乱世を駆ける男   作:黄粋

73 / 122
第六十六話

 建業周辺に集まっていた賊は壊滅させた。

 俺たちは確かな達成感を胸に、建業への帰路についている。

 俺の背には少しの間、離れていた時間を埋めるように子烈がしがみついて離れない。

 

 もう既に背中にこの子が張り付いている状態は、見慣れられてしまっている為に誰もが微笑ましげに見るようになっていた。

 別に嫌というわけではないが、この状態のままにしておくのも問題だろう。

 かといってすぐにどうこう出来るような案があるわけでもない。

 今までの境遇と相まって今はただこの子のやりたいようにさせる事にしよう。

 

「ねぇ、ちょっと駆狼~~」

 

 暇潰しがてら色々と考え事をしていると隊列の後ろから俺を呼ぶ情けない声が聞こえてきた。

 あえてその声を無視してずり落ちそうになった子烈を背負い直す。

 

「うーー?」

 

 情けない声の主に応えなくていいのか、と聞くかのように服を引っ張る子烈。

 無視し続けるのはこの子の教育に良くないか。

 

 俺は溜息を一つこぼすと後ろで行軍時に水を入れておく大きな水瓶を背負って歩いている雪蓮嬢に顔を向けた。

 

「勝手に離れちゃったのは謝るからもういいでしょ~。なんかこっちを窺ってる怪しい子がいたんだもん、何してるか聞こうとしたら逃げられちゃったし、そんなの追いかけるしかないじゃない~~」

 

 雪蓮嬢は本拠地への襲撃の際、俺と分かれて数人連れて洞穴の外に張り込んでいた。

 手筈通りに賊を拠点から追い出し、逃げ惑う奴らを叩く段階で飛び出す想定だったのだがこの娘はその時、別の場所にいたのだ。

 有り体に言えば伝えていた指示を無視しての独断行動である。

 今やっているのはそれについての罰の一環だ。

 

「怪しい人物を追う事その物は構わない。ただその事を俺たちに伝令するのを忘れて追いかけっこに夢中になり、挙げ句に撤収準備が終わっても戻ってこなかったのは見過ごせん。建業まで水瓶背負い行軍は変わらんぞ」

「え~~」

 

 報告、連絡、相談は軍人だろうと社会人だろうと基本的な事だからな。

 

 唇を尖らせてぶーぶー言っている雪蓮嬢を無視して歩く。

 俺たちは賊の火葬後にも姿が見えない彼女を「あの病気のせいで我を忘れてどこかに行ったのでは?」と心配していた。

 国境が近かったと言うのもあり、もう少し戻ってくるのが遅ければ捜索隊を組むという所まで話は進んでいたんだ。

 けろっとした顔で戻ってきても、事が大事になる所だった罪は無くならん。

 

「も~、伝令送らなかったのは悪かったってば駆狼~~。あの子、すばしっこいだけじゃなくて気配を消すのが凄く巧かったんだもの。こっちに探りを入れてるどこかの間者だって思ったのよ。結局、逃げられちゃったけど……」

「小柄で腰まで届く長い髪、細長い形状の剣らしき獲物を鞘に入れて背負っていた女の子、だったか?」

「そうそう。私と駆狼が鍛えた数人とで追いかけたのに逃げ切られたの。……勘で何度か追いついたんだけど、すぐに視界から消えちゃうのよ? 明らかに只者じゃないじゃない。だからこそね、ちょっと熱が入っちゃったというか……」

「付いていった者たちからは確実に病気が発症していたと聞いているぞ。剣片手に殺気振りまきながら追いかけ回されてその子も運が無いな」

「ちょっとちょっと! なんでその子に同情してるのよ!」

「同情はしていない。ただ発症している時の雪蓮嬢はそれだけおどろおどろしい雰囲気を出しているのは事実だ。止める方の身にもなれ。……そりゃあ逃げる方も必死になるだろうさ」

 

 周りに視線を向ければ、うんうん頷いている者の多いこと多いこと。

 

「うう……。なによなによ、もう!」

 

 部下のほとんどが俺に同意している様子にとうとう涙目になる雪蓮嬢。

 建業の若者たちの中では冥琳嬢と並んで最年長であるこの子はおちょくる側に回る事が多い。

 だからこうしておちょくられる側になるというのも良い罰だろう。

 まぁこれはあくまで個人的なお仕置きで、水瓶行軍は建業まで続けさせるのは変わらないんだが。

 

「まぁ冗談はこれくらいにするとして。だ。あの状態の雪蓮嬢を撒くほどの能力を持った間者。あの男以外でそんな奴がいるなら放置するわけにはいかないな。戻ったら調べるとしよう」

 

 思い浮かぶのは見えているのかすらわからない狐目で薄く笑う顔。

 荀家当主の荀爽や荀毘からの密使を請け負い、ふらりと兵士たちや町民たちに紛れて現れる。

 俺が知る限りで最も優れた隠密能力を持つ男、周洪。

 

 まさか関係者か?

