乱世を駆ける男   作:黄粋

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第七十話

 稟たちがここに来た事は建業にとって良い意味で刺激になったんだと思う。

 趙雲、彼女の強くなる事へのひたむきな姿勢は、うちの兵士たちの元々高かった向上心をさらに高めてくれた。

 程立と稟は曲阿平定のために派遣された人員の穴を埋めて余りあるほどの働きを見せてくれた。

 

 お陰で俺たち武官が文官たちの手伝いに駆り出される事はなくなり、それぞれが己の領分に集中出来るだけの余裕が出来た。

 部隊同士での演習など大掛かりな鍛錬への着手が本格化出来るようになったのは彼女らを含めた文官勢の尽力あってのことだ。

 その事を俺たち武官はしかと受け止め、決して無駄にはしないと日々励んでいる。

 

 曲阿もだいぶ落ち着いてきたようで、近々視察として蘭雪様を含んだ何名かで訪れる事になっている。

 美命が君主を呼び寄せてもいいと判断していると言うことはそれだけ落ち着いたという証明だ。

 

 俺たちは誰一人としてあいつの判断を疑わず、彼女らによって平定された曲阿がどのような場所になったのかと想像を膨らませている。

 蘭雪様や雪蓮嬢が楽しみにしている様子にはやや不安が残るが、母親の成果を見る事を誰よりも楽しみにしているがそれを必死に隠そうと澄ました顔を取り繕っている冥琳嬢を見ているとそんな気持ちが不思議と安らいでいく。

 蓮華嬢や小蓮嬢も、もちろん俺たちも美命や祭、慎や深冬たちが出した結果を直に見たいと思っている。

 

 しかし。

 誰が行くかを決めるのは今すぐにという訳には行かなくなった。

 

「く、ろ、う、おじさまぁあああっ!!」

 

 朝の鍛錬中に背後から抱きついてきた蒲公英と、慌てて追いかけてきた翠。

 そして二人の後を余裕のある歩調で追う鉄心。

 つまりは西平からはるばる来てくれた者たちの応対の為に。

 

 

「まだそれほど時間は経っていないが。元気そうだな、蒲公英」

「えへへ~~っ。うん! 蒲公英は元気だよ!」

 

 背中に抱きついた彼女の頭を後ろ手に軽く撫でてやると、彼女は猫のように首筋に頬摺りし始めた。

 鍛錬の相手をしていた兵たちや趙雲が突然現れた彼女の態度に口を大きく開けて呆然としているのが妙に面白い。

 

「思春とか陽菜おば様、玖龍君も元気?」

「私はこの通り何も変わらん。というかお前はいつまで駆狼様にくっついているつもりだ」

「きゃっ!?」

 

 抱きついたまま会話を続けようとする蒲公英のポニーテールを、これまたいつの間にか背後にいた思春が思いきり引っ張る。

 女性らしい細腕が首から離れ、背中に感じていた僅かな重さと暖かな体温が消えた。

 思春の容赦の無さに思わず苦笑いしながら振り返れば、ポニーテールの付け根を両手で押さえながら涙目になって座り込んでいる蒲公英の姿がある。

 

「ちょっともう少し手加減してよ! 髪が取れちゃうかと思ったじゃない!」

「そんな柔な身体ではなかろう。四人がかりとはいえ駆狼様の猛特訓を乗り越えたお前たちがこの程度でどうにかなるはずがあるまい」

 

 ただ純粋に蒲公英や翠の実力を信じている思春の真っ直ぐ過ぎる言葉。

 実直過ぎる故に言葉を飾らないこの子ならではと言えるだろう。

 

 直撃を受けた蒲公英は言葉の意味を理解した途端に顔を真っ赤にした。

 ようやく追いついた翠も妹分を諫めるのも忘れて、気の毒なくらい紅くなった顔を手で覆ってしゃがみ込んでいる。

 

「え、あ、その……うん。なんかありがと」

「? 何故礼を言ったのかわからんが……まぁいい。久し振りだな、蒲公英」

「うん、久し振り! 元気そうで良かったよ、思春」

 

 ここで引きずらずに気持ちをすぐに切り替えられるのは蒲公英の長所だ。

 翠はまだ駄目らしくこちらに背中を向けて気配を殺している。

 普段決してやらないだろうレベルで気配が消えているから二人は気付いていない。

 だが後ろから歩み寄っている鉄心や視界に入ってしまっている俺、あとついて行けていない故に周りが見えている鍛錬参加者たちにはばっちり見られているからあまり意味はないぞ、翠。

 

「しかしお前が建業に来るとは……駆狼様、陽菜様が交渉した件か?」

「うん、それ! あと勉強がてら余所の領地見てこいって叔母様が言ってくれてね! これは言われなかったけど、たぶん遠征に慣れさせたいって言うのもあると思う。涼州からあんまり出ないからさ、私たち」

