乱世を駆ける男   作:黄粋

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第二十九話

 正直な話、仕官してから特に功績らしい功績を上げてない俺が、貴族の護衛なんて大層な仕事を任されるなんて思わなかった。

 

 理由を聞いてみれば確かになって納得させられたし、そもそもこんな大任を任されるくらいに認められてたって事がわかったのはすげぇ嬉しかったんだけどな。

 だから絶対に失敗なんてしねぇって気合いを入れて任務の準備を始めたんだ。

 

 準備の最中に蓮華様や雪蓮様たちが激励に来てくれたのはなんかむず痒かった。

 一緒に来た桂花ちゃんに「お母様をお願いします」って頭を下げられて、絶対に守り切らねぇとって覚悟を決めた。

 賊に攫われてその後もずっと苦しんできたこの子を、これ以上悲しませるわけにはいかねぇってそう思った。

 

 心のどっかが張り詰めて、自然に身体に力が入ってくのが自分でもわかった。

 

 

「遠征というほどではないが、兵糧にはある程度余裕が必要だろう」

「そっちは俺が確認しておきますよ。適量としちゃこれくらいの量だと思ってるんですけど、どうです?」

「ふむ。……不測の事態を考えれば妥当なところか。慎はどう思う?」

「僕も行軍に支障をないけど、食料としては充分だと思います」

 

 美命様や慎と護衛軍の編成やら、兵糧の手配について話し合う。

 村を守るとか、山賊のねぐらに攻め込むとかそういう戦いはやった事があるんだが要人警護ってヤツの経験は無い。

 

 下手を打つと俺達だけじゃなく蘭雪様たちにも迷惑をかけちまうし、何より桂花ちゃんの家族だ。

 どんな仕事だって気を抜くなんて真似はしねぇけど、今回は特に真剣に取り組んでいるって自覚があった。

 

 

 俺がやっていた文官の仕事は、俺に文官のなんたるかを叩き込んでくれた老先生(師事する時にこう呼べと言われた。実は真名はおろか本名も知らない)に引き継いである。

 今回の任務を割り当てられたって事で仕事の引き継ぎの後に礼儀作法についてはみっちり復習させられた。

 

 俺が失敗した時の蘭雪様の立場ってヤツを考えての事だと思う。

 

 貴族って立場がどんだけ偉いかは聞いた限りの事しか俺にはわからない。

 けど住む世界が違うなんて言葉をよく聞くし、機嫌を損ねる事がすげぇやばいっていう悪い話は耳にタコが出来るほど教え込まれた。

 桂花ちゃんを見てるとそうは思えないんだけどな。

 あの子がまだ子供だからそう感じるんだろうって言ったのは、確か美命様だったか。

 

 護衛する荀家の連中には桂花ちゃんと話す時みてぇに気安く接するのはやめろって厳命された。

 同時に桂花ちゃんに対しても今までのように接する事を禁じられた。

 

 人と人とが関わる所に民草だ貴族だなんて意識はいらねぇって俺は思う。

 けど俺の気持ちはどうあれ、そうしないといけない。

 

 その事になんか腹が立った。

 そして貴族が面倒だとかそういう事よりも、今まで普通に接してきた俺らに他人行儀にされなきゃいけない桂花ちゃんがかわいそうに思えた。

 雪蓮様たちと遊んでいるあの子の顔は俺達が子供の頃と何も変わらなかったから。

 だから余計にそう思う。

 

「なるほど。いきなり酒を持って俺の部屋に来たのはそういうやるせない気持ちを吐き出したかったからか」

「ああ、そうだよ。なんつーか塁とか慎にはこういう愚痴はし難いし、祭とだと飲む量ばっかり増えちまうからさ」

 

 卓を挟んで対面に座る駆狼の言葉に頬を掻きながら杯に注いだ酒を飲み干す。

 

「まぁそれでお前の気持ちに区切りが付くなら付き合うさ」

「悪い」

「気にするな」

 

 空いた杯に駆狼が注いでくれたので俺も駆狼の杯に継ぎ足す。

 

