乱世を駆ける男   作:黄粋

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第五十話

 異民族の討伐軍。

 大将を韓文約、副将として馬孟起が指名された。

 さらに孟起の下に馬休、馬鉄という馬家の人間が付き、俺は基本的に文約殿と行動を共にする事になっている。

 陣形としては孟起、馬休、馬鉄の部隊が先陣、文約殿が率いる本隊とも言うべき部隊が後ろを固めるという布陣だ。

 

 今回、基本的に大将である文約殿が戦いに参加する事はない。

 普通の、そう『普通』の大将は部隊の後方でどっかりと構えて的確な指示を飛ばすよう努めるのが常識なのだから。

 うちの蘭雪様や、寿成などが例外なだけである。

 

 よほど苦戦しなければ孟起たちの部隊だけで片を付ける方針なのだそうだ。

 文約殿が纏め上げる本隊が最初から突撃すれば、今回のような小競り合い程度の戦力の敵ならば文字通りの意味で踏み潰す事が可能。

 しかしそれでは馬超たち、若い人材が成長する事ができない。

 

 彼ら西平の人間にとって異民族との戦いは暮らしを守る為の最優先事項である。

 しかし同時に新しい兵(つわもの)を生み出す為の命を賭けた実戦訓練の場でもあるという。

 故に孟起が率いる八十人からなる新兵隊を前に置き、先陣として一番槍を任せているのだ。

 

 それなりに練兵されているとはいえ、実際に戦場に出た事があるのは中核を担う孟起、馬休、馬鉄くらいの物で彼女らも隊を率いての実戦は初めて。

 

 正直、今回の戦いで彼女らが置かれている状況は良い物とは言えない。

 獅子は我が子を千尋の谷に落とすという言葉の通りに、命の危険のある戦場の最前線へと新兵を叩き込んでいるのだ。

 正直なところ俺にはその方針に諸手を挙げて賛成する事は出来ない。

 

 しかし涼州ではそのような強引な真似をしてでも常に戦力を整えておかなければならないのだという。

 異民族が本気で攻めてくる可能性を念頭に置けばこれくらいの事をしなければならないのだと。

 涼州他、一度でも五胡と戦った事がある者であれば知っているのだそうだ。

 

 そんな話を文約殿は道中で俺に語ってくれた。

 それが意味するところを俺はこれから知る事になる。

 

 

 

 正面から迫る揃いの仮面で目元を隠した集団。

 馬にこそ乗っていないが、その一糸乱れぬ隊列と攻めの勢い、そして圧倒的な人数でもって攻め立てられるというのはただそれだけで脅威だろう。

 ざっと見てあちらは二、三百人はいると思われる。

 対してこちらは馬超隊の人数は八十人。

 数の差は明らかだが、こちらは全員が騎兵で構成されている。

 

「馬超隊、突撃するぞ! あたしに続けぇえええーーーーー!!!」

「「「「「「おおっーーーーーーーーーーーーー!!!!」」」」」」

 

 馬乗りとしての自負と確固たる自信を胸に、彼女らは臆する事無く突っ込んでいった。

 

 全員が馬を自分の手足のように操り、武器を片手に突撃していく。

 馬に乗った兵士を相手取るというのは数の多い歩兵を相手にするよりも難しい。

 特に勢いに乗った馬を迎撃するのは。

 

 槍衾(やりぶすま)を突撃してくる相手に向けるか、弓矢などの遠距離攻撃で馬の足を止めるか。

 とにかく突撃の勢いを殺さなければどうにもならないのだ。

 それくらいは五胡もわかっていて、何かしらの対策をしているものかと思っていたんだが。

 

 俺の予想に反してやつらは相手が騎兵である事など関係ないとばかりに突撃してくる孟起たちに向かっていった。

 そして一糸乱れぬ隊列は彼女たちの突撃の前に為す術なく切り裂かれ、縦に分断されていく。

 勢いに乗った騎兵隊と歩兵隊のぶつかり合いの結果としては当然の物だろう。

 

「なんだ?」

 

 しかしあまりにもあっけない。

 俺の疑問の声を聞いていたのだろう横に並んで馬に乗っている文約殿が難しい顔のまま答えた。

 

