乱世を駆ける男   作:黄粋

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第二十六話

 昨日、祭と陽菜との熱い逢瀬を存分に楽しんだ俺は休みである事を利用し仕事で会う事が出来なかった子供たちに会いに行く事にした。

 

 まず向かったのはその幼さから未だ養育係が付きっきりになり、滅多に城外に出る事が出来ない小お嬢(ちいおじょう)の所だ。

 

 

 孫向香(そんしょうこう)

 孫堅の子供であり、孫策、孫権の妹だ。

 歴史書などでは孫夫人(そんふじん)と言う名で通っており、政略結婚で劉備に嫁いだとされている。

 その人柄には諸説あるが、夫婦仲は良くなかったとされている事が多い。

 流石に年齢差が三十近くもある相手との婚姻ではお互いにやり難かったと言う事なのだろう。

 実の所、彼女に関して記述されている事はほとんどなく、その最期も記されていない。

 劉備との仲が良かったと書かれている書物では、蜀と呉による国家間のいざこざの果てに母国に帰国。

 後に劉備が戦死したと言う報告を聞いて絶望し、長江へ身投げしたと言う。

 この世界で劉備との婚姻があるかどうかはわからない(なにせ劉備の性別が変わっている可能性があるのだ。しかも今までの傾向から言って歴史に名を残すような人物であればあるほど可能性は高い)が、知識を参考にするならろくな事にはならないだろう。

 

 

「あ、くろ〜〜!!」

 

 勉強に飽きていたのだろう彼女は、俺が来るとすぐに文字通りの意味で胸元に飛びつき遠征の土産話をせがんできた。

 養育係の老人も彼女の態度に苦笑いしながら、休憩と称して俺と彼女が話す時間を設けて席を外している。

 俺の首にぶらさがって離れようとしない小お嬢の状態では勉強に身が入らないと思ったのだろう。

 

「ねぇねぇ、くろ〜。すずのかんねいってつよいの?」

「ええ、とても強く勇ましい男です」

 

 男らしい頼りがいのある笑みを浮かべた興覇の姿を頭に浮かぶ。

 その威風堂々とした態度に虚飾はなく、隙も俺が見る限りまったくなかった。

 以前からあった討伐軍を返り討ちにしてきたという評判の通り、対峙すれば一筋縄では行かない事は容易に察する事が出来る。

 

「ふぅ〜ん。くろ〜とどっちがつよいの?」

 

 天真爛漫と言う言葉が人の形を取ったかのような陽気さを持つ彼女の言葉は年相応に単純で直接的だ。

 そういう性格であるから俺たちは出会ったその場で彼女自身から真名を許されている。

 しかし雪蓮嬢たちと比べてさらに幼い彼女に許されたからと軽々しく真名を口にするのは憚られた。

 美命たちにその事を相談したところ、古参の人間から許可が出るまで真名では呼ばないようにするという方針になっている。

 小お嬢はこの決定に不満のようだが、責任能力があるかもわからない年齢なのだから妥当な判断だと俺は思う。

 

「さて……そう安々と負けるつもりはありませんが軽々しく勝てると断言も出来ません」

「え〜? さいとげきをいっしょにたおしちゃったくろ〜でもかてないかもしれないの?」

 

 彼女が言っているのは以前に行った隊同士の合同訓練の事だろう。

 確かにあの時、俺は祭と通りかかった激を同時に相手にして勝利している。

 しかしあれはほとんど遊びのような物。

 お互いに全力の半分も出していない本気とは程遠い物だ。

 勝ちは勝ちだとは思うが胸を張るような物でもない。

 

 とはいえわざわざ訂正する必要もないだろう。

 そもそも見た物をそのまま信じているこの子にあの時はお互いに本気を出していなかったと伝えても信じるかどうか怪しいのだ。

 

「はい」

「すっごいなぁ〜〜、すずのかんねい」

 

 そんな俺の微妙な心境を理解する事なく、ただ無邪気に笑う少女に苦笑いを返す。

 しばらくの間そうして遠征で起こった話を語って聞かせ、俺は彼女の元を後にした。

 

 話と言っても子供が喜ぶような笑い話になる事だけで、人身売買や山賊たちの事には触れていない。

 建業大守孫堅の三女とはいえまだ数えで六つの少女が知るにはあまりにも残酷な所業だろう。

 

 手入れの行き届いた中庭を歩きながら考える。

 出来れば今後もこんな血生臭い事柄には関わってほしくない。

 しかし彼女の立場上、それはありえない。

 権力者の子として生まれた彼女には既に相応の義務が課せられてしまっているのだから。

 

