色々とリアルの事情でごたついており、作業が遅れておりましたがどうにか投稿が出来ました。
今後もペースは大幅なダウンが見込まれますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
手早く身支度を整えて思春との待ち合わせ場所で待つ事、およそ四半刻(三十分)。
人の流れを眺めていると困惑した表情の思春が姿を現した。
蓮華嬢に手を引かれて。
「驚いたな」
蓮華嬢の方は笑顔で彼女の手を引きながら俺に手を振っている。
その笑顔は姉妹と言う事もあり、雪蓮嬢や小蓮嬢に良く似て無邪気な物で、俺は思わず目尻を緩めて和んでしまった。
俺の記憶が確かなら思春と蓮華嬢に接点は無かったはずだ。
仮にあったとしてもせいぜい見かけた時に挨拶を交わすくらいな物だと思う。
「そんなあの子と手を繋いでくるとは……蓮華嬢もやるもんだ」
元々、蓮華嬢は同年代で兵卒をしている思春を気にしている様子だった。
だが思春の方は蓮華嬢や雪蓮嬢たちの事を雲の上の人間だと思っている節があり、どちらかと言えば避けている。
自分が錦帆賊であると言う事が身分ある人間に対する負い目や引け目になっているのかもしれない。
満面の笑みで手を振る彼女に軽く手を振り返しながら、俺は孫家の血の為せる奔放さを改めて思い知らされた。
未だに困惑した様子の思春が少し不憫に思えたが、これも良い機会と見るべきだろう。
幼い身の上で気を張り詰め続けているこの子に肩の力を抜く事を教えるには。
「おじさま。遅くなってごめんなさい!」
「駆狼様、遅くなって申し訳ありませんでした!」
駆け寄ってきた二人が勢い良く頭を下げてきた。
細かい時間を指定して約束したわけでもないのに律儀と言うか真面目と言うか。
そういう所はよく似ている二人だ。
「気にしなくていい。俺も今、来たところだ」
ある種の常套句を口にして二人に頭を上げさせる。
一応、それとなく周囲に視線を巡らせるが、今のところ特に間者らしい姿は見られない。
ただの一般兵である思春だけならともかく蓮華嬢が来ている以上、警戒は必要だ。
「しかし蓮華嬢はなぜここに? 確か今日は政治についての勉強をしていたと思うが……」
「お昼までの分の勉強はもう終わりました。飲み込みが良いと婆やにもほめられました!!」
「あの滅多に人を褒めない老先生がか? それはすごいな」
「はい!!」
蓮華嬢が婆やと呼ぶのは建業に蘭雪様たちが入るよりも以前から仕えていた文官の一人の事だ。
優しげな風貌とそれに見合った丁寧な言葉遣いをする人物だが、他者に非常に厳しい性格をしており一度でも関わった者からは恐れられている。
しかし人に物を教える事を生業にしていた事がある俺や不特定多数の人間の介護や看護をやっていた事がある陽菜から見ると、彼女の厳しい態度が期待の裏返しであるとわかる。
自分が嫌われ恨まれようとも若者の成長に貢献しようとするその姿勢は、見習わなければと自然に思わせる物だ。
彼女は成り上がり者であるところの孫家の人間に対して偏見などがなく、むしろ多大な期待を抱いている。
蘭雪様や陽菜、美命はもちろんその血族である雪蓮嬢や冥琳嬢たちに対しても同じであり、蓮華嬢もそんな彼女の期待を背負い丁寧で厳しい授業を受けているというわけだ。
さらに彼女らよりもさらに後から建業に入った俺たちに対してもある種の期待をしているように思える。
激や慎など文官として政治にも関わる事がある者には特に。
建業太守の妹と婚姻を結んだ立場になる俺も彼女のしごきを受けている。
もっともこれまでの村での経験と前世の知識のお蔭で飲み込みが良かった俺は、早々に彼女からこれなら安心だと太鼓判を押されているのでしごかれている期間は短かったのだが。
そんな老先生が面と向かって人を褒めると言うのは正直なところ非常に珍しい。
褒めないと言う事はないのだが、いつも遠回しな物言いをするので素直に褒められたと認識できる人間が少ないのだ。
特に子供たちには彼女の言葉の意味する所は伝わり難い。
彼女の教えを受けている子供は基本的に皆、聡いのだが雪蓮嬢や小蓮嬢は難しい言い回しをする彼女を苦手としている。
