乱世を駆ける男   作:黄粋

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大変遅くなりました。
今回から黄巾の乱編となります。



黄巾騒乱編
第七十八話


「また余所の領地で賊の襲撃があったようです」

「また例の連中か?」

「……黄色い布を巻いた賊、『黄巾党』ですね」

 

 会議室にてお手製の周辺地図を広げながら俺は冥琳嬢と話し合う。

 話題は大飢饉の後から急激に増え始めた賊についてだ。

 

「共通しているのは『張角』、『張宝』、『張梁』の名を様付けで叫び、讃えながら襲ってくる事」

 

 頭痛を堪えるような仕草で彼女は頭を抑える。

 その仕草があまりにも母親に似てきている事に俺は苦笑いを漏らしそうになった。

 

「信奉具合にはかなり差があるようだな。若い人間はもはや狂信と言っていいほどの熱狂ぶりだが、年齢が上がっていくとそこまでの熱意は感じられない。仕方なく合わせているという態度の者もいる」

「おそらくあの集団に交じって略奪行為へ参加する為に話を合わせている者が一定数いるのでしょう」

「例の三人を信奉する者の数が相当だからな。紛れ込めればそれだけで事が楽になるだろう」

 

 実際、領地で迎撃した黄巾党の中にはそういう者がいる。

 というより熱心な信奉者以外は『張角』、『張宝』、『張梁』の顔すら知らなかったくらいだ。

 

「逆に顔を知っていると思われる信奉者たちは何をされても三人の外見や居所、何を目的としているのかを吐きません」

「あれは素直に大したものだと思うぞ。元はただの村人や町民のはずだというのにどれほど痛めつけられても脅されても屈しない。どころかいよいよまずいと思ったときは自害すらしてみせた」

 

 拷問を受け続け、それでも呪文のように張角らの名を讃える様はまさに狂信者のそれだ。

 間違ってもただの農民からの賊徒がしていい態度ではない。

 

「一体何者なのでしょう。この張角らは……」

「正体不明の扇動者。最初は宗教家の類かと思ったが、奴らの熱気は方向性が違う気がするな」

 

 ただ狂信者ではあっても、奴らの目は俺が知る前世からの狂信者のそれとは異なる。

 

 俺が知る狂信者は死しても救われると信じる者たちだ。

 だから死を恐れないし、躊躇わない。

 かつての俺自身がそうであったように国のためにと命を懸ける者たちが近いかもしれない。

 俺たちは誰かの未来のために力を振るった。

 そうすることで国とそこに住まう人々の未来を救えるのだと信じて。

 自分たちには死後に安寧が訪れると信じて。

 滅私奉公の精神は度が過ぎれば一種の狂信と言えるだろう。

 

 奴らはこれとは明確に違う。

 奴らは既に救われているようだった。

 いつ終わるともしれない苦しい日々から救ってくれたのだと、希望をくれたのだと。

 張角たちへの感謝を叫び、張角たちの行為を無条件で肯定し、そしてその為にやる事の全てを自分の中で正当化していた。

 明確な存在への奉仕行為、その為に誰がどうなっても構わないという身勝手な思考。

 

 正直、こいつらの行いは本当に相手の為の行動なのかという点には疑問が残る。

 しかし重要なのは張角らの意志ではなく、黄巾党という奴らの信奉者がこの行為を正しいと信じている事だ。

 

「奴らの目的がなんであれ、大陸全土を騒がせ、無法を繰り返しているという事に変わりはありません」

「もちろんその通りだ。奴らに、と言うより張角たちにどのような目的があるのかは知らないが、俺たちがそれに付き合ってやる義理はない。理由を問いただすのは捕えてからでいい」

 

 既に被害は至る所に出ているのだから。

 

「それに奴らが騒ぎ立て、混乱を引き起こしている現状を好機と見て大陸の外の連中が押し寄せる可能性もある。この『黄巾の乱』は可及的速やかに収拾しなければならない」

「ですが朝廷からの指示は未だありません。奴らが台頭して既に半年。あまりにも対応が遅すぎる」

 

 俺たちは朝廷から領地を預かり運営している。

 この場所は君たちのもの、あちらの領地は誰々の物と大陸を率いる上司によって定められているのだ。

 故に領地への侵略者へは対処出来ても、俺たちが管理を任された土地では無い他領土までは手が出せない。

 手を出せばそれが例え賊の討伐であろうとも、朝廷からの取り決めを軽んじたと見咎められ罰せられる危険性があるのだ。

 

