乱世を駆ける男   作:黄粋

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第六十七話

 涼州往復の旅路に比べれば遙かに短いおよそ一ヶ月の遠征。

 それを終え、頼もしい部下として周泰を新たに加えた俺たちは建業へと帰還した。

 

 まぁ帰りの行軍で周泰を勝手に配下に加えた事については雪蓮嬢や思春から物言いがかかったが。

 

 思春は周泰を親の敵と言わんばかりの態度で警戒していた。

 この子の隠行に気付けなかった自分のミスをかなり重く捉えて警戒心やら出し抜かれた不甲斐なさやらで八つ当たりも入っていたと思う。

 その様子を見て俺は気を許しあうにはそれなりに時間がかかるだろうと思っていた。

 いたんだが。

 

「ふむ、やはり周泰の隠行は凄いな。少し視線を外すだけでこんなにも容易く視界から消えるとは……」

「む、昔から父に人の死角を探る癖を付けるようにと言い聞かせられてきましたので」

「やはり日々の積み重ねが大切なのだな。どういう鍛錬をしていたか教えてもらってもいいだろうか? もちろん一族の秘伝だというなら無理にとは言わない」

「確かに全てを教えるという事は出来ません。ですがどういうところが死角になるのか、などの基本を教える事は出来ます。それでよろしければ……」

「本当か! いや、しかし私ばかり教えてもらっては申し訳ない。周泰、お前の方から私にやって欲しいことはあるだろうか?」

「え、えっと……では基本を教える代わりに私の鍛錬相手になってもらえませんでしょうか? 私は父から仕込まれた隠密行動にこそ自信がありますが、恥ずかしながら真っ向からの打ち合いの経験が少ないんです」

「そうなのか? わかった。私で良ければ」

 

 それが建業に着くまでの僅かな間にこうなった。

 思春の殺気立つ様子は鳴りを潜め、積極的な交流を図っている。

 

 俺が建業に戻ってからの段取りを豪人殿としている間に一体何があったのか。

 

「あ~、あの二人はですね隊長。自分の父親の話ですごい盛り上がったんですよ。いやぁ話を振ったのはあたしですけどあんなに上手くいくとは思いませんでした」

 

 疑問が顔に出ていたのか、弧円が二人が仲良くなった理由を話してくれた。

 

「お嬢が殺気立ってて周お嬢ちゃんが泣きそうになってたんでなんか話の種をと思いまして……あたしたちに気付かせずに隊長のところまで辿り着いた隠行って父親に習ったのって聞いたんですけど。そこからあの子、お嬢に怯えてたのが嘘みたいに饒舌に父親の事語りだしまして。でそれにお嬢が触発されて」

「親の事を話して語り合ううちに打ち解けたと」

「そういう事です(まぁお嬢が話していたお父さんには隊長の事も入ってたんだけど)」

 

 思春にとって父親である深桜は比肩する者などない偉大な存在だろう。

 誇らしげに父親の事を語る周泰に対抗意識を燃やしてもなんら不思議ではない。

 

「父を尊敬しているという共通点が思春の敵意を取り払ったか。良い事だ」

 

 俺は二人が打ち解けた事を素直に喜んだ。

 横で弧円が何か言いたそうにしていたのが気になったが。

 

「雪蓮嬢はどうした?」

「水瓶行軍の刑で周泰殿に声をかけるどころではないようですな。行軍の最後尾を汗水流して歩いております」

 

 気がかりその二について報告を求めると豪人殿がその様子を伝えてくれる。

 

 雪蓮嬢は人一倍大きな驚きの声を上げた後、取り逃がした借りを返そうと周泰に絡もうとした。

 しかし周泰の方が苦手意識全開で彼女から逃げてしまったのだ。

 

 その逃げっぷりは実に見事で、最初こそ見ているだけだった俺たちはその技に感服した。

 

 雪蓮嬢にどれほど追いつかれても周泰は捕まらない。

 

 身体能力では雪蓮嬢が上だ。

 それは間違いない。

 だが周泰は身体能力の差をその独特の隠行の技術で補ってみせた。

 

 わざと追いつかせ緩急を付ける事で次の行動を容易く読ませないようにされた動き。

 視線や身体の向き、動きその物で相手を誘導する見ている側だからこそわかる無言の駆け引き。

 

 一朝一夕では決して出来ない、身体に叩き込まれた技術。

 そこには何が何でも生き延びるという思想が見え隠れしていた。

 

 そんな彼女の技に俺は柄にもなく見惚れていたと言っていいだろう。

 

 しかし一度逃した屈辱を晴らすべく襲いかかっても尚、翻弄されているという事実に雪蓮嬢は自身の中の鬼とも言うべき性質の火を点けてしまった。

 まぁ火が点いたと同時に俺が組み伏せて水を差したので大事には至らなかったが。

 

