乱世を駆ける男   作:黄粋

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今年最後の投稿となります。
今年一年、なかなか更新頻度が上げられない作品にお付き合いいただきありがとうございます。

次回、小話を挟まなければ原作へ突入します。
あくまで真・恋姫の原作ですので出ないキャラ、出てもキャラが違うなどありますが楽しみにしていただければ幸いです。


第七十五話

 俺たちの曲阿視察から半年。

 その間に色々とあった。

 

 まず塁が無事に出産を終えた。

 可愛らしい女の子を抱き、やつれた顔でありながら晴れやかに笑うあいつの姿に俺たちは揃って安堵の息をついたものだ。

 激は妻と子を抱き締めながら号泣。

 塁を励ます為に抱え込んでいた不安や出産が無事に終わった安堵がない交ぜになって爆発したんだろう。

 前世での俺もそうだったから、その気持ちはよくわかった。

 

 塁は出産後、すぐに武官へ復帰するべくリハビリに励んでいる。

 悪阻が無くなった事で本人の精神もかつての強さを取り戻したらしい。

 あっという間に風邪も引かない頑強な身体を取り戻した。

 子供の面倒を夫と交代で見ているというのに疲労を感じさせず、既に部隊の調練にも復帰している。

 一部で「妊娠中の弱々しさは仙人が見せた幻だったのでは?」とすら言われている事を知っている。

 

 あいつは今、新兵たちを相手に人体を丸々潰してしまえるほど巨大な大槌を振り回している。

 あの大槌も妊娠中は部屋に飾られているだけだったから、気のせいか持ち主に再び振るわれるようになった事で輝きを増している気がする。

 

 そもそも悪阻の症状が重く武官への復帰も危ぶまれていた為に、塁の部隊は解散し他隊に振り分けられていた。

 俺の時のように一声かければまた招集する事も出来ただろうが、あいつ自身がそれを望まなかったのだ。

 心機一転とばかりに新たな建業防衛の部隊を立ち上げる事を提案し、その全てを兵役一年程度の新兵で固めている。

 

「私自身、腕が鈍ってるし。新しい隊で新しい人達と一緒に鍛えていこうと思ってね」

 

 手慣れた所作で子供をあやしながら言うその顔は生気に満ちていて、これなら問題無さそうだと心配していた俺たちを言葉もなく納得させた。

 今日も元気に隊の調練に励んでいるあいつのいる場所からは兵士たちの叫び声と悲鳴が絶えない。

 

 

 

 次に老先生が張昭である事が判明した。

 これは本人に聞いたところ、しごくあっさりと認めた為だ。

 子綱殿が気にかけていたと伝えたところ。

 

「あのド阿呆め。存外、元気そうじゃないか」

 

 普段は決して聞く事が出来ないような悪態をつくあの人の姿は実に新鮮だった。

 その口元が嬉しそうに綻んでいた事には触れなかったが。

 

 

 張昭子布(ちょうしょう・しふ)

 若い頃から学問に励み、知謀に長けていた人物。

 董卓の専横などで中央が乱れると、江南へと移住し、孫策が挙兵した際にその参謀として招かれている。

 孫策からの信任は厚く、政治・軍事の一切の裁断を張昭に任せたと言う。

 孫策は出陣するとき、張昭と張紘のどちらか一人を伴い、もう一人に留守を任せていたとされている。

 この事からも『江東の二張』がどれほど彼に信頼されていたかがわかるだろう。

 私事では孫策が張昭の家へと赴き、張昭の母へ挨拶をするなど家族同然の付き合いをしていたとも言われている。

 孫策の急死に際して枕元に呼ばれ孫権の補佐を任され、さらに「仲謀に仕事に当たる能力がないならばあなた自身が政権を執ってほしい」と頼まれていたという話もある。

 孫権にも内政の事は張昭に相談せよと命じるほどだ。

 彼はただひたすらに真摯に孫呉を支え孫権に意見し続けたが、それ故に孫権と意見を違えて対立する事も多かったと言われている。

 この時代ではなかなか見られない八十歳という高齢でこの世を去っている。

 

