俺たちは村に戻ってすぐに豊さんたちの防柵建設を手伝い始め、それからはずっと作業に没頭した。
幸いな事に偵察の時点では村に近づく気配は無かった。
この事から多少は時間的余裕が残されていると推測できる。
余裕が出来た事に安堵する俺の脳裏に祭嬢たちの様子を見に行こうかという考えがよぎったが。
結局、あいつらの元へは行かなかった。
慎に言ったようにこれはあいつら自身が乗り越えるべき問題だ。
第三者に出来る事などたかが知れている。
個人的には乗り越えてほしいと思っているが、同時に戦闘者として自力で立ち上がる事が出来ないと言うのならそれはそれで構わないとも思っていた。
それがあいつらの限界ならば構わない。
戦いなんて戦える人間だけでやればいいのだから。
これから世が戦乱に満ちる可能性が極めて高い以上、戦力になる者を放置しておく方が問題なのかもしれない。
だがそれでも無理強いはしない、してはいけない。
たった一度きりの人生を棒に振ってまで戦えなどと言う権利は、たとえ親であっても有りはしないのだから。
激や慎と共に木の板を運び、釘を打ちつけて即席の壁を作りながら俺は今もまだ苦しんでいるのだろう祭嬢と塁嬢を想った。
山賊の襲撃は俺たちが偵察から戻ってから半刻(およそ一時間)後に起こった。
「慎たちの話では二十人程度と聞いていたんだがな」
「ざっと見て五十人はいますね」
豊さんと横並びになり、迫ってくる山賊たちを見据える。
「祭たちが七、八人殺した事が効いているんだろうな。自分たちの半分程度の年の小童どもに完全に圧倒された事に腹を立て、大人げなく仲間を全員連れてきたと言うところか」
「あれで全員とは限りませんけど、たぶん相手の考えとしてはそんなところでしょうね」
俺と豊さんは今、作り上げた防柵の前に立っている。
いわゆる最前線である。
危険だからやめろと散々言ったのだが豊さんはどうしても賊どもに言いたい事があり、柵に隠れた状態では言いたくないとの事だ。
最初は全員で説得していたのだが一人また一人と拳で黙らされてしまい(比喩表現にあらず)最終的に暴力に屈しなかった俺が彼女を守る為に共に行く事になった。
ちなみに豊さんの夫である松芭(まつば)さんは一番最初に豊さんの拳に屈している。
いつも尻に敷かれているのだからこういう時くらい断固とした態度で妻を説得してほしかったんだが。
「良い様にしてやられたせいか、あっちは頭に血が上っているな」
「ですね。相手の様子を見る限り、問答無用のようです」
どいつもこいつも怒りに顔を真っ赤にしている。
同時に口元に喜悦に満ちた笑みが張り付いているのは、恐らく村を蹂躙した後の事を夢想しているからだろう。
既に勝ったつもりでいるとは馬鹿にされたものだ。
とはいえ勢いがあると言うのはそれだけで厄介な物でもある。
「豊さん、そろそろ下がらないとまずいと思うので言いたい事があるならさっさとお願いします」
「駆狼君、なんだか冷たくないか? さっきので怒っとるのか?」
「気のせいでしょう? 危ないところに率先して行こうとする誰かさんに腹を立てたりしてますけど」
「……やっぱり怒っとるじゃないか」
がっくり肩を落とす豊さん。
とはいえ同情はしない。
徹頭徹尾、自業自得なのだから。
豊さんは咳払いを一つして、なんとも形容しにくい空気を払拭する。
真剣な表情を浮かべると彼女は目測百メートルと言ったところまで迫っている賊たちに対して口を開いた。
「うちの村に手を出そうとする阿呆な賊ども!!! お前たち、うちの子供たちにこっぴどくやられて尻尾を捲いて逃げたらしいなぁ!!!」
嘲るように鼻で賊たちを笑う豊さん。
かなりの大声で、連中にも一字一句間違うことなく伝わっているだろう。
連中の顔がさらに真っ赤になっているのがこの上ない証拠だ。