「五胡の連中の本領はこっからだ。よく見とけよ、刀厘」

 

 隊同士の力の差は今の攻防で明らか。

 だと言うのに文約殿には油断など微塵も見られない。

 いつでも突撃できるよう馬の手綱を握り締めてすらいた。

 

「……」

 

 彼に倣って俺もいつでも馬を動かせるようにしておく。

 

 繰り返される馬超隊の突撃と蹴散らされる五胡の歩兵隊。

 そんな攻防が二度ほど行われたところで俺は気付いた。

 

 突撃で何度となく両断されていった五胡の兵士たち。

 彼らが何度となく立ち上がり、怪我などまるで意に介さずに馬超隊に攻撃を仕掛けていると言う事に。

 

 切り捨てられた上に馬に踏みつけられるなど、明らかに致命傷と思われる攻撃を受けた者たちはまるで人形のように力なく地面に倒れたままだが。

 身体を動かす事が出来る程度の怪我の者は例外なく立ち上がっていた。

 しかもその動きは怪我を負っているとは思えないほどに機敏だ。

 まるで痛みを感じていないかのようだ。

 

「これは……」

 

 突撃した馬超隊は馬の機動力を最大限に活かし、五胡の部隊から距離を取る。

 彼女らを追う五胡の連中は、馬に追いつけないという当たり前の事を理解した上で走って追いかけ出した。

 何人かは己の武器を投げつけ、馬の足を止めようとしているようだ。

 

 馬超隊の何人がは馬かあるいは自身が投げつけられた武器を受けてしまい、馬から放り出されて地面を転がる。

 

 手の届く所に現れた獲物に対して五胡の兵士たちの行動は苛烈にして残酷だった。

 何人、いや何十人で囲い込んでの袋叩き。

 武器を持っている者は武器を、そうでない者は素手で。

 明らかに既に息絶えているだろう馬超隊の兵士に対してこれでは足りないと言わんばかりに攻撃が加えられた。

 

 そんな狂気じみた行動を行っている五胡の兵士たちの表情は、仮面のせいで窺えない。

 人間として持っているはずの感情が削ぎ落とされたような、人間というよりも機械だと言われた方が納得できる。

 それが五胡の兵士たちへの俺の印象だった。

 

 孟起は部下たちが惨たらしいほどの攻撃を受けて殺された事に歯を食いしばり、激しい怒りを瞳に灯して部隊に指示を出す。

 

「突撃だァ!! 続けぇ!! あいつらの仇を取るんだぁあああーーーー!!!」

 

 仲間を殺された事で臆するかと心配したが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 

 何度目かの突撃が敢行される。

 またしても両断され数を減らす五胡の兵士たち。

 しかし明らかな負け戦であるにも関わらず、五胡側の動きには淀みはなく怖気づく気配も逃げようとする挙動も見当たらない。

 

 そのとても機械的な様子を見ていると、言い表せないほど強烈な不快感がこみ上げてくる。

 俺は思わず拳を握り締め、目の前の光景を睨み付けた。

 

「……あれが五胡の兵士の実態だ。ヤツラは自分たちがどうなっていても止めを刺さない限り攻撃してくる。足が動かなけりゃ腕だけで足を掴んでくる。腕が動かなけりゃ体当たりしてくる。両手両足が使えなけりゃ噛み付いてくる事すらもある。そしてな。敵も民も関係ねぇ、目についたこっち側の連中を根こそぎ殺そうとしてくる」

 

 文約殿の言葉を頭に刻み込みながら、俺は目の前の戦いから目を逸らさない。

 

「ヤツラと対峙する際は一人一人を確実に殺す気でいかなければならない。でないと死体だと思っていた相手に妨害されてしまう。最悪の場合、こちらが致命傷を負う事もありえるという事ですね」

「その通りだ。実際、俺も寿成も今の孟起みたいに何人も部下を、仲間をやられた。俺なんぞは結構な重傷を負わされた事もある」

 

 その光景を想像して俺は眉間に皺を寄せた。

 相手を殺す事のみを考える捨て身の兵士。

 

