乱世を駆ける男   作:黄粋

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今年最後の投稿となります。
更新がまちまちのこの作品にお付き合いいただき本当にありがとうございます。
来年も今作をよろしくお願いします。


第六十八話

「ふん!」

 

 俺は握る拳で何もない空間を裂く。

 正しい構えからの正拳突きを何度も何度も何度も何度も。

 

 桂花の件から早数日。

 俺はそれから毎日、日が昇り始める頃合いにただただ無心で拳を振るう時間を作っていた。

 

 この行為は俺にとって『自分の中の怒りと向き合う時間』だ。

 

 今すぐにあの子を助ける事が出来ない事への怒り。

 権力によって横暴がまかり通る都の、いや中華の現状への怒り。

 理不尽に立ち向かう力が無い自分への怒り。

 

 その他様々な怒りに拳を振るう事で向き合う。

 そして決意を新たにする。

 

 俺が前世で戦後に作った格闘技団体、ただの青空道場から皆の力で一つの流派となった『精心流』。

 我流で知りうる格闘技をすべてちゃんぽんしたようなソレは本当ならば流派などととても言えないものだっただろう。

 しかし唯一掲げた表題『昨日の己に克つ』という言葉。

 その言葉だけはあの頃から死ぬまで、そして生まれ変わった今でも尚、胸を張って掲げている。

 その言葉に俺は救われて、その言葉で立ち上がる人がいて、その言葉に集まった人たちがいたんだから。

 

 

 俺は桂花の一件を鑑みて一度初心に戻ることにした。

 怒りに任せて庭を破壊してしまったのは、俺が自分自身の心を正しく理解していなかったからだ。

 

 だからこうしてゆっくりと型を繰り返す中で自分の心と向き合うことにした。

 今も尚決して収まらない怒りや他の感情と向き合い、それらを理解する。

 これは鍛錬では無い。

 自分自身を理解する為の、いわば儀式だ。

 

 しかし最近、思春や部下たちや明け方の巡回の兵士たちが俺を見張っている姿を見かけるようになった。

 傍目から見て奇行に走っているように見えるから仕方ないと言えば仕方ない。

 心配をかけているんだろう事はわかっているが、俺にとってこの行為は必要な事だ。

 迷惑をかけているがやめるつもりはない。

 

 どうせ時間を使わせてしまうなら今度から俺を窺っている連中を鍛錬に誘ってみるか。

 ただ俺を見ているだけでは退屈だろうし、それだけで時間が過ぎてしまうのは勿体ない。

 

 こうして俺の朝の儀式は、数日とかからず希望者による朝の鍛錬の場と化していく事になる。

 その中にいた見知らぬ少女があの『趙雲』であると知る事になるのはもう少し先の話だ。

 

 

 

 私は建業に来るまで自分の武に自身を持っていた。

 真面目に売り込めばあちらから仕官の話をよこすだろう、と思うくらいには。

 そんな私を徳謀殿は制圧するのに兵士三人いれば十分だと言い捨て。

 手合わせをしてみれば結果はまさにその通りになった。

 

 悪い夢だと思った。

 一対一ならば倒せると確信している相手が三人に増えたところでどうだというのだ、などと高をくくっていた。

 結果、彼らの息の合った連携に容易く破れてしまう。

 連携を断ち切り各個撃破すればいいと攻め立てたが、それがまったく出来なかったのだ。

 

 終わって気付く。

 

 一対一ですら倒せると言っても一蹴出来るほど彼らは弱くないと知っていたはずなのに、なぜ三人に増えたところでどうとでもなるなどと思ってしまったのか。

 

 その日は宿で寝ることが出来なかった。

 目を瞑ると手合わせの光景が思い浮かび、負けた悔しさや自分の不甲斐なさで目が冴えてしまったのだ。

 

 だが日の出までの長い時間、手合わせの内容を思い返し続けたお陰で私は目を反らしていた事実をしっかりと見定める事が出来た。

 私は油断していたのだ。

 私は慢心していたのだ。

 私は驕っていた。

 

 その結果の敗北。

 なまじ今まで敵無しだった為にこんな簡潔な結論を出すのにも夜通しで悩み続けなければならなかった。

 

 しかし認めてしまえば後は簡単だった。

 兵士たちに徳謀殿に自分の言動や愚かな態度を謝り、自分を鍛え直すためにも一兵士としての雇用を改めてお願いした。

 

