには強い副作用が発生するという問題点もある。
例を上げるとするなら、“帝竜メイヘムとの戦いで発生した体調不良”が該当した。肝心要なところで気を失ってしまう――自分の
その引き換えと言わんばかりに、アクツは指示を出す。
「第1真竜アイオト、および帝竜メイヘム。両竜検体の融合処置、Dインストールをユウマへ決行せよ」
「自分は反対です。確かにDインストールはユウマを確実に強くしている。しかし、第5真竜フォーマルハウトのデータをインストールしてから、深刻な副作用が発生しています。それ以上のインストールは、いささか性急すぎるのではありませんか? しかも2体同時となると、ユウマの負担が……――」
「この計画には人類の未来がかかっている。性急すぎるなんてことはない。
反対意見を述べたヨリトモの意見を切り捨てたアクツは、ユウマへと向き直った。異様にぎらつく眼差しに射抜かれ、反射的にユウマは身を固くした。
以前から、彼の眼差しは苦手だった。ユウマの存在意義を煽り立て、急かすかのように。闇がひたひたと近付いてくるような恐怖に、体が蝕まれる。
「この計画が成功すれば、第2、第3のユウマを量産できる。そうなればこの地上に、ISDFの……いや、人類の敵など消え失せるのだ。お前ならわかるだろう、ユウマ!」
「……はい、わかっています」
ほぼ反射/機械的に、ユウマは返答した。彼に反論することは、不適合の烙印を押されることと同義だからだ。それを確認したアクツは満足そうに頷き――けれど、すぐに怪訝そうな表情を浮かべて付け足した。
「これ以上不具合を出すようなら替えを用意するだけだ。その意味も分かるな?」
「…………」
「明日までにインストールを済ませろ。ニアラ戦に間に合わなければ意味がない。……私を失望させるなよ、ユウマ」
「……はっ」
突きつけられた言葉には、鋭利な刃が潜んでいる。それは容赦なくユウマの心を抉り、引き裂いた。痛みと同時に、恐怖が湧き上がる。
存在意義を果たせない
アクツのことなので、ユウマの
幸か不幸か、アクツはそんなユウマの弱さに気づかなかったらしい。無表情で敬礼を返したユウマの姿に、彼は満足そうに頷いて背を向けた。
その背中が部屋から出ていくのを見送る。どっと押し寄せてきた疲労感を何と称すればいいのか、ユウマには分からなかった。
視線を感じて、その方向へと目を向ける。ヨリトモが心配そうにこちらを見ているところだった。ユウマは自身の心境を誤魔化すようにして、曖昧に微笑んでみせた。
「提督はもう休んでいてください。あとは俺ひとりで大丈夫です」
「うむ。しかし……」
「俺は、慣れていますから」
ユウマはそう呟いて、ガラスの向こう側に鎮座する機材を見た。繋がれた管、ヘルメットが置かれた物々しい機械は、Dインストールを行うためのものである。
「……それに、俺はもっと強くなりたい。もう二度と、あんな失態を繰り返さないように」
瞳を閉じる。浮かび上がったのは、ノーデンス13班を率いるリーダーにして、
絶対的なものに対する尊敬と敬愛を宿した空色の瞳は、如月ユウマに対する
木漏れ日を思わせるような笑みを思い浮かべれば、甘やかな感覚が胸を満たした。美味しそうにサンドイッチを頬張ったときや、「協力して頑張ろう」と微笑みかけてくれたときの笑顔、ユウマの秘密を受け止めてくれたときの笑顔だ。
しかし次の瞬間、それは一転した。イノリは悲しそうな表情を浮かべている。メイヘム戦で不具合をきたしたときや、数時間前にユウマの秘密を話したときのものだ。先程とは違い、胸が張り裂けそうに痛む。彼女に泣き顔は似合わない。
彼女にあんな顔をさせたのは、他ならぬユウマだ。ユウマの弱さが、イノリを傷つけてしまった。もう二度と、そんな
(――それだけは、嫌だ)
拳を強く握りしめる。手袋の繊維がこすれて、ざりりと音を立てた。
彼女にだけは失望されたくない。彼女にだけは「要らない」と断じられたくない。必要だと、望まれたい。今のままでは、イノリから向けられる信頼を裏切ってしまう。弱いままでは、同じことの繰り返しだ。
負けたくない。負けてしまったら、自分はここに居られなくなる。
負けられない。負けてしまったら、自分の生まれた意味がなくなる。
負けるわけにはいかない。――もう、彼女を傷つけたくない。
だから、ユウマは力を望むのだ。
そのための苦痛を、甘んじて受ける。
「もう二度と、イノリを悲しませないように、強くなりたい」
「ユウマ……」
「本当に、そう思うんです」
振り返ったユウマの顔を目の当たりにしたヨリトモは、酷く驚いたように目を見張った。――いや、おそらく、彼が驚いたのはユウマの表情だけではないのだろう。