「生まれた時から気づかず背負わされる義務、か。やり切れない話だ」

 

 自分よりも遙かに小さな子供を取り巻く子供らしくない環境、それを知りながらなにも出来ない自分に思わず自嘲する。

 

 駄目だな。

 こんな暗い顔では雪蓮嬢や冥琳嬢、蓮華嬢や荀彧たち察しの良い子供たちに心配をかけてしまう。

 気分を切り替えるように首を振り、俺はいつの間にか止まっていた歩みを再開した。

 

 

 

 冥琳嬢は建業城の資料室にいた。

 勤勉な彼女はよくここを利用し、自分の知識を増やすべく努力している。

 毎日、朝から夕まで読書に励んでいる事はよく知っていたので足を運んでみたのだがどうやら正解だったようだ。

 遠征前は雪蓮嬢に「さいきん冥琳が遊んでくれない」などと頬を膨らませて愚痴られていたが、どうやらその勤勉ぶりは良くも悪くも変わらなかったらしい。

 

「久しぶりだな、冥琳嬢。元気そうで何よりだ」

 

 読書の邪魔にならないよう、ゆっくり近づき声をかける。

 

「え? あ、駆狼殿! お帰りなさい!」

「ああ、ただいま。別にそんなに慌てる必要はないぞ?」

 

 慌てて本を閉じて座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がる冥琳嬢。

 集中していた彼女は俺が声をかけてようやく俺の存在に気付いたようだ。

 

「あ、は、はい……すみません、気付かずに」

「気にするな。むしろ俺の方こそ読書に集中しているとわかっていたのだからもっと気を遣うべきだった。すまないな」

「い、いえ……」

 

 恐縮し切りで緊張している冥琳嬢。

 俺たちが任官してから既に三ヶ月が経過する。

 その間、彼女とはそれなりに親交を深めてきたのだが。

 ある時を境に俺への態度が硬化してしまっていた。

 

 何と言うか無意味に緊張していると言うか。

 まるで天敵と相対する時の獣のように気を張るようになってしまったのだ。

 警戒されるような事をした覚えはないのだが、正直どうすれば良いか検討が付かない。

 一度、美命や陽菜に相談してみたのだが。

 

「しばらくあの子の好きにさせてやってくれ。別にお前の事を嫌っているわけじゃないさ」

「少し戸惑っているだけよ。自分の気持ちに、ね」

 

 などと意味深な事を言うだけで対処法を教えてはくれなかった。

 なので俺はなるべく自然体で会話し、彼女の態度を気にしないようにしている。

 嫌われているわけではないと言うのは俺にもなんとなくわかるのだ。

 こちらがよそよそしくなってしまっては彼女を傷つけてしまう事になるだろう。

 

 机には彼女が読んでいた物以外にも何冊もの本が重ねて置かれていた。

 その一冊を手に取り、適当にめくってみる。

 

「……今は政治経済に関する本を読んでいるのか」

「はい」

「俺が遠征する前は軍略関係、確か孫子を読んでいたな? あちらはもう読み終わったのか?」

「もちろんです!」

 

 はきはきと嬉しそうに、そして誇らしげに返事をする彼女の笑顔は実に溌剌とした物だった。

 見ているだけでこちらまで元気になれる、自然にそう思わせてくれるほどに。

 

「凄いな。まだ十歳になったばかりだろうに。感心するぞ」

 

 素直にそう思う。

 十歳の子供が、大人でさえ興味がなければ読まないような本をこんなにも短い時間で読破し、その内容を自分の知識として吸収して いるのだから。

 確実に俺よりも頭が良い。

 将来が実に楽しみだ。

 

「私は早くちしきを身につけ、母上たちや駆狼殿の手助けをしたいのです!」

 

 その母親譲りの生真面目さは貴重だ。

 なにせ君主とその長女の破天荒ぶりが酷いからな。

 未来の側近候補は堅物なくらいの方がバランスの良い塩梅になるだろう。

 

「それは楽しみだ。だが根を詰め過ぎると役立つ前に倒れてしまう。適度に休む事も必要だ。最近は朝早くから篭もっていると聞いている。毎日、こんな生活をしていてはいずれ体調を崩すぞ?」

 

 彼女のやる気は素直に褒めるべき所だが、やり過ぎは身体を壊す事に繋がる。

 諫めるべき点は諫めなければならない。

 諫められ、叱られ、怒られなければ『してはいけない事』と言う物は伝わりにくいのだから。

 

