乱世を駆ける男   作:黄粋

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遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
今年もこの作品をよろしくお願いいたします。


第六十一話

 予定通りに戻ってきた激とのやり取りは何の問題もなく終わり、俺たちはその翌日には遠征に出立する事になった。

 話を聞いた限り、散発的な賊の襲撃はあったが全て蹴散らしている。

 いずれもが大した集団ではなく、余所の土地から流れてきた者たちだったと聞いている。

 賊の証言によれば手頃な邑は貧困で奪える物が無く、仕方なしに他の領土まで足を伸ばしたのだという。

 『余所より建業の邑の方が賊達に魅力的に見える』という推測の信憑性がかなり上がったと思っていいだろう。

 無論、賊の言葉を全面的に鵜呑みにすることは出来ないが。

 そんなこんなで遠征情報共有を終え、準備を整えた俺たちは遠征当日を迎えている。

 

 

「じゃあ行ってくる」

「気をつけろ、駆狼。奴ら、数だけは多いし統制なんざ取れちゃいないから一気に壊滅ってのが難しいぞ」

「ああ。お前が掴んできた情報、無駄にはしない。だから激、お前は塁にしっかりついていてやれ」

「言われなくても、だ」

 

 互いの右拳をぶつけ合い、俺たちは笑い合った。

 

「駆狼、気をつけてね」

「ああ。陽菜もな。玖龍、奏、行ってくるよ」

 

 陽菜を軽く抱きしめ、母さんと父さんに抱きかかえられてこちらを見つめている息子達の頭を撫でる。

 

「蓮華嬢、小蓮嬢。行ってきます。土産話に期待していてください」

「叔父様、お気をつけて」

「面白い話期待してるからね、駆狼!」

 

 対照的な姉妹の言葉に律儀に頷き返した。

 

「駆狼殿。ご武運を……」

「冥琳嬢も。根を詰めすぎて無理をしないようにな」

 

 俺がいない間に文官としての風格を身につけた無理しがちな少女には苦言を呈しておく。

 

「成果を期待しているぞ、駆狼」

「必ずや」

 

 君主との短いやり取りを最後に俺は振り返って歩き出す。

 

 横には俺同様に出立の挨拶をしていた雪蓮嬢の姿がある。

 蓮華嬢、冥琳嬢に釘を刺され、小蓮嬢に無邪気に土産を頼まれ、蘭雪様には背中を叩かれるなんとも彼女らしい挨拶だった。

 

 街の内外を行き来する見上げるほどに大きな門を出る。

 関所の番兵たちにも「ご武運を!」と言われ、敬礼をもってそれに応えながら外へと出る。

 建業のすぐ外、そこには既に出立準備を整えた部隊の皆が待っていた。

 

 思春と麟、弧円、豪人殿。

 

 俺は建業に戻ってから私的な場では彼女らを真名で呼ぶようにしていた。

 理由は彼女らに問い詰められたからだ。

 真名とは神聖な物であり、預けられると言うことは信頼の証である。

 

 では預けたはずの名が呼ばれないという事は何を示すのか。

 俺は前世に存在しなかったこの風習を言ってはなんだが重要視していない。

 ただ大切な物であるという漠然とした意識はあるので、滅多な事では呼ばないように注意してきた。

 

 部下たちに対しては特にだ。

 個人的親交がある者たちとは違い、部下たちとは私的な付き合いはあっても上司と部下という線引きがある。

 故に気をつけて呼ばないようにしていた。

 

 それが麟たちには不服というか不安だったらしい。

 

 「もしかして隊長は自分たちを心の底では信用も信頼もしていないのではないか?」と、そんな不安があったのだそうだ。

 そんな事はないとすぐにその考えを打ち消そうとしたが、一度浮かんでしまった疑念というのは厄介な物でなかなか消えはしない。

 俺が涼州に言っている間、時折、この不安が脳裏に過ぎってしまいあいつらはずっと悶々としていたらしい。

 建業に戻り、いたっていつも通りに過ごす俺を見て、麟と弧円は今までのもやもやとした気持ちも手伝って半ば勢い任せに真名の話題を出してきた。

 そして俺は請われたのであっさりと彼女らの真名を口にしたのだ。

 ある種の覚悟を持って話を振った麟と弧円はあまりのあっけなさに、間抜けな顔をして呆然としていた。

 様子を窺っていた豪人殿が心ここにあらずの彼女らを正気に戻すために俺と真名で語り合い、我に返った二人が慌てて俺を真名で呼び俺もまた彼女らに真名で呼びかけるようになった事でこの『真名を巡る部隊間のちょっとした騒動』は終わった。

 

 しかし真名という概念がない世界で過ごしてきたせいか、俺はついついこの風習を蔑ろにしてしまう事が多い。

 正確には自身の真名についての扱いが非常におざなりだ。

 麟と弧円は俺に真名を呼ばれないことを相当に重く捉えていた事にも気付かなかった。

 この風習が神聖な物であることは知っていたはずだったが、認識が甘かったと言わざるをえない。

 そもそも俺は自分から真名を許した事がほとんどない。

 思えば相手から真名を名乗られ、名乗り返して真名交換を為してばかりだった。

 これからは信頼できる人間には自分から真名を許すという事を意識してみようと思う。

 そしてもっと重要なのは既に真名を許し合っている者たちの真名は呼べる時にはきちんと呼ぶようにする事だろう。

 とりあえずは今頃、涼州で頑張ってる蒋欽、蒋一兄弟には帰ってきたら俺の方から真名で呼びかけてみようと思う。

 

