乱世を駆ける男   作:黄粋

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第百二十話 虎牢関の戦い 備える者たち。束の間の戯れ

 城への襲撃の後、賈駆と周瑜の指揮により城内は徹底的に捜索された。

 結果、敵が潜んでいるという事は無いと断定されている。

 同時並行で市内への巡回、警邏も増やされているが今のところ怪しい者は見つかっていない。

 

 孫策によって返り討ちにあった十常侍残党たちだが、その退却の動きは見事なものだった。

 周泰率いる隠密部隊による追跡も、逃亡にあたって取り決められていたと思われる複雑な手順によって巻かれてしまっている。

 まさか十を超える囮の住居を経由され、それぞれで変装する衣装や秘密の出入り口が用意されているとは思わなかったとは巻かれてしまった事を悔しがっている周泰の弁だ。

 

 伊達に今まで董卓たちの捜索を逃れていたわけではないという事だろう。

 

「十常侍一派の残党。今更だがよく今まで市井に紛れ込んでいられたな」

「落ちたとはいえ、仮にも中華を牛耳っていた連中よ。未だにそこかしこに影響力があるわ。反董卓連合の中にも奴らの息がかかった勢力がいるもの」

「ふん。袁紹たちが都に攻め入った際に都に潜伏していた者たちと呼応してどさくさに紛れて帝の身を奪う、いや奴らから見れば取り戻す腹積もりだったわけだ」

 

 当初、残党は董卓側が反董卓連合の物量によって為す術なく蹂躙されるものと想定していた。

 しかし董卓連合に馬超たち西平、そして建業が加わった事でその予想は覆る。

 

「汜水関、虎牢関と予想以上の抵抗を受けて現在も反董卓連合側が不利という状況。主力が都を離れた事を好機と見た襲撃も失敗と何もかもがあちらの想定外となれば、焦りも出てくるだろうな」

「とはいえよ。これまでずっと隠れていただけあってそう簡単に隠れ家は掴ませないわね。そっちの斥候は他に見た事無いくらい優秀なのに、それでも振り切られてるもの」

「権力と金に物を言わせた攪乱など、一度しか通じんよ。次があれば決して逃さんさ。とはいえそれはあちらも理解しているだろうが」

「そうね。だからこそ次の襲撃は全力で来るわ。そしておそらくその時は手段を選ばない。後が無いから文字通りなんでもしてくると考えておくべきよ」

 

 二つの勢力の筆頭軍師の会話が淡々と繰り広げられるこの場所は城の最奥。

 今まで一部の者以外の立ち入りを禁じられていた献帝の住まう宮殿の一室である。

 

 襲撃を受けた事で相手の狙いを確定させた董卓連合の面々は予め荀彧たち帝のお側付きと取り決めていた通り、この場所への籠城作戦に移っていた。

 とはいえ兵士たちや侍従たちは普段通りに城内で活動しており、外から覗いたところでこの変化には気付く事は難しいだろう。

 まさか『帝のお膝元である宮殿での籠城』などという前代未聞の策に出るなどと奴らの誰も思いつかないだろうという読みも入っている。

 この場所は本来、何があっても戦いの気配など近づけてはならぬ場所なのだから。

 

 彼女たちにしても最初はこの場所を使う事に気後れしていた。

 しかし荀彧の取り成しと真っ先にいつも通りに行動し始めた孫策のお蔭で吹っ切れただけだ。

 

「なんでもしてくる。この場合、何が考えられると思う?」

「こちらの動揺を誘う為、陽動を兼ねて市内に火を放つくらいは確実にしてくるわね」

 

 周瑜の問いかけに対して眉一つ動かさず賈駆は即答する。

 嫌悪感を隠そうともしない彼女に同意するように周瑜は頷く。

 

「そうだな、それくらいの事は平気でするだろう。後の無い人間は何をするかわからないものだ。ましてや奴らは自分たちの正当性を疑わないのだから尚更」

 

 自分たちこそ帝に仕え、中華の頂点に君臨する者であるという妄執が奴らを支えている。

 誰が何を言ったところで聞きはしない。

 それが帝本人の言葉であったとしても、都合が悪ければ黙殺する

 忠節などもはや無く、己が欲望を満たすためにすべてを利用する悪漢ども。

 それが荀彧たちから聞かされた十常侍たちの実態だ。

 

