乱世を駆ける男   作:黄粋

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第五十八話

 陳留を後にしてから俺たちは特にトラブルに見舞われる事などなく。

 想定通りの行程で建業へと帰り着く事が出来た。

 

「帰ってきたな」

 

 城下に入る為、外と中とを区切っている巨大な門に近づきながら言葉を紡ぐ。

 どうやら涼州に行く前、およそ九ヶ月前と変わらぬ城下の騒々しさが、街の外からでも感じ取れる事に俺は少しばかり気を緩めているようだ。

 

「ええ。思春ちゃんも駆狼もお疲れ様」

 

 並んで歩く陽菜と思春の顔にも隠しきれない安堵が窺えた。

 お互い完全に気を抜いたわけじゃないが、それでも肩の荷が下りたような気分になっているのは間違いないだろう。

 

「いえ私などお二人に比べれば! 陽菜様、駆狼様こそ任務お疲れ様でございます!」

「ふふ、ありがとう」

 

 二人の声にも家に帰ってきた事への安心感と喜びが乗っている事が手に取るようにわかる。

 玖龍は俺の背中で眠っているが、故郷が近いことがわかっているのか思いなしかその寝顔は旅の間よりも穏やかな物に見える。

 こいつは早いところ、城の部屋で寝かせてやらないとな。

 

 髪型やら服装を適当にいじっただけの変装を解きながら、街に入る人間を検査する門と併設された関所の一つへ向かう。

 俺たちの事に最初に気付いたのは街の外を警戒している番兵だった。

 

「あれは……幼台様と隊長にお嬢っ!?」

 

 門の上からこちらを指差し、大声を張り上げているのが俺たちにもよく聞こえた。

 俺の事を隊長と呼ぶという事は、俺がいない間は各部署に分散された俺の隊の人間なんだろう。

 ここからだと流石に誰かまではわからないな。

 

 俺の隊は他の隊より人数が少なく、故に練度は他よりも高い。

 だから現在は一時的に隊を解散し、他所の人員強化に宛てられている。

 

「みんな、陽菜様と隊長のお帰りだ! 城に伝令急げ! 街にも触れ回れよ!!」

 

 誰かが騒ぎ立て始めれば、あっという間だった。

 俺たちが関所につく頃には関所にいた人間と周辺の警邏をしていた兵たちがこぞって俺たちの出迎えに出てきている有様だ。

 街に入ろうとしていた外部の人間は何事かと困惑しながら、出迎えられている俺たちを見ている。

 

「幼台様! 大将! お帰りなさい!」

「隊長殿、お疲れでしょう! 荷物は俺がお持ちしますぜ!」

「あんた、これから巡回だろうが! 幼台様、お荷物をお持ちします!」

「甘お嬢! 護衛任務お疲れ様でした!!」

 

 寄って来る人、人、人。

 俺たちの事を知っていても気後れせずに親しげに声をかけてくる人たち。

 外から見れば異質な、しかしこの場所だからこそ日常的な光景。

 

「ああ。帰ってきたな」

 

 その様子が嬉しくて、俺は先に言った言葉を実感を持って繰り返した。

 

「ふふっ、そうね」

「はい!」

 

 俺たちは集まった民や部下たちにもみくちゃにされながら門を潜る。

 家族が待ち、職場でもある城を目指して。

 

 

 

 俺たちが帰ったという話は既に城に伝わっていた。

 城の門前では集まった城の警備兵たちから道中でも何度となく聞いてきた帰還を喜ぶ声を聞き、すぐに謁見の間へと通される。

 広間には集まれるだけ集まった建業の武官文官と玉座に座る蘭雪様の姿があった。

 

 玖龍は謁見の間への道中で母に預けている。

 会議中に起きて騒がれるのは良くないから先に部屋に寝かせておいてもらう事にしたのだ。

 

「凌刀厘、孫幼台、甘卓。涼州馬家との交渉と同盟の任を終え、帰還しました」

 

 片膝を付き、頭を下げて帰還の口上を述べる。

 

「全員、無事に戻ったな。思ったより全っ然元気そうで何よりだ」

「蘭雪様も、皆もお変わりないようで。安心いたしました」

 

 玉座での正式なやり取り故に姿勢を崩さずに応答していると、彼女は片手をかざしてこちらの言葉を遮ってきた。

 

「ああ、もう楽にしていいぞ。ここからはいつも通りだ」

「あら、もういいの? 弛んでるって美命に怒られるわよ? 姉さん」

「あいつは『曲阿』の平定に勤しんでいてここにいない。だからヤツの雷が落ちる事もないさ」

 

 からかいながら姉に微笑む陽菜に対して、飄々とした笑みを浮かべながら応える蘭雪様。

 今の発言から読み取るに、美命は今もあちらで大忙しなのだろうな。

 

「こちらは今、どうなっているんですか?」

 

 俺は領主のお許しに従い膝を付いた姿勢から立ち上がり、こちら側の近況について改めて問いただす。

 俺たちが知る建業と曲阿の状況は、涼州にいた頃の報告で止まっている。

 あれからここに戻ってくるまでの間、何か起こった事も充分に考えられる。

 

「もう察しているとは思うが曲阿は変わらず大忙しだ。美命、深冬に加えて手が足りないという事で慎と祭も援軍として行った。それでも領土を落ち着けるには至っていない。前領主のいらん置き土産は思った以上に民の心身を傷つけているんだそうだ。かと言ってこれ以上、あちらには回せん。こっちもこっちで最近、活発になっている賊の討伐で忙しいんだ」

 

 忌々しげに現状を語る蘭雪様。

 自分の髪を手で弄びながら気のない様子で話しているが、その目には隠しきれない苛立ちが浮かんでいる。

 