 

 老先生は元から頼りになる人物だったが張昭の史実を思い出すと、さらに頼りがいが増した気がする。

 

「紆余曲折あったが、まぁ同じ主に仕える事になったんだ。そのうち顔を合わせるだろうさ。わざわざ会いに行くつもりは私にはないよ」

 

 俺が子綱殿と面談する機会を設けるかと聞いたところ、妙に砕けた口調で拒否された。

 どうやらこの方はこの方であちらの事を特別視しているらしい。

 悪い意味ではないと思うが、直接対面すると一悶着起きそうな予感がする。

 

 

 

 次に星、風、凜の三人が建業を発った。

 うちは能力に応じて給金を払っていた為、彼女らの目的であった路銀は充分すぎるほど貯まっている。

 どうやら戯志才が幽州にいる可能性を俺が示した事で凜は出立の相談を二人にしていたようだ。

 

 なるべく迷惑にならない時期を見計らっていたらしく、曲阿視察が終わり政務が落ち着いた所で暇乞いをされたのだと美命が語っていた。

 彼女としても優秀な文官として風と凜を気に入っていたため、しごく残念な顔をしていたがそれでも無理に引き留めようとはしない。

 強引にここに縛り付けても良い事はないという蘭雪様の言を理解しているからだ。

 

 俺としても彼女らを止める理由はない。

 とはいえ短い間とはいえ共に過ごした間柄だ。

 お世話になりましたと挨拶に来た彼女らを快く送り出したものの、『余所で不当な扱いを受けないだろうか』という親心にも似た心配はある。

 そうやすやすと好きなようにされるような子たちではないので、これは俺が心配性なだけかもしれないが。

 外に出している密偵が拾ってくる情報に彼女ららしき人物の事があるのは俺の心配を察した彼ら(主に明命)の心遣いなのだろう。

 

 

 最後に曲阿には蓮華嬢が派遣される事が決まった。

 新しい地にて自らの性質に見合った統治をしてみせろという蘭雪様の意向だ。

 彼女に追従するのは明命と思春。

 蘭雪様が来る前から曲阿にいる人員と美命、陸遜、祭はそのまま曲阿の統治に尽力する。

 慎と深冬に関しては一度建業に戻す事になった。

 

 これだと軍部の人員、つまり荒事担当が不足気味なので年単位で武官を入れ替わり派遣する事が決まっている。

 最初の一年は俺とそのまま残っている祭だ。

 一年後、祭は俺と共に建業に戻る事になる。

 

 この武官派遣はあくまで曲阿の兵力が整うまでの方策。

 蓮華嬢を主体とした統治に関して口を出す事は基本的にはないもの。

 ここから俺の知らない『孫仲謀』の治政が始まると思うと感慨深いものがある。

 当人が俺の事を叔父と慕ってくれているから、雛が巣立ちを迎えるような心境でもある。

 

 

 ちなみに建業の統治も時期を見て蘭雪様から雪蓮嬢へと移る予定だ。

 蘭雪様はそれがいつかは明言していないが、そう遠くないだろう事は俺には理解できた。

 孫家特有の直感が何かを感じ取っているのだろう。

 

 それは俺が知る世の乱れが近い事を示しているのかもしれない。

 

 

 

 こうして建業と曲阿のみを見てみると案外平和なのだが、大陸全土を見るとそうでもない。

 

 大きな出来事としては名門袁家の当主が相次ぎ没した事によって変わり、その後継である者たちが一般的に暗君と呼ばれる者であった事か。

 今まで彼女らの親の代までで積み立ててきた財を湯水のように浪費してやりたい放題しているらしい。

 袁紹本初(えんしょう・ほんしょ)と袁術公路(えんじゅつ・こうろ)。

 それぞれ独自の領地を持つこの二人について俺たちは『行動力のある愚か者』として何をしでかすかわからないから警戒を厳にしている。

 特に袁術は前世の知識によれば孫策とかなり密接な関わりがあるので、俺としても注意しておきたい所だ。

 

