乱世を駆ける男   作:黄粋

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第十八話 錦帆賊との別れ。

 錦帆賊と接触して五日目。

 太陽が西に沈みかける頃に伝令三名が戻ってきた。

 彼らに寄れば報告を受けた建業の方は慌ただしく動き出したと言う話だ。

 我らが誇る建業の頭脳たちが報告した情報をどう捌くのかは気になる所ではあるが、今の俺たちが気にするべき事ではないので頭の隅に追いやっておく。

 

 伝令たちと馬を休ませる為にさらに一日を過ごし、俺たちは行軍を再開する事にした。

 

「長いようで短い六日間だったな」

「ああ、そうだな。世話になった、礼を言う」

「礼を言うのはこっちの方だ。お前等のお陰で今の煮えきれねぇ状況を変えられるかもしれねぇんだからな」

 

 長江を一望できる高台。

 俺と興覇はそこで肩を並べて巨大な大河を眺めていた。

 

「それはそれとして、だ。本当に乗せていかなくていいのか? 長江の下流までならお前等の予定してる行軍順路とそう変わらねぇだろうし、速度も船の方が早いと思うんだがよ」

 

 納得し切れていない顔で質問する興覇。

 その表情は俺たちを怪しむ物ではなく、自分たちの手助けを拒否する事への不満が浮かんでいた。

 

「ああ、俺たちは予定通り陸路を行く。河路を行けば楽にはなるんだろうが、それでは見えてこない物もある」

 

 そもそも興覇たちと出会う前は、彼らが俺たちの遠征にまで協力を申し出てくれるとは思いもしなかった。

 軍隊である俺たちに対してここまで好意的になってくれるとは考えていなかったのだ。

 

 彼らの『軍隊』や『領主』、特に荊州の劉表に向ける恨みはかなり深い物だと予想していたし、実際に話を聞いて回った限りでは予想通りだった。

 その憎しみや恨みが直接的に関わっていないとはいえ同じ立場である俺たちに向けられても不思議はないと俺は考えていた。

 

 当然の事だろう。

 自分たちを害した者と同じ立場であると言う事実は、虐げられ陥れられてきた者たちから見ればただそれだけで警戒に値するのだから。

 

 だが彼らは劉表たちと立場を同じくする蘭雪様とその配下である俺たちに対して警戒こそすれど恨みや憎しみをぶつけてくる事はなかった。

 友好関係を築いた今では警戒心も目に見えて薄まり、気安い態度で接してくる者も多くなっているくらいだ。

 

 

 俺が想定した最悪のケースを良い意味で裏切ってくれた彼らの心情に今まで蘭雪様たちが行ってきた善政が絡んでいるだろう事は簡単に想像できる。

 

 領地が金で手に入り、人の命すらも物を捨てるような軽々しさで失われるような時代だ。

 領主が領民から税を搾り取り、虐げる事すらも日常的に行われるこの世の中で民の暮らしを考えた政治を行う者は少ない。

 

 噂の域を出ないが士官してからの二ヶ月で聞いた話では涼州西平の太守である『馬騰(ばとう)』、同じく涼州にて馬騰と戦力を二分する存在であるらしい武威太守の『董君雅(とうくんが)』が挙げられる。

 黄巾の乱も起きていない段階でこの二者の名前が為政者として挙がっていると言うのには驚いた。

 知識では馬騰は領民に慕われていたが為政者としては可もなく不可もなくであったという認識であるし、董君雅に至っては彼の子である『董卓(とうたく)』による非道な行いの数々の方が印象に残っている為、その人柄や能力についての知識がまったく無いからだ。

 

 他には官位自体は金で買ったらしいがその治世は民を想う物であると言われている『曹嵩(そうすう)』、十常待と対等の立場というこの世界に置ける最高位の存在として政界に君臨する老翁『曹騰(そうとう)』の曹親子。

 前世の知識と照らし合わせても彼らの有能ぶりに違和感はないのでこの情報に関してはかなり真実に近い噂と見ていいだろう。

この上、彼らの下にはいずれ頭角を表してくるだろう曹操がいるのだからこの一族は本当に規格外だと思う。

 

 そして名門袁家に名を連ね、漢王朝の官制において最高位に位置する三つの官職『三公』に次ぐ『六卿』の司空(しくう)の地位を持つ『袁逢(えんほう)』、元南陽太主にして同じく六卿の司徒(しと)に付き姉を支える『袁隗(えんかい)』姉妹。