 とはいえこれ以上はまずいと思って止めたのだが、一度そうなると自力で止まれないのが雪蓮嬢だ。

 水瓶行軍の刑で溜まっていたのだろう鬱憤も相まって標的を俺に変えて襲いかかってきた。

 

 なんとか鎮圧し、暴走のペナルティとして水瓶を二つに増やしての行軍を言い渡して今に至る。

 水瓶一つでもそれなりに体力を消耗していたが、それが二倍になったのだ。

 流石の彼女でも周泰にちょっかいをかける余裕は無くなったのだろう。

 

 

 そんな騒動を挟みつつ、俺たちは遠くに見え始めた建業への帰路を変わらぬペースで歩き続けた。

 さほど長くもない遠征ではあったが、もうすぐ帰り着くのだという確かな安堵を感じながら。

 

 少しはゆっくり出来るかという俺の思いがあっけなく砕かれると知らずに。

 

 

 

 俺は建業に戻ると、部隊には兵舎での待機を命じさっそく蘭雪様に遠征の結果報告に向かった。

 現在、玉座の間に集まっている人間は蘭雪様、冥琳、激、老先生のみだ。

 雑務を文官たちに任せてどうにか必要な人間だけをこの場に集めたと聞いている。

 陽菜は子供たちが珍しくぐずってしまったらしく、母さんと一緒にあやしているらしい。

 

「こちらが周泰から預かった周洪……元を辿れば荀家当主荀爽からの書簡となります」

 

 賊討伐の報告を終え、一番最後に回していた事柄に触れる。

 当事者である周泰以外の部下たちの誰も知らない事。

 

 彼女の用件は建業への仕官の他にもう一つあったのだ。

 それがこの書簡を孫文台に届ける事。

 俺はその辺の事情を彼女から聞いた上で書簡を預かり、主に必ず届けると約束していた。

 

「ふむ。あの化生じみた男からの書簡か。嫌な予感しかせんな」

「しかしかの者の情報は良い事であれ悪い事であれ我らにとって有益でありましょう。君主様が嫌な予感がするというのならば尚の事、内容を検めなければなりますまい」

 

 俺が差し出したそれを老先生はそっと受け取り躊躇いなく開く。

 主に渡すにあたって念のために仕掛けの有無こそ確認したものの、内容までは俺も知らない。

 

 読み進めるうちに老先生の顔はどんどん険しさを増していく。

 一体どんな悪い事が書かれていたのか

 俺たちもまたいつになく鋭い目で黙読する彼女を緊張した面持ちで見つめる。

 やがて彼女は持っていた書簡を畳むと、それを『俺』に渡した。

 

 待て、渡す順番がおかしい。

 

「なぜ蘭雪様より先に私にこれを……?」

「……君主様へは私から一字一句違えず説明いたします。貴方はどこか広い場所でそれをお読みなさい」

 

 その言葉が俺への気遣いなのはわかる。

 しかし意図が読めない。

 これに何が書かれていると言うのか。

 

「普段、偏屈で礼節や形式に五月蠅いこいつがそんな事を言うんだ。言う通りにしておけ。私が許す。それがいいんだろ?」

「ええ。恐らくは」

 

 なにやらわかり合っている蘭雪様と老先生。

 俺は嫌な予感だけを増大させ、結局は言われるがままに玉座の間を後にした。

 

 

 そして俺は持ってきた竹簡を読み進め、そして老先生の気遣いの意味を知る。

 老先生は俺が書の内容に怒り狂い、感情のままに玉座の間の物に当たり散らす事がないようにあの場から遠ざけてくれたのだと言うことを。

 

 

 この日、城中に轟音が響き渡る事になる。

 

 慌てて駆けつけた者たちはすり鉢状に空いた大穴と、右手から血を流しながら鬼のような形相をした俺を見た事だろう。

 

「桂花……」

 

 竹簡に書かれていたあの子の『人質としての上洛』、そして『彼女の母親の毒殺』、さらに『あの子と荀毘の家の全焼』。

 それらは俺に今世で三指に入るほどの激情を、何も出来ない自分自身に対する憤怒を抱かせた。

 

 自分自身でも驚いている。

 俺は確かに『あの子に幸せを』と祈っていた。

 しかし敵対する事になろうとも仕方ないと割り切っていたはずだ。

 『そのつもりでしかなかった』と言うことなんだろう。

 

 事の次第を知って頭が真っ白になった。

 

 その後の事はよく覚えていない。

 ただ陽菜に引っ張られて自室に戻り、傷の手当てをされてそのまま眠った……らしい。

 

 

 翌日、朝のランニングに向かうと部隊の皆が気を遣ってくれた事が隊長として情けなくて申し訳なくて、しかし俺個人としてはただただありがたかった。

 

 

