乱世を駆ける男   作:黄粋

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ギリギリですがどうにか10月中に投稿出来ました。
楽しんでいただければ幸いです。


第八十話

 

 台風の目という言葉がある。

 激しく動く物事の中心にあり、物事の行く末を左右する、あるいはそれを引き起こす原因となる人や物の事を指す言葉だ。

 

 三国志という物語の中でそういう人物は多い。

 今起きている黄巾の乱の首魁である張角。

 この乱の後に続くさらなる混乱の原因である董卓。

 たった一人の武勇でもって乱世をかき乱した呂布。

 

 彼らはいずれも台風の目と称して差し支えない人物だろう。

 

 しかし俺は三国志には特に大きな台風の目というものが少なくとも二人いると考えている。

 

 一人は既に出逢い、なぜか交流を深める事になった『曹操孟徳』。

 治世の能臣、乱世の奸雄と称されるこの人物は三国志の中に置いて良くも悪くも周囲に影響を及ぼす大人物と言える。

 事前に仕入れていた歴史的な知識から、俺は直接会うその時まで彼女を最も警戒していたし、それは出逢い交流を深めた今もまた変わらない。

 

 彼女は少女であったものの、その気質は俺の知る歴史上の曹操を彷彿とさせるもので。

 今後もこの大陸で様々な騒動を引き起こすだろう事が容易に想像出来てしまった。

 俺の大きな台風の目であるという認識は彼女と出会った事で確信に至ったと言っても過言ではない。

 

 俺たちを尊敬していると語った彼女とその臣下たちの言葉に嘘はない。

 しかし敬う人物だから戦わないという事にはならない。

 むしろ入念な準備を整えて万全を期し、全力でもって挑みかかってくるだろう。

 

 戦って打ち倒す以外に曹操を止める手段はない。

 彼女の目指す覇道とはそういうものだ。

 

 そしてそのやり方に、孫呉が無抵抗で屈する事もない。

 こちらを従えさせたければ屈服させろと啖呵を切るのがうちの主であるが故に。

 

 いずれ必ずぶつかり合う。

 それが俺の出した結論。

 そこで曹操を暗殺しようという発想にならない辺り、俺は自分でも失笑してしまうほどに甘い。

 だが俺は知ってしまった。

 覇道を目指す者としての曹操と、自らの覇道のためにひたすら押し殺された華琳という少女の事を。

 あの弱々しい姿を知って、それでも非情に徹することが俺には出来なかった。

 

 

 話が逸れた。

 もう一人の台風の目と目する人物。

 彼の名は『劉備玄徳(りゅうび・げんとく)』。

 黄巾の乱の頃から世に姿を現し、義兄弟である『関羽雲長(かんう・うんちょう)』、『張飛翼徳(ちょうひ・よくとく)』と共に時代を駆け抜けた男。

 俺が生きた時代に残る三国志の書物では、この男が主役の物が主流だった。

 曹操と比較して義に厚い善人として描かれる事の多い彼だが、歴史の中を見ると意外とそうでもなく、俺の中では彼の存在は泥臭く足掻き続け、歩みを決して止めずに多少の運を味方につけ、遂には栄光を掴んだ人物という印象が強い。

 

 その人生はまさに波乱万丈。

 民草から領地の主、そして三国として孫呉、曹魏と肩を並べる蜀漢という国を作り上げるところまで辿り着く確かな偉業を打ち立てた存在だ。

 黄巾の乱に端を発した大陸の動乱の最中、周囲を巻き込みながらもこれだけの事を為した彼の存在は間違いなく台風の目だろう。

 

 孫呉に仕える者として赤壁の戦いの切っ掛けにもなる彼の存在は決して放置は出来ない。

 

 この世界での彼らの情報がなにもないという事からも、俺は彼らを警戒していた。

 頭角を現すこの乱の最中、他領土の軍についてはもちろん自ら立ち上がって戦う義勇軍の類についても可能な限り情報収集するよう進言したのは、掘り出し物の人材を集める以外にもこの頃は無名であるだろう劉備らにいち早く気づく為でもある。

 

 彼らが刻んだ俺の世界での歴史がこの世界に通用するかはわからない。

 しかし知ってしまっている以上、参考にしない理由もなかった。

 

 しかし黄巾の乱が始まってそれなりに時間が経っている今も、俺は彼らについての情報を得る事が出来ないでいた。

 

 

 

 俺たちはいまだ一度も建業に帰還することなく黄巾党の討伐に従事している。

 既に揚州を離れて久しく、幽州に足を踏み入れて幾日が過ぎている。

 

 ここまで来てしまうと建業に帰還するにも時間がかかるため、不測の事態に見舞われない限り乱が一段落するまで戻らない方針を雪蓮嬢たちには既に伝えている。

 サバイバル技術に関して俺の部隊が他の追随は許さないほどの練度であるからこそ出来る強行軍だ。

 

