「まずは無難に自己紹介といこうか。俺は
真面目な表情に真面目な声。かっこいいお兄ちゃんがそこにいた。
いつもぐーたらしてるとは思えないくらい背筋が伸びて、顔も声も真剣で……困った風に言うのも、悪い印象はなかった。妹の贔屓目を抜きにしても、文句なしに格好良いと思われるだろう。しかしなぜかすぃーっと目を泳がせてあらぬ方向を見るお兄ちゃんの隙をついて、私もぐっと背を伸ばしてパソコンの画面を覗く。下半分が机に隠れていて見えないし、電気のせいで画面に白い線が走っていて、吹雪ちゃんの顔もよく見えない。でもできるだけそこから情報を得られるようにと目を走らせて……たぶん、ゲームをやる時の名前だろうものをみつけた。吹雪ちゃんとしてこれを知らないのは致命的だっただろう。見つけられて良かった。
「『謎のライダー』提督、じゃなかったんですね、司令官」
「そ、そりゃ、まあ……ね」
ライダーが何かは、一応知っている。日曜の朝にやってる子供向けのヒーロー番組だ。
私も小さな頃はその時間帯にやっていた女の子向けのアニメを見てたけど、もうそんな年じゃないから卒業している。昔の……赤い蝙蝠みたいな……ライダー? の番組はお兄ちゃんと一緒に見てたな。怖い展開が多くて大泣きしてた記憶がある。それでもお兄ちゃんが見てる傍から離れたくなくてかじり付いていたような……。
「他に何が知りたいんだ?」
「え? ええっと……じゃあ、司令官って、ここに住んで長いんですか?」
考え事をしたせいで反応が遅れた。でも、事前に何を聞くかは考えてたからそれを聞いたのだけど、どうしてかお兄ちゃんは意外そうな顔をしていた。……よくわかんないけど、でも、今一番聞きたいのはこれだ。
「ああ、生まれた時から住んでるよ。俺と母さんと父さんの三人暮らしだった」
「三人暮らし……だった」
ずっと昔から今まで、三人で……だからやっぱり、お兄ちゃんの中に佐分ユキという女の子は存在していないのだろう。わかっていたけど、悲しくて、寂しかった。覚えてない方が良いって思ったばかりなのに、矛盾してる。
お父さんとお母さんがいない、一人暮らしをしているという事を、お兄ちゃんはあえて明るい調子で言った。私が暗い顔してたから気を利かせてくれたのかもしれない。でも、逆効果だったみたい。
積み上げてきた関係が綺麗さっぱり消えている。いっそ清々しいくらいだ。そう思ったのに、胸の中は鉛で満たされたみたいに重くて、体の中の物が全部押し潰されてしまいそうだった。
……悲しむべくは、私がお兄ちゃんの中にいない事じゃない。お父さんとお母さんが死んでしまった事だ。私はまだ不幸じゃない。事故に遭ったけど、私の事覚えてないけど、お兄ちゃんがいてくれる。だからきっと、私は幸せ……。
そっと手を合わせる。天国にいる両親に祈りを捧げる。それはもしかしたら懺悔だったのかもしれないし、ただ許して欲しかったのかもしれない。こんな駄目な私を、嘘をついてるいけない子を許して、と。……叱られたいだなんて思うのはおかしいだろうか。
二人がいれば、もっと何か別の毎日が手に入っていたような気がした。もしもの話なんてしても仕方ないけど、今もお父さんとお母さんが生きていれば……そんな妄想を時々してしまう。朝起きてから寝るまでの行動を順々に考えて、そこにみんなをいれて。おはようって言ったり、おやすみって言ったり、行ってきますって言ったり、いってらっしゃいって言われたり……。
「ありがとな」
お兄ちゃんの声に目を開ける。顔を上げれば、穏やかな笑顔がそこにあった。
……私、今なんでお礼を言われたんだろう。無意識のうちに会話でもしていたのだろうか。……わからない。私の体が本当に吹雪ちゃんになって、勝手に動いてしまったのかも、なんて現実味のない事を考えてしまう。……それもいいかもしれない。考えなくても動けて、お兄ちゃんと一緒にいられるなら、私はそれでもいい。
