乱世を駆ける男   作:黄粋

55 / 122
第四十九話

 俺の実力を示すべく寿成殿にお膳立てされた模擬戦をして以来、俺と思春は時間が出来れば訓練場の隅を借りて鍛錬するようになっていた。

 参加こそしないが陽菜と玖龍も鍛錬の時はいつも一緒にいる。

 

 俺たちが鍛錬している事に気付いて兵士たちが寄ってくる事もある。

 彼らはどうやら俺の闘い方を研究しようとしているようだ。

 それほど難しい事をした覚えもないんだが。

 地域柄、長物を使う人間が多いようなので拳や蹴りで闘う俺が珍しいんだろう。

 こちらとしても甘寧から貰い受けた棍の使い方を研究する一環として、長物の使い方を彼らの鍛錬から学ばせてもらっている事だし、お相子か。

 

 孟起や令明はあの一件を切っ掛けに声をかけてくる事が多くなり、馬岱などは人目を憚らず俺に鍛錬をねだるようにすらなっている。

 それなりに友好的な関係を築けているのだろう。

 

 しかし孟起たちはともかく、馬岱の態度に思春はなにやら思うところがあるようだ。

 普段からそこまで感情を顔に表さないあの子の表情が馬岱が来ると輪をかけて硬直している。

 どうやら不満を表に出さないように意識して仏頂面を維持しているようだ。

 

 なにやら一波乱起こりそうな二人の様子を俺は心配しているんだが、陽菜はそうでもない様子で。

 

「思春ちゃんは少し生真面目過ぎるから、色んな子と付き合って人生経験を積ませてあげましょ?」

 

 にっこりと笑う様子は何も心配ないと言外に告げていた。

 とはいえやはり難しい年頃の娘二人。

 何か起きるようならば、俺が止めて見せよう。

 

「心配性ねぇ」

 

 俺の密かな決意を見切った陽菜の苦笑いは、前世で息子との喧嘩を仲裁していた時の物と同質の物だった。

 

 

 

 畑は経過待ちの状態で俺にはやる事がなく、使者としての立場がある陽菜に西平の書類仕事などを手伝わせるわけにはいかない。

 思春は主な任務は陽菜の護衛で、常に陽菜の傍にいるが他領土の重要人物に無体を働くような馬鹿は少なくとも城内にはいなかったようだ。

 偶に文約殿や寿成殿から声をかけられるくらいで至って平和な日々が続いている。

 そこで今日は一日、家族と共に過ごす事にした。

 もちろん事前に許可は取っている。

 

 そして思春に午前中に何をしたいか聞いたところ、遠慮がちにではあるが自分の修練に付き合って欲しいと言われたので。

 今、こうして相手をしている。

 

「やぁっ!」

 

 甘寧が持っていた物と同種類の反り返った刀が振るわれる。

 

「ふっ!」

 

 日々の鍛錬で着実に威力を上げていく少女の一撃を手甲で受け流し、返しの蹴りを放つ。

 思春は俺の一撃を刀の柄で受け止めるも体重の差で後方に吹き飛んだ。

 しかし彼女は吹き飛びながらも体勢を立て直して着地し、俺の追撃を迎え撃てるよう逆手で武器を構えて鋭い眼差しで威嚇する。

 良い牽制だ。

 とはいえ汗だくで息も絶え絶えの状態では、触れれば切れるようなピリピリとした威嚇もあまり意味はない。

 

「今日はここまでだな。思春、しっかり身体をほぐしてから休め」

「はい。ありがとう、ございました」

 

 俺が構えを解くと、最後の力を振り絞って礼を言い、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。

 荒げた呼吸を必死に整える彼女に見学していた陽菜が、予め用意してもらっていた水差しから杯に移した水を差し出す。

 

「はい、思春ちゃん。ゆっくり飲んでね」

「はっ、はっ、はっ……ありがとう、ございます。陽菜様」

 

 か細い声で礼の言葉を紡ぎ、差し出された杯を一気に飲み干す。

 朝餉を終えてから始めた鍛錬は既に昼に差し掛かっている。

 それまで休憩なしでずっと動き続けてきたのだから思春がこれほど疲れるのも当然の事だろう。

 

