乱世を駆ける男   作:黄粋

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第百二十二話 虎牢関の戦い 劉表軍襲来

 往々にして悪い事、嫌な予感ほど良く当たるものだ。

 かつての人生で戦争に出ていた時もそんなことがあった。

 あの時はこちらの作戦が読まれて待ち伏せをされていた。

 前後左右から向けられる銃口の絶望感は今も尚、俺の心に残っている。

 

 しかし今、あの時と同種の絶望が俺の眼前に広がっていた。

 整然と進む軍隊の一団。

 風にはためく旗に描かれているのは『劉』の文字。

 

「(最悪だ。劉表は本当に増援を出していた!)」

 

 遠目でも分かるほどの大軍勢。

 流石に反董卓連合全軍には届かないがそれでも目測だけで半数に届きかねない、一勢力として考えればとんでもない数だ。

 

「(これだけの軍勢に合流されてしまったら虎牢関でもどうにもならんぞ……)」

 

 おそらく袁紹は劉表たちの合流を喜ぶ。

 だが反董卓連合内の勢力図を書き換えかねない勢力をそのまま使うとも思いにくい。

 なぜなら袁紹には反董卓連合の主が自分であるという自負がある。

 停滞していた戦局が、『後から合流してきた勢力のお蔭』で解決するという事態を認めないだろう。

 それを認めると言う事はすなわち『今までの戦いの苦戦、敗戦が自分という無能な主のせい』だという事になりかねないからだ。

 

 そうでなくとも急な勢力の合流、しかもそれが荊州全土を実質的に支配する劉表ともなれば、指揮系統の統一には時間がかかるはず。

 だから合流したとして、すぐに襲撃してくる可能性は低い。

 だがそれで稼げる時間はそう多くないだろう。

 

 はっきり言って今の状況は最悪だった。

 故に対策を練るためにも出来る限りの情報を探って戻らなければならない。

 

 とはいえ流石に警備も厳重だ。

 障害物のほとんどない平野では近付く事も難しい。

 陽動が出来れば少しはやりやすくなるかもしれないが、こちらは俺一人となればそれも厳しかった。

 

 こうなれば夜闇に紛れて潜り込むしかない。

 正直、この警戒厳重な行軍を見れば夜になっても果たしてどこまで出来るかはわからないが。

 それでもやらなければならない。

 

 俺は行軍する劉表軍に気取られない距離を保ちながら日が落ちるのを待った。

 夜になり、劉表軍の行軍が止まる。

 

 野営が行なわれる様子を息を潜めて窺う。

 さらに夜が更けるのを待ち、俺は静かに行動を開始する。

 

 潜入その物は成功し、その陣容について俺はなるべく詳しく頭に叩き込んでいく。

 武器や兵站もこの軍で使う物に留まらずある程度余所へ提供できるだけの量があった。

 

 劉表は消耗している反董卓連合への補給物資も運んでいる。

 この準備の良さ、劉表たちは董卓連合がある程度奮戦する事まで読んでいたというのか?

 調べれば調べるほど、俺たちにとって悪い情報ばかりが集まる。

 劉表軍が反董卓連合に合流されてしまえば、それだけで戦局が傾いてしまうという事実の補強にしかならない。

 

 なにか、なにか今できる事はないのか?

 

 そうな風にこの場で考え込んでしまったのがいけなかった。

 

「その手の物を置き、手を上に上げろ……」

 

 いつの間にか俺は背後を取られ、首の横に剣を置かれていた。

 剣を横に振れば俺の命はそこで終わるだろう。

 

「……」

 

 言われた通り持っていた帳簿を置き、両手を上げた。

 

「董卓連合の者だな?」

「……」

 

 黙秘する俺に対して後ろの誰かは小さく笑い声を上げた。

 

「かっかっかっ、まぁ答えるはずもないか。しかしこちらはお前の事を知っているぞ、凌刀厘」

 

 しわがれた声が俺の事を言い当ててきた。

 冷や汗が背中を伝うも、動揺を表に出さないように努める。

 

「ふん、よく自分を律している。新進気鋭などと言われている若造がどれ程の物かと思っておったが……なかなかやりおるわ」

 

