百花繚乱クロニクルセブン-僕らのセカイとキミのミライ- 作:白鷺 葵
“
周囲に咲き乱れるのは、黒の
花は竜を招き、マモノを招く。人類を喰らい尽くすために現れた奴らは、人類最後の拠点を容赦なく踏み荒らした。
「げほっ、ごほっ……!」
「早く、早く地下へ!」
逃げ惑う人々を先導するのは、警備員や自衛隊員だ。彼らだけではなく、ムラクモ機関に所属する構成員たちも、避難誘導や殿を買って出ている。しかし、真竜が齎す絶望は、老若男女問わず平等に降り注いだ。
ムラクモ13班はフォーマルハウトを屠る力は戻っていない。竜やマモノは戦闘員も非戦闘員もお構いなしに襲い掛かる。自衛隊や13班以外のムラクモ構成員ではマモノを倒すのが関の山で、対ドラゴン戦を行うことは死に直結していた。
それでも。それでも人々は、守るために、生かすために、必死になって戦っていた。ある者は全力で危険区域から離脱を図り、ある者は老人や子どもを避難させようと駆け回り、ある者は住民を守るために身を挺して命を散らしていく。
文字通りの阿鼻叫喚。そんな中でも、自分にできることは数少ない。ただ、走って、走って、逃げ延びることだけなのだ。
ナユタは必死の思いで、地下に転がり込む。避難民の不安そうな声が止まない。危機から脱したわけではないから。
「13班……!」
堪らなくなって、ナユタは部屋から飛び出した。
ナユタを生み出した女性――エメルも、何かあったら13班を頼るようにと言っていた。13班なら、真竜フォーマルハウトを倒せるのだと言っていた。彼らこそが、人類の希望なのだと。
『お前たちは、あいつらの力になるために生まれたんだ』と、ナユタやマリナを生み出した張本人――エメルは常々語っていたのだ。だから、本当なら、ナユタが13班のために何かを成さねばならないのに。
自分が何を成せるのかは分からないけれど、何もしないではいられなかった。13班の――ミカゲたちの姿を見れば、きっと自分も何かを成せるような気がした。
根拠も確証もなかったが、一番信頼できる戦士たちの顔が見たくて仕方がなかったのだ。彼らの姿を求めて、瘴気の薄い区域を駆け回る。
程なくして、やっと、ナユタは見慣れた人物の背中を見つけた。13班員の仲間たちである。思わずナユタは表情を綻ばせた。――だが。
「……エメルせんせい?」
一番小さな背中が、振り返る。金の髪を一つに束ね、白い水干を身に纏った少女――エメルは、いつもと変わらぬ仏頂面であった。彼女の周りには、よく知る人々が立っている。SECT11のリーダー、SECT11の隊員、SKYのママと呼ばれる男性、守護天使を愛してやまない自衛官だ。
彼らは力強く微笑んでいた。瞳に宿る意志は固い。本当に頼もしい限りである。……それなのに、どうして、13班の面々は辛そうな顔をしているのだろう。どうして、言いようのない別れの予感を抱いたのだろう。何かが喉元まで出かかったが、つっかえて出てこなくなった。
エメルはナユタの方に歩み寄ると、屈んで視線を合わせた。紅蓮の双瞼が細められる。
怒ってばかりのエメルだけれど、時折、こんな風に表情を緩ませることがあった。彼女が怒るのは、相手を深く想っているから。その相手を傷つけるすべての事象に憎しみを向けているからだった。
竜への憎しみもまた、自分が守らんとしている命を傷つけられ、踏みにじられ、滅ぼされたことに対する怒りなのだ。失ってしまったものに対する愛が、エメルを憎しみという形に駆り立てている――彼女の妹、アイテルが呟いていたことだ。
「ナユタ。私を信じろ。そうして、13班やマリナたちを信じろ。……希望は必ず繋いでみせる。その先を切り開くのが、お前たちの役目だ」
「……うん」
少し乱暴にだけど、頭を撫でられた。エメルに応えるようにして頷けば、エメルはふっと表情を緩ませた。話は終わったと言わんばかりに、彼女は踵を返して歩きだす。
ショウジ・サクラバとその部下も、ダイゴも、サスガも、先陣を切ったエメルの後に続いた。ミカゲたちは動かない。悔しそうな表情で、エメルたちの背中を見送るだけだ。