 桂花。

 いつか必ず助けに行く。

 だからどうか、それまで己を見失わず生き続けてくれ。

 

 悪辣無道な十常侍が全てを牛耳っている都に人質として送られて無事に済むはずがないとわかっている。

 それでも今の俺には願う事しか出来ない。

 

 それが何より不甲斐なく悔しかった。

 

 

 

 駆狼が去った後、事の次第を老先生が語る。

 そしてなぜあいつを追い出したのか理解出来た。

 

 桂花ちゃんが都に連れて行かれた。

 普通なら栄転って奴なんだろう。

 だがその実体は荀家に対する人質で、碌な扱いは望めないんだと。

 挙げ句、お母さんは殺されて家も原因不明の火災で焼け落ちたと来た。

 

 桂花ちゃんを我が子も同然に接していたあいつが知ればどうなるか。

 怒るのは間違いないと思う。

 だがあいつがどういう行動に出るか俺にはわからなかった。

 

 あいつは小さい頃から妙に落ち着いていたから。

 怒鳴る事はあるし、怒る事もある。

 しかしそれでもどこか冷静ですぐに感情を抑えちまう。

 今回もそんな風に怒りを抑え込んじまうんじゃないだろうか、ってそう思っていた。

 

 そんな事を考えながら蘭雪様たちと今後の事を話し合っていると。

 

 大銅鑼でも出せないだろう轟音と共に大地が揺れた。

 

「「なんだ!?」」

「近いぞ、庭か!?」

 

 冥琳様と老先生が驚きの声を上げ、蘭雪様が場所を推測する。

 俺はいち早く音源の方向に駆け出した。

 

 場所は蘭雪様が言った通り、城内の庭だった。

 そこには大穴が空いていた。

 

 何かが破裂して周囲を吹き飛ばしたような大穴。

 そしてその穴の中心には右手から血を滴らせた駆狼がいた。

 その様子は先の轟音があいつが右手で地面を殴りつけた物だと示していた。

 

「……」

 

 あいつは何も喋らない。

 その形相は幼馴染みである俺たちの誰もがおそらく見た事がないほどに怒り猛っていた。

 

 あんな表情の奴の事を『修羅』って言うんだろうな、って驚きで棒立ちになりながらぼんやりと考える。

 

 警邏の兵たちが武器を片手に集まってきた。

 皆、庭の有様と駆狼の様子に困惑しその形相を見た中には恐怖で顔をこわばらせている奴もいる。

 その中には思春嬢ちゃんを初めとしたあいつの部隊の連中も、蓮華様や雪蓮様、冥琳様たちもいる。

 だが誰もがあいつの様子に驚き気圧されて話しかける事が出来なかった。

 

 蘭雪様ですらそうなった。

 

 あいつは周りがざわついている事に気付いた様子もなく右腕を振り上げる。

 目の前の大穴を開けた一撃がもう一度来ると思い、周りで様子を窺っていた奴らは例外なく身構えた。

 俺は気圧されていた足を無理矢理踏み出しながら叫ぶ。

 

「よせぇっ!! 駆狼! あんな威力の拳をまた地面にぶつけたらお前の手が壊れちまう!」

 

 あらん限りの声で駆狼を止める。

 殴りつけてでも止める覚悟で拳を握り締めながら。

 

 だが俺があいつの元に辿り着く前に陽菜様があいつを後ろから抱きしめた。

 駆狼の右手が振り下ろされる事はなかった。

 

「駄目よ、駆狼。それ以上は駄目」

 

 小さいが、強い意志が込められた言葉。

 駆狼は握り込んでいた右手を力無く下ろした。

 

「部屋に戻りましょう。怪我の手当もしないと、ね?」

 

 優しく、しかし有無を言わさない言葉に駆狼は心ここにあらずの状態のまま従って移動していった。

 俺はその力の抜けた背中に声をかける事が出来なくてただ見送る。

 

 

 何が怒りを抑え込んじまうんじゃないだろうか、だ。

 自分の楽観的な推測に舌打ちし、拳を握り締める。

 

 あいつがこうなっちまうのは当たり前だろう。

 あの子の幸せを誰より願っていたのはあいつなんだ。

 実の子供とも遜色ないくらいにあの子を大切に想っていたんだ。

 

 自分ではあの子を助けられない。

 そんな自分の無力さが何よりも許せなくて、自分の身体に八つ当たりしちまうくらいに。

 

 『今も』あの子を大切に想っているんだ。

 

 親友の心根を軽く考えていた自分が腹立たしくて仕方ねぇ。

 けどそんな内心に蓋をして、俺は事態の収拾に取りかかった。

 

 あいつの無念が滲み出たその背中を胸に刻みながら。

 都を我が物顔で牛耳る顔も知らない宦官どもへの怒りを燃やしながら。

 


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