乱世を駆ける男   作:黄粋

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お久しぶりです。
色々とリアルの事情でごたついておりましたが投稿が出来ました。
VS錦帆賊の決着編です。
楽しんでいただければ幸いです。


第四十話

 二本の棍を繋げ槍並みの長さになった武器を水平に薙ぎ払う。

 興覇はまるで軽業師のような身軽さでバク転して回避し、着地と同時に突きを放ってきた。

 

 手甲で受け流し、薙ぎ払った勢いを殺さないよう胴体を回して棍を横薙ぎに振るう。

 避けきれないと見たのか、甘寧は曲刀の横っ腹で棍棒の一撃を受け止めた。

 

 

 強い。

 かつて村を守る時に戦った山賊の頭なんぞよりもずっと。

 あの時よりも遥かに死を身近に感じる。

 

 ヤツの放つ一撃一撃が、俺の命を刈り取る事が可能な攻撃だ。

 一瞬の気の緩みが死につながる事が理解できる。

 

「おおおおおおおおっ!!!」

「だぁああああああっ!!!」

 

 鉄と鉄がぶつかり合う不快な音が鳴る。

 お互いの攻撃は未だに相手にかすり傷一つ負わせていない。

 

 俺が手数の多さを武器にしているのに対して、興覇は一撃一撃が驚異的な威力を持っている。

 こちらの攻撃は受け止められ、あちらの攻撃は避けられる。

 一進一退の攻防と言う奴だ。

 

 もはや推進機能を失い、ただ水の上を漂う事しか出来なくなった露橈。

 その甲板はつい先ほどまで錦帆賊、討伐軍が入り乱れた乱戦の場だった。

 他の錦帆賊は全て隊の人間が倒した。

 今や武器をぶつけ合っているのは俺とこいつだけだ。

 

 戦いが始まってから俺の体内時計では二時間程度が経過している。

 未だに決着が付かないのはお互いの実力が伯仲しているからだ。

 

「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」

「はっ、はっ、はっ……」

 

 武器が届かない間合いで、荒くなった息をほんの僅かに整える。

 そして再び激突。

 

 俺が放った棍による突きの連打を刀で受け流される。

 そのまま棍の腹を滑らせるようにして刀が俺に迫る。

 躊躇わずに棍を手放し、斬りかかる際に前のめりになった興覇の腹に左の蹴りを見舞う。

 

 髪を数本切られ、さらに耳に掠り傷を負った。

 腹を狙った一撃は奴の左腕が防ぎ、大きなダメージにはならない。

 蹴りの衝撃を利用してヤツが後退し、またしても距離が開く。

 

「ようやく傷らしい傷が付いたかよ」

 

 刀を肩に担いで興覇は獰猛な笑みを浮かべる。

 

「まだまだ……致命傷には程遠いぞ」

 

 右半身を前に出し、右手の甲をヤツに向ける。

 左手は軽く握り、腰のすぐ横へ。

 

「そうだよな。お互い……まだまだこれからだよなぁ!!!」

 

 俺の目をじっと見つめていた興覇は、怒号を上げながら刀を上段に構えて走り込んでくる。

 殺意ではなく闘志に満ちたヤツの身体は、かつて横に並んだ時よりも遥かに大きく見えた。

 迎撃するべく俺も駆け出す。

 

「おおおおおらぁあああああああっ!!!」

 

 間近で振り下ろされる刃。

 消えたようにすら見える程の速度のソレを俺は右手の手甲で受け流す。

 想像以上の攻撃に右手に痺れが残った。

 

「はっ!!」

「っのやろッ!?」

 

 勢いを殺し切れずに前のめりになった奴の身体に向けて腰に添えていた左拳を突き出す。

 確実な隙をついたと思ったこの一撃も先ほどの蹴りと同様に左腕で止められた。

 

 しかしこれこそ俺の狙いだ。

 止められた左腕を奴が防御に使った左腕に絡める。

 

「なっ、にぃいい!?」

 

 絡めた腕を起点に思い切り力を込めて引き寄せる。

 お互いが顔を突き合わせる程の距離

 刀や剣を振るうには近すぎる間合いだ。

 

「せぇっ!!」

 

 痺れが抜け切れないまま放たれた右の掌底。

 絡め取った左腕は使えず、武器を持った腕での防御は間に合わない。

 

