乱世を駆ける男   作:黄粋

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第五十二話

 それなりに長い時間を過ごしてきた西平での日々も終わりを迎える時が来た。

 俺たちに代わる第二陣がやってきたのだ。

 彼らに俺たちが西平でやってきた事を伝え、これからもやらなければならない事を引き継げば、ここを出る事になる。

 

 第二陣を率いてきたのはコミュニケーション能力と判断能力に優れた蒋欽と人懐っこく腕っ節に優れた蒋一が派遣されていた。

 さすが美命、しっかりとした人選をしてくれたものだ。

 これが粗忽者な董襲や幼馴染組みの脳筋担当……いや力仕事担当の塁だった場合、俺は心配でもうしばらくここに残ろうとしていただろう。

 

「お久しぶりですねぇ、隊長、幼台様、甘卓ちゃん。いずれもお元気そうで何よりです」

「隊長と奥方、お嬢! 俺ら一同、心配してたんすよ!」

 

 商売人風の優男は俺と顔合わせの場で眉尻を下げて安堵し、兄よりも筋骨逞しい男は破顔一笑して俺たちの無事を喜んでくれた。

 

「ああ、お前たちも元気そうだな」

「二人とも、遠い所ご苦労様」

「お久しぶりです!」

 

 俺と陽菜が緩い雰囲気で迎え入れ、思春がきっちりと直立不動で頭を下げる。

 あちらでは見慣れていただろういつもの光景に、蒋兄弟は顔を見合わせて笑っていた。

 

 こんなやり取りをしながら、引継ぎは何の問題もなく終わらせる事が出来た。

 二人とも元はただの農民だった身だ。

 サツマイモの栽培については建業にいた頃から多少教えていた事もあり、地元民との協力体制にも憂いはない。

 買い付けた百頭の馬と技術提供の為に同行する調教師については現在、選考中であり俺たちがここを出た後に建業に送り込まれる事になるだろう。

 軍事関連で縁や雲砕に度々呼ばれていたが、それもここ数日はなくなっている。

 

 荷造りも当然のように済ませてある。

 よって俺たちはいつでもここを出る事が出来る状態になったと言えた。

 

 そしていざ建業への帰還を縁たち建業の主だった者たちの前で告げた日の昼。

 

 なぜか思春と蒲公英、俺と縁が模擬戦をする事になった。

 

「はぁ……まったく最後の最後に面倒な事を……」

「まぁいいだろう! 最後の景気づけってヤツさ」

 

 手甲と足甲の具合を確かめながらため息を零す俺に対して新しい遊びを見つけた子供のような目をする縁。

 どれだけ楽しみにしていたのやら。

 

「何をどう景気づけるつもりだ、まったく。単純に戦いたかっただけだろう?」

「はっはっは! わかってるじゃあないか! なら四の五の言わずに構えろよ!!」

 

 今までずっと俺と戦いたいと暇を見ては呟いていた事は知っていたが、一時の別れがすぐそこまで来た事で限界に来てしまったようだ。

 今更模擬戦の勝敗一つで同盟が壊れると心配するような仲ではないから、俺もこちらに来た当初のように渋らずに模擬戦を受けた。

 そうこちらは問題ない。

 問題はもう一方の二人だ。

 

「……」

「……」

 

 お互いの戦いの邪魔にならないようにと、それなりの距離を取って構えている思春と蒲公英。

 しかしお互いを見る目が、……完全に『敵を見る目』になっていた。

 雰囲気もこちらに比べて圧倒的にピリピリしている。

 

 あの食事抜きスパルタ模擬戦をしている時よりも真剣な眼差しの蒲公英。

 そんな彼女の目を真っ直ぐ見据え、しかし何か思うところがあるのか妙に強い視線で彼女を睨む思春。

 

 はっきり言って模擬戦の空気ではない。

 しかし縁は二人の雰囲気を特に気にしていないようだ。

 正直、俺の方が気が気じゃない。

 

「ふむ。おい、蒲公英、思春。色々お互いに思うところがあるし、周りに人がいたら吐き出せない思いもあるだろう。お前ら第二訓練場でやれ。存分にな」

 

