そこは、一面荒野が続く特殊な空間だった。どれだけ見渡しても、砂一面が広がる世界。時折山岳がある程度で、ほかには何もない不思議な空間。
幻想的で、神秘的で、とてもこの世とは思えない不思議な空間の正体は『時の中』である。
普通の人間では決して立ち入ることのできない『時の中』。
その空間を、蒸気機関車型の時の列車──ゼロライナーが走っていた。ブオォン、と汽笛を鳴らすゼロライナー。その車両内で詩音とデネブはババ抜きを行っていた。
すでに勝負は決着の一歩手前。大半のカードはテーブルに溜まっており、残りは詩音の手札とデネブの手札を合わせて計三枚だけ。そして、今は詩音がカードを引く番だ。つまり、これで決着が着くかもしれない。
詩音の手札はスペードのA一枚。デネブの手札はハートのAとジョーカー。確率は二分の一。詩音は眉間に皺を寄せ差し出された二枚の札を見つめる。
「…………」
思考の末、詩音は左側のカードを掴んだ。しかし、いくら力を入れて引こうとしてもびくともしない。
それはつまり、デネブがカードを引かせないようにしているということ。ムキになってカードを引こうとする詩音だったが、デネブも断固たる意志でカードを引かせないようにする。
もうそれがジョーカーだと証明しているようなものだったが、詩音はそんなことは気にせずにカードを引くために力を入れる。
しかし、どれだけ力を入れても、デネブの手からカードがひかれることはなかった。当然だ、人間とイマジンでは力の差など考えるまでもない。結果、詩音は諦めて右側のカードを引くと、ハートのAがこんにちわ。これによりAが揃った詩音の勝利となり、ジョーカーが残ったデネブの負けとなった。
デネブの計らいで勝利となった詩音はカードをテーブルへと投げるとふて腐れてしまう。当たり前だ。誰だってこんな形で勝利したとしても、全然うれしくないのだから。むしろ小ばかにされた気がして、詩音のようにふて腐れる人が多いだろう。
そんな詩音を見たデネブは懐から取り出したクラッカーを鳴らし、詩音の勝利を祝おうとするが、逆に詩音の癇に障り、喜んでいたところにタックル、頭突き、蹴り、その後もサブミッション系のプロレス技でお仕置きされていく。
「1、2、3、イエーイ!!」
最後にはスリーカウントを取り、はしゃぐ詩音。
イエーイ! と何度も叫び拳を上げて喜ぶ詩音。そこには先ほどでふて腐れていた時とは百八十度違う姿が、そこにあった。
☆★☆★☆★
はしゃぎ終わった詩音は、トランプを片付けるデネブを見ながらあることを思い出していた。
(そういえば、あの人ババ抜きめちゃくちゃ弱かったよな。大人なのにムキになって何度も勝負を仕掛けてきて)
ババ抜きと言えば、詩音の知り合いにとてもババ抜きが弱い人がいた。どうやらその人は友人間でもババ抜きが飛びぬけて弱く、一度も勝ったことがないらしい。
当たり前だ。なぜなら、その人がジョーカーを持っている時、どのカードがジョーカーなのか顔を見ればわかってしまうのだ。わかりやすいほどに表情がコロコロと変わるさま今思い出しても面白い。
「ははっ」
つい思い出し笑いをしてしまう詩音。今振り返ってみれば、いろいろと懐かしさが込み上げてくる。
詩音の日常は、生まれつき悪い目つきのせいか、変な輩に絡まれ喧嘩することが多かった。特に中学校と高校はほぼ毎日絡まれていたような気がする。
そんな、嫌なことが増えて行った日常だったが、気に入っているところもある。行きつけの和菓子屋の饅頭は美味しかったし、あの人の道場での練習は面倒だが変な輩に絡まれた時に役に立ったし、仕事の手伝いだと言われてモデルをやったおかげで服に金を使わなくて済んだし、何度弄っても飽きない背の低い友人の母に、賢そうなのにどこか抜けてる残念な人。いつも美味しいお米を紹介してくる人の対応に何度も困ったり、二児の母親なのに体力の衰えを感じさせないあの人。いろんな人との思い出が詩音の脳裏に浮かんでくる。