 俺の一撃は吸い込まれるように今度こそ興覇の腹部に突き刺さった。

 

「ごはっ!?」

 

 痺れが残っているせいで仕留める事は出来なかったが、今までにない確かな手応えを感じた。

 だが同時に俺の左腕に激痛が走る。

 

「ぐあっ!?」

 

 思わず絡め取っていた腕を離してしまった。

 距離だけは取られまいと踏み込むが、顔面に刀での突きを放たれその場に留まらざるをえなくなった。

 立ち止まらなければ突きを避けられず、避けられなければ顔面に穴が開いていただろう。

 

「つぅ、……まさか噛み付いてくるとはな」

「形振り構ってられなかったんだよ。あのままじゃ確実に殺されてたからな」

 

 左腕から血が滴る。

 一体どんな顎をしているのか、食い千切られはしなかったものの傷はかなり深いらしい。

 こういう時の為に常備していた紐を左肘に巻きつけ、思い切り締め付けてとりあえずの止血を済ませた。

 興覇は口元の血を拭い、噛み付いた時に口に入った血を唾液と共に甲板に吐き捨てている。

 

「ち、息をするたびに腹がいてぇ。よく腹をぶち破られなかったもんだな、おい」

「こっちは左腕を噛みちぎられるかと思ったんだがな」

「口の中が気持ち悪いわ。大昔に飢えて生で動物の腹食い千切って以来だぜ、この味」

「……まぁこんな時代だし、そういう事もあるな。俺にも経験がある」

「はっ、お前もかよ。ほんと、色々と底が見えない奴だなお前」

 

 口に入った血液の感触は前世で体験している。

 生きていた時の体温を感じさせる生温さだけでも、口に入れるような物ではない。

 それを飲み込む時の感覚は、筆舌に尽くしがたかった。

 かつての戦場での出来事からもう七、八十年経っていると言うのに思い出そうと思えば思い出せる。

 出来れば二度とごめんだ。

 

 だが必要に駆られれば俺は躊躇わず実行するだろう。

 この戦いに勝つために躊躇わなかったこいつのように。

 

「続き、行くぜ?」

「いい加減、終わらせるぞ」

「そうだな。俺の勝ちで終わらせてやるよ」

「やってみろ。譲るつもりはない」

「上等だぁっ!!!」

 

 何度目かの接敵。

 お互いの間合いを侵略する為に走る。

 

 血が沸騰しているかのように身体が熱い。

 目の前の友であり、敵である人間を倒す事しか考えられなくなっている自分に気付いた。

 

 生き残る為に必死になる事はあっても、敵を倒す事に死にもの狂いになった事はなかった。

 こんな自分もいたのかと、頭の端の冷静な部分が驚いているのがわかる。

 

 戦う事を楽しいと思った事は無い。

 とどのつまり、相手を殺す事を、相手を陥れる事を楽しむという事だから。

 前世でも、そして今世でも、そんな風に考えた事はない。

 

 だと言うのに。

 こんなにも身体が熱い、そして頭だけはどこまでも冷静に目の前の男の動きを考察している。

 次の動きを読もうと思考を巡らせ続けている。

 

「おおおおおらぁあああああああッ!!!!」

「はぁああああああああああああっ!!!!」

 

 怒号と共に感情が溢れた。

 獣のように走り回り、何度も接敵し、その度に傷を作る。

 狭い、あまりにも狭すぎる甲板上を足を止める事無く駆けずり回った。

 

 周囲の時間の流れすら遅く感じる世界で、俺はなんとなく察した。

 次の接敵が最後になる。

 

「「はぁ、はぁ、はぁ……」」

 

 額から流れ落ちている血のせいで右の視界が利かない。

 代わりに奴は左足を負傷した為、あの場から動く事は出来ないだろう。

 動こうとすれば左足を引きずる形になり、その隙は致命的だからだ。

 

 ばれないように平静を装っているが、遠巻きにしている者たちならいざ知らず戦っている相手である俺は誤魔化せない。

 かといって明らかに見えているその弱点を突くつもりは今の俺には無かった。

 

 弱点を突いたとしても奴が怒る事は無いだろう。

 むしろ当然の事だと笑うかもしれない。

 