 賊を発見、戦闘し、その中に一定数いる『訳あり』を見極めて説得。

 彼らの邑の援助を行い、その事を報告し、次の賊の捜索に向かう日々。

 

 ただでさえ拠点に戻らない行軍に加えて、終わりが見えず気が滅入るような作戦行動を続けている自覚はある。

 しかし俺が見る限り、部下たちに無理をしている者は今のところいない。

 

 むしろ俺が気遣っている事に気づいて「まだまだやれます」とアピールする余裕すら見せてくれる。

 実に頼もしい部下たちだ。

 彼らの言葉と作戦行動中の奮闘に後押しされ、俺は幽州でも変わらず黄巾党の捜索を続けている。

 

 

 

 とある日の夜。

 野営の天幕の中で俺は思春から大陸の情勢についての報告を受けていた。

 

「そこそこ力があり歴史のある領土は順調に黄巾党討伐を重ねている、か。しかしその中でも曹操は別格。精力的に、そして何より上手く動いている、か」

「はい。逃亡者は1人も許さず、壊滅させた者たちの情報はしばらく黄巾党本隊に届く事はないでしょう。奴らの手並みは迅速にして鮮やかなものでした」

 

 思春がいつも以上の仏頂面で語るのは曹操たちの作戦行動に関する評価だ。

 それが身内以外の者へ高い警戒心と敵愾心を抱く彼女の目から見ても、曹操たちの行動には非の打ち所がないという事を意味する。

 

「お前がそこまで言うんだ。この乱の間、遭遇するかどうかはわからないが最大限警戒はしよう。もし出遭う事があればついでにその用兵術を盗ませてもらうとするか。思春、お前たちも何か使える技術があれば積極的に盗みに行くように」

「心得ております」

 

 相手の良い所を参考にする、なんていうのはいつの時代も当たり前の行動で『昨日の己に克つ』という標題を生涯掲げ続けた俺にとって息をする事と同義の事だ。

 これを徹底的に意識させる事で俺、いや俺たちはこれからも成長を続けていく。

 たとえ戦時中で、相手が他所の軍隊であろうとも関係ない。

 

「それと申し訳ありません。洛陽の調査は未だ……外はともかく内部となると侵入することも難しく」

 

 自分の唇を噛みしめ、自らの力不足を心の底から悔しがっている思春の頭を俺は軽く撫でて諫める。

 

「長年都を支配してきた十常侍のお膝元だ。一筋縄ではいかない事は重々承知している。明命たちと協力してじっくり腰を据えて調査してくれ。決して焦るな。焦りは判断を鈍らせ、取り返しのつかない失敗を招くぞ」

 

 眉間に寄っていた皺を人差し指で軽くほぐしてやると、気恥ずかしさに彼女は耳まで赤くして慌てだす。

 

「わ、わわ、わかりました! 駆狼様のお言葉、この胸にしっかり刻み、必ず洛陽の情報を奪い取ってまいります!!」

 

 そう言って思春は「そ、それではこれで!」と頭を下げて逃げるように天幕を出て行ってしまう。

 着々と腕を磨き、隠密としても武官としても立派に成長した彼女だが、ああして子供らしい一面を見ると守りたいと思う気持ちが湧き出てくる。

 武官を相手にしてこんな思いを抱くのは侮辱なのかもしれないが、それでも抑えきれない物があった。

 

「気を付けてな」

 

 そんな内心を表に出す事なく、俺は天幕の中から遠ざかるあの子に言葉を贈った。

 

 

 

 定期的に送っている伝令たちから領土の状況や他討伐隊の成果などを聞き、他領土の密偵を行っている思春や明命から情報をもらい、それらを総合して判断するに。

 黄巾党は最初の頃の勢いを失いつつあるようだ。

 

 数と士気では圧倒的と言えた黄巾党だが、その動きはいたって単純で単調。

 そして何より彼らを構成する人員はそのほとんどが訓練などと無縁の民だ。

 それなりに軍略に優れた者が自力の高い兵士を従えれば、数の劣勢を覆す事は容易い。

 大局を見据えた動きが出来るわけでもない彼らは、局地的な勝利を取ることが出来たとしてもその後が続かないのだ。

 

 野戦一度に勝利しても戦利品を得られなければ勢力は維持出来ない。

 軍隊とはただそこに存在する為だけに物資が必要なのだから。

 

 まっとうな集団ではない黄巾党に進んで物資を提供する者が果たしてどれほどいるか。

 なんらかの思惑で彼らを援助する者がいないとは言えないが、限り無く少ないと言えるだろう。

 提供元の宛てがないのならば邑や都市から略奪するか、あるいは敵対する軍隊に勝利する事で必要な物を入手するしかない。

 しかしこれまではそれで上手く立ち回っていた彼らは現在、ろくに物資を補充出来ないでいた。

 