決死隊、という物々しい言葉が響く。文字通り、死を覚悟した者たちの総称。――そこまで考えて、ナユタはすべてを理解した。彼らの役目と、その末路を。
――そうして、ナユタは知るのだ。彼らの犠牲が、人類の明日を繋ぐ礎になったことを。
***
「これなら、瘴気を中和するワクチンを作れる……!」
流石の13班でも、フォーマルハウトの瘴気汚染が酷い区域では活動できない。彼らが全力を出せなかったのは、前回の戦乱で負った傷だけでなく、フォーマルハウトがばら撒いた瘴気によって衰弱してしまったためだ。
裏を返せば、
「ありがとう、マリナ! ナユタも!!」
「俺たち、絶対勝ってくるからね!!」と笑い、マリナの手を取ったのはリョウスケである。ミカゲやヨツミ、マサハルも礼を述べて、ナユタの頭を撫でてくれた。ユイやヒイナ、シラユキも頭を下げた。
力強く笑う7人の姿は、
自分に出来たことは、マリナと共にワクチンの元を精製することだけ。それを足掛かりにして竜を討つのは、13班の役目だ。
勇んで飛び出していった彼らの背中を見送った後、ナユタたちはムラクモ機関の詰め所代わりになっている部屋へと戻った。ミロクとミイナがナビゲートを始め、キリノが真剣な顔でモニターを睨んでいる。
モニターに映し出されたのは、議事堂を闊歩するドラゴンどもを蹴散らしていく13班員の姿だ。彼らはあっという間にエントランスの敵を屠ると、議事堂の入り口へ到達する。そこには、帝竜と同レベルのドラゴンが鎮座していた。
勿論、13班員の実力ならば撃破可能だ。いや、何が何でも撃破しなくてはならない。こいつを倒せない限り、人類に未来は訪れないのだ。ナユタはマリナと共に、この戦いの顛末を見守る。
「負けないで、13班……!」
マリナは胸の前で手を組む。大切な人たちの無事を祈っているのだ。
ナユタもそれに倣い、祈りを捧げる。――どうか、どうか、彼らに勝利を。
どれ程の時間が経過したのだろう。ドラグサタナーが悲鳴を上げて崩れ落ちる。紅の花が爆ぜ、美しい花弁が周囲に舞い散った。
周囲に漂っていた瘴気濃度が急速に下がっていく。エレベーター前に集結していたフロワロ浄化員――その大半が一般人で構成されていた――たちがざわめきはじめた。自分たちが死ななくて済んだことに対する安堵の声があちこちから響いてきた。
ナユタの祈りは聞き届けられた。キリノも、シズカも、ワジも、ケイマも、レイミも、ミロクも、ミイナも、マリナも、思わず笑みを零した。モニター越しから勝ち鬨の雄叫びが響き渡る。ミカゲの得物――人類の祈りを具現化した美しい刀が、ほんのりと青く煌めいた。
――それは、人類の勝利への、小さな一歩。
同時にそれは、議事堂で生きる自分たちにとっては、大きな一歩だった。
■■■
「真竜、か」
ハワイ艦隊に現れた敵の分類を呟きながら、ユウマは拳を強く握りしめた。人類が倒すべき相手であり、人類最強の戦士として生まれた者――如月ユウマが狩るべき相手。対竜兵器として生まれた自分が、ようやく役目を果たすことができる。
胸の底から湧き上がってくるのは、喜びだ。竜を倒すことが自分が生まれた意味そのものだった。そのために、生きてきた。場違いな高揚感を抱いていることはわかっているけれど、それを抑えつけるのは難しい。
隣にいたユマが、訝しげにユウマを見返す。随分と脈絡のない呟きじゃないか、と、彼女の眼差しが問いかけていた。本来なら秘匿情報として黙ってしまうのだが、それを僅かでも零してしまったのは、ユマに心を許している証なのかもしれない。
「こんなときに、と言われるかもしれません。でも、俺は竜に備えて生まれてきました。……変な話ですが、俺はほっとしているのかもしれない。これで、俺は役目を果たすことができます」
ユウマの脳裏に浮かぶのは、こちらを見つめる研究員たちの眼差し。兵器としてのユウマの存在価値を値踏みするそれは、鋭利な刃物の如く突き刺さってきた。
「使えないモノは要らない」という言葉が飛び交い、欠陥品の烙印を押された命が捨てられていく。次は自分かもしれないという恐怖に、何度苛まれたことか。