冥琳嬢は彼女の言葉の本意を察する事が出来るので、彼女との仲は良好だ。
しかし蓮華嬢が言ったように率直に褒められるような事は俺の知る限りは無い。
それだけ蓮華嬢が頑張ったと言う事なのだろう。
まぁあの人の事はいい。
とりあえず蚊帳の外になっている思春を話の輪に加えなければな。
「甘嬢、行こうか。俺の奢りだが何か食べたい物はあるか?」
「え? あ、えっと……その」
蓮華の手を握ったまま、意味もなくもう片方の手を振り回して慌てる思春に苦笑いする。
「遠慮するな。仕事が忙しくてなかなか金を使う機会がないから余裕はあるぞ?」
実際、生活費を除けば二人の妻への贈り物か部下たちへのちょっとしたご褒美くらいにしか金は使っていない。
他の面々に比べれば遥かに蓄えがある。
「あの、部隊の人から肉まんがおいしいお店があると聞いたのですが……」
「ほう……ならそこに行くか。蓮華嬢もそこでいいか?」
「はい、おじさま! あ、甘卓はこっちね?」
俺の言葉に頷くと蓮華は自分が握っていた思春の手を俺の右手に握らせ、自分は俺の左手を握った。
子供たちに挟まれ、両手を掴まれている状態だ。
蓮華嬢は鼻歌混じりに楽しそうに歩き出し、引っ張られるような形で俺が足を進め、それに釣られて思春も歩き始める。
当初の予定とは異なる形になったが、まぁそれは仕方ないと割り切るとしよう。
むしろ蓮華の存在が思春に良い影響を与えてくれるかもしれない。
思春に場所を聞きながら俺たちはゆっくりと歩を進めた。
「はふはふ……おいしいですね、駆狼様、甘卓」
「ああ、美味いな」
「は、はい。おいしい、です」
三人並んで広場のベンチに座り、仲良く出来たての肉まんを頬張る。
「良い店だったな。教えてくれてありがとう、甘嬢」
「い、いえ! 私は聞いただけですので」
黙々と、しかし顔を綻ばせながら肉まんを食べていた思春に礼を言う。
口に入れていた分を呑み込んでから謙虚な態度を取る彼女を見つめながら苦笑いした。
「教えてくれたのはお前だ。感謝くらい素直に受け取っておけ」
「は、はい……」
思春ははにかみながらもそもそと残った肉まんを口に入れる。
礼を言われた事が嬉しい気持ちを隠し切れていないのが微笑ましい。
「甘卓、照れているの?」
「あ、あう……その……」
ここぞとばかりに機会を窺っていた蓮華嬢が話しかけてくる。
彼女は思春に興味津々らしい。
まぁ思春は仕えるべき人間に押せ押せで声をかけられてとても戸惑っているが。
元々、寡黙な方である思春に今の蓮華嬢の相手は酷だ。
「蓮華嬢。もう少し落ち着いて話せ。甘卓が困っているだろう」
「えっ! も、もしかして迷惑だった?」
「そ、そんな事はありません!!」
不安げに瞳を揺らしながら聞く蓮華嬢の言葉を慌てて否定する思春。
しかし自分への態度が釣れないからか、蓮華嬢は思春の言葉を信じられずに重ねて問い返す。
「……本当に?」
「本当です!!」
「そう、良かった」
思春が力強く言い切った事でようやく彼女の言葉を信じられたらしい。
蓮華嬢は花が咲くような明るい笑顔を浮かべながら残っていた肉まんを平らげた。
それに倣うように思春も肉まんを口に入れる。
一足先に食べ終わっていた俺はようやく話をする取っ掛かりを得た二人の様子を微笑ましいと思いながら周囲を眺めていた。
今の所、特に怪しい人物はいないようだ。
その途中で何度か部下たちとすれ違い、こちらの状況は伝わったんだろう。
部下たちがすぐに察してくれたお蔭で街に繰り出した時はいなかった護衛が俺が認識する限り五、六人いる状態だ。
万全とは言えないと思うが通常勤務として建業を見回っている奴らを含めれば、相手の行動を抑止出来るくらいには厳しい警戒態勢だろう。
「甘卓は空いている時間に何をしているの?」
「と、刀厘様の部隊の一員として日々、たんれんをしています」
「ううん。そうじゃなくて調練がおわった後の時間よ」
「?? ですからたんれんを……」
話が微妙に噛み合っていない。
というかまさか思春は自由な時間ですら鍛錬に当てていたのか?