 かつて『お国の為に』と特攻した仲間たちが俺の脳裏を過ぎり、すぐに彼らとヤツらは別物だと否定した。

 五胡の人間たちの戦い方には敵への殺気は合っても、愛国心や自身の身を切ってでも守りたい物への想いが無いのだ。

 

「さっき見た通り、敵を攻撃する様は屈強な戦士すら恐怖するほどに念入りだ。一度囲まれれば部隊を任されるくらいの腕利きじゃなけりゃ生き延びるのも難しい」

「……」

「だからこそ、新兵であるうちにヤツラと戦わせ、その狂気を体験させておかなけりゃならない。たとえ何人やられてもな。俺たちが一番に相手しなけりゃならん相手に気圧されてちゃ話にならねぇからよ」

 

 理屈はわかる。

 五胡との争いに言葉はない。

 勝てば生き延び、負ければ死ぬという動物同士の生存競争に近い戦いなのだ。

 

「……強さとは違う脅威。確かにこれは目にしなければ理解できませんね」

「おう。中央は撃退出来ている事を理由にヤツラを侮る。だがそれを理由にしちゃいけないんだよ。ヤツラを倒せなけりゃ俺たちは生きちゃいないんだからよ」

「道理ですね」

 

 俺たちが会話している間も、五胡は蹴散らされていく。

 しかし確実に馬超隊にも犠牲が出ていた。

 五胡と比較するとその被害は十分の一にも満たない。

 だが人の死は単純な数の問題ではない。

 人間に替えなどいないのだ。

 

「伝令! 文約様に伝令!」

「おう、こっちだ!」

 

 周囲を警戒させていた斥候が戻ってくる。

 その声音には緊張と焦りが見られた。

 

「ご報告! ここより北方から五胡の歩兵部隊が接近! その数、およそ三百!!」

「……ち、第二陣か。今回はそこそこやる気みたいだな、あちらさんはよ」

 

 文約殿は舌打ち一つして気持ちを切り替える。

 

「全隊! この場は馬超隊に任せ、第二陣の迎撃に向かう!! 伝令、お前は孟起にこの事を伝えてあっちの隊に合流だ!」

「「「「「はっ!!!!」」」」」

 

 馬を走らせようとする文約殿の視線が俺を捉える。

 

「お前はどうする? 怖気づいたってんならここにいても構わねぇが……」

 

 五胡のやり方をまざまざと見せられた事への緊張を解す為か、茶化すように聞いてくる文約殿。

 俺はふっと口元を緩めて応えた。

 

「もちろんご同行します。あんな物をただ見ているだけすごすご帰るというのも気分が悪いので」

 

 やらなければいけない事があれば、その為には時に目の前で命が消えるのを見届けなければならない。

 しかしだからと言って何も感じないなどと言う事はない。

 

「……っ」

 

 文約殿が俺の怒りの形相に息を呑むのがわかった。

 五胡がどういう存在かを理解する為に怒りに蓋をし、ひたすら冷静であるように努めてきたが。

 その時間はもう終わった。

 

「先に行きます」

「うぉっ!? おいおいおい! 俺らを置いていくんじゃねぇよ!!」

 

 馬を走らせる俺。

 一拍遅れて文約殿たちが馬を走らせるのがわかった。

 

 前方に砂塵が見える。

 目を凝らせば例外なく特徴的な仮面を被った軍団の姿があった。

 

「八つ当たりも入っていて悪いが……一人残さず倒させてもらう」

 

 馬の背から力一杯跳ぶ。

 一瞬、やつらは突っ込む馬と中空に跳んだ俺のどちらに注目すべきか迷い、視線を右往左往した。

 機械的だと思ったが、それでも誰を標的にするか迷う程度には人間味が残っているようだ。

 その意識の空白に付け込み、腰にぶら下げていた棍を2つ、先頭の兵士に投げつけた。

 

「ぎっ!?」

「がっ!?」

 

 短い呻き声を上げて吹き飛ぶ様子を見届け、俺は手元に残ったもう2本の棍を繋げて槍並みの長さにする。

 

「フンっ!」

 

