乱世を駆ける男   作:黄粋

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第九十六話 数奇なる運命

 俺たちは外界から切り離されたような、そんなゆるりとした穏やかな時間を過ごしていた。

 

 しかし気を抜いていてもそこは戦いを生業にする者。

 特に気配を消すわけでもなく、堂々とこの家に近付いてくる気配にはすぐ気付いた。

 

「客人か? 恋(れん)」

「ううん、友達。恋の家の掃除とかあの子たちの世話をお願いしてる。あとご飯が美味しい。前に話した駆狼に似てる人」

 

 穏やかな時間を過ごしている間に彼女は俺に真名を預けた。

 俺も真名を返す事に否はなく、気負う事もなく預け返している。

 それがこの子によりいっそう甘えられる結果になったのは言うまでもない。

 

 今やテーブル越しではなく椅子を隣り合わせて俺の腕に抱きついて頬摺りしている有様だ。

 俺の子供たちと違い彼女は成熟した女性なのだが、邪な気持ちはまるで沸いてこない。

 俺が妻二人に首ったけな事もあるが、それ以上やはりこの子の雰囲気が幼い事が原因だろう。

 だからついつい幼子を甘やかすように頭を優しく撫でて、その背をあやすように軽く叩いてしまう。

 恋はされるがまま微睡んでいたのだが、友人だという人物が近付いてくる気配で泳いでいた目がしっかりと開いた。

 

「俺に興味を持った理由、か」

 

 俺を誰かに似ていると言っていた彼女の言葉を思い出す。

 

「おーい、恋! 今晩のご飯の食材とセキトたちの餌買ってきたぞ!」

 

 家の外から聞こえてきたのは若い男、いや青年の声。

 どうにもあちらは客人がいるとは思っていないようで、大きな声で真名を呼びながら家に入ってくる。

 

「真名を許しているのにただの友達なのか?」

 

 少しからかうように声をかけると恋は首を傾げた。

 

「友達は一緒にいたいと思ってる人、名前で呼んでほしい人の事。だから合ってる」

「……そうか。うん、確かに合ってるな」

 

 誇らしげに自分の認識を披露する恋。

 咄嗟に話を合わせたが、正直なところこの子の幼さを舐めていたと言わざるをえない。

 こんな世界だ。

 年頃の少女に施すような真っ当な情操教育など領土を持つような者や貴族ですら望めるか怪しい。

 この子は武によって身を立てた者であり、そういう教育とは無縁であった事など想像するまでもなく分かる事だ。

 恋と愛の違いや、愛の中でも親愛や友愛、恋愛などの違いが分からないのも当然と言えた。

 

 不躾だった自分の言葉を反省していると、手製なのだろう籠を背中に背負った青年が居間に入ってきた。

 

 薄めの茶色がかった髪に、整った顔立ち。

 細身だがそこそこ鍛えられているように見える。

 服はこの時代の一般的なものだが、それがどこかしっくり来ない妙な違和感を残していた。

 髪と同じ茶味がかった瞳は俺と恋の近すぎるだろう距離にぎょっとしているようで見開かれている。

 俺は彼の顔立ちとこうして目前で見て改めて感じた気配を『かつての子供に似ている』と感じた。

 

「おかえり」

「た、ただいま……」

 

 恋にあまりにも普通に出迎えられ、どもりながら挨拶を返すものの彼の視線は俺に誰?と問いかけていた。

 

「恋。友達が困っているだろう。少し離れてくれ」

「…………わかった」

 

 無言だがとても不満だと沈黙を持って俺に伝えながらも、恋は抱きついていた俺の腕を離してテーブルを挟んで逆側に改めて座り直した。

 俺は椅子から立ち上がり、彼に向かって頭を下げる。

 

「お初にお目にかかります。姓は凌、名は操、字は刀厘と申します」

 

 丁寧に名乗ると彼は慌てて背負っていた籠を床に置いてお辞儀しした。

 

「お、俺は北郷一刀って言います。恋とは友達ですが、ただの根無し草で雇われの丁稚なので武官の方に頭を下げられるような人間じゃ、人間ではありません」

 

 慣れない敬語に四苦八苦しながら辿々しく彼は名乗る。

 その名前に『ああ、やっぱりそうなのか』という妙な納得が俺の心に広がっていった。

 

