乱世を駆ける男   作:黄粋

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今年一年、この作品を見ていただきありがとうございます。

来年も拙作『乱世を駆ける男』をよろしくお願いいたします


第百二十五話 虎牢関の戦い 黄祖の糾弾

 反董卓連合に劉表軍が合流した日。

 結局、凌刀厘の身柄については有耶無耶のまま引き続き劉表軍が確保しており、その処遇についても何一つ具体的な事を決める事はなかった。

 

 劉表軍を代表する将軍『黄祖』によって董卓連合側に使節として派遣された文聘は無傷のまま帰還するも反董卓連合からの返事については保留されている。

 『降伏勧告を行ったと思っている』袁紹やその取り巻きはなんの返答も無い事に苛立ち、文聘を出汁に劉表軍を糾弾するも黄祖はすげなく切り捨てていた。

 

「ろくに交渉の場を持つこともなく馬鹿の一つ覚えのように攻め入って、挙げ句これだけの時間をかけて成果は汜水関のみの貴様らに文句を言われる筋合いなどないわ。いい加減、自らを省みる事を覚える事じゃな。そこらの野犬でももう少し身の程を弁えるぞ?」

 

 あまりにも歯に衣着せぬその物言いに袁紹らは鼻白む。

 飾る事のない直接的な言葉にはその意味を受け取る側に都合良く曲解する事を許さない。

 黄祖の言葉にあるのは自分たちを見下す感情だけ。

 

「我らが合流した以上、これから貴様らの思い通りになる事など一つも無い。凌刀厘の身柄? 貴様らに引き渡せば逃げられかねんからこちらで拘束させてもらう。交渉の決裂が不満? そもそもあやつらは我らの提案に対して考えさせて欲しいと言うてきておるんじゃ。成功失敗の判断が出来る段階ですらない。 だというのに文句を付けるとは己の浅はかさを広めてなにが楽しいんじゃ? ん?」

 

 話にならないと言外に含ませ、その視線に呆れの感情を乗せることでより明確に相手を罵る。

 

「明日には回答するじゃろう。結論を待つとあちらと約束した以上、これから攻め入ればそれは約定破りとなる。いくら無能者であっても恥知らずにも騙し討ちなどすまい? ああ、安心せい。そこまで恥知らずであればもはやこちらも遠慮はせん。その時は背後から討たれる事を覚悟せよ」

 

 話は終わりだと背を向ける黄祖から放たれたのは武人が放つ闘気ではなく、どろりとしてそれでいておどろおどろしい殺気であった。

 長年、国に仕えてきた老獪な将軍の放つ異質なそれに集まった面々は気圧される。

 

 劉備は凍り付き、曹操や公孫賛ですら冷や汗が頬を伝う。

 主の護衛として付いてきた武官たちも反射的に武器に手を伸ばしていた。

 

「(単純な武では我々の方が上。だと言うのに……なにをしてくるかわからない得体の知れなさがある。決して油断出来る御仁ではない)」

 

 趙雲の心中は同じくこの場にいる夏侯惇や関羽と一致していた。

 

 そんな老人は一度足を止め、集まった者たちを睨み付けるように見回す。

 ただ睥睨している様子に見える中で、曹操、劉備、公孫賛と明確に目を合わせた。

 僅かな時間ではあったが確かに視線を合わせた彼女らは老翁からの口に出さぬ言葉を受け取る。

 

 

 そしてその日の深夜。

 劉表軍の陣地にて秘密裏の会合が行われた。

 静かに、しかし速やかに、確実に反董卓連合の勢力図が変わっていく。

 その結果は翌日になって知れ渡る事になる。

 

 

 翌朝、袁紹らが天幕に主だった面々を集めたところでそれは起こった。

 

「な、なんですの。これは!?」

 

 黄祖とその配下が反董卓連合に参加していた何人もの陣営の代表を縄で縛り上げて連れてきたからだ。

 