 しかしそうか、祭は曲阿に行っているのか。

 久しぶりに会えるかと思ったが残念だ。

 

 だがお互い忙しい身の上の武官。

 仕事で予定が合わないことなどざらなのだし、この程度の事で落ち込んでもいられない。

 

「賊の活発化についてはおそらく領土が増えて浮き足立っている隙を狙っての事と考えられます」

 

 聞き覚えのあるその声の方に視線を移す。

 成長期らしく一年にも満たない時間で背が伸びた冥琳嬢が、俺たちを挟み込むように並んでいた臣下の中から発言していた。

 俺のおよそ半分の年齢でありながら、これだけの人間を前にしてその揺るがない堂々とした態度は実に頼もしい。

 

「領土が増えた事でそちらに人手を割いた事が、今まで手をこまねいていたヤツラには好機に見えたという事か……」

「面倒な事だが、それ自体は賊の浅はかな考えで済むはずだった。こっちもそういう事態になる事を考慮して精鋭に領地の巡回を命じていたんだが……浅はかな考えをした連中が思った以上に多くてな。個々の力は大した事はないんだが手が足りていないのが実状だ」

 

 うんざりした顔で蘭雪様は語る。

 普段から戦わせろ戦わせろと鬱陶しいくらいに訴えるこの人がこんな態度になるとは珍しい。

 どうやら戦闘好きの彼女をして現状は辟易する事態のようだ。

 

「建業は他領土に比べて豊かです。これは近隣諸国に放った密偵からの報告を見ても明らか。賊からすればさぞ魅力的な獲物に見えるのでしょう。それこそ多少無理をしてでも襲いたくなるほどに」

 

 そう語るのは俺たちに城での仕事について叩き込んでくださったご意見番の老婆だ。

 その言葉には経験に基づいた重みがある。

 

「頭の回るお前の事だ。ここまで言えば私がこれから何を命じるかわかると思うが……」

「そうですね。……どうやら旅の疲れを癒やす暇はないようだ」

 

 まぁそういう仕事を選んだのは俺だ。

 文句も愚痴も飲みの席にでも取っておくとして今は命じられる職務を遂行する事を考えよう。

 そう決意し、俺は新たな任務を主から告げられるのを待った。

 

「凌刀厘、各所に散った自分の部隊を召集、率いて我が領地に出没する賊どもを討伐せよ」

 

 形式に則った任務の言い渡しに、俺は居住まいを正して応じる。

 

「主命、確かに承りました。ではさっそく準備に入ります」

「おう。任せた。部下たちと呼吸を合わせる時間も含めて五日後には出立できるようにしろ。今、出ている激の部隊がその頃に帰って来るからそれと交代で出るように」

「了解」

 

 深く頭を下げ、俺は踵を返し謁見の間を後にするべく玉座に背を向ける。

 

「陽菜、玖龍と奏を頼む」

「ええ。頑張ってね、駆狼」

「思春、行くぞ」

「はっ!」

 

 去り際、陽菜に息子たちたちの事を頼み、思春に付いて来るよう指示しておく事を忘れない。

 頭には既に次の仕事に向けてやるべき事を並べていた。

 意識を完全に切り替えていた俺に出鼻を挫くような一言を告げられる事になる。

 

「ああ、それと今回の任務だが、お前の部隊に雪蓮を連れて行ってくれ」

「……」

 

 思わず足を止め、振り返る俺を諌める者はその場にはいなかった。

 なにせ命じた主君以外の全員が俺と同じような顔をして、恐らくは同じ思いで突拍子のない事を抜かした彼女を見つめていたからだ。

 

「おいおい、そんな呆れたような顔をするな。心配せずとも足手纏いにはならんよ」

「姉さん。皆が心配しているのはそこではなくて……『戦に酔う性質の暴走』を心配しているんだと思うわよ?」

 

 孫家の血筋が持つ性質。

 戦場で極度の興奮状態に陥り暴走するという迷惑極まりないもの。

 蘭雪様と長女である雪蓮嬢に色濃く継がれたこれは、ひとたび発症すると敵と認識した者を殺し尽くすまで止まらない。

 しかもその状態の彼女らを諌めようとすると敵と認識され、襲われてしまう。

 現に俺と祭、慎はその状態になった雪蓮嬢を止めようとして攻撃された。

 それぞれが自身の得物で彼女を気絶させることで事なきを得たが、あの時は冷や汗ものだった。

 

「言っただろう? あれについては戦場に出て慣れさせるしかないってな」

 

 この症状は年月と共に、経験を積んでいくうちに自制が効くようになるとは蘭雪様の弁だ。

 少なくとも蘭雪様自身は二十歳を超えた辺りから、諌めた相手にまで襲いかかる事はなくなったという。

 これについては周りの人間も証言しているので信憑性は高いんだろう。

 どちらにしても現段階では危ない性質である事は揺るがないが。

 

「だからお前のようにあいつの暴走を手早く止められる奴の下に置くのが理想なわけだ」

 

 文句を言ったところでこの決定は覆らない。

 蘭雪様の目は俺にそう告げていた。

 

「はぁ、わかりました。雪蓮様のお目付け役も含め、しっかりこなして見せましょう」

「ふ、任せた。駆狼」

 

 にやりと笑う蘭雪様に俺は苦笑いを返しつつ思春を連れて今度こそ玉座の間を後にする。

 

 やれやれ。

 長子の面倒を任されるほどに信頼されていると前向きに考えるべきか、面倒事を任された事を嘆くべきか。

 

 俺は複雑な胸中に蓋をして、己の部隊を招集するべく回るべき場所を頭に列挙しながら歩き出した。

 

 


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