 

 先も言ったように雪蓮嬢を撒ける時点で並大抵の腕じゃない事は確定だ。

 そして今まで捕られてきた間者で最も腕の立つ者は周洪で間違いない。

 次点で華琳の所の間者だが、周洪との間にはかなりの実力差がある。

 なにせ華琳たちはもちろん奴以外の間者には市街までならともかく城内への侵入は、俺が知る限り一度として許していない。

 しかし周洪はこちらがどれだけ警戒しようとも最終的に潜入されてしまうこと数知れず。

 蘭雪様や雪蓮嬢の勘も周洪の発見に役立つ事はあっても、潜入を阻めた事はない。

 

 今回、雪蓮嬢が追いかけて取り逃がした少女はその実績から見るに周洪未満、華琳たちの間者以上の実力を持っているという事になる。

 安易に繋げるのは良くないが……可能性として考えておく必要があるだろう。

 やはりなるべく早めの調査が必要だな。

 

 

 任務が終わった余韻も冷めぬまま、増える新たな懸念事項に俺はそっと溜息をこぼしながら子烈を背負い直した。

 

 

 

「あ、あの、すみません」

 

 あと数日で建業に到着するというところまで来た日の夜。

 子烈を寝かしつけて報告用の竹簡の内容を精査していたところで、天幕の外から声をかけられた。

 

 聞き覚えのない少女の声だ。

 俺は即座に子烈を背に庇うように立ち、天幕の入り口を睨み付ける。

 

 俺がいる天幕は部隊の中央に位置し、ここに辿り着くには周囲で寝ずの番をしている部下たちの目をかいくぐらなければならない。

 だというのに周囲からは侵入者が出たと騒ぎ立てる様子はない。

 つまりこの子は誰にも見つからずにこの場所に到着したという事になる。

 警戒は当然の事だった。

 それでも侵入者が来たことを大声で叫ばなかったのは、あちらに敵対する意図が見えなかったからだ。

 

 仕事に集中していたとはいえ、俺自身も声をかけられるまで彼女の存在に気付く事が出来なかった。

 不意打ちしようと思えばいくらでも出来たはずの状況で、あえて声をかけてきたという事は襲撃とは別の意図があるはずだ。

 

 俺は慎重に言葉を選び、外の誰かに声をかける。

 

「君は誰でどういった用件だ? わざわざ天幕に近付くところで気配を出して声をかけてきたんだ。どこぞの間者が夜襲してきたという訳ではないのだろう?」

 

 天幕内には蝋燭立てが一つあり、やや大きめのソレの灯火で周囲を照らしている。

 その灯りによって天幕のすぐ外にいる声をかけてきた誰かの影が揺らめきながらもよく見えた。

 

 長い髪に小柄な体躯、背に背負われた獲物らしき物は俺の記憶にある刀、それも日本刀に近い形状をしているようだ。

 これらの特徴は雪蓮嬢が話していた少女と一致する。

 

「えっと……私は周勇平の娘で姓は周、名は泰、字を幼平と申します。夜分に申し訳ありません。本日は凌刀厘様にお願いがあって参りました」

「……」

 

 ずいぶんと丁寧だが弱気な印象を受ける話し方をする子だな。

 そしてこの子の言葉を信じるならば、この卓越した隠行は周洪譲りという事になる。

 以前、関係者かもしれないという推測は立てていたが当たりだったようだ。

 

「お願いというのはあの男から俺に、という事か?」

「い、いえ私のお願いも入っていると言いますか……不躾なお話で大変恐縮なのですが」

 

 要領を得ない説明だが、どうも腰を据えて話した方が良い話題らしい。

 とはいえ未だに警戒は解けない。

 

 なぜなら彼女はわざわざ姿を隠して俺に会いに来たのだから。

 含むところが無いなら普通に見張りに立っている兵士に声をかけて、俺に報告が行くのを待つのが常道。

 そうでなくても昼間の行軍中にでも声をかければいい。

 あえて俺だけと話をしようとするところの意図が俺だけを狙った回りくどい暗殺ではないという保証はないんだ。

 

「なぜわざわざ俺以外に姿を眩まして接触してきた?」

 