同時に、ユウマは必死で叫び続けた。自分は欠陥品ではないのだと、竜を狩る者なのだと。いずれはそれを証明したいと、ずっと願っていた。――その
75年の時を超えて復活した真竜フォーマルハウトは、まさしくユウマにとってお誂え向きの展開だった。たとえそれが手負いであろうとも、真竜であることには変わりない。
奴を倒して、自分の価値を証明する。自分の力を証明する。他の誰でもない、如月ユウマがそれを成すのだ。真竜対人間の図式は、真竜対ユウマとイコールなのだから。
「竜が来る。ISDFの総力を挙げて人間様が叩き潰す。大団円で物語は無事にお終い。私たちが目指すべきはそれ以上でも、それ以下でもないと思わない?」
ユマが茶化すように言ったそれは、建前であることくらいすぐに理解できた。だが、今は、その建前が自分の脚に纏わりつく枷のように思える。
それではダメなのだ。それでは、ユウマが生まれてきた意味が果たせない。竜を狩るのは自分でなければ意味がないのだ。でなければ、何のために。
ユウマの葛藤など何も知らないユマは、「戦いを自分だけのものにするな」と忠告する。けれど、それだけは絶対に譲れない。己の存在意義に賭けても。
「竜を狩る者としての矜持、あるいは……何だろうな。俺の存在意義ですよ」
ユウマの言葉を聞いたユマの表情があからさまに歪んだ。我儘な子どもを目の当たりにした大人の眼差し。
「指揮官としては、最低の発想よ、それ。一将功成りて万骨枯るって知らないの? 戦いは個人のものじゃない。教わらなかったのかしら?」
「理屈ではそうかもしれませんね。でも、俺は……――」
「あら。初めて逆転したわね。貴方にベキ論を解く日が来るなんて」
ユマの言いたいことは理解している。1人が功を成そうとして作戦を乱せば、多くの犠牲を生み出しかねない。下手をすれば、成した功績よりも支払った犠牲に対する責任の方が多くなることもあり得た。
でも、納得できない。普段は押し殺している感情が、堰を切って溢れだす。頑なに認めようとしないユウマを見て、ユマは面白そうに笑った。こちらを馬鹿にした笑みではなく、親が子どもの成長を喜ぶみたいな笑み。
その眼差しは、明らかに、彼女の教育係――雪待シズクとそっくりだ。
「……成程。貴女と雪待一尉は、よく似ていますね」
「……待ちなさい。どうして今、そんな話になったのかしら?」
「自分はあんな奴とは違う」と言わんばかりに、ユマは眉間の皺を深くした。その割には、帽子がむずむずと動いているように見える。
口ではああ言っているが、本当は嬉しいらしい。分かりやすいのやら分かりにくいのやら。ユウマは思わず苦笑していた。
イニシアチブを握られたことに気づいたのだろう。ユマは不満そうに口を尖らせた。してやったり、と、ユウマもひっそり微笑む。
じゃれあう2人を見つめる眼差しに気づいて振り返れば、分析を終えた雪待シズクがこちらに歩み寄って来ていた。
「随分楽しそうな話をしているんだな。僕も混ぜてくれないか」
「丁度いいわ、シズク一尉。このポンコツ、本当に指揮能力Sランクなのか疑問が残る発言をしたのよ」
「自分の教え子をポンコツ呼ばわりするのはいただけないぞ。それは廻り回って、『自分の手腕が至りません』と言っているようなものだからな」
「ぐ……!!」
シズクはユマの暴言を窘めつつ、彼女に話の続きを促した。水を得た魚と言わんばかりに、ユマはシズクへ告げ口する。自分の教官が教え子へと転じた姿には苦笑を禁じ得ない。
「ユウマは、自分がドラゴンを倒すんだって息巻いてるのよ。他の誰でもない自分が成し遂げるんだって。戦いを
「――ほう」
だが、その空気は、ユマの発言を聞いたことにより一変する。ユウマの何がシズクの地雷をぶち抜いてしまったのかは分からないが、彼は険しい顔つきでユウマを見返した。
紫苑の瞳には強い憎悪が滲んでいる。その眼差しを、ユウマは数刻前に目にしたばかりだ。アクツ総司令を睨みつけたシズクのそれと同じものだった。
