呂布のいう俺に似ている何者か。
彼女に指切りを教えた誰か。
懸念するべき事項は増えた。
しかし俺は城の中に足を踏み入れた時点でこれらについて一先ず頭の片隅に置き、気持ちを切り替えている。
最優先するべきはこの戦争に勝利する事だ。
そこを履き違えてはならない。
そして通された玉座の間。
来訪者を迎え入れる一つ高い位置にある玉座には儚げな雰囲気をした薄紫色の髪の少女が座っていた。
玉座にてこちらを出迎えているという事はおそらくあの少女が董卓なのだろう。
彼女の隣にはきつい目つきをした緑色の髪の少女が立っている。
そして玉座の下で横向きに並ぶ白に近い紫色の髪の女性武官が一人。
そこに俺たちを先導した張遼、呂布が並んだ。
自分たちの命運を左右する人間たちとの会合をするにしては人数が少ない上に武官に偏っているように思えた。
自分の勢力の誇示、そして相手への圧力も兼ねてこういう場では横向きに並ぶ文官と武官くらいはもっといてもよいと思うが。
少数精鋭ということなのか、それとも信用出来る者が今いる者たちしかいないのか。
あるいは反董卓連合への対応に追われ、この場にいることすら出来ないほどに忙しいのかもしれないな。
俺の深読みである可能性も含めて考えておこう。
「連れてきたで~」
張遼はだいぶ砕けた、というか下手をすれば無礼打ち待ったなしの軽い言葉を階上の二人に告げる。
「ありがとうございます、文遠さん。奉先さんも……」
「うん……」
「気にせんといて。これはうちらの仕事やし」
外見の印象そのままの柔らかで優しげな労いの言葉に呂布は言葉少なに、張遼は彼女らしく応じた。
先頭にいた雪蓮嬢、冥琳嬢が膝を付いて頭を垂れるのに倣い、俺たちも同じように膝を付く。
献帝、現在の帝の代行者とはすなわちこの中華の最高責任者。
翠たちと違って見知った仲というわけでもないのだから、謙った態度を取るのは当然の事だ。
「お初にお目に掛かります。建業太守、孫伯符です」
「建業筆頭軍師、周公瑾です」
「配下の凌刀厘です」
「同じく黄公覆です」
「韓義公です」
「祖大栄です」
「程徳謀です」
続けて翠たちが名乗りを上げる。
「西平太守馬寿成の名代、馬孟起です」
「その配下、鳳令明です」
俺たちが名乗り終えて数秒の沈黙。
「顔を上げてください」
彼女に言葉で促され、俺たちは頭を上げる。
「建業太守、孫伯符殿とその配下の方々。西平太守名代、馬孟起殿とその配下の方々。私めは董仲穎(とうちゅうえい)。恐れ多くも献帝の代行として司空の位をいただき、都を取り仕切らせていただいております。改めましてようこそ、洛陽へ」
不思議とこの空間に響く静かな声には、惹き付けられるものを感じる。
前世で残虐、冷酷を絵に描いたような存在として語り継がれていた董卓とはまったく結びつかない。
しかしそれはそれとして蘭雪様や雪蓮嬢とは別種の上に立つ者としての才覚が彼女にあるように感じた。
今まで黙っていた董卓の隣に立っていた少女が口を開く。
「私は賈文和(かぶんわ)。政務を取り仕切っているわ」
董卓の元に、それも側近と呼べる立ち位置に賈駆がいるとは思わなかったな。
賈駆文和(かくぶんわ)
曹操の忠臣として名を残す文官。
董卓軍に所属するというより、その配下に甘んじながらも上手く人を操っていたという印象が強い。
長安に遷都した後、董卓の死により都が荒れた頃、献帝を脱出させるのに一役買ったと言われている。
その後、張繍の元で辣腕を振るい、紆余曲折あって曹操の参謀へと収まっている。
以降、馬超と韓遂を離間の計にて分断する、跡継ぎ問題に長男の曹丕を推すなど、曹魏の将来に多大な影響を与えている。
きつい目をさらに鋭くし、俺たちを睨みながら彼女は言葉を続ける。
「それぞれ思惑はあるだろう事は分かっている。それでもあえてこの場で聞かせてもらいたい」
硬い口調で彼女は切り出した。
「袁本初の檄文によって私たちは圧制者に祭り上げられ、この大陸の諸侯のほぼ全てを敵に回しているわ」
身を切るように現在の状況を語る。
こんな状況になるまでに手を打てなかった己を責めるように。
「武官の質はともかく、兵士の数は圧倒的に不利。こちらに与する事に利などないとさえ言える状況で、お前たちがこちらに付く理由はなに?」
話しているうちにこちらへの猜疑心が表面化したようで、言葉の最後はもはや詰問となっていた。
都の玉座で、帝の権利を代行する者を前にして、誤魔化しは許さないという意図なのだろう。