それで、えっと……私が変な事を口走ったのでなければ、お兄ちゃんのお礼は私が手を合わせた事に対してだろう。これは当然の事なのにどうして……とは思わない。お兄ちゃんが私を身内だと知っていたならお礼はなかっただろう。つまりは、そういう事だ。
「いえ、当たり前の事をしただけです」
「あんまりそういうの、素直にできる人って少ないんだよ。礼を言わせてくれ」
やめてよ。
他人行儀にしないで。
私が……私がこうするのは当然のことで、したって何もおかしくないはずなのに。
そんな風にお礼を言われたら、ますます距離が開いてしまう気がして辛い。
「それじゃ、今度は君の話を聞かせてもらえるかな。『どうして』と『どうやって』はわかった。次に聞きたいのは、君の経歴、それと、これからどうしたいのか」
泣きそうになっている暇はない。危惧していた質問がきた。
私は吹雪ちゃんの事を全然知らない。お兄ちゃんの方が良く知っているだろう。でも、それはキャラクターとしてだ。私を窺うお兄ちゃんは、現実に現れた人間としての
それでも話すには勇気がいる。私が経験してない事、たった今考えたばかりの事を昔あったみたいに話すのには、緊張が伴う。私を忘れたお兄ちゃんに一緒に過ごした時間や私との関係を話すのとはわけが違う。
考える時間は少ない。情報も少ない。だからその中から少しずつ切り出して、それらしく口にする。
「私は、吹雪です。知っていると思いますが……」
「ああ。でも自己紹介は大事だよな。よろしくな、吹雪」
「はい!」
明るく元気な女の子を心掛けて笑顔を浮かべる。お兄ちゃんも自然と顔を綻ばせているのがわかった。
……スムーズだ。今までお兄ちゃんとの自己紹介がこんなに滑らかにできた事があっただろうか。戸惑い、困惑、疑い。いつだってそのどれか一つか、あるいは全部があったのに、今あるのは嬉しさとか優しさとか、そういうのだけ。
これが
暖かいものが胸の中に広がっていく。
……喜んでる。こんなに普通に話せているのを。こんなに、穏やかに話せているのを……私が。
良い事だと疑わない。そうしておいた方が良い。嬉しさで満たされた胸は、なのにキリキリと痛んで何かを訴えている。意図的にそれを無視して頭の中にパソコンの画面を浮かび上がらせ、さっき見た光を当て嵌める。なんて書いてあったっけ……。前はどうだっただろう。昨日と、数日前と、それから何日も前のゲームの画面。お目当ての文字を見つけた私は、笑みを深くしてはきはきと言った。
「ずっとあなたと過ごしてきました。これからも、そうしたいです。……だから」
でも、そこから先は本心。知っているのに初対面の自己紹介の形式をとっている今なら、こう言ったって違和感はないはずだ。
「一緒にいさせてください」
もう、私を忘れないでください。そう想いを込めて頭を下げる。
一緒にいたい。ずっと。
覚えていてほしい。ずっと。
私も、お兄ちゃんの傍にいられるよう
「そ、そんな畏まらなくても、いいよいいよ。
「大事な事なんです!」
顔を上げなくたってわかる、お兄ちゃんの慌てた顔。お父さんとお母さんが事故に遭ったと聞いた時と同じような顔をしているんだろうな、と想像した。
お兄ちゃんの言う通り、頭を下げなくてもいいかもしれないけど、これ以外どう表現すれば良いのかがわからなかった。一緒にいたい。そう思うのは私の勝手。だから、一緒にいさせてくれるかの許可があるかないかは、凄く重要なの。……
お兄ちゃんが「いいよ」って言ってくれなきゃ、私安心できない。
「わかった。……むしろ、俺からお願いしたいくいだ。これから、俺と過ごしてくれるかい」
だから、お兄ちゃんがそう言ってくれた時、私は心の底から笑う事ができた。
傍にいられる。きっと心も近くなれる。それが嬉しくてたまらない。
「はい、喜んで……! 本日から、よろしくお願いしますね!」
大袈裟なくらいお辞儀をして、目を細めて微笑むお兄ちゃんに『ありがとう』をする。