 首に置かれていた剣が静かに引いていく。

 

「?」

 

 その行動の意味がわからず、困惑する俺に対して背後の男は言う。

 

「付いてこい。ああ、一応言っておくが周りは兵士で囲っておるでな。逃げられるとは思わん事だ」

「……」

 

 無言のまま振り返る。

 俺を抑えていた男の姿を初めて目にしてその人物に納得した。

 半ば予想していたが、俺を抑えていた相手は劉表軍の重鎮『黄祖(こうそ)』だった。

 

「ほう、儂を見ても驚かんか。こちらの事も調べておるようじゃな」

 

 素早く周囲を見回す。

 この荷車を囲い込むように人の気配がある。

 言葉通り、囲まれているようだ。

 俺の気持ちとしてはすぐにでも逃げ出したいが、これでは迂闊な真似は出来ない。

 

「ほれ、付いてこい」

 

 俺の緊張に気付いているだろうに、気にすることなく背を向けて歩き出す。

 無防備な背中からはこちらが何をしても対処出来るという自信が窺えた。

 

 兵士たちの包囲網を抜ける事が出来ないか考える。

 だが俺たちを囲い込んでいる兵士たちはすべて俺と黄祖から一定の距離を取ることを徹底しているようだ。

 その距離は、俺が一足飛びで兵士を襲うことが出来ないだけの距離だ。

 黄祖の指示の賜物なのか兵士一人一人の実力なのかは分からないが、この状況では飛び出したところで狙い撃ちになるだけ。

 今は従う他ない。

 俺は黙って黄祖の後ろに付いていくしかなかった。

 

 

 

 丸一日を偵察に当てた虎牢関。

 この日も反董卓連合の攻撃は積極性に欠き、被害もなくやり過ごす事が出来た。

 馬超隊、張遼隊は偵察から戻り、見た限り都方面に異変は無かったという報告が上がっている。

 しかし。

 

「……あいつは戻らなかったか」

 

 たった一人で反董卓連合のさらに後方の偵察に向かった凌操は戻ってこなかった。

 早朝、会議部屋へと集まった面々の表情は固い。

 

 この偵察の重要性を一番理解しているであろう発案者の凌操が引き際を間違えるとは思わない。

 であれば不測の事態が起きたと見るべきだろう。

 

「どうする、また誰かを偵察に出すか?」

「……難しいと思うわ。私たちの中で一番偵察に向いているのが凌操だったのよ? 他の人間を向かわせたところで意味があるとは思えないわ」

「二次被害になる公算の方が高いね」

 

 程普の提案を韓当と祖茂が即否定する。

 彼としても自分の提案が如何に難しい事かは理解していた。

 それでも提案しないではいられなかったのは凌操の身を案じているからこそ。

 

 そしてその気持ちは会議室に集まった全員が痛いほど理解していた。

 皆、凌操が心配なのだから。

 

「……」

 

 呂布もその雰囲気は暗い。

 非常に珍しい事に彼女は朝食をほとんど食べておらず、会議室に向かう直前まで凌操の部屋でじっとしていたくらいだ。

 彼女は陳宮と黄蓋に説得され、引っ張ってこられてここにいる。

 

「今日の作戦、どうする? 幸い、と言っていいかは分からないけど反董卓連合の士気は相変わらず低いみたいだから、たぶん籠城でも問題無いとは思うけど……」

 

 馬超の問いかけに黄蓋はしばし目を閉じて考え込む。

 数秒の沈黙の後、彼女は決断する。

 

「いや予定通り張遼、馬超による強襲作戦を行なう。あやつについては自力で戻ってくる事を信じるんじゃ。」

 

 暗かった雰囲気の部屋に発破をかける彼女の力強い言葉が響く。

 

「あやつも含め、儂らは誰がどうなってもこの戦いに勝利すると覚悟したはずじゃ。儂らに出来る事をせねば、きっと今も戦っているあやつにも申し訳が立たん。そうじゃろう?」

 

 その言葉に返ってきたのは砦を揺るがすほど大きな肯定の言葉だった。

 

 

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