「総員、敬礼!」

 

 今までの思考を脇に退け、しばらく離れる建業に向かって敬礼する。

 戻ってからこうして遠征に出るまで共に調練に励んでいた雪蓮嬢も、やや動作がぎこちないがきっちり敬礼している。

 数秒の沈黙を持って一斉に振り返り、これから俺たちが向かう先の地平線を睨み付けた。

 

「出発!」

「「「「「はっ!」」」」」

 

 俺の号令を受けて部下達は一糸乱れぬ動きで進軍を開始した。

 

 

 

 

「ねぇ、最初はどこに行くの?」

 

 進軍を開始してしばらく経ち、建業の姿が見えなくなった頃。

 徒歩、というにはいささか早いペースで歩き続ける事に飽きたらしい雪蓮嬢が、俺に実に今更な疑問の言葉を向けた。

 

「まずは激から聞いている賊が出現した付近の邑へ向かう。……と言うか、だ。どういう行動方針かは昨日伝えていたはずなのだが?」

 

 言葉の後半は「なぜ覚えていないのか?」という意味合いが含まれているが、彼女はばつが悪そうに顔を背けてしまう。

 

「ほ、他の仕事が忙しくて……」

「仕事? 仕事とは冥琳嬢を巻いて街に繰り出し、店を冷やかして回っていた事を言っているのか?」

「……」

「それとも仕事以外では塁の部屋から片時も離れない激をからかったり、蓮華嬢の鍛錬に乱入して彼女を疲労困憊にさせたりする事を言っているのか?」

 

 ここ数日の自分の行動を俺が把握している事に、明後日の方向を見ていたこの子の顔に冷や汗が浮かぶ。

 

「自分の仕事を完遂させた上で、他の者を気遣ってくれるならば俺も小言を言わないで済むのだがな」

「えっ?」

 

 何故ソレをと口では無く表情で示しながら彼女は俺の顔を凝視する。

 

「普段通りに破天荒に振る舞う事で気持ちを軽くする。雪蓮嬢にしか出来ない事だろうな。あと少なくとも、激と塁はその気遣いに気付いているぞ」

 

 「変なところで不器用だよな、次期君主様は」とは激の言葉だ。

 その辺りも包み隠さず全て伝える。

 するとどうやら雪蓮嬢は自分の気持ちに気付かれているとは思っていなかったらしく、非常に珍しいことに耳まで真っ赤にして俯いてしまった。

 

「上手く隠しているつもりがばれてしまっていて恥ずかしさ半分、自分の事をわかってくれて嬉しさ半分と言ったところか?」

「冷静に分析しないでくれないっ!?」

 

 ばっと顔を上げて叫ぶ雪蓮。

 彼女は俺にしか意識が向いていないようだが、今は行軍中である。

 俺たちは二人並び立って歩いているが前後にはもちろん部隊の皆がいる。

 今までの会話は筒抜けであり、それはつまり雪蓮の気遣いが近くにいる者たちには知れ渡ってしまったと言うことでもあるのだ。

 

「雪蓮様、皆さんを振り回しながら気を遣っていたんですね」

 

 麟は感動し目をキラキラと輝かせながら雪蓮嬢を見ている。

 

「ふふ、そのようなところは若き日の蘭雪様にそっくりですな」

 

 豪人殿は彼女の様子に蘭雪様を思い出してどこか懐かしげに頬を緩めていた。

 弧円と思春は行軍を先導する為に先頭を歩いている為、隊列の中央にいる俺たちの会話は聞いていないが他の部下達が伝えてしまうだろうから、この事が知れ渡るのは時間の問題だろう。

 

 雪蓮嬢は先ほどまでと違い、羞恥一色で赤面し何かを堪えるようにぷるぷる身体を振るわせている。

 何かもう一押しあれば爆発するだろう事が容易に察することが出来た。

 

「最初の目的地までは二日後の朝に到着する予定だ。無駄に体力を減らして予定を遅らせる事の無いように」

 

 素知らぬ振りをして釘を刺すと、雪蓮嬢は自分がおちょくられた末のあからさまな話題転換にすねてしまい、口をアヒルのように尖らせて俺を睨み付ける。

 頬が赤いままなので怖くもなんともない。

 

「く~ろ~う~、あなたね~!」

 

 爆発寸前だったところの機先を制されてしまった彼女の不満げな声音に俺は思わず笑みを浮かべる。

 隊の皆との雑談混じりの行軍は予定通りのペースで進み、想定した期日通りに邑に到着した。

 

「野人、ですか?」

「はい。つい先月、この邑の北にあります森に住み着いた人間がおりまして。村人の何人かが森に木の実や野草を取りに入ったところを襲われました。襲われた者の話では「出て行け」としか言わず、一人きりで逃げる者を追うことはしなかったため、賊とは違うと思われます。追い返される以上の被害がありませんので」

「それで野人と」

「はい。しかしどうやら森を自身の縄張りとしたようでその出来事の後から森に入ろうとする度に石や硬い木の実を投げられ追い返されてしまうのです。これからの冬を考えるとあの森が使えなくなるのは……」

「なるほど。わかりました。我々の方で対処いたします」

「おおっ! ありがとうございます!!」

 

 まさか到着してそうそうに厄介事に見舞われる事になるとは思わなかったが。

 


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