 他の誰との戦いでも、おそらく俺は弱点を見つけたら容赦せずにそこを突くだろう。

 誰に咎められようと、そこに利点があるなら躊躇わない。

 だがこの男との戦いで、それをする気は起きなかった。

 真っ向から倒さなければならない、と自然とそう思う。

 

「ケリ付けるぞ」

「ああ……」

 

 無事な右拳を握り締める。

 上段に刀を振りかぶる興覇。

 

 合図は無かった。

 俺が、俺のタイミングで駆け出す。

 刀を握る奴の手に、さらに力が入るのが見えた。

 

 音が消える。

 

 奴の大ぶりの一撃を右の手甲で受け流す。

 先ほどよりも鋭く重い一撃を捌き切った。

 刀の流れに逆らわないように右腕を下げてしまった為に、この腕はすぐに攻撃に使う事は出来ない。

 

 しかし超接近したこの距離から離れる事は許されない。

 ここで距離を取ろうとすれば斬られる。

 ならば。

 

「がっ!?」

 

 歯を食いしばって自分の額を相手の額に叩き込む。

 ヤツの上体が衝撃でぐらりと仰け反った。

 

 下げっていた右腕で棒立ちになった興覇の右腕を掴む。

 意識が飛ぶほどの衝撃を受けたと言うのに武器を手放さないその執念に感服しながら、俺は奴の足を払いその身体を背負い、そして自分の身体ごとその場で跳び、遠心力を味方に付けて甲板に叩きつけた。

 

 相手を制するのではなく殺す為の背負い投げ。

 

「かはっ!?」

 

 ヤツが喀血する。

 甲板の丈夫な木板に罅が入る程の一撃。

 普通の人間なら背骨が粉々になっているはずだし、そのショックで死んでいるだろう。

 しかしこいつは手酷いダメージを受けてはいるもののまだ生きている。

 呆れるほどに丈夫な奴だ。

 

「……あ~、負け、た……か」

 

 呼吸の音がか細い。

 息をするのも辛い顔で言葉を紡ぐ興覇。

 俺は黙ったままその言葉に頷いた。

 

「そうか。……なぁ、駆狼」

 

 腰に下げていた三本目の棍を手に取ろうとしてやめた。

 青白い顔で、俺を見つめる男にもう先は無いのだとわかったからだ。

 

「俺は娘に何か残せたと思うか?」

 

 死を目前にして出た疑問が置いていく娘の事か。

 本当に、筋金入りの親馬鹿め。

 

「ああ、きっと。お前の伝えたかった事は、伝わっている」

 

 それだけが心残りだったのだろう。

 深桜は口元を引きつらせながら息を吐いた。

 どうやら笑おうとして失敗したらしい。

 もうそれだけの行為が出来ない程に虫の息と言う事だ。

 

「あ、りがと……よ……駆、狼。無二の、親……ゆ、う…………よ」

 

 前世で死の間際の陽菜の手を取った時、その手から力が抜けていった瞬間の喪失感を思い出した。

 心にぽっかりと穴が空いたような気持ち。

 恐らくこの気持ちを埋める手立てなど無いんだろう。

 陽菜の時もそうだったのだから。

 

 眠るように逝った男から周囲に視線を巡らせる。

 俺たちの戦いを手を出さずに眺めていた討伐軍の面々の姿。

 睨みつけるように周囲を睥睨し、俺は最後の仕事として鬨の声を上げる。

 

「錦帆賊の長『甘興覇』は太守孫文台の将『凌刀厘』が討ち取ったぁああああああああッ!!!!!!」

 

 俺はこの日、名声と勝利を得る事と引き換えに友を殺した。

 

 

 

 

 相手の船の制圧まで実に鮮やかな手並み。

 そして錦帆賊という大陸中に知れ渡る程の猛者たちを相手に互角に立ち回った凌刀厘。

 

 その男を従えている建業の文台を軽んじる者は、もうこの討伐軍にはいないだろう。

 

 あの男は面白い事をすると直感でそう思った私だが、ここまでの事をやってのける程とは思っていなかった。

 まだまだ私も甘かったらしい。

 

「子幹、この一騎打ちには決着が付くまで手を出す事を禁じると全軍に触れ回ってくれ。手を出した奴はその部隊まとめて首を刎ねるともな」

「……承知した」

 