「異民族を相手に領地を守っていたからな。長期の遠征なんて早々出来るものではないだろう」

 

 会話に入り込むと、二人は自然と俺に視線を合わせる。

 

「近場の領地と対異民族の同盟を組んだから少しだけ余裕が出来てね。そっちは叔母様とか雲砕おじ様がやってる。なんか凄く良い同盟相手がいたらしいんだ。おじ様に教わったサツマイモを取引材料に使ったらけっこう楽に交渉出来たって言ってたよ」

「……そうか。さっそく役に立ったようで何よりだ」

 

 そうして話しているとようやく復活したらしい翠が鉄心と共に近付いてくる。

 

「こら、蒲公英。こんな往来でぺらぺら喋るな。っとお久しぶりです、駆狼さん。思春も」

「お久しぶりです。駆狼殿、思春殿。早朝の鍛錬を邪魔して申し訳ない」

 

 まず蒲公英を諫める彼女には適度な気負いを感じる。

 以前はなかった責任感はこの遠征を率いる者としての物だろう。

 

 俺に挨拶している様子は年頃の少女らしさを感じさせるが、武官として抑える所を弁えている。

 鉄心殿は相変わらずの鉄面皮のようだが、その声には僅かにだが喜色と申し訳なさが感じ取れる。

 言葉通り、俺たちとの再会を喜ぶ気持ちと蒲公英の乱入で鍛錬が止まってしまった事への謝罪。

 

 そこで同じ事に思い当たった蒲公英と翠も慌てて頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい。私、嬉しくってつい! 皆さんも鍛錬の邪魔しちゃってごめんなさい!」

「あたしからも謝らせてくれ! すまなかった!!」

 

 周りで話の流れについて行けていなかった者たちに勢いよく頭を下げて回る二人。

 一応、彼女らは涼州馬氏を代表して来ているんだがこんなに腰が低くていいのだろうか?

 

「他の相手ならばたとえ同盟相手であろうともっと毅然とするでしょうし、させます。しかし貴方方の建業だからこそあの子たちはああして敬意を示している。やや行き過ぎではありますがそのうち勝手も掴めましょう。今はあれで構いません」

 

 俺が言いたい事を読み取ってくれた鉄心殿の言葉に一先ず納得しておく。

 目に余るようなら彼が手綱を握ってくれるだろう。

 

「正式な挨拶は城の方で改めて行わせていただきます」

「了解した」

 

 やや形式ばったやり取りを鉄心殿としていると、彼女らが戻ってくる。

 俺たちの前まで来ると姿勢を正しわざとらしい咳払いで仕切り直しながら俺を見据える。

 

「建業との盟約に従い西平の馬騰の名代として来ました馬孟起です」

「同じく馬岱です」

「同じく鳳令明です」

 

 膝こそ付かないがこの場で出来る最敬礼をしながら彼女は続ける。

 

「同盟者たる建業の領主孫文台様へお目通りをお願いしたい」

「承知した。文台様への取り次ぎはこの凌刀厘が請け負おう」

 

 この後、俺から建業の上層部に話を届け翠たちは正式に建業の客人として迎え入れられる事になる。

 それに伴い三人以外の軍馬や調教師、その護衛として引き連れてきた部隊も城の敷地に迎え入れられた。

 彼らは建業の外、それなりに距離を置いた場所で野営していたらしい。

 

 まず翠たちが挨拶と部隊の入城許可を取る為に先行したのだと言う。

 いきなり部隊単位で来られても混乱するだろうという事だが。

 それなら行軍中に伝令をよこせば良かったんじゃないかと突っ込むと、翠と蒲公英は揃って顔を逸らした。

 我先にと建業を見たかったから適当な口実が欲しかっただけらしい。

 職権乱用の罰としてそれぞれに拳骨を食らわし、待ちぼうけを食らっている部隊をさっさと連れてくるよう言い付けて追い出してやった。

 

 すぐに部隊を引き連れてやってきたが、五割以上があちらで鍛錬の際に叩きのめした顔見知りだったことには驚いたものだ。

 後で翠に聞かされた話だが、彼らは俺の実力に惚れ込んでいるらしくそんな俺が仕えている建業の兵士たちを自分の目で見たくて志願したらしい。

 

 一つや二つ騒動が起こりそうな者たちの来訪。

 こちらの対応を終えなければ曲阿の視察は出来ないだろう。

 

 もうしばらく待っていてくれ、祭。

 建業に帰ってから一度も見ていない妻に心中で謝りながら俺は今日も軍馬の調教、日々の世話についての教習を受ける。

 


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