ヨリトモはふっと笑みを浮かべた。その眼差しは、どこまでも優しい。人工生命体に肉親はいないけれど、父親が居たら、きっとヨリトモのような人だろうか。
「手伝おう。2人の方が幾らかマシだ」
「……はい」
ヨリトモの申し出を受け入れる。彼の言い分は間違っていない。
余計な気遣いをさせてしまった、と、ユウマはひっそり反省した。
2人は無言のまま作業を続けていたが、ややあってヨリトモが口を開いた。
「……しかし、お前が“誰かのために強くなりたい”と言うようになるとは思わなかったな」
「俺もです。誰かを名指しして執着することも、その相手のために何かを求めようとすることは、おそらく初めてですね」
ユウマは笑いながら、話を続ける。
「おまけに、その理由を明解にしようとすると、うまくいかないんです。ただ漠然と、俺自身が『イノリのためにそうしたい』と頑なに思っている。今までのような
「…………」
「イノリは『理解するのではなく感じるものだ』って言ってましたけど、漠然としすぎて掴めなくて。彼女のことを考えると、感情の制御ができなくなってしまう。それだけではなく、時折胸が苦しくなるんです。けど、痛みを伴うものではなくて、……なんというか、その……ああもう、上手く説明できないな」
ユウマは苦笑した。イノリのことになると、どうしても明快な説明ができなくなってしまう。彼女のことになると感情を抑え込めなくなることと、何か関係があるのだろうか。
だからといって、イノリを一方的に責めたいわけではない。ユウマが勝手におかしくなっているだけで、イノリには一切非はないのだ。兵器としての適性を疑われても仕方がない。
「“Dインストールによる副作用”以外での“不調の原因”を挙げろ」と言われたら、ユウマはイノリの存在を挙げるだろう。これがアクツの耳に入ったら――彼は、動く。
兵器が兵器として使えなくなる“障害”を、アクツは容赦なく排除しようとするだろう。彼は旧ムラクモの系譜を継ぐイノリの存在を邪険に思っていた。
アクツはどんな手を使うだろう。「ユウマに近づくな」とイノリに警告するのか、あるいは――イノリの息の根を止めるのか。彼ならやりかねない。
ぞくり、と、悪寒が背中を撫でた。とてもじゃないが、自身の不調理由を口に出すことは憚られる。特にアクツには絶対聞かせられない。ユウマはひっそりと歯噛みした。
そういう方面/意味でも、ユウマはイノリへ迷惑をかけてしまっている。
これ以上、イノリに迷惑をかけたくない。そのためにも、強くならなければ。閑話休題。
「ただ、悪いものではないということは分かります。俺が“強くなりたい”と
「……そうか」
「はい。……俺、やっぱり変なんでしょうか?」
「そんなことはない。それは、人として大事な感情だ。――その感情を、忘れるんじゃないぞ」
「――はい、分かりました」
ユウマの言葉を聞いたヨリトモは、柔らかな笑みを浮かべた。語り掛けるような口調に、ユウマも微笑み返す。
この感情が何を意味しているのか、ユウマには分からない。自分の心が感じ取ったものの正体も、まだ見えてきそうにない。――いつか、それを掴むことができるだろうか。
そんなことを考えている間に、Dインストールの準備は完了したようだ。機材の数値も正常値であり、異常らしきものは見当たらない。ユウマの体調も落ち着いている。
Dインストールの実行には何の不都合もなかった。……最も、例え不都合があったとしても、アクツはDインストールを決行しただろうが。ユウマはひっそり苦笑した。
機械のアナウンスが響き渡る。表示されたのは、第1真竜アイオトと帝竜メイヘムの竜データだ。
ウィンドウに表示された竜情報を撫でる。この情報が、ユウマの振るう力となるのだ。
「第1真竜アイオト、そして、帝竜メイヘム……」
ユウマの口元が緩む。
「さあ、見せてくれ。キミたちのすべてを――」
自分の声が恍惚としているように聞こえたのは、何故だろう。
竜が有するデータを欲し、
そんな疑問は、湧き上がってくる悦びによってかき消された。
只今Chapter2.5。原作におけるChapter2とChapter3の時間軸に発生したお話です。
改定前より若干構成が変わり、ISDF勢のフラグが先に出ました。ユマの語りも追加されています。彼女は立場上、Dインストール関連の技術には踏み込めない模様。アクツとの仲があまりよくないのと、地位による情報開示関連の問題ですね。
人間で在り続けることを選択したユマと、兵器と人間の間で揺れ動くユウマのたどり着く先を、生温かく見守って頂ければ幸いです。アクツ総司令は……ええ。今後の動向をお楽しみください(目逸らし)