「ふふ、そう緊張しなくてもいいぞ。俺は今、武官としての凌操はお休み中なのでな」

 

 この世界で『その名』を聞かされた内心の衝撃を押さえ込みながら口調を崩して語ると、彼はほっと息を付いて肩の力を抜いてくれた。

 

「今まで政(まつりごと)に関わるような人と接する機会なんて恋を含めてほとんどなかったのでそう言ってもらえるとありがたいです」

「そういう言い方になるということは恋が将軍だと言う事も知らなかったんだな。まぁ今のような彼女の姿しか見てないなら、それも仕方ないだろうが……」

 

 俺と彼が話している姿を見て、何やらうんうん頷いている恋を見ながら言うと、彼は頬を掻きながら頷く。

 

「恥ずかしながら、そうです。恋とあったのはこの街でなんですけど、仕事をしてたらたまたまセキトに懐かれたのが始まりで……その時はこの子がそういう職業だとは全然思いませんでした。すっごく無口だけどなんでか見ず知らずで得体の知れない俺を置いてくれる優しい子って感じで」

「この子は仕事をしている時とそうでない時とでまるで印象が違うからな。おそらく無いとは思うが戦場では不用意に近付かないように」

「戦場に行く事なんてないと思いますけど、肝に銘じておきます」

 

 恋に対して割と失礼な内容を話しているというのに当の本人は、やはりどこか満足げで嬉しそうに俺たちを見ているだけだ。

 

「でさ。さっきからどうしたんだよ、恋? ずっと俺たちを見てるけど……」

 

 そんな彼女の視線に耐えかねた彼が水を向けると、恋は目元を緩めて微笑む。

 

「やっぱり、似てる。実は兄弟とか親子?」

 

 嬉しそうに声を弾ませながら聞かれた言葉に俺は苦笑いを返した。

 惜しいという気持ちを隠すように。

 

「いいや。俺は一人っ子だし、子供は三人だけだ」

 

 否定はすれども、それはあくまで『今世』での事だった。

 嘘は付いていないという事で勘弁してもらおう。

 

「俺は両親と妹がいますけど……流石に血の繋がりはないと思うぞ、恋。世の中にはそっくりな人が三人はいるって言うからそれだよ、たぶん」

 

 彼は前半の言葉は俺に向けて、後半を恋に向けて言う。

 そうだな、普通はそう考えるだろう。

 

「でも……」

 

 恋の手が俺と彼の手をそっと握って、俺たちの手の甲同士を摺り合わせるように触れさせた。

 

「ほら、暖かさも一緒」

 

 それは彼女特有の野性的感覚からの言い分で、あいにく俺や彼にはわからないものだったが。

 心の底からそう思っている彼女の言葉を否定するつもりはない俺たちは、示し合わせたように目線でやり取りし同時に肩を竦めて笑った。

 

「褒め言葉として受け取っておこうか」

「ありがとうな、恋」

 

 今日だけで何度見たかわからない、恋の綻んだ笑みに自分たちの判断の正しさを確信した。

 

 

 夕飯をご馳走になった後、俺は建業に割り振られた宿舎への帰路についていた。

 恋には泊まっていかないかと引き留められた。

 不満げに、しかしやたら力強く服の裾を握られて説得には苦労したが、また今度だという事を二度目の指切りで約束する事で切り抜ける事が出来た。

 

 今日はどうしても一人で整理したい事があった。

 

「北郷一刀。まさか、こんな巡り合わせがあるなんてな」

 

 『北郷』とは、俺の『前世の名字』だった。

 そして『一刀』とは『前世の孫』に自分の子供が出来た時の為にと強請られて俺と陽菜が考えた名前だ。

 そして何よりあいつの顔は若い頃の息子や孫にそっくりだった。

 もっともそれらの論理的な根拠はただの後押しに過ぎない。

 俺の心は出会った瞬間からあの子を血の繋がった家族であると確信していた。

 

「夫婦揃って輪廻転生しただけでもあまりにもあれだったというのに、まさか曾孫と会うことが出来るなんてな」

 

 俺が死んだ時はまだ孫のお嫁さんのお腹の中だったあの子がこうして成長した姿を見ることが出来るとは思わなかった。

 つくづく自分は数奇な運命の中にいるんだなと自嘲する。

 