 敵陣の真っ只中に突っ込んだ俺を囲い込もうとする五胡の兵士たちに向けて振り回す。

 俺が乗り捨てた騎馬は走り抜けてどこかへ行ったようだ。

 

「俺に集中していていいのか?」

 

 俺の忠告がヤツらに届くよりも早く、文約殿たちが突っ込んできた。

 

「オラオラオラ! 韓遂様のお通りだぁっ!!」

 

 手綱を強く握りながら振るわれる片手剣が敵陣を切り裂き、続く韓遂隊の面々が切り開かれた道を押し広げていく。

 

「無茶してんじゃない、刀厘!!」

「別に無茶じゃありませんが……」

「ったく。野郎ども! ヤツラを生かして帰すなぁ!! 一人残らず仕留め、俺たちの土地に土足で入ってきた事を後悔させてやれぇっ!!!!」

 

 剣を掲げて激を飛ばす文約殿に俺を含めた韓遂隊が雄叫びを上げる。

 俺たちの咆哮に何も感じる事なく五胡の兵士たちは武器を構え、思い思いに飛びかかる。

 

「はぁっ!!」

 

 槍と同等の長さになった棍を突き出し、飛びかかってきた兵士の腹部を打ち抜く。

 引き戻す勢いそのままに背後から襲ってきた兵士の顔面に棍を叩き込む。

 文約殿たちは馬を巧みに操り、己への攻撃を避け五胡の包囲を食い破っていく。

 

 しかし彼らの機動力に馬から降りてしまった俺が追随するのは難しい。

 

 一瞬、文約殿と俺の視線が交わる。

 視線で包囲の外を示し、俺の事は気にしないようにと伝える。

 僅かに眉間に皺を寄せるが、彼は俺の意図を汲んでくれたようで包囲の外へと馬を走らせ続けた。

 

 そして彼らがもう一度突撃する為に馬をUターンさせるまでの間、敵の囲いの中に俺一人が取り残される時間が出来る。

 

「……来い」

 

 俺の言葉など聞いていないだろう五胡の兵士たち。

 しかしそれでも大多数の兵士は、俺の言葉を合図に唯一手の届く所に残った哀れな敵に向かって無言のまま武器を振りかぶった。

 

「うぉおおおおおおっ!!!」

 

 繋げていた棍を切り離し、片手に片方ずつ持って前へ駆け出す。

 正面にいた兵の剣が振り下ろされるよりも早く脇腹に一撃食らわせ、勢いそのままに吹っ飛んだ。

 真横に吹き飛んだ兵士は他の兵士も巻き込み、囲いの隙間に全力で飛び込む。

 、

 受けに回ればハリネズミのように串刺しになって俺は終わりだ。

 常に動き、自由に動けるスペースを作り続ける。

 それだけがこの異様な集団を相手に、文約殿の再突撃が行われるまで俺が生き延びる道だ。

 

「ぜぇっ!!」

 

 投げつけてから地面に転がっていた棍。

 足元に落ちていたそれを蹴り上げ、剣を投げつけようとしていた兵士の腕にぶつける。

 衝撃で武器を取り落とした相手に飛びかかり、膝蹴りを顔面に叩きつけて倒す。

 手頃な所にいた次の標的二人の脳天に両手の棍を叩きつけ、右の兵士に回し蹴りを放つ。

 

 三本目の棍をさらに接続。

 大型の戟と同じくらいの長さになった棍を肩に担ぎ、その場を旋回。

 射程の延びた棍の間合いにいた者たちをまとめて薙ぎ払った。

 

「踏み潰せぇ、野郎どもぉおおお!!!」

「「「「「おおおおおおっーーーーーーーー!!!!!」」」」」

 

 畳み掛けるように戻ってきた文約殿たちの突撃。

 俺を囲い込むために崩れていた隊列を打ち砕いていく。

 

「だぁっ!!」

 

 伸ばしていた棍。

 その手元に近い箇所の接合部分を外す。

 二本の棍が繋がっている方を右手に、一本だけの方を左手に持つ。

 