「……街の巡回は増やし、いざという時の為に民を逃がす為の経路も構築している。民の被害を可能な限り減らす為の策は練った。これですべて抑えられればいいんだがな」

「不甲斐ないとは思うけど絶対とは言い切れないわね。私たちが奴らを迎え撃つ性質上、どうしても後手に回らなければいけないから」

 

 孫策に返り討ちにされた時に奴らの隠れ家を突き止めることが出来ていれば先手を取ることも出来たが、それを今言っても仕方が無い。

 最善を尽した結果、見失ったのだからあちらが上手だったのだと割り切るしかないのだ。

 

「孫策自慢の直感はどうなの? 正直、あいつのお蔭で囮の隠れ家を幾つか潰せているからこれ以上を求めるのも気が引けるけど」

 

 襲撃以降、孫策は頻繁に街を彷徨いている。

 そして何日かに一度、残党の息の掛かった者たちを見つけて引っ捕らえてくるのだ。

 何の証拠もないというのに家捜しをすれば、用途不明の隠し通路や民に成り済ました間諜が見つかるという敵からも味方からも理不尽な成果を上げてしまっている。

 

「……伯符の直感については過信しない方が良い。先の襲撃までの間、必要最低限の仕事だけして後は眠っていた分、使われていなかったから一気に噴き出しているだけだ。長年、伯符といると分かるのだが、しばらくは命の危機以外でアレが働く事はないぞ」

「便利は便利だけど使う時を選べるわけじゃない、と。その言い方からすると精度もあいつの体調やら気分やらで変わるんでしょ? そりゃ軍師としては期待するべきじゃないわね」

「その通りだ。まぁ今回はこちらにとって良い働きをしてくれたので得をした程度で割り切っておくといい」

 

 孫策の直感についての話はこれ以上は益がないと察した賈駆から切り上げた。

 

 しばしの沈黙。

 二人はこれからの警備の人員が記載された竹簡の確認を終え、今は部屋の大きな机一杯に広げられた洛陽の地図を見ている。

 これからの警備で特に注意すべき場所などを手分けして目星を付けていた。

 

「いつか聞こうとは思っていたんだけど……」

 

 部屋の静寂が賈駆によって破られる。

 

「この籠城戦は献帝様の、いえお世話役である文若様が最大限こちらに譲歩してくださった事で成り立っているわ」

 

 籠城戦を認め、今彼女たちがいる一室を貸し出したのは荀彧による差配であった。

 しかし賈駆としては彼女がここまで手厚く自分たちに肩入れするという事実は不可解でもある。

 

「あの方は献帝様がご即位なされるよりも前からお世話役としてあの方を支え守ってきた。十常侍の傀儡にされるしかなかった状況で自分で物事を考えられるだけの学を与え、あの都に巣食う妖怪どもの思想に染まらないようにするなんて口で言うほど簡単な事じゃない」

 

 孤立無援の状況で為してきた次世代の養育という大役を熟してきた女傑。

 それがこの宮中における荀彧の評価である。

 

「帝以外の、己を含めた全てを駒として日々行なわれる陰謀をいなし続けてきた彼女の信じるものもまた己のみと聞いていたわ。実際、私たちだって仲穎以外の人間はこの場所に足を踏む入れる事は出来なかったわけだしね」

 

 使えるものを全て使い、ただ己の役割を果たすうちに彼女の表情は動かなくなっていた。

 それを揶揄して『氷の女』などと囁く者もいるほど。

 

 そんな人物が賈駆から見れば急に自分たちを懐に招き入れ、今までと比べれば破格の協力を申し出てきた。

 彼女でなくとも何かあると思うのは当然だ。

 そして荀彧の対応が建業によってもたらされたものだという事も少し頭が回る者ならば察するだろう。

 

「文若様と貴方たち。普通に考えて縁があったとは考えにくいわ。実際、公式の記録で貴方たちが洛陽に来たとかそういうものは無かったもの。ただまぁ表の記録に何も残っていないという事はつまり非公式で何かあったという事になるわ」

 

 反董卓連合への対応と十常侍の残党たちへの対応への差配における賈駆と周瑜の役割はとても重要だ。

 手を抜くような人間ではない事は仕事を共にした誰もが知っている。

 多人数で打ち合わせをするのに使用する大きな机を占領するような書類の山と格闘しながら、公的な過去の記録を洗っていたという彼女に周瑜は素直に感心した。

 

