乱世を駆ける男   作:黄粋

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第四話 守るための戦い。誓いを新たに

 幸いな事に俺と慎が到着した時、村は無事だった。

 しかし村を取り巻く空気は、さながらかつて俺が体験した戦場跡を思わせるほど暗い。

 

 普段ならば畑を耕す人がいて、世間話に花を咲かせる人がいて、質素ながら笑顔の溢れる場所がこの有様だ。

 皆、賊に怯えて家に隠れて息を潜めている。

 そんな行為に意味がない事を理解していながら、恐怖で逃げる事もできないんだろう。

 荒事とは無縁でいた人間ならばこれが普通の反応だ。

 

 パニックになっていたとはいえ、迫り来る脅威に立ち向かう事が出来た慎たちの方が稀有なのだ。

 

「慎、激たちはどこだ?」

「激は村のみんなに家に隠れているように伝えて回ってる。祭さんと塁さんは……たぶん自分の家だと思う」

「おばさんたちは?」

「山賊が攻めてきた村の南方に防柵を作ってるはずだよ」

「そうか」

 

 この村には若い人手が不足している。

 こういう時に力仕事を任せられる人材が四十半ばの慎たちの両親を含めて十人少しだけで後は老人か子供しかいない。

 だからどうしても慎たちの両親に負担がかかってしまう。

 

「ねぇ、刀にぃ」

「なんだ?」

 

 沈んだ声はひどく苦しげで。

 俺にはなんとなく次に出てくる言葉に察しが付いた。

 

「聞かないんだね。祭さんたちの事」

「……ああ」

 

 たとえ聞いても今、会う気は俺にはない。

 正確には会って慰めてやるだけの余裕がない。

 いつ賊が攻めてくるかわからないのだから。

 

「なんで? 心配じゃないの?」

 

 すがりつくような声で質問を重ねながら慎は俺の腕を掴んだ。

 

「心配じゃないわけないだろう。何年一緒にいると思ってるんだ?」

「だったら……」

「今、俺が行って慰めてやって……それであいつらが立ち直れると思うか?」

 

 慎の言葉を遮って言い募る。

 俺を慕ってくれるのは嬉しいが、なんでも俺を頼りにするなと暗に伝える。

 

「自分で乗り越えなきゃどうにもならない。心配は心配だがこれはそういう問題だ。お前と激も他人事じゃないんだぞ?」

 

 雷に打たれたように身体を震わせる慎。

 そんな真っ青な顔で、俺を誤魔化せると思っているのか?

 

「他人の心配もいいが、それを言い訳に自分の事を後回しにするな。どんな経緯であれお前がやった事だ。向き合えるのはお前だけなんだぞ」

「あ…、う……」

 

 真っ青を通り越して白くなっていく慎の目を真っ直ぐに見据えて俺は言葉を続ける。

 

「自分の所業から目を逸らす為に他人を、それも友人を利用するな。それは今まで築いてきたお互いの信頼を汚す行為だ」

 

 こいつは四人の中で一番、頭が良い。

 そしてこの年代からすれば異常に思えるほどに視野が広い。

 だから無意識に周囲を観察し、人間の本能が臆病であるが故に自分がもっとも傷付かない方向に物事を考えてしまう。

 周りが見えすぎるくらいに見えているこいつは常に逃げ道を捜しているのだ。

 傷つけたくない一心で、傷つきたくない一心で。

 

 今までならそれで良かった。

 だがこいつは成り行きでではあるが、人生を血塗れにする事を決断したのだ。

 なにもかもを逃げ腰で済ませる事はもう許されない。

 

「いつまでも俺の後ろに隠れるな」

 

 今までした事がないほどに突き放した冷たい言い方をする。

 今ここで言わなければこいつはいつか公然と他者を陥れるような人間になってしまうかもしれない。

 慎が誰よりも優しい人間である事を知っているからこそ、そんな風になってほしくなかった。

 

 立ち止まってしまった慎を置いて俺は歩く。

 

「激を見かけたら村の南方に来るように伝えてくれ。手伝ってほしい事がある、とな」

 

 伝言だけ預けて遠ざかっていく俺を慎が追いかけてくる事はなかった。

 

 

 

「駆狼君!?」

 

 俺の姿を見て目を見開いて驚く祭嬢の母親である豊さん。

 防柵建築の作業を塁嬢の両親に任せて、こちらに走り寄ってくる。

 