 縁の言葉に二人は一瞬だけ俺を見つめ、深く頷くと彼女に礼を言った。

 

「叔母様……うん、ありがとう」

「縁様……お心遣い感謝いたします」

「構わん構わん。ただまぁ、一応やり過ぎんように鉄心をお目付け役にさせてもらう。鉄心、こいつらを頼むぞ」

「御意に」

 

 そして鳳徳、真名を鉄心(てっしん)を引き連れて……やはり何かこう模擬戦とは思えないほど鮮烈な闘気を発しながら二人はその場を後にした。

 

「どうしたんだ、あの二人は……」

 

 思わず呟くと縁が声を上げて笑った。

 

「はっはっは! まぁあの子達なりに色々あるんだよ。あの子達を娘のように可愛がっているお前だ。気になるのは仕方ないさ。だが……」

 

 肩に担がれていた槍が振り下ろされる。

 刃引きされたとはいえその重量を片手で持つ事ができる常識外れの腕力から繰り出される一撃だ。

 地面を砕き、飛沫が周囲に飛び散る。

 視界を覆い尽くす飛沫を大きく飛び退いて避けるとそこには戦意をむき出しにした戦士が一人。

 

「仮にも西平騎兵の頭である私を相手に他に気を取られる余裕などあると思うなよ?」

「……そうですね。確かに思春たちの事は心配ですが……今は貴方に集中しなければこちらが危ない」

「ふっ、せっかくの機会だ。どちらが強いか言い訳もできんぐらいきっちり白黒付けよう」

 

 両手でしっかり槍を握り、こちらに突き出す姿に隙はない。

 気持ちを切り替えて構えを取った俺を見て、縁は満足げに頷くと地面を蹴った。

 

「行くぞっ!!」

 

 縁の気合の入った踏み込みを合図に、俺たちの模擬戦は開始された。

 

 

 

 

 最初、私は自分がどうしてこいつの事を気に入らないかわからなかった。

 

 打ち合う相手を睨みつけ、どうやって相手を倒すかを考えながら、その思考の隅っこでぼんやりと考える。

 

「えいっ!!」

 

 鋭い突きから斜め上に薙ぎ払う連続攻撃。

 駆狼様からの手ほどきを受けるようになって数ヶ月で見違えるほどに力強い物になったソレを背後に跳ぶ事で避ける。

 

「しっ!!」

 

 薙ぎ払いで晒した隙を狙って突きを放つ。

 しかし薙ぎ払いの勢いを利用した石突きによって私の刀の軌道はたやすく弾かれてしまった。

 

 強い。

 いや、強くなった。

 あの方のご指導を受けて、こいつは……蒲公英はとても強くなった。

 気遣いに長け、その明るい性質はまるで周囲を照らすかのよう。

 無頼な私とは大違いで、そして唯一勝っていると思えていた武もこうして追いすがってきている。

 私には武以外に何もないのに。

 

 その事実が、なぜか無性に腹立たしい。

 

「せぇえええっ!!」

 

 胸の内に広がる怒りに似た、しかし別の……どす黒い何か。

 自分の中から溢れ出てくる、見たくない、知りたくないソレを振り払うように私は叫び、武器を振るった。

 

 

 

 

 私にとってその子はお姉様みたいな憧れだった。

 

「うっ!?」

 

 振るわれる刀をどうにか受け止める。

 

「えいっ!!」

 

 近づかれすぎれば槍の力は半減する。

 突きからの薙ぎ払いでとにかく距離を取った。

 でもすぐに追いすがるように踏み込んできての突きが来る。

 

 「しっ!!」

 

 上に薙ぎ払った槍の勢いを利用して石突きを刀にぶつける。

 刀を手放させる事は出来なかったけれど、怯んだ思春は間合いを離した。

 

 汗一つ掻かずに武器を構える姿が憎らしい。

 

 ほとんど年が変わらないのにすごく強くて、国の重要人物の護衛を任されている子で、そして駆狼おじ様と陽菜おば様、玖龍君がとても信頼している子。

 