 これは幼い頃から言い聞かせていかなければならない事であり、大人が子供に対して持つ数ある義務の一つだと思っている。

 

「は、はい。申し訳ありません」

 

 先ほどまで喜色満面だった表情が諫められた事で消沈、俯いてしまう冥琳嬢。

 むぅ、こんな風になるほど強く叱ったつもりはなかったのだが。

 

「偶にでいい。本に触れない一日を作ってみろ。お前はまだ幼い。ずっと机に座り込んでいる必要はないんだ」

「で、ですが、その……私が役に立つにはちしきを身につけて母上たちのほさが出来るようになるのが一番、早いように思えるのですが」

 

 なるほど。

 この子なりに自分に出来る事を模索した結果が今の読書漬けの生活と言うわけか。

 だが結論を出すにはまだ早い。

 

「焦るな、冥琳嬢。お前に出来る事が政治、軍略『だけ』だと決めつけるな。お前はまだまだこれから知らなければいけない事がそれこそ山ほどある。そしてそれらはただ本を読めば学べると言う物ではないんだ」

 

 確かにこの子は頭が回る。

 あの『周瑜』であると言う事を差し引いても十分に優秀だ。

 だがだからと言って、こんな幼い頃から必要不必要と言う判断基準で物事を考える必要はない。

 俺たちのように守る手段として武力を選ばなければならない状況ではないのだから。

 子供はもっと伸び伸びと生きるべきだろう。

 

「今だけしか出来ない事をやればいい。為になる、ならないではなくやりたいと思う事に熱中すればいい」

「……」

「その結果が読書だと言うなら俺は止めない。だが今、それを決められるほど色々な事に挑戦してきたわけじゃないだろう?」

「……はい」

 

 腰まで届く黒髪を撫でながら言い聞かせる。

 

「なら試せばいい。前に言ったな、失敗を恐れるなと」

「いたらない所は母上や蘭雪様たちが止めてくれる、ともおっしゃられていました」

「覚えているならば躊躇う必要はないはずだ。子供から世話をかけさせられて迷惑に思う大人はここにはいない」

 

 そこまで話して撫でていた手を離す。

 

「迷惑をかける事を怖がるのは仕方がない事だ。けれどそれを理由に立ち止まってくれるなよ」

「はい」

 

 さてこれ以上、ここに留まるのも悪いか。

 言いたい事も言えたし、最も重要な帰還の挨拶も出来た。

 少々、説教などしてしまったが気を悪くしてないだろうか。

 

「駆狼殿……ごしどうありがとうございました」

「指導なんて重たい物じゃないさ。だが心に留めておいてくれると嬉しい。ではまたな」

 

 席を立ち、冥琳嬢に背を向ける。

 俺が退出するまでずっと頭を下げっぱなしにしてるだろう冥琳嬢の姿を頭に浮かべながら俺は少々乱暴に自分の頭を掻いた。

 

 

 

 次に俺がやってきたのは孫権こと蓮華嬢の部屋だ。

 

 

 孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)

 孫堅の息子であり、後に三国に名を連ねる孫呉の大帝。

 孫堅の死後、孫策が早死にした後に孫呉を継いだ若獅子。

 劉備と曹操に比べると保守的な人物と言われているが、それは親兄弟から継いだ孫呉を守るたいという想い故の行動だった。

 最終的に牙を剥いた曹操に対して劉備と同盟を組み、かの有名な赤壁の戦いにて彼の軍を退ける。

 三国の世を作り上げた人物の一人と言ってよいだろう。

 

 

 さてそんな蘭雪様の血を引いている蓮華様だが、彼女はやや内向的な性格をしている。

 何も言われなければ日がな一日を自室で過ごす事も多いくらいだ。

 逆に必要とあれば、どこにでも出歩くのだが。

 いざと言う時の行動力は、やはり孫家の血が入っていると実感させられた物だ。

 

「激、ここ字がまちがってます」

「うぇ!? ほ、ほんとだ……ち、ちくしょう。次だ次!」

「ここもです」

「……なんてこった」

「あ、まだありました」

「ぐはぁっ!? お、俺から頼んどいてなんだがほんと容赦ねぇよな。蓮華様」

「わるいところをしてきする時はきびしくするべきだとおじさまが言っていました」

「駆狼の影響かよ!? いや厳しい方が俺の為にはなるんだけどさ!?」

 

 ノックをしようと手の甲を彼女の部屋に向けた所、中からこんな声が聞こえてきた。

 勤勉な幼なじみと蓮華嬢の話し声の内容から察するにどうも恒例の報告書添削の真っ最中らしい。

 