「桂花ちゃんは、ずっと貴族でいなきゃならねぇのかな? 対等に話す事も出来ないような、ここに来るまで友達もいねぇような寂しい場所にいなきゃならねぇのかな?」

 

 何度か一気に呷って軽くなった口から言葉が漏れる。

 

「……わからない。貴族と言ってもその地位は昔に比べて衰えているらしいからな。あるいは今後、そう遠くない内に貴族と言う特権階級は無くなるかもしれない」

「衰えている、ねぇ。ならその内、今までみたいになんの気兼ねもなく桂花ちゃんと話が出来るようになるのかねぇ?」

 

 本当はそんな簡単な話じゃなくて、すげぇ大変な事なんだろうけど。

 子供らしく生きられないあの子を見てるとそう思わずにはいられない。

 蓮華様や冥琳様もそうだけど、桂花ちゃんはそれ以上に寂しい生き方をしてるから。

 

「それもわからない、な。俺達がどうこう出来る話じゃないって言うのもそうだが……あの子の環境にとって貴族であると言うのは生活の一部、言ってみれば四肢のように身近な事だ。突然、それが無くなるとどうなるか、それが彼女にとって本当に良い事なのか、それは俺達では判断出来ない事だ」

「……四肢の一つを無くすような事態になっても平然としてたお前が言っても説得力ってもんがねぇよ」

「……」

 

 初めて山賊と戦ったあの日。

 駆狼は医者が匙を投げるほどの深手を負って左腕が動かなくなった。

 医者からその事を聞かされた時、俺達はみんな大騒ぎしていたってのにこいつはただ静かに事実を受け入れていた。

 元方って鍼で治療するおっさんがいなけりゃ左腕はずっと動かなかったはずだ。

 

 一生物の怪我を「そうか」の一言で受け入れる。

 俺には真似できないって当時は思ったもんだ。

 

「戦うと決めた時から五体満足でいられるとは思っていないからな。だが桂花はそうじゃない」

「そう、だな。俺達みたいな戦えるヤツと同じように考えちゃいけねぇな」

 

 ただの武官が話し合った所で意味がないんだろう愚痴を交わし合う。

 

「あの子だけに限った話じゃねぇけどさ。やっぱ子供たちには武器を持たせたくねぇよな」

 

 それは俺の本心だ。

 戦って、人を殺して、折れそうな心を奮い立たせてまた戦って、また人を殺して。

 そんな事、あの子たちにはしてほしくない。

 

「……俺も同じ気持ちだ」

「だろうな」

 

 いや。

 建業の誰よりも子供たちの面倒を見てるこいつは、たぶん俺以上にあの子たちを戦わせたくないって考えてるはずだ。

 

 けどこのまま領土争いだとか賊の横行が続くなら、いずれあの子たちは戦場に立つ事になる。

 守ってやるだなんて口で言うのは簡単だが、それを貫き通すだけの力は俺にはまだ無い。

 祭にも、慎にも、塁にも、駆狼にすらもまだ無い。

 

 一体、どれだけ努力すれば守りたい物を全部守れるくらいの力が付くのかなんて全然わからねぇ。

 だからって足踏みしてたらあっという間に時間が過ぎていくだけだ。

 

「なら我武者羅にでもやってくしかねぇよなぁ」

「強くなるのに近道なんて都合の良い物はないからな。安心しろ、誰もが手探りだ……俺もな」

 

 俺の独り言の意味を完全に見透かした言葉を吐きながら駆狼は杯を呷る。

 

「今は自分に出来る事に全力で取り組むしかない。先の事を考え過ぎて目の前の事を疎かにする訳にはいかないだろう?」

「だな。差し当たっては今回の護衛任務を成功させる事を考えないと」

「気負い過ぎるなよ?」

「わかってるさ」

 

 話はそこで途切れた。

 それからしばらくは無言で酒を飲み進めて、持ってきた酒が空になった所でお開きになった。

 

「色々話してすっきりしたぜ。ありがとな」

「気にするな。俺もお前と話して色々と考える事が出来た。俺の方こそありがとう、だ」

「そっか」

 

