本年も拙作『乱世を駆ける男』をよろしくお願いいたします。
全てのネタばらしをしてしまえば簡単な事だ。
俺と劉表軍は敵対関係を装いつつもその実、手を結んでいただけだ。
切っ掛けはもちろん俺が不覚にも劉表軍に捕まり、『劉表景升(りゅうひょう・けいしょう)』の元に引っ立てられた事。
尋問されるにしても捕えた黄祖がやればいいだけのはずなのに、なぜ主の元まで連れて行くのかというのはずっと疑問だった。
今となっては彼がやりたかったことが尋問でも拷問でもなく、交渉であった事でその疑問はある程度は解消されている。
それでも黄祖が矢面に立って行なえばいいと思ってはいたんだが。
そちらの疑問も本人に確認したことで解消した。
「自分たちは本来、敵対関係だ。ここから一時的にせよ協力するには危険の一つや二つ自ら招くくらいの事をせねばならん。忠臣の裏から指示を出すだけの人物と、危害を加えられる危険性を認識した上で対面した人物。どちらを信じようと思うかなど論ずる必要もなかろう。ただでさえ私はこの仮面で印象が悪いのだしな」
仮面で顔を隠している男は自嘲気味に俺に言った。
真っ白で顔の上半分を隠しているそれはひどく無機質で、極力抑揚を抑えたこの男のその話し方も相まってとても機械的な印象を受ける。
しかし自分が他者にどのように思われるかを理解していると言うことは、自分本位で他者を気にしない暴君気質ではないという事を指している。
「間抜けにも捕えられた私めにわざわざお目通りいただいた、その理由をお聞きしてもよろしいか?」
「……そう自分を卑下するものではないな。汜水関、虎牢関と圧倒的物量の差をひっくり返す為に尽力していれば、心身共にどこかで不調をきたす。少なくとも平常時より肉体も精神もすり減らしているだろう。それでいて我が陣に忍び込めたのだから、それだけでも大したものよ」
得体の知れない男の口元が皮肉げに歪められる。
「まったくですな。本業でもあるまいに、帳簿を見られるところまで来られては警護についていた者の立つ瀬がない」
「……」
俺の後ろに控えていた黄祖が口を挟んできたが、俺はそれに対して言葉を返さない。
「さてなぜお前をここまで連れてきたか、だったな。このくだらん茶番を終わらせる為だ」
『茶番』。
この場においてその言葉が当てはまるのは今まさに行われている董卓連合対反董卓連合の戦を指す。
少なくとも俺たちにとってはそうだ。
劉表が指す茶番とは、果たしてどういう意味合いなのか。
「貴方様の仰る茶番とは何を指しておられるのでしょうか?」
探りを入れる目的で疑問を素直に口にすると、仮面の男は小さく頷いた。
「私の言う茶番とは董卓連合対反董卓連合の諍いのことだ。より正確に言うなら袁本初の無能めが董卓を陥れんとする為に引き起こした事柄とそれに乗っかって暗躍する十常侍の亡霊を指す。これで伝わるか?」
十常侍の亡霊。
董卓、袁紹による誅伐を逃れた十常侍の残党。
今も都のどこかで虎視眈々と過去の栄光を取り戻さんと隙を窺う愚か者どもの事だ。
奴らに言及するという事はこの戦の全貌をすべて把握している事に他ならない。
渦中にいなかったはずのこの男とその勢力がいったいどこまで手を広げ、どれだけの情報を持っていると言うのか。
驚嘆すると共にこの男の底知れなさには一瞬の気の緩みも許されないと思わされる。
「十全に伝わりました。私個人として景升様にご協力する事に否はありません」
そもそも捕まった俺には選択権はないとも言える。
彼らの目的が本当であるならば、可能性が低くともここから逃げる算段を立てる必要もなくなるのは行幸。
だが果たしてこの男が本当の事を言っているのか、今の段階で断言は出来ない。
この男たちを信用するのは早すぎる。
俺の心中の疑念をおそらく察しているのだろうが、それでも劉表は話を続ける。
「即決感謝する。さてまず反董卓連合の蛮行を止める。然る後、貴殿ら董卓連合と協力し、十常侍の残り滓を根こそぎ始末する。凌刀厘、貴殿には我らの意向を董卓連合側に伝え、仲介する役を担っていただきたい」