 勿論、領主同士で正式に同盟を結んでいればその限りではないが、周囲の領土は建業、曲阿を疎んじている者ばかり。

 仮にこちらからの救援を受け入れたとしても、やるだけやらせて難癖付けてくるだろう。

 あちらの領民を思えば歯がゆいが、こちらとしても付け入られる隙を見せるわけにはいかない。

 

 故に余所も巻き込むような大掛かりな事を行う時はお伺いを立てるか、上からの指示を待たなければいけない。

 かつての錦帆賊討伐の時のように。

 

 今回の騒動は大陸中で広がっているほどの大事だ。

 大陸中央部が主な戦場ではあるものの、涼州や幽州、交州にすらも少くない黄巾党が出没している。

 事は現在の都である洛陽ですらも起きており、即座に『乱の鎮圧』の勅令が発せられなければおかしい。

 

 それが未だに無い。

 

 そのせいで俺たちは領土へ侵入する賊を迎撃するという消極的な対応しか『表向き』は出来ていないのだ。

 無論、いつ正式な討伐令が出てもいいように軍備を整える事は忘れていないが。

 

「『信奉者以外の連中の家族の保護』はどうなっているんだったか」

「今回の激殿、塁殿の出撃で五度目となりますね。流民としての受け入れには問題ありません。流民用の仕事斡旋も問題はないと報告を受けています」

 

 そう、俺たちは秘密裏に信奉者の中に紛れている本当に窮して略奪者へ身をやつした者たちの家族を保護していた。

 大体がうちの領地の外の者であるため、秘密裏にしかし迅速に事を進めなければならず対応は慎重に慎重を重ねて行われている。

 

 切っ掛けは迎撃して引っ捕らえた黄巾党の連中の一部が話がしたいと願い出た事から始まる。

 俺たちは賊の申し出をもちろん怪しんだが、あちらの剣幕と賊に落ちた自分の命はいらないという言に雪蓮嬢が興味を示し、慎と深冬を同伴者として話し合いが成立した。

 相手は両手を拘束し、牢の中と外という状況での対話であったが。

 

 そして申し出られたのは今も自分たちの帰りを待つ家族の保護だった。

 元々は隣の領地に住む農民であったという男は自身の境遇を語る。

 

「俺たちは飢饉のせいで食料が何もなくなった。領主は何の対応もせず年貢だけは例年通り収めろの一点張り。そんな事を続けられて邑が持つわけがない。邑にはもはや麦の一房もない。木の根を囓って僅かに餓えを凌ぐ日々だ。もう余所から略奪しなければどうにもならない。かといってただ俺たちだけで余所の邑を襲ったところでそこにだって食料はない。だからでかい街も襲う奴らに紛れ込んでその成果を横取りしたかった」

 

 だが俺たちに迎撃されてこうして虜囚となり、もはやどうにもならないと思った男の一派はこうして賭けに出たのだと言う。

 

「俺たちはどんな理由があろうとも罪を犯したことには変わりない。こうなることも覚悟して略奪に参加したんだ。だがどうか俺たちの家族には、邑で俺たちが成果を上げるのを待っている者たちにはお情けをいただけないだろうか。ほんの僅かでいい。飢餓で苦しむあいつらにどうか! どうかお願いいたします!」

 

 そう言って伏して申し立てる男の姿に嘘は無かったと俺は後から慎に聞いている。

 実際、その言葉を直接聞いた雪蓮嬢も男に嘘は無いと感じ取ったようで。

 

「貴方たちの処遇は後ほど決めるわ。隣というと会稽かしら? 邑の詳しい場所を教えなさい。祖茂、話を聞いたらちょっと一軍率いて見てきてくれる?」

 

 そんな軽い調子で言われた言葉に慎は真剣な面持ちで頷き、準備を整えて自身を含めた騎馬兵十騎と馬車一台という少数精鋭で男が示した辺りの邑へと向かう

 果たしてそこには飢餓に苦しみ、罪悪感に苛まれながらも賊に身を落とした家族の成果を待つ他ない人々がいた。

 

 痩せ細り、木の根すら囓って必死に生き長らえようとする彼らの姿はある程度予想していたとはいえ慎たちの心を大きく揺さぶったのだろう。

 あいつは彼らを説得し、一人残らず邑から連れ出した。

 元々は少なくない食料を運ぶ為のものである馬車に、村人十数名がすし詰め状態になって帰投する事になる。

 

