乱世を駆ける男   作:黄粋

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第九十九話 汜水関、開戦の時

 汜水関へは軍を複数に分け、さらに夜間に入った。

 可能な限り人目を避けて、敵に汜水関にいる我々の総数を気取られないようにする為だ。

 

 敵対する相手の総数が分からないというだけでも精神的に違うもの。

 戦になる前の事前準備はもちろんそうだが、駆け引きとは面と向かって戦端を切る前からもう始まっているのだ。

 

 汜水関に入った者たちは隠蔽など考えずに、籠城戦の準備をしている。

 人が集まる場所の喧噪とはよほど意図して消さなければ伝わってしまうものだ。

 ましてや今回の相手は軍としての距離は目と鼻の先。

 具体的に何をしているかまでは分からないだろうが、砦が騒がしくなったという事は筒抜けだろう。

 よほどの節穴でなければ、だが。

 

 こちらとしては相手がボンクラであるならその方がやりやすいし、とてもありがたい。

 だが仮にも『帝を悪漢から取り戻そう』とする集まりが揃いも揃ってそんな間抜けであるはずがない。

 少なくとも直接面識があり建業の総意として『強敵認定』している曹操がいる時点で、油断など出来るはずがない。

 

 汜水関の外壁から遠目に見える反董卓連合の野営地を見つめながら、俺はこれからの戦について考える。

 

「こちらと比較して大軍なのは理解していたが、動きが想定した以上に遅い」

 

 思春や明命の報告によれば、砦の目の前に来ているこの状況で『総大将が決まっていない』らしい。

 普通であれば、あれだけの勢力を扇動した袁紹が暗黙の了解で矢面に立つのが自然だ。

 でありながら袁紹は自分から名乗り出る事はなく、しかし『自分が総大将である』という態度で軍議を取り仕切っているという。

 ふざけた話だが誰かが自分を総大将に推薦するのを待っているようだ。

 事ここに至ってまさか見栄を最優先するとは集まった諸侯も思わなかっただろう。

 これで正義は我にありなどとよく言えたものだ。

 

 だが厄介な事にこの件をくだらないと一蹴する事は出来ない。

 なにせ袁紹は腐っても現在の漢王朝で指折りの名家の当主なのだ。

 これに意見をするにはただ正論を唱えればよいという事でもない。

 黒と言えば白さえも黒に出来ると言っても過言ではない力を持つ者に対して必要なのは正論ではなく、如何に『乗せられるか』という事なのだ。

 その上で推薦した事で『推薦した責任を押し付けられる事態』を回避しなければいけない。

 

 集まった諸侯には同情する。

 無能な味方は時に有能な敵よりも厄介だ。

 

「まさか反董卓連合の最上位者である袁紹が頭一つ抜けたボンクラとはな」

 

 こちらにとってはありがたい事ではあるのだが、仮に自分があちらの陣営にいたらどこかで袁紹暗殺を考えるかもしれない。

 

「曹操が沈黙しているのは、こちらが動くのを待っていると見ていいな」

 

 集まった諸侯の中で袁紹に陣容、権力の両方を併せ持った対等に話せる人間として曹操が真っ先に上がる。

 しかし彼女は、今日まで袁紹の一人舞台に口を挟んでいない。

 袁紹に呆れているというのもあるだろうが、董卓側の動きを静観しているのだろう。

 

 俺たち建業が董卓側に付いている事に、彼女は気付いていると見ていい。

 俺とは個人的に会合し、黄巾の乱の際には共闘、雪蓮嬢たちとも顔を合わせており、俺たちの性質に触れる機会が多かった。

 それを踏まえてこうなる事を推測、そして今あちらに建業の勢力がいない事で確信されている事だろう。

 

 余談だが初期の案として両軍に建業の軍勢を加える事は上がっていた。

 しかし董卓とも袁紹とも信頼関係を築けていない状況では、これを行ってもどちらからも背信の可能性を疑われて最悪の場合は袋叩きにされて終わりだ。

 両軍に回すだけの戦力を確保出来なかった事もあり、この案は没になっている。

 

「警戒が特に強く曹操の野営地への侵入は出来なかった事からも相当警戒されているのがわかる。しかしそれはそれで打つ手はある」

 