「賊に成り下がるだけで恥だと言うのに、子供に負けて逃げ帰るとは恥の上塗りとは正にこの事!! だが安心しろ、これ以上の恥を掻かないようにここでお前たちの人生を終わらせてやる!! 感謝するんだな!!!」
俺は素直に感心していた。
真っ赤を通り越して赤黒くなっている賊たちを見据えて、よくもまぁこれだけの事を言えるものだと。
「ふふん、これだけ言えば撤退しようなどどは考えんだろ」
「ああ、なるほど」
つまりこれは俺にはとうてい理解出来ない山賊どものプライドを刺激することで連中の意識から『撤退』と言う言葉を無くす事が狙いだったわけだ。
おそらく連中の大多数はこう思っているはずだ。
『たかが村人にこんなに馬鹿にされて黙っていられるか!』と。
怒りによって相手の視野を狭くする事でその思考を単調で読みやすい物にする。
ここまで思考が一本化されると目に見えて劣勢になるまで敵の興奮は収まらないだろう。
戦の常套手段ではあるが、ここまでたやすく術中にはまるとは。
こちらを村人だと侮っている事も挑発の効果を高めている。
多少、腕が立っても大人数で囲めばどうとでもなると踏んでいるんだろう。
別に間違ってはいないが。
豊さんは敵が冷静になる前に叩き潰すつもりだ。
こいつらを全滅させ、取り逃がした連中にほかの村が襲われる心配もしなくて済むように。
しかし挑発は上手くいったが、それは同時にこの戦いが絶対に負けられない物になったことも意味する。
ここで俺たちが破られれば、連中は興奮した状態のまま村を蹂躙するだろう。
下手をすればその勢いでほかの村にまで手を伸ばすかもしれない。
そんな事を許すつもりは毛頭ないが。
「では一旦下がろうか。儂もさすがに石を当てられるのは勘弁じゃし」
「だったらさっさと下がりますよ」
山賊たちに背を向けて駆け出す。
後ろから「逃げるな」などの怒声が飛ぶが気にもかけない。
後方に配置した防柵に身を隠すと同時に豊さんが叫んだ。
「放てぇッ!!!」
合図と同時に防柵の裏から村人たちが石を投げる。
柵の建設の傍ら、俺が激たちと手分けして集めていた誰でも持てるような拳大の石だ。
矢には数の制限があるが石は集めようと思えばいくらでも集められる。
さらに弓を射るには技術が必要だが、石を投げるのにそんなものはいらない。
あとは石投げ要員として村から有志を募れば即席の遠距離攻撃部隊の完成だ。
絶対に防柵の外へは出ないように厳命してあるので危険もほとんどない。
「ぎゃあ!?」
「うげっ!?」
前に出てきていた賊の何人かが石に当たる。
投石要員には激と慎もいる。
普通の大人よりも遙かに力があるあの二人の投げた石は矢にも劣らない凶器だ。
「投げまくれ! 連中を粉々にするくらいの気概でな!!!」
村の皆を鼓舞しながら豊さんも俺も柵の裏に用意していた石を投げつける。
勇んで走っていた賊たちも石つぶての雨を前に足を止めざるを得なくなった。
連中の勢いを殺ぐ事には成功したようだ。
「一旦止まれ。そんな遠くまで届きゃしねぇ!」
賊たちの後方から野太い男の怒声。
その声によって感情の荒ぶるまま犠牲を気にせず向かってこようとしていた賊の足がが完全に止まる。
石つぶてで混乱していた連中がたった一声で落ち着きを取り戻してしまったようだ。
この声の主がこの集団の頭か。
「やれやれ。それでは次に行こうかの」
豊さんが後ろに手を振り、それを合図に石つぶてはぴたりと止まる。
「石がなくなったか!! てめえら、今だ!!!」
「「「「「おお~~~~~~!!!!!!」」」」」
石の雨がぴたりと止まった事を好機とみた賊頭の指示で足を止めていた賊たちが吠え声と共に駆け出す。
「本当にいいんじゃな?」
「確認してるような悠長な状況じゃありません。志願したのは俺です」