「と言うか陽菜。玖龍と一緒に部屋で待っていても良かったんだぞ。朝から昼までぶっ続けの模擬戦など見ていても退屈だろう?」

「あら、そんな事はないわよ。だって貴方はいつも動きが違うから見ていて飽きないもの」

 

 俺と話をしながらも彼女は思春の世話を焼くのをやめない。

 甲斐甲斐しく世話を焼かれ、彼女の腕に抱かれている玖龍の小さな手でまるで労われるように撫でられる思春は、未だに世話を焼かれる事に慣れていないようで、「あうあう」と可愛らしい鳴き声を上げながらされるがままになっている。

 おそらく今、思春の頭の中では仕えるべき人物に世話を焼かせている事への恐れ多さと、主の行動を妨げるという行為が主への不忠になるのではないかという考えとで揺れているのだろう。

 生真面目な思春だから仕方ない。

 陽菜としてはただ孫のような娘のような子を可愛がっているだけなんだがな。

 

「陽菜。思春がまた困っているぞ。その辺にしておけ」

「あらあら。疲れている時は大人を頼っていいのよ?」

「え、ええと……私は貴方様方をお守りするのが役割でして。そんな私がご面倒をおかけするなど……」

 

 必死に正論を紡ぐ思春に、しかし陽菜は聞く耳を持たない。

 

「もう。子供が遠慮なんてしちゃ駄目だって言っているでしょう?」

「あ、いえですから、その……」

 

 立場的にはどう考えても思春の方が正しいんだが。

 元来の世話焼き気質と色濃く残る前世の性質が相まって今の陽菜に正論では意味を為さなくなっている。

 不憫といえば不憫だが。

 実の両親、長年共に過ごした年長の仲間が死去した思春には、気兼ねなく甘える事が出来る人間がいない。

 そう考えると陽菜の世話焼きは、年長者の温かみをこの子に忘れさせないようにするという意味では有効なのかもしれなかった。

 

「うふふ。ほら、頭を出して。汗塗れにしたままじゃせっかくの綺麗な紫髪が台無しになってしまうわよ」

「ふあっ!? そ、そんな恐れ多い! わ、私より駆狼様のお世話をされた方が!」

 

 玖龍を片手に抱いたまま実に器用な手つきで思春の頭を手ぬぐいで拭いていく。

 俺も別に用意しておいた手ぬぐいで上半身の汗を拭き取っていった。

 

「俺はいい。陽菜、せっかくだからしっかり身なりを整えてやれ」

「ええ、勿論。さ、私の旦那様であり、貴方の上司からの許可も出た事だし観念なさいね? あ、駆狼。この子お願いね」

「ああ」

 

 本格的に髪を手入れする為に陽菜は玖龍を俺に渡す。

 片手で受け取ると玖龍はきゃっきゃと笑い出した。

 元気すぎる我が子の頭を撫でてやる。

 玖龍は小さな手で自分の頭に乗せられた俺の手に触る。

 

「お前はいつも元気だな、玖龍」

 

 西平に来るまでにも繰り返されてきたやり取りを尻目に俺は自分の汗を拭き取りながら我が子をあやし続けた。

 

 

 

 午後は陽菜の提案で街に繰り出した。

 本来なら陽菜を中心に護衛である俺と思春が両脇を固めるのが正しいはずだが。

 しかし現在、俺を中心に右側を陽菜が左側を思春が固めていた。

 しかも陽菜は俺の右腕に自身の腕を絡めているし、何を吹き込まれたのか思春は顔を真っ赤にしながら俺の左手を握っている。

 とてもではないが護衛とかそういう仕事が出来る陣形ではない。

 

「私たち、城に出入りしているのは知れ渡っているのだし、どう足掻いても目立つもの。なら開き直ってもいいじゃない? ほら、思春ちゃんも恥ずかしがっているけど、貴方と手が繋げて嬉しそうよ」

「い、いえ……私は、その……」

 

 話を振られた思春は今までよりもさらに顔を真っ赤にして俯く。

 しかし握っている手は決して離すまいと力を強くしていた。

 こうしていたいのだと、言葉よりも雄弁に語っていたので俺の方からもしっかり握り返してやる。

 

「あ……」

 

 ほっと安心するように息をついた思春の様子に満足し、二人を引き連れて歩く。

 注目の的も良い所だが、この街で顔が知られている馬岱や令明と共に城に行った姿はこの辺の住人にも当然見られている。

 一角の人物だと認識されているのは間違いない以上、注目される事はもはや諦めざるをえない。

 