「黄祖翁! これは一体どういう事ですの!?」

「昨日、言うたじゃろうが。獅子身中の虫がおると。わざわざ忠告してやったというのにまるで動く様子が見られないので儂の方で動いたまでよ」

 

 捕えられた八人は例外なく真っ青な顔をしており、袁紹に対しても黄祖に対しても弁明の言葉もなくただただ沈黙するのみ。

 

「こやつらの罪状は既に調べ上げておる。ほれ、そこにあるのが不正その他の証拠じゃ。馬鹿どもが、隠しもせずにおってくれたお蔭で探すのは楽じゃったが持ってくるのが手間じゃったわ」

 

 連行してきた兵士たちとは別の者たちが荷車を運んでくる。

 複数の領地分とはいえ荷車三台にも及ぶその量がすべて不正の証拠だと言うのだから驚きだ。

 

「ここにそやつらが十常侍と通じていた記録、今もまた通じている証拠がある」

「「「「「な……」」」」」

 

 袁紹だけでなくその場に集まった者たちのほとんどが驚きに絶句する。

 そうならなかったのは深夜の会合にて先に事の次第を聞いていた曹操たちのみだ。

 

「そもそも我が主『劉景升』様が反董卓連合に最初から参じなかったのは、その間に十常侍側の者どもの領地を調べていたからじゃ」

「はぁっ!?」

 

 黄祖の言葉に素っ頓狂な声を上げたのは田豊である。

 彼女とて一角の軍師。

 この反董卓連合に十常侍の残党の息がかかった者が紛れ込む可能性は考えていたし、袁紹の世話の傍らに調べてもいたのだ。

 しかしそれは反董卓連合が本格的に動き出してからの事であり、それ以前には目星こそ付けられても具体的な罪状を掴む事はおろか調査を行う事すら覚束なかった。

 

 だというのに劉表は十常侍残党と繋がりを持つ者たちを絞り込み、本人が不在の領地に手勢を配し、その証拠を掴んだという。

 反董卓連合が始まる前から動き、その上で反董卓連合が疲弊する時機を正確に見定め、連合の主導権を握るなどと。

 

 どこからどこまで読んでいたのか分からない。

 それは軍師の立場からすれば、とても恐ろしい事であった。

 

「(今、この状況になる事が想定内というのなら……劉表陣営はどこまで見えていると言うの!?)」

 

 眼鏡がずり落ちそうになるのを直しながら、その背筋には冷たい汗が流れている。

 黄祖はそんな田豊の様子からその心中を読み取ったのかつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「ふん。こやつらが今おとなしいのは既に言い訳出来る状況ではないからじゃよ。やってきた事の全てがそこにあるんじゃからな」

 

 荷車を指で示し、やれやれと肩を竦める。

 

「貴様が始めた馬鹿騒ぎのお蔭で大した労力を使わずにこやつらの家捜しが出来た。その事に関しては我が主の名代として礼を言っておこうかの」

 

 それが皮肉である事はいくら楽観主義かつ自分本位な性格の袁紹にも分かった。

 

「こ、こんな……このような事が……」

「なんじゃ? 利用された事が屈辱か? 貴様が董卓を目の敵にして帝を奪還するなどとほざいて起こした此度の戦と何が違う?」

 

 黄祖の声が低くなり、あのどろりとした底冷え殺気が身体から発散される。

 

「なにを、言って……」

「貴様は、あろう事か帝を利用して自分の気に入らぬ物を排除する為に反董卓連合なんぞを起こした。くだらん貴様の私情で帝を利用したという事じゃ。数代に渡って名門として取り立てて下さった帝への大恩に唾を吐いたのが貴様じゃ」

 

 もはや憎悪の念を隠そうともしない老将の言葉に袁紹は何も返す事が出来ない。

 

「儂らがなぜ貴様を悪しように罵り、見下げ果てているのか。ここまで丁寧に説明すれば理解できるか? これでも儂は我が首を引き替えに今この場で貴様を殺したい気持ちを抑えておるんじゃがな?」