 袁逢は後に曹操と関わりを持ち一大勢力を築き上げる『袁紹』の母親、袁隗は史実を知る身としては良い印象を持つことが出来ない暗君『袁術』の母親である。

 この二人も自らが所有する領地で人心を考えた政治をしていると言う。

 やはりこの二人も性別が反転していたがもういい加減慣れた。

 

 余談だが司馬家の者や劉備、『呂布(りょふ)』などはまだ台頭していないようだ。

 孫堅が長沙ではなく建業の太守であったり、馬騰や董君雅の名が既に太守として売れていたりと史実を無視した事が数多くある世界だが、どうにもすべてに置いて俺の知識が役に立たないわけでもないらしい。

 とはいえ彼らがどのような時期に姿を現すかは知識を元には予測できないのでは、やはり俺の知識の有用性はそれほど高くはないと見るべきだ。

 その微妙さ加減には苛立ちを覚えるが、そこに文句を言うのは贅沢な話だろう。

 

 

 話が逸れたが今、挙げた面々が噂通りに善政を敷いていたとしてもその数は六人。

 そこに蘭雪様を加え、さらに噂に上がらない領主の中にそういう良識を持った人間がいたと仮定しても人を尊ぶ政治を行っているのは恐らく十人を越えた程度しかいないと俺は考える。

 

 

 沢山の石ころの中にあるたった一つの宝石は、沢山の宝石の中に紛れている宝石よりも輝いて見えると言う。

 恐らく興覇たちの心境はそれと共通する所があるのだろう。

 

 高官の不正が公然とした事実になり、官位が売り買いされ、民が搾取される事すらも容認されている世の中で、先ほど名を挙げた者たちが治めている郡は比喩なく輝いて見えるはずだ。

 虐げられている者たちから見ればその反応はより顕著だろう。

 

 その心理が錦帆賊の警戒心を緩和させるのに一役買っているのだ。

 彼らと協力関係を結ぶ事を目的の一つとしていた俺たちからすれば実に好都合な話である。

 己の意志で善政を敷いている蘭雪様たちからすればこんな考え方は唾棄すべき物だろうが。

 

 とはいえ誰かが人間の負の部分についても考えなければならない。

 建業でならそれは美命を筆頭にした軍師、文官たちの仕事だ。

 そして遠征軍でその位置に当たるのは隊長である俺と副官である宋謙殿になる。

 同じく副官である公苗はそういう部分に目をかけられるほど精神的に成熟していないので頭数には入れていない。

 今後の成長に期待だ。

 

 

「楽できる時は楽する方がいいと思うがねぇ」

「一理あるとは思うが、今回は遠慮する。この遠征は行軍訓練も兼ねているからな」

 

 船上訓練と言うのも有りだとは思うが、水軍のいろはを錦帆賊から学んだばかりの俺たちにはまだ早いだろう。

 あまり詰め込みすぎても訓練の成果が上がるとも思えない。

 

 『船乗りとしての動き』は俺たちが考えている以上に難度が高い物であると言うことを実感出来ただけでも十分な成果と考えるべきであり、ここで水軍に関連した事柄は一度中断して本来の役割へと切り替えるべきだ。

 

 そしてなにより。

 全体の一割にも満たない行程で楽に走る事などあってはならないのだ。

 だからこそここで興覇の好意に甘えるわけにはいかない。

 

「ま、無理強いはしねぇさ」

「せっかくの好意を不意にしてすまないな」

「気にするな」

 

 ひらひらと手を振りながら快活な笑みを浮かべる興覇。

 釣られて俺も控えめに笑った。

 

「父! とうりんさま!」

 

 少女の声に何事かと振り返る。

 息を切らせながら駆け寄ってきた甘嬢は走ってきた勢いそのままに体当たりするように甘寧の腰に抱きついた。

 

「っとどうしたんだ、甘卓?」

「とうりんさまたちが今日たびに出るってこうびょうさまに聞いて……」

「いても立ってもいられないで走ってきたってわけか」

「んっ……」

 

 父親の言葉に小さく頷く甘嬢。

 興覇の腰に抱きついたまま、その体で自身の顔を隠すようにしながらちらちらと俺を見つめてくる。

 