「さてどこに行くか。以前、見た時は露天が賑わっていたはずだが」

「そうね。この辺り特有の面白いものが見つかるかもしれないし、適当に冷やかしに行きましょうか」

「思春はどこか行きたいところはあるか?」

「え? ええっと私は……」

 

 しどろもどろになりながら必死に考えを巡らせる子の意見も取り入れながら俺たちは休日を満喫した。

 

 

 

 そして翌日。

 俺たちは寿成殿に呼ばれ、謁見の間に来ていた。

 

「よう、来たか」

 

 迎え入れる寿成殿の言葉は今までと変わらず気安い。

 しかし発散される雰囲気は鋭利な刃物を思わせ、既に集まっていた彼女の臣下たちもピリピリとした雰囲気だ。

 陽菜も思春も彼女らの雰囲気が平時と異なる事を察しているようで、背筋を伸ばしている。

 

「また異民族が俺らの領地に手を出してきやがった」

 

 文約殿の言葉を受け、なるほどと俺は納得した。

 涼州は異民族との戦いの最前線。

 俺たちがいる間に、連中が仕掛けてくる可能性は高かった。

 その時がとうとう来たのだ。

 

「当然、撃退に動く。既に孟起たちが討伐軍の準備を進めている」

 

 どうやら今朝、妙に城内が騒がしかったのは軍の準備をしていた事が原因らしい。

 しかしただ賊を討伐するという話であれば、俺たちには適当に事情を話す人間を派遣すれば済む話だ。

 わざわざ軍議も兼ねているだろうこの場に呼び出したと言う事は。

 

「刀厘。お前には私たちと一緒に討伐軍に参加して欲しい」

 

 半ば予想通りの寿成殿の言葉に、俺はその場で顎に手を当てる。

 

「何故俺を、とお聞きしてもよろしいですか?」

「お前たちは異民族、『五胡(ごこ)』を実際に見た事がないだろう? 話に聞くより一目見た方があの連中がどういうヤツかわかる。どういう連中がこの大陸を狙っているのかって事を自分の目で見て欲しいんだよ」

「……異民族がどういう連中か、ですか?」

 

 非漢民族の者たちを一まとめに括った五胡と呼ばれている者たち。

 位置づけとしては外の大陸からの侵略者という事になるが、それがどこまで本当なのか俺は知らなかった。

 

「で、出来れば連中の戦い方を見て危機感を持って揚州に帰り、連中の事を正しく広めて欲しいんだよ。正直、中央はあいつらを舐め過ぎている。下手な内輪揉めはやつらに利するだけだって事を理解していない。決して、舐めてかかれる相手ではないというのに楽観視している」

 

 事を重要視しているらしい寿成殿のため息は重苦しい。

 しかし長い間、異民族を撃退してきた彼女が、これほど危険視する存在。

 それは確かにこの目で見ておかなければならないだろう。

 

「……幼台様。私は寿成殿の要請に従おうと考えております」

「刀厘……」

 

 公式の場であるが故に真名を呼ばず、陽菜に己の意見を言う。

 陽菜はそんな俺の目をしっかりと見据え、考え込むように目を閉じた。

 

「お願いします。涼州の勇をしてあそこまで言われる者たちの姿、今知らずにいる事はいずれ巡り巡って建業へ不利益をもたらす事になるやもしれません」

「……わかりました。凌刀厘の護衛の任を一時的に解き、寿成殿の討伐軍への参加を孫幼台の名において命じます。侵略者たちの姿をその目に焼きつけて戻ってください」

「御意に」

 

 片膝を付き、陽菜に向かって頭を下げる。

 寿成殿へと向き直り、再度その場で膝を付いた。

 

「討伐軍へ参加要請、受けさせていただきます」

「そうか。急な要請になってすまんがよろしく頼む。刀厘の代わりにこちらから幼台の護衛を手配させてもらう。お前はさっそくで悪いが準備に入ってくれ。文約、後は頼むぞ」

「御意。それじゃ刀厘、一緒に来てくれ」

「はっ!」

 

 謁見の間を出て行く文約殿の後に続く。

 危機感を持たせたいと言った寿成殿の言葉を元にこれから見(まみ)える事になる侵略者の姿を頭に思い描きながら。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。