 

 反董卓連合に参戦したあらゆる勢力が理解していた前提。

 この戦は袁紹の私怨から始まっているという事。

 その暗黙の了解を明言され、さらにそこにある『帝を利用する』という大罪を突きつけられた袁紹はかつてないほどに青ざめていた。

 曹操からすればそんな事もきちんと理解していなかったのかとしか思えなかったが。

 

「貴様の今後の処遇を決めるのは帝でなければならぬ。腐っても帝が任じた貴族じゃからな。故に儂の裁量で今すぐ裁く事は出来ん。大罪を犯しても即死罪にならん先代までの帝、引いてはこの国への献身とそれを余すことなく享受できる己の幸運に感謝する事じゃ。十常侍と通じていたこやつらと同列の罪人として問答無用で引っ捕らえんのもそのお蔭なのじゃからな」

 

 袁紹の心を丁寧に、それはもう丁寧に突き刺す言葉の刃。

 

 己が行なった所業がもたらした結果。

 それが尊敬する親とさらに前の肉親の貢献によってお目こぼしされているという現実。

 名門というとても大きく強固だった鎧がズタズタにされていく。

 

 足がふらつき、とっさに傍にいた顔良が彼女を支える。

 明らかに弱った様子の袁紹に対して、しかし黄祖は容赦しない。

 

「今更己の所業に戦いたか? すべて手遅れと知れ。無能が」

「そ、そんな……わ、わた……わたし、は……・・…」

 

 誰もが黄祖と袁紹のやり取りに集中していたその瞬間。

 

「……う、あぁあああああああああああっ!!!!!!」

 

 縄で拘束されていた罪人の一人が奇声を上げて走り出した。

 

 包囲されている状況では逃げられる可能性など無いに等しい。

 しかし追い詰められた男は、哀れな事にそんなことも分からなくなっていた。

 あの厚顔無恥を体現した袁紹が言葉だけでボロボロにされる様を間近で見せられ、恐怖心に支配されてしまったのかもしれない。

 

 男が服の中に仕込んでいた小刀で縄を切り、向かった先にいたのは袁紹と顔良。

 狙ったのかは分からないが、袁紹たちも周りを囲っていた兵士たちも完全に虚を突かれて隙だらけだった。

 

 半狂乱の男は自分の逃亡の障害になる袁紹たちに対して小刀を振りかぶる。

 人質にする、だとか武官が傍にいる人間に近付くのは危険だ、などという冷静な思考は残っていない。

 邪魔なものを排除する為だけに振るわれる凶刃に、消沈していた袁紹と彼女に意識を取られていた顔良はあまりに無防備だった。

 

「麗羽!!」

 

 事の経緯を見守っていた曹操が思わず真名を叫ぶほどに絶体絶命の状況。

 しかし一人だけ動じず、そういう状況に備えていた人間がいた。

 

「ふん!」

「ぐぼぇっ……」

 

 小刀を持った手をあっけなく掴まれ、腹部に一撃。

 潰れたカエルのような声を上げて男はあっけなく意識を失った。

 

「ふぅ……」

「ふむ。些か油断したようじゃ。貴殿の手を煩わせて申し訳ない」

 

 先ほどまで罵詈雑言を振りまいていた黄祖が、乱入してきた彼に不手際を詫びる。

 

「いえ利害の一致とはいえ、手を結んでいる間柄ですので」

「ほっほっほ、まっこと信用に足る義理堅さよ。貴殿と良好な関係を結べた事こそがこの茶番で一番の収穫かもしれんな」

「そこまで持ち上げられるとは……恐縮です」

 

 周囲が呆然としている様子なの目に入っていない様子で二人はやり取りを続ける。

 

 袁紹と顔良を庇い、狂乱した男を一瞬で打ち倒した人物。

 それはつい昨日、磔にされて戦場に晒されていた凌操刀厘その人であった。

 

 

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