「今の年齢は俺が死んでからだいたい十数年後、高校生くらい。恋に指切りを教えたのも一刀だった。時々、あの時代の言葉が出ていた事も合わせて考えれば……信じがたい話だが俺や陽菜とは違って生きたままこの世界に来てしまった可能性が高い」

 

 この世界で生きてきた人間とは雰囲気や所作、そして何より考え方が違いすぎる。

 この時代の子供としては所作が綺麗すぎて見る者が見ればその浮き世離れした雰囲気も相まって貴族か何かだと勘違いする者もいるだろう。

 それらが単に国民の受ける義務教育の賜なのだとわかるのは俺と陽菜だけだ。

 本能的に自分たちと何かが違うと感じる人間も多いはずだ。

 

 あちらからすれば俺は何の関わりもない、今日出遭っただけの他人。

 突っ込んだ身の上話なんてする仲ではない。

 だからあくまで気の合う人間として友好を深めるに留めた。

 

「自分から名乗るつもりもない。……それでも元気な姿を見ることが出来た。これは本当に喜ばしい事だ」

 

 しかし洛陽は今、戦火に包まれようとしている。

 あの子がどういう経緯でこの世界に来たかはわからない。

 元の世界に戻れるのかもわからない。

 

 ならばあの子の居場所を守る為にも、この戦は負けられない。

 

「戦う理由が増えたな」

 

 静かな決意をあえて言葉にし、俺は月明かりの中を歩いて行った。

 

 

 

 

 俺、北郷一刀は、ある日目が覚めたら中国の三国志時代に似た世界にいた。

 寝て起きたらだだっぴろい荒野の真ん中だったのである。

 意味が分からなかったし、頭が付いていかなかった。

 

 だが現実って言うのは容赦がないもので。

 しばらく呆然としていたら抜き身の剣片手に身ぐるみ置いていけって脅してくるような不良なんかより桁違いに恐ろしい山賊と遭遇する羽目になった。

 

 結果的にそいつらはどうにかなった。

 奴らは襲ったり脅すのには慣れていても、戦うのには慣れてなかったんだ。

 

 本物の刃物を向けられた事は正直怖かった。

 でも常日頃からじいちゃんと乱取り稽古や面と向かった剣道試合(ルール無用)なんかをしていた俺は、そいつらの身のこなしが武術を学んだ人間ではないという事に気付いた。

 だから冷静に相手の動きを見る事が出来たし、上手く誘導して三対一の状況を一対一を三回する状況にして返り討ちに出来た。

 この日ほどじいちゃんのスパルタ修行に感謝した日はないと思う。

 

 ただ伸した連中から情報収集したものの、今度はこっちが隙を突かれてあっけなく逃げられてしまった。

 街がどこにあるかというのと、この世界で見慣れられた服を手に入れる事が出来たのは不幸中の幸いだったけど。

 どうやら俺が着ていた聖フランチェスカの制服は、この世界基準でとても珍しく貴重な物であるらしく着てるととても目立ってしまうらしい。

 まぁ1000年以上先の技術で作られた服だから物珍しくて目に止まるっていうのは当たり前と言えば当たり前だよな。

 

 山賊のリーダー格の男も『服が日の光に反射して輝いて見えた』から俺に目を付けたって言っていたし。

 だから山賊たちの中でサイズが合う奴の服を頂戴して、他の奴らも逃げられないようにいったん身ぐるみ剥がした(弁明すると武器はともかく、服に関しては聞きたい事聞けたら俺が着ているやつ以外は返すつもりだった)んだけど。

 まさかぶんどった武器も何もかも捨てて素っ裸で逃げるとは思わなかった。

 

 まぁそれはともかく、服装を変えてしまえば俺はこの世界におけるただの農民に早変わり。

 そして一番近い街だった洛陽に流れ着いて、どうにかして地に足をつけようとした。

 

 山賊どもが置いていった剣が二束三文だけど売れたから街について数日はなんとかなったけど、三食何かしら腹に入れていたらすぐに尽きてしまった。

 

 着替えたお蔭で悪目立ちする事は避けられたんだけど、なにせ勝手がわからない世界。

 お金もない、身を立てるようなものがない俺が雇われるのも難しかった。

 

 まぁ俺の方の事情がなくてもこの頃の洛陽って十常侍が幅を利かせてて城下の治安はかなり悪かったら、そもそも仕事してる人達に新しい人を雇うだけの余裕もなかったらしいだけど。