 当然、彼らも手放しで連れ出される事に同意したわけではない。

 生まれ育った邑を捨てる事を拒む者もいた。

 しかし慎はそんな人達も誠心誠意言葉を尽くして合意の上で連れ出していた。

 

 穏和な性格の慎にしては珍しく、どれほど危険性を訴えても動こうとしない住人たちに厳しい事も言っていたと同行した部下たちから聞いている。

 それだけ彼らを救う為に必死だったんだろう。

 武官として仕えてかなりの年数が経っていても尚、あいつが人としての優しさを忘れずに生きている証と言える。

 

 邑から連れ出された民たちは、賊徒と化した家族が不当な扱いを受けていない事を確認すると連れ出す時に慎と交わした約束通り彼らと共に建業へ引っ越す事に同意し、賊徒側の説得に協力した。

 結果、賊徒とその邑の関係者は流民扱いで建業に迎え入れられる事になった。

 

 無論、ただで衣食住の面倒を見るわけではない。

 流民対策に作った城下外周の共同住宅(長屋が一番イメージに近い)に入居してもらい、今も尚拡大中の畑を耕し収穫する労働力として働いてもらっている。

 働く事で生活の保障が得られる事に彼らは大いに感謝し、来た端から積極的に仕事に取り込んでくれている。

 今までの生活が最低過ぎた事が、建業の保護を受け入れてからの生活の活力になっているというのだから因果な物だと思う。

 

 

 俺たちは『こんな事』を既に五回も行っていた。

 しかし行動した全ての邑の住人を助けられたわけではない。

 

 俺たちが部隊を向かわせた頃には既に滅亡していた邑もあった。

 雪蓮嬢は部隊を派遣した結果を彼らに偽ること無く伝えている。

 結果、罵声を浴びせられることもあったがそれすらも受け入れ、何のために賊に身をやつしたのかと絶望している者たちは処断した。

 生かしてどこかに放逐したところで禍根を残し、自暴自棄になって誰かに害を為すと判断したからだろう。

 必ず己で手を下す彼女の顔は冷徹その物だ。

 

「恨み辛みはすべてここで吐き出して家族の元へ行きなさい」

 

 しかし祈るように呟く姿にはどれほど冷徹を装っていても隠し切れない感情が見える。

 まったくうちの主はいつの間にか多くの物を背負い込むようになった。

 そんな彼女の負担を減らすべく今日も俺たちは駆けずり回っている。

 

 とはいえ一領土の奮戦だけで収められるほどこの乱は甘くはなく。

 未だに張角らの居所は掴めず、朝廷の動きは鈍いままで、俺たちは秘密裏に動き回る事を余儀なくされている。

 

 余所の領土もそのあまりにも多い数に苦戦している。

 同盟を結んでいる西平は内陸の黄巾党から攻め入られ、その上に外部からの異民族の対応も行わなければならない二面での戦を展開する事を強いられていた。

 言ってはなんだが西平の、馬騰こと縁配下の兵士たちは騎兵が大半を占めるためその足の速さは勿論だがそもそも精強な軍勢だ。

 黄巾党が数を頼みに攻めてきただけであれば容易く蹴散らせるだろう。

 

 ただ常日頃から警戒しなければならない異民族の存在に黄巾党の数に任せた苛烈な攻めが合わさると厄介になる。

 それでもどうにか対処出来ているのはそれだけ馬家を筆頭とした西平の兵士たちが優れているが故の事。

 しかし数の差はいかんともしがたい。

 このままの情勢が続けばいずれ息切れする可能性は極めて高いだろう。

 軍議では同盟相手へ援軍を送る事も何度か検討されているが、領土防衛と秘密裏の救助活動に人手を割いている為に援軍の都合を付けるのに手間取っているのが実状。

 自分たちから手を伸ばした事で同盟者への支援が滞るとは情けない限りだ。

 せめて黄巾党の勢いを削ぐ事が出来れば、他に手を回す余裕が生まれるのだが。

 

 しかし賊の現状を知り、『彼ら』を見てしまった我々には見捨てるという選択肢を取る事が出来なかった。

 それに雪蓮嬢は自分の判断で余所の領土の彼らを救う事を決断した以上、最後までやり通すと苦言を呈した蘭雪様や冥琳嬢に啖呵を切っている。

 

「見捨てられた民を拾い上げるくらい広い器を持たなければこの先に進めないわ。それに私の元に集った皆にはそれだけの力がある。私は建業太守として命じます。必要なモノは何を使っていい。出来る限りの民を救いなさい!」