 私の熱意が通じたのか話はあっさり通り、徳謀殿のご厚意で兵士たちがやっている鍛錬に参加出来るよう取りはからっていただけた。

 訓練の内容は地味だが身体全体を余すこと無く酷使する苛烈な物で、私は体力が続かずに息荒く顔も上げられない無様を晒した。

 同時に建業の兵士たちが屈強な理由が理解できた。

 これを日常的に続けていれば武の才覚の有無など関係なく一定の水準まで鍛え上げられるだろう、と。

 

 

 日々の城下巡回で同僚となった者たちとはそれなりに打ち解けられたと思う。

 私がどういう経緯で今の仕事に就いたかなんて知っているだろうに、彼らは気にした様子もなく私をその和に入れてくれた。

 

 器の差を思い知った気がした。

 

 まったく。

 この場所は自分を甘やかしていた私にはひどく手厳しい場所だ。

 だが私は今、この場所にいられる幸運に、徳謀殿を筆頭とした健業の方々の温情に感謝している。

 『自分が未熟である』という事実を突きつけ、それだけでなく自分を鍛えられる場を与えてくれたのだ。

 仕える場所としては、まだわからない。

 ただその温情には応えなければならないとそう思っている。

 

 

 

 さてそんな決意と共に建業での日々を送っていた私だが。

 日も昇り切らないほどの早朝にとある御仁の稽古を建物の影から窺っていた。

 

 御仁の名は凌刀厘。

 この建業にて孫呉四天王と称される方のお一人であり、建業の双虎の懐刀とまで言われている方だ。

 私がこの地にきて出会った徳謀殿とは故郷を同じくする幼馴染みであり、武芸を磨き合う好敵手なのだと巡回仕事をしていて仲良くなった同僚から聞いている。

 

 そんな方が賊討伐の遠征から戻られたと聞いた時、私は当然のようにその姿を一目見ようとした。

 結局お帰りになられたその日に出会う事は叶わなかったが。

 

 翌日、同僚に巡回中に何やら良くない情報をお聞きになったかの人物が中庭に大穴を空けたと聞かされた時は耳を疑った。

 同僚たちは事の経緯を細かくは知らないようだが、その様子は遠目から見ていても尋常ではなく運良く――いやこの場合は運悪くと言った方が良いか――彼の顔を見ることが出来たらしい同僚はその時の御仁の形相を思いだして青ざめていた。

 

「俺たちが知っている凌隊長って怒る時こそ静かなんだよ。出店から品物巻き上げようとした馬鹿とか食い逃げとか度が過ぎた喧嘩とか引っ捕らえた時のあの人はそりゃもう静かに淡々と説教してたし。そんなお方が……逆鱗に触れられた龍かって顔してた。何があったんだよほんと」

 

 同僚はそんな風にこぼして身震いする。

 建業の兵士たちは総じて心身共に頑強だ。

 そんな彼らが青ざめる形相とは一体どれほど苛烈な物だったのか。

 怖い物見たさの好奇心が疼いた。

 

 しかしそんな騒動があった以上、これはしばらく機会を待つべきかと思っていたのだが。

 日も上がりきらぬ頃に起きてなんとなく城下町をぶらついていた所でどこかに向かう彼を見つけた。

 

 ただ歩くだけだというのに背筋が伸びるような堂々とした姿。

 明らかに只者ではない隙のない所作。

 好奇心が疼き思わず建物に隠れて後を追った。

 

 その時は建業に仕える武官のお一人なのだろうとしか思い至らなかった。

 

 

 かの御仁は城下にある広場に着くとその場でただただ拳を放ち始めた。

 決められた型に従い拳を突き出す、槍や剣でいうところの素振りと同様の鍛錬なのだろう。

 

 彼は驚くほど緩やかな動作で腰を落とし拳を握り、拳を放つ、という動作を反復し続けていた。

 その洗練された動きに私はただただ感嘆する。

 一連の動作が驚くほどに美しかったからだ。

 放たれた拳の威力も驚嘆すべき物だ。

 

 一撃放たれるたびに空気が弾かれたように音を発てるのだ。

 遠目から覗き見ている私にすら聞こえる異音。

 

 私があの一撃を受ければおそらく骨まで粉々になるだろう事が嫌でも理解できる。

 