 部下に指示を出した後、また私の横に並んでいたこの大男は目の前の血沸き肉躍る光景を見つめながら声をかけてきた。

 

「そこまで気に入ったか。あの青年を」

「いいや、別にあいつに限った話でもないぞ。そもそも文台を建業太守にと口添えしたのも私だしな」

「口添え? 前太守と軍を壊滅させた彼女らの首を繋ぎ、太守に召し上げたその功績は口添えの域には留まらんだろう」

 

 俺の立場を持ってしてもそれは危うい行動だった。

 表には出ていないが建業を文台に引き渡す為に、義真にも大きな借りを作っている。

 今回の錦帆賊討伐に義真ではなく、俺が駆り出されたのもその時の借りが尾を引いた結果だった。

 そこまでの無理をしてでも、あいつらを俺は召し上げた。

 その意図を知っているのは今の所、この仏頂面だけだ。

 

「今のままじゃ朝廷も帝も民も宦官どもの食い物にされて終わってしまうからな。大陸に新しい風を吹かせる為にも強い意志を持った連中が必要だと思ったんだよ。……ようやく見つけたんだ、多少は優遇しても罰は当たらんさ」

「ふむ。自分の首すらも賭けての大博打。しかも結果が出るのは己の死後かもしれんとは……相変わらずの物好きめが」

「くくっ、良いのさ。このままだといずれジリ貧で負けちまう勝負だしな。大体、お前も人の事は言えんだろ?」

「……まあな」

 

 子幹が才能ある人物に私塾(というには規模が小さい物だが)を開いている事を暗に突いてみると、あっさりと認めてしまった。

 なんてからかい甲斐の無い奴だ。

 

「盧将軍、全軍に送った伝令が戻りました。指示はいずれも漏れなく」

「よし。別命あるまで待機せよ」

「はっ!」

 

 下がる子幹の部下を視界の隅に捉えながら、いよいよ決着が付きそうな一騎打ちを見つめる。

 ああ、見ているだけで興奮する戦いももう終わりか。

 不謹慎ではあるが残念に思う。

 こんな戦い、生涯で何度も見れる物ではないからな。

 

 鈴の甘寧が一人になった時点で、この戦は討伐軍側の勝利は確定していた。

 仮にあの男がこの一騎打ちに敗れたとしても、その時は控えていた者たちが奴に矢の雨を降らせればそれで終わる。

 他の領地の連中は兎も角、建業の連中やうちの部下たちが、機を見誤るとは思っていない。

 

 だからこそこんなにも呑気に談笑し、この戦の先を考える事が出来るだけの余裕が持てた。

 

「文台に目をかけて正解だった。これほど先が楽しみな奴がまとまっている所なんてそうはない」

「まとまり過ぎていても困る事があるのだがな。これから先の彼らの苦難を思うと、やはり不安だ」

「だからお前はお前で手を打てばいいさ。誰の手が日の目を見るか、人生を賭けての大勝負。楽しいじゃないか」

「俺は賭け事をする気はない」

「堅物め」

 

 そして終わりの時が来る。

 仰向けに倒れた甘寧。

 その死を見届ける凌刀厘。

 

 錦帆賊の真実を知るあの男からすれば、複雑な思いがあるのだろう。

 その目はやり切れなさを抱えているように見えた。

 

「錦帆賊の長『甘興覇』は太守孫文台の将『凌刀厘』が討ち取ったぁああああああああッ!!!!!!」

 

 世の理不尽を叩き壊さんとするかのような怒号が辺りに響き渡り、その鬨の声に応じるように建業軍が雄叫びを上げる。

 戦いは終わった。

 だがこれだけの武功を上げた建業の連中にはこれからも苦難が待っているだろう。

 

「乗り越えて見せろよ。お前たちに俺の人生を賭けてるんだからな」

 

 俺の言葉は長江に響き渡る怒号の中に消えて誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 

「大丈夫か!? 刀厘!!」

「ああ」

 

 駆け寄ってくる祭の言葉に、俺は言葉少なに頷く。

 俺自身、状態はあまり良くなかった。

 受けた傷は多く、長時間の一対一の戦いによる疲労でもう立っている事も辛い。

 

 祭に肩を貸してもらいながら甲板を離れる。

 一度だけ友の亡骸を振り返る。

 かける言葉など思いつかない。

 だからただこの目に焼き付けて、その場を後にした。

 