つまり董卓連合との話し合いをスムーズに進める為の調停役に俺を使う事が目的と言うことか。
確かに董卓連合への折衝に俺を噛ませれば話し合いをする余地は格段に増える。
人質としても自分たち側の証言をさせるのにも使えるだろう。
しかしこんなにも回りくどい事をする理由が分からない。
「自分の役割については理解しました。しかし今一度質問をさせていただきたい」
表情からも言葉からも推測する事が出来ないのならば聞くしかない。
俺はなにが地雷になるか分からない相手に慎重に言葉を選ぶ。
「構わぬ、申してみよ。無論、答えられる事であればだが……」
感情の伴わない平坦な口調で許可が下りた。
俺は静かに一呼吸して平静を心がけてから口を開く。
「なぜ私を相手に交渉の場を持ち、今回の戦の被害を抑えるような策を練られるのですか? 景升様の軍勢が加われば戦局は反董卓連合に一気に傾きます。力押しであったとしても被害こそありますが董卓連合を押し潰す事は可能ではありませんか?」
「……ふむ」
俺の問いかけに対して、仮面の男はしばし考え込むように沈黙する。
視線は真っ直ぐに俺に向けられており、俺もまた彼から視線を外さない。
耳が痛いほどの静寂が空間を支配すること、おそらく1分弱。
「……なるほど。よもやそこまで冷静に彼我の戦力差を理解しているとはな。であれば率直に言った方が話が早く済むか」
なにやら納得されてしまったが、俺の言動に彼が良い印象を抱いたという事だろうか。
「貴殿が察している通り、私は今回の戦についてこれからの損耗をなるべく双方ともに少なくしたいと考えている。しかし貴殿にはこの理由が分からず、故に我らへの疑念がいつまでも消えない。そうだな?」
「ご明察でございます」
「うむ。では話そう。私がこれ以上の双方の損耗を嫌う理由。それは大陸の外から迫る連中への備えの為だ」
劉表の言葉に思い出されるのは西平で戦った異民族の群れ。
こちらを殺す事だけを考えているように見える我々に共通する脅威。
「あれらはこちらの隙を虎視眈々と狙っている。今は表立って活動しているのが涼州付近の異民族連合、幽州にて活動する烏桓辺りだが、連中はその気になれば東西南北どこからでも攻め入ってくる可能性がある。今回の戦はまさに絶好の機会となり得るのだ。故に必要以上の各地の戦力の消耗、低下は望むところでは無い」
なるほど。
各地の為政者とはすなわち大陸外からの侵略者に対抗する為の戦力でもある。
それを悪戯に消耗する事は最終的に自分たちにも不利益が出るから。
筋は通っているが、まさか自分たち以外に異民族を敵対存在としてここまで意識している人間がいるとは思わなかった。
いや話を聞くに俺たちの認識よりも遙かに脅威だと思っているようだ。
俺たちよりも、いやもしかしたらより日常的に異民族と戦っている馬騰たちよりもずっと。
この男が生まれ育った荊州は大陸の中央付近に位置している。
普通に考えれば異民族の驚異とはもっとも遠い場所のはずだ。
その彼がどうしてこれほど異民族の脅威を実感した事があるかのように認識し、警戒しているのか。
「詳細は伏せるが、私は異民族の異質な強さを知っている。幸か不幸かそれを知る機会に恵まれてしまったのだ。奴らの存在を常に頭の片隅に入れておくほどの脅威をな」
未だ不確定な、隠されている情報は多い。
しかし話した内容に嘘はないと、俺はそう感じた。
「伏せられた部分が気にはなりますが、大凡理解いたしました。貴方様のお言葉を信じ、この戦いを終わらせるため協力させていただきます」
あくまで『協力はこの戦が終わるまで』とそう言い添えながら俺は深々と頭を下げた。
「まったくもって話が早くてありがたい。ではこれからの事を話し合おうではないか」
それから俺たちは日が昇るまでに戦を終わらせる段取りを決める話し合いに入った。
火薬による轟音で両軍の足を止めさせるのは劉表たちの案だが、俺の磔は自分から申し出た事だった。
轟音で間違いなく足は止まるだろうが、それだけでは戦を中断させるには足りない。
そこで両軍にとって良くも悪くも顔と名前が売れている自分を出す事を提案した。