後方支援担当だと言われても信じられない程の気迫に、思わずユウマはたじろいだ。深淵の淵を覗き込み、恐怖する――今のユウマに見合う心情は、それ一択である。
現場ナビとして戦場を駆け回るシズクからしてみれば、ユウマの考えは蛇蝎の如く嫌うものであろう。
彼の戦闘能力はあまり高くはない。その分、情報演算能力を駆使して仲間たちの援護に徹している。
人類の勝利のために、己の力を全力で振るう。大きな目的を果たすために、己に割り振られた役割を全力で果たす。……その姿勢を貫く軍人は、ユウマが抱く感情を許さない。
「如月准尉。キミは、『自分の栄光のためなら、他人がどうなろうと構わない』と言うのかな?」
戦闘能力はユウマの方が圧倒的に上だ。だのに、何故、自分の体は凍り付いたかのように身動きが取れないのだろう。
シズクは射殺さんばかりの勢いでユウマを見つめている。突き刺さるような殺気に、ユウマの肌はぴりぴりとした痺れを感じた。
「……いえ、そんなことは……」
掠れた声が、弱々しく響く。否定するので手一杯だ。ユウマを睨みつけるシズクの眼差しは、どこまでも剣呑である。ユウマはごくりと生唾を飲み干した。
沈黙が痛い。理解できない敵意に晒されるのは辛いものだ。ユウマが居心地が悪くなって視線を逸らすよりも先に、シズクが「すまない」と頭を下げるほうが早かった。
「キミの発言が、あまりにも嫌いな奴とそっくりだったものだから、つい」
「は、はあ……」
「『まさかキミもそいつと同類なのか』と思ったら、色々と頭に来てしまったんだ。……そういう奴は、身近に1人いればもうお腹いっぱいだからね」
小さく舌打ちの音を響かせながら、シズクはモニターの方へ視線を向ける。アクツとの回線は切られているはずなのだが、シズクの眼差しの先には彼がいるようだった。
思い返せば、雪待シズクはアクツに対して強い負の感情を抱いているように思う。一言で表すとするなら、それは“憎悪”だ。しかも、並々ならぬ思いが蓄積されている。
「そういう奴は反面教師にすべき案件だ」と言い切ったシズクの横顔は、やはり厳しいままだ。……言葉にはしていないが、それが誰なのか、察しが付く。
「キミは、“人類の勝利”のカタチについて、考えたことがあるか? 何をもってして、“人類の勝利”と定義する?」
それを問う間もなく、藪から棒にシズクが問うてきた。如月ユウマにとっての答えはたった1つである。
「勿論、ドラゴンの殲滅です。俺はそのために生まれてきました」
「違う。違うな、如月准尉。その定義では
苛立たし気にため息をついて、シズクはユウマの答えを切り捨てる。
思わず反論しようとしたユウマだが、シズクの発言の方が早かった。
「ドラゴンの殲滅というのも間違いではないが、正しくはないだろう。キミの理論を適応した場合、
シズクの言葉に、ユウマは目が点になった。彼の発言は、急速にユウマの中に沁みわたっていく。目から鱗が落ちたような感覚に、自分自身が驚いている。
“人類の勝利”の形、竜との戦いに勝利した後のこと――今まで考えたこともない領域だ。いや、如月ユウマを取り巻く人々は、そんな話なんて一切していなかったように思う。専ら、ドラゴンの殲滅という一点にのみ力を尽くしているようだった。後は、“最後の勝者”になるための算段くらいか。
そういえば、76年前に発生した最初の竜災害でも、似たような問題が発生したらしい。当時のムラクモ総長
当時の回顧録曰く、参謀役だった
初めて見たときは、甘い考えだと思っていた。馬鹿にしていたと言ってもいい。今だって、正直納得しきれてはいない。
納得しきれてはいないけれど。今までユウマにとって曖昧で理解できなかったものが、薄らぼんやりと輪郭を伴ってきたような気がした。
「確かに、勝利した後に人類の存続が不可能になってしまえば、意味がなくなってしまいますね……」
「ヨリトモ提督だって言ってたじゃない。ISDFは人類の盾となる組織だって。そんな組織が、進んで犠牲を容認する作戦を決行すれば、人類同士の内乱に繋がりかねないわ。そうなったら、とてもじゃないけど竜退治なんてやってらんないわよ」