 駆狼の部屋を出て、自分の部屋に向かって歩き出す。

 酔いが回って火照った顔に当たる風が気持ち良くて思わず頬が緩む。

 

「『ありがとう』か。色々とまだまだな俺でもお前の力にはなれてるんだな、駆狼」

 

 俺達よりも一歩も二歩も先を行く駆狼。

 だが遠い背中にも声は届くんだって事が確信出来た。

 

 追いかけるのも楽じゃない。

 いつまでも追いつけなくて苛々した事も数えきれないくらいある。

 けど、思ったよりもあいつと俺の距離は遠くないって事がわかった。

 声が届く距離なら、走ればすぐそこ。

 なら後は俺の頑張り次第って事だ。

 

「やってやんぜ」

 

 拳を握る。

 

 あの子たちが戦わないで済むようにする方法なんて全然、見えてこない。

 世の中が平和になればいいんだとは思うんだが、どうやら良いのか話がでかすぎて検討も付かねぇ。

 

 なら見える所からやっていくだけだ。

 

「まずは……任務をやり切って桂花ちゃんと親御さんを会わせる」

 

 今、俺が考えるのはそれだけでいい。

 

 

 

 

 激の愚痴に付き合った二日後。

 美命、激、慎は荀家の護衛のために建業を発った。

 護衛を引き継ぐのは廣陵郡と呉の領境(りょうざかい)になる。

 

 向こうに付くのにおよそ三日。

 そこから建業に戻るのに通常の行軍でさらに三日。

 

 何事もなく済めばいいんだが、恐らく何かしらの動きが見られるはずだ。

 具体的には賊、あるいはそれに偽造した襲撃。

 

 こちらも警備を強化して侵入者を警戒しなければならない。

 祭の部隊が城内を、塁の部隊が街の外を警戒すると言う事になり、俺の部隊は城下の見回りをする事になった。

 

 俺は自分、公苗と公奕、豪人殿と元代の三つに部隊を分け、それぞれに見回る範囲を限定して警戒に当たる事にした。

 一人では不意打ちに対応出来ない可能性がある為、二人一組で行動する事を厳命。

 俺は公奕の弟である公盛(こうせい)と、そして君主命令で桂花と行動を共にしている。

 

「大将、この辺はいつもと変わりないみたいですね」

「そうだな。文若、朝から歩き詰めだが平気か?」

「はい! ぜんぜん大丈夫です!」

 

 俺の手を握って離さない桂花。

 言葉通り、疲れた様子もなく周囲に落ち着きなく視線を動かしている。

 城内では自由に行動を許されている(それでも最低一人はお付きがいるが)桂花だが、城下に出た事はなかった。

 

 初めて歩く建業の街。

 落ち着き無く周囲に視線を巡らせ、香る焼き魚の良い匂いに鼻をひくつかせ、客寄せの威勢の良い声に驚く彼女の様子は見ていてとても微笑ましい。

 

 危険が付きまとう警邏に連れていけと言う命令に俺は最初、猛反発した。

 当然だろう。

 護衛対象を狙われやすい外に連れていくなど愚策も良い所だ。

 だが桂花自身に城下を見てみたいと言われてしまい。

 必死な様子で懇願され、俺が折れざるをえなかった。

 

 桂花が胸を張って帰れるように出来る限りの事をすると約束した手前、彼女の要望には可能な限り応えたいと言う思いがあったからだ。

 

 俺と公盛で周囲を最大限に警戒し、離れた所でも何組かに俺達に近づく人を監視を頼んでいる。

 加えて桂花にも俺から離れないようにという条件を飲んでもらっていた。

 

 これが桂花の願いと安全とを両立させた妥協案だ。

 些か不安が残るが、そこは現場でなんとかするしかないだろう。

 

「そろそろ昼になるな」

「ですね。どっかで適当に休憩しましょうか」

「ならこの先の広場にしよう。旅芸人が催し物でもしているかもしれない」

 