 

 力強いその言葉に応えずしてどうして臣下を名乗れるだろう。

 

「ご報告!」

 

 会議室の戸が乱暴に開かれた。

 激と一緒に出撃した兵士が二人、入室と同時に開いた戸の前で片膝を付いてこちらを窺う。

 

「どうやら次の仕事のようだ」

「はい、参りましょう」

 

 冥琳嬢が気持ちを切り替えるように眼鏡の縁に触れる姿を横目で捉えながら俺は入ってきた二人に報告を促した。

 

 

 

 所変わって建業からそこそこ離れた場所。

 俺はそこで軍を率いて戦っている。

 

「ぎゃぁっ!?」

 

 俺が振るう拳に迷いはない。

 どういう理由があろうとも、この地で略奪行為に及んだ以上は覚悟してもらうのは変わらないのだから。

 

 もんどりうって倒れ込み呻き声を上げながら蹲る黄巾党を余所に俺はその場にいた賊徒数人を一撃で叩き伏せていく。

 一人一人は大した事がないので制圧には10秒もかからなかった。

 残心を胸に周囲を油断なく見回しているとこちらに駆けつけてくる者の姿を確認する。

 

「隊長!」

「どうした、賀斉?」

 

 駆け込んできた副官は真剣な顔で報告する。

 その後ろに付いてきた部下たちは手早く倒れている賊徒たちを縛り上げている。

 

「こちらは終わりました。捕えた者たちは一箇所に集めて宋謙様が数名と監視しています。少しお耳を……」

 

 どうやら戦闘終了以外に報告する事があり、それは周囲で呻いている黄巾党に聞かれてはまずいことらしい。

 俺はやや身を屈めながら賀斉に左耳を差し出す。

 

「捕えた者の数名は、家族のために賊に身を落とした者がおりました」

「またか。わかった、後で別に話を聞こう。他に何か情報はあったか?」

「いいえ。自分たちは張角らに心酔している者。張角たちの為に今の世を壊すのだ、この大陸を張角様たちにお渡しするのだ、だとか……」

 

 つまるところ今まで通りの狂信者集団という事だ。

 無駄に統制が取れているのは、結局の所はこの統一された目的意識にある。

 群れとして最大限の機能を発揮できる状態にある今の黄巾党はあまりにも危険だ。

 

 しかし足並みが1度崩されるとそのまま連鎖的に自壊する可能性も高い。

 幸いな事に崩すために最低限必要な情報は揃っているのだ。

 切り崩すのに必要なのはもう少しだけ深い情報。

 張角らの人と為やこの乱の目的。

 それが掴めれば状況は一変する。

 

「今はまだ出る杭を打ち続けるしかない。賀斉、皆。他の者と合流するぞ」

「はいっ!」

「「「「御意っ!」」」」

 

 西に落ちていく日の光に照らされながら俺たちは歩き出す。

 ふと見上げた空に流れ星が一つ見えた気がした。

 

 そういえばこの乱世を救う一助となる『天の御使い』という存在は流星に乗って現れるんだったか。

 

「そんな事が出来る奴がいるなら会ってみたいもんだ」

 

 過度な期待を背負わされるだろうそんな肩書き、俺ならばどれほど金を積まれても名乗るのはごめんだがな。

 いや……その名を背負って守りたいものを守れるのならば名乗るかもしれない。

 

 俺の小さな独白と言葉に出さなかった思いに応える者はいない。

 

 

 

 

 

 

「目を覚ましたら快晴で見た事無いくらい広い荒野の真ん中で。いきなりいかにも山賊みたいな奴らに身ぐるみ狙われて。どうにかこうにか倒して途方に暮れている。……やばい、起きた出来事まとめても訳分からん」

 

 太陽の光を照り返す白い装束に身を包んだ少年が、荒野のど真ん中で呟いていている事を知る者はいない。

 彼がどこの誰で何者であるか知る者もいない。

 目を覚ます様子のない三人の男はこの時代では考えられないほど綺麗な服を着た少年を世間知らずの貴族か何かだと思って襲いかかったのだが、剣を持っていたにも関わらず彼らは実にあっさりと返り討ちにされてしまっていた。

 言葉を交わす余地などなくあっさりと、だ。

 故に少年の氏素性を彼らはまったく知らない。

 

 そう今はまだ誰も『突然この世に現れた少年』の事を知らないのだ。

 

「一体ここはどこなんだよ?」

 

 途方にくれた彼の言葉に応える者はいない。

 

 


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