 

 彼は日が昇り切るよりも前に鍛錬を切り上げ、城へと戻っていく。

 私は彼に声をかけようとした。

 したのだが後ろから顔の真横に曲刀を突き出され、思わず硬直する。

 

「刀厘様をずっと窺っていたな? 何者だ、貴様」

 

 私と同じくらいの年齢の女の声。

 私はその女の気配をまったく感じ取れなかった事に戦慄して硬直した。

 そしてこの女の言葉からあの御仁が凌刀厘殿なのだと思い至った。

 

「私は建業に兵として雇われた者で趙子龍と申します。疑われるのなら徳謀殿に確認をお願いします」

 

 内心の動揺を押し殺し、努めて冷静に後ろにいる誰かに声をかける。

 なぜ今まで気付かなかったと思ってしまうほどの殺気は収まらない。

 

「……ああ。武人を自称した挙げ句、うちの兵士三人に抑え込まれたという奴か」

 

 やや考え込むように沈黙し、私の事を盛大に皮肉った言い方で伝えてくる。

 後ろの『誰か』はなかなかきつい性格の人物のようだ。

 

「はっはっは、まさにその通り。悔しさを糧に今まさに鍛錬中の身ですな」

 

 とはいえ言ってる事は尤もで否定する事は出来ない。

 だから笑いながら誰かの発言を認めると、今だに顔の横にあった刀が消えた。

 

「ふん。あの方に妙な真似をすれば命はないと思え」

 

 声はそれっきり聞こえなくなった。

 私はゆっくりと背後を振り返る。

 そこに誰かがいたという痕跡は見られない。

 

 私は額から垂れてきた冷や汗を拭うとその場で息を吐いた。

 

「本当にここは退屈しない場所だ」

 

 ただここで日々精進し続ければ、今までよりも遙かに成長する事が出来る。

 その確信を深める事が出来た。

 

 

 私はこの日から夜明け前に起きる事が出来た日は、この広場を訪れるようになった。

 どうやら刀厘殿は毎日ここに来ているようだ。

 

 そしてそんな彼を見張るように数名の兵士が私のように物陰から窺っている事にも気付いた。

 しかし見張る彼らの表情は彼を心配しているもの。

 見張りというよりはその身を案じて様子を窺っているという方が正しいようだ。

 部下たちにも慕われているという話はそこかしこで聞いたことがあるが、この様子を見ると納得だ。

 

 巡回の同僚や顔見知り程度の兵士たちもよく見かける。

 いずれも私がここにいる事を咎めるつもりはないようだ。

 

 ただ話しかけようとするとどこからか向けられる殺気混じりの視線で牽制されてしまう。

 

 話しかけるのを阻止したあの女だと思われるがそれと思しき姿はまったく見当たらない。

 しかし私が行動しようとする度に牽制されている以上、どこかで私を監視しているのだろう。

 

 本当なら今すぐあの御仁に話しかけたいのだが、これでは落ち着いた話など望むべくもない。

 悔しい限りだが今の私ではこの殺気の出所を探る事も、この監視の目をくぐり抜ける事も出来ない。

 

 だから私は話しかけるに当たって一つの目標を立てることにした。

 刀厘殿に話しかけるのは私の背後を事も無げに取り、その姿を見せることなく去って行ったあの女の気配とその姿を捉えられるようになってから、と。

 完全に無防備な背中を取られたという事実をなんとしても払拭せねばならない。

 誰かもわからないそいつに一泡吹かせた上で、気持ちよくあの御仁との会話を楽しみたい。

 

「いずれ私の方からお声をかけさせていただきます。凌刀厘殿」

 

 目標を新たに私は今日も彼の鍛錬を見学しながら、周囲へ探るべく感覚を研ぎ澄まし続けた。

 この後、同僚たちと共に刀厘殿直々に鍛錬に誘われ、目標を達成する間もなく彼と話す機会を得てしまう事になるとは思いもせずに。

 

 

 

 徳謀将軍のご厚意に甘えて建業で働き始めて数日。

 初日から色々と問題を起こした星と比べ、私と風は至って順調に頂いた仕事をこなしていた。

 