 公盛の言葉に頷き、休めそうな場所を提案する。

 しかしこのやり取りは事前に取り決めていた事だ。

 この先の広場には常に何人かが見回りに付いているから何か起こった時に対処しやすい。

 だから自然な流れで向かうように会話しているだけだ。

 

「旅芸人、ですか?」

「歌や踊り、芸で周りを楽しませる人たちの事だ」

「そんな人が……駆狼様、私見てみたいです!」

「都合良く今日いるかはわからないが今日の主役であるお前の希望だ。見に行くとしよう」

 

 話を聞いて目を輝かせる桂花に引っ張られるように広場を目指す。

 

 見晴らしの良い場所の方が護衛がしやすいと言うのもある。

 勿論、そんな雰囲気を壊すような事を言うつもりはない。

 この子には城下の様子を純粋に楽しんでほしいからな。

 

 もっとも聡いこの子がなにかに気付いている可能性もあるんだが。

 

「今日は露天商の類が多いな」

「あちゃあ、広場が露天で埋め尽くされちまってちゃ催しは期待できませんね」

 

 当てが外れたと額に手を当てて落胆する公盛。

 

「まぁ仕方ない。適当な所で飯にしよう」

 

 前世での公園に倣いこの広場には幾つかベンチのような長椅子が配置されている。

 その一つに俺と桂花が並んで座った。

 

「公盛、すまないが……」

「了解です。適当に美味そうな物買ってきますよ。文若ちゃんはなんか要望あるかい?」

「え、えっと……お魚が食べたい、です」

「あいよ。任せときな」

 

 人懐っこい公盛の態度に戸惑いながら希望を言う桂花。

 要望を受けて男らしい笑みを浮かべると俺と目を合わせてから、露天にたむろす人混みの中に消えていった。

 

 桂花は公盛と他の人間に比べれば関わりはあるのだが、どうもその積極的過ぎる性格が災いしてまだ慣れていないらしい。

 

「ふぅ……」

 

 長椅子の背もたれに身体を預けるとため息が漏れた。

 今の所、周囲に妙な動きはない。

 護衛対象を引き連れて見回りに出るという愚行が、逆にあちらを警戒させているのかもしれない。

 俺が襲撃者の立場だったならこんな状況、まず罠を警戒する。

 そういう意味では心理を突いた策と言えない事もない。

 

「楽しいか? 桂花」

「はい!」

 

 打てば響くような弾んだ返事に俺も自然と口元が緩む。

 こうして過ごせるのもあと僅か。

 ならばその少ない時間をこの子にとって宝物と言えるくらいに楽しい物にしてやりたい。

 

 その為にも。

 『この視線の主』には早々に退場してほしい所だな。

 

「……」

 

 こちらをじっと窺っている気配が一つ在る事にはとっくに気付いていた。

 しかしどうやらこの視線の主が見ているのは桂花ではなく俺のようだ。

 邪魔者から排除しようと考えていると見るべきか。

 それにしては動く気配がないのが気になる。

 

 公盛が離れてからより明確にその気配が感じとれるようになったのは誘いのつもりなのかもしれない。

 だが視線の主の考えがいまいち読み切れない為、誘いに乗る事が出来ないでいた。

 

 だがそのまま見られているだけと言うのも相手を調子付かせるだけだろう。

 ならば……。

 

 数秒だけこそこそと俺達を見ている者の方向に視線を向ける。

 偶然で片付けられる事が無いように視線に殺気を混ぜて。

 

 するとどうだろう。

 今までただ遠目から監視するだけだった何者かは自分からこちらに近づいてきた。

 ゆっくりとこちらに近づいてくる気配。

 

 その姿は普通の農民のような風体をした男だった。

 この場で、そこにいる事に何の違和感もない服装。

 しかしこの男、殺気を向けられたと言うのにに動揺がまったく見られない。

 暖簾に腕押しと言う言葉の通りに受け流しているのか、その顔は涼しげなままだ。

 

 隣で無邪気にはしゃぐ桂花と談笑しながら、正面から近づいてくる男から意識を外さない。

 