 何か言いたげに俺を見る部隊の仲間たち。

 特に元錦帆賊の者たちは、感情の揺れが目に見えてわかった。

 

 当然だろう。

 何度となく言ってきた事で、覚悟を決めろと言ってきたが、それでも俺は深桜を、かつての彼らのリーダーを殺したのだ。

 父のように、兄のようにあいつを慕っていた者もいる。

 恨むなと言う方が無理な話だ。

 

「……撤収する。総員、駆け足!」

「「「「「「「「「応っ!!!」」」」」」」」」

 

 それでも俺の言葉に背筋を伸ばして答える部下たち。

 普段の調練の成果と言う奴だ。

 

 ドタドタと騒々しい足音と共に、皆が持ち主のいなくなった船から立ち去っていく。

 俺と祭もまた、彼らに続いて船に飛び移る。

 

 軽く息を吐くと、膝から力が抜ける。

 

「すまん。少し座らせてくれ」

「あ、ああ。わかった」

 

 そのまま祭に抱えられて甲板の縁に寄りかかるように座り込む。

 部下の前でこれは情けないと思うが、せめて陸地に着くまでのほんの少しの間だけでも緊張を解いていたかった。

 

「大丈夫か? 刀厘」

「……少し疲れただけだ。そう心配するな」

 

 幸か不幸かいつかの山賊と戦った時と違って、傷は多いものの意識ははっきりしている。

 身体はボロボロだが話す分には問題ないし、陸地に戻る頃には歩ける程度に回復しているはずだ。

 

 バタバタと慌ただしく露橈の上を人が行き交う。

 ゆっくりと船が動き出す。

 背後を振り返り、縁越しに接舷していた錦帆賊の船が遠ざかっていくのを眺めた。

 

「刀厘様」

 

 声をかけられ、視線を錦帆賊の船から外す。

 戻した視線の先にいたのは部隊の中で最年少の少女。

 

「……甘卓」

 

 正直、何を話せばいいのかわからない。

 実の父親を殺した俺に、話しかけてきたこの子の意図がわからない。

 彼女に慕われていた自覚はある。

 今更、言い訳などするつもりもない。

 

 俺を見上げる彼女の目は溢れ出しそうになる涙を堪えて潤んでいた。

 

「父は……」

「ああ」

 

 喉を引きつらせながら、言葉を紡ぐ思春。

 俺は彼女の言葉を待つ。

 

「父は……満足していたでしょうか?」

 

 あいつの、深桜の最期。

 表情を動かす事に失敗していたが、確かに笑おうとしていたその顔。

 

「ああ、あいつは満足していた。お前に自分の全てを見せられたと。俺に託せたと。全力で戦う事が出来たと」

 

 お互いに全力を出して戦ったからか、俺はあいつの気持ちを理解していた。

 

 奴の攻撃を捌き、俺の攻撃を奴が捌いたその一瞬一瞬で相手の想いを理解できた。

 相手の手を読もうと神経を研ぎ澄まし、刹那の間に最良の一手を捜す。

 戦いの果てに分かりあうだなんて言うのは、漫画の世界だけだと思っていたんだがな。

 

「そう、ですか。……とう、りん……ざま」

 

 俺の言葉を聞いた事が引き金になったのだろう。

 堰を切ったように思春の瞳から涙が溢れ出した。

 俺の名前も嗚咽が混じって上手く呼べていない。

 

「ありがどうございまじだ……」

 

 震える足に喝を入れて立ち上がり、そっと思春を抱きしめた。

 この子の親を殺した俺に、こんな事をする権利なんてないかもしれない。

 しかしそれでも、涙を流す彼女に何かしてやりたかった。

 偽善だと、誰に言われるまでもなく理解している。

 

 だが俺は縋り付くように俺の背中に手を回す少女を見てこの行動が間違っていなかったと、そう思った。

 今はただこの子が感情を爆発させる様をただ受け入れるだけ。

 

 祭が思春の頭を優しく撫でる。

 彼女に倣って思春の背中をそっと撫でながら、陸地に着くまでの短い時間を父親を亡くした少女の為に使った。

 彼女の心の傷をほんの僅かにでも癒せるように願いながら。

 


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