その中で、やはり呼び起してしまうのが、消えていったアイツとの思い出。
「──―ちっ」
どれも楽しい思い出なのに、アイツとの思い出だけは決まってあの出来事だ。まあ、ここ最近はほとんど口もきかずに喧嘩になっていたから、思い出が少ないと言われればそれまでだが、よりによって思い出したくもないことを思い出してしまい舌打ちをする詩音。
舌打ちが聞こえたのか、デネブはカードをまとめ終わると詩音の方を向く。
「詩音、いつまでも嫌がってないで、そろそろ渡しに行かないと」
「……嫌だ。お前が渡して来い」
詩音の返答を聞いたデネブは、「もう」と言って詩音の元に移動する。
「本当は詩音だって会いたいんだろ? 大丈夫、最初はお友達から始めればいい。それから徐々に──」
「だから! 人の気持ちを勝手にねつ造するな! それにその出会いの仕方、完全に恋人路線に入るだろうが!!」
叫び、デネブの首元目掛けで突きを放つ詩音だったが、グキッと嫌な音が詩音の手首から聞こえてきた。
明らかに鈍い音が響いたのだが、詩音は我慢してデネブを睨みつける。しかし、次第にその表情が曇り始め、手首を抑えながら「もういい!!」と怒鳴り車内から出て行ってしまった。
外の景色が見れるデッキへと出る詩音。目の前には殺風景しか広がっていないが、それでも中にいるよりはましだった。
「くそっ! マジで意味わかんねえ!!」
☆★☆★☆★
「真姫ちゃーん、ホントにここにあるのかにゃ?」
「ラーメン屋になかったんだからここしかないでしょ? 文句言ってないで探しなさいよ」
「……それが人にものを頼む態度かにゃ?」
「……お願いします」
「よろしい。かよちーん、見つかった?」
「うんうん、まだ見つかってない」
花陽の声を聞いて真姫はため息を吐いた。
真姫たちがいるのは昨日の公園である。あのあと、家に着いた真姫は自分のカバンの中に生徒手帳がないことに気づいた。そして一夜明けた今日、凛たちに協力してもらい昨日最後に訪れたこの公園に生徒手帳を探しに訪れた。ここを探す前にカバンの中や学校の机の中、職員室に行って落とし物として届いてないかと聞いてみたりと、普段から真姫がよく行く場所を探してみたのだが見つからなかった。
真姫は普段から生徒手帳をカバンの定位置に入れ、なおかつ毎朝あるかを確認するほどのことまでして、生徒手帳の有無を確認している。もちろんそれは昨日もやっており、家を出るときに確認したときはちゃんとカバンの定位置にあった。学校ではめったに生徒手帳を取り出すことはないので、落としたとすれば昨日寄ったラーメン屋かこの公園と言うことになる。もちろんラーメン屋でも探したが見つからず、残るはこの公園だけになった。
この公園はかなり広い公園であり、森林も多く学校の演劇部員たちの自主練場所や犬の散歩場所、さらにはランニングに適した場所となっている。その為、この広い公園を探すのはとても苦労することだった。さらにいうなれば、真姫たちは昨日の記憶があやふやになっており大半のことを覚えていない。
「まったく、どこに落ちてるのよ」
真姫が愚痴るのも仕方のないことだろう。記憶がはっきりとしていれば楽なものを、記憶が無いため公園全体を探す羽目になっていた。幸い今日はμ’sの練習は午後からなので午前中の時間をフルに使えば、見つかりそうな予感はある。……あくまで予感だが。
「あーもう、どこにあるのよ!」
叫ぶ真姫の後ろで、ガサリと音がした。
振り返ってみれば緑色のメッシュが入った長髪の男が立っていた。緑色の瞳で自分を見てくる男に不信感を抱く真姫。だが同時に、男の顔付きに妙な親近感を抱いてしまう。この感覚は何なのか、記憶を探ってみてもこの男とは今日が初対面のはずだ。それなのに、どこか別の場所で何度もあっているようなこの感覚に、真姫は内心首を傾げるしかなかった。
「……なんですか?」
それでも、警戒心がなくなるわけではない。突然現れた男に警戒のこもった声音で訪ねる真姫。