「ご無沙汰しています」

「あ、ああ。しかし来てくれたのはありがたいが……君は」

「父さんは俺の意志を認めてくれました。それがすべてです」

 

 俺の言葉を受けて辛そうに眉を寄せる豊さん。

 しかし事が一刻を争う事も理解している彼女はすぐに頭を切り替えてくれた。

 

「娘と塁が使い物にならなくなった。お陰で人手が足りん」

「慎に聞いています。ただうちの村にも救援を出せるだけの余裕がありません」

「ああ、わかっとる。正直、君が来る事も期待していなかった。君の両親には悪いが嬉しい誤算じゃよ」

 

 苦笑する豊さん。

 俺も苦笑いを返す。

 

「俺一人いた所で何が変わるかわかりませんが最善を尽くします。後悔しない為に」

「その冷静な物言いを聞く度に思うんじゃが……本当に君は子供らしくないなぁ。実は私より年上なんじゃないか?」

「ははは、それはおもしろい冗談ですね」

 

 本人は冗談のつもりなんだろうが、実に心臓に悪い事を言う。

 まぁ仮に俺の事がばれてもこの人や皆なら気にしない気もするが。

 

「ふっ、そうか?」

 

 そういう意味深な笑い方をしないでほしい。

 気づかれているのではないかと勘繰ってしまうから。

 

「とりあえず話を戻します。うちの村からの救援はありません。俺は『一人で勝手に』ここに来ました」

「来た以上は『覚悟がある』という事でいいんじゃな?」

 

 問いかける豊さんの目は真剣だ。

 先ほどまでの飄々とした雰囲気は微塵もない。

 

「それは敵を殺す覚悟ですか? それとも敵に殺される覚悟ですか?」

 

 だから俺も真剣に問い返す。

 無言で頷く豊さん。

 

「両方ともあります。ですがそれよりも前から決めていた覚悟があります」

「ほう? 良ければ聞かせてもらえるか?」

 

 ふと視界の端にこちらに走ってくる激の姿が映る。

 俺を見つけて手を振ってくる姿に、手を挙げて応えながら俺は豊さんにこう返した。

 

「なにがあっても生きていく覚悟です。たとえどれだけの血に塗れても」

「っ!?」

 

 激の方に視線を向けていたから俺に豊さんの表情を知る事は出来ない。

 ただ彼女が驚いて息を呑んで驚いている事はわかった。

 

 

 

 豊さんと別れ、激と合流した俺は村近辺の偵察に出た。

 賊がいつ来るかわからない以上、入れ違いになる事だけは避けたい。

 よってそれほど村から離れた所に行くことは出来ないが、俺たちはそれなりに目が良い。

 村の近隣は基本的に平野になっているから何か異変があればすぐに察知する事が可能だ。

 

「激、お前は大丈夫なのか?」

「ああ? ……んなわけねぇだろ。ただ意地張ってやせ我慢してるだけだよ」

 

 周囲を油断なく見回しながらさらに村から離れる。

 現状、特に異常は見当たらない。

 

「塁や慎みたく近づいて直接殺したわけでもないのによ。震えが止まらねぇんだ。正直、何かやってないと動けなくなっちまいそうだぜ」

 

 その言葉に誇張は無いんだろう。

 実際にこうして足を止めて周囲を見回している間、激の体はずっと震えている。

 俺と話をしている間も、ずっとだ。

 

「それでも今はへこたれてる暇はねぇ。慎だって辛いのを我慢してるし、お前が俺らを助ける為に来てくれたってのにへこんでる暇なんてねぇよ」

 

 激は深呼吸と同時にぐっと拳を握り締め、力を込める。

 俺にはその姿が震えが止まるようにと自分に言い聞かせているように見えた。

 

「無理はするなよ?」

「それこそ無理だな。生まれ育った村の一大事だぜ? じっとしてなんかいられねぇよ。たぶん祭たちだってそう思ってるはずだ」

「……そうだな。すまん」

 

 そこからしばらくはお互いに沈黙し近隣を見回る。

 一時間は捜索しただろうが遠目に見える村に異変はなく、また周囲にもこれと言って目を引くものは見つからなかった。

 

「この辺りには賊はいないみたいだな。一旦、戻るぞ」

「なぁ駆狼」

「どうした? 何か見つけたのか」

 

 激は「いいや」と首を横に振る。

 そして俺の横に並んで歩きながら言った。

 