「ううっ……」

 

 たった三回、連続で攻撃されただけで痺れ始めた腕が、私の気持ちも知らずに自分の限界を教えてくる。

 

 悔しい。

 そう、私は今この子に負けている事がとても悔しい。

 お姉様に負けた時はこんなに悔しくなかった。

 心のどこかで『負けて当たり前』みたいに考えてたから。

 

 思春はお姉様にすら勝つことが出来る腕前。

 普通に考えたら私じゃ勝ち目なんて全然ない。

 でもおじ様に教えてもらって、単純な強さじゃ勝敗が決まらない事を実感できた。

 だからもう当たり前なんて考えない。

 勝って何が変わるのかって思わないでもないけど。

 

 でもこの子には負けたくない。

 私が心の底から羨ましいと思う場所にいるこの子には。

 全幅の信頼っていうものをおじ様たちに向けられているこの子には。

 

 絶対に負けたくない。

 

 勝ったからって何が変わるわけじゃないのもわかってる。

 この子が強いから護衛になっているんじゃないって事は、あの人たちとこの子のやり取りを見てればわかるもん。

 

 今までなんとなくで避けてきて模擬戦も思春とはやらなかった。

 でもたぶん今やらないと自分の気持ちが収まらない。

 

 この子にとっては迷惑な話だけど。

 今回だけ、私からの悪戯だって事で諦めてもらうね!!

 

「たぶんこれっきりだからっ!!」

「むっ!?」

 

 足元を狙って横薙ぎにした槍を思春が避ける前に後ろに引き、無理やり突きに変える。

 咄嗟に足を上げていたから態勢が定まらず避けられないと思った思春は私の一撃を刀の横腹の裏に左手を添えて受け止めた。

 瞬間、両足を踏ん張って突き出した槍をさらに前へ押し出す。

 体重を加えて勢いを増した突きを受けた思春は、踏ん張りきれずに後ろに吹っ飛んだ。

 

「ぐっ」

 

 苦悶の声を上げながら、着地する。

 思春の両手は痺れて震えていた。

 

「先の言葉。何を言っているかわからんが……今のは良い一撃だった。翠にも勝るとも劣らない強い一撃だ」

 

 お世辞なんかじゃない言葉に、頬が思わず緩んだ。

 

「そう? 嬉しいな、お姉様の好敵手にそう言われたら自信が付くよ」

 

 この言葉に嘘はない。

 心から嬉しいってそう思ってる。

 

「……私はお前が羨ましい」

「えっ?」

 

 

 

「……私はお前が羨ましい」

 

 同性の私から見ても可愛らしい笑顔を見て、私の口からぽろりと言葉が漏れていた。

 

「……どういう意味?」

 

 私の言葉の意味がわからなかった蒲公英は首をかしげた。

 ああ、言うつもりなどなかったと言うのに。

 こんな感情を、私が持っているなど認めたくなかったのに。

 

「お前は私にない物を沢山持っている。でも私には武しかない。そしてお前の武は駆狼様のご指導を受けて格段に上がっている」

 

 静かに話すよう努めながら、ゆっくりとしゃべる。

 一度漏れてしまえば話した方が楽だ、とさえ思えてきた。

 

「私は……お前のようにあの方たちを楽しくさせる事など出来ない……!」

 

 ああ、そうだ。

 私はあの方たちに笑いながら感謝されているお前が。

 私がいた場所に一時でも居座る事が出来るお前が。

 

「妬ましいのだ、私は!!」

 

 感情の荒ぶるままに武器を振るう。

 心なしか感情の籠もった刀は今までよりも速く空を滑っていた気がした。

 

「きゃあっ!?」

 

 それを蒲公英は悲鳴を上げながらも受け止める。

 お互いの距離が近づく。

 押し出してやろうとする私と押し返そうとするこいつの力が拮抗する。

 

「なによ……」

 

 このまま押しつぶしてやると荒れ狂う心の命じるままにさらに力を込めようとする私の耳に、小さな声が聞こえた。

 