ユマはシニカルな笑みを浮かべてユウマの言葉を引き継いだ。ユマ自身、ヨリトモの発言を「理想論だ」と斜に構えて受け止めているらしい。ユマの発言を聞いたシズクは、感嘆の声を漏らして目を細めた。
紫苑の瞳が嬉しそうに揺れている。まるで、子どもの成長を喜ぶ親みたいだ。シズクはユマにアプローチをしているようだが、こういうときの様子は“1人の男”というよりも“父親”と表現する方が正しい。
「如月准尉、キミはもう少し未来のことを考えるべきだと思うぞ」
「“人類の勝利”に関することですか?」
「それもいいが、まずはもう少しささやかな部分から始めてみたらどうだ。例えば――“すべての竜を狩り尽した後、何をするか”とか」
「きっと、ISDFは復興で忙しくなるのだろうね」と呟いて、シズクは天井を仰ぐ。彼が実際に見ているのは天井ではなく、自分の背負っている何かがひと段落した先にある光景なのだろう。呆気にとられたユウマを尻目に、ユマが楽しそうに口を緩める。
「違いないわ。でも、兵器として生まれた役目も終わるわけだから、きっと自由になれるわね」
「ユマ一尉。その様子だと、キミはISDFを辞めたそうに見えるな。ところで、退職理由の1つとして寿退社と呼ばれるものがあるんだが」
「却下で」
じゃれ合う2人を尻目に、ユウマは顎に手を当てて考えた。竜を狩り終えた後――即ち、ユウマが己の存在意義を果たすことができた後のことを意味する。
自分が人類最強の戦士であることを証明し終えたら、この手に何が残るのだろう。存在意義を果たすということは、
存在意義がなくなってしまったら、兵器はどうなる? アクツは「要らないものは捨てられる」と言っていた。存在意義がなくなるということは――
ユウマが存在意義を果たすこと自体が、ユウマの存在否定に繋がるということなのか。
深淵を覗き込んでしまったような恐怖を振り払うように、ユウマは小さくかぶりを振った。
しかし、一度悪い方向――最悪の方向に考えてしまうと、どうしてもその懸念を振り払えなくなる。転がり落ちていくが如く想像を飛躍させたユウマだが、その思考は遮られた。ユマが声をかけてきたためである。
「その様子だと、ユウマは何も考えられないって感じよね」
「……そう、ですね。竜を狩り終えた後のことなんて、考えたことすらありませんから」
むしろ、今は考えたくない。自分が
だというのに、一度意識してしまうと、暗い考えはひたひたとついてくる。弱い自分を知られたくなくて、ユウマは曖昧に笑って見せた。
それなら、と、シズクは言葉を続けた。
「“竜を狩り終えた後、何をするかを探す”ところから初めてみたらいいんじゃないか? 探究するという行為も悪くないだろう」
「なら、私は“どうやったらまともな恋愛ができるようになるか”を探求したいわね」
「ちょっと待てユマ一尉。キミ、そういう話は一度も出なかったよな? おい待ちなさい。僕のところに嫁に来るのはともかく、キミが嫁に行くだなんて僕は許さないぞ!」
ユマとシズクがじゃれ合いを再開する。それは確かにユウマの眼前で繰り広げられているというのに、2人の声はどこか遠くから聞こえてきたように感じた。
すべてが終わった後、どうするのか。ユウマの場合は、“まず、何をするかを探す”という段階から始める必要がある。それすら、ユウマにとって難しいことのように思う。
何せ、自分の指針がなくなった後のことを問われているようなものなのだ。支えを失った後のことなど、考えたくないに決まっている。兵器としての存在意義がすべてなのに。
……でも、今は、そんなことを考えなくて済みそうだった。作戦会議が始まる時間が、連絡士官から告げられたためである。
そう。今は、この時代に復活した真竜フォーマルハウトを狩ることだけを考えればいい。竜を狩って、存在意義を証明するのだ。
不確かでがらんどうな未来のことは、後でいくらでも考えられる――。
ユウマは己にそう言い聞かせながら、ユマたちの後に続いた。
真竜を討伐する己の姿を思い描こうと努めながら。