 右手の棍で正面の敵を突く。

 片手で引き戻しては別の敵を突き、引き戻す際の隙を狙った攻撃は左手の棍を直剣のように使用して受け止める。

 

「ふんっ!!」

 

 隊の横っ面を韓遂隊に打ち抜かれ、五胡は隊列を乱れに乱れていた。

 

「部隊の半数は五胡を囲い込め! 残り半数はこの場で敵を蹴散らすぞっ!!」

 

 韓遂は指示を出しながら馬の腹を蹴る。

 鼻息荒く鳴き声を上げながら、文約殿の馬は後ろ足で自身に切りかかろうとしていた兵士を蹴り上げた。

 馬上で扱う事を意識して作られたと思われる長く太い彼の剣による頭上からの打ち下ろし。

 それを受けた五胡の兵士の鎧は砕け、その身体を斜めに両断された。

 さらに彼の動きと騎馬の動きは、言葉も交わしていないというのに互いの死角を自然に補いあい、敵の攻撃を寄せ付けない。

 

「これが話に聞く人馬一体というヤツか」

 

 四本目の棍を回収し、一本だけだった左手の棍に繋げる。

 俺は槍並みの長さの棍を両手で構え、周囲を薙ぎ払った。

 

「……痛みは表情に出ないようだが、人間らしさが全て欠如しているわけでもないようだな」

 

 動きが目まぐるしく変わる俺の攻撃に、表情こそ変わらないものの五胡の兵士たちは戸惑っていた。

 しかし遠目での印象と変わらず、受けた攻撃に対して痛みを感じているかどうかを窺い知る事は出来ない。

 

 攻撃を受けて悲鳴を上げる事はなく、表情もまったく変わらないのだ。

 

 ここまで徹底していると麻酔のような薬で痛覚を無くしている疑いも出てくる。

 というよりもそれしか考えられないレベルでこいつらの精神と肉体は痛みに対して鈍感だ。

 これが一人二人ならば痛覚を感じないという症状を持つ『無痛症』とも考えられるが、韓遂から聞いた話によれば『痛みを感じていないような行動』と言うのは今まで敵対してきた五胡の兵士に共通した特徴だ。

 これだけの人数が全て無痛症というのは流石に考えられないだろう。

 

「何人か偵察に出せ! 第三陣か来ないとも限らん!! 残りは火を起こす準備だ! こいつらが消し炭になるまで絶対に油断するな!! 死にぞこないにやられるような間抜けはうちにはいらねぇぞ!!」

 

 最後の兵士を切り捨てた文約殿が手早く指示を出す。

 未だに警戒を解かずにいるのは、五胡の敵を殺す事のみに特化した執念を警戒しての事だ。

 

「文約殿。火を起こすというのは、こいつらの死骸を焼いてしまう為ですか?」

「ん、おう。お前なら説明しなくともわかると思うが、万が一生き残りがいる事も考えるとな。流石に一人一人確認するのは時間の無駄だ。仮に生きていたとしても炎で骨にしちまえばもう動かねぇだろう?」

「念には念を、という事ですね。勉強になります」

 

 俺の言葉が琴線に触れたらしく、文約殿は苦々しい顔をすると搾り出すような声で言う。

 

「……以前、こいつらを埋めてやろうとしたヤツが、虫の息だったヤツに手を噛み切られてからの教訓ってヤツだ。虫の息だった五胡の兵士は俺たちが止めを刺すまでもなく死んだ。そんで手を噛み千切られた仲間はその時の怪我が元で腕から腐って死んじまった」

 

 瞳に悔恨の念を宿し、当時の記憶を思い返しながら韓遂は俺と目を合わせた。

 

「あいつが甘かったって言えばそれまでの話かもしれねぇけどな。だが同じように無残な死に方するやつを減らす努力はしねぇとな。その為なら俺は五胡やら周りから『死体を燃やす悪鬼』だなんだと言われたって構わねぇ」

 

 それは俺を通して自身に語りかけているような調子だった。

 おそらく彼は俺に肯定的な回答を求めてはいない。

 他者に語る事で、自分の意思を固めたのだ。

 