男はスゥーと息を吐き、吐いた息を吸うのと同時に腰に手を当てて、
「ごめん!」
いきなり九〇度頭を下げて謝罪してきた。
「へ?」
突然の謝罪に真姫の口から間抜けな声が漏れる。
「本当はすぐに渡した方がいいと何度も詩音に言ったのだけど、言うことを聞かなくて。本当にごめん!」
「いや、あの、急に謝られても……」
突然の男の謝罪に真姫は困惑するしかなかった。
男はしばらくして顔を上げるとポケットから何かを取り出す。それを真姫の方へと差し出しながら男は言う。
「これ、君が昨日ここで落としてったものだ」
「私の生徒手帳!?」
男が持っていたのは音ノ木坂学院の校章が彫られた手帳だった。男から手帳を受け取り中を開いてみれば、音ノ木坂学院の校則が書かれたページが数十ページとメモページ。その後ろには自分の証明写真が使われた身分証明書が確かにポケットに入っており、それが真姫の生徒手帳だと証明していた。
探し物が見つかり安どの息を吐く真姫。正直な話半ば諦めかけていたのだ。いくら何でも記憶があいまいなままこの広い公園を探すのは精神的に来るものがある。本当ならほかのメンバーにも協力を得た方がよかったかもしれないが、さすがに曖昧な記憶の中説明するのは気が引けた。
しかしだ、こうして見つかったことを考えればもういいことだ。世の中には『終わりよければすべてよし』ということわざがあるのだ。今は見つかったことを喜ぼう。そう思って顔を上げてみると、男の緑色の瞳がすぐ目の前にあった。
「ゔぇえ!!」
「おっ、本当に詩音と同じ驚き方だ」
突然目の前に男の顔が広がっていたとなればだれでも驚くに決まっている。当然真姫も声を上げて身を引いたのだが、目の前の男はそれを気にする素振りがなく、尚も真姫の顔をじろじろと見る。
「いやー、見れば見るほどにそっくりだ。その髪にその目! 本当に
「え? しおん?」
瞬間、真姫の頭の中の奥底で何か細い糸がピンと張ったような感じがした。うまく言葉には表せれないが、『しおん』と言う単語を聞いた途端に自分の中で何かが反応したのだ。糸が張るような、ぼやっとしたものが頭の中に浮かんでくる。しかしそれが明確には見えてこない。もやもやとした、実体の見えないあやふやな
記憶の奥底から駆け上がってくるこのもどかしい感じは一体何なのだろうか?
引っ掛かりを感じる『しおん』という言葉。男のセリフから考えるに『しおん』とは人物の名を示しているのだろう。だが真姫に『しおん』と言う人物に心当たりはない。真姫の人生の中で『しおん』と名乗る人物と出会ったことは一度もないのだ。あるとすればよく読むシリーズ小説の登場人物くらいだろうか、創作物の登場人物に引っ掛かりを覚えるなどばかばかしい話だが、それでも明らかに『しおん』という言葉に何か引っかかりを感じていた。何か別の形、言葉では表せれない何かが、自分の中で引っかかっている。
「あっ、そうだ」
真姫が思考の海に沈んでいると、青年が突然手を握ってきた。本来であれば突然の行動に驚いて手を引っ込めるのだが、なぜか今回はそうはしなかった。先ほどまで思考の海に沈んでいたからなのか、それとも手を握られた瞬間に真姫の中で駆け巡っていた
青年は真姫の手の平に二個の固形物を置いた。デフォルメされたキャラクターが描かれた紙袋が二つ、丸い何かを包んだものだ。
「デネブキャンディだ」
青年はそう言ってニィと爽やかな笑みを浮かべる。
さらに青年はもう一つの手を使い真姫の手を優しく包み込みながら言う。
「大丈夫、君のことは俺達が必ず守る!」
力強く宣言をし、笑みを浮かべる青年。
──―その爽やかな笑みが
「あなたは──」
だれ? と続けようとしたところで真姫は気が付いた。真姫の視線の先、つまり青年の後ろの木の陰に隠れながらこちらをニヤニヤと見る猫娘と、顔を赤くして両手で口元を隠して目を見開いているアイドルオタクの存在に。
瞬間、真姫は別の意味で脳を高速回転させた。
──今自分は傍から見ればどんな状況だ?