「祭たちは大丈夫だと思うか?」

「……俺はあの二人がどんな様子か知らないからな。たとえ気休めでも大丈夫だとは言ってやれない」

「そっか」

 

 俺の言葉に希望を見出したかったんだろう激は俯いて黙り込む。

 冷たい言い方になるが一分一秒を惜しまなけりゃならないこの状況で村の防衛以外の事に割く時間の余裕はない。

 

 だから俺は今まで祭嬢たちの様子を慎や激に聞かなかった。

 豊さんに詳しく聞かなかったのも知れば気になってしまうから意識して避けていた。

 

 だが経験測で言えば人殺しという業の衝撃は人によって度合いが違う。

 再起不能になっても仕方ないほどにショックを受ける人間も少なくないのだ。

 その事を身を持って知っている俺は根拠のない自信で大丈夫と言ってやれるほど無責任にはなれなかった。

 

「ただ……」

「ん?」

 

 暗い雰囲気の激が顔を上げた。

 

「あいつらなら乗り越えてくれると俺は信じている」

「駆狼……」

 

 目を見開いて驚く激に構わず俺は言葉を続ける。

 

「十年も一緒にいる俺たちがあいつらの意志を信じてやれないでどうする?」

 

 気休めにしかならないかもしれない。

 だがこれは俺の本音でもある。

 

 今でも瞼を閉じれば思い出せる『最初の殺し』。

 お国のためにと銃剣を振るい、相手の喉笛に突き立てたあの感触。

 相手の目に映る自分。

 何かを言おうとして、しかし喉が潰れて声も出せないまま崩れ落ちていった相手。

 最後に言い残そうとしたのは果たしてどんな言葉だったのか。

 

 次から次へと迫り来る敵を前に。

 俺は狂ったように銃の引き金を引き、狂ったように前へ進み、狂ったように吼え声を上げた。

 

 人の命がとても軽く感じられた頃の記憶を思い出しながら俺は続ける。

 

「乗り越えるのに必要なのは意志だけだ。ただ生きたいと強く思えばいい」

 

 あの凄惨な戦場で俺はただただ生きたいと願った。

 死神が笑いかけてきた事など数え切れない。

 だがそんな死を身近に感じた時に必ず『両親の顔』がよぎった。

 あの人たちにもう一度生きて会いたいと願った。

 その意志が在ったからこそ俺は最後まで戦い抜く事が出来たんだ。

 

「何を思って生きたいと思うかはたぶん人それぞれで違うんだろうがな。もちろんお前もだ、激」

「……」

 

 俺の言葉に黙って考え込む激。

 何度目かの沈黙の中、それでも俺は意識を周囲から逸らさずに警戒を続ける。

 

「あ~あ、ったくなんだってお前ってヤツはよぉ」

「なんだ、その含みのある言い方は」

 

 いきなり両腕を広げて降参のポーズを取る激。

 投げやりな物言いをしているが、先ほどまで空元気だったはずの声にはいつも通りの張りがあるように感じた。

 

「いっつも俺たちより先に行きやがる。追いかけるこっちの身にもなれってんだよ」

「なんだ、立ち止まって待っていてほしいのか?」

 

 言ってはなんだが、俺が激たちよりも精神的に先にいるのは当たり前の事だ。

 なにせ人生一回の蓄積分があるからな。

 むしろ簡単に追いつかれたら、立つ瀬がないくらいだ。

 

「余計な気ぃ使うなよ。追い越して吠え面かかしてやるつもりなんだからよ」

「そいつは頼もしい限りだ」

「言ってろ」

 

 激は拳を握り締めて俺の目の前に突き出す。

 意図を察した俺は同じように右拳を掲げて激の拳に軽く突き合わせた。

 

「山賊ども片づけたらまた手合わせな」

「ああ」

 

 俺たちは笑い合い、村への帰路に着いた。

 激の身体の震えはもう止まっていた。

 

 

 

 今日、俺は初めて人を殺した。

 いつも通りに四人で鍛錬していた時の事だ。

 隣村にいるあいつの話で盛り上がって、いつか絶対に追いついてやるって塁たちと気合いを入れ直す。

 

 そんな当たり前の生活を打ち砕くように、土煙と一緒にやつらがやってきた。

 ろくに手入れもされてないような剣やら槍やらを持った俺たちと比べりゃ全然年上のオッサンたち。

 

 祭がやつらを山賊だと言った瞬間、俺は全身に寒気を感じた。

 