 大軍の中の一勢力である今、曹操に直接手を出す必要はない。

 大軍の利点はその数だが、自身が頭でない場合、個々の軍としての動きが鈍くなるという欠点を持つ。

 董卓軍が勝利するにはその欠点を徹底的に突くしかない。

 

「あっちがもたついている内にこちらの体制は整ったが……戦端はあちらに切ってもらわないとならない」

 

 『自らの大義を旗印にしてこちらへ攻め入る反董卓連合』という事実が後々の状況に必要な俺たちは、いつ攻められても良いように備えた上でその時を待っている。

 はっきり言って今の状況はもどかしいが、それでも待つしかない。

 

 ふと、とある猪武者の顔が頭を過ぎる。

 もしもさんざん迷惑をかけてきたあの女がそのまま武官であった場合、自分の裁量で動かせる軍で早々に突撃をかましていたかもしれない。

 あまりにも生々しくその様子が想像出来てしまったせいで寒気を感じた。

 

 出陣の前に罷免できて本当に良かった。

 張遼の指揮下にあるあの女は張遼が認めなければ出撃できない。

 もし勝手な事をした場合、容赦なく後ろから撃つという事を董卓から認められているという話だ。

 わざわざ書状で作成されたその認可に、華雄はここまでされるほどに自分が信用されていない事実に崩れ落ちたらしい。

 自業自得としか言いようがない。

 逆にそこまでされなければ暴走する懸念がある自分の普段の行動を顧みてくれ。

 

 ここまでされて心を入れ替える事が出来ないなら、奴もまた袁紹と同じく『無能な味方』の烙印を押されるだろう。

 流石にあそこまで消沈している姿を見ているとそうなる可能性は限りなく低いとは思う。

 しかし万が一にもそんな事になった時は……俺も速やかに動くつもりだ。

 

 それはそれとしてあえて先手をあちらに委ねているとはいえ、緊張感を維持しつつ待ち続けている状況は長引けば兵士たちの士気が下がりかけない。

 

「率先して戦場に出る趣味はないが……とっとと動け」

 

 見張り番に聞こえないように小さく悪態を付き、俺は彼らに挨拶をしてから汜水関の中へ戻っていった。

 

 

 

 この日からさらに一週間後。

 ようやく反董卓連合が動き出し、俺たちも汜水関での作戦行動を開始する事になる。

 

 軍議にて今後の作戦行動を最終確認した後、俺の足は自然と外壁へと向かっていた。

 外の様子を見下ろせるこの場所は、その高い位置のお蔭で相手の動きがわかり且つ相手からこちらの様子を容易に探れない絶好の会談場所だった。

 特に示し合わせたわけでもないのに建業の武官が全員集まってきた事に、同じような考えだったのが分かって顔を見合わせて笑い合う。

 談笑して時間を潰していたら張遼まで来るとは思わなかったが。

 

 祭から聞いたが馬超たち西平軍は既に馬に跨がって出陣の時を今か今かと正門の前で待っているらしい。

 この場に集まっているのは出陣を前にしたただの雑談で、別に集合をかけた訳でもない。

 だからここにいない事は問題じゃないんだが、馬超にはもう少し落ち着いてどっしり構えていてほしいもんだ。

 順当に行けば馬騰の跡継ぎとして領主になるのだから、な。

 

 閑話休題。

 眼下に広がる敵の陣容を見つめる。

 

「まさか漢の旗が一本もないとはな。お蔭で誰が来ているかわかりやすいからいいが……」

「自分たちが負けるだなんて考えていないから出来る事よね、これ」

 

 見ていていっそ清々しい光景に俺と塁はため息を付いた。

 漢王朝が董卓の手に落ちているが故に漢の牙門旗を掲げるつもりはないという意思表示なのかもしれないが、それにしても迂闊ではないかと思う。

 今回、俺たちは漢王朝の長である皇帝陛下から戦う事を許可された立場となっている。

 よって掲げる牙門旗の半数が『漢の旗』だ。

 相手側は大体の勢力が君主あるいは隊を預かる武官の姓の一文字を記した旗のみのため、目が良ければどこにどの軍勢がいるかが手に取るようにわかる。

 

「一番前は『劉』やな。劉表は反董卓連合には参加せんかったっちゅー話やし、あれは新進気鋭と噂の劉備やろな」

「部隊の先頭に青龍偃月刀を持った黒髪の女がいる。あれはおそらく『美髪公(びはつこう)』だとか言われている関羽だ。……まず間違いないだろうな」

 