青年(見た目は割とイケメン)に右手を両手で包まれ『必ず守る』という漫画やアニメなどでしか聞かないセリフを言われ、爽やかな笑みを浮かべられている。
……………………………………女子が喜ぶ要素満点だ!!
ボンッ、と音が出そうなほどまでに顔を真っ赤にする真姫。耳まで赤くなっている当たりよほど恥ずかしいことなのだろう。青年は真姫の顔が赤くなった理由がわからないのか『?』と首を傾げるだけで手を放そうとしない。
「……ぁ……ぁ、……ぁあ」
羞恥のあまり青年を叩こうと思ったとき、先に青年の方に異変が起きた。
ビクッ!! と背筋が伸びたかと思うと青年の体から『なにか』が飛び出し隣に落ちる。続いて青年の髪から緑色のメッシュが消え、髪もミディアムショートの長さになり先ほどまでとの雰囲気が変わる。
青年隣にははじき出されたと見て取れるように転んでいる怪人(?)が存在し、青年は怪人(?)を睨みつけると、真姫から手を放し怪人(?)の方にドロップキックを放つ。
「デネブううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「ぐおっ!」
ドロップキックを受け起き上がりかけた体が再び地面へと沈むデネブと呼ばれた怪人。青年はまだやり足りないのかうつ伏せに倒れている怪人の足を掴むと、逆エビ固め決め始める。
「ぐおぉぉぉ~、詩音~~~」
「お前ぇ! 何余計なことまで言ってんだ! 手帳返すだけじゃねえのかよ!!」
「いやだって、これから守らなきゃいけないんだから、挨拶は大切じゃないか」
「必要ねえよ! 第一、俺はコイツを守るなんて決めた覚えはねえ!! 俺は俺のために戦うだけだ!!」
それに! と青年は逆エビ固めを解除すると真姫を指さしながら、
「お前もお前だ! 何手を握られて赤くなってんだよ! 恋する乙女じゃねぇんだから振り払えよ!」
なぜか怒られた。
「それになんで手帳落としてんだよ! 間抜けか!! バカっ!!」
ブチィ、と今度は何かが切れる音が真姫の中に響いた。
「アンタねぇ! バカとは何よ! バカとは! そもそもそっちが握って来たんじゃない! 私は悪くないわ!!」
「俺がやったんじゃねえ! コイツが勝手にやったんだ! ったく、よりによってなんでコイツの手を握らなきゃいけねぇんだよ」
「……ちょっと、それどういう意味よ? なに? 私の手なんか握りたくなかったって言うの?」
「当り前だろ。なんでよりによってお前の……」
「……?」
突然、青年は声を発するのを止めた。
「……」
青年は寂しげな表情で自分の右手を見ている。そしてそれから視線を真姫の方へと移す。真姫を見る瞳には寂しさと後悔の色が現れており、先ほどまでの感情とは全く別の感情がそこにはあった。
先ほどまでとの様子の変化に呆気にとられる真姫。すっかり影を薄くしてしまった友人二人も、青年の変化に戸惑っている様子だった。
「……帰るぞ、デネブ」
沈黙を破ったのは青年の声だった。
青年は立ち上がると真姫達を気にする様子はなくその場から去ろうとする。
「詩音……」
「いいんだ」
デネブが声をかけるも、青年は止まることなく歩き続ける。デネブも最初は躊躇していたが、懐から取り出したキャンディを真姫に渡し一礼。凛と花陽にも忘れずにキャンディを渡すと急いで青年の後を追った。
「……」
三人だけが、その場に取り残された。
静寂が三人を包み、秋風が三人の髪を撫でる。
そんな中、真姫一人だけが去って行く青年の姿を見つめていた。
「しおん……詩音?」
なぜだろうか、その名前を呟くたびに何かが真姫の中で動いていた。だが、いくら呟こうがそのモヤモヤは決してつながることはなかった。
まだ何か、何かが大きく足りない。このモヤモヤの正体を繋ぐにはキーワードが足りなさすぎる。
「詩音……」
もう一度呟く。
秋風が、一つ吹くだけだった。