 

 民の扱いも変わらない。

 権力者から搾取される民の悲鳴、怒号、怨嗟の声がそこかしこから聞こえている。

 

 民の生活も考慮した善政を敷く領地ももちろんあるが、大半の領主はまず我が身の立身出世に集中し民を蔑ろにしている。

 そして民の不満は加速度的に高まりを見せ領主に反抗した結果、賊徒に身を落とす者が増えていた。

 

 領主に逆らう者が少数ならば象が蟻を踏み潰すように一瞬で終わってしまうだろう。

 だが領主に反抗する者の数が多く、勢いがあれば話はまた変わっていく。

 それだけの数の民がこの大陸には存在し、それらが領主への不満という一つの目的に対して団結すれば蟻は象すらも倒しうる存在へと変わる。

 そうして落ちた領土が少なからず存在する事は既に報告されていた。

 

 今の段階でもそうなのだ。

 かの黄巾賊の台頭の始まりと言える大飢饉が起きたら、世がどれほど乱れる事になるのか。

 想像するだに恐ろしい。

 

 

 涼州では未だに異民族の襲撃が起こり、縁たち馬騰軍が対処しているらしい。

 馬超、馬岱の活躍も風の噂で届いている。

 元気そうで何よりだと彼女らを知る者たちは笑った。

 

 華琳たち陳留も安定した治政によって評判を上げている。

 賊徒は曹操を恐れ陳留を避けているとすら言われているそうだ。

 順調に名を上げている彼女らに向ける想いは正直複雑だが、それでも元気そうだとわかるのは嬉しい。

 

 中央の情報はほとんど入ってこない。

 十常侍の悪行はそれこそ鬱陶しいくらいに入ってくるが、俺が本当に欲しい桂花の事は掴めていなかった。

 いつか必ず助け出す。

 その決意は俺の中で今も変わらず硬いものだ。

 

 

 サツマイモの生産は軍内でも軌道に乗っている。

 しかし領民をすべて賄えるかと言えば正直いくら備蓄していても不安が残るというのが正直な所だ。

 これから起こる大飢饉がどれほどの物なのか、予想も付かないからだ。

 経験した事のない事象に対して、どれほど対策を練っても不安が残るのはある種当然の事ではある。

 だからこれで大丈夫だろうと満足するのではなく、まだまだ足りないのだと思って準備を進めている方が個人的には安心するのだ。

 

 サツマイモと同時期に手に入れていたトマトの生産は俺が個人で生産する分には安定してきている。

 ただ元々、トマトは年単位で備蓄するのに適した食材ではない。

 今、軍内あるいは民にこれを広めても飢饉によって全てが塵芥と化す可能性が高い。

 飢饉を切り抜けてこそ、痩せた地ですらも根付くその生命力の凄まじさが輝く時だと俺は考えている。

 だから今は安定した生産の為のノウハウを個人で収集するに留めていた。

 トマトについては蘭雪様や美命には相談して時期を見る事を許可してもらっている。

 隠し事が発覚し無い裏を探られて不和を招くような事をするつもりはない。

 

 懸念事項は今を持っても数多い。

 これからも新たな問題が俺たちの前に立ち塞がるんだろう。

 俺たちはそれらを粉砕してでも進まなければならない。

 守りたいと思う物を守るために、救いたいと願う物を救う為に。

 

 精心流の表題『昨日の己に克つ』の言葉に従い、仲間たちと、家族と共に歩み続ける為に。

 

 

 時間にして三年の月日が経ち、蓮華嬢たち、雪蓮嬢たちの統治が安定してしばらく経った頃。

 大飢饉を引き金として大陸全土に黄色い布を巻き付けた者たちを筆頭に賊徒があちらこちらに出没するようになり、不穏な空気が付きまとう大陸を憂う占い師が『天の御使い』と呼ばれる者の存在を示す事になる。

 

 

 ここから俺が知っているようで知らない、もはや三国志と呼んで良いかもわからない戦乱の世が始まる。

 

 


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