領土を預かる者として今後を考えれば董卓に与するなどありえないと賈駆は考え、俺たちの真意を問いただしている。
そう思うのも当然の事だ。
大多数の領主たちの中には袁紹を毛嫌いする者だって存在する。
そんな者ですら、あちら側に付いたのはこの戦いの後の影響を考えたからだ。
董卓が悪政を働いているという悪評の流布により、董卓に付くということは悪政を肯定するという事になってしまった。
本当の所がどうなのかという話ではない、民が事の真偽を確認する術はほとんどないのだから。
仮に董卓側に付いた結果、無事に戦を切り抜けて領土に帰る事が出来たとする。
しかし帰った後に待っているのは民による暴動か、あるいは『董卓に付いた悪漢に領土を預ける事は出来ない』という大義名分の元に行われる余所からの侵略である。
民の暴動は結局、当人たちが領土でどのような治政を行っているかによるが、侵略に関してはほぼ確実に起こるだろう。
なにせ義は完全に侵略する側にあるのだから。
彼女の問いかけに応えるのは当然、代表者でなければならないだろう。
「私は、私たちは仲穎が悪政なんてしないことを知っている」
先に口を開いたのは翠だった。
司空という立場の人間を字で呼ぶのは、親しい間柄だからだろうが聞いてるこっちは冷や冷やものだ。
「私は西平の代表だ。母上とも一族の皆とも意見を交わして、その上で総意としてここに来た。馬家も兵士たちも、民衆すら含めての総意だ。お前たちに被せられた汚名を晴らす。最後の最後まで、私たちはお前たちと運命を共にする。たとえ後世にどのような悪名が残ろうと。馬家の名が地に落ちようとも」
気持ちの良い真っ直ぐな言葉に嘘偽りは一切ない。
疑心に凝り固まっていただろう賈駆は、唖然として二の句が告げないようだ。
董卓は今まで意図して無表情を保ってきたのだろう、翠たち西平からの信頼に口元が綻んでいる。
「ただ状況が状況だからな。お前たちが私たちを疑うのも当然だ。監視を付けるなら付けてくれ。疚しい事は何もないから何も変わらない」
翠はふんと鼻息荒く行動で示すと断言した。
張遼はそんな彼女が気に入ったか、けたけた笑っている。
呂布はいまいち感情が読みにくいが、印象が悪いという事は無さそうだ。
もう一人の武官は翠の言葉にしきりに頷いているようで、どうやら同じ系統の直情型らしい。
「……文和ちゃん」
「分かってるわよ。……馬孟起殿、同盟が為る前からの信頼を疑った事、謝らせていただきます」
董卓に窘めるように名を呼ばれ、賈駆は観念したように翠に頭を下げた。
「気にするな」
言いたい事を言ってすっきりした顔をして翠は雪蓮嬢に視線を向ける。
次はこちらの番という事なのだろう。
俺たちと翠とは立場が違う。
前もって積み上げた信用もない以上、この問答の結果如何は今後の行動にも影響が出るだろう。
さて我らが主は、賈駆いや董卓に何と返すのか。
「私は貴方たちがどういう人間かこっちで調べた事しか知らないわ。まぁそれはそちらも一緒でしょう?」
自分に視線が集まる中、雪蓮嬢が口を開く。
「はっきり言ってしまえば、私たちは貴方たちを助ける為だけにここに来たわけじゃない。こちら側に来た大きな理由は司空が貴方でいる方が都合が良いから」
董卓と賈駆の顔は強ばり、武官たちはやにわに殺気立つ。
白紫髪の武官などは今にも飛びかかりそうだ。
あちらが雪蓮嬢の言に我慢ならずに飛び出してきた場合に備える。
「この街は少し前まで荒れ果てていた。宦官どもが帝を操り、やりたい放題していたからね。地方でも賄賂の横行なんて当たり前。私たちも少くない品物を送っていたわ」
話の風向きが変わったからか、張遼と呂布から殺気が薄れる。
「うちは余裕があったから、負担にもならなかったけど他の領地は違う。賄賂なんかで立場を保つような奴はまず治政そのものが上手くない。結果、様々な負担は民に直結するわ」
まともに統治出来ていない場所の領主は賄賂で立場を買っているという事も珍しくなかった。
問題は賄賂を捻出する負担がどこにかかるか、と言うことだ。
何をするにも税がかかり、税を払うのはそこに住む民である。
「貴方たち、十常侍を潰した後、洛陽の立て直しはもちろん賄賂の類を極端に減らしたわよね」
董卓たちは十常侍が溜め込んでいた財を利用しての立て直しを図ると同時に、常習化していた賄賂の受け取りのほとんどを取りやめている。
現在に至っては一切の受け取りを拒否してすらいた。