 連中の目は飢えた獣みたいにぎらついていて。

 あんなのに村が襲われると考えたら怖くて怖くて仕方がなかった。

 たぶん俺たち全員が同じ気持ちだったんだと思う。

 

 だから誰かがなにか言う前に全員で武器を構えた。

 

 最初に攻撃したのは俺。

 練習した通りに狩りをする時と同じ要領で放った矢が、もう数歩で村に入るところまで来ていた賊の一人を貫いた。

 

 そこからは無我夢中でやっていたからあんまり覚えてない。

 ただふと気づいた時には、俺たちのすぐ傍に賊の死体があった。

 

 むせかえるような血の匂い。

 でもそれは狩りで獲物を殺した時とはまた違っていて。

 俺が人を殺したんだと思い知らされた。

 

「う、うげぇ~~!!??」

「あ、ああ……う、っぷ」

 

 俺よりも早く正気に戻っていたんだろう祭が腹の中の物をぶちまけた。

 便乗するように塁が地面に両手を付いて吐く。

 

 その様子を見たせいか、俺はひどく冷静に目の前の出来事を見ていた。

 二人がうずくまる様子がどこか他人事のように思えて、心が壊れちまったのかと不安になったが。

 けどそいつは気のせいだった。

 じわりじわりと身体が震えてくるのがわかったから。

 

 そこからは必死に動き回った。

 祭と塁を慎と手分けして抱えて家に放り込んで、朝から狩りに出ていた親父たちに山賊たちの事を話して村の人間に山賊たちの事を触れ回って。

 立ち止まったら動けなくなっちまいそうだったからとにかく思いつく限り、出来る限りの事をやった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 息切れするのも構わず走り続けた。

 止まったらなんか得体の知れないもんに追いつかれて動けなくなりそうな気がした。

 

「激!」

 

 粗方、賊の事を伝え終わった頃に慎のやつが駆け寄ってきた。

 色々と自分の事で一杯一杯だったから、俺はこいつが何をやっていたかも知らない。

 

「慎、どうしたんだよ?」

「刀にぃが来てくれたよ!」

 

 さっきまで死にそうな顔をしていたのが、ずいぶんマシになってたのはそういう理由みたいだ。

 こいつはほんとの兄貴みたいにあいつに懐いてるからな。

 

「そっか……」

 

 普段の俺なら憎まれ口の一つでも叩く所なんだが、今日は出来そうになかった。

 

「でね。刀にぃが手伝ってほしい事があるから村の南に来てくれって」

「あ、ああ。わかったわかった。もう山賊の事は伝え終わったからすぐ行くわ」

「うん!」

 

 目に見えて元気になってる慎を羨ましいと思いながら俺は教えてもらった通りに村の南目指して駆けだした。

 

 

 

「色々と疲れてるところ悪いが一緒に来てくれ」

「はっ? いやちょっと待て駆狼。どこ行く気だ!?」

「周囲の索敵だ」

 

 相変わらず俺の言う事を聞き流す駆狼。

 いつも通りなその様子にすげぇホッとして、でも同じくらい『俺の気も知らないで』って思った。

 

 こいつがいつも通りなのは俺たちと違って人を殺していないからだ。

 だからこいつは変わらない。

 

 こいつが人を殺したら、俺たちみたいに取り乱すのか?

 

 不意にそんな事が気になった。

 いつも冷静でどっしりと構えているこいつが慌てふためく様子が見たいだなんて最低な事を考えた。

 俺たちがボロボロなのに平然としているこいつが憎らしかったのかもしれない。

 

 

 けど俺の考えは、見当違いだった。

 こいつは俺たちが今、受けている痛みや苦しみをとっくの昔に味わって、とっくの昔に乗り越えていたんだ。

 

「乗り越えるのに必要なのは意志だけだ」って駆狼は言った。

 

 その言葉には……なんて言えばいいのか、思わず頷いちまうくらいの重みってやつを感じた。

 こいつも俺たちと同じモノを経験しているんだって自然と理解出来るくらいに、だ。

 

 ずっと一緒にいたはずの幼なじみが、思っていたよりもずっと先にいる事を思い知らされた。

 今のへこたれてる俺じゃどうやったって追いつけねぇって事がわかっちまった。

 

 だったら乗り越えてやるしかねぇじゃねぇか。

 悔しいって下向いてるだけじゃ到底、届かない所に親友がいるんだぜ?