「詳細を聞く気はないわ。誰にだって知られたくない事も言いたくない事もあるのだから。だから私が聞きたいのはその縁が『お互いに信用できる物』と判断して良いのかという点だけよ」

 

 荀彧が賊に攫われ、巡り巡って建業で保護されたという話は秘匿されている。

 貴族の子息が攫われたというだけでも一大事だ。

 他家への示しがつかないという見栄の問題はもちろんのこと、家が侮られる事に繋がる可能性があった。

 実際、余所の貴族の中には同じ立場の人間を蹴落とそうと虎視眈々と狙っている輩も多いため、『荀彧の誘拐』という事実は表向き無かった事にされている。

 建業にも口止めを厳命されており、当事者たちがそれを外に漏らした事はない。

 

 具体的な事はわからずとも今回のように恩恵を受ける事が出来るほどの関係。

 賈駆はこの良くも悪くも今後に影響を与えるだろうこの繋がりが『どれほどのものか』を知りたがった。

 当然だろう。

 周瑜とて逆の立場ならば確認する。

 それを踏まえて彼女は賈駆が知りたい事について最良の回答を行なった。

 

「私は、私たち建業の総意として荀文若とのこの関係を大切にしているし、これからもそのつもりだ」

 

 それなりに広い部屋に響き渡る涼やかな声での宣言。

 勢力としての代表としての宣言でありながら、気負いが一切感じられないその言葉の絶対性に賈駆と部屋の外にいた誰かは驚きで固まった。

 

「……そこまで言われてしまえばこれ以上の言及は無礼ね。良いわ。少なくともこの一件が片付くまでの間、私も貴方たちの関係を疑わない。でも軍師として使わなければいけない時にはきちんと使ってちょうだい」

「言われるまでもない。心得ているさ(とはいえ欲しい物は既に都合してもらった。ここからは自分たちの仕事だ)」

 

 外にいる人間にあえて聞かせるように周瑜は話す。

 賈駆は外にいる人間には気付いていないが、周瑜の声に合わせて自然と声が大きくなっていく。

 結果、今の会話は現在の状況を聞きに来た『荀彧』本人に筒抜けになっていた。

 

「……」

 

 あくまで事務的に話をする予定だったのに、この上なく雄弁な信頼を示されてしまったのだ。

 ずっと世話役として宮中に入ってからずっと心を殺して日々を生きてきた彼女にとって全幅の信頼は刺激が強すぎた。

 職務中は無表情を保っていたというのに、今の彼女は自分でも分かるほどに顔が熱を持っていて真っ赤になっていることが容易に分かってしまう。

 自分たちもたった一人で魔窟に向かった荀彧を心配していたというのに、最も敬愛しているとはいえ凌操にだけ会った事への意趣返しであった

 もちろん荀彧もそれを理解している。

 理解した上で顔が赤くなることを抑える事が出来ない。

 聡い彼女だからこそ『お前は自分たちにそれだけ心配させたのだ』という事が、『心配してもらえるだけの信頼が自分にあるのだ』と示されている事に気付いていた。

 

「……馬鹿ね。迂闊な事、言うんじゃないわよ」

 

 幼い頃の別れから数年経っているというのに、『氷の女』と陰口を叩かれているような今の自分を信じると言い切った周瑜の言葉がとても嬉しくて、照れ隠しに毒づく。

 しかしその声音には隠しきれない親愛の情が宿っていて、彼女は部屋の前でいつもの調子を取り繕うまでしばしの時間を要する事になる。

 

「今、良いかしら?」

「おや、ようやく顔の赤は引いたのか?」

「気付いてたんなら言わなくてもいいでしょ!?」

 

 取り繕って入室したものの一瞬で化けの皮が剥がされてしまい賈駆にも『氷の女』がとても人間らしいという事を知られてしまう事になる。

 

「ふん、お忍びで刀厘様にだけ会うような友達甲斐のない薄情者へのお仕置きだよ」

「相変わらずねちっこいわね! いくら滞在中の囲碁勝負、私に負け越してたからって!」

「はん! そんなみみっちい事を根に持つわけなかろう。今やれば私の全勝なのだから尚更の事だ」

「はぁ~~~!? 周りに対等の相手がいない井の中の蛙が大きな事言ってんじゃないわよ!」

 

 舌戦と言うには子供っぽい言い争いは孫策がにやけた顔でやってきて二人の標的が彼女に変わるまで続いた。

 

 

 

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