建業軍に入った錦帆賊の面々の中で一人だけ飛び抜けたペースで調練に馴染んでいたが、軍務以外の時間も鍛錬していたとするならそれも頷ける話だ。
ただでさえあの幼さで強さが頭一つ抜きん出ていると言うのに、息抜きもせずにひたすら鍛錬をしていれば、な。
「もしかして、遊んだりしてないの?」
「あそび……えっと、こちらに来てからはぜんぜんやっていません」
「そ、そうなの?」
しまったな。
錦帆賊の面々に関しては部隊の皆が建業での生活に馴染んできたかを確認してきたんだが。
この子以外の者たちが割と早い段階で馴染んだ様子だったから、てっきりこの子もそうだと考えていた。
まさかここまで鍛錬漬けの日々を送っていたとは。
「……甘卓。調練以外の時間はずっと一人で鍛錬をしていたのか?」
「はい。私たちは建業の方々に助けていただきましたから、早くお役に立てるようになりたいと思いまして」
「……そう、か。無理な鍛錬はしていないな?」
「刀厘様にも父にも疲れたら休むように言われていますので、大丈夫です」
真面目な思春の事だからこの言葉は信じても良いとは思う。
だがどうしても不安が残るな。
「なら良い。ただ出来れば鍛錬以外にも何か自分が楽しいと思える事を見つけた方が良いな。あまり根を詰め過ぎて肝心な時に倒れるようでは兵士失格だぞ」
「はい、気を付けます!」
背筋を伸ばして俺の苦言を受け取る思春。
その様子を見るともはや肩の力を抜くと言う事を知らないとすら思える。
真面目な性格が災いしているのだろうが、これは根が深いな。
今日一日でどうこう出来るとは考えない方が良いか。
結果を急いでこちらの思惑を押し付けたところで、この子の張り詰めた心を解きほぐす事など出来ないだろう。
「おじさまもこうおっしゃっているのだし。甘卓、今日は少しあそんでみましょうよ!」
「え? あの、仲謀様?」
俺の言葉に活路を見出したのか、またしても押せ押せになる蓮華嬢。
思春は大きめの瞳をパチクリさせながら、両手をがっしり掴まれて捲し立てられて困惑している。
「そうだな……まだ時間はある。食事の腹ごなしにその辺りを歩くか? 気分転換にはなるだろう」
「それは良い考えですね、おじさま! 甘卓はどう、まだ時間はある?」
太陽はまだ真上、昼飯は食べ終わったがまだ午後の訓練までは時間がある。
「と、刀厘様がよろしいとおっしゃるなら……」
「じゃあ決まりね! 行きましょ!! おじさまも早く立ってください!」
「は、はい」
「ああ、わかった。わかったからそう急かさないでくれ」
いつになくはしゃいでいる蓮華嬢が俺と思春の手を引く。
思春は相変わらず彼女の態度に戸惑いながらも、ベンチから立ち上がる。
俺も彼女らの足に合わせて歩き出した。
息を潜めている、あるいは人ごみに紛れている護衛たちに目で合図する事を忘れずに。
その後は何事もなく俺たちの散策は無事に終わった。
子供たちは存分に楽しんでいたようで、城に帰る頃には思春も幾分か肩の力を抜いて蓮華嬢と話が出来るようになっていた。
真名を預けあい、完全にじゃれあう様は完全に仲の良い友人のそれである。
それでも様付けと敬語は抜けなかったが、これは彼女の生真面目な性格故に仕方のない事だろう。
敬語や様付けなど気にしないくらいに蓮華嬢も思春の事を知る事が出来たようだし。