 それを知ったのは俺が落ち着いて暮らせるようになってからだ。

 

 脱いで隠し持っていた制服を売る事も考えてた。

 ただ俺があちらで生きていた事を示せる唯一の証であるそれを手放したくなくて、そうして生活か故郷との繋がりかと悩んでいるうちに何も進展せず、路地裏で人目を割けて暮らす浮浪者になっちまった。

 とはいえそういう人間は大きな街でも珍しくもない事だったらしい。

 路地裏に転がっていた餓死したんだろう人の死体を見て「俺もいつかこうなるんじゃないか」って戦々恐々としていた。

 

 死にたくない、ってただそれだけを考えて過ごしていた。

 でもそんなひどい生活をしている中でも、誰かが困っているとどうしても放っておけなかった。

 『誰かを助けられる男になれ』ってじいちゃんに言われた事を思い出して、そんな余裕なんてないのに恐喝みたいな事をしていた輩と出くわしたら助けるような事をしていた。

 

 結果的にそれが良い方に転がった。

 助けた子供たちには懐かれて、あっちだってギリギリだったのに大人の何人かは恩を感じて食糧を分けてくれるようになった。

 彼らと打ち解けて浮浪者のコミュニティ? 寄り合いみたいなものに入れてもらえて、少し腕の立つ用心棒みたいなポジションに収まる事が出来た。

 

 その日暮らしがそれなりに板に付いていた時、洛陽で政を仕切っていた十常侍が殺され、董卓が都入りしたって話を聞いた。

 董卓という名前を聞いて、ようやく俺はここが三国志の時代なんだと気付いたけど、だから何が出来るって訳でもない。

 ただ董卓は都で悪政を布いていたって事は覚えていたから、ここから出て行く事も覚悟して日々を過ごしていた。

 

 けど俺の不安とは裏腹に董卓は悪政どころか民の税金を減らして街の治安改善に尽力してくれた。

 俺たちみたいな浮浪者に働ける場所(城壁の修繕とか新しい住居の設営とか畑仕事とか)を斡旋するよう手配してくれた。

 俺が知っている歴史とまるで違う暴君と呼ばれた人の行動に驚いたけど、それはそれとして出来た働き口には仲間たちと一緒に食いついた。

 そこからさらに時間が経つと俺や浮浪者仲間たちは、長屋みたいな集合住宅に住まわせてもらえるようになった。

 

 今までと雲泥の差の境遇に皆で一緒に喜んだ。

 ようやく俺は地に足を付けることが出来たんだって実感したんだ。

 

 そうして過ごしていたある日、俺は赤茶色の毛の大型犬と出会った。

 何が気に入られたのかは未だによくわからないんだけど妙に絡んできたから、満足するまでわしゃわしゃ撫でたりブラッシングもどきをしたり、仲良くなった子供たちがふくれっ面になるくらい構い続けて数日。

 

 その子、セキトの飼い主である恋がやってきた。

 セキトが懐いてるから興味を持ったみたいな事を言って家に担ぎ込まれ(めちゃくちゃ力が強くて抵抗するとかしないの次元の話じゃなかった)、あれよあれよという間に動物王国だった恋の家の管理を任されるようになった。

 斡旋された仕事よりかなり実入りが良かったから一も二もなく頷いた。

 まぁセキト筆頭にした動物たちの世話はけっこう大変だから、給金とは釣り合っているような気はする。

 

 そんな新しい生活ルーチンが始まってしばらくして、恋があの三国志最強の『呂布奉先』だって知った。

 だけど俺にとってこの子は口数が少なくて力は強いけど子供っぽいというか感性が幼い女の子でしかなかったから俺の知る歴史と性別が変わっている事にこそ驚いたけどそれだけだった。

 

 この時にこの世界には心を許した相手にしか呼ぶことを許さない、そんな事しようもんなら首を刎ねられても仕方ないという真名という決まり事があるという事を知った。

 というか恋、セキトが懐いていたからって理由だけでそもそも最初の名乗りから真名だったんだよなぁ。

 それもあって服装から雰囲気まで明らかに一般人じゃない恋の正体を知るのは、家の管理を始めて一ヶ月くらい経ってからだった。

 