 

 この極悪冷血漢が暢気に俺の事を待ってくれるわけがねぇ。

 むしろ立ち止まって後ろなんて振り返りやがったら俺の方が情けなくなっちまう。

 

 なら振り向く余裕なんてやらねぇくらいに俺が気張らなきゃだめだろ。

 人を殺したのが怖いなんて言ってる暇なんてありゃしねぇじゃねぇか。

 

 ああ、認める。

 俺は人殺しだ。

 これからもたぶん人を殺す。

 村にいる大好きなやつらを守りてぇって思って知らない連中を殺す。

 もしかしたら知ってるやつも殺すかもしれねぇ。

 

 でもなぁ、そんな血を踏みしめて歩かなきゃならない道を親友はもう歩き出してるんだ。

 

 助けてやりたいんだ。

 俺たちに弱音なんて一度も吐いた事がないこの馬鹿野郎と肩を並べて歩きたいんだ。

 

「余計な気ぃ使うなよ。追い越して吠え面かかしてやるつもりなんだからよ」

 

 俺は強くなる。

 今日、人を殺したこの日に俺は今までにないくらいに強くそう思った。

 

「そいつは頼もしい限りだ」

「言ってろ」

 

 笑いながら俺は拳を突き出す。

 駆狼もなにがしたいのかわかってくれたみたいで、笑いながら拳を突き合わせてくれた。

 

 

 

 僕にとって凌刀厘という一つ上の男の子は特別な人だ。

 僕たちが小さい頃にその年の頃から今ぐらい元気だった祭さんと塁さんと対等にいる男の人。

 言ってはなんだけど僕や激は毎日毎日、あの二人に引っ張られて過ごしてきた。

 いわゆる尻に敷かれていたというかなんというか、とにかくそんな感じだった。

 

 そんな僕らの中に突然入ってきて、あっと言う間に溶け込んだのが刀にぃだ。

 

 嫌な事を嫌だとはっきり言う刀にぃに影響されて祭さんと塁さんに言われるがままになっていた僕は、しっかり自分の意見を言えるようになった。

 

 あの頃は僕と同じかそれ以上に誰かに意見するのが苦手だった激なんてすっごく変わった。

 今は自分から進んで塁さんと喧嘩するくらいだ。

 

 僕の中で刀にぃの存在が、頼りになる人に変わるのに時間はかからなかった。

 表には出さないようにしているけれど、祭さんたちも心の中で刀にぃを頼りにしてる。

 

 だからいつの間にか『頼りにする』が『甘える』にすり替わっている事に気づけなかった。

 

 

 人を殺した事実から僕は目を逸らしていた。

 

 だってあの時は無我夢中で、自分がなにをしていたかもよく覚えていなくて。

 祭さんたちも倒れちゃって意識してる暇なんてなくて。

 

 そんな言い訳を自分に言い聞かせて。

 

「他人の心配もいいだろうが、それを言い訳に自分の事を後回しにするな。どんな経緯であれお前がやった事だ。向き合えるのはお前だけなんだぞ」

 

 そんな弱い僕の心を見透かして、言い訳なんて意味がないんだって事を叩きつけられた。

 

「いつまでも俺の後ろに隠れるな」

 

 そう言って僕を突き放した刀にぃは今まで見たことがない冷たい瞳をしていた。

 その目は『甘えるな』と告げていた。

 

 ずっと頼ってきた刀にぃにあんな風に言われてしまうほどに僕は遠ざかっていくあの背中に甘えていたんだと嫌でも理解出来た。

 

 自分が情けなかった。

 自分の意志で人を殺した僕に、その事で言い訳する事なんて許されていないのに。

 

「ごめん。刀にぃ」

 

 いつも僕たちを見守っていてくれて。

 

「ありがとう」

 

 今、ここで僕の甘えを叱ってくれて。

 僕はもう大丈夫。

 人を殺したらまた震えるかもしれない。

 弱音を吐くかもしれない。

 でももう逃げたりはしないから。

 

「……行こう」

 

 猫の手も借りたい状態なんだ。

 僕も出来る限りの事をしないといけない。

 でないとまた刀にぃに負担がかかってしまう。

 今まで甘えてきたんだから今度は僕が頑張らないといけない。

 そしていつかきっと。

 

「刀にぃに頼られる男になるんだ」

 

 『なりたい』じゃなくて『なる』。

 これが僕の初めての決断。

 


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