あの二人の友人関係はまだ始まったばかりなのだ。
これからもああやって話をして仲を深めていけばいい。
基本的に俺が手を出す必要はなくなったと思っていいだろう。
初々しい二人の様子を見守りながら必要と感じたら、あるいは助けを求められたらその時は助言をするようにしよう。
必要以上に干渉するのは無粋だ。
今日は建業に来てから一番楽しい一日になりました。
短い時間ですが駆狼様と仲謀様と一緒に町を歩き回ってあそんだのです。
おいしそうな食べ物を駆狼様に買っていただいたり。
広場で旅芸人の方が歌ったり、おどったりしているのを見たり。
たいまつを両手に持って振り回したり、頭の上に投げてもう片方の手で受け止めるのをくりかえす芸(駆狼様はおてだまと呼んでいた)をしていたり。
長江に、船の上にいた時には見れなかったものをたくさん見る事が出来ました。
仲謀様にとっても、駆狼様にとっても、そして私にとっても。
今日という日はとても楽しい一日になりました。
私は仲謀様の事を守るべきお方で、お日様のように『いる事は知っていても手の届かないところにある物』だと思っていた。
でも今日、初めてお会いして、初めてお話をして、初めていっしょにあそんで。
このお方が手を伸ばせば届く場所にいる、『私たちと何も変わらない人』である事を知りました。
時間があるかぎりたくさんのお話をしました。
仲謀様は私と同じお年で、とても明るいお方。
そして私と友だちになりたいとおっしゃってくださった初めての人。
私の周りには同じ年の子供はいなかった。
父や仲間たちがいたからさびしいと思ったことはありません。
その事を気にした事も今まではありませんでした。
でもさびしいと思ったことはなかったけれど、友だちがほしいと思った事は私にもあります。
だからこそ初めての同じ年のともだちが私がお仕えしている方のお一人である仲謀様だなんておそれおおいとそう思いました。
「友だちになるのにおそれおおいとかそういう物はかんけいないわ。私は甘卓と友だちになりたいの。貴方は……いや?」
その言い方はずるいと思います。
だって私には友だちが今までいなかったのに。
こんなにも私の事を気にかけてくださって、私の事を知ろうとしてくださるお方。
そんな方と友だちになりたくないわけがありません。
「そ、そんな事、ありません。私も……仲謀様と友だちに、な、なりたい、です」
声がふるえてつっかえつっかえになってしまったけれど。
それでも私の気持ちを伝える事が出来ました。
「じゃあ私たちはもう友だち。わたしの真名は蓮華よ、これからよろしくね」
「わ、わたしの真名は思春です。よろしくおねがいします。れ、蓮華、様」
「友だちなのだから様なんていらないわ。かしこまった言い方もやめて」
「あ、あう……えっと、すみません」
初めての友だち。
でも私が守るべき人である事には変わりがないから様を付けて呼んだのだけど。
蓮華様はほっぺをふくらませてしまった。
「この子は真面目だからな。そこは勘弁してやってくれ」
「むぅ……」
駆狼様が言い聞かせてくださったから、きげんを直してくださったけれど。
うう、どうすればいいんだろう?
今度、駆狼様にどうすればよいか聞いてみよう。
もっと蓮華様と仲良くなるために。