 呂布だという事を知ったけれど、恋は畏まられる事を望んでないように見えた。

 だから口調や態度も変えずに接したらなんかますます気に入られた。

 とはいえ武官とか文官とか、ましてや領主なんて人達は俺たちみたいな一般人から見れば基本的に遠目から見るだけで直接関わる事のない天上人だ。

 恋とこうして関わっていくなら、どこかでそういう人と出会ってしまう事もあるかもしれない。

 現に今日、恋と仲が良い人が家に訪ねてきていたし、失礼な事をしないように敬語とか作法とか学んどいた方がいいかもしれない。

 

 浮浪者生活で図太くなったせいか、相手が武官だって言われてもそんなに動揺はしなかったけど、やっぱり敬語とか慣れてないからきちんと対応出来てなかったしなぁ。

 寛大な人だから良かったけど、今後出会う人がそうとは限らないし。

 

 恋に頼まれて家の管理と動物たちの世話を任されているって事は恋が俺の雇い主って事になるんだ。

 俺のやらかしは恋に迷惑をかける事になる。

 今まではいまいち実感がなかったけど、これからは気をつけないと。

 

 恋はちょっとこういう礼儀作法の話には向いてないだろうし、聞くなら『音々音(ねねね)』かな。

 

 頭に浮かべたのは陳宮と名乗ったちびっ子。

 恋の事が大好きな女の子だ。

 しょっちゅう跳び蹴りしてくるけど、あいつのあれってめちゃくちゃ派手だけど威力は全然大した事無いし、いちいち叫ぶから大体避けられる。

 あんまり身の危険は感じないからあいつなりのコミュニケーションだと割り切ることにしていた。

 あれが呂布に最後まで仕えて一緒に処刑されたと言われてる文官なんだもんなぁ。

 

 外見だけ見たらほんとにただの子供なんだけど、頭が良くて教養があるのは間違いないし呂布である恋と一緒にどこかに仕えてるんだから礼儀作法とかにも詳しい、はず。

 それに俺が気に入らなくて毎回突っかかってくるけど、最近は挨拶代わりに一発かました後はおとなしく恋やセキトたちと戯れてるか、俺が作る飯を野次を飛ばしながらもおとなしく待ってるからだいぶ丸くなってきてる。

 どういうタイミングだったか全然覚えてないけど、いつの間にか真名も預けてくれたし聞けば教えてくれそうだ。

 今度会ったら聞いてみよう。

 

 

 恋の家の縁側で月を見上げながら、今までの出来事を思い返して今後やることに目星を付けていく。

 膝に乗っているセキトをお手製の櫛でブラッシングしてやりながら。

 俺の背中に自分の背中をくっつけて眠っている恋は、俺がしょっちゅう身動ぎして身体が揺れるにもかかわらず可愛らしい寝息を立てていた。

 どちらも気持ちよさそうに唸っている事に自然と目尻が下がる。

 

 セキトの毛の手入れをしながら、来客の男性を改めて思い浮かべた。

 

 あの人の顔を見た瞬間、じいちゃんの顔がフラッシュバックしたんだ。

 

 如何にも荒事に慣れているとわかる厳つい角張った顔立ち。

 背も俺より20センチくらい高かったと思う。

 俺の細い身体なんてデコピンで吹き飛ばせそうな引き締まった身体付きは誰がどう見ても武人だって思うだろうな。

 

 じいちゃんは俺より背が低かったし、枯れ枝みたいな身体付きだったから外見は似ても似つかないはずなんだけど。

 

 でも俺を見て驚いたように目を丸くして、その後に一瞬だけ優しく細められたその顔に。

 『昨日の己に克つ』っていう道場の教えを優しく語っていたじいちゃんが被って見えた。

 

 恋にはなんでもない風に他人のそら似だって言ったけど。

 本当のところは見た目じゃないけど、この人と俺が似ているって俺自身も感じてた。

 そして俺はそんな人がいる事に、そんな人と会えた事になんでだかとても安心したんだ。

 

「……ああ、なんかちょっと」

 

 突然、意味も分からず来てしまった三国志によく似た異世界で、元の世界を思い出させる人にあったせいかもしれない。

 

 この世界にいない家族を、父さん、母さん、妹、じいちゃんを思い浮かべて。

 及川や先輩、友達たちを思い浮かべて。

 目まぐるしい日々を乗り越える為に蓋をしていた気持ちが溢れて。

 

 俺はこの世界に来て初めて泣いた。

 

 


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