 自らを『老先生』と呼ぶようにと申しつけた老婆の文官は、私たちが客分に過ぎないと理解した上で適切な書類のみを割り振って処理させてくれている。

 渡された物は既に採択が済まされ、合意の文面を書く書類ばかりで内容も民からの陳情などの軽い物のみ。

 外部に漏らしてはいけない情報の統制は徹底されており、やらせていただいているこちらも安心して回されてきた物を処理できる。

 この方は上司として素晴らしい判断力と選別眼をお持ちだ。

 

 この数日、風はいつも通り眠そうに仕事をしている。

 しかし処理した書類に不備はなく以前に路銀稼ぎの為に仕官した先に比べれば遙かに早く丁寧に仕事をしているように見える。

 老先生の配慮とご厚意に彼女なりに応えているんだろう。

 

 私もまた彼女と同じく回されてきた書類を手早く処理する事に従事していた。

 お陰で今だ数日しか経っていないが文官の方々には良い意味で顔を覚えられている。

 余所と違い建業では文官も武官も平等に扱われており、成果には正当な評価が下されるというのは非常にありがたい。

 平等と口にするは容易いが、実行するには難しいもの。

 この場所はそういう意味では実に仕え甲斐があると言えた。

 まだ正式に仕官すると決めたわけではない身としては、この場所は非常に魅力的だ。

 

 まぁ仕えるかどうかは別として置いておこう。

 

 私は風たちと違い建業に一つの目的があってやってきた。

 私の古い友人であり、今使っている『偽名』の本来の持ち主『戯志才』の行方を知るという目的だ。

 

 あの子を攫ったと思しき集団を叩き潰し、女児を保護したという『凌刀厘』殿の話は聞いている。

 かの御仁があの子の手がかりを持っているかもしれない。

 真偽も含めてどうにかして聞き出したい。

 その為ならば身体を差し出す覚悟も出来ている。

 

 

 幼い頃、同じ年の子供が少なかった村で私と戯志才は唯一と言ってもよい友人だった。

 ところがある時、両親と数日村を空けていた間に彼女は行方不明になってしまったのだ。

 彼女の両親は泣き崩れ、方々を捜索したが手がかり一つ見つからず。

 流れの商人から女子供を狙った人攫いが出没しているという話を聞いた。

 ご両親は娘が攫われたと考え、自分たちは最愛の娘を失ったという失意のあまり床に伏せってしまい、そしてそのまま帰らぬ人となってしまった。

 

 私は戯志才が、私をさんざん振り回した元気一杯なあの子が死んだだなんて信じなかった。

 あの子は私とは比べ物にならないほどに身体が丈夫で元気な人だ。

 絶対にどこかで生きている。

 帰ってこない事には理由があるはずだ。

 もしかすれば帰り道がわからないのかもしれない。

 ならば私から探しに行けばいい。

 

 数年の日々を経て私はこうして自分が仕えるべき主を探す旅に出た。

 親から継いだこの頭脳と学び取って得た知識を武器に仕えるに足る主の元で智を振るうと決めている。

 その主を見定めるこの旅路で中華中を渡り歩けば、いずれあの子とも巡り会えるはず。

 自分の名前が使われていると知れば、あの子の事だ。

 特徴的な赤い目を怒りで釣り上げながら私の元に現れるはず。

 

 あの子に怒られたその時に謝りながら自分の名前を名乗りたい。

 そんな期待と希望がない交ぜになった想いで私はこの名前を名乗り続けている。

 あの子と再会する為ならばなんでもすると誓ったのだ。

 

 遠征から戻られたという凌刀厘殿とは今だ面会は叶っていない。

 ですが近いうちに必ずその機会を掴んでみせる。

 私は日々の雑務を丁寧に消化しながらそう決意した。

 

 ひとまずは星が既に接触しているらしいので、そちらを取っかかりに出来ないか考えてみるとしよう。

 それが駄目なら最悪、仕える際にお世話になった徳謀殿を頼る事も検討するべきか。

 

 私は接触する為の手段を仕事を片付けながら模索する。

 しかし。

 

「おう、刀厘。この子が戯志才だ。中々優秀な文官候補だってあの婆さんが褒めてたぜ」

「あの老先生に褒められるとは。それは結構な有望株だな。初めまして、この建業で武官の末席に加わっている凌刀厘だ」

「わ、私のような流れ者に頭を下げないでください!」

 

 まさか改めて決意して色々と考えを巡らせた翌日に目的の人物と引き合わされるとは思いもしませんでした。

 


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