これで少しでもお兄ちゃんと一緒に歩けるようになれば良いけど……ううん、そうなるよう頑張らなきゃ。何はともあれ、まずは努力と行動。それが大事だって、前に読んだ本に書いてあった。
「野暮な事を聞くかもしれないが、なんで髪を下ろしてるんだ? それに、服も……なんか違くないか?」
「――――」
……。
一瞬総毛だって、でも、すぐに落ち着いた。
頭の中から抜け落ちていた事柄。いくら私が吹雪ちゃんに似ているからと言って、彼女の服装と私の服装が一緒という訳でもない。それに髪型も違う。今日はたまたま美容院に行ってそれくらいの長さに切ったから良かったものの、そうでなかったらこの作戦はできなかったな。
「それが、わからないんです」
「……え?」
ここでもまた嘘を吐く。
この制服を着ている理由と、髪を下ろしている理由を私が知らない訳がない。
制服を着ているのは中学校に在籍しているからで、髪を下ろしているのは、私は必要な時しか髪を結ばないからだ。
「たぶん、この世界へ来た時に、時代や容姿に見合った姿になったんだと思います」
続きを促すように黙っているお兄ちゃんに、それっぽい事を言っておく。最近そんな設定がある小説を読んだから、拝借させていただいた。納得して頷いたお兄ちゃんが、私の制服を指して「それは中学のものだよ」と教えてくれたので、まるでその言葉に聞き覚えが無いみたいにオウム返しにしつつ、首を傾げた。『学び舎』と言い方を変えて再度問いかけてきたけど、横に首を振っておこう。ここは何も喋らないでいれば、後でどうとでも誤魔化せる。
ゴムで髪を縛り、少し調整してから立ち上がる。お兄ちゃんが目で追ってきているのを確認しつつ机から離れ、スカートが広がるようにその場で一回転してみせた。空気が入り込んでふわっと膨らんだスカートから、たぶん結構足が見えてしまったと思う。恥ずかしいけど、お兄ちゃんなら大丈夫だ。それにこうして目立った動きをすれば、多少の違和感は目に入らなくなると思う。
……あとは、そう。
「どうですか? 司令官」
これも聞いておこう。
私が中学に上がって制服を着た時、すでにお兄ちゃんはこんな状態だった。だから、制服が似合うかどうかなんて聞く余裕はなく、でも、聞きたかった。理由は自分でも良くわからないけど、たぶん肯定してほしいんだと思う。なんでもいいから言ってほしい。
「ああ……。――」
頷いたまでは良かったけど、その後お兄ちゃんがもごっと言った言葉を聞き取れなかった。なんて言ったんだろう……気になるけど、思案するような顔つきになったお兄ちゃんは再度同じ事を言ってくれそうにない。どころか立ち上がって私のすぐ前に立つと、「ああやっぱり」なんて言い出した。
何がやっぱりなのかは、私の頭のすぐ横で小さく左右に振られる手を見ればわかる。
「なっ! 何をしてるんですか、司令官!」
気付いたと同時に跳ねるようにして距離をとる。それ、私の嫌いなやつ……背比べだよね?
このタイミングでなんで? なんて考えても仕方ない。昔からお兄ちゃんは突拍子もない事をする人だったし、でもよりにもよって背なんか見なくたって……!
だって、見てわかるくらい身長離れてるじゃない。どんなに背伸びしたって追い越す事は叶わない絶望的なまでの差。……そんなの昔からだけど、だからといって比べられても良いとは全然思えない。むしろ改めて自分の背の低さを実感してしまって嫌になる。
「ちんちくりんだな」
「ち、ちんちくりんじゃないもん!」
なんでそういう事言うの!
お兄ちゃんにはデリカシーがないの!?
ああもう、せめて私が身長の事を言われるの嫌なのくらいは覚えててくれないかなぁ。
「あっ……んんっ! わ、笑うなんて酷いです!」
こほんこほんと咳払いをしてなんとか気持ちを落ち着け、安易にからかうお兄ちゃんに猛抗議をする。……笑ってる! もー、何がそんなにおかしいの!