俺は防柵の後ろで拳を握り締めた。
豊さんは柵の上から弓を構えたまま、俺を見つめる。
「死んでくれるなよ。君に死なれては楼たちは勿論、祭たちにも申し訳が立たんからな」
「最後まで足掻きますよ。事切れるその瞬間まで」
そして俺は迫り来る敵に向かって駆け出した。
ガキにやられたと言って逃げ帰ってきた連中を頭(かしら)がぶっ飛ばして、その落とし前を付ける為にその村に襲撃をかけた。
腕の立つガキって言うのは気になったが何人いようと五十人全員でかかればどうとでもなる。
そう俺たちは高を括っていた。
いざ村に着くと急拵えの柵が見えた。
へ、無駄な抵抗ってやつだぜ。
俺たちははっきり言って油断してた。
強いガキがいようが所詮はのんびり安穏と生活してる村人だろうって。
だが村の代表かなんかなんだろう銀髪の女に馬鹿にされて血気勇んで飛び出してった何人かが石つぶてでやられちまった。
そこそこ戦い慣れてやがる。
仲間が何人かやられても俺の感想はそんなもんだった。
こいつらだってたかが石でやられるような柔な体はしてねぇんだ、すぐに立ち上がるだろう。
何人か当たり所が悪かったみたいでうずくまって呻いてるが、そっちは後で手当してやればいい。
しかし生意気な連中だ。
ぜってぇ叩き潰してやる。
そう思った時だった。
俺たちと比べて明らかに小柄な人影が柵の後ろから飛び出してきたのは。
「なんだ、てめっべげぇ!?」
「うわぁ!?」
「何だぁっ!?」
近くにいた仲間がそいつに剣を突きつけようとした瞬間、吹き飛ばされた。
冗談のように後ろに飛ばされた仲間の姿に思わず足を止める。
吹き飛ばされた仲間の巻き添えを食って二、三人が倒れ込むのを俺は唖然とした顔で見送った。
なにが起きたのかわからなかった。
いきなり起こった出来事が理解できなくて一瞬、呆然としたのが悪かった。
仲間を吹き飛ばした人影は、俺が瞬きした瞬間にすぐ傍まで迫ってきていたんだ。
「ひっ、げぇっ!?」
悲鳴を上げる暇もない。
馬にでも突進されたかって言うぐらいの強い衝撃を腹に受けて俺はさっき吹っ飛んだヤツと同じように吹き飛ばされた。
そして仰向けに地面に叩きつけられて。
腹の中から唾やら息やらと一緒に生暖かい物を吐き出したところで目の前が真っ暗になった。
柵から飛び出し、出会い頭に賊の一人を後ろ蹴りで打ち抜く。
大岩を打ち砕いた時は岩の硬さに足の骨が負けたが、人体が岩よりも硬いと言うことはありえない。
よって砕けるのは相手の身体の方だ。
足の裏には骨を砕き、内蔵に突き刺さった何ともいえない嫌な感触が残っている。
だがそんな事を気にしていられない。
吹き飛んだ山賊の姿を見て呆然としていた別の賊に、地面を踏み抜くほどに強く蹴りつけて駆け出し一歩で肉薄する。
「シィッ!」
賊の横を駆け抜け様に膝蹴りをくれてやる。
交通事故を思わせる轟音と共に賊は吹き飛び、仰向けに倒れた。
そいつの生死を確認する暇もなく次の相手に飛びかかる。
ここに来て思考の止まっていた賊たちが再起動し始めた。
「ひるむな! ちょろちょろ動かれる前に取り囲め!!」
賊頭の指示を受け俺を取り囲もうと動き出す賊たち。
だがその行動はこちらの思惑通りだ。
「ぎッ!?」
「ぎゃァ!?」
俺に意識を集中させれば当然、その他への意識が外れる事になる。
その隙をついて慎や激の石つぶて、そして一発必中の豊さんの弓術が敵の数を確実に減らしてくれる。
「くそ、村の連中だ! 先にあいつらをぐぎゃ!?」
かと言って彼らに意識を向けてしまえば即座に俺が蹴り砕きに行く。
既に山賊側は八割方、俺と村のどちらを優先すればよいかわからず混乱している。
こちらの策に見事にはまっている状態だ。
あとはどっちつかずの意識のまま右往左往していてくれれば遠からず片づけられるのだが。