***
ハワイ艦隊の空母ジャック=ミュラーは、76年前に実在したアメリカ大統領の名前を冠して名づけられたものだ。件の人物は、人竜ミズチの攻撃によって国の中枢ごと吹き飛ばされ、命を落としたという。
艦内の有様は本当にひどかった。あちこちが損傷まみれである。飛行甲板1つとっても、カタパルトをはじめとした主要機材はまともに使えなさそうだ。設置されているCIWSに整備兵がつきっきりであるという状況からして明らかだった。
巨艦内を行き来するクルーの数はまばらで、むき出しになった配管相手に格闘中のダメージコントロール要員が駆け回っている程度だ。どこからともなく漂う海水の残り香からして、消火活動で海水をばらまかねばならぬ事態に陥ったらしい。
死に損ないの真竜だと思っていたが、フォーマルハウトの戦闘能力は凄まじい。北米部隊の精鋭たちをここまで壊滅させてしまう程とは。
“生きる対竜兵器”の如月ユウマにとって、相手に不足はなかった。本能的に口が緩む。……ああ、はやく、
「……これが、竜と戦うということなのね」
「ユマ?」
「ちょっと、驚いてたの」
重々しい空気を噛みしめるようにして、ユマがぼそりと呟いた。
常に飄々としている彼女の様子からは考えられない程、その横顔は険しい。
「この艦は精鋭だった。それが、こうまでやられるとなると……ドラゴンというのは、想像以上ね」
「かもしれません。だけど俺にしてみれば、それでこそ戦いがいもありますよ」
ユウマは自信満々に言って見せた。ドラゴンとの戦闘は、ISDFのシミュレーターで何度もこなしている。結果はすべてハイスコア相当、実践でも問題ないと太鼓判を押されていた。竜を狩るために生まれたのだから、それは当然だ。
「あまり大口を叩くものではないぞ、如月准尉。フォーマルハウトは狡猾である以上に、残忍で悪趣味な捕食者だ。奴らの部下も、それを色濃く反映している」
「それは存じていますよ、雪待一尉。戦闘訓練なら、相応の量をこなしています」
「その結果でも
シズクは呆れたように肩をすくめた。眉間に皺を寄せた彼の横顔には、何とも言い難い憂いが滲み出している。それは、情報処理Sランク能力者としての勘だろうか。
雪待シズクの物言いは、竜の恐怖と常に向き合ってきたような――妙な貫禄があった。特に、真竜フォーマルハウトに対して、深い造詣と尽きぬ憎しみがあるように思える。
「今回も、人類に厳しいリサイクル戦法かな?」とぼやく彼の様子からして、その現場を間近で見たような物言いのように感じた。まさか、と思いつつ、シズクを茶化してみた。
「雪待一尉は、竜戦役を間近で体験したみたいな物言いをしますよね」
途端に、シズクの表情が一気に剣呑になった。触れるな、と、暗に訴えている。
丁度そのタイミングで、連絡役の士官がやって来た。艦橋に案内してくれるという彼の背中を追いかけて足を踏み入れれば、そこの電球はちかちかと点滅気味であった。ライフラインもまともに動いていないらしい。
心なしか、ジャック=ミュラー艦長であるトマス・ジャクソンの表情も優れなかった。彼は疲労を滲ませながらも、救援に駆けつけたユウマたちを労おうと、口元を無理矢理釣り上げた。
「ISDF極東艦隊から派遣されました、伊倉一尉です」
「同じく、ISDF極東艦隊から派遣されました、雪待一尉です」
「話は聞いている。空母ジャック=ミュラー、艦長のトマス・ジャクソン一佐だ。ヨリトモ提督以下、極東艦隊の支援に感謝する。……すまんな、世話になる」
「いえ、俺たちは自分の任務を果たすまでのこと。ジャクソン艦長殿、ドラゴンはお任せください」
ユウマがそう宣言した途端、ユマとシズクの眉間にわずかながら皺が寄った。ユウマは別に、何も間違ったことは言っていないはずである。笑顔は崩さなかったけれど、ユウマの眉間にも僅かな皺が寄った。
こちらが不満を抱いていることなど知ったことではないようで、ユマとシズクは慇懃無礼に謝罪する。どうやら、2人はユウマを出汁にして距離感を詰めたらしい。だが、ジャクソンと握手をしようとしたユマに割り込み、シズクが艦長と握手していた。
