乱世を駆ける男   作:黄粋

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第七十二話

 建業に戻ってきてしばらく。

 俺が遠征中に拾ってきた孤児『陳武子烈』は、俺の元から離れていた。

 正確には遠征後の諸々や馬超たちの来訪などのごたごたで俺自身が彼女に構ってやれなくなっていた為、俺の次に懐いている賀斉こと麟が一時的な預かり人を申し出てくれたのだ。

 情けない話だがあの時の俺にとってその申し出はとてもありがたい物だった。

 

 俺が忙しいという事を理解してくれていた子烈は寂しそうにしたが、それでも麟と共にいる事に納得してくれた。

 麟も機会を見ては俺に子烈の様子を報告してくれたので大過なく過ごしている事も知っている。

 

 俺の方もようやく落ち着きを取り戻した。

 彼女は今は無事に俺の元にいる。

 陽菜には遠征から戻ってきてすぐに話し、了承を得た。

 手紙で祭にも許可をもらっている。

 

 彼女はこれで俺たちの正式な養子という事になる。

 子供たちや陽菜との顔合わせについてはやや不安があったが、蓋を開けてみればこれも問題はなかった。

 むしろ子烈は自分よりも小さな子供に興味津々で積極的に世話を焼こうとすらしていた。

 言葉は未だに話せないし書けないが、それでも俺たちとの関わりがこの子の情緒を成長させているようだ。

 まぁそれでも一番懐いているのは俺のままのようで、俺の様子を窺い大丈夫そうだと判断したら背中に引っ付いてくるのは変わらない。

 出来ればそろそろ言葉を勉強させたいのだが。

 いっそ子供たちと一緒に勉強させる方が良いかもしれないな。

 

 子烈の、そして玖龍たちの今後の教育に考えを巡らせながら俺は執務机に置かれた三篇からなる報告書を読み進める。

 

 

 遠征に行く前、俺は三国志に名高い『飛将軍呂布』について皆に語った。

 それは一重に俺自身の警戒心の表れであり、自分たちを向かうところ敵無しだと思い込みかけている皆の安易な考えを諫める意図があった。

 

 結果として団結力と競争心を適度に煽れたと思っていたのだが。

 どうやら俺が言った言葉は俺が思った以上に皆の心に響いてしまっていたようだ。

 

 背中に子烈を引っ付かせながら、俺は当時の自分の軽はずみな発言を反省していた。

 今、読んでいる竹簡は呂布奉先の経歴についての調査報告なのだから。

 

 

 呂布奉先(りょふほうせん)

 おそらく三国志という物語において劉備や曹操、孫堅、孫権、孫策などと同じくらいに有名な武将。

 その武は三国一とされ、特に弓術、馬術に秀で飛将と呼ばれたとされる。

 演義においては方天画戟(ほうてんがげき)という超重量の武器を軽々と振るうだけの腕力を持っている。

 赤兎馬に跨がり戦場を蹂躙する姿はまさに天下無双だ。

 だがその人生は裏切りに満ちており、義父の丁原(ていげん)、董卓、劉備と裏切った人物も有名所が多い。

 本人の気質を誰かは「虎の強さを持ちながら英略を持たず、利益だけが眼中にあった」と評したと聞いた事がある。

 最後は曹操に捕らえられ、最後まで付き従った陳宮(ちんきゅう)と共に処刑された。

 

 

 人物像としては、決して良い人物ではない。

 しかし作品によって扱われ方が違い過ぎるため、俺自身この世界のかの人物がどのような存在なのか測りかねていた。

 

「強さは俺が思った通りのようだが……しかし思っていた人物像とずいぶん違うみたいだな」

 

 調査報告書には呂布の外見的特徴や普段の行動なども書かれている。

 

 やはり女性だった彼女は現在、丁原の元にいる。

 武官として仕えているものの部隊はない。

 彼女について行ける者が丁原の元には誰一人としていないのだそうだ。

 馬を駆っても本人の足で走らせても他の者を置き去りにしてしまうらしい。

 丁原の元の騎馬隊すらも彼女についていけないというのは、騎馬隊が情けないのか彼女が凄すぎるのか、判断に困る。

 結果、たった一人で部隊として動くという常識外れな行動をしている。

 だが彼女が動いた戦場で敗北はない。

 立ち向かった者は例外なく殲滅され、その容赦の無さに戦意を喪失した者はこの時の経験によって二度と武器を握れなくなったという。

 その力を目撃して影響を受けたのはなにも敵に限った話ではない。

 呂布の力に魅入られ傅くようになった者、逆にその力を恐れ距離を取った者。

 かの人物の力は様々な影響を及ぼしている。

 

 しかし戦場の苛烈さとは裏腹に彼女の日常生活はひどく穏やかなものだ。

 同列の武を持つ者がいないからか、鍛錬をしている姿は見られない。

 その代わりというべきか街の食事処や出店の類いによく出没してはその体躯に見合わない量の食事を取って去って行く。

 彼女に付き従うようについていく犬や猫などの動物を見たという話もよく聞くらしい。

 

 人によっては食事処に現れる少女と呂布が繋がっていない者も多く、町人たちからは微笑ましい目を向けられている事すらある。

 その力故に軍内からは孤立、いや自ら出向き一人で片付けてしまう孤高とも言える姿勢を考えれば別人のようにすら思えてしまうかもしれない。

 