「やるじゃねぇか、小僧。まさかそんな小さい成りで最前線に出て囮と遊撃をやってのけるとはよぉ」
そう簡単にはいかないらしい。
俺を囲い込もうとしていた連中の後ろから大柄の男が出てくる。
身長は軽く二メートルを越えている。
とてつもない重量がありそうな戟(げき)を片手で持っている事から、すさまじい腕力の持ち主である事が嫌でも理解できる。
「か、頭!!」
「おい、お前ら。このガキは俺が殺るから村を潰してこい」
部下たちと違ってこちらの攻撃にまったく動じていない。
どっしりと構えたその男の姿に浮き足立っていたはずの連中がまたしても落ち着きを取り戻してしまった。
「でも頭、そいつただのガキじゃありませんぜ」
「んな事はわかってる。だから俺が直々に殺すんだろうが。うだうだ言ってると先にてめぇを潰すぞ」
「ひぃっ!? わかりやした!!」
ギロリと睨み付けられた賊は悲鳴を上げながら走り去っていく。
そいつの動きに合わせるように山賊たちが村の方へ向かう。
「ちっ!」
「おっと、行かせんぜ」
その大柄な身体で俺と賊たちの間に滑り込む頭。
だがそれではまだ甘い。
「行かせてもらう必要はない!!」
足下に落ちていた石を幾つか蹴る。
靴を履いていると言っても前世の靴と比べると足を覆う部分が薄い為、蹴った瞬間に痛みが走った。
だがこれくらいは許容範囲。
「うおぉ!?」
特に構えていたわけではない大型の戟を振るうには間合いが近すぎる。
よってこの男に出来るのは避けるか受け止めるかのニ択。
そしてこの男は俺の狙い通りに避ける事を選択してくれた。
「ぎゃぁ!?」
「いでぇっ!?」
賊頭が避けた石は村に向かっていた賊たちに命中する。
目の前の男を警戒しながらなので成果の確認は出来ないが多少なりともダメージを与える事が出来たようだ。
「ちぃ、このガキ。小細工をしてくれやがる」
「こっちは村を守るのに必死なんでな。目的を果たす為なら小細工だって弄するさ」
「減らず口を……とはいえ二度も同じ手は食わんぜ?」
戟を構えて俺を睨みつける賊頭。
どうやら俺の小細工がこいつを本気にさせてしまったらしい。
出来れば子供と思って油断したままでいてほしかったんだが。
少し離れてしまった村の様子を伺う。
俺と村との間に男が仁王立ちしている状態だから村の様子と男の挙動の両方に気を配る事が可能だ。
遠目から確認できる限り、まだ村の外で戦闘しているらしい。
幾つか防柵が破壊されているが慎や激たちが頑張ってくれているようだ。
「おいおい、お前の相手は俺だぞ。よそ見なんぞしてくれるな。悲しくなっちまうぜ」
賊頭のセリフと共に振るわれる戟。
見た目からして相当な重量がありそうな代物を右手一本で振るう、典型的なパワーファイターだがその力は俺の予想を遥かに超えていた。
武器が振るわれる度に風切り音が周囲に響き渡るのだ。
迂闊に近づけば子供の身体など容易く真っ二つにするだろう。
「くッ!?」
さらにあんな重量級の得物を振るっていると言うのにその一撃一撃には隙がなかった。
普通、あんな得物を振るった後は得物を構え直す動作が必要であり、大なり小なり隙が生じる物だ。
だがこの男、右手一本で武器を振るう事で完全に空いている左手を常にこちらの攻撃に対する備えとしている。
無骨な鉄甲を付けたあの左手を盾代わりにしている為、防御される事が理解できてしまうから懐に飛び込む事が出来ないのだ。
そしてなにより戦い方が随分と洗練されている。
ただの山賊とは思えないほどに。
「さっきまでの威勢はどうしたぁ!!!」
「ちぃっ!」
戟と拳では間合いが違いすぎる。
このままではジリ貧だし、拮抗状態の村の戦況がどうなるかわからん。
猶予は無い。
ならばこちらの間合いまで持ち込んで一気に畳み込むしかない!!