顔は完全にポーカーフェイスであるものの、どことなく睨みを効かせているように見えたのは気のせいではない。「この任務が終わったら、恋人と挙式するんだよ」と付け加えたジャクソンが遠い目をしたあたり、威嚇目的だったことは明らかである。
シズクの眼差しの意味を悟った士官たちが、次々と恋人や妻、あるいは夫の話をし始める。クルー全体からの「貴方の邪魔はしませんよ」という宣言を得たためか、シズクは満足げに頷いていた。逆に、ユマは天井を仰いでいた。閑話休題。
「ジャクソン艦長殿。ヒュウガより航空隊が先行して支援攻撃を行ったはずですが、効果はなかったのでしょうか?」
「ああ、やはりか」
「やはり?」
「見当違いの方向で複数の爆発音を感知し、何事かと訝しんだが諸君らの航空隊だったのか」
ユマの問いに対し、ジャクソンは苦い表情を浮かべた。ジャクソン曰く、ヒュウガから発艦した航空隊の攻撃は意味を成さなかったという。
航空隊の面々は「マモノもフロワロも吹き飛ばした」と上機嫌に報告していた。だが、実際、ジャック=ミュラーへ向かった際、ユウマたちの輸送ヘリは大量のマモノに襲われている。そして、「見当違いの方角から爆発音」。そこから導き出される答えは1つだ。
真竜フォーマルハウトは、幻惑による欺瞞が得意な帝竜だったと聞く。奴のばら撒く瘴気には、人間を衰弱させる以外の効果があった。感覚が狂わされているのだ、長距離砲戦で片付けられないのは道理である。そして、道中で遭遇したマモノの多さもだ。
「しかし、ここまで強力だとは明記されていなかったがな」
ぽつりと零したのは、上座に座っていたアサヒ・サクラバ・ガイドナー提督だった。彼の母は、75年前にSECT11を率いていた2代目リーダー、イズミ・サクラバである。
母と似て「戦場は楽しむものだ」と豪胆に笑う姿が特徴だと伺っていたが、今の彼の表情は苛立たしさで満ちていた。余程、現状に怒りを感じているらしい。
「政治家どもに好き勝手やらせたせいだ」と語る彼の目は笑っていなかった。ここに来るまでの間にも、ガイドナーは政治家に煮え湯を飲まされていたのだろう。
ジャクソンから諌言が飛ばなければ、この場はガイドナーによる独壇場になっていただろう。ユマ風に言うと、愚痴一本のトークショーだろうか。
ガイドナー怒りの発言を耳にした途端、シズクの目がきらきらと輝いたように見えたのは、きっと気のせいではなさそうだった。
「何はともあれ、不平不満も現状の危機を乗り越えなければ繰言か。政治家屋どもと、クソ忌々しい官僚主義者どもに部下を玩具にしてくれた代価をぶちこんでやるまでは、死んでも死に切れん」
「ははは、仰る通りですね。鉄拳でもお見舞いなさるのですか?」
ユマの問いに対し、ガイドナーは無言のまま腰のふくらみ――銃のホルスターを叩いた。
彼の壮絶な表情が、秘められた決意の程を物語っている。悪趣味なアメリカン・ブラックジョークの体をとってはいるものの、残り半分は本気だ。
老紳士の双瞼は怒りを湛えてやまない。しかも、ガイドナーの恨みはこれで終わっていなかった。
「……『戦場を楽しもう』」
「!」
「母がいつも言っていた。だが、この言葉に込められた意味は、部下に死を強要するモノではない。生きて帰るからこそ意味がある。……だと言うのに!」
母親が口にしていた言葉を悪用された――その怒りをあらわにするガイドナーに、シズクが弾かれたように目を見張る。彼の握り拳が小刻みに震えていたのは何故だろう。
「心中お察しします、ガイドナー提督。自分も同じ気持ちですよ」
「む?」
「安全な場所で高みの見物と洒落こむISDFの各国上層部に、衛星兵器の100や200発、ぶち込んでやりたいものです」
ガイドナー以上に過激な発言をぶち込んだシズクの表情は、これ以上ないと言うくらいに爛々とぎらついている。勿論、ユウマもユマも度肝を抜かれた。技量的に、彼ならやりかねない。
部下である自分たちですら
「むしろ、最前線に引きずり出して、フォーマルハウトの眼前に投棄したい気分ですよ。『自分たちの仲間は、これ程の痛みと恐怖を抱えて死んでいったんだ』と思い知らせてやりたい」