 

「なんとも面妖な人物なのだな、この世界の呂布は……」

 

 思わず呟いた言葉に俺の思いの全てが込められている。

 背中に引っ付いたまま寝息を立て始めた子烈を落ちないように抱きかかえてやる。

 

 

「敵対する事があれば……俺は、いや俺たちは果たしてこの子に勝てるのか」

 

 赤い目に褐色の肌という子烈に似た特徴を持つ少女に思いを巡らせながら俺は執務室を後にした。

 

 

 

「長いようで短かったな」

 

 月を見上げながら杯の中の酒を飲む。

 こうして落ち着いて酒を楽しめるのも一先ずの嵐が過ぎ去ったお陰だ。

 

 翠と蒲公英、鉄心殿たちによる軍馬に関する技術提供に目処が立ち、彼女らは帰還する事となった。

 今日は同盟を結んでからの二回目の取引が無事に終わったことを記念しての宴会を行う事になる。

 真っ昼間から始まった宴会に冥琳嬢や蓮華嬢はおろか祝われる側であるところの翠たちも困惑していたが、そこは我らが君主様と後継者が押し通してしまった。

 

 宴会は上から下まで無礼講の大騒ぎ。

 兵たちも武官も君主すらも関係ない(なにせ君主の方が率先して酒を注いで回って潰していたからな)乱痴気騒ぎと言っていい有様だった。

 

「……」

 

 今はその後。

 俺は場所を会議に使用するそれなりに広い部屋に移し、窓から城下を眺めながら一人で晩酌をしていたのだが、最初に稟が現れ、次に冥琳嬢と蓮華嬢が来た。

 稟を捜してきたらしい程立改め風(ふう)、趙雲改め星(せい)も現れ、そこからは続々と示し合わせたかのように集まって二次会のような有様になってしまった。

 

「静かだな……」

 

 独りごちる俺の周囲には蒲公英と翠、稟と風、星に思春や麟に弧円、冥琳嬢や雪蓮嬢、蓮華嬢にいつの間に現れたのか周泰改め明命(みんめい)までもが酔い潰れて眠っている。

 

「うふふ、そうね」

 

 俺の言葉に同意を返してくれたのは陽菜だ。

 彼女も彼女で背中には子烈を引っ付かせ、そして膝には蘭雪様の頭を乗せている。

 姉の見事な桃色の髪を愛おしげに梳く姿は月明かりと相まって実に絵になる光景と言えた。

 

「しかし……この子たちはずいぶんと無防備だな」

 

 周りを見渡す。

 この子たちは俺を信頼しているのだろうが、仮にも男がいる密室でこれは無防備過ぎるんじゃないだろうか?

 

「それだけ貴方を信頼しているという事よ」

「……そうか」

 

 まぁ贅沢にも愛する妻が二人もいて、さらに子もいる身で無体を働くつもりなど微塵もないが。

 

 俺は一度、杯を置いて立ち上がる。

 用意しておいた毛布(というには薄い代物だが)を一人一人にかけてやった。

 改めて陽菜の横に腰を下ろすと、彼女はそっと俺の肩に頭を寄せてきた。

 彼女の好きにさせながら俺はまだ残っていた酒を杯に注ぎ、夜闇に浮かび上がる丸い月を見上げる。

 

 しばらくそうしていると肩にかかる重みが僅かに増した。

 陽菜を見やれば目を閉じて小さな寝息を立てている。

 

 どうやらこの場で起きているのは俺だけになったようだ。

 

 十人十色な酔い潰れ方をしている様々な立場の子たちがいると、遠征から帰ってきてからの慌ただしい日々を思い出す。

 俺は月を見ながら注いだ酒を一気に呷り、この子たちとの出来事を思い返し始めた。

 

 

 

 そして翌日、翠たちは今回の遠征の成功という結果を引っ提げて意気揚々と西平へと帰っていった。

 お互いの健勝と再会を願いながら。

 

 翠は雪蓮嬢と冥琳嬢、蒲公英は蓮華嬢と思春、小蓮嬢と特に別れを惜しんでいたように思う。

 小蓮嬢はいつの間に蒲公英と仲良くなったのだろう?

 まぁ確かにこの二人は馬が合う気はしていたんだが。

 

 二人は俺や陽菜とも別れを惜しんでくれている。

 特に蒲公英はやや瞳が潤んですらいたが、それに触れるのは憚られた。

 

 鉄心殿とは固い握手をし、視線を合わせるだけで別れのやり取りを終えている。

 俺が薦めた建業の酒を大切に袋に入れて背負っていた。

 

 彼とは男同士と言うことで激も交えて滞在中に何度か飲んだ。

 彼はの鉄面皮が故に初対面では誤解されがちだ。

 だがその実体はなかなか乗りが良く、話のわかる御仁である。

 お蔭で激ともすぐに打ち解けた。

 今度は是非とも慎も交えて飲みたいものだ。

 

「駆狼さん、またいつか必ずお会いしましょう!」

「おじさま、またね!」

 

 年相応の笑みと共に告げられた再会の言葉に、俺もまた笑みと共に応じた。

 

 


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