「おおおおおぉっ!!!」
足下の石を蹴り上げる。
これ自体は先ほどやっていた事と同じだ。
「同じ手は食わねぇって言っただろぉが!!」
戟を振るう際に生じる風圧が強く蹴りあげて勢いを付けたはずの石を逸らしてしまう。
なんて馬鹿力。
だが間合いは詰めた!!
「でぇえい!!」
「甘ぇんだよぉ!!」
左手の鉄甲が俺の右拳を受け止める。
鋭い痛みが右手に走る。
やはり、どれほど鍛え上げても素手で鉄を砕く事は出来ないようだ。
だがまだ次の手が……。
「ここまでだぁ!!!」
次の一撃の為に賊の左腕を掴もうとした瞬間、俺が予想した以上の速さで俺の頭に戟が振り下ろされる。
「ぐはあぁっ!?」
防御する暇もなく叩き込まれた一撃は、反射的に右に避けた俺の左肩を直撃。
嫌な音と共に肩の骨をやられ、その一撃の勢いに巻き込まれた俺はそのまま地面に叩きつけられた。
左肩から生暖かい感触が広がっていくのがわかる。
やられた箇所から血が噴き出しているらしい。
「くははは、まさか鉄甲の上からこんなに痛みが走るなんてな」
地面に文字通り沈んだ俺を見下ろしながら賊頭が呟く。
ま、ずい……。
頭が……ぐらぐら、して……指一本、動かせん。
ち、くしょうが……。
「運がなかったな、小僧。あと十年、いや五年遅く遭ってたらお前が勝ってただろうに」
ニヤニヤ笑いを浮かべながら左手で俺の首を掴んで持ち上げる賊頭。
さっきの一撃の衝撃で身体がまともに動かない俺はされるがままだ。
「ぐぅうう……」
「おお、こえぇこえぇ。だがそんな狼みてぇな唸り声上げたって俺を殺せるわけじゃねぇんだぜ」
俺の身体に戟の先端を向けた。
どうやら串刺しにするつもりらしい。
優越感に満ちた表情は見ていてひどくイライラした。
まだだ!
諦めるな!
俺はこの程度で生きる事を放棄するような可愛い性格じゃないだろうがッ!!