「……気に入った、若いの。日本人は大人しく、上に対する忠誠心が強いと聞いていたんだが、貴官のように真っ当な士官もいるのだな。なら、日本支部はまだ何とかなりそうだ。羨ましい限りだよ」
「恐悦至極」
完全に危険分子の会話であった。真顔で握手を交わす老紳士と若者の姿に、形容しがたい恐怖を感じる。彼らが生きて帰ったら、ISDFは更地になってしまうのではなかろうか。
自分を生み出した組織がなくなったら、ユウマの存在意義は宙ぶらりんになってしまうことは確実だ。それは困る。非常に困る。避けなくてはならないだろう。
ジャクソンがガイドナーを諌めようとしたように、ユウマも声を上げた。だが、シズクの耳にはユウマの諌言など届かなかったようで、彼は話を続けた。
「上層部はいつもそうだ。奴らは自分たち士官の命など、替えの効く駒だとしか思っていないのですよ。……渡来二佐のときもそうだ」
渡来、という名前には見覚えがある。『U.E.61年、犠牲を忘れない』――あの石碑に刻まれていた、渡来ミコトのことだ。それはガイドナーも同じようで、彼は大きく目を見開いた。
「貴官は彼女を知っているのか?」
「ええ、存じております。……歳の離れた友人でした」
「そうか……。彼女は、私にとって義理の姪に当たる人物でな。とても気立ての良い大和撫子だったよ。甥の――ツカサの嫁には勿体なかったな」
懐かしむように微笑んだ老紳士は、静かに目を伏せる。シズクもまた、同じように目を伏せた。失ってしまったものを悼む彼らの姿に、何とも言えない気分になった。
それを本来の方向に修正したのはユマだった。両提督の合意を経て、極東艦隊とハワイ艦隊の垣根を超えた、打倒フォーマルハウトの作戦は動き始める。
戦いのときは近い。己の存在意義を果たすために、ユウマは拳を強く握りしめる。今は、この時代に復活した真竜フォーマルハウトを狩ることだけを考えればいいのだ。
「貴方たちから取り上げた牛肉は、す~っごく美味しかったわよ。勝利の味って素晴らしいと思うの」
「ほざけ! 次は貴様らの番だ! ワギュービーフとオデン缶を吐き出させてやるぞ!!」
「……ハワード一尉、オデン缶とワギュービーフだったらどちらがいいかな?」
「個人的にはオデン缶だが、班員の士気を保つためにはワギュービーフでないとダメなんだ。だが、だが……!」
「キミのオデン缶に対する執着は群を抜いているからな。……キミのおばあさまは、とんでもない系譜を残していったものだよ。あれは完全に洗脳だった……」
ハワード一尉がユマやシズクとじゃれ合う声を半分聞き流しながら、ユウマは来るべき決戦に備える。
その思考回路はすぐに『国境を超えた伊倉ユマ被害者の会』結成によって、思考の端へと追いやられることになる。
【参考および参照】
『セブンスドラゴンⅢ U.E72 未完のユウマ』(カルロ・ゼン著)
『bokemaru.up.seesaa.net(http://bokemaru.up.seesaa.net/image/NNBBB2B9CD.txt)』より、ウルフズベイン(トリカブトの別名)
―――
現在、第4章前半相当。今回もかなり端折っており、外伝がないと厳しいかもしれません。今回はユウマ視点に挑戦してみました。外伝におけるユウマの心理描写が少ないので、独自設定を付加してみた結果がこの有様です。キャラクターが完全崩壊していますね(遠い目)
どうしても使いたいネタがあったので、一部のモブの名前や設定を変更しました。SECT11のモブの中では、オデン缶に執着していた女性(女性?)が忘れられません。その結果、ハワードさんがその餌食になりました。別作品の二次創作・別版権のハワードさんといい、この名前に縁があるのでしょうか。
さて、今回ではガイドナーとシズクが仲良くなりました。この2人は過激派です。もし本気になったら、ISDFが大変なことになるでしょう。……外伝を読んでいると何かを察するかもしれませんが、今しばらくお待ちいただければ幸いです。