「腹部の怪我による出血は凌操様の手当で血は止まっております。他の打撲も痕は残らないでしょう。彼は大丈夫ですよ」
「医師殿、診ていただきありがとうございました」
一刀は助かった。
医師の見立ては俺と同じ、打撲こそ多いが傷と言えるのは腹部のみ。
その傷も出血こそしていたもののそこまで深い物では無かった。
腹部を殴り付けられた時に出来た青痣の方が目覚めた後は痛むかもしれないとのこと。
とりあえず俺は安堵の息を吐いた。
本当ならこのまま目覚めるまで付き添いたいところだが、俺には俺の役目が残っている。
後ろ髪を引かれる思いで医師に一刀を託し、簡易の天幕を後にする。
ここは城下街の広場に作られた臨時の避難所だ。
民も城下の警邏をしている兵士たちも大体はここに集まっている。
余力が残っている兵士たちは数人で固まり、避難出来ていない者がいないかを見て回っている。
一先ず俺は避難所を見て回ることにした。
この時代の民は具合が悪くなったとしても医師に言い出せない可能性が高い。
民は自分たちがピラミッドの最下層にいる人間だと、今までの生活から染み付いている。
医師が必ずしも上という事ではないが、自分たちと違う存在だと感じて気後れしてしまうのだ。
こちらから見つけて声をかけてなし崩しに治療を受けさせなければ、不調が悪化する可能性が高い。
あまり時間的余裕はないが、それを未然に防ぐくらいはやっておきたい。
そうして見て回っていると、ふと息を潜めて縮こまっている二人組を見つけた。
両者ともボロ布を頭から被っているが、僅かに髪が漏れている事、線の細さから女性か、あるいは子供なんだろう。
年上なのだろう少女が小柄な少女の背を優しく撫でて、小柄な子の方は彼女の手を握っている。
互いを思いあう仲の良い姉妹、といった感想を抱いた俺だがふと少女の方と目が合った。
「刀厘、様」
小さく漏れたその声を俺が聞き逃す事はない。
俺は驚きを表に出さないように意識しながら素早く彼女らに駆け寄り、そっと耳打ちする。
「荀文若様、なぜここに? 帝様をお守りしていると聞いておりましたが?」
洛陽に着いた時、俺が聞いた情報では荀彧は宮の奥にいる帝を守りに向かったという事と宮の奥で爆発があったという事だけ。
彼女たちの身を案じてはいたが、このような状況にあっても許可無しに宮に入る事は出来ない。
手を出せないのなら自分たちが出来る事を速やかにこなし、事態の収拾に努めていたのだが。
まさか荀彧が外にいるとは思わなかった。
ここにこの子がいるという事は、この子が守ろうとしているこちらの子はまず間違いなく……。
「はい。しかし宮の奥まで奴らの魔の手が迫りました。ご存じかもしれませんが奴らは宮にて爆破を行いました。身の危険を感じた私と帝様は甘卓とその部下が敵を抑えている間に隠し通路から脱出、こうして民に紛れておりました」
「なるほど。状況は承知しました。この後はいかがなされるのか? なにか助力できる事はございますか?」
一応は外向けに当たるので丁寧に問いかけると荀彧はこくりと頷き、そっと耳打ちを返す。
「これ以上ないほどに信頼出来る貴方に出会えたのは行幸です。暫定ではありますが私の権限で貴方を帝様の護衛に指名させていただきます。どうか私どもの安全を確保し、宮殿へお連れ下さい」
「委細承知。では失礼いたします」
おそらくここに辿り着くまで走り通しだったのだろう。
立ち上がる事も辛そうな二人を出来る限り、優しく抱き上げる。
二人ともとても軽い。
荀彧が年齢不相応に軽い事は以前会った時に知っていたが、帝様も推定年齢を加味するとあまりにも軽すぎる。
口には出さず懸念事項の一つとしてを頭の片隅に置き、揺らさないよう気をつけて歩き出す。