「?」

 

 思わず眉をひそめる。

 声は蒲公英からの物だ。

 

「なんなのよ、それ!!」

「う、うわっ!?」

 

 蒲公英の声が耳を打ち、次いで今までにない力で交差させている武器ごと身体を押し返された。

 

「妬ましい? そんなの私だって言いたいよ!! 思春、あんたずっとおじ様やおば様と一緒にいるし、鍛錬も一緒だし、玖龍君も預けてもらえるし、すっごく皆に信頼されてるじゃない!!」

 

 まるで兵士の群れが襲い掛かるような言葉の嵐に、私は模擬戦をしている事も忘れて目を瞬いた。

 

「私がどれだけあんたの事を羨ましいって思ったか知ってる!? もう自分だって数え切れないくらいなんだからね!!!」

「う、嘘を言うな。私にお前が羨むような事など……」

「今、言ったでしょ! 言っとくけどあんなのまだまだ序の口なんだからね! まだまだ沢山あるんだからっ!!! ほんと信じらんない!!」

「え、あ、う……」

 

 な、なんだ。

 よくわからんが蒲公英に気圧されて言葉が出てこない。

 

「あーもう! よし、わかった。私たち模擬戦なんてしてる場合じゃないって事がよくわかった!」

 

 そう言うとあいつはあろうことか武器を放り捨てた。

 鍔迫り合いをしていた私は思わずたたらを踏む。

 

「な、何のつもりだ!」

「いいから! はい、思春も武器納めて!! それともやる気なくした私を攻撃する?」

「い、いや、そんな事はしない!」

 

 そんな風に言われては攻撃なんて出来ない。

 私は武器を納める。

 蒲公英は満足そうに頷くと自分の武器を拾って私の手を取った。

 

「よし。それじゃ行こうか、思春」

「い、行くってどこへ……」

「私の部屋。そこできっちり腹を割ってお話しましょ。あ、心さん! おじ様やおば様たちに模擬戦は引き分けで終わったからって伝えといて~」

 

 思い出したように立会人であった鳳徳殿に言伝を頼むと蒲公英は歩き出してしまう。

 当然、手を握られている私はされるがまま引っ張られて歩き出していた。

 

「な、なんだ? どういう事だ?」

「いいから来る!!」

「は、はい!?」

 

 な、なんだろう。

 今の蒲公英には逆らえる気がしない。

 

「了解した。お嬢」

 

 私たちの前では決して表情を変えなかった鉄心殿が苦笑いする様子を驚く暇もなく。

 私は引っぱられるままに蒲公英に着いて行った。

 

 

 その後の事はよく覚えていない。

 なんだか本当に色々な事を話したから話の内容まで覚えていない。

 ただあんなに勢いに任せて同年代の人間と話した事はなかったかもしれない。

 

 そうただ何も考えず思った事を話していただけ。

 ただそれだけの事なのに、今まで蒲公英に向けていた妬む気持ちは気が付けばなくなっていた。

 

 蓮華様とは違う殴りあう事も肩を抱き合う事もできる距離感。

 私にとって今まで関わってきた誰とも違う感覚がただただ心地よかった。

 

 余談だが私たちが語らっている間に、駆狼様と縁様の勝負は決着。

 縁様の最も得意とする騎馬を使わずの模擬戦だったがその実力は伯仲。

 白熱した戦いは紙一重で駆狼様に軍配が挙がったそうだ。

 

 翠にその時の様子を興奮した様子で語られ、私はそんな闘いを見損ねた事を残念に思った。

 だがそれ以上に蒲公英と語らえて良かったと思う自分がいた。

 

 

 翌日。

 陽菜様に「蒲公英ちゃんと仲良くなれたの?」と微笑みながら聞かれた。

 

 「はい。あいつは私の親友です」

 

 私は何の気負いもせず、ごく自然にそう答えていた。

 

 同じ頃。

 縁様から同じ質問をされた蒲公英が示し合わせたわけでもないのに私と同じ答えを返していた事を私は知らない。

 


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