 

 初対面の挨拶以来、何かと一緒にいる事が多かった彼女は傍目にわかるほどに俺に心を開いてくれていた。

 基本的に興覇と共にいる彼女とは話す機会を多く持つ事が出来たのだ。

 興覇の子供と言う事もあり俺自身が意識して話しかけるようにしていた事も親しくなる事が出来た要因だろう。

 

 

 甘嬢は錦帆賊と俺たちが真剣な話をしている時には必ずどこかに行っている。

 最初は難しい話がわからず、つまらないからどこかで遊んでいるのかと思っていた。

 だがその行動が父親の邪魔をしないようにと言う気遣いだったと言うのは彼女と会話をしていくうちに理解出来た。

 

 この子は蓮華嬢と同じで年の頃に似合わない程に生真面目だ。

 この年の子供ならもっとわがままになってもいいだろうに、父親の邪魔になりたくないと考えこんなにも幼いと言うのに強く自分を律している。

 もはや手の掛からない子供だとかいう次元ではなかった。

 

 だから俺はおせっかいだとは思いながらも彼女の事が心配になり、意識して彼女と話すようにした。

 気が付けば戦い方の手ほどきをするようになり、最終的な結果はこの通り別れを悲しんでもらえる程に好かれるようになっていた。 

 

 前世から子供好きを自認している俺としては彼女と親しくなった事自体に不満などないが馬鹿親(こうは)が絡んでくる事だけが面倒だった。

 子供を可愛がるのは理解できるが、こんな危険な時代である事を差し引いても興覇は過保護が過ぎる。

 

「お前、ほんっと卓に好かれてるな。親父としてはすげぇ複雑なんだが」

「そう言われてもな」

 

 口では言い表す事が出来ないくらい本当に複雑そうな顔をする興覇。

 この五日間の間ですっかり見慣れた表情だ。

 

「……甘嬢、別れの挨拶が遅くなってすまないな」

「うっ……いえ」

 

 そっと片膝を付いて彼女と視線を合わせて謝罪する。

 大きめの瞳を潤ませながら俺を見つめる甘嬢。

 泣かないように唇を軽く噛んでいる姿は、なんともいじらしく年相応の可愛らしさに満ちている。

 視界の端っこで馬鹿親(こうは)が拳を握りしめて俺を睨んでいるが無視だ。

 

「また近いうちに会う事になる。それまで教えた事を忘れないようにな。父親と仲良くするんだぞ?」

「はい。とうりんさまもどうかお元気で」

 

 こぼれそうになった涙を拭う彼女の頭をそっと撫でる。

 すると感極まってしまったのか俺の腹に顔を押しつけて抱きついてきた。

 

「うっ……ぐす」

 

 嗚咽混じりの吐息が服一枚を隔てて俺の腹部をくすぐる。

 俺は大昔に自分の息子や孫をあやした時の事を思い出しながら彼女が泣きやむまでそっと彼女の背中を撫で続けた。

 

 愛刀に手をかけて寒気のする笑顔を浮かべている興覇を意図的に無視しながら。

 

 

 

 

「行ったな」

「はい……」

 

 俺の手を握りながら去っていく凌操隊の背中を見送る思春。

 じっと見つめているその先にいるのはこの五日間で仲良くなった凌操だろうな。

 もしかしたらその副官でよく話をしていた……賀公苗だったか、かもしれねぇが。

 

 思春はこの五日で少し変わった。

 今までは錦帆賊の中でも生まれた頃から一緒にいた連中にしか懐かなかったのに。

 刀厘や公苗と関わってる内に連中の部下たちともびくびくしながらだが話すようになった。

 

 俺たち錦帆賊全体にとって刀厘たちの存在が現状打破の為のきっかけになったように、思春にとってもあいつらとの触れ合いが今の自分を変えるきっかけになったんだろう。

 

 親として娘の成長は素直に嬉しい。

 俺よりも年下の男がきっかけって言うのは親として負けたような気分になるが。

 

「欲を言えば俺の手で一から十まで育てたかったんだがなぁ」

 

 もう豆粒になった男たちの背中を飽きもせずに見つめ続ける思春に聞こえないように呟く。

 

 刀厘から軽く戦闘の手ほどきを受けた思春はちょっとした技術を身につけた。

 