「さらにわざわざ賄賂を渡しに来た連中のそれは突っぱねてもいる。他にも狙いはもちろんあったんでしょう。けれど自領だけじゃない民の負担を考えて賄賂の受け取りをやめたのよね?」
疑問系の形ではあるが、雪蓮嬢は自分の推論を確信しているようだ。
見据えられた董卓は、彼女の不遜な態度を気にする事無く、目を閉じてその言葉に頷いた。
「……そうです。自分でも強引な手段であったと思います。けれど黄巾の乱が起きた背景、その時犠牲になった民の事を思えばこそ、少しでも負担を減らしたかった」
「そうやって上から民の事を見れる人間だから、私たちとしては貴方が今の立場を維持してほしいのよ。袁本初? 十常侍よりはいいんだろうけど、そもそも十常侍が最悪なのに比較でそれより上だってだけの人間が治めたところでねぇ? 私自身と妹たちに限って言えば別に大陸をどうこうしようなんて野心はないもの」
興が乗ってきた為に明け透けになってきた主の言葉に冥琳は頭を抱えた。
翠はどうすればいいのか分からないらしく、しきりに俺や祭、鉄心殿に視線を向けている。
董卓はぽかんとしており、賈駆は声を上げようとしては適切な言葉が出てこないのか口をぱくぱくさせている。
張遼は声を上げて笑うのを必死に堪えて肩が震えているし、呂布に至っては雪蓮嬢の言を問題ないものと判断したのか、興味を無くしたのか今にも眠りそうだ。
白紫髪の武官はわかりやすいほどに困惑しており、頭の上に?が浮かんでいるようにすら見えるので話を理解できてないかもしれない。
「ば、馬鹿じゃないの!」
奇妙な沈黙をぶち壊すように賈駆が絶叫した。
おそらく色々と抱え込んでいたんだろう彼女は雪蓮嬢の物言いに溜め込んでいたものを抑えきれなくなってしまったのだろう。
「仲穎が民を思った治政をしているからって、それだけでこんな泥船に乗るなんて信じられるわけないでしょうっ!? あんた、もしもの時の後継がもういるからって軽はずみが過ぎるんじゃないの!! 今の私たちの状況はほとんど詰んでいるようなものなのに! 出来るだけ時間を稼いで、主上と仲穎の安全を確保出来るかどうかも分からないような状況なのに!」
どれだけ悩み、苦しんできたのか、その一端が伝わるような悲痛な叫びだった。
聞いていて居たたまれない気持ちになる。
冥琳嬢は特に彼女に共感する部分も多いだろう。
この子も自分より主、親友である雪蓮嬢を最優先に考える子だからな。
「私たちは勝算があってここに来ているの。そんなの当たり前でしょう?」
賈駆の癇癪を握り潰すように、雪蓮嬢は圧力の篭もった言葉を臆面も無く言い放つ。
「はっ? え……」
金切り声で叫び続けたせいで賈駆の声は掠れ、目尻には涙すら浮かんでいた。
「もちろん無傷とはいかないでしょう。私たちも、孟起たちも、貴方たちもね。もしかしたら今より状況は悪くなるかもしれないわね。……でも」
今、この場を支配している猛将は目つき鋭く、この場の全員に問いかける。
「上手く行けば今の状況を全てひっくり返せる。貴方たちは無事で、私たちは望んだ結果を手に入れられる。勿論、やるというからには死に物狂いよ。それくらいはしてもらわなきゃひっくり返すどころか五分にだって出来やしないでしょ?」
賈駆から董卓へ雪蓮嬢は視線を移す。
「董仲穎様。我ら建業は貴方方を今の立場を維持していただくために参りました。袁本初の妄言からの暴走を止め、洛陽の、引いては主上の安寧のため力を尽くしましょう」
先ほどまでの礼節をまるで無視した言動から打って変わったそれは、公的な建業太守という立場から司空へ向けた献策だ。
つまりはこれが受け入れられた場合、駄目でしたは許されない。
結果がどうなったとしても、献策を行った建業太守として責任を持たなければならないのだ。
背水の陣と言っていいだろう。
信用はなく、時間もそう多くはない。
そんな状況で自分たちが逃げないという事を最低限保証するものと言えた。
場が沈黙に包まれる。
雪蓮嬢の言葉に応えられるのはただ一人。
彼女らは見つめ合う。
賈駆は心配そうに董卓を見つめているが、口出しはしなかった。
やがて董卓の口が開かれる。
雪蓮嬢の覚悟をどのように受け取ったのかは彼女にしかわからない事だろう。
しかし彼女の返答によって、反董卓連合とぶつかり合う為の最低限の状況は整う事となる。
とりあえずこの後、俺たちが最初に心配するべきなのは礼儀も何もあったもんじゃない雪蓮嬢の言動で処罰されないかどうかという事だろう。