「ご無礼を。しかし御身を一刻も早く城へお連れする為ですので、なにとぞご容赦を」
「お気遣いありがとうございます。献帝様、どうかお心安らかに。この方が私どもに害を為す事は絶対にありません。私の今までの献身とこの名に賭けて保証いたします」
荀彧からの全幅の信頼を示されて悪い気はしない。
この信頼に応え、決して裏切らぬ事を誓おう。
「隊長! 如何なさいましたか?」
民を二人抱えて歩いている俺に部下の一人が声をかけてくる。
「どうやらこのお二人は宮中に勤めている方の縁者のようだ。顔見知りの人物だったので俺が城にお連れする。位の高い方々だ。俺が直接連れて行った方が角が立たん。すまんがここの守りは頼むぞ」
「はっ! お気を付けて!」
思いつきにしては上手い言い訳に、そもそも疑う気など無かった部下は直立不動で礼をする。
帝が彼のきびきびした動きにびくりと身体を震わせたが、そっとその背中を優しく撫でると震えはすぐに収まった。
いかんな、咄嗟の事とはいえ子供たちにやるような対応をしてしまった。
……あとで不敬罪とかにならんといいんだが。
「多少揺れても構いません。城へ急ぎましょう」
「承知した。身体のどこかにお捕まりください」
「はい……よろしくお願いいたします」
「はい、全身全霊を持って貴方様を城へ安全にお届けいたします」
初めて聞く献帝様のお声に答え、俺は走り出した。
棘付きメリケンサックと直剣がぶつかり合う。
「うっとおしい武器ね。私の剣を何発も受けてるのに壊れないのも面倒臭い」
「ソレはコッチモ同ジ。ソノ剣、ナンデ壊レナイ?」
言っている間にも剣による突きが放たれ、それをメリケンサックの鉄の部分で受け止められる。
武器がぶつかり合いによって火花が散った。
お互いに得物こそ違えど、戦いに対するスタンスが似ているらしく千日手の様相を呈している。
怒りに任せて剣を振るっていた孫策だったが実力伯仲の相手を前にいつしか平静を取り戻していた。
考え無しに振るっているだけでは倒せないと認識したが故に。
それでも互いに傷らしい傷がないまま、一刻が経過している。
「コレダケ打チ合ッテ罅ノ一ツモ無イ。オ前モ殺セナイ。イイカゲン面倒」
「こっちがそう言いたいんだけど……」
お互いに相手を面倒だと考え苛立ちこそしているものの、その挙動には油断も隙も無い。
隙を見せれば喰われるのは自分だと分かっているからだ。
「しっ!」
孫策が右手で握った剣を横に薙ぎ払う。
和連は獣じみた跳躍で後ろに跳び、それを避ける。
着地を狙って走り込み、勢いそのままの突きを放つ。
四つ足で着地した和連はより頭を低くし、着地の衝撃を流すと同時にバネのように前方へ飛び出す。
ちょうど頭に突き刺さる位置にある突きを首を捻って紙一重で躱し、左腕のメリケンサックを脇腹目掛けて突き出した。
「しゃらくさい!」
真っ直ぐ迫るその一撃をすらりと伸びた足で蹴り上げる。
「チッ!」
モデル顔負けの細い足でありながら、その一撃は地面をも砕く。
それを受けた左腕はあっさり折れ、その痛みが和連の顔を歪ませた。
しかし只では転ばない。
蹴り上げられた左腕のメリケンサックの棘部分を折れた痛みにも構わず爪のように振り下ろし、彼女の足に傷を付ける事に成功した。
どうやら大きな血管を傷つけたようで傷口からかなりの血が出ている上に止まる気配が無かった。
実力伯仲の相手を前に血が出続けるような傷を負うのは戦いが長引けば長引くほど不利になる。
「小賢しい事してくれるわね!」
「腕ヲヤラレタオ返シ」
最後の一撃だったその左腕は手首から肘にかけての部分が膨らんできており、その部位だけでなく身体を動かすだけで激痛が走る有様。