「俺も。語る舌を持たない敵対者よりは身内を守ります。文約殿、俺は貴方を支持いたします」

「……はは、そうか。ありがとよ、刀厘。実際、俺のやり方は孟起たち若い連中には受け入れられちゃいねぇしな。理由を教えてやっても死に体のヤツに鞭打つのには納得出来ないって言われちまった。だから賛成してくれるのはけっこう嬉しいぜ」

 

 会話はそこで途切れる。

 この後、五胡兵の死骸を焼く際に生きていた者がいたようで襲われる者が出たが警戒していた事が功を奏したようで怪我人がこれ以上増える事はなかった。

 

 俺は五胡の火葬が行われている間、ずっと怪我の治療を受けていた。

 絶えず足を止めずに動き回っていたとはいえ、多勢に無勢の状況で全ての攻撃を避ける事は出来なかったのだ。

 かろうじて軽傷の域に留まっているが、割と体中に傷が出来ている。

 治療してくれた女性も、最初は傷の多さに慌てていたが、そこは慣れたものでしっかり止血し、包帯を巻いてくれた。

 

 合流した孟起たちにもひどく心配をかけた。

 しっかり傷はほとんど浅く後も残らない事を伝えて安心させておく。

 あまり心配をかけさせないでくださいと孟起に涙目で怒られてしまったが。

 

 

 

「ふぃ~~、とっとと帰って酒でも飲みたいぜ。なぁ?」

 

 焼き後の確認を済ませ、西平へ戻る道すがら。

 隣で馬を引いていた文約殿がぼやきながら声をかけてきた。

 

「そうですね。流石に疲れました。早く帰って幼台や息子、甘卓の顔が見たいです」

「八面六臂の大活躍しといて疲れただけかよ。しかもそんな痛々しい状態で惚気る余裕まであるたぁな。ったく大したもんだぜ、お前は」

 

 甘すぎる物を食べて胸焼けした時のような顔をされたが、家族に会いたいという言葉は掛け値なしの本音なので俺は気にしない。

 全身包帯や血止めの布だらけだが、既に血は止まっているから西平に戻るまでには外せるはずだから何も問題はないだろう。

 

「いえいえ、隊を率いる事に長け、個人の武にも優れている文約殿には及びません」

「やれやれ、良く言いやがる。まぁ褒められて悪い気はしねぇがな」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながら、文約殿は馬に乗ったまま後ろを振り返る。

 自分に続く者たちを数瞬見つめると、すぐに前へ向き直った。

 

「お前がいてくれたお蔭で死ぬかもしれなかったヤツが助かった。それは間違いない。だから改めて言わせてもらう。ありがとよ、刀厘」

 

 そのお礼の言葉には文約殿からの精一杯の誠意が込められている気がした。

 謙遜でこの言葉に込められた想いを有耶無耶にするような真似はしてはいけない、と俺はそう思った。

 

「どういたしまして」

 

 お礼の言葉を確かに受け取る回答をする。

 俺の言葉を聞いて韓遂は満足げに笑った。

 

「なぁ戦場で肩を並べて生き抜いた友よ。俺の真名、受け取ってくれるか?」

 

 同盟相手である俺に向けていた一歩引いた心の距離が消える。

 ならば俺も相手を格上の同盟相手ではなく、一個人として見た上で応えなければなるまい。

 

「……勿論だ。俺の真名は駆狼。駆ける狼と書いて駆狼だ」

 

 率直に気安さを表す為に敬語を外す。

 韓遂は俺の口調の変化に驚いたようで目を瞬かせるが、すぐに嬉しそうに笑った。

 

「俺は雲砕(うんさい)。雲すら砕く、なんて大層で俺には不釣合いな真名だろう?」

 

 自身の真名について笑い話にするように語る目の前の男の言葉を真剣に否定する。

 

「いや……お前にぴったりだよ、雲砕」

 

 韓遂は前方を見つめたまま、俺の言葉を噛み締めるように目を閉じた。

 

「ありがとよ。お前もよく似合ってるぜ、駆狼」

「ああ、ありがとう」

 

 行き来するにも時間がかかるような地で。

 俺はこの日、新たな友を得た。

 

 


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