「少し道をお尋ねしたいのですがよろしいですか?」

 

 一般人を装って話しかけてきたその男。

 ここで事を荒立てるつもりはないと言う意思表示のつもりか、それとも単に隙を窺う為の駆け引きか。

 俺は座っていたベンチから立ち上がり、さりげなく桂花を隠すように男の正面に立つ。

 

「っ!?」

 

 見知らぬ男に話しかけられた事で俺の腕を掴み、背中に隠れるように抱きつく桂花。

 ほんの少し震える身体が、彼女のトラウマがまだ癒え切っていない事を示していた。

 

「どこに用があるんだ?」

 

 何食わぬ顔で対応しながら桂花の震えを少しでも抑える為に彼女の頭を撫でる。

 勿論、男から目を離すような愚は犯さない。

 

「宿がどこにあるか知りたいのですが……」

「宿ならこことは真逆の区画にあるな。北の道を真っ直ぐ行って突き当りを右に行けばいい」

 

 指で方向を指し示し、簡単にではあるが道を教える。

 

「なるほど。逆方向でしたか。ありがとうございます」

 

 軽く頭を下げて礼を言う男。

 まるで波紋のない水面のように落ち着いた声。

 切れ長の目はどこか狐を彷彿とさせる。

 そしてその動作一つ一つには隙がまったく見られない。

 

 先ほどまでは市中に溶け込む為に隠していた『訓練を受けた者』としての姿を惜しげもなく晒してきたのだ。

 

 俺の警戒心が跳ね上がる。

 目の前の人物だけでなく周囲に対しての警戒も怠らない。

 

 こうまであからさまに実力を晒すような真似をする意味。

 『囮』の可能性を考慮しなければならないからだ。

 

「……お見事です」

 

 男は俺にだけ聞こえるように小さく呟くともう一度だけ頭を下げ、自身の懐から竹簡を一つ取りだした。

 

「正文(せいぶん)様より凌刀厘殿へお届けするようにと預かった書簡です。お納め願います」

 

 丁寧に、しかし素早く書簡を俺に差し出す。

 

「お母様から!?」

 

 思わぬ所から出た家族の名前に弾かれたように声を上げる桂花。

 しかしやはり目の前の男が怖いのか、俺の背中から出ようとはしない。

 未だこの男の正体が判然としない今、彼女が出てこなかったのは俺にとって都合が良いと言えた。

 

「はい……」

 

 桂花の言葉に男は慇懃に頷く。

 しかしそれ以上、言葉を発する事はなく俺が書簡を受け取るのを静かに待つだけ。

 必要以上に物を語らない姿勢はただただ淡々としている。

 

 しかし俺が受け取らなければこの男は梃子でも動かないのだろう。

 俺に書簡を渡す事がこの男にとって最も重要な事なのだから。

 

 俺は差し出された書簡にゆっくりと手を伸ばす。

 書簡に毒やら刃物やらを仕込む事が出来ない訳ではない以上、慎重になるに越した事はない。

 

 ゆっくり十秒程の時間を置いて俺は書簡を受け取った。

 

「それでは私はこれで」

 

 用が終わればそれまでと言外に含ませて男は背を向けて歩いていく。

 一見、無防備に見えるその背中だが、やはり隙は微塵も見られない。

 たとえば今ここで隠れて俺達の様子を監視していた建業見廻り隊の連中や公盛が仕掛けても無駄だろう。

 軽々と倒されるとは思わないが、恐らく逃げられてしまうはずだ。

 

 ならば監視を数名付けて、それ以上のちょっかいをかける必要は今はない。

 

 広場のあちこちに散ってこちらを窺っていた部下たちに目で合図を送る。

 何名かが男を追いかけていくのを見届け、俺はベンチに腰を下ろした。

 

「駆狼様……」

「ふぅ……安心しろ、桂花。特に何かされた訳でもない」

 

 あの男との間にあった緊張感を察してくれたのか心配そうに俺を見つめる桂花に苦笑いしながら応える。

 