口でこそ余裕ぶってこそいるものの和連自身、顔に浮かぶ脂汗を隠せずにいた。
「……(ぜんぜん血が止まらない。思ったより傷が深い)」
翻って孫策は相手と睨み合いの状況ではきちんとした止血をする事が出来ない。
ここで相手に弱みを見せる事は両者にとって殺される事と同等の屈辱であるため、両者とも努めて普段通りに振る舞っていた。
だが客観的に診て双方ダメージを受けているとはいえ、戦況は孫策に悪い。
「ソロソロ死ネ」
「言ったでしょ? それは貴女の方だって」
だが両者ともに相手への殺意に衰えはない。
この戦いはどちらかが死ぬまで続くだろう。
『誰かの横槍』が入らなければ。
「「ッ!」」
再びぶつかり合おうとしていた二人の間の地面に飛んできた巨大な何かが衝突する。
二人は咄嗟に後ろに下がり、土煙が上がる場所から距離を取った。
もうもうと上がっていた茶色い煙は風切り音と共に巨大な手によって払われる。
現れたのは身長ゆうに3メートルを超える巨躯を持つ人間だった。
いったいどこで手に入れたものか、全身を鎧で覆っており生身の部分が一切露出していない。
鉄の塊と表現しても過言ではないソレは人間とは思えない姿と言えた。
しかしそれから発せられる圧力、強者の風格は極めて強大。
「(母さん……いいえ、呂布と同格。もしかしたら、それ以上かも……)」
孫策は相手の実力を読み取りながら、どのように動くか考えを巡らせる。
しかし乱入者は和連の方を見ると外見からは想像しづらい女性らしい高めの声で話しかける。
「和連、何をしている」
「……母。母コソナンデイルノ?」
先ほどまで殺気立っていたはずの和連が借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
母と呼ばれたソレはその巨大な腕で和連の腰を掴み、顔の部分にまで持ち上げる。
「お前がいつまでも戻ってこないから迎えに来たのだ。まったくはしゃぎおって」
「ウウ、ゴメンナサイ」
手にぶら下げられたまましょんぼり肩を落とす和連。
その頭をもう片方の手で軽く撫でながら母とやらは話を続ける。
「よいよい。死力を持って当たれる相手が見つかれば夢中になるのも仕方の無い事だ。とはいえここまでだ。帰るぞ」
「エーーーー」
「おや、左腕が折れておるな。いっそ粉々にしてしまおうか?」
「ワカリマシタ! 帰リマス!!」
「よろしい」
乱入者は和連を自分の頭に乗せるとそこでようやく孫策に顔を向けた。
「そういうわけだ。此度はこれまでとさせてもらおう。勇猛なる戦士よ」
「逃がすわけないでしょ、と言いたいところだけど。悔しい事に今の私では勝ち目が無いわ。この屈辱、いずれ必ず返させて貰うわよ」
孫策の本音としては和連だけはこの場で殺したかった。
しかし彼女の感覚が呂布と同等以上と判断した相手も一緒では諦めざるを得ない。
「くっはっはっはっ! その意気や良し。かつて我らを討伐に来た『張奐(ちょうかん)』を思い出すぞ。ああ、殺しに来い。俺は逃げも隠れもしない。またいずれ相見えよう」
ズンズンと地面を揺らしながら悠々とした足取りで去って行く姿を孫策は悔しげに見送る事しか出来なかった。
「我が名は『檀石槐(たんせきかい)』。鮮卑族の大人(たいじん)*1なり。俺と鮮卑族がいずれこの広大なる中華の大地を手に入れる。忘れるなよ」
「ええ、忘れないわ。貴女も忘れないでね。貴方の首を取るこの私、孫伯符の名を」
「ああ、決して忘れぬ」
「オ前ヲ殺スノハ母ジャナイ! 我ダ! 和連ノ名前ヲ覚エトケ!!」
北部を拠点とする異民族『鮮卑族』。
それがこの世界において、これから敵対する者たちの名であった。