 黄巾の乱の時に見かけた関羽の姿を見れば、あれが劉備の軍勢である事はほぼ確定だ。

 しかし一緒にいるだろう劉備と張飛は前線にいないようだ。

 黄巾の乱時点で戦闘能力がほぼなかった劉備が最前線に出る事はおそらくない。

 本人が出たがったとしても、周りが止めるはずだ。

 張飛はそんな彼女の歯止め役兼護衛として傍にいるのだろう。

 

「それにしてもあの程度の戦力で一番槍買って出るんか。ずいぶんと豪気やな」

 

 讃える言葉とは裏腹に張遼の顔には呆れが見て取れる。

 硬く閉ざされた門を破る為の装備もお粗末なもので、兵士の数は余所の勢力よりも目に見えて少ない。

 武官がどれほど強くとも城攻めに必要な手数と手段としてはギリギリ可能という程度に見える。

 

 そんな劉備軍のすぐ後ろには『公孫』の旗を掲げた一軍。

 こちらはおそらく公孫賛だろう。

 異民族から『白馬長史』と恐れられた白毛の騎馬隊とその後に続くように歩兵部隊が、上から見ても一糸乱れぬ綺麗な布陣を敷いている。

 劉備とは旧知の間柄らしく、黄巾の乱の際には身を寄せていた事から援護を買って出たというところか。

 

「公孫賛が後詰めに付いているとはいえ準備不足が外から見ていてよく分かる。自発的に一番槍を買って出たとは思えないな」

 

 俺が持つ劉備の印象からすれば、先陣を切るような性格ではない。

 だが領主として他と比べて経験が少なく権力を持たない彼女らは、袁紹に命じられれば出陣せざるを得ないだろう。

 

「貧乏くじを引かされたというところか。まぁこちらには関係のない話じゃな」

 

 祭が劉備たちの置かれている状況をばっさりと切って捨てるも、それに反論する者はいない。

 

「敵側に同情するだけの余裕はないですしね。運が悪かったと言う事でこちらの戦略の糧になってもらいましょうか」

 

 慎の言葉が俺たち董卓軍の総意と言えた。

 見下ろしていた光景から目を離し、張遼の視線が俺たちに移る。

 

「ほな、あちらさんが口火を切ったら動くで。軍議で話したけど先陣は足の速いうちと馬超たちの騎馬隊。祖茂と程普は第二陣の歩兵部隊。守りは黄蓋、韓当。凌操は出陣はうちらと合わせて後は好きにしてええ。背中は任すで」

 

 軽い口調の中に抑えきれない闘気を感じる。

 俺たちは最終確認の言葉に肯定の意味で頷いた。

 

「聞け、汜水関を守る軍勢よ。我が名は関雲長!」

 

 関羽の前口上が聞こえてくる。

 

「都を私利私欲によって蹂躙する悪漢董卓は我らが討ち果たす! 貴様らに民を憂う気持ちがあるのなら降伏し、開門せよ!」

「……あいつはうちがやる」

 

 漏れ出ていた闘気はあっという間に殺気へと変じてしまった。

 敵対している以上、相手を罵倒するなんてありきたりな事だろう。

 ましてや世間一般の董卓は関羽の言った通りの風評なのだから仕方の無い事だ。

 

 しかし董卓の配下が納得するかは別の話だ。

 俺たちでさえ真っ当に都の為に奔走している同盟相手を悪く言われれば怒りがこみ上げてくるのだ。

 彼女の国への献身を、その苦労を俺たちより間近で見てきた張遼が殺気立つのは当然の事だろう。

 

「作戦を崩さない範囲なら好きにするといい。儂らがお主を止める事はないから安心せい」

 

 その気持ちを慮り、祭がその背を押すと張遼は凄みのある笑みを浮かべて礼を述べた。

 

「おおきに」

 

 気合いを入れるように、俺は胸の前で両手を合わせて打ち鳴らす。

 乾いた音と共に怒りを飲み込み、平静な状態に保った意識で自分の部隊の元へと走り出した。

 後に続く仲間たちの足音を聞きながら、敵である大軍勢と己のやるべき事を思い浮かべる。

 

 さぁ、開戦の時だ。

 


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