「さすがにこんな所で内容を確認するわけにはいかないな。桂花、すまないが一度城に戻ってもいいか?」

「もちろんです」

 

 書簡の内容が気になるのは彼女も同じだ。

 

「なら行こう。これの内容次第だが時間があればまた外に来たい。まだ連れて行きたい所が沢山あるんでな」

「はい! 楽しみにしてます!」

 

 俺達は昼飯を買って戻ってきた公盛と合流し、歩き食いをしながら城へと戻っていった。

 

 

 

 

 凌刀厘殿から付けられた監視を巻き、早々に建業を出る。

 しばらく走った先にある森に飛び込み大きめの木を背もたれにした所で、私はようやく安堵の息を吐いた。

 

 噂では聞いていたが。

 なるほど、あれが新進気鋭筆頭と名高き人物か。

 

 意図的に出したとは言え俺の気配に気づき、場の雰囲気に溶け込む為の擬態を見抜く観察眼。

 言葉尻で相手の意図を察する頭の回転には俺も内心、舌を巻いていた。

 いつの間にか建業の兵士たちに遠巻きに囲まれていると気付いた時には肝を冷やしたものだ。

 

 今回の接触で彼の人物の全てを見抜けたとは思わない。

 恐らく実力の半分も見せていないはずだ。

 

 それでも見えた物もある。

 その隙の無い所作、何の動作もなく部下を動かす統率力。

 そしてあの底知れぬ瞳。

 

 あれほどの人間が建業の双虎の元にいる事実は、大陸の今後の勢力図を大きく変える事になるやもしれない。

 

「来たか、明命(みんめい)」

 

 物想いに耽っている間に、どうやら娘も到着したようだ。

 まだまだ未熟ではあるがなかなかの隠行で俺の背後から近づいてくる。

 

「はい、父上!」

 

 まだ幼い子供らしく無邪気な笑顔を向ける娘に、安堵で緩んでいた口元がさらに弧を描いた。

 

「見たな?」

「はい!」

 

 キッと真面目な表情を浮かべる娘に俺も緩んでいた雰囲気を引き締めながら頷く。

 

「あの男が凌刀厘、そして傍にいた娘が我々の護衛対象である荀文若様だ」

「わたしと同じくらいの女の子でした」

「そうだ。あのような娘が命を狙われる……貴族の世界も薄汚れているのは変わらん。だが……」

 

 思い出すのは鋭い瞳。

 慈しむように少女を撫でながら俺を睨む頼もしい男の姿。

 

「彼と共にいる間は、彼女の身の心配はいらないだろう」

「父上はあの方を気に入られたのですか?」

 

 俺の物言いを疑問に思ったのか小首を傾げながら質問する明命。

 

「気に入った、と言えばそうかもしれないな。あのような男はなかなかいない」

「そうですか! 父上に友達が出来てよかったです! にへへ~~」

「別に彼と友人になるつもりはないんだが……」

 

 無邪気に喜びながら理論を飛躍させた事を言う明命にため息をつく。

 どうやら俺の言葉は聞こえていないらしい。

 

 仕方のない子だ。

 猫と俺の事になると耳に何も入らなくなるのは悪癖だ。

 少しずつでもいいから修正していかねばな。

 

「明命、仕事はまだ終わっていないぞ」

「はっ!? そうでした、申し訳ありません!!」

 

 窘めると正気に戻ってくれた。

 まったくやれやれ。

 

「一応、確認する。俺達の仕事は荀文若様の護衛。彼女及び合流する彼女の縁者を無事に頴川まで連れていくのが仕事だ」

「でも基本的には手を出さず、遠目からのかんしのみに集中する」

「その通りだ。もしも護衛対象に生命の危機が迫った場合のみ我々は直接的な介入を行う。いいな?」

「はい!」

「お前は今回が初仕事だ。仕事の空気を感じ取り、身体を慣れさせるだけでいい。無理だけはするな、いいな?」

「わかりました、父上!」

「では建業へ戻るぞ」

 

 俺達は家に伝わる隠行術で建業へ侵入。

 己の仕事を果たすべく街の中への消えていった。

 


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