溢れんばかりの気迫を込めて睨み付ける。
「っつ!? おいおい、なんつう目をしやがる」
どうやら多少なりとも効果はあったらしい。
とはいえささやかな抵抗だ。
視線だけでは相手を萎縮される事はできても殺す事は出来ない。
だがその一瞬、男の意識が俺に集中した瞬間。
風を切る音と共に一本の矢が賊頭の右腕を貫いた。
「ぐあぁああ!? なにぃ!?」
肘から手首にかけてのいわゆる前腕と呼ばれる部分の肉を貫通したその矢には見覚えがあった。
あれは多幻双弓用に特別、鋭利に研がれた矢だ。
「駆狼を離せ!!!」
矢の持ち主の声に思わず状況も忘れて口の端がつり上がった。
「十年後でも五年後でもなかったな」
首を掴む賊頭の左手首に震える右手を添える。
そして手首の内側、一般に脈を計る橈骨動脈(とうこつどうみゃく)がある箇所に思い切り爪を突き立てた。
「ぐがぁ!? てめぇッ!!!」
血管が集中している手首に穴を空けた事で血が吹き出す。
尋常ではない痛みが伴い、賊頭は思わず俺の首を握っていた手を離した。
こいつは今、両腕が使えない!
勝機はここしかない!!!
「おおおおおおおおおっ!!!!!!!」
地面に着地した瞬間、歯を食いしばり身体の震えを捻じ伏せて跳躍。
全体重を乗せた右の肘打ちをヤツの胸板に叩き込む。
「ぐほぁッ!?」
同時に賊頭の粗末な服の襟首を掴み、俺の方へ引き寄せて頭突き。
「あがぁっ!?」
攻撃の衝撃で賊頭が強制的に空を仰ぐ。
そのがら空きの顎に掌底をくれてやる。
「ガギッ!?」
「くたばれぇえええええええええ!!!!!」
空いていた口を強制的に閉じさせ地面に倒れ込んだ賊頭の水月に止めのかかと落とし。
賊頭の体に突き刺さる足が轟音を響かせた。
攻撃した際の衝撃と激しい動きで左肩に激痛が走るが、歯を食いしばって耐える。
大岩を打ち砕く足で思い切り地面に叩きつけたのだ。
畳の上ならいざ知らず固い地面でなら、この世界の常識外れに対してでも十分な効果が望めるはず。
土煙が晴れ、立ち上がった俺の足元には痙攣しながら口から泡を吹く賊頭の姿。
完全に首の骨が折れ、さらに腹部は俺の足が貫通。
おびただしい量の血を出している。
どうみても即死だった。
「はぁはぁはぁ……」
ふらつく足に活を入れて物言わぬ躯に背を向ける。
まだ戦いは続いているんだ。
気を抜くわけにはいかない。
「駆狼!!」
駆け寄ってくる祭嬢の姿に苦笑いを浮かべる。
足下がおぼつかないまま彼女に近寄ると正面から抱きしめられた。
違う。
俺の足がもつれて倒れ込んだんだ。
祭嬢は倒れこんだ俺を咄嗟に抱きしめて支えてくれているだけ。
足に力が入らなくなっている事に心中で舌打ちしながら、俺は彼女に声をかけた。
「祭……もう、大丈夫なのか?」
「ああっ!!! 私たちはもう大丈夫だ!!」
『私たち』と言う事は塁嬢も立ち直ったと言う事なんだろう。
それが良い事か悪い事かは俺には判断できない。
だがそれが祭嬢たちの決断ならば俺から言う事はない。
これからも苦言の一つや二つは言うかもしれないがな。
ふふ。
一つの山場を乗り越えたんだ。
いい加減、年下だからと心中で『嬢』呼びするのはやめた方がいいかもな。
「村の……方は?」
「塁や母たちが全員、片づけた! だから安心しろ」
「怪我人、は?」
村が無事だと聞いた途端、意識が混濁し始めた。
まずい。
安心するな。
まだ気を失うには早い。
「何人が手傷を負ったがかすり傷だ。もう手当も済んでいるぞ!!」
「そ、う……か」
絞り出すように返事をしたのを最後に俺の全身の力が抜けていく。
「駆狼!! いやだ、死ぬなぁ!!! 目を開けろ、駆狼!!! くろぉおおおおおおお!!!!!」
震えながら叫ぶ祭に応える暇もなく、俺の意識はそこで途切れてしまった。