 聞こえてきた会話だけで中の光景が想像できてしまった。

 二十を越えた青年が床に手を付いて膝をつき、それを椅子に座って呆れながら見下ろす少女の図。

 微妙に犯罪臭漂う光景である。

 

「まあ大丈夫だろう。ここでは日常茶飯事だ」

 

 とりあえずノックをする。

 蓮華嬢が「どうぞ」と入室を許可するのを待ち、俺はそっと戸を開けた。

 

「失礼する。蓮華嬢」

「あっ! おじさま!」

「お〜、駆狼。昨日ぶりだな」

 

 椅子から立ち上がりパタパタと近づいてくる蓮華嬢と机に広げた竹簡の内容を手元の竹簡に書き写しながらおざなりに声をかけてくる激。

 激の俺に対する対応がおざなりなのは蓮華嬢に添削を厳しくするように言い含めた事が原因かもしれないな。

 

「およそ三ヶ月ぶりになるが元気そうで安心したぞ」

「おじさまも隊のみんなもごぶじで何よりです!」

「ああ、ありがとう」

 

 明るい笑みに釣られて俺も笑いながら彼女の頭を撫でる。

 無言で、しかし嬉しそうにはにかむ蓮華嬢を見ていると元気が出てくるように感じるな。

 

「で、どうしたんだ、駆狼。お前、今日は休暇だろ?」

 

 嬉しそうにはにかむ彼女に和んでいると激が声をかけてきた。

 相変わらず視線は二つの竹簡を言ったりきたりしているが。

 

「昨日は軍務としての帰還報告しか出来なかったからな。休みを利用して蓮華嬢たちに会いに来たんだ」

「なるほどねぇ。相変わらずマメだな、お前」

「わざわざ会いにきてくださるなんて……ありがとうございます」

 

 恐縮した様子で蓮華嬢が頭を下げる。

 だが俺としてはそこまで感謝されるような事でもないと思っている。

 

 蓮華嬢は主君と仰いでいる人間の娘であるのだから帰還の挨拶にこちらから出向くのも当然の事だ。

 君主の命令で公の場以外での堅苦しい言葉遣いを禁じられてしまったのでいつも通りに話させてもらってはいるが、それでもその辺りの分別は付けるべきだろう。

 

 まぁそんな堅苦しい理由などなくとも子供の事を気にかけるのは俺や陽菜にとっては当然の事なんだが。

 

「さて取り込み中だったようだが出直した方がいいか?」

「ああ、それは大丈夫だ。もう一通り添削してもらったからよ」

「はい。後はげきがまちがえた字を直すだけです」

「それくらいなら自分の部屋で出来るからな。俺が部屋出るからお前は蓮華様に土産話を聞かせてやれよ」

 

 そう言うと激は机の上に広げていた竹簡を手早く畳むと手に持っていた物と併せて脇に抱えた。

 

「それじゃ俺はこれで。毎度毎度、すみませんね。蓮華様。俺の仕事手伝わせちまって」

「ううん。気にしないで。あとげきはどんどん字うまくなってきてるよ。まちがいだってへってるもの」

「うっす、ありがとうございます。そんじゃ駆狼、蓮華様は任せた」

「ああ。お前はしっかり仕事に励め」

「あいよ〜〜」

 

 空いた手をひらひらと振りながら激は部屋を出ていった。

 俺たちは顔を見合わせて笑いあうと円形の机を挟んで椅子に座る。

 

「さて……遠征の土産話を用意したんだが良ければ聞いてくれるか?」

「はい! お願いします!!」

 

 小お嬢に勝るとも劣らぬ輝く笑顔を見つめながら俺は遠征での出来事を語り始めた。

 と、このまま話が終われば良かったのだが。

 

「……」

「……」

 

 今、俺を挟んで蓮華嬢と文若が睨み合っている。

 二人とも俺の腕を握りしめ絶対に離さないと言わんばかりに相手を無言で睨み付けていた。

 

「なぁ、二人とも?」

「なんですか、おじさま?」

「とうりんさま、なんですか?」

 

 それまで睨み合っていたのが嘘のような笑顔を向けてくる。

 

「……」

「……」

 

 だが双方、声が被った事が気に入らないのかまた睨み合いに戻ってしまった。

 

「……恨むぞ、ご老体」

 

文若と蓮華嬢を引き合わせ、二人の間の雰囲気が怪しくなると同時に逃げていった老婆の顔を思い浮かべ両腕を拘束する二人の少女に聞こえないように毒づいた。

 


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