大事なのは双方の戦闘の意志を一時的に失わせる事。
俺が磔にされて現れれば間違いなく董卓連合側は怒るだろう。
しかし俺がその場に捕まって現れたとなれば、劉表軍を最大限警戒し一度必ず引く。
そこから再度攻撃を考えるまでの僅かな隙間、事を収める為の時間が稼げるはずだ。
「そこを畳みかけるというわけだ。ふむ、己が磔になるという屈辱すら許容するとは……。貴殿、うちに来んか?」
「私めをそこまで買っていただき大変恐縮ではございますが、家族もおりますので遠慮させていただきます」
「惜しい。実に惜しいが致し方ないか。孫家よりも先に出会っておればな」
話し合いが進むうちに劉表は俺の事をずいぶんと気に入ってくれたようだ。
彼の立場からすればだいぶ親しげで勧誘までされてしまったし、すげなく断ったというのに特に気分を害した様子もない。
「やれやれ、日が昇ってしまったか。話が長引いてしまったな。爺、こやつに食糧と水を分けてやれ」
「よろしいのですか?」
「無駄な戦いを終わらせる為とはいえ、自ら磔になると言った男に対する礼の一つだ。否、この程度の事で礼などと言えたものではないだろうが……」
「今の俺にとっては水の一滴でもありがたいものです。……ご厚意ありがたく。この感謝はこの戦いの終結を持って果たさせていただきます」
なんらかの思惑あれど、ここまでこちらに援助をしてくれるのであれば俺もまた礼を尽さなければならないだろう。
「これはこちらからの返礼の一部だと言うておろうに。貴殿がこれに恩を感じて返すと言われてしまえば、いつまでも貸し借りが終わらんではないか」
ほんの少し機械的だった声に僅かながら呆れの感情が混じった気がする。
律儀通り越して愚直だとでも思われたのかもしれないな。
しかしそう言われても俺の性分としてここは譲れない。
「では私めは手配をして参りましょう。凌刀厘殿、こちらへ」
「承知しました。劉景升様、それでは私はこれで失礼いたします」
両手を床につき、深く頭を下げる。
身一つの俺に出来る最大限の感謝を込めて。
「……行け。このくだらん茶番を片付ける為に」
俺は黄祖殿に促され、劉表殿の馬車を後にした。
本当なら『甘寧』について聞きたい事があったんだが、流石に一刻を争う今の状況で戦と関係の無い話を聞く事は出来なかった。
だがいずれ必ずあいつについては問いただすつもりだ。
そこからは手早く食事を済ませ、水で喉を潤し、最低限の体裁(痛めつけられたと思われるような身体の傷を付けるなど)の工作を施した後に俺は予定通りに磔にされて、戦場に舞い戻る事になる。
暴走した十常侍一派の人間を叩きのめした後、俺は集まっていた兵士たちに取り囲まれてあやうく殺されるところだった。
黄祖殿が一喝のあと俺が劉表軍と手を結んだ相手である事を説明し、この戦を終わらせる為に董卓連合への使者を担う俺に危害を加えるならば劉表軍を敵に回すと心得よと恫喝することで事無きを得た。
そして俺は今、なぜか劉表軍の陣地で劉備と対面して座っている。
董卓連合側へ俺を使者として送り出すにあたって劉表軍を核とした反董卓連合そのものの再編を行う事になり、各勢力の代表と知恵者たちによる軍議が執り行われている。
この無意味な戦の発起人であること、今までの戦いの成果が汜水関のみであること、連合内にいる内通者に気付く事も対処する事も出来なかったこと。
この三つを主な要因として袁紹は反董卓連合の大将の地位を剥奪された。
黄祖殿にさんざん言葉で殴られた袁紹はすっかり意気消沈し、自分が大将から降ろされる事にも劉表軍がこれからの反董卓連合を指揮する事にも反論しなかった。
その間、黄祖殿から劉表軍の陣地で休まれるといいと言われ、お言葉に甘えて与えられた天幕の中で一人座禅を組んでいたところ、彼女が訪ねてきたのだが。
護衛の一人も付けず、仮にも勢力の代表でありながら今行われている会議に出席せず俺のところに現れた彼女の意図がまったくわからん。
「「……」」
しかもかれこれ五分は向かい合ってだんまりのお見合い状態となっている。
……本当に何故こんなことになったのか?