 有効な足運びや武器の振り方。

 あいつが娘に教えたのはその程度の事だったって話だったが。

 

 たったそれだけで思春はより戦い難い相手になった。

 別に剣を振るう速度が上がったわけじゃない。

 力が上がったわけでもないから武器の威力が変わったわけでもない。

 

 だと言うのに軽い気持ちで模擬戦をしたら危うく負けそうになった。

 今までの思春の剣には振り下ろすか振り上げるか突くかくらいしか攻撃の型が無かった。

 それがどうだ。

 刀厘から手ほどきを受けたあいつは剣の柄尻や自分の足、拳すらも攻撃に利用してきた。

 

 今まで『剣』だけで戦ってきた思春は手ほどきされた四日(それも一日での時間はせいぜい一刻って所だ)で自分の持てる技術全てを利用して戦うようになっていた。

 

 戦いは生きるか死ぬか、殺すか殺されるか。

 意識を突き詰めていけばそれしか残らず、純然たる結果として勝ちか負けだけが鎮座するもんだ。

 

 戦いってのは綺麗事じゃない。

 

 思春が鍛錬をするようになってから口を酸っぱくして教えてきた事だったが実戦経験って奴がないあいつにとって俺の言葉はやはり伝わり難いもんで、どうしたもんか悩んでもいたんだが。

 どうやったか知らないが刀厘は思春に俺の言いたかった事を意識させる事に成功していた。

 

 昔の俺みてぇに実戦で痛い目を見ながら学ばせるしかねぇかと諦めていたってのに。

 手ほどきの内容までは聞いてなかったから模擬戦での動きは俺にとって完全な不意打ちで奇襲だった。

 

 実の娘に度肝抜かれる事になるとは思いもしなかったぜ、まったく。

 親としての意地でどうにか勝ちを拾ったが、あれは本気で肝を冷やした。

 

 その後、あいつを問いただしたら少し手ほどきしたとほざきやがったし。

 あれだけ動けるようになっているのに『少し』だと?

 じゃあ本格的に思春をあいつに預けたら一体、どうなっちまうんだ?

 

「父……」

「お、おう。どうした、思春」

 

 悶々と考え事に耽っていると思春が俺を見上げてなにか言いたげにしている事に気づいた。

 

「わたしはつよくなれますか? 父をまもれるくらいに」

 

 真剣だが不安げに揺れる瞳。

 たぶん刀厘に手ほどきされた上で俺に負けたのが悔しかったのかねぇ?

 親としてそう簡単に負けてやるつもりはねぇし、守られてやるつもりもないんだが。

 

「そうさな。このまま毎日鍛錬してりゃ強くはなれるだろうぜ」

 

 俺の言葉に無言だが、嬉しそうに顔を綻ばせる思春。

 ったくこういう時の顔はほんとに子供だ。

 俺と想の最愛の娘だ。

 

「だが俺を守ろうなんてのは十年早い。俺より強くなってから言え」

 

 思春と額を合わせてニヤリと笑ってやる。

 からかわれたと思った思春はむっと頬を膨らませるが、まぁ怖くはねぇな。

 むしろ可愛いだけか。

 

「さあて見送りも済んだし、俺たちも行くぞ!」

「あ、はい!」

 

 不満そうな顔が、ただの子供の表情が消え、錦帆賊頭の娘として引き締められる。

 その切り替えの早さを見て先が楽しみだと思うし、同時になんか寂しいとも思う。

 

 複雑な内心を隠して俺たちは船に乗り込んだ。

 

「俺たちは予定通り、長江を下る! いつも通り賊が村を襲えねぇようにしっかり睨みを効かしに行くぜ!!」

 

 長江中に響かせるつもりで声を張り上げる。

 誰一人の例外もなく仲間は俺に視線を集中させている中で俺はさらに檄を飛ばす。

 

「だがこれからはさらに気合いを入れろ!! 俺らは十年の苦しい時間を乗り越えて肩を並べられる新しい仲間を得たんだからな! あいつらが俺達と肩並べた事を誇れるように! 俺らがあいつらと胸を張って横並びでいられるように! 今まで以上に気張って見せろ! わかったか、てめえらぁあああ!!!」

「「「「「「おおおーーーーーー!!!!!」」」」」」

 

 そして俺達はいつも通り、船を駆って水上を突き進む。

 その胸に今までとは違う想いを乗せて。

 


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