「悪かった。もうこの話はしないよ」
なんとか笑いを抑えたといった様子で言われてしまえば、私はこれ以上何も言えなくなってしまう。
せめてもの反抗に思いっきり不満な顔をしながら、でも内心はほとんど許してしまっていて。
「……それなら、良いんですけど」
不貞腐れたような自分の声にちょっと笑いそうになってしまった。
「ここに住んでくれるなら、まずは案内しよう。君の寝床も決めないといけないしな」
「……すみません、ご迷惑をおかけします」
「いいさ、これくらい」
…………。
いい加減慣れないのかな、私。
こういう風に他人扱いされるのは両手の指じゃ足りないくらいなのに、未だに不意打ちされた
みたいな衝撃が胸を打って、悲しくて悲しくてたまらない。
前なら「その必要はない」って言えたのに、今はもう、素直に見知った家の中を案内されるしかない。
体の中が荒れて、死んでしまいそうだったけど、お兄ちゃんがパソコンを終わらせている間にこっそりと深呼吸して気持ちを落ち着けた。
「逆にお礼を言いたいくらいだ。この家に一人じゃ、さすがに寂しいからな。これから賑やかになりそうで楽しみだよ」
「それは……はい、そうですね」
自然と笑ってしまった。
これ以上聞きたくない。なかった事にされた事実を突き付けられたくない。
それは乗り越えなければならないものなのかもしれないけど、私はもううんざりするくらいそうしてきた。気持ちを切り替えて次の自分へ移ったって、また忘れられる。何度『もう一度頑張ろう』って自分を励ましただろうか。少しずつ諦めが身を蝕んで、ちょっとずつどうでもよくなっていって。
それでも私はお兄ちゃんが好きだから、私は、お兄ちゃんと生きたいから。
自分を偽ってでも傍にいようって決めた。だからもう、悲しむのはおしまい。
辛い時、苦しい時は必ずくるだろうけど、今はとにかく私が吹雪ちゃんじゃないってばれないようにしなきゃ。
小走りで先に扉へ向かい、ほんの少し押し開いて体を潜り込ませる。
「あわっ!?」
「吹雪?」
瞬間、足が滑ったみたいに左へ倒れて――実際は足取りたしかに、わざとらしく音をたてて――急いで私の部屋の扉にかかる木製のネームプレートを掴み、紐を引き千切った。その勢いに任せて倒れ込めば、足を引っ掛けてころんだ吹雪ちゃんの完成だ。後ろに手をつくようにしてプレートを背に隠す。これが見られたら……見ただけで気付いてくれるとか、思い出してくれるなんて思ってないけど、違和感を抱かれてしまうのは確実だろう。ネームプレートは私の部屋だけでなく、お兄ちゃんとお父さんとお母さんの部屋にそれぞれついているから、答えを簡単に導き出せてしまう。
「だ、大丈夫か?」
「はい。すみません、司令官。……あれがないと、バランスが……」
「アレ?」
部屋から出てきて、心配そうに私に手を差し伸べてくれるお兄ちゃんの大きな手を掴み、立ち上がらせてもらいながら弁解する。
あれとは吹雪ちゃんが背負っている銀色の機械みたいなやつの事だ。ランドセルより大きいし、鉄の塊みたいだから相当重いはず。この世界に来てそれを失い、上手く動けていないという設定を作り出してさっきの不自然な行動を隠した。
スカートで手を払い、僅かな埃なんかを落としてから、「それじゃあ行こうか」と促すお兄ちゃんに頷いてみせる。
それから私は、順繰りに部屋を案内された。両親の部屋、お手洗い――やっぱりお兄ちゃんはデリカシーに欠けている――、それと、私の部屋。
……私がずっと使っているこの部屋は、お兄ちゃん曰く空き部屋で、大きな家具などが置かれている物置部屋らしい。人間も家具に含まれるなんて初めて知った。ユキって名前の家具。
一階にある和室とこの洋室、どちらを使いたいかと問うお兄ちゃんを前に考える。ここは私の部屋だから「ここにする」と言いたいところだけど、扉を開けられると困る。使っていない家具とかが置かれているはずなのにそうでなかったら怪しむだろう。
色々考えてみたけど、動かなきゃ始まらない。結局私はこの部屋を選択し、案の定扉を開けようとしたお兄ちゃんの前に割り込んで、『ここはもう私の部屋なんだから』とか『女の子の部屋に入ろうとするなんて』といった内容の言葉を投げつけ、隠し持っておいたプレートを扉にくっつけてネームペンで『FUBUKI』と記入した。……あ、書いたはいいけど、どうやって固定しよう。
悩んでいれば、下に下りた際に両面テープか何かを探すという事になった。たしかテレビの横の棚の一番下の引き出しに入ってたと思う。
お兄ちゃんの提案に乗った私は、その背を追って階段を下り始めた。