 揺さぶりもかねて直球で尋ねてみる。

 すると天幕の外の影はぶるりと身を震わせた。

 

「あ、あの私。何日か前は昼間に時期を見て接触しようと思っていたんです。ただ、その……孫伯符様に見つかってしまって。事情を話そうと思ったんですけど、何でか非常に殺気立ってらっしゃったので話を聞いてもらえないと思って思わず逃げてしまい……その、追ってくる時の伯符様があまりにも恐ろしい形相で、何度かお付きの兵士さんたちに先回りされて掴まりそうになったりしたので……面と向かうのが少し怖かったと言いますか」

「……なるほどな」

 

 説明するうちにその時の光景が頭を過ぎったのか、身体が寒さを訴えるかのように震え始め、説明の声も心無しか涙声になっているように聞こえた。

 なるほど、あの子の狂乱状態と部下たちに追い込まれた事が原因か。

 追われた事自体はこの子の自業自得と言えるが、狂乱状態の雪蓮嬢に関しては申し訳なさを感じる。

 彼女のあれについては落ち着くまではこちらでフォローする事になっている。

 ある意味ではこちらの監督不行き届きと言えるだろう。

 

「事情はわかった。その背中の武器を天幕の外に置くのであれば入ってくるといい」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 中に入れる事がそんなに嬉しいのか、弾むような声で礼を言うと彼女は躊躇いなく背中の武器を地面に置いた。

 これが演技なら大したもんだ。

 

「失礼いたします」

 

 そっと天幕の出入り口から入る少女。

 歩く際の足音は無く、その所作には隙が無い。

 武器が無くとも油断できる相手ではないのだと再認識し、一先ず眠っている子烈を背に庇うように座り、対面に座るように促す。

 

 素早く腰を下ろすと少女はほっと息を付く。

 俺は水瓶から柄杓で中身を椀に注ぎ、自分と少女の前に置いた。

 

「ここまで緊張しっぱなしだったんだろう? これでも飲んで気を静めるといい」

「あ、あの。お気遣いなど不要です! こんな夜更けに訪ねた私などに」

「構わん。伯符の癇癪もどきを放置していたのはこちらの責任だ」

 

 こちらとしては気遣いの一環として出しただけで、飲まないならばそれで構わないからな。

 しかしこの子が飲みやすい状況を作る為に、自分の椀に口を付け毒など入っていない事は示しておく。

 俺が飲んだのを見届けると彼女は椀を両手で大事そうに抱えて口を付けた。

 相当に喉が渇いていたようで、嚥下される様子が妙に力強く見える。

 

「さて用件を聞こうか」

 

 椀の中の水を全て飲み干すのを待ち、落ち着いたのを見計らって声をかける。

 

「はい」

 

 居住まいを正し、少女は一介の兵士へと意識を切り替えた。

 この子が『周泰』か。

 

 

 周泰幼平(しゅうたいようへい)

 史実では孫策の頃から仕えていた側近。

 孫権に気に入られ、彼の配下に収まって様々な成果を上げる。

 最たる物としては孫策が江東を平定した事で放逐されたことを恨んだ袁術の襲撃からその身を挺して孫権を守り抜いた事だろう。

 その際に全身に十二もの傷を付けられたが、それでも赤壁の戦い、劉備たち蜀漢との激突など様々な戦いに参戦し続けた剛の者。

 その傷がもたらした孫権との絆はとても深く、周泰を軽んじていた武官たちを孫権が傷の由来を教えて説き伏せたと言われている。

 

 

 強者ではあるんだろうが、イメージが真逆過ぎるな。

 そんな意味のない感想を心中で呟きながら俺は目の前にいる周泰の言葉に耳を傾けた。

 

 そして翌日。

 

「新しく建業に仕官する事になった周幼平だ。正式な仕官は建業に戻ってからになるが仲良くしてやってくれ」

「若輩者ですが皆様よろしくお願いいたします!!」

 

 行軍の準備が終わり、いざ出発というところで周泰嬢を紹介した。

 俺の紹介を受けて礼儀正しく勢いよく頭を下げる周泰嬢。

 

 部下たちは例外なくぽかんとした顔で俺と頭を下げている周泰嬢を交互に見つめている。

 雪蓮嬢の動揺は特に酷く、水瓶を背負った状態で周泰嬢を指差して口をぱくぱくさせていた。

 

「ええええええええっ!?!?」

「なぁああああああっ!?!?」

 

 雪蓮嬢と思春の甲高い声を皮切りに荒野の真ん中に部下たちの驚きの声が響き渡った。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。