 都の十常侍が重い腰を上げた事で諸手を上げて討伐に乗り出した各領土の部隊が奮戦している為だ。

 たとえ数の暴力によって戦そのものに負けてしまっても、物資を奪わせずに撤退してしまえば黄巾党側は骨折り損のくたびれ儲けにしかならない。

 苦労しても奪われるくらいならばと物資を燃やすなどして使えないようにされてしまえば結果は同じ。

 

 そうして物資が行き届かなければ彼らの士気は落ち、武器が無ければそもそも戦えない。

 彼らがいずれ今の勢力を維持できなくなるだろう。

 

 さらに彼らに追い打ちをかけるように各地で領主に頼らずに立ち上がった義勇軍。

 自ら立ち上がっただけにそれなりに戦を心得ている者もいるようで、そんな彼らによって黄巾党は散発的に撃破され始めている。

 

 民は未だ不安の只中にいるが、戦況に明るい者ならば黄巾党の勢力が弱まっている事実を読み取れる。

 未だ首魁の正体は掴めていないが、しかし乱の終わりは既に見え始めていると言えた。

 

 もっともこのまま自然崩壊するにはまだまだ年単位で時間がかかることも読み取れるだろう。

 だから今の流れを敏感に読み取ることが出来る諸侯は、乱の収束を己の手で付けるべく計略を巡らせ始める。

 そして同じ事を考える者たちは自然と敵の本拠地を掴み、そして一堂に会する事になる。

 

 あえて関わりを避ける者もいるだろうが、そこまで辿り着く事が出来る者たちこそ、さらに先の戦乱で注意すべき者である事は疑うべくもない。

 

 

 

「前方に砂塵! 黄巾党と何者かが交戦している模様です!」

 

 とてつもない視力を持つ賀斉の報告に何も言わずとも全員の行軍速度が上がる。

 

「なにやら取り囲まれている様子で、旗も掲げていない事から旅の者あるいは義憤から戦っているものと思われます!」

「戦局は?」

「数の差を手練れが覆しているようですが……やはり囲い込まれている為にそちら側が不利と思われます!」

 

 そこまで聞いたところで俺は馬の速度を上げる。

 追随する者たちも一拍遅れて速度を上げたのだろう。

 後ろを見ずとも引き離されることなく付き従う部下たちの気配でわかった。

 

「このまま横合いから突撃し、黄巾党部隊を噛み砕く。可能な限り、黄巾党側に重傷者を出さぬように考慮せよ。しかし抵抗激しければ止む無しとする」

 

 黄巾党と相対する前に必ず部下たちに聞かせる口上を述べると、俺は手綱を離して馬の背に立つ。

 拳を握り、一度開き、もう一度握る。

 そして俺はこちらに気づいて怒声を上げる賊徒たちを見据え、馬の背を蹴って宙へとその身を躍らせた。

 

「戦闘開始!」

「「「「「はっ!!!!」」」」」

 

 腹の底から響く部下たちの唱和を背に思い切り振りかぶった右足の蹴りを跳躍の勢いも載せて手近なところにいた賊に叩き込む。

 なかなか体格の良かった賊は棒状の武器で俺の攻撃を撃退しようとしたが、足甲によって武器は粉々にされてしまう。

 勢いを殺す事すらもできずに鳩尾に俺の蹴りを受け、男は自分の仲間たちを数人巻き込んで吹き飛んでいった。

 

 突然の乱入者に賊と呼ぶにはあまりにも身なりのよい恰好をした桃色の髪の少女は、妙に豪奢な剣を正眼に構えたまま驚いて目を大きく見開いているが、今は構っている暇がない。

 

 他にも二人が彼女の傍に立って武器を構えている。

 こちらは武の心得があるらしく、背丈に見合わぬ蛇矛(だぼう)を振り回す少女と青龍偃月刀で敵を寄せ付けない少女だ。

 脇を固めている二人がそれなりの腕であるためか、最初に顔が見えた少女は武器こそ持っているもののあまりにも無防備に見えた。

 戦う気概の薄いその姿に思わず「なぜ戦場(こんなところ)にいるのか!」と怒鳴りつけたい衝動にかられるが、奇声を上げて向かってくる黄巾党を撃退する事でその気持ちをやり過ごす。

 

「速やかに下がりなさい!」

 

 端的な指示だけを伝え、俺は賊を一掃するために踏み込む。

 俺が攻撃を開始するのに続くように、追いついてきた部隊の皆が黄巾党へと襲い掛かった。

 俺の奇襲からダメ押しの部隊による突撃によって敵側に大勢を立て直す余裕などあるはずもなく。

 既に二桁を超える回数になる黄巾党討伐は体感にして僅か十分程度で終わった。

 

 そしてこれがこれからたびたび顔を合わせる事になる劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳との出会いであった。

 

 


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